~ 3 ~

「まさか私が先生になるなんて、思ってもいなかったわ」
 水蓮は名簿帳をめくりながら狐につままれたような顔をしていた。
 その水蓮をニコニコと見つめながら銀寿が面白そうに微笑む。水蓮の言葉ではないが、まさか彼女が教師となって古代語魔法を教えるために大学勤務になるとは思いもしなかったのだ。
 別に水蓮が先生になるのが不向きだというわけでもない。
 ただ、彼女は元々留学生として日本に来たものの、その専攻は日本語専攻である。教師になるという学科でもなかったので困っていたのだ。
 それは他のプロメテウスのメンバーも同様だった。
 古代語魔法を使う事のできるメンバーを全員かき集めても十名にも満たない。そんな中で研究開発や様々な作戦を実施しながら、学生達を育てていかねばならないのだ。
 今のところ弘樹にしても水蓮にしても、本当の意味では古代語魔法を習得しているとは言えない。能力タレントや魔法の宝物の力を使って古代語魔法を使う能力を得ただけなのだ。
 眞の指導で猛勉強をしているとはいえ、未だに魔術師としての本当の教育を完了していないため、まだまだ組織としての魔法能力には不安な点が残っている。それを補うために逆に、彼らに教師としての役割を与える事で古代語魔法の理解を深めさせ、幅広い人材を養成するための重要な役割なのだ。
 そして銀寿にしてみれば親友が危険な最前線で戦わなくても済む、というのはありがたい事だ。
 軍事力という点では日本政府は自衛隊に魔法戦闘装備を展開させて危険な妖魔や怪物にも対応できるような組織作りが進んでいる。そのため、水蓮が直接戦闘を担当しなくても問題ないレベルにまで国家レベルで力を付けてきているのだ。
 それに伴って、彼らプロメテウスはその中核をこなすために今まで以上に高度な戦略指揮や作戦立案を要求される立場へと変わってきている。
「でも、水蓮の先生姿も似合ってるわよ」
 銀寿の言葉に引き攣ったような笑顔を見せて水蓮はこれからの事を考えていた。
『大丈夫さ。俺も教師になるなんて考えてもいなかったけど、何とかなったからね』
 眞が苦笑しながら答える。
 ファールヴァルト王国では最初、彼が到着したときには年老いて引退を考えていた老導師一人と正魔術師レベルの実力しか持たない三人の学生がいるだけだったのだ。
 そして眞とルエラが駆け回って古代語魔法を使える魔術師を鍛え上げ、そしてアレクラスト大陸でも有数の魔法力を持つ国家に成長させたのである。
 魔法を使う騎士を育て上げ、そして魔術を武力として使いこなす魔法兵団をも構築した彼らは、今ではそのアレクラスト大陸でも最高レベルの魔法使いとして近隣に名を轟かせているのだ。
 それにしても眞が成功させた実績は偉業と呼ぶ事さえ不釣合いなとんでもない事だった。
 もし眞が魔法をこの世界に残していなかったなら、世界はどのようになっていただろうか。考えるだけでもぞっとする。
 自分の左手の薬指に煌く美しい指輪に封じられた眞の意思を感じて、水蓮は柔らかく微笑んだ。

 榊原は久しぶりに眞と二人だけで寛いでいた。
 空中宮殿ミネルヴァの中にある眞の館にも和室の部屋はかなりある。というよりも純和風の屋敷をわざわざ建てている程だから、大抵のものならこの宮殿の中だけで揃ってしまうのだ。
 二人で碁を打つなど、もう何年ぶりになるだろう。
 この魔法宮殿の中では眞は好きな時間に自分の分身を生み出して実体化していられるのだ。その為、わざわざ麗子達に魔法の指輪の力を使ってもらわなくても、榊原たちは実体化した眞と会談を持つ事ができる。
 それは彼女達に貴重な時間を使わさせてしまう事を避けるだけでなく、機密保持という意味でも極めて大きな意味があった。
「漸く、一段楽したというところだな・・・」
 榊原の言葉に、眞が頷いた。
「はい。まだ最初の一歩ですが、体勢を整えてプロメテウスを確実な基盤の上に根付かせられたのは榊原さんの力添えのお陰です」
「それは私の台詞だよ。君がいなければ、そして君が手に入れたこの偉大な知識と力が無ければ、今は無かった・・・」
