~ 3 ~

 流石に狭いマンションの一部屋に閉じ込められていると退屈極まりない。
 チーマー少年たちを保護しているマンションは強力な魔法の結界で防御されているとはいえ、何時、あの不気味な魔物が襲い掛かってくるか判らないと精神的にも重圧がかかる。最悪のケースを考えると外出させるのは避けたいところではあったが、少年たちの精神面での負担を考えると何時までも狭い部屋に閉じ込めておくわけにもいかないのだ。
 そのため、紺野ともう一人、陸上自衛隊から護衛を付けて少年たちを外出させることとなった。もちろん、魔法で探知が出来るようにマーキングをし、そして紺野たちには魔法による武装を与えていた。
「しかし、こんなものを製造していてもいいのか?」
 紺野は呆れたような口調で手渡された魔法銃を眺めて呟く。この魔法銃は伊達が持つ『ハーディス』程強力なものではないのだが、それでも十分に強力な魔法戦力になるのだ。単発、セミオート、フルオートの切り替えが可能な魔法のエネルギー弾に加え、火球ファイア・ボール吹雪ブリザード、そして電撃ライトニングの呪文の効果を発射できる、という効果があり、また、スティッキング・ストリングの呪文の効果も発射できる、という優れものだ。
 この急速な環境や生態系の変化に、流石の日本政府も武器の制限を緩和せざるを得なくなっていた。また、一部でこの状況に便乗した暴動が発生したため、不法滞在の外国人を強制的に国外退去処分にせざるを得ない状況だった。この政府の対処に左翼メディアが一時、猛反発したのだが、すでに状況は火急を要する事態となっていたのである。
 もっともあらゆる武器が無制限になったわけではなく、その所持できる武器が緩和され、そしてそのライセンスが緩和されただけであり、当然の事ながら、それを犯罪に使用した場合、厳しい対応を行うことは自明の理であった。当然のことではあるが、魔法武器に関しては厳重に機密管理が行われ、その武器の魔力供給自体が東京の地下に建設された『魔力の塔』からの供給であるため、万が一、盗難にあったりしても個別に魔力の供給を停止することも可能なのだ。
 次第に都市部などにも魔物の影がちらつき始め、人々は徐々に不安を募らせていた。そのため、自警団のような組織を自発的に構成し、自己防衛を図ろうとし始めていたのである。
 そしてその内情は公表されていないが、世界で唯一の古代語魔法による工芸品を売る店である『魔法ショップ 【エンシェント・ローズ】』の魔法製品は口コミながら徐々に販売を拡大していた。特に 、実際に機能する魔法の護符やアクセサリーなどのアイテムは中高校生を中心に非常に大きな顧客層を得ていたのだ。
 そのため、マスコミなども面白おかしく報道しようとしていたのだが、スポンサーを通じてプロメテウスが圧力を掛けて、ふざけた番組を報道させないように睨みを利かせていた。人類の文明を 革命的に飛躍させる可能性のある魔法文明を、テレビ局の無責任な馬鹿騒ぎで潰させる訳にはいかない。実際にそれをバラエティー情報番組でインチキだとして放送しようとしていたディレクターが謎の交通事故で死亡していた。このため、テレビ局各局はこの魔法技術に関して面白おかしく扱き下ろす事を徹底的に自粛するようになったのである。
 また、9月11日に発生した米国の同時多発テロは世界中を震撼させていた。
 そのため、実際に効果のある防御魔法を付与された魔法の指輪や怪我などを癒すことのできる指輪などを買い求める客で、この小さな店は溢れかえりそうになっていたのだ。
「このお護りの指輪、もう無いの!?」「いつになったら入荷するの!?」
 実際に世界の中心ともいえるニューヨークの、しかも金融の中心地であるウォール街の一角にある世界貿易センタービルがあっけなく崩壊する光景が世界中で繰り返し報道され、人々は 不安に煽られるように救いを求めていた。
