~ 2 ~

「おはよ~! ね~、夏休み何か面白いことあった?」
「う、うん。いろいろ、とね」
「ふ~ん、“いろいろ”、ね。あとできっちりと聞かせてもらうわよ!」
 クラスメートとの他愛も無いやり取り。それは本当なら当たり前のように繰り返されているはずの日常だった。しかし、新学期が始まり、理恵は余りにも学校生活が夏休みが始まる前とは別世界のように感じられることに戸惑っていた。
 そして、クラスメートの何人かが、既にブレスレットを着用していることにも驚いてしまった。そのブレスレットは『統合情報端末ブレスレット』と呼ばれ、次世代の情報端末として夏休み中に幾つかのメーカーが販売した端末である。実際には精神魔術と幻影魔術の魔法技術を応用して付与魔術により創造された魔法の端末であり、それは魔法による様々なサービスなどを利用するための接点ともなる。
 特にゲーム・センターなどではこの端末を利用して実際に自分が参加しているようにプレイできる新型の次世代ゲームが爆発的にヒットし始めていた。他にもこの端末を利用すると、東京の街中で設置され始めた立体映像投影装置を用いた情報ステーションと連携して、様々な情報を取得したり、サービスを活用できる。
 このシステムは認証方法に『幽星紋』という魂に由来する個別のパターンを利用するシステムのため、絶対に偽造の不可能な、また、成りすましなどの不正利用が出来ないシステムとなっている。もっとも、“幽星紋”などというオカルト用語が出てくるとあらぬ誤解を招くため、体外的には「量子個体認証」という説明をしている。そもそも、その説明を正しく理解できるマスコミ人など皆無と言ってよいため、それでも十分なのだ。
 この端末は日本とアメリカ合衆国、そして英国でシステムが運用され始めていた。そして、事実上この3カ国による独占的な市場となっていたのだ。
 もちろん、理恵もその端末を使っている。プロメテウスのメンバーとなってから、弘樹や水蓮から与えられたのだ。この端末やシステムはまだ試験稼動中、という名目のため、使えるユーザーが限られている。これは身元調査を厳重に行い、日本国内で活動する外国の諜報員や不適切な活動を行う好ましくない人物にはアクセスを与えないようにするためであった。
 この夏休みの間、本当に色々なことがあったと思う。
 理恵の叔父の癌が奇跡的に完治したこと、プロメテウスと名乗る集団との出会い、そして魔法使いになるための修行・・・
 どれ一つとして決して小さな出来事ではなかった。
 また、その間、魔法を使うものとして日本の政治家や官僚たち、また、自衛隊の人たちと話をする機会も得られた。当たり前のように魔法を使っていた夏休みの間とは異なり、普段の日常生活は如何に窮屈で不自由なものなのかと不満を感じる自分にも驚いていた。
 尤も、現時点では余りにも高度な魔法技術を一般に開放するのは利益よりも混乱を引き起こす可能性が高いため、慎重に、少しずつ公開していく、ということに納得もしている。様々な魔法技術やサービス、製品を流通させ、既成事実化してから魔法の存在を公開する、という方法が一番混乱を引き起こさない方法だろう。
 また、ゲームセンターにファンタジーゲームなどの魔法を扱うゲームを置いたり、ディズニーランドや各種テーマパークに魔法を応用したアトラクションを置くのも、魔法に対するアレルギーを最小限に押さえ込むためのアイデアだった。
 
 新学期最初の一日はあっという間に過ぎてしまった。
 特に、夏休みの間に行われた模擬試験の解説では、予想していた以上に良い成績だったため、母も文句を言うことは無いだろう。叔父の癌が治り、叔母の宗教熱も落ち着いてきたため、家族の雰囲気が和らいだのが一番嬉しかった。
「にしても、理恵の叔母さんが戻ってきてよかったの~」
 由紀代がいつもの口調で語りかけてきたが、その声には心の底からの安堵と労わりの気持ちが込められていた。
「うん、ほんっとに由紀もいろいろありがと」
「にゃはは、そんなに熱い愛の言葉を・・・」
「掛けてないだろ!」
 ふにゃ、と笑っていた由紀代の顔が悲しげに沈むのを見て、理恵はいつもの日常に戻ってきた事を実感していた。
 プロメテウスの警戒していた彼女達の危険は、まだ彼らの警備が解かれていない事を見ると現在進行形らしい。学校の外にも目立たない場所に警備隊がいるし、驚いたことに“シャドウ”こと神崎武斗もわざわざ、理恵達の通う学校に通い始めていたのだ。
 実際には彼は別の私学に通う学生であり、一時的に転校をしてきたのである。そんな無茶を通してしまうのは、政治的にも経済的にも莫大な力を持つプロメテウスにとって朝飯前のことなのかもしれない。
「神崎です。これからよろしくお願いします」
 ぶっきらぼうな、愛想の欠片もない挨拶に教室中が静まり返る中、武斗はまるで意に介さないようにさっさと教室の隅にある席に着席してしまった。別に理恵に特別に挨拶するわけでもなく、ちらり、と一瞥をしただけで椅子に座った姿を見て、理恵は内心で溜息をついていた。
(なんで、もう少しだけでも愛想良く出来ないのよ!)
