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 恵美は光の精霊の柔らかな光に照らされながら夜の森を歩いていた。
 もちろん、彼女だけではない。
 数十人の男女が一緒にいた。彼女と同じように都市生活に順応できなくなった人達である。
 彼らは近代都市の息の詰まる生活を嫌い、そして自給自足の生活を作るために、あえて都会から脱出したのだ。
 一番恐ろしいのは一部の週刊誌などに見られる、何でも面白おかしく取り上げようとする興味本位の報道だった。このようなメディアは読者や視聴者の興味を書きたてるように記事を巧みに脚色し、そして馬鹿騒ぎにまで仕立て上げる。
 だから、恵美は弁護士とも相談し、自給自足で生活を試みる方法を模索していた。完全に都市文明との接触を遮断するとあらぬ誤解を受けるから、まずは過疎の農村地帯や離れ小島などで現地の人間と協力しながら生活をしてはどうか、という提案を受けていた。さらにはまっとうで真摯なドキュメンタリー番組を作る報道にも強力を仰いで、新しいライフスタイルの試み、という方向性で活動するように、とも言われていた。
 恵美はその実際の生活よりも回りくどい手続きにうんざりしながらも、確かに一部のカルト教団や思想団体がテロを起こしたりした事実から、一般市民は自分達と違うライフスタイルを持つ集団に警戒心を抱くのだ、という指摘に納得してもいたのだ。
 例えば、アメリカではサバイバリストなどの連邦政府や州政府から完全に独立したり、自給自足を維持できる組織もあるが、日本では異質な存在は必要以上に警戒を生み出してしまう。
 何も知らなければ面白おかしく騒がれる対象になるだろうが、自分達のライフスタイルをオープンにし、そして近くの共同体にも打ち解けてもらえるように努力をすることで無用なトラブルを避けることにもなる。
 更には近年の省エネルギーや環境保護、スローライフの模索などのマスコミが大好きなキーワードを上手く使って説明することで逆にマスコミを味方に引き入れることさえ可能なのだ、とその弁護士はアドバイスをくれた上で、可能な限り協力しようと申し出てくれたのだ。
 選んだのは都心から離れた奥多摩にある小さな廃村だった。
 完全に自給自足する事を目標に、しかし、医療施設や義務教育を終了していない子供のための教育問題など、考えなければならない問題は山積していた。
 医療の問題は恵美や何人かの女性が生命の精霊の力を借りれば解決は出来る。しかし、それでは世間は納得しない。最終的には医師免許を持つ若い青年が近くに診療所を構えることで決着がついた。この青年の滞在は近くの村の人々には喜ばれたのだが、これは完全に予測していなかった。
 子供達の勉強の問題も、廃校間近だった村の学校に通うように手配し、何とか対応も出来るようになった。学校側も、急に入学してきた生徒が増えたおかげで当面の存続が認められ、村民達にも喜ばれたのだ。
 そして、恵美の新しい生活が始まっていた。
 当然の事ながら、弘樹達プロメテウスもこの自然主義者のグループの存在に気がついていたのである。
 
 それは日頃からの癖なのか、青年は銀縁の眼鏡をごそごそ、と弄っていた。
 別に大した事でもないのだろうが、多少は気になるときもある。
「ねぇ、何時も“オラクル”ってば眼鏡を弄ってるのね」
 “エンジェル”-木村涼子がアイスコーヒーの氷をからからとストローで突っつきながらぼんやりと疑問を口にした。
「唯の癖だよ」
 ひょい、と肩をすくめて“オラクル”と呼ばれた青年-楠木春彦は苦笑しながら答える。
 研究所の技術者や研究者達も苦笑しながら自分達の眼鏡を直していた。
 流石に技術者と呼ばれている人間は近眼の人間が多い。
 また、LASIKなどの近視矯正手術もあるのだが、それを受けるほど必要性を感じていないのも事実だろう。だから、必然的に眼鏡やコンタクトレンズのお世話になっている人間が多いのだ。
 もっとも、春彦は古代語魔法の視力拡大の魔術の力を借りて普通の視力を取り戻している。
 だが、彼の“視力”は物理的な“眼”によるものだけではない。
