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 松原は抜けるような青空を切り裂くように駆け抜けていく自分の乗る機体のエンジンの振動を心地よく感じていた。
 素晴らしく晴れ渡った青空を背景に、一機の戦闘機が飛んでいく。
 尾翼には控えめに日の丸が描かれており、それが日本の航空自衛隊所属であることを明白に物語っていた。だが、機体に描かれた番号は本来存在している航空自衛隊機のいずれの番号にも合致せず、そして戦闘機自体も誰も見たことの無い形をしている。
 美しい流線型のスタイルは何処か、米軍で採用されている最新鋭の戦闘機であるF-22ラプターにも似ているが、それよりは涼や気な優美さをも醸し出しているようにも見てとれた。
 それは日本の自衛隊の、そして国防族と航空産業にとって悲願とも言える完全国産第五世代戦闘機の試作機だった。
 第五世代戦闘機とは、レーダーに映りにくいステルス性という対電波隠匿性を持ち、そして高出力のエンジンによって超音速で巡航可能な最新鋭の戦闘機のことである。
 現在、防衛庁技術本部によって進められている『心神』計画によって製作されているATD-X(先進技術検証機)で実施されている様々な技術の試験が行われている。この計画はプロメテウスの登場によって大きく加速されることとなった。技術的に様々な最新のテクノロジーが惜しみなく投入され、そして資金面でもスポンサーとなったプロメテウスによって膨大な資金が導入されている。
 特にエンジンは石川島播磨重工(IHI)によって試作され、技本に納入されたXF5-1というこれも完全に国産のジェットエンジンを用いて、エンジンも含めた戦後初の国産超音速機となっている。このXF5-1エンジンは小型ながらも重量比推力では世界最高、そしてこれも国産ジェットエンジンとしては初めてとなるアフターバーナーを装備し、二基のエンジンを用いればマッハ2.5という速度を叩きだす事が出来る優れたエンジンだった。
 プロメテウスや保守派政治家の後押しによって計画は大きく前倒しにされ、当初の予定だった2011年の初飛行、という予定は既に完了している。
 もともとの計画自体が急ピッチで前倒しにされたため、当初の2006年頃にプレスリリース、そして2008年以降に実機の製作、2011年以降に試験飛行開始、という予定は既に完全に新しい予定に置き換わっていた。
 というのも世界情勢の急激な変化に対応するために、様々な意味で動き始めた政治の動きがこの計画を後押ししていたといっても過言ではなかった。
 アメリカ合衆国を飲み込んでいる大混乱によって、今まである意味では日本が甘えてきた戦後の安全保障の枠組みが大きく揺るいでいるため、早急に日本は独自の戦力の整備に取り組まざるを得なくなっていたのである。
 そして巧みに日本の独自の軍備拡張に対して圧力を加えてきた米国議会やアメリカの軍産複合体もプロメテウスの魔術と保守派政治家たちの巧みな情報攻勢で圧力の方向を逸らしてかつてのFSX開発の悪夢を回避することに成功していたのだ。
 既にXF5-1をスケールアップし、実際の戦闘機に使用できるレベルのエンジンに拡張する計画が進められて、XF501-Aとして推力がほぼ二倍という高出力エンジンの試作機が技術試験を重ねている。
 この新エンジンは推力が10tを越える強力なエンジンであり、同時にF-15イーグルに採用されているF100系エンジンの約85%程度の大きさに抑えられているコンパクトな高出力エンジンであった。その為、自衛隊で開発中の新型戦闘機の機体設計にも相当な余裕が得られることになったのだ。
 その新型エンジンを用いて自衛隊初となる垂直離着陸型第五世代戦闘機の試験機が極秘裏に試験飛行を重ねていた。
 通称、ワイヴァーン・ゼロ、と名付けられたこの新型機は単発ながらも垂直離着陸能力を持ち、ヘリコプターを離発着させられる艦船なら問題なく運用できるため、空母を持たない自衛隊でも洋上航空戦力を得られるという非常に重要な意味を持った戦闘機だった。
