~ 3 ~

 その夜、北京の街はいつもと同じように混沌とした活気に満ち溢れていた。
 警備のために街を巡回する警官たちが歩き去っていくと、何処からとも無く商品を詰め込んだ鞄を持った露天商たちが現れて、あっという間に『店』を開いていく。その近くには体のラインがくっきりと見える大胆な格好をした若い娘たちが派手な化粧で“客”を見つけようと通り過ぎようとする男達に声を掛けていた。
 外国人ビジネスマンや北京の裕福層を顧客にする高級娼婦と違い、彼女たちは農村から出稼ぎに出てきただけの貧しい女性である。その顧客もほとんどが北京の出稼ぎ労働者などだ。その一回の値段は僅か100元(約1400円)ほどである。そして性感染によるエイズの爆発的な広がりが深刻な社会問題となっていた。
 十三億の市場と言われているものの、実際には先進国並みの購買力を持っているのは都市部のごく一部であり、特に九億人を超える農村部の人口は一日に数ドル程度の収入しかない。この豊かな沿岸部の都市に貧しい内陸部の人間が流入し、混沌とした世界が形作られているのだ。
 不意に一人の露天商の老婆が街中に振っている小さな綿埃のようなものに気が付いた。
 いつの間に振り出したのだろうか、と訝しげに空を見てみるが、空には雲ひとつ見えない。その綿埃はどんどんと降り続いて、路肩や排水溝などに溜まっていく。人々は気味悪そうに顔をしかめながら、埃を吸い込まないように口元を覆って小走りに走り去っていった。
 その綿埃は良く見ると、次第に増殖して付着したところから菌糸のようなものを伸ばしていた。
 菌糸は信じられないほどの速さで成長して、見る見るうちに排水溝は白い菌糸で埋め尽くされていく。それだけではなく、その菌糸は公園の樹木の中にも侵入して成長を続けていたのだ。
 北京市内を警備している衛戍部隊3個師団が異変に気が付いたときには、既に北京市の大部分が白い綿埃に覆われていた。
 巡回をしている部隊がこの奇怪な綿埃に気が付いて司令部に対応方法を問い合わせていたのだが、なにしろ危険なのもなのかどうかさえも判らない状況では判断のし様も無かった上に、党が北京オリンピックが決定していることを考慮して、首都北京においての軍の活動に神経を尖らせていたこともある。そのため、科学者達からなる調査団の調査結果を待って判断する、としていたのだ。
 しかし、既にこの不気味な物体は北京市を覆い始め、ここに至って党もこれ以上時間を費やすことは危険だと判断したのか、ようやく軍に出動命令を下したのである。だが、この物体をどうすればいいのか、軍部にも考えがあるわけではなかった。
 その頃には科学者の分析結果も出ていたのだが、「茸のような菌類だと考えられる。詳細については不明で更なる調査が必要」という、要するに何も判らなかった、という返事だったのである。その後、軍や消防団、青年団などを動員して除去作業を行っていたのだが、この菌のようなものが増殖する速さのほうが圧倒的で、僅か一週間後には北京市全体が綿菓子のようなもので覆われてしまっていた。
 人々はこの異常事態に戸惑い、しかし、街を離れることもできずに比較的菌糸の少ない場所などに移動していたのだが、流石に1500万人を超える人間が全員退避できるはずもなく、多くの人々が何とか菌糸を動かして建物の中に篭っていた。当然の事ながら外国企業の駐在員や駐在している各国大使などは本国からの命令で避難することを試みていたのだが、もう既に電車も車も使えない状態となっていたのである。
 ヘリコプターで要人の脱出を試みたものの、一度数人を運び出した後で基地に到着したときにはヘリは既に菌糸が大量に付着し、その後、内部にも菌糸が増殖して結局使い物にならなくなってしまったのである。
 そしてそのヘリコプターが到着した基地が菌糸に覆われたのは僅か1日後のことであった。
 既に北京市内には食料も尽き始め、水の確保さえも難しくなっている状況だった。ここに至ってようやく北京政府は各国に救援を打診したものの、ヘリを用いての救出も不可能な状態では手の打ち様が無かったのである。
 その夜、十分に街を覆ったのを待っていたかのように、その不気味な菌糸は急激に姿を変え始めていた。
 菌糸に覆われ、完全に枯れた樹木や車、建物などありとあらゆる場所から人の背丈ほどもある巨大な隆起が盛り上がっていく。その隆起は柔らかい菌糸とは異なり、がっしりとした強靭なものだった。そして、その隆起は見る見るうちに伸びてゆき、巨大な樹木のようながっしりとした構造を形作っていった。
 北京ではよくある黄砂が激しく降りしきる中、北京市は巨大な菌類の森の中に飲み込まれていく。
 そして巨大に成長した菌樹は胞子を放出し始めていた。
 その胞子の微かな匂いをかぎつけて、夜の闇の中を無数の巨大な影が菌樹の森を目指して飛んでいった。ほぼ1メートルほどの大きさの、巨大なコガネムシのような昆虫だった。
 北京市の郊外にある都市の、その更に外れにある廃棄物処理場だった場所も、既に菌樹と巨大な動きまわる植物に覆いつくされていた。そして、そこから大量の巨大な昆虫が新しい森を見つけたことを喜ぶように一斉に北京に向かって飛んでいったのだ。
 近くにある保定市もまた菌樹に覆われ、既に住人は巨大な昆虫たちとなっていた。巨大な菌樹に覆われた近代的なビルの残骸やかつて車だった残骸を飲み込むように硬化した菌糸が覆って、その上を巨大な影が我が物顔でのし歩いている。3メートルを超える蟷螂カマキリがその底なしの食欲を満たすために餌を探してきょろきょろと辺りを見回している。その危険なハンターの視線から逃れるかのように1メートルほどのダンゴムシのような昆虫がこそこそと食べ物の菌糸を啄ばんでいた。上空には5メートルを超える巨大な蜻蛉とんぼのような昆虫が悠然と飛び交っている。
 蛇のような細長い胴体に、クワガタムシのような巨大な顎をもつその昆虫は非常に強力な肉食の昆虫で、時には巨大な蟷螂にさえ襲い掛かることさえあった。
 北京市の住人たちはまず最初にその巨大なコガネムシに驚いて、逃げ回ったものの、それが黙々と菌糸を食べるだけだと知って安堵していた。瞬く間に街を覆ってしまった菌も不気味だったが、それ以上には危害を加えるわけではなさそうで、人々はどこかでこの状況に慣れはじめていた。
 だから次に現れた巨大なカブトムシのような昆虫を見ても恐れることなく見ていただけだったのだ。
 だが、その巨大な顎が不用意に近づいた不幸な少年の胴を一瞬で断ち斬り、噴水のように噴出した血を啜りながら肉を粗食し始めた瞬間、人々は恐慌をきたして我先にと安全な場所に逃げ込もうとしていた。だが、只でさえ歩きにくくなっている街中で、しかも狭い空間に人々がひしめき合っていたためにパニックに陥った人々はお互いに逃げ道を争って激しく争い始めていた。だが、そんな人々に次々に昆虫が襲いかかっていく。
 そうして中国の首都北京はその歴史を最も悲惨な形で終えてしまったのである。
 