 彼の“能力”は電子の機器と繋がって、その力を最大限に発揮する。
 春彦はこの能力を駆使して、電子戦における最強の能力者としての立場を揺るがないものとしていたのだ。実際、彼の身に付けた能力により、日本国政府や自衛隊はかつて無い程の強力な情報機関を構築し始めていた。
 現代の戦争や外交戦はまず、何よりも情報戦である。
 各国が偵察衛星や諜報機関に膨大な人員や予算を投入しているのも、全てはこの情報戦に対する優位性を確立するためなのだ。
 特に、米国と英国を中心とした国による、“エシュロン(Echelon:梯子(仏)、三角編隊:アメリカ軍事用語)”と呼ばれる盗聴ネットワークの存在が噂されている。この世界規模の盗聴ネットワークはアメリカ合衆国のNSA(National Security Agency:米国家安全保障局)を中心としたイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの五カ国で作られた諜報ネットワークである。
 インターネット上に流れる情報、電話、FAXなどのあらゆる電子ネットワーク上に流れた情報を盗聴し、全ての情報を貪欲に飲み込んでデータベース化する、というこのシステムは事実上世界中のあらゆる電子メールとファックスのトラフィックを途中で捕らえ、自動分析にかけるてしまう大規模なシステムである。アメリカは日本国内にも、青森県の米軍三沢基地に通信傍受システムを持っている。それはエシュロンのネットワークの一部なので、三沢を拠点に、日本国内の通信が傍受されている可能性もあるのだ。当然の事ながら、これは産業においても企業機密や取引情報などが筒抜けになってしまう、ということを意味する。
 実際、1980年代には、日本が再びアメリカ合衆国の「潜在敵」として浮上した。日本は戦後、急速に経済力をつけ、製造業だけでなく、金融業などでも世界的な影響力を持ち始めており、アメリカは警戒感を強めた。1981年、アメリカは西海岸のワシントン州にある陸軍施設内のレーダー施設で、日本政府と各地の日本大使館との通信を重点的に傍受するプロジェクトを始めたとされている。
 このころ、日米間では貿易摩擦が激しくなっており、アメリカは日本側の通信を傍受することで、海外市場での日本企業のダンピング(不当な安値販売)などの証拠をつかめると考えたのだろう。アメリカだけでなく、オーストラリアやイギリスの施設をも動員し、世界中の日本大使館の通信を傍受していた。
 現在、アメリカ合衆国当局や議会はエシュロンの存在を認めておらず、米国家安全保障局の全貌も明らかにはなっていないが、この噂や湾岸戦争におけるエシュロンの実績が各国政府の安全保障に関して極めて重大な関心事項となっていた。
 その為、日本はこの魔法を用いた完全に安全な情報伝達方法を確立するために全力を投入していた。また、最悪の場合、日米安保条約の破棄を通告される事をも想定して、魔法による国家防衛システムの構築まで視野に入れた極秘プロジェクトを発足していたのだ。
 当然の事ながら、このプロジェクトに関してはインターネット、FAXはおろか、電話による話さえも禁止され、参加するメンバーの了承を得て<制約ギアス>の呪文で情報漏洩を防ぐ、という対応まで行われているのだ。
 一つは魔法システムによる極秘の通信ネットワークである。幻影魔法と付与魔術を応用し、大規模で盗聴されることの無い通信ネットワークを確立させることだった。
 そしてもう一つは魔法技術を応用した既存のネットワークのセキュリティの強化である。
 これとは別にダミーの計画をでっち上げ、最近はやり始めたピア・ツー・ピアのネットワークを利用した、セキュアな通信の構築という名目である。これはグローバルなネットワークの中にVPN(仮想プライベート・ネットワーク)というものを構築し、他者から見られないようにする、という技術である。だが、エシュロンの性能を考えるとこれさえも盗聴される可能性があるため、その暗号強度を強化し、日本の在外公館との接続を安全にする、と公表していた。こうすれば日本の関係者が動いていても何をしているのかがまるっきりわからない、という訳でもない。そして、米国の国家安全保障局などは、その暗号の解読はエシュロンのパワーを増強することで対応できる、と考えるために精々が日米安全保障条約上の懸念を表明する程度のことだろう。