 もっとも、取り立てて何が起こるわけでもなく、淡々と新学期初日が終わったことに理恵はほっとしていた。それでも、理恵は自分が大きな時代の流れの中に立たされていながら、その実感がまるで感じられない日常に微かな不安を覚えてしまう。
 不意に空を見上げた。
 その無限に広がる青空の向こうに、極秘裏に打ち上げられた『完全天頂衛星型情報収集衛星』が睨みを聞かせている事を思い出し、思わず小さく身震いをしてしまった。
「ん? 理恵、あんた風邪でも引いた?」
「え、なんでもないよ。いきなりブルって、何でだろ?」
「誰か、噂してるんじゃない?」
 何も知らないクラスメートの声が、どこか遠い異世界から聞こえてきたような気がした。
 
 地上から450kmの上空に浮かぶ、小さな魔術と科学技術の結晶は、その『目』をユーラシア大陸から小さく突き出した半島に向けて、じっと物言わぬ役割を遂行していた。
『ほうおう(鳳凰)』と名付けられたこの統合情報収集衛星は、今の科学技術では不可能とされている完全天頂衛星である。これは静止衛星とも、準天頂衛星とも違う、“任意の場所に静止していることが可能”な人工衛星である。
 準天頂衛星は、実際には三機の人工衛星をそれぞれ8の字を描くように旋回させ、例えば日本から見て常にその内の一機が上空にあるように運用する衛星である(NiCT 独立行政法人情報通信研究機構 [準天頂衛星とは・・・])。それに対して、静止衛星は赤道軌道の上空36000kmの軌道を、地球の自転と同じ周期で回り、結果として地上から見ると静止しているように見える人工衛星である(ドコモ電子図書館 「通信を知ろう」)。通常の周回衛星は、高速に地球を周回する為、複数の衛星を打ち上げる必要がある。
 これに対し、プロメテウスの魔法技術を応用し、日本の防衛庁と防衛産業が開発したのが“完全天頂静止衛星”という技術である。赤道軌道と違い、地球の自転にあわせて周回する人工衛星は、特にある特定地域を監視する目的の情報収集衛星やGPSなどのサービス衛星など、様々な目的に極めて有効な技術である。
 1998年8月、北朝鮮によるテポドン発射を受けて日本は情報収集体制を更に向上させるために動き始めた。もともと、日本はその偵察衛星などによる画像情報を米軍やアメリカ合衆国政府に依存していた。それを、同1998年11月、小渕内閣時代に閣議で日本独自の定説衛星を開発、運用することが決まった。衛星の制御や収集した情報データの分析などを担当するのは内閣府の「内閣衛星情報センター」なのだが、ここは実際には経験と実力を持つ防衛庁や、警察庁、科学技術庁の専門家により構成されている。
 だが、日本の情報収集衛星は、民生用の制限を越えてはならない、という「宇宙の平和利用の原則」という国会決議の壁を越えられず、分解能は1平方メートルという性能限界がある。また、光学衛星二機と開口型レーダー衛星二機という構成(予定、実際には3号機、4号機は2003年11月の打ち上げに失敗し、2006年現在では光学衛星一機、レーダー衛星一機の組み合わせで運用されている)では一日に一度しか任意の地点を監視できないため(日本の情報収集衛星)、プロメテウスはそれを遥かに凌駕する性能の統合情報衛星を独自に開発し、そして運用する事になったのだ。もちろん、その情報は内閣府と防衛庁、警察庁に提供され、実際には民間企業の皮をかぶった情報組織としての実態となっている。
 この統合情報衛星『ほうおう』は分解能がわずか1cmという超高解像度光学カメラと解像度10cm程度の昼夜全天候型のSAR(Synthetic Aperture Rader: 合成開口レーダー)、そして精霊力の分布と推移を計測するVEFMR(Vast Elemental Force Mapping Rader)と赤外線カメラを搭載している。その上で、この光学カメラには古代語魔法により最大深度30mまでの地下透視撮影能力が与えられ、天候による影響を排し、なおかつ地下構造物をも透過撮影が可能という、他国の情報衛星が持たない超絶的な性能が与えられている。