 治安の悪化が感じられるようになり、魔法という胡散臭いものでもいいから少しでも安全になりたい、という人々の心理が魔法の店にある防御の指輪を買いには知らせていたのだ。この魔法の指輪は着用者の周囲にプレートメイルを着ているのと同じほどの強さの魔法の障壁を恒常的に発生させる。そのため、ちょっとした爆発程度なら完全に防ぎきるほどの防御力を発揮する のである。
 また、携帯電話がつながらなくなっても交信可能な通話の護符も飛ぶように売れていた。これは二つに割った水晶のペンダントで、起動した状態で水晶に話しかけると、もう片方の水晶から 聞こえる、という魔法の護符だった。ほかにも目に見えない魔法の護衛を作り出す護符などもあり、こうしたアイテムは飛ぶような勢いで売れていったのだ。
 結果として日本では思いもよらない形で魔法文明の萌芽が始まってしまったのである。
 そして人々の間にあっという間に魔法のアイテムが広まってしまったのと同時に、日本政府がこの魔法のアイテムの流通と管理を政府として行うことを政策として決定していた。また、魔法システムというものが未知のシステムである以上、厳重に管理する必要がある、ということで個々のアイテムにはID番号が付与され、またテロに使われることを防止する、という理由で着用者の幽星紋を用いた個別認証を行うことにもなった。このことは公明党や社民党から強い反発を招いたのだが、逆に「テロを肯定するのか」という声が高まり、尻すぼみに終わっていた。特に創価学会はフランス下院(国民議会)がカルトに関して調査委員会を設置してまとめた報告書の中に明確に「カルトである」と指摘されているのだ。(参照:フランスのカルト認定の経緯フランス国営放送の『創価学会――21世紀のカルト』
 また、このカルトに認定された理由の一つとして核技術を盗み出そうとしたスパイ行為があるともされている。(SOKA GAKKAI TOLD TO DISBANDSoka Gakkai's French Connection
 こうした点をカードに出され、公明党は逆に強い反対が出来ずに自民党側の案を丸呑みにするしかなかった。特にプロメテウス傘下となったメディアなどに対しては創価学会も圧力を加えることが出来ずにいたため、あっけなく『対テロ特別法』が可決されたのである。
 このため、自分達の活動の内容を追及されることを恐れた不法滞在の外国人やそれらの関連団体のメンバーは魔法防御のためのアイテムを購入することを控え、魔法で護られた者とそうでない者の二極化が静かに進み始めていた。
 こうした魔法のアイテムの販売管理と流通を発表したことで、世界各国からは日本が魔法技術を実用化したのか、との問い合わせを受け続けていたのだが、日本政府はのらりくらり、と回答を避け続けていたのだ。もともと政治的に既存の馴れ合い政治をとことんまで否定した小泉首相の意向もあったのと、外務省がある意味で機能不全に陥っていたことが結果として魔法技術の不用意な露出と公開を回避するという結果になったのはある意味では皮肉とも言えよう。
 この結果を知って、眞は「だから外務省の役人は何もしないことが一番良い仕事になるんだよ」と皮肉たっぷりに言葉を返していた。
 また米国の同時多発テロによって世界中に混乱の波が押し寄せていたのである。
 怪物や魔物の脅威に脅かされながらも国家の威信に掛けてテロに対抗しなければならない米国は国内の脅威に対抗しながら国外のテロリストと戦わなければならない、という二重の戦略を取らなくてはならなくなっていたのだ。
 それは流石に世界一の経済力、軍事力を誇るアメリカ合衆国でさえ手に余るほどの戦いだった。
 加えて艦隊を中東に送ろうにも海には巨大化した生物や怪物が現れている。もちろん、それらの魔物が米国の艦隊だけを狙って襲い掛かる訳はなく、中国やロシア、EU諸国の艦隊や潜水艦などがあらゆる海域で被害にあっていたのである。
 結果として各国は軍事行動に極めて消極的になっていた。
 また、それだけでなく中東やユーラシア大陸の砂漠地帯も砂走りや危険な巨大生物、魔獣などが我が物顔で自らの領域を主張していたのである。もう既に世界は人間だけが勢力争いをする場ではなくなりつつあった。