 そして今、松原が乗っているこの機体はその開発中の次期主力戦闘機の中でも最高の性能を誇る機体であった。
 次第に老朽化が進む現在の航空自衛隊の主力機であるF-15Jイーグルの後継機として開発が精力的に進められている純国産第五世代主力戦闘機、“朱雀”である。
 その名には米国からの借り物ではない、完全国産で実現した最高の性能を誇る第五世代戦闘機である、という自負が込められていた。
 機体の外装には付与魔術によって開発された新型のステルス装甲が用いられ、戦車の前面装甲並みの防御力を誇ると同時にレーダー波を非常に効率よく吸収して、敵に察知されにくくするという機能がある。その上で、コンパクトなエンジンの採用による内部スペースの増大によってクリムゾン・ドライブが機体内に内蔵され、その大出力の電力供給を生かしてエンジンのターボファンをモーター稼働させることで亜音速に制限されるものの、燃料を消費する事無く継続飛行を可能としているのだ。この電気稼働モードでは機体が壊れない限りクリムゾン・ドライブの発電能力が維持できる限り飛行し続けることが可能という途轍もない巡航能力を持っている機体なのだ。
 また、プロメテウスに供与されたエクリプス・ベイルを全周に張り巡らせて普通の火器では破壊できないという凄まじい防御力をも持っている。
 このエクリプス・ベイルの実用化は文字通り、戦争の概念をも覆すものだった。
 何しろ、通常の武器どころか核の破壊力にさえ耐えるほどの防御力を誇るエネルギーの障壁は、敵対的な国家からの戦術核攻撃をも無効化し、軍事的なバランスをひっくり返してしまうだけの価値があるのだ。
 しかもこのエクリプス・ベイルは今のところ日本しかその技術と知識を持っていない古代語魔法という異世界の技術体系を必要とするため、圧倒的に優位な位置にたつことが出来るのだ。
 実際のところ、最初は胡散臭いと思っていた“魔術”なるものも、実際に技術本部の人間や自衛隊の技術士官達が本当に取得して使えるものだったとわかった瞬間、上層部はその途轍もない可能性と有効性に狂喜していたのである。
 結果、様々な応用技術が開発されて、自衛隊内部では多種多様な開発計画が立てられていた。
 その一つが今、松原が朱雀を飛ばして向かっている“天雄”であった。

 雲の合間にぽつり、と浮かんだ影がゆっくりと飛んでいく。
 それが松原が向かっている“目的地”だった。
 小さな点にしか見えないが、その距離を考えれば常識では考えられないほどの巨大な物体であることが推測できる。
 その巨大な物体は、日本の航空自衛隊が建造した空中空母“天雄”であった。
 外見は米軍の運用しているB-2ステルス爆撃機のような全翼機のような形状をしている。だが、その大きさは途轍もないスケールをしているのだ。
 全幅1600m、前後長600mという凄まじい大きさをした物体が平然と空中に浮かんでいるのを見て驚かない人間は居ないだろう。
 この巨大な航空母艦は海上の空母と同様に多数の戦闘機や航空機を離発着させることが出来、事実上、基地が丸ごと動いているような代物だった。
 この飛行テクノロジーは空中都市の浮遊技術を応用したものであり、古代語魔法によって慣性重量の制御と重力制御浮遊によって空を飛んでいるため、完全に空中に停止した状態で待機することも可能なのだ。
 数十基もの大型のクリムゾン・ドライブを搭載して、原子力発電所数機分もの電力を生み出すことの出来る天雄は、当然の事ながら凄まじい高出力のエクリプス・ベイルをその全周に常に張り巡らせており、まず物理的に落とすことは不可能な要塞であった。
 もっとも、今はまだ最低必要限の設備と艤装しか為されておらず、建造工事が昼夜を問わずに進められている。
 それでも運用が開始されたのは切実な防衛上の理由があった。
 世界中で発生している様々な異常現象は当然の事ながら北米大陸でも起こっており、結果としてアメリカ合衆国は大混乱の中に叩き込まれてしまっていたのだ。
