~ 4 ~

 その店の中は、意外なほど普通の装いだった。
 理恵はちょっと拍子抜けしたように、ほっとため息をついてあたりを見回す。ちょっと評判のオカルトショップとはいえ、あまりオカルト色を出さない、どちらかというと普通のアクセサリー・ショップやキャラクターグッズを扱う店のような雰囲気だった。ただ、ここの護符というか、いわゆる幸運のグッズはかなりの効果がある、と評判であり、この店を経営する女占い師の占いも良く当たる、と噂されていたので、由紀代が来たがったのだ。
 いかにも、という雰囲気のニューエイジ・ショップなどと比べて、確かに入りやすい雰囲気だ。確かにこの店が扱っている幸運の御守りで、ロト宝くじに当たった、とか思いがけない形で欲しかったものが手に入った、などの話は良く聞くし、それも学校の友達や自分が知っている人たちから聞かされるのだ。自他ともに現実主義者と認める理恵も、流石に気になっていた。
 何せ、理恵のクラスメートが学費を支払えずに学校を辞めざるを得なくなっていたのだが、「商売繁盛の御守り」をこの店で買って両親にプレゼントしたところ、倒産寸前だった小さな食堂がいきなり大繁盛し、問題が解決された、という実例が目の前にある。
 しかも、その食堂の近所にあったファミリーレストランが閉店することになり、更なる繁盛さえ見込まれているほどなのだ。そのファミリー・レストランは、クラスメートがその御守りを買うまではその地域で一番繁盛しているレストランであり、他の食堂などを圧倒していたのである。
 そのような実例を見せられては、理恵も一概にその御守りの話を無視できなかった。
 偶然、という考え方もある。しかし、理恵は自分自身で調べて、現在の最先端の科学技術が如何に魔法めいた摩訶不思議なものになっているのか、おぼろげながら感じ始めていた。
 錬金術という中世の時代に信じられていた魔術めいた技術がある。普通の鉄や鉛などを特殊な加工をすることで黄金に変化させられる、と信じられていた技術であり、その知識を応用すれば人工生命をも創造することが出来た、といわれている。
 もちろん、現在の教育ではそのようなものは起こりえない、と教えられているが、確かに鉛から黄金を作ることは報告されていないものの、ある物質をべつの物質に変化させることは既に人類が実用している技術である。
 そう、原子力技術である。
 鉛を黄金に変化させるのは、鉛の原子を黄金の原子に変化させるに過ぎない。そして、究極的には全ての物質はエネルギーと等価である。
 鉛と黄金の原子を1つずつ取り出し、比較してみると、そこには単純に陽子の大きさと電子の数に違いがあるだけに過ぎないのだ。そして、ウランからエネルギーを取り出して最終的にプルトニウムという別の物質に変化させる技術を、既に人類は現実のものとし、実用している。
 同じように原子量が変化するだけで物質が変化するのであれば、ウランからプルトニウムに変化させることが出来て、鉛から黄金に変化させられない理由が無い。
 そして、人工生命の創造というが、これも決して空想の物語ではない。
 遺伝子治療や遺伝子操作によって、人間は自然界に存在しない生命を既に生み出している。特に、遺伝子治療に使われるベクター・ウィルスは、自然に存在するウィルスを元に、人の遺伝子を組み込んで対象となる患者の遺伝的欠陥を修正するために作られた、いわば「ウィルスと人間の両方の遺伝子を掛け持ったハイブリッド」である。
 ウィルスを生命とするかどうかは科学者の間でも議論の分かれるところであるが、ウィルスが生命であるなら、人類は自然に存在しない生命をかなり自由に作り、操作する技術を持っている。
 他にも、蛍の発光遺伝子を組み込み、夜になるとぼんやりと光を放つタバコの樹や、様々に遺伝子操作を施された研究用のラットやマウス、カエルなどは、自然には存在しない生命である。
 そのような技術は、魔法とどのような差があるのだろうか。
 錬金術よりも手っ取り早く富を生み出す魔法の護符が、株や証券である。もちろん、元本割れすることもあるが、殆どの場合、ほうっておいても定期的に配当が手に入るし、運がよければ値が上がったところで売って、支払った以上の手戻りも期待できる。