 また、この衛星は最大で日本の上空から600kmまで離れた位置にまで僅か一時間で移動させることが出来、また、最大撮影角度も60度という角度を確保可能なため、実際には極東地域を常時監視できる能力がある。プロメテウスはこの統合情報衛星を三機運用し、極東アジア地域の情勢監視し始めていた。
 米国にはサイテック社という、カリフォルニアのビバリーヒルズで「リモート・ビューイング」サービスをしている諜報機関の元将校達によって創られた会社がある。この会社の唯一の商品は“リモート・ビューイング”という遠隔透視能力を持つ超能力者たちだ(http://www.aa.alpha-net.ne.jp/skidmore/Ed_Dames_&_His_Cover_Stories.htm)。
 日本のTV番組でもジョー・マクモニーグルというFBI捜査官が行方不明者を探す実験を行って名前が知られているが、その実態は遠隔投資という特殊能力を用いての情報収集活動である。それを顧客、その多くはアメリカ合衆国の国防省や関連する組織など、に売るのだ。
 こうした情報活動はある意味では国防の基礎中の基礎だ。そのため、プロメテウスは必要な情報活動を円滑に行うために、極秘裏に大規模な情報組織を作り出していた。日本中にある探偵社や興信所の中から、これは、と思う人材を集めて大規模な情報収集組織を作り出したのだ。
 日本の法律によると、自衛隊は民間企業を超える情報収集能力を持っていてはいけないとも受け取れるような制約が少なくは無い。だからこそ、プロメテウスは逆に民間企業としてそのような制約が無い形で情報収集を行っているのだ。当然のことながら、こうした極めて高度な情報は一般の企業にとっても非常に価値が高いため、非常に高価な商品として、また、逆にこのような情報を必要とする大企業などがメディアによる攻撃からこの情報企業を守っていた。簡単なことである。妙な報道をしたらスポンサーを降りる、と通告しただけのことだ。
 メディアとはいえ企業である。その収益源のほとんどはスポンサーからの広告収入であり、それを絶たれる、ということはメディア企業そのものが倒産する危機に陥る、ということである。そして、それらの企業にはこうした情報だけでなく、プロメテウス傘下の石油会社や資源会社からの資源の安定供給という後ろ盾が大きな影響力を発揮していた。
 魔法のアイテムや魔法を運用した情報収集は非常に高度で正確な情報をリアルタイムに得られる。それを分析して正しく運用するために、プロメテウスは莫大な資本と人材を投入して、なんとかまともに機能する情報組織を創りだすことに成功していたのだ。
 また自衛隊の人材が直接には海外の在外邦館の警護を行えないことから、外務省に鞍替えを行い、そして完全に外務省の管理下でその活動に当たっている。また、政治的に敏感な問題だとして、日本との交信まで外務省経由で行われているような有様だった。そして、その外務省自体が中国や大韓民国、北朝鮮などに媚び諂うような体質のため、重要な、そして慎重な扱いを要する軍事的な機密情報を自衛隊は自らの組織の範囲内だけで扱うことが難しかったのである。
 結果として海外の駐在官から情報が情報本部に到着するのは、武官が外務省に出向する現制度下では公電信が一度外務省に到着してから、人が鞄に詰めて防衛庁に運び込むため、発信から数日後、ひどいときには一週間くらいになってしまうのだ。これでは有事の際には何の役にも立たない。
 その為、危急の対策として十分な暗号化とセキュリティを確保した携帯電話を支給することで対応を始めていた。もちろん、これは日本のメーカーに特注して作成させた特別製のもので、GSMやcdmaOne、TDMAなどのG2規格、そしてW-CDMAとCDMA2000というG3規格の全てに対応し、また、日本国内の独自仕様であるPDC規格や、cdmaOneやCDMA2000での上り周波数と下り周波数の逆転、という固有の規格にまで対応した携帯電話である。