 老人は感慨深く言葉を紡ぐ。
 事実、眞の齎した古代語魔法の力や生み出した組織であるプロメテウスの力が無ければ、これほどまでの急激な戦後体制の再構築は叶わなかっただろう。
 自衛隊も当初はあまりの急激な変化は日米安保体制への深刻な影響がある、として難色を示していたし、当時の防衛庁もこれ程の大きな体制変更を警戒していた。しかし、眞が作り出したあの魔法の像を見せて、それによる情報収集能力を理解したとき、日本の政治は大きく変わることになったのだ。
 これほどの急激な変化に、当然の事ながら合衆国側のジャパン・ハンドラー達は激しく反発し、情報提供を拒むという事態にまで発展していた。しかし、榊原を始めとした保守派はそれに対して「好きにしろ」と返答を返して、逆に自衛隊内部でその『物見の水晶球』を用いた情報収集体制を整えてしまったのだ。今では二十四基の『物見の水晶球』を機械的に稼働させて常に世界中のあらゆる場所を調査、情報収集が可能な体制を構築している。
 また核の傘に代わるものとして、独自に電子励起爆薬の開発を行い、その破壊力をアピールして独自の戦略防衛体制をも整えつつあった。電子励起爆薬は通常のTNT火薬の五、六百倍という凄まじい爆発力を持つ火薬であり、今までも研究が進められていた。従来の爆薬は技術的にその爆発力を向上させるのが限界といわれていて、原理的に大きく飛躍したこの新型火薬の開発は急務とされていたのだ。
 全ての物質は陽子と電子の組み合わせて作られている。
 その物質の電子を励起状態にしてエネルギー状態を高めた状態で安定化させて化合物にし、それを爆薬として使う事で従来の爆薬の数百倍という爆発力を得るようにしたのがこの電子励起爆薬の原理である。
 500ポンドクラスの弾頭であれば、MOAB(Mother of All Bombs: 全ての爆弾の母、米軍の持つ戦略爆弾の一つで、通常爆弾の中で最強の爆発力を持つ)の十倍近い破壊力を発揮できるこの爆弾は十分に戦略的に意味のある相互破壊保証を実現できるだけの価値があった。
 それを政治的に潰されないようにするために左派マスコミなどをも崩壊させるだけの情報戦とそれをこなせる人材がいたことも幸いだった。
 特にプロメテウスの中核人材の中にはマスコミや在日朝鮮人に乗っ取られた宗教団体に家族を奪われたり、人生を破壊されたような悲劇を背負ったものも少なくない。
 そうした者達の負の感情を利用するような形になった事で、榊原や保守派を自認する政治家達も自分達の力の無さを思い知らされていたのだ。
 ある新聞社の人間を精神支配の魔力で支配して集団自殺させたプロメテウスの青年は、平然と答えていた。
「奴らがしていた同じ事をやらせただけですよ。自分がしていた事をやり返されて文句を言うほうが間違いだ。他者の人権を踏みにじった以上、自分達が踏みにじられるのは当然の事です」
 と何の感情も見せずに淡々と答える青年を見て、彼らの背負った十字架の重さを考えるだけでも胸が苦しくなる。
 眞も含めて、彼らが幸せに微笑む事ができる時代は何時来るのだろうか。それを実現するために、榊原達は霞ヶ関の妖怪達を相手に凄まじい暗闘を繰り広げていたのである。
 静かに碁盤をはさんで対峙する少年を見ながら、榊原は絶対にこの戦いに勝つ事を改めて心に誓っていた。
 そんな時に、不意に緊急連絡の通信が飛び込んできたのだ。

「あの迷宮で冒険者のパーティが一つ全滅した?」
 そんな事をあえて連絡する事に弘樹は不思議そうな顔をした。
 正直言って、あの迷宮に挑んでいる冒険者達が命を落とさない方が不思議だろう。今でこそ実力を備えた人材が育ってきているため、被害は少なくなってきているのだが当初は毎日のように数パーティが全滅するという事態が発生していた。
 今でも新しく挑み始めた新米冒険者達のグループが実力をわきまえずに深入りして大被害を蒙る事も珍しくは無い。
