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 秋もずいぶんと深まり、日本はいつもの年なら行楽日和で各地は観光客で賑わっていただろう。
 だが、世界中で様々な怪物が現れるなどの大混乱が起きている最中では、流石に観光地とは言えども景気のいい話は聞こえてこなかった。そして何よりも世界的な貿易体制が綻び始めてグローバル・エコノミーの基盤であった商品の流通網が大きな打撃を蒙っていたのである。
 その結果、世界の経済は大きくその成長速度を鈍化させ、一部ではマイナス成長さえも引き起こしていた。
 流石に日本もその影響を免れる事は出来ずに、経済的に非常に大きな打撃を受けていたのだ。
 特に一次資源に乏しい日本は海外からの資源の輸入が停滞したため、緊急にそれらに対しての対応を余儀なくされていたのである。石油に関してはプロメテウスの創造した油田があるために何とかなったものの、そのほかの資源に関しては、日本は採掘は可能であったとしても総量として乏しく、またコストが高い、という弱みがあったのだ。
 その為、プロメテウスは沖ノ鳥島を隆起させて通常の島にしてしまうという作業のドサクサにまぎれて、九州と同じほどの大きさの海底を隆起させて島にしてしまったのだ。
 この島はその地下に巨大なマグマの固まりを誘導し、その膨大な質量を利用して隆起させたものであり、海底だったときにあった豊富なマンガン団塊などの鉱物資源や地表に噴出して冷えた溶岩などが潤沢な鉱物資源を含んでいたため、島全体が巨大な鉱山としての性質を持っているのだ。
 他にも日本の国内にある大量の廃棄された電化製品などには膨大な量のレアメタルなどが含有されている。実際にインジウムや金、銀、鉛の蓄積量は、最大の天然資源埋蔵国より多いのだ。そして複雑に入り混じった状態から特定の元素だけを取り出すのは物質を操ることを得意とする古代語魔法にとっては簡単すぎるほどの技術だ。
 そうした事から、日本は辛うじて資源不足で危機に陥ることを回避することに成功していたのである。もちろん、世界各国はその余りのタイミングや位置的な都合の良さに疑惑の声を上げていたものの、実際にはまともな国力を維持することに成功した国は殆どなく、逆に日本を刺激してしまうことを怖れたのか、問題もなく事態は収束していった。
 もっとも、そんなことは日常生活には直接影響はしてこないため、人々は特に取り立てて何が起こっているのかを余り気にしては居なかった。だが、その事こそが逆に世界では特別なことなどとは、日常生活に追われながらもさして変化の無い生活を送る人々に感じろというほうが無理なことである。
 理恵はクラスメート達とピクニックの計画を立てるために喫茶店でガイドマップを広げていた。
 妖魔や危険な動物が出没するようになったためそれほど遠くにいける訳ではないのだが、それでも東京郊外に行けばそれなりに楽しめる場所もある。
 皆にはまだ内緒にしているのが、理恵自身も初歩的とはいえ古代語魔法を唱えることが出来るし、幾つかの魔法のアイテムも持っている。ひょっとすると武斗や涼子も来てくれるかも知れない、と期待してしまった。
 確かにプロメテウスのメンバーは恐ろしく多忙ではあるのだが弘樹や水蓮は武斗や涼子達若年のメンバーには可能な限り休日などを取らせるように配慮してくれている。
 プロメテウスのメンバーの持つ能力は軍事的にも政治的にも、そしてもちろん経済的にも途轍もない価値があるのだ。そんな能力を無駄に遊ばせていく余裕など今の日本には何処にも無い。その為に日本の中枢を担う官僚や政治家達、そして研究者達はまだ若い彼らに負担をかけている事に胸を痛めながらも全力で己の為すべき役割を果たしていたのだ。
