~ 4 ~

 ぎしり、と闇が軋むような音が響く。
 凄まじい気が辺りに満ち始めていた。何か、強大な力を持つ存在が転移してこようとしているのだ。
「な、何なんだ、これは・・・」
 弘樹が驚愕したような声を出す。
 イギュイームなどとは比較にならないほどの重圧だった。気温が急速に低下しているらしい。瞬く間に壁が、床が霜づき始めている。空間に満ちたエネルギーが吸収されているようだった。
「・・・気をつけろ、何かとんでもないものが来るぞ」
 自分で言いながら、弘樹は心の中で、一体何に気をつけるんだ、と自分で毒づいていた。
 アキラを抱えているイギュイームに視線を走らせた。
 奴らは一体、何を狙っている?
 不思議なことにイギュイームはアキラを殺さずに、生かしたまま何処かに連れ去ろうとしているのだ。
 そもそも、あれだけ大量のイギュイームが集団で襲い掛かってきたのも不可解だった。確実にあのイギュイームたちは消耗しただろう。
 流石のプロメテウスも、これほど大量のイギュイームを相手にしては厳しい。シーマンもシャドウも数体のイギュイームを、二ケアに至っては十数体ものイギュイームを相手にして互角に戦っているのだ。
 だが幾ら超人的な能力を持っているとはいえ、彼らも生身の人間である。永遠に戦い続けることなどできはしない。
 その均衡が崩れる瞬間があることを弘樹は知っていた。
 イギュイームの群れの中心に不気味な空間の歪みがはっきりと見える。
 不意に異形の魔物の群れが動きを止めた瞬間、その歪んだ空間が、バキン、と音を立てたかのように砕けて弾けた。粉々に砕けたガラスに映し出された風景が舞い落ちるように、空間の欠片が弾け飛んで、そして消失していく。
 虚空に罅割れて開いた隙間から、異様な光景がのぞき見えた。
 その空間の亀裂から一人の男が姿を現す。
 美しく整った顔、すらりと高い背に全身に黒い黒曜石のような艶やかな素材の鎧を身に纏っていた。その鎧は西洋の物とも東洋の物とも違う不思議なデザインをしている。
 その男はプロメテウス達を見ることもなく、アキラの顔を覗き込んだ。
 そして満足げに何度か頷く。
 次の瞬間、再びイギュイームの恐るべき攻撃が再開された。
 
 水蓮はその手に“光の剣”を持ち、全身に纏った黄金のオーラを輝かせながら、まさに戦いの女神のように襲い掛かるイギュイームの攻撃を華麗にかわしながら的確な攻撃を叩きつけていく。そして、武斗は全身に影の鎧を纏い、手にした黒い大剣を稲妻のように振るいながら黒い夜魔を断ち切り続けていた。
 プロメテウス達はその超人的な能力を振るいながら、圧倒的な夜魔の攻撃を凌ぎ続けている。
 無数のイギュイームとの死闘は、永遠に続くかと思われた。だが、弘樹や水蓮たちプロメテウスは徐々に消耗し、限界が近づいていることはあきらかだった。陸上自衛隊の特殊部隊も、円陣を組んで防戦一方に追い込まれている。魔法兵装の魔力が尽きたとき、彼らの命は無いだろう。
 数百体ものイギュイームの中心にいる男は、冷たい微笑を浮かべながら人間達の必死の戦いを見下ろしていた。男の右隣にはアキラを抱えたイギュイームが控えて、戦いの行方には感心無さげにアキラを見つめている。
 まるで、何かが起こるのを待っているかのように・・・・・・
 そして、再び異様な魔力が高まっていくことに弘樹は気が付いた。
「気をつけろ、また何か来るぞ!」
 その言葉に思わず武斗は怒鳴り返していた。
「これ以上、どうやって気をつけろってんだよっ!」
 その怒鳴り声に弘樹は、「そりゃそうだ」と心の中で相槌を打つ。もうこの状況だけでもどうしようもないのだ。その上で更なる新手など、もう彼らの限界を超えている。
 いや、今でさえ彼らは奇跡とも言える奮闘をして絶望的な戦力の差に対応しているのだ。
 そして、その異様な力が極限に達したその瞬間、みしり、と魂を揺さぶるような不気味な揺らぎが辺りに響き渡る。
 彼らの目に信じがたい光景が広がっていた。
 空間が、まるでガラスが割れて砕けていくかのようにひび割れ、亀裂が走って行く。その向こう側に、金色に輝く途轍もなく巨大な目が覗いていた。
 イギュイームの中心にいた男が恭しく礼をする。
・・・・・・聖夜魔王陛下、ここに目的のものを捕らえております
 そう言って、男はちらり、とアキラに視線を走らせた。
 その男の言葉は驚いたことに下位古代語であったため、プロメテウス達には理解できる。彼らの目的、とは何なのだろうか?