 テレパシーは携帯電話で十分代用できる。最近ではカメラがついていて、映像や動画まで送受信できるから、ある意味ではテレパシー以上の代物だ。そして、人間の個人的な限界をはるかに超えた知識はインターネットを検索することで一瞬にして手に入る。エアコンにより、限定的ながら、環境を操作することも出来るし、車や飛行機で遠く離れたところまで信じられないようなスピードで移動できる。
 人類は既に人の代わりになって、ある程度の労働を行う産業ロボットを実用化している。
 自称、雑学博士の兄から教わった知識だが、あっさりと説明されて理恵は今の世界がまさに魔法めいた世界になっていることを思い知らされてしまった。
 そして、最新の物理学である量子力学は、人の精神が現実世界に大きく影響を及ぼしうることを実証してしまった。いや、それどころか密接に関係しているとさえ言えるだろう。
 考えても見れば、人間自身が現実世界の大きな構成要素の一つなのだ。
 その人間自身の行動現実世界に影響を与えないはずは無い。人間の行動は『思考』によってなされるのだ。つまり、人間が意識して行う行動が、世界をどんどんと動かしていく。
 不思議な感覚が理恵の心の中に広がっていった。
 理恵は不意に、世界を知りたい、という強い衝動を感じていた。世界を形作る法則はあるのだろうか。もし、あるとするならば、それは一体どのようなものなのだろうか。
 店内の様々な魔法のグッズを見ながら、理恵は突然、目に入ってきた一冊の本に興味を覚えていた。よくありがちな『呪術の本』の類のようだった。
(なんだろ・・・)
 不意に理恵はどきどきする心の騒ぎを覚えていた。その本は、しかしいわゆる新書本として売られている「お呪いの本」ではなく、何故かハードカバーのしっかりとした装丁をしていた。中世の魔術書や現代でも学術書ならば、そのような本もありえるだろう。だが、その本のタイトルには確かに『魔術原理 - 魔力の発動とその構成理論』という、一見して吹き出しそうな文字が並んでいた。
(・・・こんな装丁の立派な本って、製本するのも安くないと思うんだけどさ・・・)
 理恵はちょっと間抜けな感想を抱いてしまう。
 だが、その本には少し興味を覚えていた。思わず手に取ってしまった。
「り~え、何見てんの?」
 その瞬間、由紀代に声をかけられて、理恵は飛び上がりそうになってしまった。心臓がばくばくする。
「あ、あんた、脅かさないでよ・・・」
 振り向いた理恵に、由紀代がにやにや笑いを浮かべて言葉をかけてきた。
「なぁに見てるのよ?」
 ぎょっとして、理恵は自分が何を手にしているのかを思い出す。一気に顔が赤くなってしまった。
「い、いやね、この本って、何か気になるタイトルだなって、それでさ・・・」
 慌てて説明をはじめる理恵に、由紀代はにっま~、と笑みを浮かべて答える。
「何あせってんのよ。ここってそんな店なんだから、恥ずかしがること無いって」
 理恵は、ぽかんと口を開けて我に返ってしまった。確かにここはそのような『魔法のお店』なのだ。取り扱っているグッズ自体、そのような物ばかりだし、ここに来ている客自体、魔法やらお呪いやらに人並み以上に興味がある人ばかりだ。別に、気にするような事ではないのだろう。
 そんな単純なことにようやく気が付いて、理恵はほっと肩の力を抜いた。
「・・・で、興味あるんだ?」
「・・・まぁ、ね」
 理恵は確かに子供の頃から好奇心旺盛ではあった。しかし、まさか魔術にまで関心というか興味が広がるとは思いもしなかった。ただ、叔母の京子が起こしている騒動が、どうにも引っかかる。この上、自分まで魔術だのお呪いだのにはまり込んでしまったら、家族はどうしようもない状況になってしまうだろう。それだけは避けたかった。
 だが・・・
 理恵の心に、その本が焼きついて離れない。まるで何かずっと捜し求めていたものに出会ったような、どきどきする感覚が続いていた。
 そう、理恵の理性とは違う何かが、歓喜の声をあげていたのだ。
(ヤット見ツケタ!)