 あの過酷な夢魔との戦いが終わった後、疲労と全身に負ったダメージのためプロメテウスの部隊と陸上自衛隊特殊部隊の隊員たちは病院に緊急搬送されていた。特に水蓮と武斗、そして晃一は最大の攻撃力を持っていたことから全員を護り、突破口を開くべく獅子奮迅の戦いを繰り広げていたため、酷く傷ついて三日以上も眠ったままでいたほどだった。
 それでも、目を覚ますなりベッドから起き出して本部に這うようにして現れたときには流石の榊原も思わず叱り付けてしまったのである。
 自分の恩師である緒方麟太郎の忘れ形見の眞に、その命どころか魂さえも危険に晒させるようなことを許してしまった老人にとって、その眞が命を掛けて救った彼等自身をすり減らすような頑固な行動を戒めたかったのだ。
 もっとも、自分が包帯だらけの絆創膏をあちこちに貼り付けた姿で畏まっている若者たちを叱りながらも、自分が同じ立場だったら彼らと同じようにおちおち寝てなどいられなかっただろう、と心の中で苦笑していた。
 そしてそんな彼らを目の当たりにしながら自分の非力さをまざまざと思い知らされていたのだ。
 如何に永田町の中で大老の一人として隠然たる影響力を震える政治家であったとしても、あの恐るべき魔物に襲われたら為す術も無い。
 親友が傷ついて帰ってきたこと、そして痣だらけの満身創痍で担架に載って病院に運び込まれたことで水蓮の友人である銀寿も真っ青になって怒っていた。
 もっとも彼女が恐れていた水蓮の怪我も涼子の力と眞の調合した魔法の薬のおかげで跡形も残さずに完治させて消すことが出来たことでようやく胸を撫で下ろしていたのだ。
 幾ら愛する人の為とはいえ、うら若い乙女が全身に傷をこしらえていい訳は無い。
 そういう意味でも最強の守護者である眞がこの世界に、分身とはいえ帰還を果たしたことは銀寿にとっても嬉しいことだった。眞を出し抜いて彼らに手を出せるような真似は、大悪魔サタンだろろうと不可能だと彼女は信じていたから。

 まるでダンプカーに跳ね飛ばされたような凄まじい衝撃を感じながら武斗は自分の身体が真後ろに向かって飛んでいるのを他人事のように見ていた。数メートル先には左の嘗底を突き出した眞の姿が見える。
 スローモーションのように見えるのは死の危険の中で物事を遅く感じるという現象に違いないな、と間抜けなことを考えてしまった。
 武斗に寸打を放った一瞬の隙を突くように、晃一と弘樹が閃光のように飛び込んで水の槍と電撃の呪文を放つ。だが、普通ならば反応さえ出来ないであろうタイミングで放たれたその攻撃を易々と回避して、眞は右手に構えた刀を一閃して鋭く呪文を唱えた。
「<烈衝撃波インパルス>!」
 空気が歪んで見えるほどの衝撃波が剣の軌跡に沿って広がり、晃一が自分と同じように吹っ飛ばされていくのが武斗の視界の端に映る。
 そして眞は一瞬、消えたかと思うほどの凄まじい瞬発力で呪文を唱えたばかりの弘樹の間合いに飛び込み、そして一撃で弘樹を地に叩き伏せた。
 だが、更に僅かにタイミングをずらせて水蓮が武斗の目に見えないほどの速さで神速の回し蹴りを放つ。流石にこれは眞を捕らえただろう、と思った瞬間、水蓮も武斗も、いや、その場にいる全員が自分の目を疑っていた。
 水蓮の大気さえ切り裂いたかに見えるほどの蹴りは、一瞬、眞の頭を擦り抜けたかのようにかわされてしまっていたのだ。
(・・・嘘だろ。あのニケアの蹴りを、あの体勢で見切るかっつーの!)
 弘樹を叩き伏せ完全に崩れた体勢だと見えた眞に絶対的に有利ななずの位置、しかも完全な体勢で放った水蓮の蹴りを、なんと、眞は数ミリの間合いで見切ってかわしていたのだ。
 水蓮の目には眞が低く崩した体勢のままでひょい、と左足を引いたようにしか見えなかった。しかし、その僅か半歩の動きで眞は完全に重心を取り戻し、そして十分に安定した姿勢に戻したまま鞭のようにしなやかにしなる水蓮の蹴り脚を完全に見切っていたのである。
 そして蹴り脚が完全に抜け切って鋭く脚を引き戻し、眞の方を向いた水蓮はその場にいたはずの眞の姿を見失って驚愕した。
(駄目!)