 だが、その冒険者のグループについて聞いているうちに、弘樹の顔色が徐々に深刻なものになっていった。
 そのパーティはこの迷宮に挑む冒険者達の中でも最古参の一つで、実力的にも一、二を争うほどの熟練度を誇っていた。
 それにそのパーティの具現魔術師は弘樹に匹敵するほどの実力がある男で、日本でも間違いなく五本の指に入る実力者だった。
 そんな男のいるパーティが全滅した、というのはにわかには信じがたい。
 そして彼らを発見した別のパーティの証言を調べるうちに、看破出来ない可能性が出てきたため、プロメテウスに報告される事になったのだ。
 恐らく、あの炎の夜魔将にやられた可能性が高い、との判断が下されたのだ。
 炎の夜魔将に対抗できるのは今のところ眞以外にはいない。
 プロメテウスの幹部でも役不足だ。
 眞も炎の夜魔将も、いずれもその力は他の者達とは一線を画する絶大なものがある。そんな力の持ち主が正面からぶつかり合うのは危険などというレベルではない。
 あの窮地に追い込まれたときの事を思い出して、弘樹の心に苦いものが広がっていった。
 事実上の敗北に、彼らプロメテウスや自衛隊の特殊部隊たちはそれを可能にするために死に物狂いの訓練を積み重ねていたのである。

 水蓮は静かに呼吸を整えて弓を引くような構えを取る。しかし、その手には何も持ってはいなかった。
 切れ長の美しい眦が一瞬閉じられ、そしてその眼が開かれた瞬間、水蓮の全身が黄金の光に包まれていた。
 その完璧なプロポーションと美貌を誇る美女が黄金の光を纏って立っている姿は、まるで女神が降臨したかのようだった。
 次の瞬間、水蓮の構えた手に光の弓が現れる。
 番えた矢を引き絞り、そして狙いを定めた。
 一瞬、時間が止まったような気がした。そして気合の声を放つと同時に、その矢を解き放つ。
 その光の矢は電光のように大気を切り裂いて標的に突き刺さった。
 普通に考えるなら、よくある弓道の稽古のように見えるだろう。
 違うのはその放たれた矢と放った弓が“能力タレント”によって生み出された純粋なエネルギーの武器であり、その貫いた標的は戦車の前面装甲に匹敵する厚さ15cmの強化鋼板だという事だった。
「すげえ・・・」
 武斗が呆れたような声を出す。
 500m以上も離れたこの距離から、あの鉄板をぶち抜くかい、と心の中で呟いた。
 ちょっとした狙撃兵並みの射程距離を、戦車の主砲並みの破壊力で攻撃できるなど、陸軍の兵士にしてみれば悪夢以外の何者でもない。
 だが、水蓮にしてみればあの炎の夜魔将に対して有効な打撃を与えられなかったという事実を覆すためには更に攻撃力を高める必要がある事を痛感していたのだ。
 自分の能力だった“光の剣”を応用して、それを飛び道具として変化させる工夫を重ねているのだ。
 武器の種類を変化させる自由度を高めれば、状況に応じた対応が可能になる。そして、それが飛び道具であれば更に攻撃力のバリエーションを増やせるだろう。
 そして・・・
「てやっ!」
 もう一度、光の弓を引き絞って矢を放った。
 先ほどと同じように電光のような一撃が走り抜けていく。次の瞬間、光の矢が弾けた。そのまま数十の光の破片となって放射状に広がっていく。
 そしてその小さな破片は標的として立てられていた十個の標的を全て蜂の巣にする。
「・・・成功ね」
 水蓮は満足げに呟いていた。
 あの炎の夜魔将と対決したときに痛感させられた数の攻撃の威力。
 それに対抗するために、水蓮は遠距離から複数の敵を薙ぎ払える能力を磨こうとしていた。光の矢を放ち、それを散弾銃の弾のように拡散させて攻撃する事で、面での破壊力を生み出すのだ。今までなら一撃で一体しか倒せなかった場合でも、複数の相手を一撃で倒せるようになる。
 もちろん、それはあのイギュイームの波状攻撃にも有効な対抗手段になるだろう。
 眞はあの十数体ものイギュイームを<烈衝撃波インパルス>の呪文であっさりと薙ぎ払ったのだ。そのため、あのおぞましい魔物に殺到される事無くアーマ・フレームを展開して、残った数十体ものイギュイームを殲滅していくことができた。