「な、なあ・・・、あの化け物みたいな虫、本当に殺せるのか?」
 不安げな表情で少年のような兵士が仲間に尋ねかけた。
 既に北京とは連絡が断たれてから暫く経っていた。全てを管理していた中央が沈黙してしまったことで、各地の軍閥や地方都市の有力者たちは自分達の手勢を集めて独自の勢力を構築するために様々な動きを見せている。
 少年兵が所属している上海閥はその中でも一番大きな勢力を持っているグループの一つで、特に内陸部の経済力に乏しい勢力とは比較にならないほどの力を持っていた。だが、それでも全力を持ってあの昆虫の大群と戦わなければならないほど、相手の力は圧倒的だった。
 中国の誇る科学者たちが調査したところ、巨大な昆虫だけでなく、あの奇怪な菌状の植物も危険な存在だった。
 あの菌状の植物は様々な毒素をガスとして発生させ、生き物を殺してしまうのだ。もっとも、その毒の瘴気は非常に急速に分解されてしまうため、菌の森を離れて数キロメートルもすると無害になってしまう。
 だが昆虫たちはその甲羅などにその菌状植物を付着させているため、戦う場合など、その毒を吸い込んでしまう危険性があるのだ。
 たとえ昆虫を殺したとしても、死骸をそのままにしておけばその昆虫の躯を苗床にして菌が成長を始めてしまう。
 非常に厄介な相手だった。
 少年が不安がるのも無理はない。
 彼らの武器は確かに今は十分ある。しかし、それが何時まで補給可能なのかは誰にも判らないのだ。
 特に菌の繁殖を防ぐために欠かすことが出来ない火炎放射器も、燃料が無ければ只の鉄の塊でしかない。だが、その燃料の補給も次の供給が何時になるのかまだ判らない状況だった。
「さあな・・・。それでもやるしかないだろ・・・」
 疲れたように二歳年上の兵士が彼に応えた。
 既に大都市は悉く壊滅し、今は安全な場所に構えた要塞に都市機能を移している。どうやらあの昆虫たちは都市の明かりに導かれて最初に大都市に飛び込んで、その都市を壊滅させてしまったらしい。
 考えてみれば当たり前のことだ。夜でもカブトムシや蛾などは街灯に向かって飛んでくるではないか。
 しかし、農作物も甚大な被害が出て、その上で都市や工業地帯が壊滅したとあってはこの中国は奈落の底に転落してしまう。
 そんなことを考えていた少年の耳に、少しは離れたところから怒声が聞こえてきた。
「来たぞー!、奴らだ!」
 その声に反射的に銃を取って、そして体勢を低くして構える。
 風に乗ってヴゥゥゥンンン・・・・・・・、と鈍い羽音が聞こえてきた。
 良く目を凝らしてみると、暗闇の中に無数の赤い光が浮かんでいる。あの怪物昆虫の目に違いが無かった。
 少年はごくり、と唾を飲み込んで銃を構えなおす。
 そして気が遠くなるほどの一瞬の後、誰かが銃の引き金を引いたことをきっかけにして兵士達は狂ったように発砲を始めていた。
 
 広大な中国大陸の約3割近くを占める広大な砂漠にも、巨大な影が動き回っていた。
 砂走りデザート・ダイバー、という名の巨大な羽虫の幼虫である。
 もっとも、この怪物は肉食の幼生のままで成長を続け、あらゆる生物に襲い掛かるという貪欲で危険な生物だった。他にも全長が3メートルを超える大蠍や乾燥に非常に強いロック・リザードなどのオオトカゲ、頭を二つ持つ奇怪な蛇などが数少ない食物をめぐって厳しい戦いを繰り広げていた。
 既に大陸の各大都市は壊滅し、相当な人的被害が出ている。
 恐らく、今年の冬は数多くの餓死者が出るであろうとWHOが予測を立てていた。しかし、既に世界各国とも他国に構っているような余裕は何処にもない。
 アメリカ合衆国でさえ南部と北部の州の格差が広がり、分裂寸前の状況に追い込まれている。
 一番安定している日本でさえ他国に援助を与えるような余裕など微塵も無かった。
 中国大陸各地の勢力はこの怪物を焼き払うために核兵器の使用さえ検討したのであるが、既にそのマスターキーを持つ中央はこの世から消滅していた。そうこうしている内に昆虫や怪物めいた植物は大陸中に拡散してしまい、既に核兵器を使用しても駆逐できない状況になっていたのだ。
 膨大な数の人々の死体は埋葬することさえ出来ず、放置されて腐敗した死体から伝染病が蔓延し始めている。
 もう既に中国の人口は半分近くにまでその数を減らしていたのだ。
 僅か数ヶ月でこれほどまでの膨大な犠牲者を出しながら、まだ被害者の数は膨れ上がっている。
 各地の軍閥は既に地域単位で勢力を固め、7つに分裂していた。事実上、中国は7つの国家へと分裂してしまったといっても過言ではない。
 まだ耕作可能な土地と水をめぐっての各軍閥同士の戦乱の時代が始まろうとしていたのだ。 
 
 2002年9月17日、今泉信也首相が北朝鮮を訪問して実現した日朝首脳会談の席で、金正日国防委員長は「部下が勝手にやったことだ」として北朝鮮が日本人13人を拉致したことを初めて認めた。
 魔獣や巨大生物と泥沼の消耗戦のような戦いに陥り始めた中国の情勢を見て、何とか日本の支援を引き出そうとしたのかもしれなかったが、逆にこのことが日本人を激昂させていた。激しい北朝鮮に対する批判が連日、テレビや新聞を埋め尽くしていたのだ。
 こうした中で榊原達は慎重に、しかし確実に計画を進め始めていた。
 それはすなわち、日本という国家の戦後からの脱却を目指す第二の維新を果たすことであった。
「澤田君、久しぶりだね」
 民主党幹事長代理の澤田は、懐かしい声に呼びかけられて会議場へと向かう足を止めて振り向いた。
「榊原先生、ご無沙汰しております。中々、挨拶にも伺うことが出来ずに申し訳ありません」
 澤田は大先輩に対して笑顔で挨拶を返す。しかし、傍目から見ても二人の間には静かな緊張感が満ちているのが判った。
 かつて、まだ澤田が自民党に入党したばかりの一年生議員の頃から、榊原は澤田を知っている。もっとも、澤田は榊原の属する派閥ではなく、経世会の一員であり、榊原の最大の政敵であった金丸の寵愛を受けていたことから決して親しくしてきたわけではない。
 だが、緒方麟太郎の後継者と目されて、保守派の重鎮である榊原は澤田にとって、ただの政敵と割り切れない微妙な存在でもある。
 そして後に澤田は政治的野心を以って与党自民党から一派を引き連れて新党を立ち上げ政局を仕掛けるも、自らの理念を完全に果たすことは出来ずに新党を立ち上げては解散を繰り返し、"壊し屋"と揶揄される状況に置かれていた。
「元気にやっているようで何よりだ」
 榊原は鷹揚に構え、何度か頷く。
 澤田はその榊原に苛立ちを覚えながらも、にこやかな表情で応えた。
「おかげさまで忙しい毎日を送っております。尤も、政治家たるもの暇を持て余すようになっては役立たずと言われているようなものですが」
 まだ、このままでは終わらないぞ・・・、そんな怨念が滲み出るような澤田の言葉を榊原はさらり、と受け流す。
「そうだな、君のような元気の良い政治家には若い政治家達をびしびしと鍛えてもらわなければならないからね」