 最強の相手の姿を見失ったことに全身の血が凍りつく。ぞっとするような気配を一瞬感じ、水蓮は反射的に胸の前で両手を交差させた瞬間、ロケット砲でも食らったかのような凄まじい衝撃を感じて空中に自分の身体が飛び上がったことに気が付いた。
 数十秒にも感じられた滞空時間も、実際にはほんの数秒だったのだろう。
 流石に受身を取って背中からまともに落ちるような無様な倒れ方をしなかった水蓮は、起き上がったところでプロメテウス全員が見事に地面にひっくり返り、そして道場の真ん中で汗一つかかないで涼やかな笑みを浮かべている眞の姿を目の当たりにして、驚きを通り越してあきれ返っていた。
 強さに違いがありすぎる。
「皆、腕を上げたね。ずいぶんと強くなったよ」
 そういわれても此処まで一方的に叩きのめされては慰めにもならない。
 自分達は7人がかりで飛び掛って、しかも眞は装備と呪文の使用に制限を設けて、それでも勝負にさえならなかった。
 あの日、炎の夜魔将との戦いで余裕さえ見せているはずだ。
 不意に水蓮は始めて眞と出会った瞬間のことを思い出していた。
 あの時と夜魔将との戦いとでは状況も相手も異なる。
 しかし、数十人もの特殊工作員がいるビルに仲間を助けるために殴り込みを掛けてきて、十万の特殊部隊を相手にする気か、と脅された眞は平然と「その十万が死体になる前にさっさと仲間を返せ」と言い放ったのである。
 その言葉と続けて眞の口から語られた極秘であるはずの彼らの家族の情報にその特殊工作員たちは激しく動揺し、そしてあっけなく降伏していたのだ。
 水蓮が後で眞に、本当にあの時彼等が降伏しなかったらどうしたのか、と聞いたのだが、眞はにやっと笑って応えた。「知らないほうが良いよ」
 その後、水蓮が“プロメテウス”に参加した後で判ったのだが、実際に彼らはそれをやってのけるだけの力を持っている、という事実だった。
 いや、その時点で眞やプロメテウスは日本の政界や財界のみならず、中国共産党や韓国政府、北朝鮮の労働党や軍部の中枢人物達の多くさえその魔力で支配下に置いていたのである。それどころか、アメリカ合衆国政府の代議士や官僚、CIAやNSAさえも精神支配の魔力やルーク・ワームなどで支配下において、日本に対して干渉させないようにしていたのだ。
 日本を戦後レジームから解放するためには、今の日本の中枢を侵食している勢力を徹底的に封じる必要がある。それを日本の国内で排除するために労力を費やしていては文字通りきりが無いだろう。そのため、プロメテウスは逆に、そうした日本の中枢を侵食している大元のコントロールを奪うことで、相手の身動きを取れないようにしてしまったのである。
 特に眞の政治的な右手として動いている荒木誠は、榊原の秘書としての地位を与えられて、日本の政治家達どころか霞ヶ関の官僚、そして中国や韓国、北朝鮮、アメリカ合衆国、そしてロシアの政治家や官僚、情報機関をもその恐るべき魔力の支配下に置いていた。
 そのため、日本政府がスパイ防止法案を制定したときにも中国政府や北朝鮮からも文句を言わさず、そして在日朝鮮人や在日韓国人に対する特別永住許可の廃止と彼らの国外退去処分を決定した際も、韓国政府には強い反発をさせなかったのだ。逆に、何も反応がないと怪しまれるために、わざとコントロールした状態で通り一遍の非難声明や懸念を表明させたほどである。
 水蓮は眞と彼の生み出した組織の持つその政治的な手腕にも驚きを隠せなかった。
 最初は流石に日本人や日本政府が右傾化するのでは、という不安を何度か口にしていたものの、逆に眞やプロメテウスのメンバーから韓国や北朝鮮との戦後60年に渡る政治的なやり取りや歴史などを聞かされ、そしてそれを証明する公文書やそのコピーを見せられて、水蓮は自分の受けてきた教育が如何に韓国の立場だけを一方的に、そして都合よく教え込んできただけの洗脳教育だったのかを思い知らされていた。
 自分でもよく頭がおかしくならなかったものだと思う。