 一対複数の戦いは彼の修めている鞍馬真陰流の体系の中でも一番最初に叩き込まれる戦い方だ。
 当然の事ながら、その眞の生み出した魔法騎士戦術でも最初から一対複数、少数対多数の戦いは極当たり前の前提で構築されているのだ。
 今までの水蓮、いや、プロメテウスのメンバーに欠けていたのはこうした一対多数、少数対多数という数の差を乗り越えて覆す重層的な強さだった。
 それを思い知らされた彼らは今、それを補うための特訓を繰り返している。
 水蓮は呼吸を整えると、そのまま天に向かって矢を番えるような構えを取った。そして気合を込めて再び矢を放つ。
「どわぁっ!」「うげげっ!」「・・・す、ごい・・・水蓮さん」
 プロメテウスの面々はその凄まじい光景に言葉を失っていた。
 天に向かって放たれると思ったその光の矢は、まるで爆発するかのように無数の小さな鏃のような光弾を周囲全てに放っていたのだ。
 まるで光の嵐のような一撃にその訓練場は壁といわず天井といわず穴だらけの悲惨な状態になってしまう。
 眞の<烈衝撃波>の呪文に勝るとも劣らない、凄まじい破壊力の全方位攻撃だった。
「完璧ね・・・。これで取り囲まれたとしても問題は無いわ」
 満足げに呟く美女を前に、青い顔をしたプロメテウスの幹部と自衛隊の特殊部隊の隊員たちが立ちすくんでいた。
 戦車の砲身を蹴り折り、こんな戦略爆撃のような一撃を操れるような女を目の前にすると自分達の力が余りにも頼りなく見える。
「ね、眞さん。これで足手纏いじゃなくなるわ♪」
 無邪気に指輪に話しかけるその姿を見て、取り囲んでいる戦士達はまるで竜を見つめるような眼でその光景を眺めていた。
「・・・眞さんって、本当に勇者なんだな」
 誰からとも無く驚嘆の声が出されていた。
 その戦術ミサイルが爆発したかのような訓練場を変えて、プロメテウスの戦士達は訓練を続ける。
 
 晃一は自分の周囲に浮かぶ水の固まりに意識を向ける。
 そして目の前で構えを取った漆黒の影の動きに注意を払っていた。張り詰めた緊張感が漂っている。そんな重い空気を感じながら、目の前の相手が仕掛けてくる瞬間を待っていた。
 その対峙しあっているもう一人の相手、武斗も相手の気が揺れる瞬間を待ち構えている。
 二人の模擬戦は同じような攻撃を行うタイプ同士の戦いであるため非常に長引いていた。
 だがそんな対峙を繰り広げていても訓練にはならない。ひょい、と二人の間に何かが投げ込まれた。
 その瞬間、時が動く。
 武斗の足元から数本の影が伸び出し、そして小さな人型の姿をとった。晃一はそれが動き出す前に水を槍のように叩き込む。一体の影を貫いて打ち砕いたものの、残りの影は素早く動いて左右に展開していた。
 水の槍を再度繰り出すと同時に、晃一は同じように水の小人を作り出して影の小人に向かわせた。
 影と水、物理的属性は異なるものの流体を駆使して様々な現象を起こし、戦闘をおこなうという同じタイプの戦士に、二人は決定的な一撃を与えられずにいた。
 次々に影と水の兵士を生み出して、両者はお互いに優位性を確立しようとする。
 あえて直接攻撃の手段を使わずに数と数が激突する戦場で戦略的に勝利を得るために駆け引きを繰り広げているのだ。
 水の小人は氷結した霧の飛礫や水をレーザーのように鋭くした攻撃を繰り広げる。対して影の小人は影の刃を投げつけて応戦していた。
 その目まぐるしく展開する戦場に眞や弘樹も満足げに頷いていた。
 これだけの戦術展開を可能にする人材が二人いるのであれば、相手が相当な数の部隊を投入してきても数に負けることは無い。この技能を生かしきれれば、たとえ十倍の相手が攻めてきても跳ね返す事は十分に可能だった。
 
 フロリダが実質的に放棄されてから、アメリカは建設中の国際宇宙ステーションに手を差し伸べることが出来なくなってしまった。