 一瞬、澤田の目に怒りの炎が宿ったように見えた。
 仮にも一党を率いる男に向かって、若い衆の面倒を見ろ、などとは無礼にも程がある。保守派の重鎮である榊原にしてみれば、自党を割ってまで政局に力を注ぐ澤田は正統派の政治家と認められないのかもしれない。
 しかし、澤田は敢えて党を割って外に飛び出したからこそキーマンとして十数人の政治家の力を数十人の派閥以上の影響力を振るうことが出来るのだ。
(時代に乗り損ねた骨董品が・・・)
 だが、敢えてその考えを口にすることもせず、澤田は頷きながら相槌を打つ。
「確かに、近頃の若い一期二期程度の連中は覇気の無い、マニュアルに書いてある通りのことしか出来ないのが多いですな。私なんかも榊原先生から見れば、まだまだ青二才に毛が生えたようなものでしょうが・・・」
「澤田君が青二才などとは言わんよ。君ほどの凄みを持つ政治家は君らの世代にはそうそう居らんからな」
 榊原は政治的に対極の位置に立つとはいえ、決して澤田のことを軽んじてはいない。むしろ、澤田が彼の世代の中どころか、榊原達を含む長老議員を含めても、ずば抜けた行動力と策略を持つ男だと評価さえしている。
 榊原の言葉に本音の響きが感じられたのか、澤田は少し視線を和らげた。そして、榊原の後ろに見慣れない青年がいることに今更のように気が付いていた。
「先生にそう言っていただけるとは思ってもおりませんでした。ところで、そちらの方は先生の所の方でしょうか?」
「おお、失礼した。やれやれ、うちの若いものに挨拶もさせんまま話し込んでしまうとは」
 そうおどけた様に言って、榊原は背後に立っていた青年を手招きする。
「澤田君、紹介しよう。先日から私の事務所で秘書をしてもらっている荒木君だ」
 祖父ほどの年齢の代議士から紹介を受けて、青年は丁寧にお辞儀をした。
「澤田先生、私は榊原先生の下で勉強をさせていただいております、荒木誠と申します」
 きびきびとした身のこなしは、恐らくかなり鍛えていると見えた。なるほど、榊原が気に入りそうな若者だ。
 澤田はなんとなく榊原とこの青年の間に親子のような情の繋がりがあるような気がしていた。
「これはご丁寧に。民主党の党首、澤田征一です」
 にこやかな笑顔を浮かべて、澤田は青年に挨拶を返した。
 なるほど、流石に榊原翁が認めただけある。鍛えれば海千山千の官僚に振り回されない本物の政治家になれる器に見えた。
 澤田に引き合わせたことからも、榊原がこの青年に掛けている期待の大きさを窺い知ることが出来る。
(なぜ、榊原の下にはこれほどの若者が現れるのだ・・・)
 民主党の党首の心に黒い炎が燃え始めたことを澤田は自覚していた。
 
「さて、あの男はどう動くかな」
 榊原は面白げに呟いた。
 まさか、この歳になって政界はおろか、経済界やマスメディアまでも巻き込む大闘争の片棒を担ぐことになるなど、一年前には想像さえもしていなかった。
 あの日、眞から手渡された魔法の水晶球は恐ろしく役立つものだった。
 異世界に飛ばされた眞も魔法の指輪を通じてコミュニケーションが取れるようになり、場合によってはその指輪を接点にしてこの世界に分身を顕現させる事さえできる。その指輪を託された女性だけでなく、彼が見出した若者達も中々優秀な人材だ。目の前の椅子に腰掛ける青年も、彼らの仲間の一人である。
 非常に優秀な能力者であり、また、政治の世界においても経済の世界においても卓越した能力を持っている。
 荒木誠の持つ能力はこうした情報戦や工作活動に非常に役に立つものだった。肉体的な戦闘能力もかなりの力を持っているが、それ以上に優れた情報活動能力を持っているのだ。
 それは強烈な幻影能力と『強制』の能力である。
 誠の『強制』の能力は、人にある命令を実行することを強制することができるのだ。ある種の呪い、である。何かをしろ、という命令も、何かをするな、という禁止命令のいずれも目標に強いることができる。この能力を持ってすれば、重大な情報工作をも易々と実行できてしまうのである。
 その上で彼は具現魔術を使う魔法使いだった。
 この具現魔術は本来、この世界にあった魔法の体系を総称して呼ぶ魔法体系で、フォーセリアのそれとは大きく異なる原理に基づく。具現魔術の使い手は、自らの魔力を精霊や使い魔、天使、悪魔などの形で姿を与え、それに象徴される力としてその力を引き出すのである。
 日本においても陰陽道などの術式で体系が残されている。ただ、以前はその力は極めて抽象的なものであり、また使い魔自身も強い実体を持つことができなかったのであるがフォーセリアとの接触により魔法的な影響力が強まったのか、遥かに強力な形で使い魔や精霊などを実体化させる術者が現れ始めていたのである。誠自身も幾体かの使い魔を使いこなすことができ、しかも物体を操作させたりするなど、物理的な力さえ行使させられるのだ。
 通常は使い魔はその強力な実体化の影響なのか、術者より遠く離れることはできない。しかし、彼の持つ使い魔の一体はその行動の制限が無いのだ。もっとも、その代償として他の使い魔ほど強力な魔力や能力を持っていない。それでも、子供と同じ程度の力とはいえ、物体を動かしたり操らせることができる上に、古代語魔法の<発火>の呪文と同じように可燃物に火を付ける事ができる。そして、その最大の能力が幻覚の能力なのだ。
 誠の使い魔のもつ幻覚の能力は強力で、視覚的幻覚だけでなく音や臭い、そしてある程度の温度や触感にまで影響を及ぼすのである。もちろん、幾らこの幻影で相手を炎に包まれた幻影を生み出したとしても、火傷を負わせることなどできない。しかし、その幻影の炎に包まれたものは熱を感じたと思い、そして炎の音や対流で巻き起こった風などさえ感じたと信じ込んでしまうのだ。
 尤も、誠はそのような派手な幻覚を使うことよりも、地味な、しかしその幻覚が幻覚だとわからないような状況と手段で能力を使うことを得意としている。
 眞のような古代語魔法の使い手が極めて限定される今、彼のような具現魔術の使い手は非常に重宝される。
 もちろん、プロメテウスや自衛隊もこうした具現魔術の使い手を可能な限り確保すべく、活発にスカウトを行っていた。
 誠もそうやってプロメテウスに参加した一人である。
「まだ具体的に動くとは考えにくいと思います。ですが、探りくらいは入れてくると考えるのが普通でしょうが・・・」
 その言葉を聞きながら、榊原は軽く考え込んだ。
「まあ、民主党や社民党が君たちのような能力者の存在に気が付いた、とは考えにくいだろう。それに、プロメテウス以上に高度な魔法技術を持つ組織がこの世界に存在するとも考えられん」
 精霊魔法の使い手や不可思議な超能力を発揮し始めたものたちの存在にはうすうす気が付いているだろうが、それを政治の世界に、そして軍事技術として応用することは野党の人間には想像することが難しいだろう。具体的な事例や、何が可能なのかを知らないままでは只のおとぎ話と大差は無い。
