~ 3 ~

 恵美はいつものようにのんびりとハーブ・ティーを淹れていた。
 京子の夫はどうやら無事に回復に向かいだしたらしい。そして、京子も彼女の夫も、何が起きたのかを誰にも言うことも無く、今まで受けた化学療法の内の何かが効果を表したのだろうと周囲には告げていたのだ。
 時々、京子は恵美に連絡をしてきては二人で出かけたりするような関係を続けていた。宗教団体に関しては、以前ほどのめり込むようなことはもう無く、かといって完全に関係を断ち切っていざこざを起こさないように、慎重に関係を維持している。緩やかに、ではあるが以前の日常に戻り始めていた。
 彼女の部屋は、今はもう熱帯植物園とも言えるような状態になっている。恵美はもう都会の日常でコンクリートに囲まれて生活することが耐えられないほどのストレスになってきていることを実感していた。徐々に彼女の力が強まっていくに従い、彼女自身が自然の中に、特に森の中にいることを渇望し始めているのだ。
 抑え切れないほどの強い衝動が彼女を突き動かそうとすることがあり、彼女自身、自分の能力に怯えていた。しかし、京子や自然主義者として生きる人たちとの交流の中で、かろうじて日常生活とのバランスを取ることが出来た。そして、彼等は恵美の持つ不思議な力を特別視することも無く、ごく当たり前に受け止めてくれたのだ。
 今では恵美は自分の意思で植物と会話をするだけでなく、世界が『精霊』と呼ばれる存在による自然力の根源から力を与えられて成り立っていることを知っていた。そして、光を呼び出したり、風を操り、炎を礫として放つこともできるようになっていた。その“精霊”に語りかける言葉があることも知ったのだ。
 驚くことに彼女と特に親しくしていた小学生の男の子が、恵美が精霊に話しかけるのを暫くの間、見様見真似で挑戦し続けて、そしてついに実際に精霊と交信することが出来るようになったのである。それがきっかけになったのか、自然主義者のグループの内の何人かが精霊と交信する能力を身に付け始めていた。これで判ったのが、恵美が精霊と交信する能力は、素質があるものならば取得が可能な能力であることと、植物と強く交信し、その植物の力を直接借り受けることの出来る能力、そして植物の成長を操れる能力は恵美にしかない能力であることだった。
 そして、恵美は密かに決意していた。
 自然に帰ることを・・・
 
「で、警察はどう動いてる?」
 茶髪の青年が黒ずくめの少年に尋ねる。少年は一瞬だけ遠い目をして、何かに精神を集中させて答える。
「いつもの通り。奴等は武器が何なのか、目的は何なのか、周辺の証拠を嗅ぎ回ってるけどね」
 小馬鹿にしたような口調な少年の口調に、青年は苦笑を漏らしてしまう。まったく、この少年の警察嫌いは徹底しているものだ、と頓珍漢な感想を抱いていた。だが、この“シャドウ”というコードネームで呼ばれている少年-神崎武斗-は、影を自在に操る能力を持ち、彼らのチームの中でも最強の戦闘力を持つメンバーの一人である。そして、純粋に高い戦闘能力を持つだけでなく、影を通じた転移能力、特殊工作能力、情報収集能力などを併せ持つ有能な人材だ。