 当然の事ながら、外務省は防衛庁や警察庁が独自の交信能力を持つ事を嫌い、徹底的に反対をしたのだが、北朝鮮によるテポドン発射、そしてアメリカ合衆国で起こった世界貿易センターへのテロにおいて、円滑な情報通信が出来なかった、という事実を突きつけられて、その最新の携帯電話端末の海外駐在自衛官や警察官への配布に同意せざるを得なかった。
 そしてFAXの送受信の問題も、在外の邦館にある全てのFAX機を、TIFFという画像にしてEメールアドレスに転送する機能がついたものに取替え、それを各人の携帯電話から日本の情報本部、警察庁などに直接送信することができるように対応することで、問題を解決していた。
 それは国際社会の厳しい情報戦や外交戦を生き抜くためであると同時に、世界中で発生し始めている未確認生物や異世界からの侵入者に対して、世界各国から必要な情報を安全に収集するためでもあった。
 実際に先日、プロメテウスの活動で沖ノ鳥島を浮上させた時にも、中国政府が「隆起する前の沖ノ鳥島は単なる岩塊であり島とは認められない。それが隆起したからといって自動的に日本の帰属にはならない」などと難癖をつけてきたのだが、海上自衛隊がさっさと接岸できる港を仮設置し、駐屯基地として運用し始めたことで国際社会はあっさりと日本の領土だと認めていたのである。これはプロメテウスと日本政府が設立した情報機関が各国の動向や情報を的確に掴んでいたため、効果的に先手を打つことが可能だったためだった。
 そのため、外交に関わることでありながら外務省には一切情報が知らされずに事態が進んで行ったのだ。
 同時に南鳥島と小笠原諸島との間にある適切な海底火山の噴火を誘導して、小さな島を作り出すことで日本の排他的経済水域を拡大することにも成功していた。幻の島として知られていたグランパス島に非常に近いあたりの水域であったため、スペインがその領有に関して異議を申し立ててきたのだが、まったく何も無い島が海底火山の噴火によって出来上がったことを地球観測衛星などからの資料で証明され、たいした問題にもならずに日本の領土に編入されていた。
 もっとも、理恵には何故そのような事をするのかなど、理解できない部分が大きかった。信じられないことだが、プロメテウスの創始者であり、今、異世界で一国を率いて軍事、政治、経済の全てにおいて絶大な手腕を振るっている緒方眞は、理恵と同じ年齢の少年なのだ。
 その少年が古代語魔法という異世界の法則を見出し、そしてそれを現実に使いこなすテクノロジーとして実用化してしまったことには驚きと感動を隠せなかった。
 そしてその情報の目と耳は異世界からの侵略者を監視し続けてもいたのだ。
 
「いつまでこんな事してなきゃなんないんだよっ!」
 甲高い、ヒステリックに叫ぶ声が響いた。
 例のチーマーの少年達だった。
 イギュイームが執拗に彼らを狙って出現し続け、プロメテウスは少年達を都内のマンションに隔離していた。イギュイームがどのような手段で出現するのかわからない為、下手に彼らの拠点に匿うわけにはいかなかったのだ。
 情報収集衛星『ほうおう』や様々な探知システムを用いているのだが、イギュイームは突如として出現するため、プロメテウスは現れるのを待つしかなかった。だが、現実問題として彼らがイギュイームの件に張り付いているわけにもいかない。
 文字通り、プロメテウスは貴重な人材であるため、やるべき事が山積しているのだ。
「さあな、何で奴等がお前等を狙っているのかが判らんし、どうやって、何処から湧いて出てくるのかも判らん。だから、イギュイームを倒し続けても、埒があかねぇ。その出所を突き止めて、何でお前等を狙っているのかを把握するまで黙って待ってろ」
 愛想の欠片も感じない声で武斗が切り返した。
 今まで武斗はイギュイームを五度、撃退しているのだが、この不気味な魔物は執拗に現れ続けていたのだ。いい加減にうんざりしてくる。
 ノクターンが何を狙って行動をしているのかがわからない以上、対応も限られるのだ。