 とはいえ自民党の中にもチャイナ・スクールと通じているものがいたり、パチンコ利権などを通じて北朝鮮の勢力に絡め取られているものも少なくないため、榊原達保守本流派は事を動かすことを慎重にせざるを得なかった。
 朝日新聞などは先日、北海道の勇払平野で巨大油田が発見された-実際にはプロメテウスと自衛隊が原油を造り出す大規模な魔法装置を地下深くに埋め込んだのだが-ことに関連して、飢えている北朝鮮の民衆を救え、という不毛なキャンペーンを張っていたものの、日本政府が「拉致された日本人を返すことが先だ」として突っ撥ねきっていた為、何時の間にか尻すぼみのように消えていた。
 それと平行して今泉政権の法務大臣が犯罪を犯して懲役・禁固7年以上の刑罰を受けた在日朝鮮人や在日韓国人達に対して特別永住許可を取り消し、国外追放処置を開始していたのである。
 当然の事ながら外務省や日本弁護士協会、マスコミなどは猛烈な批判を行っていたのだが、逆に法務省側はどれほど多くの犯罪者が外国籍のものなのか、そしてその中で中国籍、韓国籍、そして北朝鮮籍の人間の犯す重大犯罪率の異常な高さを資料として出し、そして日弁連と朝鮮総連の怪しい繋がりなどが次々に暴露されていったのだ。(http://blogs.yahoo.co.jp/dune01220227/49268695.html)(http://kenkan.iza.ne.jp/blog/entry/200516/)(http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-713.html
 もちろん、その法務大臣は誠による『強制』を受けて、特別永住許可の剥奪と強制送還の執行書類に淡々と署名をし続けていたのだ。
 また、在日朝鮮人・在日韓国人への特別永住許可は本来、第二次世界大戦終戦時に日本に滞在していた世代から孫、さらにはひ孫までとずるずるとなし崩し的に延長されてきたことに対しても、それを不許可の方向に一気に動き出したのである。
 (http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/heiwa/s02-04.pdf
 これも誠のもつ『強制』の能力で、課長などの責任者や法務省の中枢部などに「特別永住許可の延長を行わない」という命令を与えたのである。
 流石にこれには創価学会を母体とする公明党と公明党の党首が就任している国土交通相が反発したのだが、逆に「それでは今までに帰化した元在日の帰化を取り消して国外追放にしても構わない」と強硬な姿勢で対応した結果、法務省の意見が押し通されたのだ。
 
 すらりと長身の青年が洒落たメガネの奥の瞳を優しく瞬かせる。
 榊原が最近雇った秘書だということだ。自民党の加藤浩二は目の前の青年をじろり、と見つめた。
(あの保守派の榊原の秘蔵っ子、ということか・・・)
 アジア重視派を自認する加藤にとって、政党保守本流の第一人者との評価の高い榊原は戦前回帰を目指す軍国主義者とも思える存在だ。その榊原が新しく雇った秘書を加藤の下に送ってきた、というのは意表を突いた行動のように思える。
 もっとも、携えてきた用件自体は何も珍しいものではない。
 それに、今は中国大陸はあのおぞましい怪物に蹂躙され、共産党政府の配下である人民解放軍はいたずらに戦力を消耗させているだけだった。人民にも多くの被害が出ていると聞く。
 何とかして大陸を脱出ようとしている難民を救済するための方策を練って、特別難民保護法案を提出するつもりでいたのだが、それを阻止するためにこの目の前の青年を送ってきたのだろうか、とも思える。
 河野派もまた、朝鮮半島の人々を救助するための政策を考案しているのだが、それに対する牽制かもしれない。
 最近は従軍慰安婦問題に関しても、その物証の無さや証言の不確定さから河野談話に対しての厳しい意見がインターネット上でも良く見られるうえに、中国で起こった反日デモへの反発と江沢民氏の訪日における余りにも強いその言い方に親中派や親韓派イコール売国奴、という論調まで見られるほどだ。
 しかも忌々しい事に、そうした非難を繰り広げる連中は様々な情報ソースや文章などを引用して論理的にきっちりと構成してくる。まったくもってやり難いことこの上ない。
 目の前の青年のような若い世代までもが堂々と保守回帰を主張するというのは、やはり教育に問題があるのだろうか、とも考える。
「加藤先生、それではこの榊原先生からの書類に御目通しをお願いします。近日中に直接お会いして忌憚無き意見を伺いたい、との伝言を頼まれております」
 そう言って青年は礼儀正しく一礼する。
 加藤はその書類を受け取って、ざっと内容を確かめた。
 そして思わず目を見開く。
 書類には信じられないような内容が記されていた。それは日本の領土内での治安維持と国民保護に関する法案の原案が記されていた。それによると、日本政府は現在の未知の危険な生物や現象に対して自衛隊を高度に運用し、国民の安全を保障するために全力を尽くす、とされていた。また、国内の秩序を維持するために国境を封鎖し、安全の確保を最優先にする、とも付記されている。また防衛庁を防衛省に昇格し、その運用に関しては現在の状況を踏まえて現状の自衛隊法に代わる新規法案を制定する、となっていた。
 他にも防衛機密を保護する『情報防衛法』を制定し、実質的な反スパイ法として運用可能な法案を提示するなど、一気に今まで誰も踏み込めなかった内容のレベルにまで達しているのだ。しかもそれに留まらないで、国内の治安維持の為に不法外国人の強制摘発や国民保護などの、いわゆる有事法制も体系付けて法案として提出されることになっていた。更には国籍法の帰化許可処分の取り消しに関する規定まで踏み込んでいる。つまり、日本に帰化した人間でも、入管法で強制退去処分となる事由(http://ja.wikipedia.org/wiki/退去強制)に該当した場合、日本政府はその帰化を取り消し、国外へと強制退去処分にする、という法改正だった。
「こ・・・こんな法案が成立するはずが無い・・・」
 辛うじて加藤は言葉を搾り出していた。もし、こんな法案が提出されたら近隣諸国からどんな非難が飛び出すか想像さえ出来ない。
 国内のマスメディアも黙ってはいないだろう。想像を絶する混乱が日本中を揺るがすことになる。そんな事態がどれほど国益を損なうことになるのか、軍国主義の連中はまるで今の時代を理解していない。加藤はそう考えを纏めて、この法案を潰すために出来る手立てを考え始めていた。
「通りますよ」
 平然と青年は言葉を返した。まるで、自分がその成否の鍵を握っているかのような口調に、加藤は激しい苛立ちを覚える。
「お前が考えるような事ではない!」
 厳しい声で加藤は青年に言葉を叩きつけた。