 欧米に留学し韓国の、今となっては当時の、というべきだろうが、国力の真実や世界の歴史の認識、そして、特に日本との圧倒的な国力や経済力の差、そして世界的な立場の違いを認識されられた韓国人の中にはその現実を受け入れられずに精神的な障害をも引き起こしてしまうほどの衝撃を受けるのだという。
 真実を思い知らされたことで、逆に激しい怒りと憎悪を自分の祖国に感じてしまった水蓮に、眞は優しく語り掛けていた。
「違うよ、水蓮。自分の生まれ育った祖国を憎んでいては、何時までも同じ歴史を繰り返すことになる。苦しいかもしれない。恥ずかしい思いをしているかもしれない。でも、歴史は自分達の手で築き上げていく以外に生み出す方法が無いんだ。だから、今から胸を張って生きていけるような歴史を生み出していけばいい・・・」
 それは水蓮の立場からすれば、既に誇るべき歴史と伝統、文化を持つ大国の国民だから言える言葉だとも言えるだろう。
 しかし、日本も最初からそのような国だったのではない。
 気が遠くなるような時間を経て、今、そうだったのである。
「でも、私達は隣に日本があるから常に比較されるし、日本を見て劣等感を刺激されてしまうわ・・・」
 その水蓮の言葉は眞にも理解できるものだった。
 日本という国は、朝鮮半島の国と比べると、余りにも違いすぎる。
 小さな島国、と思われがちではあるが、実際には日本はその海洋基本法が前提とする水域面積である領海、排他的経済水域(EEZ)を併せた面積は約447万平方kmで世界第六位の面積があり、領土と領海、EEZを合わせた面積でも約485万平方kmと世界第九位の大きさがある。その海洋領域での資源も決して少ないものではなく、特にメタンハイドレートの埋蔵量は日本近海だけで世界最大とも言われている。メタンハイドレートは海洋中のメタンが水の分子に取り囲まれてシャーベット状に固まったもので将来的には石油に代わる有望なエネルギー資源となると考えられているのだ。
 他にも、いわゆる都市鉱山と言われている産業廃棄物の中に含まれる貴金属やレアメタルなども、その調査結果によって世界最大の鉱脈に匹敵する量が存在することが明らかになっている。
 また、GDPでも世界に占める割合が十数%を超える第二位という経済規模を持ち、世界でも独占的な規模を持つ産業も少なくは無い。
 産業や経済以外にも、日本の皇室は現在確認される限り優に千五百年以上、神武天皇の代から数えるのであれば二千七百年を超える、という圧倒的な歴史がある。
 ヨーロッパで一番歴史が古い王朝は英国(イギリス)だが、初代国王のウィリアム一世が英国を征服したのが西暦1066年のため、英国王室の歴史は九百数十年である。また、日本の皇室以上の歴史があった皇家はエチオピア皇室と言われている。紀元前1000年頃にシバの女王とイスラエルのソロモン王との間に生まれたメネリク1世が、民族の祖であるとされ、以来エチオピア皇室の歴史は、1974年まで3000年近くに渡って続いたのだが、1974年に革命により王制が廃止されてその歴史に幕を下ろすこととなった。
 つまり、日本の皇室は世界に現存する最古の皇室であると同時に、今では唯一の“皇帝位”を持つ王室なのである。
 世界史を見ても、非白人国家として白人国家であるロシアを打ち破った初めての国であると同時に現在でもG8のメンバーとして唯一の非白人国家でもある。また第一次世界大戦の戦勝国でもあり、国際連盟の常任理事国としての地位もあった、歴史的に見ても堂々たる大国なのだ。
「そんな国が隣にあるし、中国も歴史と国力のある大国。それにロシアも強大な大国で、アメリカは言うまでも無い超大国だわ・・・」
 それは常に周辺の大国のパワーバランスに翻弄されてきた半島国家の宿命なのだろう。
 元々、半島という地理的な条件は国家として非常に危うい地理的な要因を孕んでいる。
 大陸と比べて、限定された土地では国力の発展は望むべくも無い。かといって、中途半端に地続きであるために完全に大陸に存在している大国と切り離されるわけでもない為、常に不利な状況に追いやられてしまうのだ。