 少年達の肉体には何ら、異常な点は無い。かつてチーマー狩りで殺した少年達のように、未知の腫瘍に操られている、という可能性も無かった。
 武斗のぶっきらぼうな口調に、少年達はむすっと押し黙ってしまう。
 現実問題として彼ら自身には何も為す術が無いため、反論することさえ出来ない。
 そして、時間は立ち止まることなく進み続けていた。
 世界各国でゴブリンを始めとして、様々な妖魔や魔獣などが実体化をはじめていたのだ。そして、それらの妖魔や魔獣との接触が各地で起こり始めていた。
 だが、その接触の殆どは悲劇だったのだ。
 少年の一人がテレビのチャンネルを切り替える。真昼の時間帯であるため、ワイドショーが画面に映し出された。
 そして、きんきんと甲高く響く若い男の声がスピーカーから流れ出てきた。
『・・・これが今回、ハイキングに出かけた夫婦が未確認の生物によって殺害された現場です』
 そして、テレビの画面がレポーターから山道へと切り替わった。
 十数名の警官と消防団であろう屈強な若者達が写された。もっとも、武斗たちはその消防団の男達が実際には陸上自衛隊から派遣された現場調査官であることを知っている。
 この事件に限らず、アメリカ、ヨーロッパ、アジア諸国、南米諸国やオーストラリア、アフリカ大陸など、あらゆる場所で未確認生物との接触、というニュースが入ってこない日は無かった。
 アメリカではつい先週も、カリフォルニアでゴブリンらしい生物に襲われて老夫婦を含むキャンパーが十数人、死傷する事件が起きている。また、コロラド州ではビッグフットと思われる毛むくじゃらの二足歩行をする生物がハイキング場のゴミ捨て場で目撃され、その食べ残しのごみや足跡、体毛などが大量に取得されたのだ。
 そして、時間は立ち止まることなく進み続けていた。
 世界各国でゴブリンを始めとして、様々な妖魔や魔獣などが実体化をはじめていたのだ。そして、それらの妖魔や魔獣との接触が各地で起こり始めていた。
 だが、その接触の殆どは悲劇だったのだ。
 こうした変化も、最初の間こそニュースを賑わせていたのだが、次第にそれが当たり前のような事実となって人々もそれを受け入れていた。そもそも、アメリカ人や英国人でさえ半数以上が超自然現象や幽霊の存在を信じている、という調査結果もあり、人々は心のどこかで「ああ、やっぱりいたんだ・・・」というような安堵さえも感じているような風潮さえあった。
 また、幽霊なども魔法的な影響を受けたのか、スペクターやファントムとしてこの世界に現れるようになってしまっていた。そして精霊の一つであるブラウニーもまた、さまざまな形でユーミーリアに現れていたのだ。もともと、フォーセリアでもブラウニーは特殊な精霊で、属する精霊界のない、いわゆる「もののけ」の類である。そのため、人間の建てた建築物に発生する、という特性を持っているのだ。そのブラウニーがユーミーリアで発生し始めたため、当然のことながら現代の建築物や都市の影響を受けた様々なブラウニーが誕生していたのである。
 そうした状況が少年たちに不安を感じさせ、その不安を隠すために苛立っているのだろう。
 それが判るだけに武斗や弘樹はチーマーの少年たちに同情を覚えていたのだ。
 次第に緊張感も薄れ、この状況に慣れを感じ始めていた。
 
 東京郊外、奥多摩の森の中で数人の男女が地面に座り込んだり、倒木に腰掛けたりしながら思い思いに時間をすごしていた。完全に自給自足の生活にはまだ達してはいないものの、順調に生活の基盤は構築されていた。テレビなども無ければ無いで何とかなってしまうものだ。
 そして精霊と交信する能力を身に着けた彼らにとって、自然の中にいるのは都会での騒々しい生活に比べてはるかに落ち着きを感じる。自然は決して退屈な場ではない。それどころか様々な精霊や小さな妖精たちとの触れ合いは何と驚きに満ち溢れたものか。