 そうした状況を理解していたものの、やはり紺野は市民が武装することに対しての懸念は隠しきれなかった。
 ただ、魔法の防御システムが一般化したことで、むしろそうした一般市民は銃で脅されてもほぼ完全に脅威を避けることが出来るため、安全であることは確かだった。その上で魔物や怪物に対抗するためには武力が必要だ、ということも理解できる。
(世界は変わってしまったんだ・・・)
 そう割り切って、紺野は魔法銃を受け取ったのだ。
 指輪、という形状に抵抗があったのだが、プロメテウスは様々な形での魔法のアイテムを作り出している。紺野は懐中時計型の防御システムを選んでいた。これは魔法の障壁を発生させる防御機能と同時にゆっくりとではあるが傷を癒すための回復魔法の機能、そして通信の魔力が付与されている。また共通語魔法というキーワードだけで魔法を使うことが出来る魔法の指輪なども装備したため、多少のことがあっても対応できるはずだった。
 魔法の防御で護られている、という安心感が紺野の心の中に広がるのを感じ、どこか後ろめたい気持ちを感じてしまう。
 しかし彼らのような者たちが社会を護らなければならないことからも、魔法の防御は絶対に必須の装備なのだ。
 少年たちにも魔法で防御させ、そして紺野と少年たちは久しぶりにマンションの外に出たのである。
 
 久しぶりに街中に出た少年たちは興奮を隠せない様子ではしゃぎ回っていた。
 紺野もあれほど厳重に魔法防御や武装をしたにもかかわらず、普段の様子とあまり変わっていないことに拍子抜けしたような気分になってしまう。
 魔法技術で作られた立体映像投影装置からの3D画像が街中あちこちに表示され始めていた。
 他にも魔法の存在が堂々と語られ、そして人々が当たり前のようにそれらの道具を使い始めていることに紺野は戸惑いを感じてしまう。もっとも、世界中に現れた怪物たちの中には魔法としか思えないような不思議な力を使うものもいるため、魔法の存在がなんとなく受け入れられてしまった、という事だろう。
 弘樹の説明によれば、彼らのリーダーである緒方眞が身につけて、彼らに教えた古代語魔法以外にも自然の力を司る精霊と交信することで自然の力を操ることの出来る精霊魔法や未だにユーミーリアでは確認されていないもののフォーセリアには神の意思を受け取り、その奇跡の力を振るう神聖魔法などの魔法が存在するらしい。
 他にもユーミーリアの中で使い魔や式神を使役する呪術や様々な呪術が現実世界に影響を及ぼすことのできる形で顕現してしまっているのだ。
 これには紺野も頭を抱えてしまった。
 ただでさえややこしい世界なのに魔法まで現実のものとなってしまうなんて・・・
 しかもそうした呪術は、既に世界中にいる、いわゆる自称魔術師や呪術師、魔法実践者などが自然に使えるようになってしまっているらしい。つまり、世界中でそのようなタイプの呪術師は何人いるのか、恐らく考えたくも無い数が存在するだろう。
 幸いなのはそうした人々は未だにその能力を完全に取得しきっておらず、やっと使い魔を使役できるように具現化したり、幾つかの呪文を使えるようになった程度だ、と聞かされていた。
 しかし中には奥多摩に住み始めた自然崇拝者のリーダーの女性のように、上位精霊の力さえ使えるように成長した精霊使いなどもいるかもしれないのだ。プロメテウスの調査によると、これほど強い魔法の力を持った精霊使いはこの女性以外にはアメリカにいるネイティブ・インディアンの若者だけだ、とのことだった。
 そうした意味ではプロメテウスは世界でたった一つの古代語魔法を体系付けて管理している組織であり、その実力は一線を画すどころか、数段も実力の違う隔絶した存在だといえる。確かに東京どころか日本中に様々な呪術師の存在を確認しているのだが、その技能はさほど高くないらしい。それでも日本政府はそうした術者に協力を仰ぎ、防衛のための特別組織を編成することを画策していた。もちろん陸上自衛隊の特殊部隊の一部にも魔法装備を与えて、対妖魔特殊戦闘部隊を編成していたのだが、未だに彼らは魔法兵器を運用し、魔法や様々な特殊能力を使うであろう敵との戦いに備えた訓練を積み重ねているだけの段階だった。