 それは、あの聖陵学園の生徒達が神隠しに遭ったように消えてしまった夜。
 理恵は奇妙な夢を見ていた。何故かそこは不思議な世界だった。人々は不思議な力で支えられた社会に生活をし、高度に発展した都市は人間だけではない、不思議な人たちもいたのだ。
 神話の世界でしか語られなかった幻想の動物達が当たり前のように存在し、そして、空中に浮かぶ都市を中心として、重力や様々な束縛から解放された人々が豊かな生活をしていた。
 その『力』は人々の魂の根源にあり、今は人はそれを使う術も、そのような力が存在することさえも知らないだけなのだ。
 夢の中で理恵はわくわくしていた。自分が知りたかった世界がそこにあったのだ。そして、目が醒めた時、理恵はそれが夢でしかなかったことにちょっとだけ涙を流した。しかし、何故か不思議な確信があった。それは決して単なる夢ではなく、人はいずれその世界を実現するのだろう、と。
 それ以来、理恵はずっと探しつづけていた。その夢で見た世界を実現する鍵となる何かを。
 そして、この不思議な本を見た瞬間、理恵は確信したのだ。これがその鍵なのだ、と。
 
(・・・流石に今はちょっとイタいな~)
 思わず買ってしまった魔術書は、確かにいい値段だった。ただの高校生でしかない理恵に、消費税込み\4800はちょっとした買い物だ。
 叔母の京子を救うための行動資金などを考えると、今月はもう他の買い物は出来ないだろう。夏休みもこれからだというのに、楽しみが激減してしまった。
 正直、普段のお小遣いと喫茶店のウェイトレスのバイト代では対した金額にはならない。
 それでも、どこかで満足していた。
 そのことでちょっと浮かれていたせいかもしれない。理恵は後ろからずっと付かず離れず、後を歩いている集団に気が付くのに時間がかかった。
(・・・ちょっと、ヤバイ)
 背筋に冷たいものが吹き出てくるのを自覚していた。だが、ここで走り出したりしてはいけない、と本能が告げていた。自分が気付いたことを気取られないように、しかし、確実に助けが得られる場所まで慎重に移動しなければならない。
 曲がり角を何度も曲がり、そして何時の間にか背後の気配が無くなっていることに少し安堵した。人通りの多い繁華街の交差点が見えてきて、理恵は思わずほっとため息を付く。気のせいだったのかもしれない。最近は変な事件の報道が多いから、ちょっと過敏になっていたのかもしれない。
 ふっと張り詰めていた緊張が緩んだ瞬間を狙ったかのように、理恵は暗闇から伸びてきた手に抱きすくめられていた。
 ぎょっとして硬直してしまった理恵を、若い男の手ががっちりと押さえ込む。余りに突然の出来事に声が出なかった。
 次の瞬間、我に返ったように、不意に絶叫を上げようとした理恵の口を男の手がふさぎ、助けを求めようとした最後の手段を無情にも封じ込めてしまった。パニックを起こして暴れようとした理恵の鳩尾に男が拳を叩きつける。思わず息が詰まって身体をくの字に折り曲げた理恵を引きずって、男達は車にぞろぞろと乗り込み、そのまま走り去っていった。
 
 理恵はあまりの恐怖に何も考えられない事を、どこか他人事のように感じていた。
 目の前の若い男達はにやにやと下卑た笑いを浮かべて理恵をじろじろと品定めするように見まわす。その身体を這いずりまわるような視線のあまりのおぞましさに理恵は震えが止まらなかった。見捨てられた廃ビルの冷たいコンクリートの感触があまりにも不気味で、これから始まる陰惨な現実を否応無しに意識させられてしまう。埃臭い空気に、これが現実である事を思い知らされていた。壊れた窓から繁華街の喧騒が遠く聞こえてくる。
 男達の数は十人、いや十二人はいるだろうか。
(いやだ・・・私、まだ知らないのに・・・)
 理恵の目から恐怖と悔しさに涙が溢れだしてきた。目の前の獣達に穢される事が悔しかった。そして、その結末に、ひょっとすると最悪の事態があり得ることに恐怖を感じてしまう。
「へへ・・・結構イイ感じのコじゃん」「初々しくてイイねぇ」
 勝手なことを言いながら、男達は理恵を取り囲みながら、しかし肉食獣が捕らえた獲物を嬲るように、じっと見つめていた。不意に理恵は一月ほど前に起こった女子高生殺人事件の事を思いだしていた。
 それは学校から帰る途中の女子高生が突如行方不明となって、そして数週間後に公園で無残な姿で発見されたのだ。その不幸な被害者は激しい暴行を受けた上に、全身に傷を負っていた。全身に打撲と刃物で傷つけられたような傷があり、そして少なからぬ個所に骨折した場所があった。だが、致命傷となったのは全身の傷ではなく、首を締められた結果の窒息死だったのだ。
 どれほど悲惨な運命だったのか、想像さえできない。しかも、その犯人グループはいまだに見つかっていないのである。それがもし、目の前の若者達だったなら・・・
 理恵の恐怖の想像を裏付けるように、男達の会話が耳に入ってきた。
「先月ヤッたあの女は、結構最後まで抵抗力もってたよなー」「あれぐらい頑張ってくれると俺たちも満足感あるしな-」
 やはり、あの犯人の男達なんだ!