 国会での投票権も持たない若造が、と考えて、加藤はその目の前の青年を睨みつける。だが、青年は先ほどと同じような不思議な微笑を浮かべたまま平然と加藤を見ていた。
「とにかく、榊原先生には、こんな法案には賛成しかねる、とお伝えしろ!」
 加藤はそう吐き捨てると携帯電話を手に取り、懇意にしている支持者に相談するために電話を掛けようとした。しかし、青年が立ち上がりもせずにじっと加藤を見ているため、電話をかけることが出来ない。
「何をしている? さっさと退出せんか!」
 何があろうともこの若造の将来の出馬など潰してやる、そんなことを考えながら加藤は怒鳴りつける。
 だが、青年は口元を歪めて皮肉気に言葉を返した。
「なるほど、早速、選挙資金と票をご支援くださる法曹会の御重鎮にお電話ですか」
 元外務省チャイナスクール出身で東大の法学部卒業、という加藤はある意味で筋金入りのリベラル派である。そして、日本ではリベラル派とは概ね親中派と重なる傾向がある。
 加藤はその青年の冷ややかな口調に背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
「我々は貴方のような売国奴を許したりするつもりはありませんよ・・・」
 青年はすっと立ち上がり、そして何か小声で呟く。
 不穏な何かを感じた加藤は助けを呼ぶために大声を出そうとした。議員会館の中は『コンシェルジュ・サービスセンター』の人員が常にセキュリティを確保するために警備会社の人員に厳しいトレーニングを課している。すぐにこの不審な人物を排除するはずだ。
 だが、加藤の口からは言葉は出てこなかった。
 必死に悲鳴を上げようとしても不気味な沈黙だけが周囲を満たしている。それどころか加藤は椅子から立ち上がろうにも指一本動かせなかったのだ。
「貴方の言葉と身体の自由を封じました。少し、加藤先生のお身体に細工をさせてもらいます。今まで散々、日本の国益を損なった代償としてはいささか甘い対応だとは思いますが・・・」
 そう言って青年は懐から小さな魔法瓶のようなものを取り出した。そしてゆっくりと加藤の身体の上でその蓋を開けていく。
 加藤は出来ることなら泣き叫んで許しを願っただろう。だが、不思議な力で自由を封じられた身体は青年の行おうとしている不気味な行動に対して全くの無力だった。
 そして青年はその瓶の中身を加藤の腹の上にぼとり、と落とした。
 加藤はその物体を見た瞬間、絶叫を上げて必死に身体を動かそうとする。その目には激しい恐怖の色が浮かんでいた。
 青年が加藤の身体の上に落とした物体は、おぞましい軟体動物のような姿をしたものだった。長さが30cmほどだろうか、少し細いチューブのような胴の中には何故か電子機器のような部品が連なっている。そして腕のような場所に二本の長く透明な触手と数本の、同じような細く長い尾のような触手が生えていた。
「加藤さん、そのルーク・ワームは貴方の身体を傷つけるようなことはありません。ただ、貴方の意思に若干干渉して我々の望むような行動を取るように方向性を与えるだけです」
 その言葉を正しく理解することは今の加藤には不可能だっただろう。
 不気味な物体-ルーク・ワームは加藤の身体の上を暫く這い回った後、シャツの隙間から服の内側に潜り込む。涙と鼻汁を溢れさせながら必死の形相で逃れようとする加藤を冷たく見下ろしながら、青年はじっとその凄惨な光景を見詰めていた。
 やがて加藤の腹の中心部のシャツが盛り上がり、すぐに引っ込んだ。
 臍から異物が潜り込むことによる苦痛は不思議に感じなかった。柔らかくつるつるとした物体が、つるり、と入り込んだような感覚がして、加藤はあの不気味な物体が自分の腹の中に潜り込んだことに気がついた。
 そして青年が再び何かを小声で呟いているのを、どこか夢を見ているような感覚で見ていた。青年の手が加藤の額に触れた次の瞬間、この初老の代議士は耐え難い睡魔に襲われて意識を失っていったのである。
 数十分後、部屋に戻ってきた加藤の秘書が椅子にもたれかかったまま眠りこけている加藤を見つけて、普段の激務の疲れが出ているのだろう、とソファに加藤を横たえた。その表情は穏やかで、良い夢を見ているのだろうか、とまだ若い秘書は疲れた父親を見るような表情でそっと毛布をかけた。
 まさか、その代議士が夢の中で強力な魔法による暗示がかけられているとは想像もしていなかった。
 
 柴田洋介は最近の法務省の動きに強い苛立ちを覚えていた。
 突如、在日朝鮮人社会への圧力を強めている政府与党の自民党への圧力を強めないといけない、と様々な思索をめぐらせる。少なくとも自らが役を担う国交相の権限では法務大臣の暴走を止めることなどできなかった。
 だが、彼が入信している創価学会の幹部としての立場ならば話は別だ。
 ともかく、この馬鹿馬鹿しい強制送還運動を止めさせなければならない。
 韓国政府も最初は日本政府による在日朝鮮人や在日韓国人への特別永住許可の取り消しと国外追放処置に対して激しい反発を見せて、絶対に日本から追放された在日僑胞を受け入れることは無い、と言っていたのだが、日本が韓国と取り交わした「日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法」に於いて、「(vi)退去強制事由は、特別永住者の場合は、内乱、外患又は国交に関する罪により禁錮以上の刑に処せられた者、外国の元首等に対する犯罪行為により禁錮以上の刑に処せられた者でその犯罪行為により日本国の外交上の重大な利益を害したもの及び無期又は7年を超える懲役又は禁錮に処せられた者でその犯罪行為により日本国の重大な利益を害したもの」として明文化されている。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/humanrights_library/treaty/liberty_report-3rd_gov.html
 そのため、法的にも問題なく特別永住許可を取り消すことができるのだ。
 こうした条約を突きつけながら経済的なプレッシャーを与えて経た会談の結果、韓国政府が日本から強制退去させられたすべての韓国籍、北朝鮮籍の者達を受け入れることとなったのである。
 本来なら様々な利権が絡むため、北朝鮮や韓国との政治的交渉は非常な困難を伴う。特にマスコミ業界の広告関連をほぼ支配下においている電通は在日朝鮮人や在日韓国人、そして元在日の非常に多い企業であり、そのマスコミ業界への影響力は絶大なものがある。
 しかし、北朝鮮の金正日総書記自らが日本人拉致を認めてしまったことでマスコミへの介入はほぼ不可能になってしまった。ここで下手に圧力を書けた場合、事と次第によっては電通による広告業界支配の構造が崩壊しかねない。
 また、朝鮮利権の代表的なものの一つに土建業で使う砂利利権がある。
 建設で使う砂利は、実は非常に条件が厳しい。