 だが、その疑問に対する答えは永遠に得られそうに無かった。
 もう彼らには目の前で起こっている事を止める力など残っていない。いや、この場にイギュイームがいなかったとしても、黒衣の男には絶対に勝てない。それほどの力の差が感じられるのだ。
 何とかして、特殊部隊の隊員たちだけでも脱出させたかった。彼らにはこの戦いで死なせる理由など無い。
 不意に特殊部隊の栗原隊長と目が合った。
「すみません・・・・・・」
 思わず弘樹は詫びの言葉を口にしてしまう。栗原は優しく見つめ返して、答えた。
「気にするな。この目の前の敵は我が国への侵略者だ」
 その言葉に弘樹は、死を覚悟した男の想いを感じていた。自分の生まれ育った国を、故郷を、そして人々を護るための鋼の意思。
 だが、その人間の想いを無視するように、異形の者達はアキラを何処かへと連れ去るため、空間の亀裂を広げていた。
「・・・・・・人間達よ、驚いたぞ。我等に対して、これほどの抵抗をできるとは、我も想像しておらなかった。褒めて遣わす」
 突然、黒衣の男が振り返って、弘樹達に語りかけた。
 涼しげな微笑みを浮かべて、男が右手を掲げる。その手の中に灼熱の炎が生まれ、煌々と燃え上がり始めた。
「褒美として、我が自らお前たちを滅ぼしてやろう。誇りに思うが良い。我が自ら力を振るい、敵を滅ぼすのはもう四千年以来の事なのだ・・・・・・」
「・・・・・・ありがたい言葉だな」
 晃一が憮然として呟く。
 だが、その男の右手に輝く炎の秘める恐るべき力は認めざるを得ない。シーマンたる彼の全力の水の結界ですら、その破壊力の前には無力に等しいだろう。
 それほどの力を、黒衣の男は発していた。
 そして・・・・・・
「受け取るが良い!」
 そう高らかに宣言し、男は右手を軽やかに振るった。
 スローモーションのように手から離れた火球は、瞬く間に巨大な炎の渦となって弘樹達に襲い掛かる。
 弘樹は全力で魔力を高め、その炎に耐えようとした。一瞬だけ、死なずに魔炎に耐えることが出来れば、力を振るったあとの男に反撃を仕掛けることが出来るはずだ。
 そのための呪文を心の中でイメージし、魔力を練っていく。
 水蓮は心の中で絶叫していた。
(眞さん、御免なさい! わたし、貴方の力になれないままだった・・・・・・)
 ふと、顔が傷つかないで死ねたらいいな、と愚にも付かない事が心に浮かぶ。
 武斗も晃一も、死と引き換えに己の全力の一撃を見舞うべく、その全ての魔力を振り絞っていた。
 その瞬間だった。
『みんな、良く頑張ったな! 後は俺に任せろ!』
 突然、美しく澄んだ声が響き渡った。
 桁違いに強い魔力が瞬時にして広がり、空間が砕けるようにして時空の亀裂が広がる。だが、その向こう側は夜魔の闇ではなく、黄金の輝きが広がっていた。そして、まるで津波のように金色の輝きが爆発的に溢れだす。
 それはまさに光の洪水だった。
 黄金の輝きが魔炎を飲み込み、一瞬にしてその真紅の輝きを消し去る。
グアアアアッッッッ!!!!!