 まだ15歳の少年がぼんやりと時間をつぶすには似合わない大人びたジャズ・バーには、何人かの若者たちと数人の大人がいるだけだった。このジャズ・バーは渋谷の道玄坂から少し裏手に入った場所にある目立たないビルにあるバーだった。だが、既に金曜日の夜、それもマスターの趣味で上品なインテリアとLP盤から奏でられる70年代のジャズを持ち味にしているという、ちょっと格好をつけたいカップルならば絶対に時間を過ごしたいであろう場所に、ほとんど誰もいないのはある意味では不思議だった。しかも、明らかに未成年と思われる少年と少女が数人いるのだ。
「で、“ウィザード”は如何したいんだい?」
 少し悪戯そうに笑みを浮かべて、武斗は“ウィザード”というコードネームの茶髪の青年-来生きすぎ弘樹-に尋ねかけた。彼は一瞬、手にした本に視線を落とし、静かに答えた。
「“ネットワーク”をもう少し補強したい」
 その言葉に、水蓮は一瞬だけ表情をかげらせる。
「あの子を私たちの仲間にするのね?」
 水蓮の問いかけ、というよりは確認の問いに、弘樹はゆっくりと頷いた。そして、そっと視線を落ち着かないようにきょろきょろとあちこちに向けている少女を一瞬、見る。
「彼女は、おそらく“古代語魔法”の素質をも持っている。貴重な存在で、そして、もし他の組織の手に渡れば危険な存在だ」
「そして、“ウィザード”である貴方は、彼女に何を期待しているの?」
 その水蓮の問いかけには答えずに、弘樹は目を閉じ、詩を吟じるように言葉を紡いだ。
「“世界は求めている。自らを決めるものを。人はすべて小宇宙ミクロ・コスモスであり、大宇宙マクロ・コスモスの写し身である。英知ソフィアは世界と調和し、認知グノーシスは人を遥かなる高みへと導くであろう”」
 その言葉に水蓮は微かに眉をひそめる。
認知主義グノーシスの考え方、ね。でも、世界はそれを望んだとして、人はそれを望んでいるのかしら?」
 一瞬、弘樹は遠い目を虚空に投げかけ、ぽつり、と呟くように答えた。
「人が望むと望まないと、世界は人に巣立つことを望んでいる。子供がいくら大人になりたくないと言っても、親も回りもそれを許さないだろう?」
 そう。もう人は十分に成熟していると言ってよいだろう。自分の運命を自ら決してもおかしくないほどに。ある意味では近年の生命工学や遺伝子工学、科学技術は人が自然の運命に従わずに、自らが自然を変えていくほどに高度な発展を遂げている。米プリンシトン大学のリー・シルバー教授の著書である「複製されるヒト(Cloning Eden)」によると、人は近い将来、2つの種族に分かれていくと言う。一つは今のままの自然種ナチュラルと、もう一つは人為的に遺伝子工学による改造を受けた“ジーン・リッチ”である。ジーン・リッチは人工的に遺伝子を操作して知能を高め、免疫能力を向上させ、また肉体的な運動能力や寿命、そして外見的な美しささえも高められた、言わば人為的に進化した人類である。チンパンジーと人との間には、およそ3%の遺伝子的な差しかないと言われているが、ジーン・リッチとナチュラルの間の遺伝子的な差が、ヒトとチンパンジーとの差より大きくならない、という保証は無い。
 そうなるとナチュラルとジーン・リッチとの間には交配能力さえなくなり、最終的に人は2つの種族に分化していくことになる。そのため、宗教団体などは神の領域を侵すものとして激しい反発をしているが、人が“他人よりも優れた頭脳を持ちたい”、“他人よりも頭が良くなりたい”、“病気をせずに長生きしたい”、“美しくなりたい”という欲望を捨て去らない限り、いずれはジーン・リッチは生まれてくるだろう。
 また、親が自分の子供に、お金でそのような能力を与えられるならば、人はそれを拒絶できるであろうか?