 コンクリートは塩分を含んだ砂利を用いた場合、すぐに劣化して建築物が崩壊する危険性がある。しかし、塩分を含まない川砂利の獲得は日本国内では難しく、一方で、北朝鮮には良質な川砂利の採取場所が手つかずで残っていたとされている。
 この利権に釣られたのが故金丸信自民党元副総裁である。
 建設族だった金丸信の次男であり秘書であった金丸信吾は、1991年5月に韓国人実業家のマダム朴という人物が飛ばした民間初となった名古屋空港からの日朝直行便で、大阪砕石工業所幹部、新日本産業の吉田猛など川砂利利権に関わった連中と一緒に訪朝している。この吉田猛はあの加藤紘一事務所の名刺を持っていた事で有名になった「北朝鮮のエージェント」といわれている男なのだ。
 中国で実際の取引を行うこの利権は、その後、金丸信の愛弟子とされる野中務に委譲され、更に古賀に渡ったというのが通説とされている。
 また、加藤の秘書の佐藤三郎が北朝鮮と不透明な関係にあることなどからも、加藤が北朝鮮の利権に絡め取られていることは明白だった。
http://www.rondan.co.jp/html/news/seiji/sato.html
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50701866.html
http://www.tamanegiya.com/kanemarusinn.html
http://dogma.at.webry.info/200610/article_18.html
 しかし、北朝鮮の金正日総書記が日本人の拉致を認めて謝罪したことを契機に、榊原達は一気にこの北朝鮮利権を潰すための戦略に打って出ていた。
 金正日体制を一気に弱体化させるべく、経済的な流れを完全にシャットダウンしたのである。
 また、拉致された日本人を帰すための制裁処置という名目で一切の北朝鮮関連の取引を禁じたため、中国で行われている川砂利の取引も完全に停止されることになった。これには全国の建築業者が塩分を含む海砂利を用いなければならず、コンクリートが劣化しやすくなって危険だ、との懸念を表明し、それを北朝鮮制裁を快く思わないマスメディアや親北朝鮮派の政治家などが一斉に例外を作るべきだ、との声を上げていた。
 しかし、海砂利をイオン洗浄して極めて低いコストで川砂利と同じレベルにまで塩分を除去する技術を開発したことで、建設業界を懐柔することに成功したプロメテウスはその批判の声を封じていたのである。
 そもそも魔法を高度に使いこなすことができるプロメテウスは、こうした新技術の開発において極めて有利なのだ。
 北朝鮮から日常的に輸入されていたものは他に、アサリや松茸などがあったが、それとて別になかったとしても取り立てて問題になるわけでもなく、着実に対北朝鮮制裁が構築されていったのである。
 そうした状況に柴田は強い焦りを感じていた。しかし、まだ挽回のチャンスはあるはずだ。少なくとも加藤や山崎、野中や古賀などの親北派議員は自民党の中でも要職に就いている。他にも学会を通じてマスコミに圧力を加えれば対北強硬派の勢力を潰す事は十分に可能なのだ。
 彼が所属する宗教団体の上層部からも事態の打開を図るように強い要望が毎日のように寄せられているのだ。これ以上、この対北圧力を続けさせるような状況を許すわけにもいかない。そうなってしまえば今以上に厳しい在日朝鮮人や在日韓国人への圧力が図られることは明らかだった。その宗教団体は特に在日朝鮮人や朝鮮総連との繋がりが強いと噂され、一部の保守派からも強い疑念の視線を向けられている。(http://medialiteracy.blog76.fc2.com/blog-entry-581.html
 終戦直後ならいざ知らず、今はもう既に在日の世代も3世、4世になり始め、60年以上も生活している日本こそが彼らの居住地であるはずだ。それを政治的な判断で追放することなど許されない。今の世代はもう、韓国語も朝鮮語も本国の人々ほど上手くは喋れない上に、半島に帰れば新たな差別を生み出すことになる。北朝鮮に帰ることは論外であるが、韓国に帰っても言葉が満足に話せない上に親族との繋がりも無い在日はまず、まともな生活ができるはずが無い。
 そんなことが判っているにもかかわらず、今更彼らを韓国に追放などさせられない。
 そう考えて柴田はまず、手始めに数人の自民党代議士に連絡を取ろうとして携帯電話を手にした。
 忙しいのだろう、と考えて伝言サービスにメッセージを残す。国会が開会中の代議士が忙しいのは当たり前のことだ。
 柴田は少し考えて、別の番号に電話を掛ける。
 数回のコール音のあと、相手が電話に応答した。
 
 朴安仁は突然鳴り響いた電話を取り上げ、落ち着いた声で応えた。
「はい、白頭山貿易でございます」
「私だ。金明順キム・ミョンジュンだ」
 もちろん、朴はその男の名前と声を知っていた。金明順は朝鮮総連の上層部の幹部の一人であり、北朝鮮本国に帰れば労働党の国会議員の一人なのだ。
 朴はまだ眞がこの世界にいたとき、眞と関わりを持ち、そして眞とプロメテウスに北朝鮮からの指令や朝鮮総連などの北朝鮮関連団体の内情を伝えるスパイとなっていた。ある意味では裏切りである。
 だが、眞の友人の一人を拉致しようとして逆に眞と伊達に返り討ちにあった彼等北朝鮮の潜入工作部隊は命と家族を助けてもらう見返りに北朝鮮に対抗する彼らプロメテウスに協力するようになっていた。もちろん、彼らの家族は既に平壌から極秘裏に脱出させられ、そしてプロメテウスの保護下に置かれている。北朝鮮にいるのは彼らに模して作られたホムンクルスでしかない。
 いざとなった場合、これらのホムンクルスはその偽装を解いて内部からの撹乱活動を行えるようになっている。
 その彼らの実態はまだ、金には気づかれていない。
 それもそのはずだ。まさか個人レベルならともかく、部隊が丸ごと本国を裏切って日本に協力をしているなどと考えられないだろう。
 この白頭山貿易は元々は北朝鮮本国が朝鮮総連を通じて、彼ら特殊部隊員の受け皿企業として日本側に設立した企業である。その交易拠点の一つを支配下に置いたことでプロメテウス側は思いがけない貴重な情報源と工作拠点を手に入れたことになったのだ。
「これは金先生。ご無沙汰しております。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「どうにもこうにも、あの日本政府が共和国による日本人拉致を理由に強烈な反共和国政策を始めたものだからな。送らなければならない資金や物資が送れなくて困っているのだよ」
 あの忌々しい自民党の保守派が息を吹き返してしまった、と金明順は嘆いていた。
 せっかく慎重に事を進めて、日本保守派の活動を右翼軍国主義として封じ込めに成功しつつあったのに、あろう事か本国が日本人を拉致していた、と白状してしまっては全てが台無しになってしまったではないか。