 理恵はあまりの恐怖に全身の血が抜け落ちていくような錯覚を覚えていた。
「あれー。そんなに青醒めちゃって。あ、もしかしてワイドショーか何かで先月のカノジョの事、知ってた?」
 軽い口調で尋ねられても、理恵は何も答えられなかった。
「・・・知ってるかどうかって聞いてるんだよっ!」
 尋ねかけてきた男の表情が、軟派な笑顔から凶暴な獣の表情に変わり、拳を振り上げる瞬間も、理恵にはスローモーションのようにしか見えなかった。
 だが、男の拳は振り上げられたまま、再び振りおろされる事は無かった。
「面白そうな事やってるジャン」
 その声に、男達は振りかえる。そして、その視線の先には、壊れた窓を背にして、若い男が月光を身に纏うように立っていた。
 黒いジャケットとジーンズに身を纏った、まだ少年とも言える男。だが、その目は濃いサングラスに隠されて見えない。どちらかと言えば華奢な部類に入る男が、十人を超える危険な若者を目の前にして平然としていた。
「・・・なんだテめぇ!?」
 険悪に目を吊り上げた男の一人が黒ずくめの男に詰め寄ろうとする。
 だが、その瞬間に暗闇からさらに5、6人ほどの人影が現れた。理恵はぼんやりとその現れた人影を見ていた。何者かはわからないが、とりあえず、自分の危機を救ってくれる存在だろうか、と考える。
 その男達-流石に目が慣れてくると女がその中にはいないことくらいは判ってきた-が、目の前の凶悪な若者達を目の前にして動揺するどころか、平然と余裕さえ持って佇んでいる事に、理恵は不思議な安堵感を覚えていた。
 全員が黒い革のトレンチ・コートを着ている。まるで、映画の『マトリックス』に出てくるキアヌ・リーブス達、レジスタンスが着込んでいるような格好だ。
 流石に、正体不明の人影がいきなり現れたことで、若者達は一瞬動揺した様子だった。が、すぐに人数の余裕からか、にやにやと薄ら笑いを浮かべる。
「へっへ、もしかしてこっちのおジョーちゃんを助けにきた正義の味方ってワケ?」
 軽薄そうに一人の男がナイフをかちゃかちゃと弄びながら妙に身体をくねらせて尋ねかけた。人にものを尋ねる、というには余りにも人を小馬鹿にした態度ではあるが。だが、男達はその問いかけに答えず、じっと沈黙を護ったまま立っていた。
 何も口を開こうとしない男達に苛立ったように、若者が目を吊り上げて奇声を上げる。
「てメェらが何だって聞いてんだヨッ!」
 その奇声を浴びせ掛けられてもまるっきり無視したまま、黒ずくめの少年は理恵のほうに歩み寄ってきた。脇を通り過ぎようとしたとき、無視された若者が額に青筋を浮かべながら立ちはだかる。
「・・・コケにしやがって」
 ナイフを持つ手が震えていた。理恵は、その若者の感情がもはや歯止めが利かないほど沸騰していることを感じていた。
(危ない!)