 黄金の洪水は男の炎を消し去っただけではなく、その不気味に開いていた空間の亀裂をも直撃していた。そして、その不気味な巨大な目に突き刺さる。
 一瞬の出来事に、その黒衣の男も、巨大な目もなす術も無く、光の洪水に翻弄されていた。
 黄金の光が薄れたとき、一人の少年がその光に満ちた空間の亀裂から姿を現す。
 その光の奔流よりも美しく輝く黄金の髪。深い蒼と紫の瞳。右手には美しい刃紋をした日本刀と左手には奇妙に捩くれた古木の杖を持っている。
 誰よりも整った顔には、優しげな微笑みが浮かんでいた。
「ま・・・どか・・・さん?」
 水蓮は呆然と呟いて、金色の光を身に纏った少年の姿を見つめる。
 それは、紛れも無く眞だった。
 だが、一体どうやって・・・
 その水蓮達の疑問を打ち消すかのように、黒衣の男は憎悪に満ちた目でイギュイームに命じる。
・・・・・・その男を殺せ!
 黒衣の男の命令が終わるよりも早く、異形の魔物は動き始めていた。
「だめ! 眞さん!」
 水蓮の悲鳴が響き渡った。
 数十体ものイギュイームが一斉に眞に襲い掛かっていく。
 眞は平然と剣を構え、そして無造作に一閃させた。
「<裂衝撃破インパルス>ッ!」
 その瞬間、信じがたい魔力が剣の軌跡にそって広がり、爆発的に膨れ上がった。魔法騎士のみが使える特殊な攻撃呪文である。それを眞は拡大して解き放っていた。
 純白の光になって見えるほどの凄まじい魔力が巨大な衝撃波となって襲い掛かろうとしていたイギュイームを直撃する。十体以上ものイギュイームが、その一撃に耐え切れずに紙風船のように潰れて弾け飛んだ。
 残りのイギュイームも、津波のような衝撃波に抗いきれず、壊れた玩具のように吹き飛ばされていた。
「す、凄い!」
 弘樹は思わず驚嘆の声を漏らしてしまう。
 彼らプロメテウスでさえ、一体一体、潰していく以外に方法が無いこの異形の魔物を、眞はまるで虫を薙ぎ払うかのように一掃してしまったのだ。
 流石に残りのイギュイームの動きが止まる。
「・・・・・・お、おのれ!」
 黒衣の男が怒りに満ちた声を上げる。そして、その怒りに応えるようにイギュイームが再び襲い掛かろうとした。今度は一斉に飛び掛るのではなく、波状攻撃を仕掛けるようにタイミングをずらして飛び掛って行った。
 水蓮が息を呑む。流石に、この波状攻撃は一撃では迎撃できない。
 だが、眞は不敵に笑うと、左手を上げ、そして大きく振るった。
「アーマ・フレーム、展開!」
 そして、その瞬間、数百体の物体が光の空間の亀裂から飛び出してくる。それは、大型の犬ほどの大きさをしたロボットのような姿だった。地上に降りると、そのロボットは器用に立ち上がり、小さな人型の姿に変形する。そして、それ以外にも鳥のような姿をしたロボットや、背中に翼を生やした人型のもの、体高が3メートルはあろうかという中世の騎士の甲冑のようなもの、様々なロボットが眞を取り囲むように現れた。
 白い光を残しながら、素晴らしい速さで宙を飛び、鳥型や人型の姿をしたロボットがイギュイームに襲い掛かる。小型の人型のロボットは、プロメテウスや自衛隊の特殊部隊を護るように隊列を組み、薄青い光の結界を張り巡らせた。
 小型のロボットは頭部と思われる部分の額に装着されているクリスタルをイギュイームに向けて、一斉に光弾を発射し始める。そして、巨大な甲冑のような機体は頭部のヘルメットに当たる部分の隙間から凄まじい威力の炎を吐き始めた。
 イギュイームたちも黒い障壁を張って何とかそれらの攻撃を防ごうとするが、数十発もの光の弾丸を一斉に浴びせかけられ、なす術も無く撃破されていった。