 実際には魔法素材を用いた軍備の強化、拠点防衛能力の強化、ライフラインの保全手段、更には災害時の対応能力など、あらゆる危機に対する対応能力の強化を図ることとなっていた。現実的に、眞から転送されてきた魔法の結界装置の製造方法を記した古代語魔法の魔法書により、強力な結界システムの構築は既に始まっていたのだ。
 原子力発電所に対して、地震発生時のダメージを防ぐための反空中浮遊構造化と対テロ用の強力な防衛結界発生装置の設置である。北朝鮮の特殊工作員によるテロ活動が行われた場合、最も狙われやすいのが原子力発電所のためだ。
 また、他にも魔法を応用した食糧生産システムの構築や産業資源の創造システムなど、極めて重要な産業基盤も研究が始まっていた。
 特にエネルギー機関としての魔法システムの応用は非常に有力だった。
 眞が異世界フォーセリアで開発した“電気の壷”や“魔法動力機関”の技術書は極めて大きな意味を持っていたのである。
 まず、石油などのエネルギー資源が入手できなくなった場合、産業に対して致命的とも言える打撃を被る。原料が調達できなくなれば、プラスチックなどの石油化学製品が完全に停止し、それを応用した産業が崩壊する。そして、他のそれに依存しない産業も、移送手段には石油燃料に依存せざるを得ない。
 その為、まず、電力の供給能力維持は絶対に欠かせない重要事項だった。
 その他の工業資源に関しては魔法を応用した海底採掘能力を用いて海底資源を有効に活用することが出来るようにする。
 さらに、その上で食糧生産能力を高めるのだ。
 特に、東京のジオフロントの地下に食糧生産のためのプラントを創り出す計画も立っていた。
 もっともこのような全てにおいて何でもやってしまおう、という考え方は“軍”という完全に独立して動くことが出来る組織を指揮する防衛庁の本能とも呼べるものだろう。
 それでも、その全面的なインフラ基盤を強化し、安全保障能力を高めるためにはある程度、自給自足率を高める必要はあった。
 また、海上に魔法都市技術を応用した海上ステーションを構築すれば漁業能力の向上も期待できたのだ。更には宇宙ステーションと地上を“次元の門”で結んで、簡単に宇宙との行き来を行えるようにする、という目標も立てられていた。
 そして、中国政府が「ただの岩礁」と言っている沖ノ鳥島を十分に隆起させて、経済活動が可能な面積を確保するための計画もある。もっとも、これほど大掛かりな魔術は現在のプロメテウスのメンバーだけでは無理があるため、どうしても眞の力が必要になるのだが。
 ある意味ではそれは日本の官僚や政治家、いや、国民が抱いてきた鬱屈の発露だったのかもしれない。
 果てしなく謝罪と反省を要求し続ける中国共産党政府と大韓民国政府、何かに付けて横槍を入れてくるアメリカ合衆国政府。しかし、米国との強調無しでは国家的な生命線の維持さえも困難になる現実と中国共産党政府や韓国政府に御注進をし続ける左翼メディアの存在が日本に独自の道を歩ませる事を暗黙のうちに後押ししていた。
 だが、インターネットの普及により、一部メディアによる反政府的活動とリンクする中国・韓国コミットメント活動の実態が一般市民にも暴露されるようになり、その結果、情報や存在を封殺されてきた保守派がその活動や勢いを増してきたことが日本の政治を変えつつあったのだ。
 他にも、この魔法技術は個人的な安全の維持にも非常に役に立つ。
 付与魔術の応用で、人間が魔法の結界に護られ、また、<飛行フライト>の呪文の効果を永続化することで危険な犯罪からも簡単に逃げられるようになる。ピッキングなどの犯罪に対しては<施錠ロック>の呪文や<強化施錠ハード・ロック>の呪文は非常に役に立つだろう。
 また、重力を制御する空間を地球上に作り出すことが出来れば、産業に対してもきわめて重要な意味を持つ事になる。