 紺野は自衛隊員である中村二等陸尉をちらり、と見る。
 本来、警察は自衛隊と相性が悪い。戦後教育の弊害の一つであるのだが、一時期の日本の教育は自衛隊を悪の組織であるかのように極めて偏向した教育を行っていたことがある。
 そして、警察の内部にも自衛隊の動向に常に神経を尖らせているグループもあるのだ。
 もっとも目の前の青年は引き締まった体格をしているが、どちらかといえばスポーツマンのような印象がある。だが、常に死線を意識する訓練を積み重ねているものがまとう独特の雰囲気があった。
(今はそんなことを言っている状況ではない。)
 そんな風に考えて気持ちを切り替える。
 紺野の内心を知ってか知らずか、中村は飄々とした雰囲気で少年たちを見守っていた。
 だが、その少年たちを見ているのは紺野と陸上自衛隊員だけではなかったのである。
 
 紺野が近くにいるのを確認してチーマー少年の一人、北村アキラは小走りにジュースの自動販売機に駆け寄っていった。
「紺野さん、俺、そこの自販機でジュース買ってきます!」
 それを油断というのは余りにも酷だろう。
 また魔法による防御がある、という気持ちがあったのも事実だった。
 アキラは硬貨を自販機に投入し、そして自分の好きなジュースのボタンを押す。そしてそれを取り出そうとして透明なプラスチックのカバーを空けた瞬間、その搬出口から滑り出てきた黒い影がアキラを包み込んで、ひょいっ、と自動販売機の中に戻っていった。
 その一瞬、紺野は我が目を疑っていた。
 余りにも非現実的な光景に、何が起こったのかさえ判らなかったのだ。
「ア・・・キラ・・・くん・・・?」
 彼の仲間たちも言葉を失ったまま立ちすくんでいた。
 そんな中、瞬時に理性を取り戻した中村が交信の護符を手にして鋭く呼びかける。
「本部、応答を願います!」
 その中村の声を聞いて我に返った紺野もまた、油断無く滑るような足取りでアキラを飲み込んだ自動販売機に近づいた。
 魔法銃を手にして、じりじりと間合いを詰める。
 その背後で中村が本部に現状を報告している声がした。
「・・・はい。場所は新宿区の・・・」
 中村の声がどこか非現実的な響きに聞こえる。自分が守らなくてはならない少年だった。
 魔法による武装も手にし、この中で唯一、市街地での非常事態に対応する正式な訓練を受けたはずの紺野がむざむざ、敵にアキラを攫わせてしまうとは・・・
 怒りと恥辱が紺野の心を震わせていた。
「紺野さん! 応援が駆けつけてくるそうです!」
 中村が紺野に声を掛ける。紺野は一瞬、激昂しかけたがその中村の声にも押し殺した怒りが含まれているのを感じ、なぜか不意に彼もまた一人の人間なのだ、と思い至った。自衛隊員とはいえ、同じ人間なのだ。そして、守るべき少年を目の前で連れ去られた怒りと苦しみは同じように感じているのだ、と自覚した瞬間、紺野は目の前の青年を自分の相棒だと実感していたのだ。
「了解! 俺は現場の状況を確保する。中村さんは残りの彼らの安全を確保してくれ!」
 その紺野の声に一瞬、驚いたような表情を浮かべた中村は何かに思い至ったように頷いて言葉を返した。
「了解しました! 背後に気をつけてください!」
 急速に戦場になり始めた都市のど真ん中で、二人の男はお互いのことを自分の相棒だと強く感じ始めていた。
 
 わずか10分ほどで一台のSUVが猛スピードで走ってきたのを見て今野は、思わずスピード違反だ、と叫びそうになるのを抑えていた。そのSUVからは長い髪の女性と黒服の少年、そして壮年の男と青年が弾けるように飛び出してきたのだ。
「申し訳ない、俺たちがついていながら・・・」
 謝罪の言葉を口にした紺野を、壮年の男が優しく押し留める。
「いや、それは我々もそうだ。特に、やつらの能力を完全に把握しないまま、このような事態を招いてしまったのは完全にこちらの落ち度だろう。だが安心しろ。彼はまだ生きている。場所も把握済みだ」
 その言葉に紺野は目を見開いた。
 何故、その場所が判るのだ?