 そして、一人でもジーン・リッチが生み出されたならば、あとはもう人は戻ることは出来ないだろう。その上で弘樹や水蓮などのような“能力”を得た超人類が存在する。
 彼等は特殊な秘薬である“エリキサー”によりその能力を覚醒させられたものたちだ。彼らにエリキサーを与えたものによると、人は本来、魔的な能力を存在能力として持っているのだという。たとえば交通事故にあったとき、一瞬、すべてがスローモーションのように認識できた、という人がいる。これは人の脳が生命の危険に逢った際に、普段は抑制している視覚信号の処理を一気に開放し、一瞬だけ想像を絶する視覚情報処理を行うことを可能にするために、このような現象が起こる。また、火事場の馬鹿力という現象も、自分や自分の子供などに対する生命の危険が発生した場合、人は筋肉の潜在能力ポテンシャルの全てを一気に開放し、超人的な運動を可能にしているのだ。実際に、自分の娘がベランダから落ちるのを目撃した母親が、8m以上もの距離を一瞬にして駆け抜け、そして5階のベランダから転落した娘を抱きとめた、という例がある。
 これを科学的に解析すると、5階のベランダ-約12mの高さから子供が落ちた場合、地面に叩きつけられるまでに要する時間はおよそ1.1秒である。しかし、8mもの距離から1.1秒で子供の位置まで駆けつけるためには加速度で6.62m/s2という信じがたい加速度が必要になる。そして、これは100mを3.89秒で駆け抜けることが出来る、という想像を絶する運動能力である、と計算できるのだ。そして、このとき、子供を受け止めたときの衝撃は体重が30kgの子供の場合、衝撃力は1トンを超える。それを受け止めるだけの腕力を瞬時にして発動さえしているのだ。もっとも、それほどの運動能力の酷使に筋肉や靭帯などが耐えられるものではなく、これらの能力はあくまでも非常時の緊急避難的な能力でしかない。筋肉や靭帯、骨が損傷を被ってでも脱出をしなければならない状況に置かれた瞬間にのみ、発動される能力なのだ。
 しかし、エリキサーはそれを恒常的に発動することを可能にする。そして、その能力に耐えられるように肉体を強化、再構築するという効果があるのだ。
 もともと、人間の能力はある意味では“常識”によって制御されている。しかし、強い催眠術などでその常識から開放された場合、強い超能力や霊能力を発揮する場合がある。逆に批判する側は、超能力など存在しない、という“前提”で論理を展開するが、例えば聖痕現象と呼ばれているようなものや、強いサイコメトリー能力の能力者が、自分の知った情報(他者の経験)や神からの啓示などで具体的に怪我を負う場合などの説明が出来ない。
 強い暗示をかけて、ただの棒切れを「真っ赤に焼けた鉄」だと言って被験者に握らせたときに、実際に激しい水ぶくれが出来たり、火傷をする事が報告されている。この場合、実際には火傷を負ったわけではないのに水ぶくれが出来るのは何故なのだろうか。水ぶくれが起こるためには、熱により細胞が損傷を被り、コラーゲンが損傷することで皮膚が組織と乖離してしまい、中に水が溜まる、というプロセスを経る必要がある。しかし、“実際には何も物理的に火傷を負うような経験をしていない”にも関わらず、被験者は“自分が火傷をした”と“認識”することで、本当に火傷を負ってしまう。
 このときの火傷を負うために必要な物理的なエネルギーのやり取りや、生物的なプロセスを超能力否定論者は説明できない。
 そもそも、「科学で説明できない」ことは「自然界に存在しない」ことと同意義ではない。単に我々の“現在の”科学力では説明できないだけかもしれないのだ。そうでなければ何故、科学者は未だに「新発見」を求めて研究を積み重ねているのだろうか。少なくとも現在の科学ではなぜ光の速度は秒速30万km/sで固定されているのか、物質は何故、“重さ”を持つのか、などを説明できていない。未だ“仮説”段階に留まっているもののリストをあげると、それこそ現在の科学の項目の大部分がリストに載ることになるだろう。