 母国がこれほどまでの混乱に陥っている中、第七艦隊を始めとする海外の米軍が正常に機能するかどうかも危ぶまれていた。
 その為、日本としても米軍が機能しないという前提で自衛力を再編成する必要が出てきたのだ。
 プロメテウスの行った日本の体制変更によって反体制派や共産主義過激派などが悉く抹殺されて崩壊した結果、そうした自衛隊の拡張と発展にアレルギーが出なかったのも僥倖だった。
 特にテレビや新聞を始めとするマスメディアには安保闘争や学生運動上がりの反権力主義者が巣食っていた為、こうした国防政策や保守回帰の政策をしようとするととたんに猛反発してきたのだが、今ではそうした人間は悉く放逐されたり、場合によっては謎の死を迎えているものも少なくなかったのである。
 やがて松原の駆る朱雀が天雄へのアプローチ・コースに乗った。
『所属の確認をお願いします』
 通信回線が開いて、目鼻立ちの整った女性仕官が松原に問いかけてきた。
 この呼びかけは二重回線になっていて、自衛隊で使用されている魔法通信回線では映像つきの相互通信で、そうでない場合は通常の無線交信として行われる。
 そしてこの魔法回線に応答して交信可能になる場合は自衛隊以外にありえないため、日本語でのやり取りを行うことが一般的だった。
「こちらは百里基地所属、航空自衛隊特別技術開発隊の松原一尉であります。着艦許可を願います」
『確認しました。第三着陸路にて着艦願います。誘導ビーコンはチャンネルF-1297Dに設定してください』
「了解」
 気持ちの良いやり取りを終えて、松原は着艦コースに乗った。
 ある意味ではこの空飛ぶ要塞に着艦するのは海に浮かぶ空母よりも難しいものがある。何せ、これだけの上空だ。風の影響は洋上よりも複雑に影響してくる。
 天雄がエクリプス・ベイルを全周に張り巡らせているのも、この搭載機の離発着時に風による事故を防止するという意味もあった。
 だが、幅30m、高さ10m程しかない離発着路に進入して着艦するのは想像以上に神経を使うのだ。
 その為、誘導ビームやビーコンを用いて可能な限り機械的に制御を行うように工夫されていた。
 ゆっくりと天雄の姿が近づいてくる。右の翼の付け根の辺りに小さな長方形の穴がぽっかりと開いた。幻影魔術による誘導ラインが空中に伸びてきた。
 朱雀が近づくにつれ、その天雄を取り囲むエネルギーの障壁が薄い緑色の輝きを放っているのが見えた。
 如何にこの朱雀も同じエクリプス・ベイルに護られているとはいえ、その出力は比較にならない。
 ぶつかればこの小さな機体はひとたまりも無いだろう。
 エクリプス・ベイルに触れるか、と思われた瞬間、すっと、朱雀が進入しようとしていた一角のエクリプス・ベイルが溶けるように消えた。
 松原には見えなかったが、朱雀が通り過ぎた直後に再びエクリプス・ベイルが張り直されて、進入路が閉ざされていた。
 これは離発着時の無防備になる瞬間を可能な限り防衛するための処置だった。
 天雄は三重のエクリプス・ベイルを張り巡らせていて、搭載機の発進時や着陸時には進路上の障壁だけを部分的に、通過順に解除することで無防備になる瞬間を作らないようにしているのだ。万が一、敵機が解除された障壁を潜り抜けて侵入することに成功したとしても、その場合は自衛隊機はエクリプス・ベイルを張ったままで障壁の間で待機することになる。その間、敵機は天雄のエクリプス・ベイルの隙間を飛行し続けなければならず、それをし続けるのは至難の問題だった。
 その上で、天雄は自らのエクリプス・ベイルの間にも自由に障壁の断片を発生させられるため、侵入してきた招かれざる敵はいずれ、その障害かエクリプス・ベイルに激突してしまうことになる。
 松原はその脅威のメカニズムに感心しながら、誘導ビームに導かれるように天雄の巨体に機体を近づけていった。