 そう理恵が思う間もなく、トサカ頭の若者は少年にナイフを振りかざした。月の光を受けて、刃が青白い光を放った。しかし、その刃は振り上げられたまま力無く弧を描き、そしてゆっくりと土埃に覆われた床に落ちた。トサカ頭の手首に握り締められたまま。
 トサカ頭の若者は、しかし、何が起こったのかわからない、といった表情で床に落ちた自分の手首と、手首から先を失った自分の右手を交互に見ている。
 少年はその若者にまるっきり関心を見せず、理恵の傍に近寄ってきた。流石に若者達もその異様な状況に言葉を失っていた。
「さて、お嬢ちゃん、これからちょいとばかりスプラッターなシーンが起こるから、出来れば気絶しててくれないかな」
・・・なんて言い方よ。
 理恵は目の前の若者の、トンでもない言葉に自分の立場を忘れてあきれ返っていた。だが、一瞬だけ理恵の緊張が緩んだ。その理恵の溜息に我に返った訳ではないだろうが、トサカ頭が絶叫を上げていた。
「手が、俺の手がァッ!!!」
 その様子に、残った若者達もいきり立っていく。
「・・・てメェ・・・こんなことしやがって、タダで済むと思うなよ」「ブッ殺してやる!」「てメェら、切り刻んでヤルからナァッ!!!」
 だが、その奇声はあっけなく混乱の声に変った。黒ずくめの男一人が筒状の物体を若者達に向けて、引き金を引いたのだ。空気が弾ける乾いた音が響き、何か絡みつくロープのようなものが若者達の頭の上から被せられていた。黒いロープで編まれた網だった。そのままロープを射出した男は手元に残った手綱を引き寄せ、一瞬にして網の口を閉じてしまう。
 一瞬にして若者達は半数以上がその網に絡め取られ、身動きが取れない状態になってしまった。そのまま、黒ずくめの男達は警棒や金属バットなどを取り出し始めた。
 その尋常ではない様子に、若者達は口々に何かを叫び始める。理恵も何が起こるのか、もはや理解していなかった。普通なら若者達を無効化したなら、そのまま警察に通報するべきだろう。しかし、男達はそのまま武器を取り出したのだ。
 その廃ビルの一室に剣呑な雰囲気が満ち溢れていくのを、理恵はその肌で実感していた。そして男達が身に纏っている違和感が何なのか、不意に理解してしまった。
 怒りと殺意。
 それは剥き出しに現れたものではなく、静かに押さえ込み、じっと心の奥底に封じられていたマグマが静かに溢れ出すように、冷たく、しかし揺るがない明確な意思となって男達の全身から放たれていた。男達の無言の意思が明確に、目の前の無軌道な若者達に告げていた。
 死刑執行、と。
 まだ自由な身である数人の若者は、しかし自分達の倍以上の男達が完全武装をして取り囲んでいる事実に完全に動揺していた。
「な、なんだよ、俺達がおメェらにナニをしたってんだよォ」
 卑屈に笑みを浮かべて、若者の一人は問い掛けていた。理恵は不意に、その言葉に笑い出しそうになってしまう。この若者、いや獣たちが殺した女子高生や、おそらく他にもいるであろう犠牲者は、同じ質問をしたかもしれない。しかし、この獣たちはそんな言葉に耳も貸さなかっただろう。
 その理恵の言葉を感じたのだろうか。黒ずくめの少年はぼそり、と口を開いた。
「その質問、おまえらも誰かにされたことは無いか?」
 少年の言葉に、獣-今となっては追い詰められた獲物だろうか-は口元を引き攣らせ、必死の形相で言葉を返す。
「へ、へへ、あ、あいつらの敵討ちって訳か? 謝りゃいいんだろ!? どうせ、少年法によるとさ、俺達は未成年だから犯罪にはならないって・・・」
 その金髪に染めた若者の言葉を遮るように、少年は左拳を若者の顔面に叩きつける。いや、むしろ拳をめり込ませた、といった表現のほうが正確だろう。理恵の目には確かに少年の拳が金髪男の顔面を陥没させた、と見えていた。
 不幸なのか運がいいのか、金髪男は鼻血を噴出させながらのた打ち回る。
「そんな答えは聞いちゃいねェ・・・」
 少年の言葉にも険悪な色が混じり始めていた。
 ふっと肩から力を抜くように少年は立ち上がり、若者達に一瞥を向ける。そしてゆっくりと言葉を投げかける。
「お前達が“狩り”とか言って、このコみたいな女の子を襲ってるのは知ってる。お前らにしちゃ、このコらは単なる獲物なんだろ?」
 その冷たい言葉に、若者達は不吉な予感を感じているようだった。理恵も、少年の言葉は自分が想像していたものと違うことを、もはや知っていた。出来れば自分の今の想像が外れていることを、目の前の捕らわれた獲物となった獣たちの為なのか、願っていた。だが、その期待を裏切るかのように、少年は冷酷に最後の言葉を投げかける。
「俺達も同じだよ。お前達を“狩り”たいのさ・・・」
