~ 1 ~

 あの炎の夜魔将の襲撃以降も、その頻度は減ったものの依然、夜魔は出現して人々の生活を脅かしていた。
 とはいえ、その大半はブレスレットによる防御システムで十分防げる程度のものであり、人々はやがてその存在を当たり前の出来事だと感じる様にまでになっていた。
 とはいえ、警察や日本国防衛軍も手をこまねいてみていた訳でもなく、夜魔が出現するたびに緊急出動を行って撃退し続けていたのである。
 だが、それでも全ての夜魔の出現に対応しきれた訳でもなく、またその頻度もパターンがあった訳でもないため、十分な資金力を持つ裕福層や政府要人たちは夜魔に対して十分な対応能力を持つフリーランスの者たちを雇って、自衛処置を取り始めていた。
 いわゆる、冒険者と呼ばれる者達を雇い入れたのである。
 その冒険者達は、八王子郊外に突如出現した謎の迷宮などで腕を磨いた熟練の戦闘技術者であり、また様々な危険に対応できる能力を持った特殊技能者たちであった。
 そう、あの異変の後、日本どころか世界各地で謎の迷宮や遺跡が出現していたのだ。
 それはおそらく、フォーセリアにあったカストゥール王国の貴族達が作り出した迷宮が、次元障壁の破損と世界同士の接触という異常事態でこの世界に現れてしまったのだろうと考えられていた。
 実際に八王子郊外に出現した巨大な地下迷宮は上位古代語による文章が記され、カストゥール建築様式で建造されていることが判明しているのだ。

 不意にぽっかりと口を開けたその巨大な穴は、驚いたことに石造りの建築物への入り口だった。
 激しい地震により八王子の更に郊外に開いた巨大な地割れの奥に発見された奇妙な穴は、数メートルほどの奥行きがあり、そしてその突き当りは壊れて崩れた何かの建築物の壁があったのだ。
 その石壁は厚さが1メートル以上もある強靭なもので、その広さは確認されているだけで東京ドームほどの広さがある広大な迷宮状の複雑に入り組んだ構造をしていた。通路は高さが高さと幅がそれぞれ5メートルほどあり、かなり巨大な建築物であることが窺い知れる。
 その複雑に入り組んだ通路の奥に、更に地下に伸びる階段があったのだが、その両端は分厚い金属製の扉で厳重に閉ざされていた。その構造を詳細に調べた結果、その扉は片側ずつしか開かず、奥に入るには一度入り口側から扉を開けて会談に入り、そして入り口側の扉を閉じてから出口側の扉を開かなければならなかった。
 このことから、何かを封じた迷宮なのでは、と想像されたのだが、そうした建造物の発見の前例が無いことから調査団の誰も判断をすることが出来なかったのである。
 ただ唯一、その扉に刻まれているのは上位古代語であり、『沈黙の迷宮』と記されていた。
 日本政府は当初、この迷宮を封印して陸上自衛隊主導で調査を行わせようとしてたのだが、この迷宮が予想以上に広大で、かつ複雑な構造をしていたためにその案を諦めたのである。
 だが、その初期の調査の結果、第一層の中にも子鬼などが棲み付いていることが判明し、さらに奥にある扉の向こう側にあった階段から降りていく地下第二層には驚いたことに魔法で創造された護衛や罠などが仕掛けられていた。確かに危険も大きいと思われるのだが、同時に魔法の武器や防具、その他の魔法の宝物などを装備している怪物や魔法の護衛を倒すことでそうした財宝を持ち帰った場合、その金銭的な価値は計り知れないものがある。
 特にこの混沌とした情勢の中、各地で怪物などが現れ始めている中ではこうした武器や防具の価値はだたの美術品以上のものがあるだろう。
 そう考えた腕に覚えのある者たちがこの迷宮の周辺に集まり始め、そしてより深く、価値ある宝物を目指して挑み始めたのだ。
 いつしか彼らは冒険者と呼ばれるようになっていた。
 そんな冒険者の中の一人に祐二の姿があった。