 魔法技術の研究に一通りの目処が立った段階で、弘樹達はこれらの魔法技術を公開し、一般向けに展開する予定を立てていた。
 そして理恵は弘樹に師事して魔術や古代語魔法の勉強を行っている。彼女は中々優秀な生徒で、乾いた大地が水を吸い込んでいくかの如く、新しい知識と力を覚えているのだ。
 弘樹は、理恵がひょっとすると自分を凌駕するだけの才能を持っているかもしれない、と感じるまでになっていた。
 もちろん、弘樹とて眞と伊達の代わりにプロメテウスを率いる者としての実力がある。だが、その彼を超えていくかもしれない理恵の才能に驚嘆し、その若い才能を鍛えてみたいという想いを抱いていた。
 
『魔術とは所詮は力でしかない。それをどの程度身に付けるか、よりも、その魔術を使って何を成し遂げるか。それこそが真に魔術を追求する、って意味だ』
 
 彼らに魔術という新しい火を与えた稀代の天才は、その深い紫と蒼い瞳に揺ぎ無い意思を湛えて彼らに語っていた。
 そして世界は動き始めていた。それを人が望んでいるか否かに関わらず・・・
「しかし、この魔法、というのは途轍もないものなのですね・・・」
 驚嘆したように一人の若い男が呟いた。
 かつてチョウベツ、ニベツと呼ばれていた日本の誇る情報機関は、一九九七年四月に新しい機関として再構築されていた。
 防衛庁がその存在を最大の国家機密として秘匿するコミュニケーション・インテリジェンス機関は、“陸上幕僚監部調査部調査第二課別室”と呼ばれていた名称から情報本部という些か平凡な名称へと変更されて再スタートを果たした。もっとも、この機関に関して知られている事は余りにも少ない。
 一九八三年の旧ソ連空軍戦闘機による大韓航空機ミサイル撃墜事件でその驚異的な能力と共にその存在が国民の目に明らかになったのだ。しかし、この情報機関が国民の前に姿を現したのはその一度のみであり、それからもなお、厚い機密のヴェールの中で静かな情報戦を戦い続けていた。
 そして一九九七年の組織変更でこのコミント機関はその名前のみならず組織的にも、かつては便宜上、陸上自衛隊の傘下に置かれていたのが、全く新しく、統合幕僚会議の指揮下に入る事になったのである。
 電波情報収集を主に担当する電波部、陸上幕僚監部の一〇一測量隊から引き継がれた衛星写真の解析を行う画像部、国際軍事情報全般と地域別情報の収集と分析を担当する分析部、情報業務全般の調整、年度情報計画、業務計画、データ管理に関する業務を行う計画部、総務、会計、人事、教育に関する業務を行う総務部の合計5つのセクションに加えて全国に分散する傍受基地に勤める隊員達が情報本部を形作っている。
 その日本最大の情報機関に、新しく設立されたのがまだ正式名称も決まっていない“零班”である。
 零班は日本で、いや、ユーミーリア世界と呼ばれる事になる我々の世界で始めて、魔法を“技術的に”運用する情報機関であった。
 旧ソ連時代や当時の合衆国は超能力を持つとされる人材を活用してスパイ活動や偵察活動を行おうという計画があったとされている。しかし、その情報は所詮、人が伝聞をする情報であり、正確さや客観性に疑問符がつく、という程度のものだったらしい。
 しかし、この零班で試験的に運用を始めた魔法偵察システムは、実際に眞が異世界の王国で偵察システムとして運用し、技術的にも能力的にも完成度の高いものである。
 かつて自民党のナンバー3だった祖父の血と人脈を受け継いで、幼い頃から政治と現実の厳しさと醜さを知り尽くしている少年は、狡猾で巧みな戦略を元に日本という国家のシステムにさえ徐々に影響を齎し始めていた。
「まあな。このシステムは我々のリーダーが産み出したシステムの一つだ。あの人がいなければ、我々は何も出来なかっただろうし、そもそも、こんな大それた計画など思いもつかなかっただろう」
 春彦は苦笑しながら若い技術仕官に答えた。
 この技術士官達もまた、魔法システムを用いて晴彦と同じように電子の世界に意識を飛ばすことが出来る。もっとも、彼らは単にそのような魔法装置の運用が出来る、というだけで、春彦のように電子の世界に直接、自分の力で入り込めるわけではない。