 イギュイームの最大の武器である気力を吸い取る能力は、もともと精神を持たないロボット兵器には一切意味が無い。そして、冷気を吹き付けても甲冑騎兵の放つ圧倒的な炎の力の前に瞬く間に掻き消されていく。鳥型のロボットが強力な電撃を次々に浴びせかけ、翼を持つロボットは光の剣でイギュイームを葬って行った。
 もはや一方的な殺戮の場と化していた。
 僅か数刻の後にはイギュイームはアキラを抱えたものだけを残して全滅していた。
「さて、その男を返してもらおうか」
 眞はいつの間にか黒衣の男の前に立っていた。空間に走った闇の亀裂はいつの間にか消えていた。おそらく、眞の放った光の一撃でダメージを負って退却したのだろう。
 水蓮は不意に、初めて眞に出会ったときの事を思い出していた。
 あの時も、この魔法戦士は数十人の武装工作員をものともせずに一方的に打ち倒していた。そして、今また、強大な敵を目の前にしてなお、揺るがない強さを見せ付けている。
 どれほど強いのだろう。そして、どれほど強くなっていくのだろう。
 自分達が全力で戦って、何とか勝てるほどの強敵を、僅か一撃で数十も撃退する力、そして強力なロボット兵器軍を自在に操り、数百もの異形の魔物を瞬く間に滅ぼしてしまった。
 その少年は、恐るべき力を秘めているであろう魔物と対峙していた。
「・・・・・・なるほど、中々の強さのようだ」
 少し感心したように黒衣の男が呟く。そして、向き直って口を開いた。
「名を聞いておこう」
 眞は不敵に笑って答えを返す。
「名を聞く気なら、お前から名乗れ。礼儀を知らない奴だ」
 その返事を聞いて、水蓮は卒倒しそうになる。
 あの魔物に対してとんでもない言い方だ。あの魔物は、それこそ本気になればここにいる全員を一瞬で滅ぼせるだろう。いや、下手をすると東京を根こそぎ瓦礫の街にできるだけの力を持っているかもしれない。
「ふふ、面白い。よかろう、イギュイームを滅ぼしたその強さに免じて、今はその無礼な口を聞いた事を忘れよう。我が名はアザレウス、妖魔将の一つ、魔炎の将である。汝は?」
「俺は日本国皇家の血筋にしてファールヴァルト王国の鋼の将軍、緒方眞だ」
 二人の男は不敵な笑みを浮かべて、名乗りあった。
 一瞬、時が止まったかのように静まり返る。
 そして、次の瞬間、両者の姿が消えた。いや、消えたのではなく、凄まじい速さで踏み込み、一撃を放ちあったのだ。加速の力を持つプロメテウスでさえ、いや、その中で最強の実力を誇る水蓮でさえ、二人の影さえも見えなかった。
 青白い閃光が輝き、再び二人の姿が現れた。
「・・・・・・なんと、今の我の一撃をかわすか!」
 アザレウスが心底、驚嘆したように呟く。
 眞もまた、驚いたような表情で言葉を返した。
「俺も驚いたよ。今ので捉え切れなかったのはお前が二人と一匹目だ」
「何!?」
 眞の言葉に、黒衣の妖将は驚いたような声を出す。そして、思い出したように胸に手をやった。
 その左手の指の間から赤黒い血が滴り落ちる。
「ば、馬鹿な・・・・・・」
 アザレウスの言葉にあわせたように、最後のイギュイームがゆっくりと倒れた。その肉体には首が無く、イギュイーム自身の足元に黒い物体が転がっていた。眞の修めた古流・鞍馬真陰流の秘剣である『飛太刀の飯綱』が、まさに神速の一撃として放たれたのだ。
「お前も纏めてぶった切ってやろうと思ったんだが、そうは上手くはいかないな、やっぱり」
 眞の涼しい声に、黒衣の妖将は怒りと恥辱の表情を浮かべる。
「お、おのれ・・・!」
 その身体から凄まじい魔力を放ち始めた。もはや、プロメテウスのメンバーさえ、何が起こっているのか把握できていなかった。ただ、目の前の妖魔将の力が、自分達が想像していたものを遥に凌駕するものだったことだけは理解していた。