 また、欧州にあるイタリアとも異なり、朝鮮半島は北と西を中国に、東と南を日本に封じられ、そして北東からは常にロシアからの南下圧力を受け続けていたのだ。
 実際、先ほどの日韓戦争の直前には軽率にも日本に対して挑発的な「外交戦争」などという言葉を使ってしまったがために、海上封鎖を受けてシーレーンを完全に封鎖されてしまったのだ。その結果、完全に貿易が停止してしまい、資源の流入や日本からの精密機械や電子部品など中核部品の輸入が止まったことで製造業は完全に機能停止状態となり、そして輸出できなくなった製品が港に野積みになって放置されてしまう状況になったのだ。
 食糧の輸入どころか、大部分のガソリンさえも日本からの輸入に頼っていた韓国は当然のことながらその生命線を押さえられて負けるべくして負けたといっていい。
 そして日本に住んでいた在日朝鮮人や在日韓国人もその特別永住許可が廃止された結果、日本に住む法的根拠を失った挙句に強制送還される羽目になったのだ。帰化してその居住国に馴染んで生活するわけでもなく、在日特権のようなものをヤクザまがいの方法でごり押ししてきた結果の自業自得である。
 必死になって抵抗しようとした者達も、魔法で命令を与えられて半島に去ることとなったのだ。
 日本に居住することが許されたのは、水蓮や銀寿、彼女達の家族のように日本に対して反抗的な姿勢をとらずに、きちんと法的にも問題なく、また犯罪を犯さないなどの真面目に生活するとされたもの達だけだった。
「少なくとも、今からは自分達だけで運命を切り開いていかなくてはならない。その試練を乗り越えなくては真に独立した国家、民族にはなりえないよ・・・」
 眞の言葉は、ある意味では日本から朝鮮半島への決別の言葉だったのかもしれない。
 その後、極東アジア地域は完全に分断され、独自の歴史を歩み事となったのだ。

 冷たい風が吹き荒れる海の上を、小さな船が一隻、静かに進んでいた。
 ライトも点けていなければ、その所在を明らかにするものなどは一切表示されていなかった。明らかに国際法に違反している怪しい船である。
 それもその筈で、この日本海では北朝鮮による麻薬や偽造煙草など違法物品の取引が活発に行われている。そして日本側の取引相手は北朝鮮系の在日帰化人のヤクザや違法業者達である。
 そうした闇取引で北朝鮮から流れ込んでくる覚醒剤の総量は日本国内で流通している麻薬の中でも大きな割合を占める上に、その代金が北朝鮮の政権の延命に使われていることは明白であった。
 しかし、そうした取引を力で押さえ込むのは非常に困難である。
 実際、一時は国家公安委員長を勤めていた野中広務などの、いわゆるハト派代議士は北朝鮮利権によって骨抜きにされており、警察の捜査にさえ圧力を加える場合さえあったといわれている。
 そのため、北朝鮮の工作船やこうした違法取引の受け渡し船などが半ば公然と活動していることを海上保安庁などの現場組織は苦々しい思いで見ていたのである。
 その小さな船に乗る男達は、日本側から同じようにやってくるであろう受け取り業者の船をじっと待っていた。
 余り長居はしていられない。
 幾ら日本の政治家が海上保安庁に圧力を加えているとはいえ、余りにも不審な動きを続けていれば拿捕される危険性が無いわけではない。
 予定よりも若干遅れ気味のランデブーに苛立ちながら、小さな不審船は闇の中でじっと相手が来るのを待ち構えていた。
 その小さな船を見張るようにして同じようにじっと待機している影の存在を、海の上の男達はまるで気付かずにいた。
 とはいえ、無理も無いだろう。
 その数体の影は冷たい日本海の潮の中、ゆっくりと円を描くように小さな船の下からじっとその様子を伺っていたのだ。
 もし、その姿を見たものがいたならば、あるいは恐怖の余りに恐慌をきたしていたかもしれない。
 海中から侵入者を見張るその姿は、人間のようなプロポーションをしたイグアナのような姿だったのである。その額には真紅に輝く水晶がはめ込まれており、時折不思議な輝きを放っていた。背中から尾にかけて、大きな鰭が広がり、その逞しい両手両脚にも水掻きがあるのが見える。