 しかし現実問題として何人もの宇宙飛行士が取り残されているため、何とかして彼らを地上に連れ戻さなくてはならない。しかし、スペースシャトルの発進基地であるフロリダの宇宙センターは既に放棄され、今では巨大な爬虫類がのし歩く野生の王国と化しているのだ。
 そのため急遽、日本の種子島宇宙センターから救援のシャトルを打ち上げることとなった。尤も、プロメテウスはそれを放棄するつもりなど無い。ゲートを持ち込んで地上と行き来できる宇宙施設にするつもりだった。
 魔法技術と最新の科学技術を結集させたスペース・プレーンを建造して、それを用いた定期宇宙運行さえも計画しているのだ。彼らの計画の中には月や火星、金星などへの移住計画も未来のプランとして存在している。それの足がかりを得るためにも、この宇宙ステーションを放棄するわけにはいかなかった。
 そのような思惑を隠しながら、H2Aロケットにドッキング・カーゴと地球帰還のための再突入ユニットを搭載して打ち上げることとなったのである。
 地球の大気圏内には空中に浮かぶ風船状の生物が繁殖し始めていたのだが、これが航空運行や宇宙進出に大きな問題となっていた。この生物は『異変』が起こったときに生まれた新しい生物で、まったく新しい存在だった。
 風船状の体の中に大量のヘリウムガスを溜め込んで空中に浮かんでいるのだ。バルーン・ファントムと名付けられたこの生物は水母くらげのような生物で、空中をふわふわと浮かんで生活している。1メートルほどの大きさの固体はふわふわと空中を漂いながら体内に共生している藍藻による光合成による栄養の補給で生きているのだ。
 当然、攻撃的な生物ではないのだが、空中に漂いながら生活しているため、飛行機のエア・インテークに吸い込んでしまった場合、大惨事になってしまう。しかも、かなりの高度まで生息圏があることと、非常にレーダーに映りにくいことから航空輸送にとって大きな問題となっていた。
 そのため、次元の門を用いた移送システムを国際宇宙ステーションに持ち込んでおくことは宇宙圏に進出するために欠かせないことだった。
 宇宙での滞在に関して、一番の問題になるのが無重力の影響と宇宙線の問題である。
 その為、国際宇宙ステーションなどの宇宙ステーションでは非常に厳重な宇宙線対策が施されていて、それでも太陽のフレア爆発が起こったときなどの避難用に鉛で覆われた緊急避難室が用意されているほどだった。
 この宇宙線の障害に対してプロメテウスの技術を元に開発されたシールド技術である“エクリプス・ベイル”を展開することで、恒常的にステーション全体を覆う防御フィールドを発生させて宇宙線に対応することが予定されていた。
 また古代語魔法によって創造された魔法装置の中に重力を制御することが可能なものがあり、それを使うことで地上と同様の重力を限定された空間内に発生させて乗組員の健全な滞在を維持することを考えていたのである。
 そうした機材を積み込んだステーションは“次元の門”で地上と結ばれて、自由に地上の連絡センターと行き来が出来るようになるのだ。こうすることで宇宙ステーションは文字通り地上と宇宙をつなぐゲートになることを期待されていた。
 訓練を受けた乗組員達は既に準備を整えて種子島の宇宙センターから発射されるH2Aロケットに搭乗して打ち上げの時間が到着するのを待ち構えている。
 こうした非常事態でなければ有人の宇宙飛行など慎重に慎重を重ねる日本の官僚は考えもしなかっただろう。だが、今は滞在している日本人を含む宇宙飛行士たちの生命の安全を考え、急遽、H2Aによる有人宇宙飛行を行うことが決定されたのである。
 ゲートが上手く動作すれば地上に帰還するのは何ら問題は無い。しかし、万が一失敗したことを考慮して大気圏再突入カプセルをロケット内に搭載しているのは、ある意味で当然の事といえるだろう。
 
 地上から遠く離れた衛星軌道上を小さな物体がゆっくりと漂っていた。
 ゆっくり、というのは語弊があるかもしれない。一見、ゆっくりと漂っているように見えるそれは、実際には秒速で数千メートルという凄まじい速度で地球衛星軌道上を回っているのだ。