「実は、我々も含めて全員に場所を把握できるよう、魔法のマーカーが付けられているのです」
 済まなさそうに弘樹が言葉をかけた。
 それはある意味で残酷な仕掛けではあるが、哨戒しているなかの誰かがいなくなれば、「誰かがいなくなった」という貴重な情報を味方にもたらす事が出来る。そうすれば味方は直ちにそれ以上の被害を食い止めるための対応をすることが出来、結果として全体の損害を減らすことが可能になるのだ。
 紺野は複雑な感情にとらわれたが、今はアキラを取り戻すことが最優先だった。
 残る少年たちをSUVに乗せて陸上自衛隊の隊員の一人、上杉陸曹がSUVを発進させる。そして、残された者たちは厳しい表情で次の行動を始めた。
「よし、『通路』を確保した」
 武斗が何かを確かめるような口調で呟く。その言葉に弘樹と水蓮が表情を引き締めた。
「ご苦労。それじゃ、乗り込むか」
 弘樹はまるでピクニックに出かけるかのような口調で全員に言葉を掛ける。だが、その目には緊張の色がはっきりと浮かび上がり、戦場に赴く男の表情がそこにはあった。
 少年が黒い影に飲み込まれた瞬間を見ていた野次馬がひそひそと噂話をしているのを見て、不意に紺野はなぜ、彼らは警戒したり恐れたりしないのだろうか、と考えていた。実際には人間は余りにも自分の常識とかけ離れたことが目の前で起こった場合、逆に恐怖や不安を感じたりしないのだ。つまり、何がなんだか判らなくなり、判断が出来なくなってしまうのである。
 だが、そんな彼らをそのままにしておくわけにもいかず、駆けつけた後続の部隊が現場の整理という理由で退去させていく。そして一人残らず退去させ、即席のテントのような安全シェルターで自動販売機のある一角を完全に覆い尽くしてしまう。だが、これは単なるカモフラージュであり、武斗の力で転移をするためにはこのようにしないと目立ちすぎてしまうのだ。
 シェルターに全員が入ったのを確認し、武斗は自分の力を解放する。
 武斗の足元からするする、と影が伸びて巨大なマントのように広がった。一瞬、紺野は先ほどのアキラを連れ去った影を思い出してぎょっとしたが、弘樹も水蓮も平然としているのをみて覚悟を決める。その影が弘樹と水蓮、紺野、中村と自衛隊員10名をすっぽりと飲み込んでいった。
 影の中は不思議な感覚だった。
 無重力のような、どこかふわふわした感覚がする。そしてすぐ傍にいるはずの仲間が近くにいるような、しかし遠く離れているような奇妙な感じがしたのだ。
 その中で、武斗の存在だけがはっきりと知覚できた。
「転移する。一瞬で移動するから気をつけろ」
 その暗闇のような世界の中に溶け込んでしまいそうな黒服の少年の顔と手だけがはっきりと見える。よく目を凝らすと、その暗闇の中はどこか、壊れた遊園地のような不気味な光景が広がっていた。
 紺野がここは何処だ、と訪ねようとした瞬間、世界がぐにゃり、と歪んだ。引き伸ばされたような異様な感覚がした後、また不意にその感覚が消えうせる。
 そして次の瞬間、カーテンが開かれたように視界が開けた。
 
 そこは巨大な洞窟だった。
「こ、ここは、何処だ・・・」
 思わず声が震えてしまう。そんな自分を情けない、と思いながらも紺野は現状を把握するために頭脳をフル回転させていた。
「ここは奴らがアキラを連れ去った場所だ」
 弘樹が冷静に言葉を返す。右手には例の革表紙の本を手にして、じっと暗闇の先を見つめていた。その背後では陸自の隊員たちが各々の武装を展開している。
 一瞬、これは自衛隊法に違反するのでは、と考えたのだが、どうやら今の現状は自分が知っている以上に複雑なようだ。
 
 バシャッ!