 彼は自分が身に付けた具現魔術の力を更に磨くために迷宮へと挑む冒険者となっていたのである。当然のことながら美由紀は激怒し泣きながら何度も何度も考え直してほしい、と訴えていたのだったが、祐二の決意は変わらなかった。
 美由紀を護る力がほしい。
 彼の願いはそれだけだった。
 様々な怪物や妖魔が現れ、人類にとっての大きな脅威となりつつあるこの世界では、最後の最後でものを言うのは自分自身の力と強さであることを人々は理解し始めていた。
 もはや他人になんとなく護られて安穏と日々を過ごすような時代はとっくの昔に過ぎ去っていたのだ。
 日本も他の国々に比べて人的な被害や国力へのダメージは少なかったのだが、それでも総人口の二割近くがこの数年で失われている。魔法兵器で武装し、そして十分とは言えないまでもプロメテウスによる情報提供を受けて訓練を積み重ねてきた自衛隊の力を以ってしてもそれほどの被害を出してしまったのだ。
 国家そのものが崩壊して、たとえ自らが汚染し続けてきた代償とはいえ、魔物や怪物に襲われて人が住めない地域と化した中国や巨大爬虫類が徘徊する世界と化した北米大陸の現実を見た場合、まだ被害は遥かに少ないほうであった。
 それ以外にも現実的な理由がある。
 迷宮の中から持ち帰ることの出来る魔法の宝物は現代の技術では作り出すことが出来ないほど強力なものも少なくは無い。そうした魔法の宝物は魔法学院が途轍もない値段をつけて買い取ってくれるし、自分の身を護る強力な道具にもなりえるのだ。
 そうした宝物を持ち帰ってくると十分な収入にもなる。
 世界の経済自体が半ば崩壊している、そして人外の脅威が間近なものになっている現在ではそのような商売が成り立ってしまうのだ。
「よし祐二、準備が整い次第、俺達も迷宮にアタックするぞ。今日は少し足を伸ばしてみよう」
 パーティのリーダーである堺健吾が仲間達に声をかけた。
 彼は優秀な戦士であり、優れた戦略目の持ち主だ。魔法の能力こそ持たないものの、彼は剣を扱わせたらこの東京界隈の冒険者の中でも屈指の実力を持っている。重厚な鎧を身に纏う姿は、もう今の日本では珍しい存在ではなかった。
 そもそも迷宮の中では流石のブレスレット・システムも動作しないのである。この迷宮自身の建築材が魔法による探知や侵入を阻害する魔法を付与されているらしく、この迷宮の中に入り込んだ者が身に付けているブレスレットには魔力の供給が途絶えてしまう。そのため、緊急警備システムにシグナルが失われたとして連絡が入ってしまう上に、その機能の大部分が停止してしまうのだ。ブレスレット同士の通話機能さえも使えなくなるため、事実上、この迷宮の中ではブレスレットによる保護システムは無効化されてしまう。
 そのため、この迷宮に挑むものは昔ながらの鎧に身を包み、手に持てる武器を装備して戦わなくてはならないのだ。また、スライム状の魔法生物や再生能力を持つ魔物を相手にするには銃はあまり役に立たない。小さな点でしか打撃を与えられない武器で大量の弾丸を打ち込んでいる間に間合いを詰められて殺されるのは目に見えている。そのため、剣や斧などの面で破壊できる武器のほうが有効に戦える場合が多いのだ。
 他にも銃を用いた場合、跳弾が恐ろしい。
 この迷宮の壁に当たった弾丸が自分達に向かって跳ね返ってきたら目も当てられない惨事になる。特に、壁などに当たって変形した弾丸に肉体を抉られたらどんなダメージを受けるか想像さえもしたくない。
 そうした理由から迷宮に挑む冒険者達の武装は剣や斧の手持ち武器を操る戦士と、それを補佐する魔法使い、というパーティ編成に落ち着いていた。
 この迷宮は、おそらくフォーセリア世界からこの世界に飛ばされてきたものだろうと推測されている。というのも、この迷宮の入り口やそこかしこに刻まれている文章は下位古代語、というフォーセリアの言語、しかもすでに滅んでしまった魔法王国で日常的に用いられていた言語なのだ。