 その宇宙ステーションは、人類が成層圏の外で建造した最大の建築物である。
 長期間の宇宙滞在を目的にアメリカ合衆国を中心とした多国間の共同プロジェクトとして進められていたこのステーション開発は、人類史上で初めて宇宙に長期間滞在を行うことと、それによって科学的な研究が進められることを目的とした野心的なプロジェクトであった。
 しかし、その宇宙滞在計画はいま、危機に瀕していた。
 地上との接点であるフロリダのケネディ宇宙センターを始めとしてテキサスのヒューストン、その他の宇宙ステーションの殆どが危険な怪物によって存在を脅かされ、都市を放棄せざるを得ない状況に追い込まれていたのだ。
 結果として彼らは宇宙に取り残されることとなり、救助はほぼ絶望的かと思われていたのである。
 しかし、妖魔や怪物の脅威を押さえ込むことに成功した日本から種子島宇宙センターよりH2Aロケットを打ち上げ、乗員を地上に連れ戻す計画が発表され一縷の希望が見えてきたのだ。
 この異常な状況に陥りつつある世界で、日本がその国力を維持することに成功し、また危険な怪物たちを押さえ込むことに何とか成功したというのは希望が持てる事実だった。
 その日本が地上とステーションを結ぶテレポート装置の開発に成功し、それをステーションに持ち込むというのは科学の停滞を心配していた科学者達にとって嬉しい誤算だったのである。
「もう少しの辛抱だ。あと数時間で日本からテレポート装置を積んだロケットが上がってくる。そうすれば我々も地上に帰れるし、今まで以上に快適に地上と此処を行き来できるようになるだろう。そうなったならば少ない機会をやりくりして実験を行わなくても、もっとスケジューリングや作業が円滑に行えるようになるはずだ」
 今回の滞在で材料工学での大きな発見をした米国人科学者がほっとしたように喋りかけた。他の乗組員達もこの宇宙に取り残されずに済む、という安心感から久しぶりにリラックスした会話を楽しんでいた。
 つい昨日まではこのステーションに積み込まれている生命時装置と資材、食料が尽きたときが彼らの命が尽きるときだと重い絶望に包まれていたのが嘘のようだった。
 絶望に苦しむ彼らに、日本の種子島宇宙センターから連絡が入ったのがつい十四時間ほど前のことである。
『日本のJAXAが種子島宇宙センターからISS乗組員の救援と地上への帰還を実現するためにH2Aを発射する』
 その通信を聞いたときの気持ちを彼らは忘れられなかった。
 世界の他の国々と同様に、日本もまた独自に宇宙開発を進めていたのだ。そして彼らにとって幸運なことに、日本は米国とも並ぶ世界最高の科学力を持つ国であり、H2Aという独自の巨大なペイロードを誇るロケットを持ち、目立たないながらも人工知能を搭載した無人の探査機を地球から遥かに離れた小惑星に飛ばして着陸させ、そして地球への帰還を目指す計画を実行するほどの宇宙技術を持つ、という国だったことである。
 そして今の国際協力宇宙ステーションにも滞在しているように、日本人の中にも宇宙飛行の経験を持つ者が何人もいる。実際に日本は自力で有人宇宙飛行を行えるだけの技術的蓄積はあるのだ。
 だからこそ、この非常事態でも独自にISSへの救助活動を行えるのだ。

『こちら種子島。ISS応答せよ。ただ今から救助ロケットを発射する』
「こちらはISS。いつでも送られたし。貴国の救助活動に感謝する」
『了解。十分後にリフトアップ、予定では二時間十四分後にランデブーを行う。地上に帰ってすぐ家族と会えるように顔ぐらいは洗っておくように!』
「ハハ! 了解した。髭を剃って男前になっているよ!」
 軽口の聞いたやり取りに男達は胸のつかえが取れたような気分になるのを感じていた。
 ジョークの聞いた会話が出るということは、予想していた以上に準備が整っているようだ。それに、今の会話から推測するに日本側は乗組員達の家族も種子島に招いてくれているようだ。
 その配慮の深さに乗組員達は心から感謝を覚えていた。
「流石、ですね」