 だが、眞はその魔力を目の当たりにしながらも、まだ涼しい表情でアザレウスを見つめ返している。
 そして、アザレウスが怒りの形相で眞に向かって一歩踏み出そうとしたとき・・・・・・
待て、アザレウスよ・・・この場は引くが良い・・・
 くぐもるような不気味な声が響き渡った。
 その声に、弾けるようにアザレウスは顔を上げ、宙を見上げた。
「し、しかし・・・・・・」
 悔しげに呟くアザレウスに、中空から響く声がどこか優しげな声音で続ける。
アザレウス・・・今はその戦士と戦うときではない・・・其処な戦士・・・いずれ汝と見えよう・・・この戦い・・・我が預かる・・・
 優しげな声音ではあったが、響きの裏に凄まじい威圧感を帯びていた。
 眞はその声に涼しげな笑みを浮かべて言葉を返す。
「賢明だな。ここで俺の仲間の一人でも命を落としていたら、お前達の棲むそのふざけた城もろとも消し飛ばしてやるところだったぜ」
 その眞の言葉にアザレウスが目を見開いて眞を見た。
「・・・貴様は・・・」
「だがな、俺の仲間を苦しめた、特に俺の女を傷つけようとした報いは受けてもらう。てめぇ、まともな死に方ができると思うなよ・・・」
 アザレウスの言葉を遮り、眞は言葉を叩きつける。
 眞の目に一瞬、怒りの光が浮かび上がった。
 その瞬間、途轍もない怒気と鬼神の如き剣気が眞の体から流れ出るように溢れる。
「さっさと退きやがれっ!!」
 怒りの言葉と共に眞の愛刀、紫雲が閃光のように振るわれた。黄金の輝きが爆発的に広がり、光の洪水が再び巻き起こる。
 黄金の光の嵐が吹き荒れ、そしてそれが消えうせたとき、異形の影と魔将の姿は既になかった。
 辺りを満たしていた凄まじい妖気も完全に消え、まるで何も無かったかのような静けさを取り戻していた。眞が召還した数百機ものアーマ・フレームは戦闘態勢を解除して、展開していた魔法兵装を収納し始めている。
 青白く輝く障壁が空中に溶ける様に消え、魔法弾を放つために様々な色に輝いていた魔晶石やその他の魔法兵器もその輝きを鎮めて、淡い青色の光を放つだけになっていた。
 眞は手にしていた紫雲を鞘に収めて、水蓮たちを振り返る。
「皆、よく頑張ったね・・・」
 透き通るような笑顔で眞は付かれきって座り込んでいるプロメテウスと特殊部隊員たちに声をかけた。その微笑みと声は、つい一瞬前、あの凄まじい力を見せ付けた妖将アザレウスを見事に撃退した戦士のものとはとても信じられない。
「眞さん・・・ほんとうに、眞さんなの・・・?」
 水蓮は溢れ出そうになる感情を必死に抑えて、眞に声をかける。
「ああ。本当に俺だよ。ただ、この身体は古代語魔法で作り出した仮初めの身体だけどね」
「え・・・?」
 眞の応えに水蓮は戸惑ったように眞を見つめ返す。どう見ても、目の前に立つ眞は本物だ。
「よく怪談や魔法使いの伝説なんかにあるだろう。自分の分身を見たとか、ある人物が時空を超えて複数の場所に現れた、とか。俺が見つけ出した古代語魔法の奥義の一つに、自らの分身を生み出す呪文がある。それを使ったんだ」
 眞はプロメテウスのメンバーにその呪文の効果を説明した。
 その古代語魔法、<分身創造ダブル・フォーム>という呪文は唱えた術者の分身を作り出す、という呪文である。その生み出された分身は完全に独立して動くことができる。人格はその元になった術者と完全に同じであり、そして意識はオリジナルの術者と分身の間で繋がっているため、知識や記憶、そして分身とオリジナルの間で見聞きした情報や感覚まで共有することが可能になるのだ。