 しかし、その深さは尋常ではない。
 現在確認されているだけでも軽く地下六階まであり、しかもまだ下に続いていく階段が発見されているのだ。その地下六階までさえも、未だに全貌は知られていない。その迷宮の地図も作られてはいるのだが、その先が未だに四方とも未記入の部分だらけである。
 ただ、おおよその構造は解明されつつあった。
 最上層階にはゴブリンやインプなどの力の弱い魔物が住み着いている。この階には謎らしいものは殆ど無く、得られるものもたいしたものは無い。どちらかといえば単なる練習場のような場所かもしれない。それでも駆け出しの冒険者達にとってはこの一階で実戦経験を積んで、生き残ることが最初の課題だ。そして決して少なくない数の新米冒険者達が命を落としていたのである。
 そして二階目からこの迷宮は本格的なその姿を顕にし始める。
 幾つかのトラップや仕掛けを潜り抜けないと開かないドアがあったり、魔法の効果で常に通路の変わる迷路があったりもするのだ。
 この迷宮は深く進めば進むほど強力な魔物が棲みついているようだった。
 その理由は明らかにされていないが、この迷宮を調査した魔法使い達によれば地下に進めば進むほど強力な魔法の封印が力を増していくため、強力な魔物ほどその束縛から離れることが出来ずに深い場所に封じ込められているためらしい。
 そして、最大の謎は誰が、何のためにそのような強力な結界を張って迷宮の置くに何を封印したのか、という事実である。
 危険を考慮したとしても、それを解明しなければ不安は常に付きまとうことになるのだ。
 そうした感情からも迷宮の探索は続けられていた。
 祐二は美由紀の写真を入れたロケットのペンダントを大切に懐にしまい込み、鎧を着込み始めた。魔法での戦闘を中心にする祐二は健吾たちのような前衛で戦う戦士のように重厚な鎧を身に纏うことが出来ない。集中力と気力を極限まで要求されるため、具現魔術の使い手たちはたとえ鎧を身に付けても技能的には問題が無いとはいえ、一瞬の集中力の乱れが生死を分ける迷宮での戦闘や探索活動では可能な限りリスクを排除する必要がある。そのため、彼ら具現魔術の使い手たちは硬くなめした軽い革鎧程度の軽装の鎧を身に付けることを好んでいた。
 流石に迷宮の中では鎧を身に付けずにうろつき回るような命知らずのことは出来ない。ぎりぎりの選択肢として軽い革鎧が彼らの標準的な鎧となっていたのである。
 もっとも中には例外もいる。
 具現魔術の中には剣術や戦士の技にも長けた魔法戦士達もいない訳ではない。そうした魔法戦士は当然のことながら完全武装の戦士としての装備を持ちながら魔法を自由に使うこともできる化け物めいた強さを発揮する。
 その代表格がプロメテウスの戦士達であり、異世界フォーセリアで一国を率いて戦っている緒方眞であった。
 眞ほどの強さを持たなくても、人は十分に強くなれる。
 それは祐二が迷宮の中で己を磨きながら得た自分なりの答えだった。
 愛用の革鎧は、おそらくはフォーセリアの古代の魔法使いが魔力を付与した逸品なのだろう。しなやかでありながら硬くなめされた革は、驚くほど軽いと同時に素晴らしい防御力を兼ね揃えている。戦士である健吾からも護身用の剣術を学んでいる祐二は、相手がホブゴブリン程度であれば小剣だけで倒せる程度の実力も身に付けていた。
 もっとも、彼の最大の武器である『魔剣の術』を使ったときはホブゴブリンどころかオーガーを三体相手にして勝てるだけの力を発揮するし、具現化した魔法精霊の力は戦士のそれを凌駕する能力を持つ。
 それでも彼は迷宮の探索をやめようとは考えていなかった。
 何故か、このまま迷宮を去ることは出来ないような気がしたのだ。