 ぎりぎりまで速度を下げて、そして思い切って朱雀を離発着路に飛び込ませる。時速数百キロの速度で誘導路に飛び込んだ松原機は、そのままするすると伸びてきたホームベース型の着艦用ハーネスにランディング・フックを引っ掛ける。着艦用ハーネスによって急激にブレーキが掛けられて、やがて朱雀は完全に停止し、作業員達が着陸ギアを固定していく様子を安堵と共に見つめていた。
『天雄型航空母艦、“あさぎり”へようこそ。艦長より乗艦許可が下りましたので、艦内にお進みください』
 先ほどの女性仕官からの声に、松原はほっと心が和むのを感じていた。

 実際、この“天雄”型の航空母艦を就航させるのにも散々な政治的問題を乗り越える必要があった。
 日本の政治や社会に巣食っている反体制共産革命勢力は未だに根絶し切れていないため、新聞やテレビなどを使って様々なプロパガンダを流して必死でこの自衛隊の体制拡充を妨害しようとしていたのだ。
 その為、保守派勢力やプロメテウスたちは相当強硬な手段をとったと噂されていた。
 実際、この天雄型一番艦“あさぎり"の建造と就航が発表されたときに、毎朝新聞の記者が激しく息巻いて、「必ず潰してやる!」と口から泡を吐かんばかりに罵っていた。
 だが、他の報道各社はその夜のうちに震え上がることになったのである。
 旭新聞の坂上は政府の発表した戦略航空母艦部隊構想を聞いて、その余りにも強い軍事戦略要素に激しい反発を覚えていた。
 あのような巨大なオーバーテクノロジーの塊のような巡航型航空母艦を自衛隊に配備するなど、自衛の範囲を超えて周辺諸国に対して強烈な軍事的プレッシャーを与える行き過ぎた行為に他ならない。
 日本はあの悲惨な第二次世界大戦の反省に立って、戦争をしない国家に生まれ変わったはずなのに、今、再び戦前の亡霊が日本を軍事帝国として復活させるために危険な軍事力を着々と構築しようとしているのだ。
 許せない、と坂上は強烈な思いが胸にこみ上げてくるのを感じていた。
 アジア諸国との真の友好とあの戦争で与えた被害を償うためには、日本は二度と軍事的に大国になってはならないのだ。
 そのような想いと共に、日本政府を激しく非難する論調の記事を熱心に書いていた。
 恐らくは他の新聞社やテレビ局の報道番組も一斉に日本政府を非難し、これを撤回するように迫る論調で報道を始めるだろう。
 まあ、右翼がかった論調が売りの扶桑新聞は政府に媚びるような論調を書くかもしれないが、それはそれで丁度良い。日本に言論の自由があり、思想の自由があることを示す格好のアリバイになる。
 そう思いながら密かにほくそえんでいた坂上の下に、デスクが歩いてきた。
「坂上、ちょっといいか」
 そのデスクの青ざめた表情に怪訝な気持ちを抱きながら、坂上はデスクに連れられて喫煙室に歩いていく。
 小さな喫煙室には誰もおらず、デスクは一本のタバコを差し出して坂上に勧めてきた。
「どうだ、一本」
「ありがとうございます。それで、お話とは?」
 デスクは一瞬、視線を落として、そのまま窓の外を向く。
 そして一言だけ呟くように言葉を発した。
「あの自衛隊の件、手を引け」
「何故なんですか!?」
 慌てて坂上はデスクに詰め寄る。
 あんな巨大な軍事計画を叩かずにいて、何が自由民主主義の報道機関なのか。
 続けて口を開こうとした坂上をデスクは手を上げてやんわりと押しとどめる。
「良いから聞け・・・。さっきな、毎朝新聞の小宮山記者が自殺したそうだ」
「え・・・!?」
 毎朝の小宮山といえば、体制批判の急先鋒といえる中堅の記者であり、今回の政府による自衛隊への超大型航空母艦の整備計画に対して記者会見場で真っ向から噛み付いていた男である。
「毎朝の田中デスクから電話があってな、小宮山君が社内の資料室で首を吊っているのが発見されたそうだ。不審者の侵入した形跡も無い。完全な自殺だそうだ・・・」
 だが、坂上はその小宮山の自殺に不自然なものを感じていた。
 少なくともつい数時間前に記者会見場を後にした時には、彼の素振りには自殺しそうな様子など微塵も感じられなかったのだ。