 もし、生物学者がこの怪物を観察していたならば、明らかに爬虫類の類の姿をしていながら、こんな冷たい水の中で平然と活動しているのは余りにも不可解なものを感じていただろう。しかも、この怪物は一度たりとも呼吸を行っていないのだ。
 それもそのはずである。
 この怪物はプロメテウスの創造した一種のフレッシュ・ゴーレムの類であり、水中戦闘用に開発されたシー・ガーディアンなのだ。
 生物でないが故にほぼ無制限の海中索敵活動を継続することが出来、暗闇や天候の悪化にも十分に対応可能な性能を秘めているのだ。
 その武装も強力であり、この額の水晶からは魔力による高エネルギー線を放つことも出来る。そして同じように水中戦闘に長けた下位魔神であるメルビズ同様に口からは強力な酸を吐く能力があるのだ。これに加えて、背中にある左右それぞれ六本ある棘をミサイルのように飛ばすことも出来る。この棘には強力な爆薬が仕込まれていて、<火球の術ファイアボール}>をも凌駕するほどの強力な爆発力を秘めているのだ。この棘は水中でも、水中から空中への射撃でも用いることが出来るため、非常に有効な武器となるのだ。
 この棘は一度発射しても六時間後には再度生えてくるため、非常に有用な武器なのである。

「なあ、何時になったら奴らはブツを運んでくるんだ!?」
 冷たい風に苛立ちを隠せない様子で男が言葉を吐き棄てる。
 最近はいわゆる親韓派代議士や親朝派代議士などの政治力が急速に衰えているために、こうした取引に対しても海上保安庁は今までとは比較にならないほどの厳しい取締りを行い始めている。
 あの金正日国家主席による日本人拉致の謝罪によって、在日朝鮮人や朝鮮総連を始めとする朝鮮関連組織への風当たりは強まる一方であり、親朝派の代議士たちはその面目を丸潰れにされた上に立場をも危うくしてしまっているのだ。
 在日朝鮮人の主な資金源であるサラ金業もいわゆるグレー金利の廃止と固定金利上限の制約を厳格化した最高裁判決により法的にも制限されることとなったため、大打撃を受けたといっても良い。
 そしてパチスロも射巧性を抑えた業種への移行を余儀なくされ、大儲けが出来なくなったパチスロファンはパチスロで遊ぶことを止めてしまった事からパチスロ関連のビジネスも収益が半減してしまっている。忌々しいことにインターネット上でこうした業界のオーナーが在日朝鮮人であることが堂々と公言されて、昨今の日本人拉致に絡めて「北朝鮮のミサイル開発資金に流用されているパチンコを止めろ」という甚だ過激な意見が飛び交っているのだ。
 日本人が極端な右傾化を始めたのではないか、と在日朝鮮人たちの間では不安が強まっているのだが、インターネットという匿名性の高い個人の情報のネットワークという情報伝達媒体では圧力を掛けて止めさせることも出来ず、有効な手を打てずに居たのだ。
 そうした中で、北朝鮮からの覚醒剤の流入が激減していたのは日本政府が実施している北朝鮮への制裁が大きな理由だった。人的、物的な取引や交流を一切遮断するこの制裁によって、北朝鮮からの船舶は日本へ入港することが出来なくなり、また、直接人が出入りすることも出来なくなったため、北朝鮮から麻薬や偽造タバコなどの闇物資が直接流入できなくなったのである。
 その為、資金が枯渇し始めた暴力団はこうした危険な方法で覚醒剤を入手しなくてはならなくなり、また、北朝鮮側も資金の流れがいきなり堰き止められてしまったため経済的な危機状態に陥りつつあったのだ。
 その為に無理を承知で偽装した漁船を日本海に駆りだして覚醒剤の受け取りと代金の支払いを行わなくてはならなくなっていたのである。
 北朝鮮からの船も漁船に偽装した船であり、万が一拿捕されても言い逃れが出来るようになっている。そんな労力をしてでも北朝鮮側には現金を入手する必要があり、また、暴力団側でも資金源となる覚醒剤を確保する必要があった。
「お、奴らだ。ほら、さっさと信号を送れ!」
 闇の中、小さな漁船が近づいてくるのが辛うじて見えた。
 彼らにしかわからない合図を送って、この闇の取引のパートナーであることを示している。