 暗い闇に包まれた迷宮は、いつ来ても慣れることは無かった。
 ひんやりとした空気はここが地上とは違う異質な世界であることを明確に物語っている。
 祐二のすぐ隣で明るい光が点灯された。
 もう一人の魔法使いであるラルフが魔法の小瓶を首にぶら下げている。この魔法の小瓶は古代語魔法で作られた宝物で、<明かりライト>の魔力が付与されていた。
 祐二も<幻光>を発生させて、パーティの前へと誘導した。この魔法の光はラルフの小瓶ほど広範囲を照らすことは出来ないものの、祐二の意思に従ってかなり自由に移動させることが出来るのだ。
「よし、行くぞ!」
 健吾が号令を出して、パーティは迷宮の暗闇の中に踏み出していった。
 彼らは既に地下六階にまで足を踏み入れている。
 踏破こそしていないものの、かなりの部分を調べていた。しかし、それでもこの地下六階は今までのフロアとは段違いに広がっている様子だった。
 誰が、一体何のためにこの迷宮を作り出したのか全てが謎に包まれていた。

「しかし、こんな馬鹿でかい迷宮を一体誰が作ったんだろうな?」
 ラルフが呆れたような口調で呟いていた。
 彼は冒険者の中でも数少ない、正魔術師級の実力を持つ古代語魔法の使い手だ。
 元々はアメリカ合衆国からの留学生だったのだが、滞在している間に祖国が分裂し、帰れなくなってしまったため、日本に帰化した青年だった。
 そして特別の許可を得て古代語魔法を学び、そして今はクラスメートだった祐二と共に冒険者として迷宮に挑む生活を送っていた。
 既に家族とは連絡がつかなくなって久しい。
 不安と悲しみを紛らわせる意味で冒険者となって地下迷宮に挑んでいた彼も、今では遠く離れた家族のことに対して彼なりに心を落ち着けたのか、以前のような無気力な様子はもう見られない。
 彼は東京魔術学院の生徒として古代語魔法を正式に学んでいる魔術師である。
 日本全体でも、それは即ち全世界でもという意味だが、百名も居ない古代語魔法の使い手として、貴重な存在であるラルフはある意味では黒曜石の塔に厳重に保護されてしかるべき存在である。
 しかし、それよりも彼は自分の能力が何処まで危険な怪物相手に通用するかを極めてみたかったのだ。
 強力な攻撃魔法である<火球ファイアボール>の術なら何とか使える程度には古代語魔法を取得している。だが、あの魔術学院の最高導師であり、世界最強の魔法剣士である少年の足元にも及ばないという事実は、彼をこの迷宮に駆り立たせるには十分すぎる理由だった。
 そしてもう一つの理由は、あの夜魔と呼ばれる存在と戦って勝てるような強さを身に付ける必要がある、という切実な理由だった。
 夜魔の恐ろしさは骨の隋まで思い知らされている。
 彼らのような冒険者に対して、身辺警護の依頼をしてくる政治家や財界の有力者などは幾らでもいる。しかし、あの夜魔の強さは異常だ。
 何度か戦ったことのある下位魔神にすら匹敵する強さや様々な特殊能力を持つ夜魔は、普通の人間では歯が立たないだろう。そうした相手に立ち向かえるのは、魔法を身につけたり人間の強さを極めた冒険者達だけだ。
 その夜魔を相手にする彼らにとって、豊富な実戦経験を得られるこの迷宮探索は非常に重要な意味があるのだ。
 その夜魔は何故かこの日本の、しかも東京を中心としたエリアに頻繁に出現している。もちろん、他の地域に現れないわけでもないのだが、その頻度と現れる夜魔の強さはこの東京近郊のエリアが文字通り群を抜いているのだ。
 プロメテウスの研究によれば、それはどうも眞たちがフォーセリアに飛ばされてしまったあの魔法事故による次元断裂の発生が原因で、その時空の亀裂を利用して出現しているためのようだった。
 日本政府にとってはあまりありがたい事ではないのだろうが、それでもあの恐るべき夜魔に対抗できるだけの能力と装備を持つ日本防衛軍やプロメテウス、そして冒険者達がいるこの日本に出現することになっているのは人類全体の防衛にとっては運が良かったとも言えるだろう。