 ただ、気を付けなければならないのは恵美が遭遇した小さな怪物たちだった。まるで醜い子鬼のような姿をしたその人型の怪物は、驚いたことに簡単な武器を持っていたのだ。それは彼らがある程度の知能を持っていることを意味している。そんな存在がこの世界にいることに驚きを感じていたのだが、逆に小さな妖精もこの世界に現れたのだ、となんとなく受け入れてしまっていた。
 とはいっても、精霊の力を使いこなせる彼らにとってはそれほど大きな障害にはならない。森の中で生活をする以上、そこには自力で厳しい環境を生き抜く必要がある。キャンプ生活に慣れた者やバックパック旅行で世界中を放浪していた若者など、都会を離れて生きてきた連中がお互いに様々な技術を教えあって、自然の中での生活に徐々に順応していたのだ。その上で精霊の力を操ることが出来る、という特殊な力は極めて大きな意味を持っている。
 数十人の自然生活者達は今後、自分達の存在が世界に大きな意味を齎すことを知る由も無く、ただ、その毎日をゆっくりと過ごしていた。
「それにしても、あの変な子鬼は何なんだろうね」
 大学を中退して東南アジア諸国を放浪した挙句の果てにここにたどり着いた青年がのんびりとした口調で呟いた。さすがに最初はあの子鬼を見たときには仰天したのだが、今ではもう当たり前にさえ思える。
 彼もまた恵美と同じく精霊の力を使うことが出来る能力に目覚めていた。その上で初歩的な空手や格闘技を学んでいたため、この自然生活者たちの中ではいざという時に一番頼りにされているのだ。
 この奥多摩の森は広く、十分な動植物が存在する。
 子鬼の存在が報道されるようになってからハイキング客も来なくなり、わずか数ヶ月で急速に山道なども荒れ始めていた。それに比例してニホンザルや鹿などが我が物顔で走り回っている。当然のことながら、彼ら自然生活者も鹿などの動物を狩って食料にしていた。
 恵美や他の女性達は最初は気味悪がっていたのだが、最近では次第に糧を得るためだと慣れてきていた。もっとも、狩りは男がその役割を担って調理は女性達が行う、という役割分担が定着している。
 そもそも鹿はニホンオオカミが絶滅してから異常な数で繁殖してしまい、植生を食い荒らしてしまうほどに増え過ぎてしまったため、かなりの間引きが必要なのだが最近の子鬼騒動でハンター達が山に入ってこなくなったため急速に鹿が増え始めていたのだ。もっとも自然生活者たちの狩猟の道具はかなり原始的な弓矢である。竹とタコ糸で作った弓でも、それなりの威力があるために動物を狩るには十分であった。もっとも、その動物を狩ることが出来るようになるまで相当に苦労をしていた。
 結局、地元の猟友会のメンバーが最初の夏の間だけ内密に狩猟の方法やコツなどを彼らに伝授し、子鬼が現れ始めた山奥で自然生活者たちが鹿を狩る、という暗黙の了解が出来たのである。そもそも狩猟許可証を持たない人間が、しかも弓矢で鹿などの動物を狩るのは法律に違反するのであるが、不気味な怪物が出没し始めた今、警察などもそのような瑣末なことは黙認していたのだ。
 少なからず地元自治体や政府も猟友会や消防団などを活用して子鬼の駆除を試みていたのだが、中々成果が上がらず、徐々にお手上げ状態になりつつあったのである。これは日本だけではなく世界中で人間が山や森などに入り込めなくなってきていた。
 しかし、この自然生活者のような精霊を操る力を得た者たちにとっては子鬼といえどもたいした脅威ではない。何よりも夜の闇の中でさえ普通の人間よりも遥かに夜目が利く上に精霊の力を様々な形で振るうことが出来るのだ。
 精霊の力を操る者たちは、実のところ日本にしか存在しないわけではない。北米大陸では主にネイティブ・アメリカンやヒスパニックを中心としたグループの中に精霊との交信に目覚め、自然に帰って行ったグループが現れ始め、南米の国々では原住民たちや自然生活者たちが同じように精霊の力を操り始めていた。それはアジア各国やアフリカ諸国でも同様だった。逆に高度に文明化した地域では精霊との交信能力を持った人間はほとんど生まれないままだったのだ。