 だが、不審者が侵入した形跡も無く、他殺を疑う遺留品なども全く発見されていなかったのである。
「しかし、それでもおかしいと思いませんか!?」
 坂上がデスクに問いかけたとき、その中年の男の目が昏く澱んでいるように見えた。
「ああ、おかしいと思う。だがな、これに関しては絶対に手を出すな・・・」
 漸く脂の乗ってきた中堅記者の目には、デスクの澱んだ目の中にある感情の色に気付いていた。
 それは恐怖だった。
 恐らく、デスクは何かを知っている。そしてその何かが、この件に関して騒がれることを嫌っているのだろう。
 その相手はあらゆる手段を使って糾弾する、と息巻いていた新聞記者を何の警告も無くこの世から消したほどの存在だ。
「坂上、お前だけの問題じゃないんだ・・・」
 そのデスクの言葉に坂上は血の気が引いていくのを実感していた。
 慎重に言葉を選んで答えた。
 しかし、その次に聴かされた言葉に、坂上は思わず飛び上がらんほどに驚いてしまった。
「殺された連中、あいつら裏で過激派と繋がってるんだよ」
“殺された!?”
 坂上はデスクが「殺された」と明言した事に驚愕していた。
「あの教師達、日教組の中でも相当深く北朝鮮に入れ込んでいるグループに属していてな。最近良く起こされている無防備都市条例とか何とかなんて運動を展開しているMDS(民主主義的社会主義運動、「民学同」や「日本共産党親ソ派・日本のこえ」の流れを汲むセクトの大衆組織。民学同は大学紛争当時に東大紛争にも参加した過激派で公安にマークされている)とも関わりを持っていた」
 そして、ニュースキャスターや作家、評論家もまた同様に革マル派や中核派、連合などに深くかかわっている、いや、ある意味でそうした組織が表で動かすための操り人形だった。
 だが、そのような人物が次々に謎の死を遂げていることで、彼らを裏で操っていたり所属していた組織は激しく動揺しているらしい。
「かなりの大物もあっさりと始末されたからな・・・」
 デスクは声に微かな疲労を感じさせながら呟く。
 今まで公安にマークされていると噂されていながら、決して尻尾をつかませなかった中核派のナンバー2も、自宅で死体となって発見されていたのだ。その名前を聞いて坂上は恐怖さえ覚えていた。
「ま・・・さか・・・」
 流石に坂上もその名前は知っていた。
 だが、その人物まであっさりと消されるとは・・・
「それだけじゃない。朝鮮総連の最高幹部や民潭の中核人材まで悉く潰されている・・・」
 デスクが声を潜めて呟く。
 そして新聞の記事を指差した。
 そこには・・・
「ナカハンのオーナーが・・・自宅で死亡・・・。これもですか?」
 坂上は目を剥くようにデスクを見つめ返す。
 パチンコの大型チェーンとして業界でも最大手の一つであるナカハンのオーナーが自宅で首を吊って自殺しているのが昨夜、発見されたというのだ。そのオーナーは帰化した元在日朝鮮人で、朝鮮総連とも未だに繋がりがあると噂されている人物だった。
 その資金力は驚くほどで、朝鮮総連の重要な資金源の一つとも言われていた。当然のことながら、その資金の一部は北朝鮮にも流れ、ミサイル開発や核開発にも流用されていると疑われている。
 ナカハンのオーナーの急死は朝鮮総連や北朝鮮にとっても大きなダメージになるのは容易に想像できた。
 それだけではない。全国各地でパチンコ店のオーナーや地下銀行の経営者などが次々に命を落としていたのだ。
 ここ最近でよく起こっている謎の失踪事件や原因不明の突然死のニュース。
 それらの犠牲者にはある共通点が存在していることに坂上も同僚達も気付いていた。
 ある者は日教組の中核の幹部、そして別のものは共産主義を志す労働団体の指導者、別の者は在日朝鮮人のパチンコ最大手のオーナー、など、“日本の体制派に逆らう者”が悉く抹殺されているのである。
 当然ながら彼らマスメディアの人間は一番の監視対象だろう。
 だからこそ、デスクは坂上を止めようとしているのだ。
 保身だと思われるだろう。