 現在、このシステムを用いて電子の世界を“視る”ことが出来る情報捜査官は五名いる。
 三台の魔法装置を交互に運用しながら、電子の世界を油断無く見張っていた。
「電子の世界がこのような世界だとは、思いもしませんでした・・・」
 感慨深げに一人の青年が呟く。
「ん・・・、最初は俺も驚いたからな・・・」
 あの生まれて初めて、電子の情報の流れに飛び込んだ瞬間の事を、春彦は鮮明に覚えていた。
 元々、彼は優秀なプログラマーであり、技術者だった。そうした縁があり、天才ハッカーと言われていた眞の事も噂程度には聞いていた。
 ハッカー、という言葉がまだ、危険な電子犯罪者、という意味で用いられる以前の、古き良き時代のいわゆるハッカーと呼ばれる、彼らは最後の世代だろう。
 この点で春彦はマスコミを嫌っていた。
 単なる語感で、古き良き伝統的な凄腕の技術者に対する敬称を、単なる情報犯罪者の代名詞にしてしまったメディアを彼は憎んでいた。何度、彼らが抗議をしても、マスコミは面白おかしく“ハッカー”という言葉を使い続け、そして最終的にハッカーという言葉は電子犯罪者や不正侵入者という意味として定着させられてしまったのだ。
 クラッカー(破壊者)という、彼らハッカーや昔からのコンピュータ技術者が呼ぶ言葉があるにも拘らず・・・
 所詮はマスコミは雰囲気を売る商売である。
 だから、彼らが面白いように、商売になるように物事を脚色し、編集し、そして歪曲していく。
 そのメディアへの反発がインターネットの時代になって一気に噴出した、という点で人類はかつて無い社会的なパラダイム・シフトを迎えようとしていた。
 この秘密情報機関からは、内閣総理大臣と自民党に対して秘書官が一人ずつ派遣されていた。
 表向きはただの政策担当秘書、という名目であるが、実際には自民党と内閣総理大臣に対して最大級の国家機密である超極秘情報を提供するための窓口である。また、各省庁に対しても魔法プロジェクトの担当者は同じように担当者を派遣し、そして相互に情報交換を行っていた。
 これは眞が事前に行っていた手回しにもよる。
 本来、日本に限らず、どこの国でもセクショナリズムは重大な問題だった。
 それを打破するために、眞はまだこの世界にいる時から、自分の祖父の人脈を使って巧みにネットワークを構築していたのだ。
 ただし、それには外務省は含まれていない。
 政治家からさえも「お前たちは何処の国の外務省なのだ!」と言われるほど他国に迎合する傾向の強い今の日本の外務省は、日本の政治家や他の官僚達から全くといっていいほど信用されていなかった。実際に、僅か数人の外務省キャリア官僚が個人的に誘われて参加している程度だった。そして、その外務官僚達は魔法による厳重な制約の上で参加を許され、機密の徹底を図っていたのだ。
 魔法、という胡散臭い響きの言葉による技術の存在とそれに対する研究を知ればマスコミは徹底的に非難する馬鹿騒ぎを繰り広げるのは目に見えている上に、それが現実のものだとすれば今度は、「技術の独占は世界の平和と繁栄に反する」という奇麗事で騒ぎ立てて、何とかして日本の技術的優位性を他国に売り渡そうとするだろう。
 その為、絶対的な技術的アドバンテージと関連する法律を作成して、外部、特に反日的な傾向がある潜在敵性国家に対する魔法技術漏洩を防ぐ必要があった。
 もっとも、現時点で魔法技術を使いこなせるのはプロメテウスのメンバーだけであり、その取得には特殊な訓練が必要になる。
 それに加えて、魔法は古代語魔法の呪文の取得が不可欠なのだ。
 何人かいる魔法の工芸品の製作者達も、実際に古代語魔法の技能を持っているわけではなく、その能力を貸し与えられているだけである。
 要するに共通語魔法コモン・ルーンと同じ原理だった。
 付与魔術の秘術で、魔法の工芸品を創り出す能力を付与されているに過ぎない。古代語魔法の原理を知り、呪文を理解したうえで力を使えるようになっているわけではないのだ。