 若い英国の研究者が年長のリーダーに話しかける。
 彼は日本に滞在したこともあり、また日本人の科学者とも交流があるため、その文化や国民性を良く知っている一人だった。
 英国王室の歴史を超える唯一の歴史を誇る皇室を掲げる日本人は、その侍の文化を生み出した国民性を未だに失っていない、と彼は嬉しく思っていたのである。その日本が未だに力を失わずに、この異常になりつつある世界に立ち向かっているという事実が、人が希望を失っていない象徴のようにすら思えていたほどだった。
 待ちきれないほど長く感じられた数時間が経過し、H2Aから切り離された日本の接舷モジュールが相対速度を慎重に合わせていく。
 映画などと違い、特別に問題が起こる事も無く無事に接舷モジュールが国際宇宙ステーションにドッキングし、取り付け作業が進められていった。
 既に何度も作業を繰り返しているだけあって、モジュールの結合作業も無事に進んでいく。気密性を確認して、遂に通路が開かれていった。
 モジュールの先端に取り付けられている平たい円錐形の形をした大気圏再突入カプセルの存在が、この作業が安全性の確保を最優先された計画であることを物語っていた。
 三人の日本人宇宙飛行士が宇宙服に身を包んで結合作業を進めていくのを宇宙ステーションに閉じ込められていた宇宙飛行士たちは頼もしげに見つめていた。その中の一人はこの滞在のリーダーと一緒に宇宙飛行をしたこともあり、このISSに滞在さえしているのだ。
 そうした安心感から乗組員達は不安などなく、ようやく家に帰れる喜びで胸を躍らせていた。
 やがて作業を完了した日本の宇宙飛行士たちはモジュールの出入り口からステーションに乗り込んでいった。
 ハッチが開かれたとき、疲れきった様子ながらも瞳を輝かせた国際宇宙ステーションの乗組員達が出迎えていた。
「Welcome to the International Space Station!」
「Ya, I'm back, now!」
 明るい挨拶の声が飛び交い、そして地球から持ち込まれた食料のレーションが配られていった。
 もう食料もぎりぎりまで切り詰めていたため、乗組員達は飢え死にしない限界まで食事を制限していたのだ。それもあと数日分しか残っておらず、水も底を突きかけていたのである。
 制限を気にせずに食べられる事がこれほどまでに人を幸せにするのだ、と彼らはしみじみと感じ入っていた。
 ささやかな、しかし幸せに満ちた食事が終わり、いよいよ地上に帰還するための通路を結ぶ『ゲート』を開くための作業が開始されていた。
 その見たことも無い装置を興味津々の表情で覗き込む科学者達は、まるで新しい玩具を見つけた子供と同じ目の輝きを見せている。
「この“ゲート・システム”はこの環状の内側に特殊なフィールドを発生させ、もう一つの装置と結ぶことで瞬間的な移動を可能にしているんだ。詳しい理論は後にすることにして、実際に発動させるとこのリングの中にそれぞれ入り口と出口のフィールドが発生し、こちら側からゲートを潜ったものは向こう側のゲートから現れ、そして向こう側のゲートを潜ったものはこちら側から出てくる」
 その話にぽかん、と口を開けてしまったのは、科学者なら誰でも当たり前だろう。
 量子力学において、量子テレポーテーションと呼ばれる現象が起こることは証明されている。量子は一対のペアになっている量子が左右いずれかの方向にスピンしているとされ、そのペアは必ず、同じ方向に向けてスピンをしているのだ。これは距離に関係なく全く同じ方向であり、片方のスピン方向が定まれば片割れのスピン方向も自動的に決まる。例え何万光年離れた距離だったとしても、片方のスピンの方向が定まればもう片方のスピンの方向も同時に定まるという不可解な現象である。アルバート・アインシュタインはこの不思議な振る舞いに対して真っ向から反論をしたのだが、結果的に量子力学の正しさを証明することとなった。