 そしてこのような迷宮があの魔法事故でこの世界に現れたのも、結果として鍛えられた冒険者達を生み出すことに繋がっている。
「全ては運命だったのかもしれないな・・・」
 祐二の言葉はどこか重く響くように感じられた。
 世界中で起こっている様々な異変の原因を見極めて、その起こっている変化に対応するためには一つでも多くの手掛かりを得る必要がある。
 冒険者達はこの迷宮にその鍵の一つが隠されているような予感を感じていたのだ。
 この果てしなく広がる迷宮は、今の人類が直面している過酷な運命の現れであるかのように、男達の目の前に立ちはだかっている。
 だが、彼らはそれに臆することなく深い闇の底へと果敢に挑戦を繰り返していくのだ。
「・・・全く、このあたりの階にいる連中はうっとおしいんだが、気を抜くと痛い目を見るんだよな」
 ぴたぴた・・・、と微かに響く足音のような音を敏感に察知して、健吾は音も立てずに剣を抜く。
 古代王国の魔力を帯びた長剣は今鍛えたばかりのような一点の曇りも無い素晴らしい輝きを放っていた。
 もう一人の戦士である大原聡もすらりと日本刀を抜く。
 こちらも大金をはたいて手に入れた魔術学院で魔力を付与されているかなりの逸品であった。そして祐二も魔力の剣を具現化させる。
 密偵として訓練を受けている佐久間晋一は短剣を構えてラルフの護衛に立つ。
 このパーティの中で癒しの力を持つものは聡と祐二である。聡はチャネリングの技能を鍛えているため、『天使』と呼ばれる存在を召還して神聖魔法を唱えることが出来るのだ。彼のようなチャネリングの技能は神聖な霊的存在である天使との精神的な繋がりを持ち、その能力である神聖魔法の力を利用するという技術である。
 厳しい修行と純粋な信仰心によって古の神と魂の繋がりを持ち、その奇跡の力を使う神聖魔法と違い、術者自身には信仰心は必要としない。しかし、その天使と『契約』を結ぶ必要があり、また、その天使自身が結びついている“神”の意思や天使自身の意思と反する行為やそのような行いの代償に対して力を振るおうとした場合には、その天使によって拒否されることもある。
 それでも、厳しい修行の果てに神の言葉を聞くことが出来るようになる司祭プリーストは教団の宝でもあるため、危険に直面することの多い冒険者達はチャネリングによって神の奇跡を起こせる契約者チャネリストを仲間にすることが一般的だった。
 そして元々日本には八百万の神々があるとされ、そして神道と仏教が共存しているような、極端に一つの信仰にのめりこむことが無いような大らかな宗教観があったことから、こうしたチャネリングの技能で神聖魔法を行使してもそのありがたさに感謝してもそのこと自体を胡散臭く思うこと自体が少なかったのも事実だろう。
 それは冒険者にとっても同じことである。
 尤も、生と死の極限にいる冒険者達の中には、そうしたチャネリング技能者の持つ能力から感化を受けて強い信仰心を持って神聖魔法を使えるようになった本物の司祭もいる。
 その為、教団にとっては神の奇跡を余りにも世俗的に使うことに複雑な感情があるのは事実だったが、それでも教団の存在を世間にアピールし、そしてその利益を受けることで神への信仰に目覚める人が居ることを無視することも出来ないために、あえて黙認しているのが現実だった。
 とはいえ、今の祐二たちの実力にもなれば目の前に近寄ってくる程度の妖魔であれば大怪我を負う心配も無く対応できる。
 その相手が闇の中から彼らをじっと見つめているのが手に取るように感じられた。
 次の瞬間、痺れを切らしたように赤い肌の小さな人間のような形の生物が飛び出してきた。
 赤肌鬼ゴブリン、と呼ばれる下級の妖魔である。