 いや、この世の科学はすべからく“非常に確からしい仮説”であり、まだまだ発展の余地もあれば新理論も登場することになるだろう。例えば公式に報告されている未確認飛行物体や幽霊の写真なども95%以上は誤認や既存の理論、情報で説明が出来る、とされているが、逆を言えば残りの5%弱は現代の科学では説明が付かないものが映っている、ということを科学者が認めていることになる。その中で未発見の科学分野が存在することを否定することは出来ないだろう。
 未確認飛行物体、この場合は異星人の宇宙船エイリアン・クラフトとして考えるが、を否定する人間は理論的に地球人類以外の知的生命体の存在を否定する証拠を提示してもいなければ、その未確認の5%の証拠に対する説明もしていない。そもそも、たった一つの理論を根拠にしてすべての現象を語ろうとするのは無理があるのだが、それに対する指摘にも答えを出していない。
 例えば、すべてのUFOはプラズマで説明が出来る、という主張があるが、これは“空を飛ぶものは全てヘリコプターだ”と主張するようなものである。
 それはかつて、彼らに“能力”と力を与えた少年に教えられたことだった。
 
「“世界”は人の精神によって成り立ってる」
 眞は水蓮に、世界の成り立ちをやさしく説明していた。量子力学によると、人の精神の活動、すなわち観測と認識により世界は不確定な可能性の連鎖から確定された“事実”へと収束されているというのだ。世界を構成する物質は、あくまでも原子の複雑な連結と構成によって成り立ち、その原則にはいささかの変化もない。少なくともわれわれの知りうる限りの世界においては。
 そして、その物質の原子は陽子(原子核)と電子により構成されている。これも例外がない。しかし、その電子は、我々が通常、教科書で教えられているような、いわゆる太陽系のような姿をした原子の構造ではなく、ぼんやりとした霞のような可能性の集まりに過ぎない。一般的に『原子雲モデル』と呼ばれている構造である。
 一つの陽子を取り巻いて、ある瞬間においてどの場所にどの方向でどれだけの速さで電子が存在しているのか、はあくまでも可能性でしか論じることができないのだ。これは不確定性原理として知られている量子力学の原理である。これは逆を返せば人間の観測により世界は確定される、と言ってよい。あまりにも強烈な人間原理の考え方であるが、これを遠隔遅延実験という観測方法で事実である、と証明もされてしまっているのだ。
 それを教えられた水蓮は反射的に嫌悪感を覚えていた。クリスチャンとして育てられてきた彼女の知っている常識では、あまりにも背徳的な考え方のように思えてしまうのだ。世界は主により創られ、主の意思により秩序が定められている、というクリスチャンの考え方とは正反対の考え方だ。
 しかし、その量子力学により証明されている原理を基にしてコンピュータやデジタル技術などが成り立っていることを考えると、人の精神が世界に影響を及ぼすことは否定できない。そもそも、人間がいるからこそ世界は常に影響を受けるし、その影響を被った世界から人間もまた変化を与えられる。
「人の精神は無限の可能性を秘めている。ただ、『常識』が人のその可能性を制限しているに過ぎないんだ」
 そう語る眞の瞳には揺ぎ無い自信が満ちていた。そして、眞は水蓮に対し、『古代語魔法』を見せたのだ。眞が見せる、人の精神が織り成す驚異の技に水蓮は圧倒されていた。
 眞はその強大な力を使って何をしたいのか、彼女はその目的と願いを知りたかった。
「世界を変えたいんだ」
 水蓮の問いかけに対する眞の答えである。
 もちろん、眞の知る古代語魔法の知識、それによって得られる成果などを考えれば、人類が永い間、夢見てきた数々のことを現実に出来るだろう。特に、眞は様々な魔法の効果を永続化する儀式を知っている。空を飛ぶことは古代語魔法の呪文で可能だが、それを眞は、他の第三者に効果を及ぼし、しかもそれを永続的に使えるようにする、という信じがたい技術を生み出していたのだ。
 これは人類史上で初めて、人の生活圏を地上に縛られたものから開放する可能性さえ持っている。他にも、創造魔術の秘儀と生物工学や遺伝子工学を組み合わせれば、どれほどの恩恵を生み出すことが出来るのか、計り知れない。また、付与魔術や精神魔術などと近代の情報工学やコンピュータ技術を融合し、まったく新しい概念のコンピュータや通信社会を構築することさえ可能だろう。