 後はさっさとブツを受け取って現金を渡し、急いでこの海域を離脱するだけだ。
「お待たせしました。ちょっと波が高くて速度を出し切れなかったので・・・」
 北朝鮮側の売人が言い訳がましく挨拶した。
 怒鳴りつけてやろうかと思ったが、それよりも早く覚醒剤を積み込むのが先決だった。何しろ、彼らの顧客にはかなりの規模で北朝鮮製の高純度覚醒剤を売りさばいている売人が何人もいる上に、彼らからも幾度と無く仕入れの期日を尋ねられているのだ。
 末端の客の中には宗教団体も少なくない数でいるらしい。彼らはこの覚醒剤を信者に吸わせることで幻覚体験をさせて、それを悟りを開いたとして益々強いマインド・コントロールの影響下に置く為の手段としているらしい。
 とはいえ、そんなことには彼らは興味が無かった。
 関心があるのはその禁断の白い粉がどれだけの金を彼らに齎すか、という事のみだった。

 漆黒の冷たい闇の中から、じっと見つめる視線は二つの漁船が殆ど接舷状態にまで近づいて並んでいることを捉えていた。
 明らかに漁ではない不自然な動きだった。
 流れるような動きでシー・ガーディアンは二つの漁船の近くに近寄り、乗員達の話す言葉を受信し始めていた。
『はやくそのブツを渡してくれ。金はこっちのケースにある』
『判った。このロープを投げるから、そっちもロープを投げてくれ』
『落っことすなよ!』
『せやっ!』
 明らかに漁ではない会話が飛び交っている。その声は同時にプロメテウスの部門である特殊警備部に送信され、最終的な判断が下されることになるのだ。シー・ガーディアンには暗視能力だけでなく、古代語魔法の<透視シースルー>の魔力と同様にある程度の範囲内であれば遮蔽物を透視して必要なものを見る能力も与えられている。
 この映像も同様に送信され、もし、それが法を犯すものであったり、国境を侵犯する相手であれば攻撃命令が下されることになるのだ。
 そしてこの違法な取引も攻撃の対象となっていた。
 法をすり抜け、そして不当な圧力で捜査から逃れようとする悪を討つことに、プロメテウスは躊躇することなど無かった。その為に、彼らは力を手に入れたのだ。
 奇麗事では闇を撃つ事は出来ない。
 それはプロメテウスのメンバー達が自分の人生の中で耐えがたい苦痛や失ってはならないものを失った代償として得た事実であった。彼らは法を犯してもなお、裁きを逃れようとするある宗教団体の指導者を断罪するために、その検察に圧力を加えて不起訴に持ち込んだ教祖をシャドウ・ストーカーに暗殺させ、それを非難する人権派弁護士も抹殺していたのだ。
 非常に多くの人権派弁護士や市民団体は実のところ、中核派や革マル派などの共産主義過激派に汚染されている。いや、実のところそうした危険思想を持った団体が一般人に近づいて彼らを引き込むための偽装として市民団体や弁護士、作家などの隠れ蓑をまとっている場合があるのだ。
 そうした存在に対して、スパイ活動防止法などを活用しても裁判に費やす時間が余りにも長く、またそうした勢力は特に法曹界に根深く巣食っている。その為、プロメテウスは逆に法で裁けない方法を取って彼らを抹殺し始めていたのである。
 所詮は戦争である。
 そうした作戦の結果、市民団体を隠れ蓑にした極左団体や中国、韓国や北朝鮮の情報工作機関は混乱の局地に追い込まれていたのだ。しかし、表立って非難できるわけでもなく、そうした組織は日本国内に築いた工作網や情報網をずたずたに破壊されていたのだった。
 そして今、北朝鮮からの覚醒剤の密輸ルートを破壊するための作戦が開始されようとしていた。
『よし、Nのポン引きだと確認した。攻撃せよ』
 "N"とは北朝鮮、ポン引きとは覚醒剤=ヒロポン・・を取引するもの、という意味の符丁である。それに対してはシー・ガーディアンは何も考えることは無かった。しかし、ターゲットに対しての攻撃指令が出たことだけは理解していた。
 そして攻撃態勢を取る。
 一体のシー・ガーディアンが狙いを定めて肩に生えた棘を二艘の船に向けた。そしてそれぞれ一本ずつ、長さ30cmほどの象牙のような棘が凄まじい勢いで発射される。