 数は十体ほど、そして数匹の犬のような頭をした更に小さな妖魔も連れている。ラルフの知識はそれを犬頭鬼コボルドだと認識していた。
 いずれも彼らにとっては大した相手ではない。
 健吾と聡が鋭く踏み込んだ次の瞬間には、数対のゴブリンが糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。素晴らしい速さで振りぬかれた戦士の剣は、最弱の妖魔の目で見て避けられるような斬撃ではない。
 一瞬で仲間の命を奪われた妖魔たちは、自分達がとても敵わない相手に挑んでしまったことを悟ったのか、悲鳴のような声を上げて闇の中に駆け出していった。
「やれやれ、こうもウジャウジャと沸いて出てくるんじゃうっとおしくて仕方ないぜ・・・」
 健吾が苦笑いを堪えたような声で呟いた。
 いつものような探索になるかな、と考えていた彼らだったが、新しい通路を探索しているときに遠くから悲鳴が聞こえてくるのを聞きつけて一瞬にして緊張感に包まれていた。
 地下六階。
 此処は未だかつて誰も踏破したことが無く、そして潜んでいる敵は一階のゴブリンとは比較にならない程の強敵ぞろいなのだ。
 全員がお互いを見回して無言で頷く。そして一斉に声の方向に駆け出していった。
 暗い通路であったが、魔法の明かりに照らされた彼らは全力で長い通路を駆け抜ける。磨耗した石畳はつるつるとしていたが、彼らのブーツの底にはなめした革が貼り付けられているため足を滑らせるようなことは無い。
 だが、曲がり角を越えた時、彼らはその目の前の光景に思わず立ちすくんでいた。
 かなり大きく開けた広間だった。
 そこにはまるで地獄絵図のような光景が広がっていた。
 むっとするような熱気が空間に満ちている。そこかしこに蛇の舌のような動きをする炎がちらちらと揺らめいて、健吾たちを嘲笑うかのように踊っていた。
 その強烈な熱に晒されたためか、普通なら湿って苔生している筈の壁面がパリパリに乾いている。
 肉の焼けた不快な臭いが充満していた。
 それは先ほど聞こえた悲鳴を上げた冒険者達だろう。この階まで来ていると言うことは、少なくとも健吾たちと同等以上の経験と実力を持つ猛者だろう。少なくともこの迷宮に挑んでいる冒険者達の中でもトップクラスのパーティであるはずだった。
「まさか・・・、あれは堤さん!」
 祐二が倒れている男が誰かに気付いて声を上げた。
 その男は彼らのパーティと同じくこの第六階層に挑んでいるパーティの具現魔術士で、恐らくは東京エリアの冒険者の中でも最強の具現魔術の使い手だろうと言われている男だった。堤を凌駕する具現魔術士は、プロメテウスの緒方眞と来生弘樹、そして京都の陰陽師の長くらいだろう、とさえ噂されていたほどである。
 それほどの使い手がなす術も無く殺されているというのは信じられない事実だった。
 だが健吾だけはその理由をはっきりと理解していた。
 彼が曲がり角を走り抜けてこの光景を見た瞬間、この広い空間の向こう側にある回廊に向かって人影が歩み去っていったのだ。
 その人影は数体の影を引き連れて回廊の中に滑り込むように消えていった。だが、その全身から放たれていた妖気は今までに戦ったことのあるどんな妖魔や妖怪、魔物を遥かに凌駕していた。
 いや、その人影に付き従っていた数体の影も、この階までに遭遇したどんな相手をも上回る実力を持っているだろう。だがその中心にいた人影はその従者達さえも小物にしか思えないほどの圧倒的な力を感じさせていたのだ。
 祐二やラルフ達が駆けつけてきたときには既にその人影は微塵の気配さえも残さずに消え失せていた。
 それは僥倖だったと健吾は一人、冷たい汗に全身を濡らしていたのだ。
 
 
 

~ 2 ~

 
inserted by FC2 system