 しかし、水蓮はその急激な発展が社会にどれだけ大きな歪みを与えるのか、その反動に対して本能的な不安を覚えていた。それは眞自身も理解していることであり、その為に眞は信頼できる仲間を少しずつ集め、慎重に事を運ぼうとしていたのだ。
 また、眞の創り出した“覚醒の酒エリキサー”という魔法の薬は、人間を精神の制約から解放し、凄まじい能力を引き出す効果がある。
 水蓮はその眞の夢を共に追いかけることを決意し、そしてエリキサーを求めたのだ。
 そして、彼の夢を共に勝ち取る勝利の女神二ケアとなった・・・
 
 理恵は少し緊張した面持ちで丸椅子に腰掛けていた。
 落ち着いたジャズの音色が心地よいのだが、自分がどのようなことに巻き込まれてしまったのか、それが少しだけ不安だった。確かに人生の危機を救われたことは事実だが、それでもこれからの自分がどうなるのか、想像も出来ない。
 ただ、自分の興味のある『魔法』について正しく学べるのはここだけだろう、ということも理解していた。そして、自分を救ってくれた少年、目覚めたときにいろいろと世話を焼いてくれた女性もいることが少しだけ理恵を安心させている。また彼らのリーダーであろう茶髪の青年が、同じように魔法の本を手にしていることから、彼もまた『魔法使い』なのだろうと考えていた。
 だが、まだ踏ん切りがつかない。
 恐らく、魔法使いとなることを決意したなら、もう引き返すことは出来ないだろう。
 あの日、水蓮が見せてくれた力は確かに理恵が魔法、と感じるに値する力だった。そして、理恵自身が身に付けるであろう『魔術』は、理恵の資質と重なって、強大なものとなるだろう、ということも水蓮は指摘していた。
 水蓮や弘樹が教えてくれた魔術は、人の深層意識とつながった根源の力を引き出し、ある一定の方向性を与えて現実世界に投影する、という純粋な技術である。また、不確定性原理や認識論から説明できる原理も示され、そして実際に発動可能な力として目の前で見せられては、もう疑う余地も無かった。
 そして考えを纏めたくても、今、家に帰るのは危険だった。
 少なくとも、理恵を襲ったあの若者達が仲間全員だったとは思えない。武斗もそのことを指摘していた。殺害現場周辺を探っているのは記者や警察だけでなく、自衛隊、何らかの政府関係者や米軍、他の国の情報機関らしき人物までいた。そして、チーマー達の仲間であろうチンピラめいた連中も周辺を嗅ぎ回っている様子だったのだ。
 その情報を聞かされ、理恵は家族のことを心配した。しかし、少なくとも今は理恵の家族や周辺には何の異変も起きていない。若者達と理恵を関連付ける証拠は何一つ無く、また、今、理恵が家に帰っていないのは旅行に出ているからだと家族には告げてある。急に叔母のことで調べたいことが出来たので、東京を離れる、ということを家族には電話で知らせてあるし、携帯電話でいつでも連絡が取れるので家族は何も心配していない様子だった。
 その上で弘樹達は極秘裏に理恵の家族や周辺に護衛を立てている。
 徐々に何かが動き始めていた。
 理恵が魔法書を見つけたあの店もまた、彼らが開店して経営している店だった。徐々に既成事実として彼らの魔法技術を世界に広げていくための入り口とするためである。
 また、小さな出版社を買収したり、マスメディアを巧みに取り込んでいるのも絶妙な戦略であった。マスコミは基本的に相互批判は行わない。精々が新聞の社説でお互いの主張を言い合う程度のものだ。他にも昔から怪奇現象や神秘を扱うことで有名な雑誌とも提携を結び、魔術技術を駆使した商品を販売したりして、少しずつ、しかし慎重に世の中に魔法を流し始めていた。
 
「What do you think of the “DEMONS”?(あの“DEMON”達のことをどう思うかね?)」
 初老の男性がテーブルに肘を付きながら目の前の男達に尋ねる。その男性の身に付けている軍服には数多くの勲章が飾られ、その人生を費やしてきた歴史を誇るように輝いていた。
 横須賀在日米軍基地。
 米軍基地ほど日本人にとって当たり前に存在しながら、その実体を殆ど知らされていない施設は無いだろう。もっとも、それは自衛隊を始めとする各国の軍や実力組織に共通する特徴である。