 
 不意に水が弾ける音がして、紺野は反射的に後ろを向く。
 そこにはさらに二人のプロメテウスが平然と立っていた。
 滝本晃一、シーマンと呼ばれている“水”の力を操る男。その能力は、恐らくプロメテウスの中でも最高の物の一つだろう。水を自由自在に操り、立ちはだかる者をまさに津波の如き力で打ち砕く能力者。
 そしてもう一人は弾けるような笑顔を浮かべた少女だった。
 “エンジェル”というコードネームを持つ少女、木村涼子。彼女は他のプロメテウスのメンバーほど強力な戦闘能力を持たない。しかし、彼女の持つ“光の翼”には癒しの力があるのだ。また、強力な障壁を発生させることもできるため、戦闘の支援能力者として欠かすことが出来ない。
 だが、その彼らをも凌ぐ能力者がウィザードこと来生弘樹とニケア-勝利の女神のコードネームで呼ばれる李水蓮である。
 弘樹は眞に次ぐ実力を持つ古代語魔法の力を持つ魔術師であり、優秀な戦略家である。また、白兵戦の能力も侮れない能力を持ち、武斗や晃一と肩を並べるほどの実力を持っていた。そして白兵戦の能力では水蓮はプロメテウス最強の戦士である。少なくとも眞がフォーセリアに転移してしまう以前に、唯一、本気を出した眞と互角の稽古を付けられた程の実力がある。本気を出していない眞に対して、弘樹と武斗、晃一の三人がかりで掠り傷さえ付けられずに一方的に叩きのめされた、という事から水蓮の実力が判るだろう。
 その水蓮の能力は“光の鎧”と“光の武具”である。純粋なエネルギーを鎧として身に纏い、そして武器として操れる水蓮の能力は、その白兵戦の能力を最大限に発揮する能力だ。この力を発動している時、彼女は重力の束縛さえも遮断するほどなのだ。
 さらにプロメテウス達、能力者の殆どは『加速』の能力など、常人の数倍を超える凄まじい敏捷度で動くことが出来る。撃ち込まれた銃弾さえ回避することが可能なのだ。
 それほどの能力者が揃い、そして魔法兵装で武装した自衛隊員が十人もいる。これでアキラを奪還できないはずは無い。
 紺野は自分の無力さを噛み締めながらも、プロメテウスや自衛官を信じている自分に驚いていた。
 そして彼等は連れ去られた少年を取り戻すために洞窟の奥へと進んでいった。
 
 仕掛けられた罠が無いか、何らかのトラップが仕掛けていないのか調べながらの進軍は紺野が予想していたよりも遥かに時間が掛かるものだった。
 だが、それも彼ら救援隊が罠や待ち伏せにあって更なる被害を出さないためにも必要な事なのだ。苛立ちを必死に押し殺す紺野に陸自特務部隊の隊長である栗原が優しげに声をかける。
「焦る気持ちはわかる。だが我々も無駄に時間を掛けている訳ではないのだ」
 その言葉を補足するように弘樹も声をかける。
「紺野さん、心配はありませんよ。アキラ君はまだ生きています」
 恐らく魔法か何かでそれを知ったのだろう。そもそも、この場には彼らがいなければ知る術さえなかったのだ。
 紺野はもう、彼らを信じて全力を尽くすだけだ、と腹を括っていた。
 余り近くに転移しなかったのも、待ち伏せや体制を整える前に奇襲をかけられることを警戒してのことである。戦闘のプロである自衛隊やプロメテウスは警察官である紺野よりも遥かにこうした状況に慣れているはずだ。
 暗視ゴーグルを通して見る闇の世界は異様な光景に感じられる。光を使うことで相手に存在を知らせてしまうことを防ぐため、ほぼ全員が暗視ゴーグルを身に着けていた。唯一の例外が武斗である。彼は流石に闇と影を操る能力者だけあって、暗視ゴーグルなど用いなくとも闇を見通すことが出来る。
 そうして暫く進んだ後、不意に大きな空間が広がる場所に辿り着いた。
「気をつけろ、奴らがいる」
 武斗が緊張を帯びた声で鋭く囁く。
 その広い空間の奥に何かが動いているのを見て、紺野は目を凝らして見据えた。そして、それが何なのかを悟った瞬間、思わず悲鳴を上げそうになるのを何とか押し留める。
 数十体ものイギュイームが空中を不気味に舞っていたのだ。
 そしてその黒い影の群れの下で横たわる人影を見て、反射的に駆け寄ろうとする。アキラだった。
「待って!」