 しかし、自分達が死の危険を突きつけられて初めて、坂上は自分の保身の為に主義主張を捻じ曲げ、そして強いものの意志に従う今まで自分達が取材対象としてきた保身に走った者たちの気持ちを実感として思い知らされていたのだ。
 結果として彼らはこの巨大軍事計画を当たり障りの無いような簡単な事実だけを纏めて報道しただけで淡々と受け流すだけの報道にとどまることとなった。
 坂上たちにしてみれば苦渋の選択だったとはいえ、敗北感に打ちひしがれていたのである。

 巨大な空間では多数の技術仕官や作業者が目の回るような忙しさで建造工事を進めていた。
 この『あさぎり』はつい先日、第一次基本艤装が完了したばかりで、あとは任務につきながらの艤装工程を進める事になっている。もし、時間に余裕があるのならば完全に艤装を終えて、試験を重ねた上での引渡しとなるのだが今はそうも言っていられない時間との戦いがあったのだ。
 実際、『あさぎり』以外にも二隻の天雄型航空母艦が運用開始している。
 強行軍ともいえる建造工程を可能にしたのは、今でも黙々と建造工事を進めている作業用のゴーレムやワーカーフレームのおかげだろう。とはいえ極秘裏に始まった建造着手から僅か二年足らずでとりあえず実戦配備可能なレベルにまで持ってきたのは驚嘆すべき能力と言えた。
 これらの作業用ゴーレムやワーカーフレームは建造作業が完了し次第、メンテナンス用に最小必要限度だけを残した上で魔法による転送システムで日本本土に送り返し、次の“天雄”型の建造に用いられることになっている。
 松原はこの巨大な軍事計画がこれほどまでに順調に進んでいる事が信じられないと思っていた。
 実際問題として、軍事開発や新しい科学研究では問題なく事が進むほうが珍しい。どちらも極限の技術への挑戦、既存の技術の壁を越えるための努力を要求されるため、無数の失敗を繰り返して試行錯誤の上に完成品という形で成果を出す事ができるようなものだった。
 松原はそうした技術的なブレイクスルーを何度も目にしてきている。だが、今回のこの巨大な空中空母のような途方も無い技術的飛躍は聞いた事さえないようなものだった。実際、その古代語魔法という異世界の知識を身に付けて現実のものを作り出している技術者や研究者達にしてみれば、異星人から齎されるエイリアン・テクノロジーと大して変わりは無かっただろう。
 それを乗り越えて、日本という国が技術的に一線を画する存在として輝きを放とうとしていた。
 もっとも、それは単に技術的な飛躍だけではなく、政治的にも大きな変革を齎したことも大きく後押ししていた。
 また国際戦略に関して当然の事ながら、食料の自給率が問題になる。
 日本の農業は企業が耕作地を保有して経営することを制限しているのだが、この問題を解消するためにも大規模な農業システムの構築は不可避だった。石油や鉄製品を食べるわけにもいかない。こうした産業構造の強化こそが外圧に負けない国際的な発言力を裏付ける意味を持つのだ。
 しかし、現実問題として日本の場合は国土の狭さが問題になる。アメリカの場合、農家一戸当たりの200ヘクタールに比べ、日本の平均農家規模は1.2ヘクタールに過ぎない。加えて、改革に消極的な農業協同組合(JA)の存在がある。JAは、戦時中に全農家を加入させ、資材購入から農産物販売、信用(金融)事業など農業・農村の諸事業を総合的に行っていた統制団体をそのまま引き継いだ総合農協である。そして、そのJAが日本の農業を大規模化、効率化することを徹底的に阻害してきたのだ。
 その農業の中でも企業的な経営を行い、販売額一億円以上の農家は約2000戸もあるなど、日本の農業のもつ存在能力は低くない。しかし、その農家を束ねる団体であるJAが、その政治的影響力を保持せんが為に行ってきた小規模零細農業者の数の維持、という方策が日本の農業を大きく衰退させる原因になっていた。