 しかもインターネットの発達で進歩派の意見や情報が悉く論破され、その矛盾点を暴かれるようになってしまった今、もうこの状況を覆すのは極めて困難だ。
 その上、共和国本国も深刻な資金難、物資不足で非常に困難な事態に直面している。
 南朝鮮に対して行った工作で親北派が世論の大部分を占めるようになり、辛うじて資金や物資が流れてくるようになったものの、やはり国力の規模が根本的に異なる日本からの物資や資金に比べて明らかに見劣りがするのは仕方が無い。
 ましてや日本政府は禁固刑や7年以上の懲役刑を受けた在日北朝鮮人や在日韓国人を次々に国外追放し始めている。
 そうしたことが在日社会に対して非常に強力な圧迫となって、今までのような大っぴらな経済活動を行えなくなり始めていたのだ。その結果、特に中小企業を経営している在日朝鮮人や在日韓国人の社会は生活が苦しくなり始めた同胞が加速度的に増え始めていたのである。
 このような弾圧行為はすぐにでも止めさせなければならない、と金は電話口で熱く訴えていた。
 安は熱心に、そして神妙に聞き、相槌を打ちながらも心の中では白けかえっていた。
 プロメテウスに提供された資料だけでなく、自分たちでも様々な資料を読み、そして国会図書館や大学の資料なども読み漁った結果、自分がこれまで忠誠を誓ってきた共和国の出鱈目さに呆れ、そしてそんな嘘に騙されてきた自分に怒りを抑え切れなかったのだ。
 今では地獄のような苦しみの中で生活をしている同胞たちを救うため、共和国の労働党政権を打倒して真の民衆のための国家を建国するために戦うことを彼自身、心に刻み込んでいた。
 この電話口で話す豚野郎も、本国で草の根を齧りながら飢えを凌いでいる民衆を傍目に自分は本国で宮殿のような労働党本部や幹部に支給される住宅に住んで、豪華な食事を悠々と満喫している。しかも日本でも韓国パブのホステスを侍らせながら高価な酒をたらふく飲んで、食べきれないような豪勢な食事を楽しんでいるのだ。
 もし、共和国を打倒して過ちを清算した後、日本と正式に国交を結ぶことができたなら、北朝鮮は世界に誇ることができるほどの豊かな国になれるだろう。かつて、マレーシアのマハティール元首相が1992年10月14日香港にて開かれた欧州・東アジア経済フォーラムで「もし日本なかりせば」という演説をしたことがある。
 (http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog198.html)(原文:THE EUROPE/EAST ASIA ECONOMIC FORUM EAST ASIAN REGION: TOWARDS A PROSPEROUS FUTURE
 一国の首相をして「もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。」とまで言わしめるほどの存在が日本なのである。
 それほどまでに日本は経済的に強い力を持っている。世界のGDPの13.6%(2004年)を占めるほどの経済力は数字以上の意味を持つのだ。
 まったくマスコミが報道しなかったマハティール元首相の演説も、その後、欧米諸国が露骨なマハティール外しを行ったことから逆にその真実性を明らかにしている。
 朴は自分達が工作を行ってきたとはいえ、その日本のマスコミが日本人自身から自信を感じなくさせ、国家への帰属意識を薄れさせるように偏向して報道させるような実体に胸を痛めていた。そして、そうした偏向した情報を垂れ流しにしていながら、眞や彼の仲間たちのような日本に強い愛着を失っていない若者たちが多いことに驚きを覚えてもいたのだ。
 そのマスコミの左派偏向を矯正するために行ったプロメテウスの作戦は余りも強烈で、そして容赦が無かった。
 膨大な資本を持つプロメテウスは、まず、アメリカに複数のファンドを設立して準備を整えていた。
 また、幾つかの左派偏向の強いメディアを選び抜き、そしてそれらの株を持つ企業の株式を密かに、そして貪欲に買っていったのだ。当然とはいえそうした企業や金融機関などは自らが株主となっているメディア企業への配慮からか、株式の売却に難色を示していた。
 しかし、複数の企業や個人に窓口を分散した巧みな戦略に数社が売却に応じ、そしてついにあるメディア企業にTOBを仕掛けた大手ITベンチャーからも、その株式を保有している関連投資会社を買収する、という条件で20%を超える株を手に入れていた。
 その後の騒動は日本のメディア史、そして経済史に残るほどの大混乱だった。
「私共グローバル・ファイナンス・リサーチは本日、東京放送に対してTOBを行うことを宣言します」
 まだ若者の面影を残したままの青年実業家が既に株式を5%購入して保有していること、そしてその株を保有している会社がカリフォルニアにある会社であり、放送法の規定により20%を超える株式を取得したことでこのままではこの放送局は放送免許停止になること、などを宣言していた。
 当然の事とはいえ放送局側は猛反発し、その購入した株式の名義書換を拒否する、としたのだが、既に株式として名簿登録されている企業を直接買収して吸収する、という手法でこの名簿への変更を回避し、その割合以下の株式だけを米国のファンドに持たせる、という方法で巧みにその制限を回避して全ての株式の所有を議決権を有効にしたまま行ったのだ。
 株主名簿への登録は株主の氏名、住所、保有株式数、取得年月日等を届け出るだけのため、その企業自体が存在したまま国籍の違う企業に買収された場合、放送局側はその名簿への登録を拒否できない。
 そのため外国人などが保有する株式の議決権比率が20%以上になると,電波法の規定によって免許が取り消されるという規定に抵触し、この放送局は放送免許が取り消される、という前代未聞の事態に陥ってしまったのだ。
 もちろん、そうした前例の無い事態に放送事業を管轄する総務省は大混乱を起こしていた。
「なんとかして放送免許取り消しを回避できないのか!?」「免許取り消しなどということになったらどれほどの混乱があるか、判っているのか!」
 官僚たちの怒声が嵐のように響きまわる中、買収を仕掛けた青年実業家は平然とその混乱を眺めている。
 さっさと規定に従って免停にしてしまえば良い、などとはおくびにも出さず不思議な微笑を浮かべて目の前に座っている禿頭を見返す。隣で座っている放送局の会長以下、社長、専務、常務らの役員は怒りに震えながらこの不遜な真似をしでかした若造を睨みつけていた。
「何が目的なのだ?」
 総務省の局長が青年に向かって尋ねる。いや、尋ねるというよりは詰問する、といった方がぴったりくる口調だった。
 その質問に長髪の青年は堂々と応えた。
「もちろん、放送局の買収です。インターネットの時代には今までのコンテンツをただ放送するだけではなく、顧客との対話性を最大限に生かした一歩先のメディアを創造する必要があります。そのためには破壊的な方法で一度、既存の概念を突き崩したあとでなければ我々のような新しい試みは必ず抵抗勢力にぶつかります。既にアメリカも欧州も、いや、アジア諸国もこうした新しいメディアの創造に取り掛かっています。このままでは日本だけが取り遅れてしまいかねません。私はそれを危惧しているのです」