 しかし、それでも日本の産業界はこの絶好の機会に自らの優位性を確立すべく、密かな計画を進行させていた。
 
 空を飛ぶ、という技術を確立させた人類だったが、それでも、個人が自由に空を飛ぶ、という事は未だに実現できていない。
 飛行機も、確かに空を飛んで移動できるが、空中散歩のように、気軽に個人が楽しめるようなものではなかった。
 だが、理恵は初めて、「空を自由に飛ぶ」という楽しみを味わっていた。
 魔法という力の偉大さを改めて実感した瞬間だった。
 古代語魔法には、その名の通り<飛行>という呪文がある。
 魔力の見えざる翼によって人が自由に空を飛ぶ事を可能にする、というこの魔法は、まさしく人々が抱いている“魔法”という未知の力を具体的にイメージすることが出来る象徴とも呼ぶべき呪文だろう。
 重力の束縛から解放され、自分の思うがままに空を舞う少女は、自分の目の前に広がる光景を決して忘れる事は無いだろう、と実感していた。
 地上では四輪駆動車や様々な計測機器を積み込んだトレーラーが数台、停車して何人もの技術者や自衛隊員たちが忙しそうに働いている。これはあくまでも実験だ、と考えた。それでも、頬が緩むのを止められない。
「凄いよね、これって!」
 自分の友人達にもこの感動を教えてあげたかった。
「へへ、凄いでしょ!」
 エンジェル、というコードネームで呼ばれている涼子は、自分の“能力”である“光の翼”を広げて、本物の天使のように軽やかに宙を舞っている。
 弘樹や何人かの被験者も同じように空中を思うままに飛んでいた。
 付与魔術による人体への魔力の安全性の研究、という名目である。
 もっとも、拡大魔法という魔法自体が人間や生物の肉体の能力を拡大する、というものであり、安全性という意味では疑い様が無い。実際には安全だ、という事を証明するためのデータ収集に過ぎなかった。
 それでも普通に付与されただけでも時速50kmという速度で空を飛ぶ事を可能にする<飛行>の呪文は、何も防御無しに空を飛んでいる人間が何かに衝突した場合、非常に危険だった。
 その為、眞から教えられた<魔力障壁フォース・シェル>の呪文で人体を護る事を考えていた。
 何人かの屈強な陸上自衛隊のレンジャー隊員が志願して、この魔法の障壁で護られながら、<飛行>の呪文で全力で飛行しながら壁や障害物に体当たりをして、その衝撃データを収集していた。もちろん、事前に各種センサーを搭載した計測器自体を空に飛ばして、その衝撃や各種のデータを収集し、安全性を確保している。
 もっとも、これには魔法の障壁で護られた兵士がどれだけ安全に作戦を遂行可能なのか、を調べる意味もあると想像できた。
 兵士の安全は、今の先進国では非常に重要な政治的意味を持っている。
 また、日本の代表的な自動車メーカーなども空を飛ぶ乗り物を作っていた。
 一時、インターネット上で話題を集めたSegwayに対して「空を飛ぶスクーターだ」などの、かなりアヤしい噂が飛び交ったのも、未知の新技術による今の世界観のブレイク・スルーを無意識に期待する人々の心理の表れでもあるだろう。
 日本最大のオートバイ・メーカーの一社は、実際に“空を飛ぶスクーター”を作っていた。
 反重力でもなんでもなく、<飛行>の魔力を付与したスクーターで、最大高度10メートル、時速50kmで空を飛ぶことが出来る。最大積載重量は120kgあるので、まあ、よほどの重量物を載せない限りは空を飛べる。もっとも、ぎりぎり二人乗りが出来ない重量制限にしてあるのは国土交通省と公安委員会の“スクーター準拠”の乗り物では二人乗りをさせたくない、という安全意識からだった。
 高さ10mから転落した場合、即死する危険が高いため、仕方が無いところだろう。
 実際に、この飛行スクーターは安全ベルトで身体を固定しなければ動かすことが出来ないようになっている。
 また、別のメーカーは空を飛ぶ自動車のようなものを作っていた。
 軽自動車ほどの大きさの大きな卵のような形のこの乗り物は、実際には車というよりはヘリコプターのような動きをする。最大高度は同じく10mで、こちらは最大時速150kmで空を飛ぶ。軽自動車ほどの乗り物だけあり、最大積載重量は600kg確保されていた。