 分身の肉体は、実際には極めて精巧に作られた触感を持った幻影のような仮初めの肉体であり、物質的に本物の肉体では無い。だが、物質界では本物の肉体と同じように活動し、そして魔法すら使うことが可能なのだ。
 尤も、魔法を使ったり肉体にダメージを受けた場合でも、その本体も同じように消耗するため、複数の分身を作り出しても無制限に魔法の使用量が増えるわけではない。そして、その分身は24時間だけ存在し、その持続時間が過ぎれば自動的に消滅する。
 いわゆる魔神ではない“ドッペルゲンガー”の話は世界中に存在する。ゲーテやリンカーン、芥川龍之介も自分の分身を見た、という記述を残しているほどだ。
 眞の発見した呪文は、極めて高度な統合魔術の呪文であり、この奇怪な現象を古代語魔法の力で生み出す呪文なのだ。おそらく眞以外には知るものがいないであろう。
 その説明を受けて、水蓮はそっと眞の腕に触れる。
 鋼のような硬さと同時にしなやかな弾力と暖かさが感じられた。彼女の知っている眞の肉体そのものだ。いや、以前よりも逞しくなったような気がする。とても幻影による仮初めの肉体だとは思えなかった。
「嘘よ・・・だって、こんなにはっきり存在してるのに・・・」
 泣きそうな声で水蓮は呟く。
 やっと再開できたのに、24時間後には眞は再び消えてしまうのだ・・・
「心配ないよ。水蓮にはこれをあげる」
 そう言って、眞は小さな箱を差し出した。
「え?」
 驚いた声を出して、水蓮はその小箱を受け取る。眞はにっこりと微笑んで、弘樹達の方を向いた。
「弘樹さん、ご苦労様です。それに、武ぼーも良くやってる。相当腕を上げたな」
「お前さんの代理は骨が折れるよ・・・まったく。だが、安心してくれ」
「俺達がこんなに苦労して、眞さんは最後の最後で美味しい役目なんてよ!」
 弘樹が久しぶりに楽しげな笑顔を見せる。普段はこれほどの組織の総代として厳しい重圧と戦い続けているのだ。そして、武斗も自分たちよりも圧倒的に強い、本当のリーダーを目の前にして、いつもの勢いを収めていた。
 もう、二年近くになるだろう。
 その間、プロメテウス達は夜魔との戦いだけでなく、現実の政治や国際的な経済競争とも戦い続けてきたのだ。そして、彼らを真に束ねるべき眞も伊達も、それぞれやむを得ない理由で彼らに直接関わることが出来なかった。仮初めの身体とはいえ、こうして再びプロメテウスの前に現れることが出来た、ということは大きな希望になる。
「栗原隊長、今の夜魔との戦い、お見事でした」
「いや、恥ずかしいところを見せてしまいました。本来ならもっと情報を集め、体制を整えてから十分な戦力を投入すべきところを、それが出来なかったのは我々の落ち度です・・・」
 眞は恐縮している壮年の隊長に、労う様な微笑みを見せる。
「あの夜魔に対しては十分な情報を得られるまで時間をかける余裕は無かったでしょう。今後は我々も更に多くの力を対夜魔用に振り向けなければなりませんね」
 アーマ・フレームも自衛隊やプロメテウスに配備されているとはいえ、表に出せない軍備であるため、それを確保するための予算には限りがある。それにロボット兵器による戦争など、人道を訴える人権屋の弁護士や極左活動家にとって格好の攻撃の対象になるだろう。
 だが、無数に湧き出してくる夜魔に対して、人的な消耗を回避できるアーマ・フレームは非常に戦略的に重要な兵器なのだ。また、夜魔の多くは人の精神力を吸い取る力を持つものが多い。この事を考えると精神を持たないロボット兵器であるアーマ・フレームは有効な対抗手段になることが期待できる。
 それは今後の検討課題になるだろう。