 水蓮が走り出そうとした紺野の右手を掴み、止める。
 その感覚と右手を掴まれた感覚に紺野は何とか自分の衝動に耐えることが出来た。
 恐らく、彼らが来るのを何らかの手段で察知していたのだろうか、何体かのイギュイームがじっと黒いローブの奥から見つめるようにじっと紺野達の方を向いて空中に浮かんでいた。そのローブから突き出た白い巨大な骸骨のような手が不気味だった。
 ぞっとするような妖気が辺りを満たしている。それどころか、気温まで相当下がっているようだった。
 一瞬だったのか、それともずいぶん長い時間対峙していたのか判らなかった。
「来るぞ!」
 誰かの声が響き、そして戦闘が始まっていた。
「照明弾、発射っ!」
 栗原の命令の後、何発かの砲弾が空中に撃ち出される。それは眩い光を放ちながら空中に留まり、洞窟を照らし出した。
 魔法による照明弾なのだろうか、明るく周囲を照らしながらじっと空中に停止して広大な空間を光で満たしている。突如、一瞬にして光に満たされた事で不意を驚いたのか、イギュイームたちの動きが止まった。その瞬間、何の迷いも無くプロメテウス達は行動に出ていた。
「行くわよ!」
 水蓮の言葉と共に、武斗と晃一が駆け出す。三人は『加速』の力をフルに発動して常人では信じられないような素晴らしい速さで一気にイギュイームの足元を駆け抜けた。同時に弘樹が強力な呪文を投げつける。もちろん、こんな洞窟の中で電撃や火球の術などを唱えるわけにもいかない。その轟音で洞窟が崩壊するかもしれないのだ。そのため、弘樹は竜巻の呪文を唱えていた。
 これは強力な四大魔術の呪文の一つで、小さいながらも竜巻を生み出して効果範囲内の相手に継続的なダメージを与えることが出来る。
 そして自衛隊の隊員が一斉に魔法銃で攻撃を開始した。
 もちろん、イギュイームも黙ってアキラを奪還されるのを見ているわけは無く、上空から次々と舞い降りては水蓮と武斗、晃一に襲い掛かる。晃一は膨大な水を操って空中に水の障壁を発生させ、武斗は影の剣を凄まじい速さで振り回して応戦する。そして水蓮はその長い髪を自由自在に操り、近づくイギュイームを串刺しにし、そして締め潰しながらアキラに駆け寄っていった。
「もう、気持ち悪いわねっ!」
 後でゆっくりとお風呂に入って、この気持ち悪い怪物を潰した髪を徹底的に洗いたい、と考えてしまう。
 そしてイギュイームたちが一斉に彼らの方に飛び掛ってきた瞬間、晃一は彼の全力の力をイギュイームに叩きつけた。凄まじい勢いで水の奔流がイギュイームを飲み込み、弾き飛ばす。その好機を逃すはずも無く、武斗は影を伸ばして気を失ったまま地面に横たわるアキラを包むと、次の瞬間、彼の足元に少年を引き寄せた。
「よし、確保した!」
 武斗の声に水蓮が明るい声で応える。
「よくやったわ。戻るわよ!」
 そのまま影を展開して自衛隊員の元に戻ろうとして振り向いた瞬間、三人は凍り付いていた。
 夥しい数のイギュイームが弘樹と涼子、そして紺野や自衛隊員を取り囲んで執拗に攻撃を仕掛けてたのだ。
 弘樹の呪文もそうだが、自衛隊もまた洞窟の中では使える武器には制限がある。そのため、最大の攻撃力を発揮できる武器や火力を選ぶことが出来ず、イギュイームの数の圧力に押されてしまっていた。
 そしてその一瞬の驚愕の隙を突くかのように、水で弾き飛ばされたイギュイームが舞い戻ってきた。
「くっ!」
 晃一は慌てて水の障壁を張る。水蓮もまた"光の鎧"を展開し、襲い掛かってきたイギュイームに鋭く破壊力の乗った蹴りを叩き込んだ。
 鋼鉄の鉄筋さえへし折る水蓮の蹴りをまともに受けたイギュイームは、壊れた玩具のように吹き飛ばされ、力を失って地面に落ちる。暫く起き上がろうともがいていたが、やがて身動きを止めた。
 何対かのイギュイームの死体が落ちてはいたのだが、それでも凄まじい数のイギュイームが空中で狂乱の舞を繰り広げている。
 背後から近づいてきたイギュイームに反撃しようと晃一が水の槍を投げつけようとした瞬間、イギュイームの頭にぽっかりと口のような穴が開いているのが見えた。そして、何かを吸い込むような動きを見せた瞬間、晃一は一気に体温が下がるような感覚を感じて、意識が遠のくのを自覚していた。