 後部から猛烈な勢いでジェットを噴出しながら、恐るべき速度で真下から麻薬取引をしている船に向かっていき、吸い込まれるように船底の中央に直撃した。
 その瞬間、真紅の炎が3メートルほどに膨れ上がり轟音と共に爆発する。
 古代語魔法の<火球ファイアボール>の呪文と同等の破壊力を誇るシー・ガーディアンの棘は漁船に偽装した船の底に巨大な穴を穿つのに十分すぎる威力を持っていた。

「うわっ!、な、何だ!?」
 不意に凄まじい衝撃が船体を揺さぶり、下から突き上げられるような動きで船が揺れた。男達は慌てて身近なものにしがみついて振り落とされないように必死でバランスを取る。
「しまった!」
 男の一人が手摺につかまった際に、覚醒剤の入ったケースに結わえ付けられていたロープが滑り落ちて海に落ちてしまったのだ。
「馬鹿野郎! こいつは二億のブツなんだぞ! はやく引き揚げろ!」
 北朝鮮側の船でも現金の入ったケースに結ばれていたロープを海に取り落として一騒動を起こしていた。

 しかし、一体何故、こんなに揺れたのだ・・・

 不思議に思った男に、船を操船していた男が悲鳴のような声で話してきた。
「あ、兄貴! 船の底に穴が開いて潮が吹き込んできやす!」
 その言葉をすぐには理解できず、呆然としたリーダー格の男は、その内容を理解すると同時に全身から血の気が引いていくのを実感していた。
 波の荒い日本海のど真ん中で船の底に穴が開く、というのは即ち死を意味する。
 一体、何が起こっているのだ!
 信じがたい気持ちで北朝鮮側の船を見ると、同じように船底に穴が開いたのか大騒ぎをしていた。
 大急ぎで救命胴衣を身に付け、携帯電話で港にいる仲間に電話をしようとする。だが、何度呼び出し音が鳴っても誰一人として応答するものはいなかった。
 電話での連絡を諦め、覚悟を決めて海に飛び込む。
 もし今日の夜中までに彼らが戻らなければ、彼らが所属している組の人間がやってくるだろう。それまで海の上に浮かんでいれば助かるはずだ。
 最悪でも海上保安庁の巡視船に拾われるかもしれない。後が面倒なことになるかもしれないが、覚醒剤のケースが流れてしまった以上、何とかごまかすことも出来るだろう。
 北朝鮮の男達も救命胴衣を着込んで海に次々に飛び込んでくる。
 何か訳の判らないことを喚いているが、今はもう救助の手が伸ばされることを願うばかりだった。
 そんな男達の真下に、不気味な影が近づいていたことを誰も気が付いていなかった。
「おい、どれくらいで船が来そうなんだ?」
 リーダーの問いかけに答えようとした船を操船していた男が口を開いた瞬間、何かに引きずり込まれるように男の頭が海中に潜り込んでいった。
「何だぁ!? てめえ、ふざけてるのか!?」
 呆れたような怒ったような声で男が怒鳴りつける。しかし、次の瞬間、浮かび上がってきた男の姿に全員が息を呑んだ。
 異様な角度で捻じ曲がった首。もう息をすることも無くなったその身体は力なく波に揺さぶられるだけだった。
「ひ、ひいいいぃぃぃっ!」
 だらしなく悲鳴を上げる男達が次々に海の中に引きずり込まれていく。
 そして最後に残ったリーダーが不意に海中を覗き込んだ瞬間、赤い光が足元に揺らめいている事に気が付いた。
(な、何なんだ・・・)
 その瞬間、月が顔を見せて朧げな光が周囲を照らし出す。
 そして彼は見てしまった。仲間を海に引きずり込んで殺害したものを。そして今まさに彼の命を奪おうとしているものを。
 人間ではなかった。
 しいて言うならばイグアナのような姿をしている。だが、大きさは人間よりも一回りほども大きかった。
 我に返って悲鳴を上げようとした瞬間、凄まじい力で脚を掴まれ、そして男はあっという間に海の中に引きずり込まれていた。
 柔らげな月光にぼんやりと照らされた海の中には、十体近くの怪物が悠然と泳いでいる。
 それが男が見た最後の光景だった。
 
 
 

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