 今回の戦いで得られた情報や記録は、これからの夜魔との戦いやフォーセリア世界から転移してきた魔物との戦いにおいて非常に貴重なものだ。
「眞さん・・・これって!」
 驚いたような水蓮の声が響き渡った。
 彼女の手には、先ほど眞が渡した小箱があり、それを開いた水蓮が驚きの声を上げたのだ。
 右手で小さな銀色の指輪を摘みあげている。
「ああ、その指輪は魔法の指輪だよ。この今の身体と同じ俺の分身体を作り出せる魔力が付与されてるんだ。その指輪自体に俺の意識も付与してあるから、それを通じて皆ともコミュニケーションが取れる」
 指輪にしたのは、その魔力を付与した物体を中心にして30mの距離しか離れられないため、水蓮に運んでもらう必要があったためだ、と眞は付け加えた。
 水蓮は驚いて、そして頬を赤らめた。
「・・・ありがとう。本当に嬉しい・・・」
 そう言って水蓮は指輪を嵌めた。彼女の左手の薬指に。
 一般的に魔法の指輪は自動的に着用者のサイズに合わせることができる。その為、どんな指にでも、指のサイズにでも合うのだ。
「・・・す、水蓮さん・・・大胆・・・」
 涼子が驚いて呟く。
「だって、さっき眞さん、あの夜魔将に言ったわよ。『俺の女』だって。ね?」
 水蓮は人生最高の幸せを噛み締めていた。
 
「お前な~、何でまた、そうやってトラブルを引き起こすんだ?」
 亮が呆れたような声で眞に尋ねる。
 眞はじっと黙ったまま窓の外を見ていた。外は久しぶりの雨で、薄暗い中に時々、雷光が輝いている。それはこの部屋に満ちた言いようの無い緊張感を盛り上げるのに、あまり有難くない効果だった。
「ねぇ・・・あの女、確かあたし達があんたを探して東京中を駆けずり回っていたときに、あのビルにいた女でしょ?」
 悦子の声が不気味に大きく響いた。
 頭の中では、ここは自分たちが元いた世界ではなく、異世界、しかも一夫多妻制があたりまえの国にいる、という事実は理解できる。それに自分以外にも何人かの女性が眞に依存する生活をしている、のも現実だ。
 しかし、それと感情は別だ。
 基本的に男というのは複数の女性と関係を持ったり付き合ったりしても平然としている。女性は逆に、男には自分だけを見ていて欲しい、と考える傾向がある。だが、眞の状況はそれとは明確に違うのだ。
 何か言いかけようとして、悦子は思いとどまる。
 冷静に考えれば、眞と深い関係になったのはあの女性の方が先だ。客観的には悦子や葉子達が後になって眞を頼った、と言えない訳ではない。
 特に眞自身はあまり感情が豊かでは無いため、頼まれれば嫌とはいえないだろう。特に、自力で生きていくことが困難な世界では、自分の力で護れる人たちを全力で護ろうとする性格をしている。
 それが眞の優しさなのだ。
 だから、悦子は自分の感情を眞にぶつける事を止めた。
「・・・ごめん。変なこと言っちゃった・・・」
 悦子は一息、深呼吸をして眞に謝る。
「? どうして謝るの?」
 眞はきょとんとして、悦子を見つめた。
「ほんっとに、昔から『英雄色を好む』って言うけど、真実だね~」
 冗談のように明るく言う悦子に、眞は優しい眼差しを向ける。彼女の気持ちは判っていた。だから、彼は全力で戦い続けていた。
 世界を、愛する人々を、かけがえのない友達を、運命という名の残酷な芝居から護るために・・・
 
 その日、世界は新しい舞台を迎えていた。
 ついに眞が再び、直接その知識と力をこのユーミーリアで行使できるようになったのだ。それは魔法の指輪をによる分身を通じたものとはいえ、新しい時代に彼らプロメテウスの盟主がついに帰還した、ということは極めて重要な意味を持つ。