 他にも自衛隊では次世代戦車にこの魔法技術を導入し、開発を急いでいた。また、ゴーレム創造の技術を応用して、無人偵察機や無人航空機、ロボット兵器の開発が進められている。
 特に、潜水艦の魔法化は緊急の課題として研究開発が急いで進められていた。
 隠密行動を必須とする潜水艦は、その与えられる任務の性質上、徹底した防音を要求される。しかし、現在、日本に配備されている潜水艦は全て、ディーセル式の潜水艦だった。これは非核三原則により、原子力を用いた軍事力の整備が禁じられているためである。
 だが、ディーゼル機関により発電した電力をバッテリーに蓄えて、それを用いてモーターを駆動させて行動するディーゼル方式の潜水艦は、どうしても原子力潜水艦に比べて行動に制約があり、また、察知される危険性も増す。
 日本の平和団体が、海上自衛隊に原子力潜水艦を配備する事を嫌い、反対するのは海上自衛隊の戦闘能力に歯止めをかけ、その能力を高める事を警戒するためである。だが、それが結果として中国やロシア、北朝鮮などの近隣諸国の潜水艦戦力とのバランスを欠き、日本の領土防衛に悪影響を及ぼしていることなど彼らは一顧だにしていなかった。
 いや、むしろ中国共産党政府にしてみれば適度に彼らを刺激しているだけで自分達の脅威になり得る日本の海軍の潜水艦戦力を抑止できるののだ。これほど楽で安上がりな防衛戦略は無いだろう。
 だが、魔法技術による軍事力整備は何の制約も無い。
 だからこそ、魔法技術による自衛隊の軍事力強化は急務だった。
 他にも緊急時には“次元の門”による隊員の退避や人員の入れ替えなどが可能になるため、潜水艦自体を海上に浮上させる必要もなくなる上に、遠見の水晶球などの遠隔透視技術は潜水しながらの戦闘能力や索敵能力を著しく向上させる。また、遠隔操縦が可能なロボット兵器を搭載することで、いわば海中空母的な役割を持たすことも検討されていた。
 船体自体の構造物を付与魔術で強化し、環境維持機能を魔法で実現する事により、その潜水艦はかつて無い最高深度と機動力、行動能力を持つ兵器になる。
 潜水艦の乗組員にとって、一番の負担は音を立てずに行動するという緊張感と閉ざされた空間にいるという圧迫感、また、万が一、事故が発生しても逃げる場所が無い、という恐怖である。その為、物理的に潜水艦の潜行時間や行動時間が長くなっても、クルーが耐えられない。それを解決するのが魔法による転送機能である。
 防音機能に関しては魔法を使うことで完璧な消音機能を得られる上に、驚くほど高いステルス性を持っている。まず、現在のソナーやレーダーでは捉えることが不可能だった。
 そして、次元の門による転送装置を備えることで万が一の事態でも退路を確保できる。
 それに加えて、魔法による生存環境の維持と極めて安全な情報の伝送技術はクルー達に与える負担を最小必要限度に抑えていた。
 もっとも理恵にはそれは余りにも政治的な話だったため、あまり関心が無かった。
 頭では軍事力が外交力に大きな影響を及ぼす事は理解できる。しかし、感情的には軍事力というものが、あまりにも自分の考えと相反する力だと思えてならない。
 人はどうして平和を願っていながら、軍事力を捨てられないのだろうか。
 その疑問を大人の人達にぶつけてみた事がある。
 返ってきた答えは、余りにもシンプルなものだった。
「もし、世界の人がみんな、理恵ちゃんのような優しい考えを持っていたら、可能かもしれない。でもね、同じように平和を願っていても、考え方、ちょっとした意見の違いが大きな意見の対立をもたらしてしまう。そんな対立に、今度は利害関係が関わると、もうどうしようもなくなってしまうんだ。だから、そうならないようにしっかりと軍事力を持つと、今度はそれが却って警戒心をお互いに引き起こしてしまうんだよ・・・」
 
 
 

第三章 侵略者~ Invader ~
No.3

 
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