 もちろん、各国政府はそれら精霊との交信能力を持った者達を管理下に置こうとしていたのだが、逆に精霊の魔法や怪物などに歯が立たずに逆に都市部にその影響力を封じ込められつつあったのである。これはアメリカ合衆国のような都市間を結ぶ交通網に空路と高速道路を依存しているような国土面積が大きい国には非常に深刻な影響を及ぼしていた。
 未知の怪物に交通を阻害され、徐々にアメリカ合衆国や中国を始めとする国土の大きな国の大都市は孤立し始めていたのだ。そのため、その経済的な力が急速に衰え始め、結果として世界は徐々に不安定な兆しを見せ始めていた。ゴブリンのようなあまり強くなくても数の多い妖魔や、グレムリンのような空を飛んで魔法を使うもの、巨大化した動物や昆虫などが危険な存在として世界を席巻しつつあったのだ。それは海でも同様で、むしろ陸上以上に危険な怪物や巨大生物が海運を阻害しつつあった。中国沿岸では渤海・黄海の沿岸地域に大量のシーウォームが大量に発生して、人々は海岸線に近づけないほどであり、また、キラー・オクトパスやシードラゴン、シーサーペントなども世界中の海で見られるようになっていた。その結果、民間の船などは危険すぎて各国政府は航海を控えるように制限を加えざるを得ないほどになっていたのだ。
 そして中国はその著しい環境汚染が引き金になったのか、他の地域以上に危険な変異種の巨大生物や怪物が生まれていた。そしてそれらの脅威に人民解放軍で対抗しようとしたのだが、その膨大な数の生物に対抗しきれず、被害だけが拡大していった。
 また、日本海にキラーオクトパスとシードラゴンが発生したことで日本と中国・北朝鮮の間の船舶の往来に重大な影響が出ていたため、朝鮮総連や中日文化交流協会など、北朝鮮労働党政府や中国共産党政府と連携をしている組織は逆に交信手段を失い、大混乱に陥っていたのだ。(参照:「日本解放第二期工作要領」
 中国では既に国土の27%もの地域が砂漠化していたのだが、この砂漠にジャイアント・スコーピオンや様々な生物が棲み始め、もはや植林など出来るような状況ではなくなってしまっていた。このため、中国政府は遷都を検討していたのだが、この案は共産党内部の権力基盤の変化をも意味することから地域閥の間で熾烈な対立を生み出していた。だが、既に北京の西70kmにまで砂漠が広がり、やがて北京が砂漠に飲み込まれると危惧する研究者の指摘もあり、北京の住民の間にはじわじわと不安が蔓延していたのである。
 経済活動はまず何よりも社会が安定していることが前提条件になる。そして、交通網が阻害されるということは、ある意味では国家という体を流れる血液を止められるに等しいほどの影響を蒙ることを意味していた。
 未だ世界各国は辛うじてその軍事力を交通網や物資搬送のために振り向けることで世界経済は破綻を免れていたのだが、その状況が永遠に続くと楽観的に考えている政府関係者や企業経営者は皆無であった。
 しかし、そんな外の世界のことは奥多摩の自然生活者にとっては関心の範疇外だったのだ。
「都会から離れて生活するって、気が楽になるよな・・・」
 そんな気楽な言葉が木々の中に吸い込まれていった。
 精霊とより深く交信をするための修業も、実際にはどれだけ自分の精神を自然に近づけるかどうかであり、つらく苦しい修行とは明確に異なる。理屈で物事を考えるのではなく、感情と感性で自然の営みを感じ取るようにするため、自然生活者達はある意味で文明を否定するような生き方をし始めていた。
 もうテレビやラジオなどの文明の利器の必要性をほとんど感じていない。ただ、彼らの都市に残してきた家族と連絡を取るために森のはずれにある小さな小屋に郵便受けと電話、FAXなどを設置して、自然生活者のメンバーが交代で待機するようにしていた。こうすることで都市に残してきた家族が不必要に不安を感じることを減らす工夫をしていたのだ。
 このような配慮をすることで逆に、マスコミにいい加減な報道をされる機会を減らすことが出来るなら我慢をするしかない。
 だが、世界の至る所で闇は染み出すように姿を現し始めていた。
 