 また、眞は古代語魔法の奥義の呪文さえ唱えることができるほどの魔術師だ。その能力がプロメテウスと世界にもたらす影響は計り知れないだろう。
 他にも、元々プロメテウスは本来、古代語魔法を用いて人間社会や文明の向上を目指した組織であり、あくまでもその戦闘能力はその魔法技術の奪取を画策する敵対的な勢力や国家に対しての対抗のためであり、夜魔や魔物などに対応するためのものではなかった。魔法の力が夜魔にも有効だった、という点やフォーセリアから転移してきた怪物などに対して眞から与えられた知識を活用できた、という点が辛うじて役に立ったものの、本格的に夜魔や怪物、魔物に対応できる組織への改変が急務だった。
 そして世界中にフォーセリアから転移してきた怪物や魔物、現れ始めた夜魔や具現化し始めた伝説の怪物など、人間の存在を脅かす脅威が出現し始めていたため、人間同士の勢力争いという構図自体が崩壊し始めていたのだ。
 2002年の秋の国会で自衛隊に魔法戦力を整えた部隊を創設し、日本中に現れ始めた怪物に対応することが法案として可決された。表向きは陰陽師の修行を積んだ人材を中心に魔法的な支援を得た特殊部隊を編成する、との発表ではあったが、実際には更に強力な魔法武装を配備した強力な対妖魔特殊部隊の編成である。
 そんな中、衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。
 北京のすぐ近くにある砂漠に発生した巨大な蠍や砂走りなどの怪物を駆除するために派遣された中国人民解放軍2個連隊が消息を絶ったのである。場合によっては核の使用も辞さない、との強い意志を表明して世界各国の環境保護団体や反核団体を心配させていたのだが、何故か、ほとんど反撃も出来ないまま全滅したと見られていた。
 それから間もなく、北京からの連絡が途絶えてしまったのだ。
 もちろん、世界中から外交官やビジネスマン、留学生が集まる大国際都市の一つが消息不明の状態に陥ったという事実は、各国に大きな動揺を齎していた。
 中国政府に問い合わせをしようにもその政府がある場所が北京であるため、各国は情報収集が進まずに焦燥感だけが募っていった。これがいわゆる小国であった場合、各国政府は軍のUAV(無人航空偵察機)などを用いて偵察活動を行うところなのだが、中国は国連の安全保障理事会の常任理事国であるため、非常に繊細な問題になりうる可能性がある。
 しかし、米軍などの偵察衛星からの画像を見た各国政府はその余りの異常さに言葉を失ってしまった。
 北京があった場所がすっぽりと砂嵐に飲み込まれ、都市どころか何も上空から確認されなかったのだ。だが、それほどの黄砂が発生しているのであれば韓国や日本などにも大量の黄砂が降り注ぐはずである。しかし、その異様な砂嵐は北京だけを覆い尽くしただけで、他の地域には拡散する様子が無かったのだ。
 流石に一週間もその状態が続くと痺れを切らした各国はそれぞれ滞在する中国大使の制止を振り切って軍の偵察部隊を投入し始めていた。
 各地の中国大使もまた、自国の政府が音信普通状態になるという異常な事態に強い静止も出来ず、さらには自分達の家族の安否も知らされていなかったこともあり、国連軍が中心となって強行偵察部隊が派遣されたのである。
 その結果、彼等は北京にはもはや人が生存していることが絶望的であることを思い知らされていた。
 偵察隊の送ってきた最後の映像は、無人の都市を動き回る夥しい数の巨大生物の姿だったのだ。
 
 
 

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