 そして、少年は理恵の目をそっと封じるように塞ぎ、そっと囁いた。
「君は見ないほうがいい」
 そして、理恵は不思議な力が頭を包んだことを感じながら、意識が遠のいていった。
 残酷な殺戮が始まった。
 少年の足元から影がするする、と伸び、そして一部はすっぽりと理恵を包み込み、残りの影はぶわっ、と膨れ上がって、一瞬後には巨大な人影に変化していた。
 若者達は目の前で起こっている事に、完全に理性もなにも打ち砕かれてしまった様子だった。ぱくぱく、と口を開いて何かを喋ろうとするが、しかし言葉は何も出てこない。黒ずくめの男達はその異様な光景を目にしても、それが当たり前であるかのように黙々と自分達の『仕事』を始めた。
 網に捕らわれていない四人の若者は、我に帰ったように悲鳴をあげて逃げ出そうとする。しかし、残酷な“狩り”は既に結末を変える余地など残されていなかった。沈黙を護ったまま黒ずくめの男は、その手にした警棒で逃げ出そうとした若者を殴りつける。右肩に激しい痛みを感じながら、それでも若者は何とかこの“狩場”から逃れようと、よろめきながらも足を進めようとした。
 だが次の瞬間、右のこめかみに鈍い衝撃を感じて、一瞬、無重力状態になったような感覚を覚えた。黒ずくめの男が警棒で若者にさらなる一撃を見舞ったのだ。
 茶髪の若者は無重力のような感覚は自分が頭部を激しく殴りつけられ、脳震盪を起こして倒れた為だということを、初めて理解していた。頭の奥底から、何か木屑が燃えるような焦げ臭い匂いがしているような感覚がする。おびだたしい鼻血が溢れ出してきて止まらなかった。倒れた若者の歪んだ視界の中で、男達が彼の仲間を滅多打ちにしていることを、ぼんやりと眺めていた。まるで家畜を屠殺するかのように黙々と若者達を『始末』する男達に、網の中の若者達が何かを喚きたてている。
 四人の若者が身動きしなくなるまで一分も掛からなかった。
 そして、手首を失ったトサカ頭は、とっくの昔に自らの手首から溢れ出た血の中に倒れていた。一瞬にして五人の仲間を目の前で惨殺された若者達は理性を失ったように網の中で暴れ狂う。
「た、助けてくれよ・・・」「な、なあ、俺達、反省するからさぁ・・・」「悪かったよ、謝るよぉ・・・」
 先ほどまでの威勢の良さは何処かに行ったのか、必死になって許しを乞う若者たちを、黒ずくめの男達はじっと見下していた。
 少年は右手をゆっくりと上げ、そして何かを握るように軽く閉じる。その瞬間、彼の足元から影がするする、と伸びて、そして巨大な剣と変化した。
 その異様な光景に、瀕死の若者達はもう何も言葉を出せず、迫り来る死をぼんやりと想像していた。
 
 静寂を取り戻した空間の中で、黒ずくめの男達は手にしていた武器を次々に少年の影の上に積み上げていく。どこか遠くから、相変わらず車のクラクションや繁華街の賑わいが微かに届いていた。しかし、男達は何の感情も抱いていないかのように、手早く作業を進めていく。
「全ての武器は回収しました」
 男の一人が少年に報告する。見たところ、三十歳程の年齢に見えるが、少年に対して敬語で話し掛けている。
「判った。武器を片付けてから俺達も撤収する」
 そういった瞬間、彼の影がひょい、と武器を包み込み、そして一瞬にして溶けるように惨劇の名残が付いた武器は消えうせていた。
「さて、あのお嬢ちゃんも連れていくか」
 少しおどけたように呟き、少年は理恵を包み込んでいた影を解き放つ。月夜に浮かぶ少女は余りにも幻想的で、殺戮の現場には余りにも似つかわしくなかった。少年の影から生み出された巨大な魔人が、その姿からは信じられないほど優しく、繊細に少女をそっと抱きかかえる。
 そうしながらも、少年は携帯電話を取り出し、そして誰かと会話を始めた。
「『シャドウ』です。・・・はい、終わりました。・・・了解。すぐに撤収します。・・・判りました。『影』を一つ、残しておきます」
 手早く会話を済ませ、そして携帯電話をしまい込む。そのまま無造作に携帯をポケットに突っ込んだ。そのまま、足元の影に意識を向ける。彼の影の一部がするする、と伸び、そして月光に照らし出された、若者達の死体から伸びる影に滑り込んだ。
 次の瞬間、するする、と少年の影が広がり、男達と影の魔人の足元に広がる。一瞬にして影の魔人は理恵を抱かえたまま影に溶け込むように消えうせ、そしてふわっ、と男達を包み込んだ影はそのまま一瞬にして只の平面に変化した。
 後には早くも死臭が漂い始めた、先ほどまでは生きていた若者であった死体だけが残されていた。
 
 
 

第二章 覚醒 ~ Awake ~
No.1

 
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