 その男が現れた瞬間、会場を埋め尽くすように集まっていた群衆はそれまでのざわめきを失い、その視線を男に向けていた。
 数百人の男女が真剣な眼差しを向ける相手は、意外なことにまだ二十代の青年だった。
 しかし、その青年が放つ雰囲気は落ち着いた重厚感を感じさせ、どこか安心して信じられるような気持ちにさえさせられるのだ。『教祖』と呼ばれるその青年は、いつの間にかこの東京に現れ、そして瞬く間に人々を魅了していった。
 特段、怪しいところは無い。しいて言うならば、他の新興宗教団体と違い、寄付や財産の提供がほとんど無い、という事だった。ある意味では不自然なほど健全な団体活動をしているのだ。
 教祖は多くを語らず、その代理人である6名の“導師”がそれぞれの弟子達を指導し、教えを与えていた。不気味な怪物が現れ始めたこの世界で人々は何かしらの救いを求めて、この青年の教えに縋りつくように救いを求めていたのだ。
「この世界は地獄になりつつあります・・・」
 唐突に教祖は口を開いた。
 その言葉が進むにつれて人々の目は熱狂の色を帯び始め、教祖の言葉に心酔するように教祖の言葉を繰り返していく。
「人々の罪がこの世界に悪夢を齎し、今、その悪夢が現実のものとして世界に現れているのです」
 その言葉に人々は涙を溢れさせて俯いた。まるで自らの罪を懺悔するかのように。
 しかし、その人々を安心させるかのように教祖は微笑みかける。
「恐れる必要はありません。これは偉大なる救世主様による世界の浄化の試みなのです・・・」
 教祖はその言葉とともに両手を大きく振るい、そして上に向けた両の掌から突如、真紅の炎が吹き上がった。しかし、教祖はまるで痛みも熱さも感じていないように平然と言葉を続ける。
「虫は醜い姿をしています。しかし、その虫は世界にいてはならないものでしょうか? ですが虫がいなくてはこの世界は狂ってしまうでしょう。花は種を結ばなくなり、そして自然環境はあっけなく崩れ去るでしょう」
 人々の心の中にはもはや、教祖の言葉だけしかなかった。
「毒のあるものは存在してはならないのでしょうか? しかし、この世界の生物の多くは毒をその身に持っています」
 その熱狂ゆえに人々は教祖の目に怪しい光が宿っていることに気がついていなかった。例え気が付いたとしても、恐らく人々はまったく気にすることも無かっただろう。
 その場に集まった人々はいつの間にか我を失ったように虚ろな視線で宙をぼんやりと見つめているだけになっていた。それはある意味で幸いであっただろう。何故なら、彼らはおぞましい黒いローブを着た悪夢が形をとったような存在を見ずにすんだのだから。その部屋はいつの間にか吐く息が白く染まるほどに冷え切っていた。
 空中には幾体もの黒いローブの魔物が踊るように浮遊し、まるで地獄の舞踏会を覗いているかのようだった。そして不意に一体のイギュイームが、獲物を見つけた水鳥が急降下するように滑り降り、そして骸骨のような手を伸ばして顔を一人の若い女性に向ける。そのまま30cmほどの距離に顔を近づけると、ぽっかりと虚ろな穴が開いたような口を開く。そして何かをひゅうぅ・・・、と吸い込み、そして再び空中に舞い戻って行った。
 その後には青い表情をしながらも変わらない虚ろな眼差しで空中を見つめている女性が残されていた。
 そして、別のイギュイームが滑るように舞い降りて、別の男に近づいてまた、何かを吸い込み、そして空中に舞い上がる。それはおぞましいイギュイームの食事だった。この不気味な魔物は人間の精神を啜り、自らの糧にしているのだ。
 闇の魔物は次々に哀れな犠牲者の上に舞い降りてはその精神を啜り、空中へと舞い上がって行く。教祖と6人の導師は満足げな笑みを浮かべながら、その悪夢の如き光景を見つめていた。
 
 
 

第四章 新世界~ The New World ~
No.3

 
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