~ 2 ~

 夏の日差しがアスファルトをじりじりと照り付けていた。決して心地良くは無い、コンクリートとアスファルトで熱せられた風が街を駆け抜けて行く。只でさえ 不快な熱さが、周囲のビルから放出されるエアコンの排熱と熱い風で益々加速されていく気がした。
 倉持理恵はうんざりした表情で陽炎の立ち上るアスファルトを眺める。
 冗談じゃないわよ・・・
 理恵は夏が苦手だった。何よりも暑い。そしてクーラーのあの人工的な作られた冷たさも嫌いだった。
 別に冷え性でもないのだが、とにかくあの無機質な冷気が感に触る。
 不景気だという理由でバイト代が下がったのもイタかった。とは言っても、流石に何人かのクラスメートがやっているような援助交際は手を出すにはなれない。
 別に理恵が特別に潔癖だというわけではない。ただ嫌なだけだ。
 どちらにしても、マスコミで騒いでいるようないわゆる「コギャル」風の女の子でも、以外にしっかりした考えの子も多い。逆に一見普通の女の子が影では相当えげつない事をやっている、という場合もある。
 だが、それもどうでも言い。
 理恵が興味があるのはこの夏休みでどれだけ成績を上げられるか、だった。
 高校一年生の夏休みの成績次第では希望する予備校のコースを受けられなくなる可能性もある。そうなると希望する大学への進学は厳しくなるだろう。
 もっとも、最近では大学を卒業したといっても就職は相変わらず氷河期だし、せっかく就職できても会社があっという間に倒産する場合もある。クラスメートの親も、いきなり会社が倒産して失業した、という話しは珍しくなくなってきた。
 だが、少なくとも大学を卒業しないよりは高学歴の方が良いに決まっている。
 ぼんやりと窓の外に広がる日常の光景を眺めながら、理恵は不意に去年起こった聖陵学園の学生集団蒸発事件を思いだしていた。37人もの生徒と担任の女性教師一人が林間学校に出かけ、そしてそのまま消え失せてしまったのである。
 彼らは今、何処にいるのだろうか。
 もし、彼らが不意に戻ってきたとしても、学校に戻れるのかどうか、彼女には判らないし、そもそもそれほど関心があった訳でもない。ただ思いがけず思い出しただけだったのだ。
 理恵はぼんやりとそんなことを考えて、そして苦笑した。
 自分が、たかが一人の高校生に過ぎない自分がそんなことを考えて、いったいどうなるのだろう。
 別に何が出来るわけでもない。
 来年の今ごろ、自分が何をしているのかさえも定かではないのに、他人のことなど心配している余裕など無い。現に、家からこの喫茶店にくる間にも何人かのホームレスを見かけた。
 それだけでない。
 街の様子も僅か一年程の時間ですっかり様変わりしてしまった。
 閉めてしまった店や、テナント募集中と書かれた空きビルの増えたことが、さらに憂鬱な気分を加速していく。もちろん経済のことなど判るわけでは無いが、どう考えても今の状況が景気が良いとは言わないだろう。
 理恵は父が勤める会社が倒産しないことを願うだけだった。
 他にも心配事はある。
 理恵の叔母があろうことか宗教に走ってしまったのだ。
 きっかけは彼女の夫が癌に冒された事だった。
 よくある事なのかもしれない。病魔に取りつかれた夫を何とか救おうと、彼女の叔母はそれこそ資産の全てを投げうってあらゆる手を尽くした。だが、癌が発見された時には既に手遅れの状態だったのだ。叔母は半ば狂ったかのように必死になって奔走し、新種の抗癌剤や新しい治療法とされるものに片っ端から手を出そうとした。
 しかし、いずれも何の効果も無く、叔父は刻一刻とその命を燃やし尽くしていった。
 そして、叔母は新手の新興宗教にはまり込み、日がな一日ただひたすら夫の回復を願いつづけていたのだ。科学技術で治せない夫の命を救うために全てを投げうってまで神にすがる叔母の姿が、どこか恐ろしく、そして悲しかった。
 窓の外に広がる日常の風景が、何故かテレビの中の作り物の映像と重なっていく。
 何時からだろう。
『日常』はこうも現実感を失っていたのだろうか。
 突如、ぼんやりと物哀しげな眼差しで窓の外を眺めていた理恵のバッグの中から、携帯電話のコール音が響いた。
 ごそごそとバッグに手を突っ込み、携帯を引っ張り出す。
 ここに来るはずの友人だった。
「由紀代、なにやってんの!?」
 最近、物騒な事件が多い事もあり、心配をしていた所だったのである。
『ごめ~ん、電車に乗り遅れちゃってさ。今、駅出たとこ。すぐ着くから!』
「あんたね~」
『あはは~、怒らない怒らない。パフェおごるから!』
「特大だよ!」
『・・・今週のバイト代ぐわぁ~』
 理恵は由紀代が何事も無く来ている事を知って、少しだけ気分が上向きになった。変な事件などそうそうは起こらないのだろう。最近のワイドショーで連日、変な情報をたっぷりと見させられているせいか、どうもすぐにおかしな連想をしてしまう。
 それから十分も経たない内に由紀代が現れた。やはり相当暑かったのかかなり汗をかいている。
「ごめ~ん」
 由紀代がふにゃっと変な笑いを浮かべて謝りながら理恵の向かいに座った。理恵も少し口を尖らせて軽く言い返す。