 国家の安全保障、という国にとって最重要の命題を担う組織には通常では考えられないような厳しい状況で、その任務を遂行しなければならない、という責任がある。それを遂行するためにはかなりの面で高度な自律実動性を保障しなければならない。だが、それは同時に内部の情報や活動実体を外部に知らせずに行動できる、という不信感を引き起こすことは、軍、という組織、というよりは名前の持つ歴史ゆえのことだろう。
 マスコミなどが軍の行動を常に批判し、可能な限りその行動を制限しようとするのは、その極めて高度な自己完結性ゆえに、外部から行動を制限できないのでは、という恐怖があるためだ。それはある意味では真実を突いている。
 国防とは、ある意味では究極の選択でもある。
 絶対の防衛と国民の安全確保を目指すことは、時には他国に不利益をもたらしてでも得なければならないことを意味する。また、一時的に国民の私的な権利を制限する必要もあるだろう。しかし、日本のマスコミは火災現場や犯罪の現場では何とも言わない一時的な権利の制限を、こと、自衛隊や米軍が関連する場合に限ってのみ異常なほど繰り返し、報道している。特に、中国や北朝鮮に対して親和的な報道をする新聞社や報道機関にこの傾向が顕著に見られた。滑稽なことに、このような報道機関に限っては中国や北朝鮮の、国民に対する人権抑圧を見事に黙殺している、という事実もある。
 そして、国防の最大の武器であり鎧は“機密”である。情報管理、と言い換えても良い。
 日本の自衛隊はそのすべての行動が“シビリアン・コントロール”という錦の御旗によって国会の場に報告を義務付けられ、海外の活動において武器や装備、活動計画の詳細に至るまでを公開させられる。この馬鹿馬鹿しい事実を、在日米軍横須賀基地に立ち寄っていたロバート・アーリントン准将は半分以上呆れながら受け入れざるを得なかった。
 どこの国に装備や行動計画を詳細に公開する軍があるのか、とも思う。
 敵に装備を知られることや作戦を知られることは、軍にとっては致命的である。日本の左翼系マスコミは、自国の軍人である自衛隊員の命や安全よりも、一部のアジアの国の政治家の評価の方を重んじているのではないか、むしろ、自衛隊という国防組織の内容を丸裸にすることで、日本という国家を、自分達が傾倒する国の属国にさえしようとしているのではないか、とさえロバートの目には映っている。
 CIAの調査を詳細に調べるまでも無く、日本の政治家の一部や官僚、報道機関、司法関係者や財界の人間にまで、共産主義の亡霊が巣食っている。若い頃に共産主義に熱狂して、今は表面上は共産主義と遠ざかっているように見える隠れマルキシストを数え上げれば、ぞっとするような数になるだろう。しかし、最近はマスコミによる露骨な左派誘導が却って若い世代に日本という国に対する愛国心を是とする世代を生み出し、また、日本という国による国際社会への積極的な関与と貢献を後押ししているのはロバート准将には多少なりとも救いとなっていた。
 特に、近年の韓国の若い世代に新北反米の世論が広がっていることを考えると、日本に対する国際関与への期待は合衆国の対アジア政策にとって重要な意味を持つ。
 そのような中で、日本の高校生が集団で“神隠し”にあった、という情報はホワイトハウスと米軍の上層部の興味を引くのに十分なものだった。そして、世界各国の様々な観測施設から興味深い情報や資料が提示されていた。瞬間的なものとはいえ、各地で観測された重力異常や電磁波の変動など、驚くような報告が、それもほぼ同じ時期に観測されていたのだ。
 何かが起こったのだ。
 それは米軍や合衆国政府の上層部のみならず、各国の情報機関なども同じ判断に至っているだろう。そして、幾ら政治家が鈍感で三流揃いとはいえ、日本の情報機関や国防組織も間抜けではない。一瞬にして情報管制体制を整えていた。
 いくら米軍でも本国でない他国で、しかも日本というG8のメンバーである先進国の首都圏近辺に強制的に乗り出すわけにも行かず、学術調査にかこつけてぎりぎりの人数を派遣するのが精一杯であった。もっとも、日本とは日米安保条約を結んでいる同盟関係を持っている、という関係もあり、日本政府とも協力体制を結んで、調査に参加させることを承諾させてはいた。もっとも、その代償として日米安保条約の地位改善や発動条件の変更など、政治的な譲歩は約束させられたが。