 そのため、プロメテウスは有力な農家や企業などに独自に耕作してもらう環境を構築し、それを元に前近代的な農政を改革するための方法を画策していた。もともとプロメテウス自体、日本の戦後体制を改変するための組織として眞と彼を盟主と仰ぐ有力者たちが集まって出来た組織だ。その行動力と政治力は圧倒的なものがある。
 そしてプロメテウスが考案した近代的な農業システムが前代未聞の空中農場システム、というとんでもない代物だったのだ。先日、世界に発表して世界中を震撼させた反重力空中浮遊システムを大規模に運用した、直径が5kmもある巨大な岩石の円盤を10メートルほどの隙間を空けてサンドイッチ状に数十枚重ね合わせ、その空間に農作地を広げる、という途方も無いシステムだった。
 こうすることでプレート一枚あたり1800ヘクタール(1ヘクタール=10000㎡)、システム一基あたりで25枚のプレートを配置できるため、実に45000ヘクタール、という驚くべき耕作地を展開できる。日本の国土自体に存在する耕地面積は474万ヘクタール、実際にはその内の90万ヘクタールは休耕田であるため、実際に農業が行われている耕作地面積は384万ヘクタールとなっている。このシステムを徹底的に活用すれば、驚くほどの生産性を発揮できるため、日本の農業に国際的な競争力さえ与えることが出来るのだ。また、こうした準閉鎖的なシステムは気象の影響を受けにくいため、非常に安定した食糧供給が可能になるのだ。
 また、この食糧供給プラントの上部はそのまま市街地にしてしまうことも可能なため、住宅面積をも同時に提供させることにもなる。交通には『ゲート』を用いることで地上と接続したり、他のフロート・プラントに移動することが可能なため、実際には地上にいるのと殆ど変わらない交通システムを実現していた。
 そもそも、世界の食料庫であるアメリカなどの食料輸出国が怪物の進出に抵抗しきれなくなって徐々に国力を衰退させている上に、海も陸も怪物の脅威で国家間の貿易が困難になっている以上、食糧の自給は至上命題だったのだ。
 つまり魔法をフル活用した食糧の生産システムは最優先で完成させなければならない課題であり、莫大な予算も日本政府から投入されていた。こうした魔法技術の開発にはプロメテウスに協力していた企業だけでなく、学問レベルでも開発が必須だった。そのため、日本政府は東京に魔法専門の大学を設立することを決定、急遽その魔法大学を開校したのだ。
 もっとも、現実的に人に教えることが可能なレベルの古代語魔法の使い手は限られている。唯一、導師級の古代語魔法を使えるのはプロメテウスの弘樹と水蓮だけでしかない。しかも、彼らは他にすべき仕事が山積みの状態のため、とてもではないが時間を割いて生徒をじっくりと教えることなど出来なかった。
 そのために妥協として取られた方法が、弘樹を主任教授としながら彼の直接の教え子を教官として一人でも多くの魔術師を要請する、というやり方だった。
 その中には当然の事ながら理恵のような学生も含まれていたのである。
 それは地球温暖化対策という側面も大きかった。
 人間が今までの文明を継続して発展させ続ける限り、膨大な量の化石燃料を消費すると同時に地球資源を浪費してしまう。そのため、日本政府はプロメテウスより供与された魔法技術を応用して地球環境に負荷の少ない産業構造への移行を模索していたのだ。
 また、巨大な魔法構造物を構築して、環境の回復と人間の活動による悪影響を最小限度に抑えるべく、様々な試みを行うことを推進していた。
 その試みの一つがこの空中農業システムの構築だったのである。
 また、東京郊外にも巨大なピラミッド上の食料とバイオ燃料の生産システムを建造して、大気中の二酸化炭素を吸収させ、そして酸素を放出させると同時に燃料や食料に変換する、というシステムだった。高さが1.4kmにも達するクリスタルのピラミッドの内部には膨大な植物が水耕栽培され、大量の農作物やバイオエタノールが生産されているのだ。
 
 
 

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