「な・・・」
 辛うじて崩れ落ちるのを気力で堪えて、水の槍をイギュイームに叩きつけた。
 だが、いつもの鋭く力強い水の槍ではなく、細く力を失った弱々しい水がイギュイームに打ちつけられただけだった。不快な感覚が全身に広がり、異様な疲労感が晃一を蝕んでいた。
「奴ら・・・気力を食ってくる・・・気をつけろ・・・」
 息をすることさえ苦しくなる。
 それは水蓮も武斗も、そして弘樹や自衛隊員も同じだった。
 夥しい数で襲い掛かるイギュイームは、恐るべきことに彼らの精神を吸い取ろうと執拗に波状攻撃を繰り返してくる。イギュイームの全身から放たれる冷気もまた、プロメテウス達の体力を消耗させていた。
 そしてイギュイームの一体が、滑るように動いてアキラに襲い掛かる。
 一瞬の出来事だった。
「しまった!」
 弘樹の言葉に全員が、事態を悟る。だが、動けなかった。
 数十体のイギュイームを迎撃するために全力を振り絞っているのだ。魔法兵器で武装した陸上自衛隊の特殊部隊も、襲い掛かる夜魔に防戦一方の状況だった。
(なぜ、こいつらはこんなにも執拗にアキラに襲い掛かる?)
 不意に弘樹は疑問を覚えていた。
 夜魔達はその存在を実体化させるために膨大なエネルギーを消耗する。その為に、この世界で実体化できるのは僅かな時間だけだ。幾ら、世界が重なり合って次元の亀裂が発生したとしても、異世界の存在である夜魔がこの世界で実体化するのは無理がある。
 その失ったエネルギーを補うために、夜魔は人間を捕食する必要があるのだ。
 眞から教えられた情報を元に、プロメテウスが調査、分析を行ったところ、夜魔の存在に必要な“スピリチア”、と呼ばれる霊的な要素が人間の魂には豊富に存在するらしい。これは人間が他の霊長類や生命体と異なり、いわば、最終的に神々へと昇華することを可能とする魂のエッセンスと考えられている。実際に、人間のみが魔術や科学知識を応用して、その肉体的、霊的能力以上の事を行おうとする。
 文明、と呼ばれる世界の位相を決定することができるのは、人間だけなのだ。
 フォーセリア世界では魔神や巨人族、一部の妖精族なども文明を築き上げているのだが、それはこのスピリチアによる強烈な自己表現化の本能ともいえるらしい。
 また、スピリチアは魔法の素質とも関連があると考えられている。特に古代語魔法を操る素質に影響を与えているらしいのだ。強い密度のスピリチアを持つ魂は、上位古代語の力と連動し、世界に術者のイメージを投影し、現実化するという働きがある。そして、スピリチアの少ない魂が上位古代語を扱おうとしても、全くその力を発揮しないか、もしくは制御を失って暴走する。
 古代語魔法を操ることができる種族は他にもいるのだが、これらは根源的なスピリチアを持たない魂が、呪文を唱える能力を与えられただけの為、自らが呪文を研究、開発することは無く、また、そのような発想さえ考え付かないらしい。
 結果として古代語魔法を操れる種族にも、自らが文明を構築することができる種族とそうでない種族に分かれている。
 弘樹は何故、そのような考えが今、脳裏に閃いたのか判らなかった。
 武斗と水蓮が駆け寄ろうとするが数体のイギュイームに行く手を阻まれて動くことが出来ない。
「うわぁっ!」
 アキラが悲鳴を上げて、するする、と伸ばされた骨のような腕から逃れようとする。だが、プロメテウスでないアキラの動きは、イギュイームにしてみれば止まっているのと大差はなかっただろう。
 ぐっと首を掴まれ、アキラは苦しげに手足を暴れさせた。
 不思議なことに、そのイギュイームはプロメテウス達に対したのとは違い、精気を吸い取ろうとはせずに、アキラを抱きかかえてふわり、と宙に浮かび上がった。
 イギュイームたちはどこか昏い歓喜を示すように狂ったように舞い始める。
 その瞬間、彼等は何か圧倒的に強い存在の気配を感じた。
 
 
 

第四章 新世界~ The New World ~
No.4

 
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