 この量子スピンの振る舞いを利用して瞬時に情報を伝達し、物質を再構成することでテレポーテーションを実現しようというのが量子テレポーテーションである。
 だが、まだ理論上正しい、とされている段階であり現実に量子テレポーテーションを行ったという発表はなされていない。それを考えたとしても、現実に人間や物質を移動させられるような巨大なテレポーテーション装置を完成させている、というのは信じがたいものだった。
 だが、現に目の前で地球から送られてくる物資がぽんぽんとゲートから飛び出してそれを配置していく日本人の技術者達の姿を見ればそれが夢でも幻でもないことを実感させられるのだ。
 この技術を応用すればどれほどの科学の進歩に役立つだろう。
 地上では滅びの間際にまで追い詰められている母国を想いながらも、彼らはこの新しい技術が切り開く未来を考えて喜びと興奮に打ち震えていた。

 華々しく報じられる宇宙飛行士たちの帰還は閉塞して怪物の危険に怯える世界にとって久々の明るいニュースだった。
 この経済的に豊かな隣国の事を胸を掻き毟らんばかりの想いで見詰めていた人物がいる。
 統一朝鮮の大統領となった盧武鉉大統領である。
 だが、実際には国境を接する中国は既にその政治的基盤が崩壊して幾つかの地方勢力に分裂しており、ロシアもまた国土内を荒らす怪物のために朝鮮半島には無関心を貫いていた。
 また米国は韓国の一方的な対日宣戦布告を問題視し、逆に日米安保条約を盾にして朝鮮半島から撤退を開始しているのだ。
 全てが狙いと逆方向に動いている。
 彼の予想では第二次世界大戦の悪の帝国であった日本が再び軍国主義を復活させようとしている事に対して、中国やロシア、そして同盟国である米国が味方になって統一朝鮮を中心とした征伐軍の力で悪の帝国日本を懲罰し、世界に平和を取り戻して偉大なる朝鮮民族に栄光と地位を齎すはずだったのだ。
 しかし中国は崩壊し、ロシアは身動きが取れずにいる間に、日本に篭絡された米国は韓米同盟を破棄して日本の側についてしまった。
 ありえない事だった。
 肝心の朝鮮軍も中核部品である精密機械や半導体製品を加工するための半導体加工装置を日本から輸入する事を禁じられ、整備すら満足にできない状況に追い込まれていた。そして国民は日増しに厳しくなっていく生活に激しい反政府デモを繰り広げて思うように執政もできないのだ。
 日本政府は厳しい経済封鎖を行っており、そして日本にすむ僑胞を敵対性外国人として国外追放にしている。戦前の悪行をそ知らぬ顔で無視して、苦難に喘ぐ在日朝鮮人を国外追放にするなど、人道に反する行いだった。しかし、世界はその人倫を無視する悪行に対して何も言わずに、こそこそと日本帝国主義の顔色を窺っているのだ。
 腹立たしい事この上ない。
 だが、この戦争に勝つことは不可能ではない、との報告が軍部から挙げられてきている。
 確かに装備や戦力は日本が上回る。備蓄されている弾薬も、投入可能な戦略物資も桁違いだろう。しかし、日本の自衛隊には揚陸能力が無く、そして陸上戦力である陸上自衛隊も制圧能力という意味では米軍のそれに遠く及ばない。
 海上戦闘で破れても、陸上で徹底抗戦をすれば日本の軍は疲弊して夥しい損害を出すだろうと予想されていた。ならば、日本の世論は反戦の動きに傾いて有利な状況で講和を結ぶ事ができるだろう。
 事実上の勝利を掴む事も不可能ではない。
 それが証拠にベトナム戦争で、あの貧しく装備の貧弱だったベトナム軍はゲリラ戦を徹底的に実行した結果、アメリカ軍を撤退させているのだ。
 そうした行動計画があげられていたため、盧武鉉統一朝鮮大統領は怒りを覚える事はあっても不安に押し潰される事は無かったのである。現実には日本は朝鮮半島に足を踏み入れる必要も無く、また、海上を封鎖し続けるだけで統一朝鮮を疲弊させて内部から自滅させられるという事を知ったのは、日韓の艦隊が直接戦火を交えた後の事だった。
 
 
 

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