 もちろん、その模範生的な答えは彼の、そして彼の背後にいる組織の真の目的を巧みに隠している。
 その答えを聞きながら、放送局の重鎮たちは苦々しい感情を必死に押し殺していた。
「我々とて努力をしている!」
 堪えきれず、叫ぶように言葉を発した常務を横に座る専務が押し留めようと顔を真っ赤にさせながら必死の形相で押さえ込もうとする。こんなところで感情を爆発させて印象を悪くしたら最悪の事態を招きかねない。
「た、大変失礼をいたしました・・・」
 何とか常務の感情を押し留めることに成功した専務が深々と頭を下げて総務省局長に詫びた。
 バーコードの頭が震えているのはキャリア官僚の機嫌を害したかもしれない、という恐怖からだろうか、それとも感情を抑えきれずに醜態を晒した常務への苛立ちからか、はたまたこの事態を引き起こして自分に惨めに頭を下げさせている目の前の若造に対しての怒りなのか。
 いずれにしてもこの初老の男の髪はここ数日の大騒動で確実に三割は減っただろう。
 この騒動が治まるまでに髪が残っているかどうか疑わしいものだ、と青年はとぼけた事を考えていた。
「まあ今回の事態に対して、総務省としては残念ながら法律に明記されている通りの対応をせざるを得ません。しかし、その影響の大きさを考えると、このまますぐに放送免許停止、というのも難しいのが現実です。ですので、両者には双方にとって不利益の起こらない解決を図っていただきたいと考えています」
 局長の答えは、暗に放送局側に妥協を迫るものだった。
 仮に和解をした場合でも、青年側には大量の株が手元に残る。既に20%を超える議決権を手にしている以上その発言力は無視できなくなる。青年の側には放送局側に妥協する理由が無い。このまま突っ撥ね通せば自動的に放送局側は免許を失い、結果として会社は倒産して株券は紙くずになる。そのような事態を招くぐらいなら株主達は喜んで青年に株を売り渡すだろう。
 既にこの放送免許取り消しの危機がその放送局の株の暴落を招いて、東証では今日で既に三日連続のストップ安を記録している。
 この株価の急落で、既にこの放送局の株主達からは株を手放す準備がある、との通達が放送局側にも突きつけられていた。
 不意に専務のポケットから携帯電話の鳴る音が響いた。
「し、失礼します・・・」
 電話の相手を確かめた専務は冷や汗をかきながら局長に一言侘び、電話に応えた。
「もしもし、井川ですが・・・はい・・・はい・・・そこを何とか・・・い、いえ、承知しておりますが・・・は、はい・・・かしこまりました・・・」
 しどろもどろで応える専務の声が徐々に細くなっていき、そして力無く項垂れた。
「井川君・・・今の電話は、一体・・・」
 不安を隠せない声で社長の早坂が項垂れたままの専務に言葉を促す。
 会長も緊張を隠せないまま身動ぎ一つせずに耳だけを澄ませていた。
「しゃ、社長・・・み、三井ファイナンシャルの小暮頭取から、三井が持つ我が社の株に対して、グローバルからのTOBに応じる、との事です・・・」
「な、何・・・だと・・・み、三井が・・・」
 早坂の顔が真っ赤に染まり、そして次の瞬間に一瞬にして青白く変わっていった。
 三井ファイナンシャルの持つ株は全体の4.6%にも達する。既に外国人株主の保有する株式が大量に買収されていることを考えると、この4.6%の意味は途轍もなく大きなものとなるだろう。
 有力な安定株主の三井ファイナンシャルがこのTOBに応じたことで他の安定株主を動揺させることは回避できそうになかった。
 このまま目の前の青年が外国人として株を保有し続けた場合、自動的に放送免許が取り消しになってしまう以上、安定株主と言っていられないだろう。株主も事業であり投資家である以上、自らの利益や株主への責任がある。
 放送免許が取り消しとなって株券がただの紙くずになった場合、無理をして保有し続けていたとしたならば後に背任の疑いで株主代表訴訟の対象となってしまう。
 その三井ファイナンシャルの電話が引き金となったかのように、井川の電話が鳴り響き始めていた。
「た、頼む!、この通りだ、幾らでも金は出す、我が社の株を買い戻させてくれぇっっっ!!!」
 早坂は突如、床に這いつくばって土下座をし、青年に頼み込む。
 かつて、日本の支配者はテレビ局であり、そのテレビ局の支配者となった自分こそが日本の支配者なのだ、と語った男の面影は微塵もなかった。涙と鼻汁で顔をべとべとに汚した男は自分が人生を通じて初めて経験するであろう挫折を目の前にして恐怖に打ち震えていたのである。
 恐らくこの青年は躊躇無く旧経営陣を切り捨てるだろう。その放逐される人間の中に自分が含まれていることは間違いなかった。
「早坂さん、貴方は今までも色々な人を切捨て、使い潰して今まで来たはずです。今、裁きを受けるのもまたその報いだとは考えませんか?」
 青年は涼やかに、そして哀れむように言葉を返す。
「以前に弁護士一家が狂ったカルト教団に殺害された事件がありましたね。インタビューのビデオをあの狂信者の集団に見せて、しかもその事を否認して揉み消そうとした。もし、あのときジャーナリストとして守秘義務を護る、などの倫理を護っていれば地下鉄サリン事件は起きなかったかもしれない。もし、地下鉄サリン事件を防ぐことができていれば、私の妹は死なずに済んだのですよ・・・」
 淡々と語る口調に、逆に早坂は身も凍るほどの恐怖を味わっていた。
 肉親を殺されたものが復讐の為に動くのであれば、幾ら懇願しても意味は無いだろう。
 がっくりと力を無くして肩を落とした早坂や井川、その他の放送局の面々に向かって、青年は静かに語りかける。
「私は復讐のつもりでTOBを仕掛けた訳ではありませんよ。そんなことに労力を使っても意味は無い。しかし、間違った方法で偏向した情報を垂れ流すことだけは許せない。幸いにも今はインターネットが当たり前のように使われる時代です。当然のことですがメディアが間違った報道をすれば厳しい指摘が為される。そんな時代にふさわしい、真のメディアとして私はこの放送局を生き返らせるのです・・・」
 そしてその瞬間、局長の秘書が現れた。
「局長、これを・・・」
 手渡された小さなメモを見て、局長は小さく頷いた。
 青年は全てを知っているかの如く、かるく会釈を返す。
 そのメモにはこう書かれていた。
『グローバル・ファイナンシャル・グループ、件の株式の89%を取得完了』
 
 
 

~ 4 ~

 
 参照
 http://ja.wikipedia.org/wiki/坂本堤弁護士一家殺害事件
 
 
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