 しかし、それでもロバートにとっては日本の中にも、したたかでタフな政治家や官僚がようやく現れたか、と好ましくも思えていた。日本というキー・ストーンがいつまでも腰抜けでは、アジアの安定を損なうだけでなく、世界のパワーバランスを崩壊させかねない、という危険が存在し続けるのだ。
 日本が憲法改正を行う場合は、何らかの形で協力してやらねばならないな、とホワイトハウスのアジア太平洋局長が笑うのを、ロバートは緊張した面持ちで聞いていた。日本が変わるとき、それは世界の状況が大きく変動することを意味するだろう。その中において、ロバートは米軍の極東地域を任されている者の一人として、小さくない役割を期待されるはずだった。
 そして、彼はすでに“キー”を手に入れていた。
 彼が手にした小さな短剣。
 それは不思議なエネルギーを帯びていて、なおかつ、破壊不可能な金属で作られているのだ。分析の結果、それは鋼鉄製の短剣であることは判明したのだが、その鉄に含まれている炭素は、この地球のどの地域のものにも該当しなかったのである。また、その不思議なエネルギーは、驚いたことに現在の米軍を始めとする最新の技術を以ってしても分析が不可能であった。恐らく、その未知のエネルギーが短剣を保護し、破壊不可能な状態として留めているのではないか、と推測されたものの、それ以上の解析は不可能だったのである。
 その結果に米軍のみならずホワイトハウス、NSA(国家安全局)、その他の関連各局は驚愕し、徹底的な調査を在日米軍、並びにCIAのエージェントに命じたのである。また、考古学的な調査も同時に加えられたのだが、この短剣が属すると推定される文明や様式は不明であり、また付着していた様々な痕跡からは地球上のものではないものが検出されていた。アメリカ疾病予防局Centers for Disease Control and Prevention(通称:CDC)やアメリカ陸軍伝染病医学研究所United States Army Medical Research Institute of Infection Disease(通称:USAMRID・ユーサムリッド)は、未知のウィルスの爆発的な感染の恐怖に震え上がったが、幸いにも未知の病原菌は検出されず、関係者はその幸運を神に感謝していた。
 そして、最終的に出された結論は、この短剣が少なくとも地球上の存在したいずれの文明にも属さない全くの“異物”であること、そしてそれを構成する技術は、現在の人類が未だかつて知りえなかったものであること、更には、その構成技術は現在の人類が再現することも、解析することも出来ない完全なオーバー・テクノロジーである、という由々しきものであった。
 また、東京の高校生達が神隠しにあった日を境にして、世界各国で不可思議な現象が起こっていることに気が付くのに、それほどの時間は掛からなかったのだ。これは明らかに人類が未知の知的存在がこの地球に接触をしたことを意味していた。もし、それがある意味で事故によるものなら、まだしも、何らかの意思で地球に接触しようとしているのであるならば、早急かつ慎重な判断が要求された。
 だからこそ、彼らは今、何が起こっているのかを知りたがった。
 先程のロバートの質問の意味である。
 この“異物”をもたらした存在に対して“DEMON”とのコードネームを与え、そしてその存在の目的を知ることは、最優先の課題だった。可能ならばそのテクノロジーを入手すること、そして、そのテクノロジーを他国に対して隠蔽すること、である。
 この場合、何にも増して優先することは合衆国以外の国がこの未知のテクノロジーを入手することを防ぐことであり、次に優先することは、米軍がこの技術を独占すること、を意味していた。
 
 
 

第二章 覚醒 ~ Awake ~
No.4

 
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