「遅いよ~。最近、変な事件が多いからマジ、焦ってた」
「ありゃりゃ、理恵ちゃんはアタシを愛してしまったのね。駄目よ、アタシには深~く愛し合っている人が・・・」「いないだろ!」
 理恵の鋭いツッコミに由紀代は悲しげな顔で言い返した。
「・・・言うなよ。そんなにハッキリと」
「それに何でアタシが由紀代を愛してるのよ?」
「いや、さっきの電話であんたの愛を感じたから」
 思わずテーブルに頭突きを食らわしたくなった理恵であった。どうもこの変な友人と話していると、そのままコメディアンになってしまいそうな会話になる。
「さて、あんたからかうのこれくらいにして、本題本題!」
 あくまでもマイペースな友人にどっと疲れたような表情で理恵は頷いた。
「で、確か理恵の叔母さんってちょっと宗教入っちゃった人でしょ?」
「そう。なんとか正気に戻したいんだけどね。叔母さん、いい人だしさ」
「一応、そんな人を引き受けてくれるカウンセラーがこの人だよ」
 そう言って由紀代は一枚の名刺を差し出した。
 その名刺には「心理学博士 心理カウンセラー 滝本春樹」と書いてあった。
「・・・危なくない?」
 少し眉根を寄せて理恵は友人を見つめ返した。
 これ以上、叔母には厄介事を増やされたくは無い。それに心理カウンセラーという職業もいまいち良く判らないのだ。不意に叔母が隔離された精神病院のベッドに縛りつけられ、沈静剤を注射されている光景を想像してしまった。
 心の病を治療する、というと何故かそのような様子を想像してしまう。
 だが、大好きな叔母さんを元に戻すために理恵も必死になっていた。その理恵を助けるために、由紀代も役に立ちそうな情報を集めていたのだ。
「大丈夫だと思うけど。例のサリン撒いた連中の更正もしてるらしいよ」
「ふ~ん」
 由紀代が調べてくれた情報を聞いて、理恵は一応納得した。
 要するに、心理カウンセラーの仕事はまず最初に宗教的価値観や情報で満たされてしまった、一種の洗脳状態を解除することから始まる。その他の情報や様々なその宗教以外の情報を提示し、違う世界があることを認識させるのだ。そして、家族や親族などが宗教などにはまってしまった人と冷静に対話できる状況を生み出す。この時、ほとんどの人間はその宗教のことを非難し、無理やりに引き離そうとするが、これは却って逆効果になってしまう。そこで心理カウンセラーは家族や親族とも面談し、宗教を否定したり非難することなく患者と話しをし、ゆっくりと時間をかけて徐々に元に戻す事を提示するのである。
 焦らずゆっくりと着実に状態を元に戻していく、という方法が必要なのだ。
 しかし、ほとんどの人間はすぐに効果が出ることを期待する。
 手術のように患部を切るだけで状態を良くしたがるのだ。だが、心理学は特にそうだが、そうなってしまった原因をじっくりと時間をかけて探り当て、そしてその原因を解消、もしくは解決することでしか本当の治療にはならない。
 だが、その事が逆にカルト的な宗教が社会の裏側で人々に広がっていくことの原因ともなっている。特に雑誌の広告等にある、身に着けただけで幸運になるアクセサリーや、妖しいおまじないの類が一部に異様な人気になっていることが徐々に社会的な問題になってきていた。しかし、「幸運のお呪い」や「恋愛運を良くする」などというものは科学的に実証できるものではない。そのため、取り締まるにも取り締まれないという状況が続いている。
 理恵は叔母の事で様々なことを調べているうちに、そのような現実を知っていた。よくある「本当の自分探し」や「癒し」などの大部分が相当に胡散臭い宗教団体主催だったり、思想団体のセミナーだったりする、という事も知った。
 一面で、そういった幸運のお呪いなどの効果も科学的に解明しようと言う努力も為されていることも知ることになった。例えば、良く言う「魅力的になって恋愛運を上げるお呪い」をすることで人は「これをしたから自分は普段よりも魅力的になったかもしれない」と思うようになる。そして、ちょっとしたことがきっかけ、例えば買い物をしているときに素敵な異性に優しくしてもらった、などの普段は気にも留めないことを「自分が魅力的になったことの証明だ」と受けとめ、さらに自信をつけていく。その強くなった自信がより堂々とした行動を可能にさせて、結果として本当に魅力的な人間を生み出すことになるのだ。これはプラシーボ効果として知られており、例えば新しい薬の臨床試験などでも応用されているれっきとした科学用語であり科学的手法である。
 医薬品の診療実験で用いられている方法では、例えば新しい薬の効果を調べる場合、半数の患者に対して生理食塩水などの生理学的に不活性な物質を新しい薬だと言って投与するのだ。そうすると、本当に病気が治ってしまったり、症状が改善される場合がある。これは偽薬効果と呼ばれ、この結果と本当の薬の効果との比較を行って臨床試験においての結果を調べる非常に大きな意味を持つ現象なのだ。
 ほかにも近年注目されている技術に量子力学という物理学を応用したものがある。これは量子と呼ばれる極微小の粒子、例えば電子などが上げられる、をミクロの世界で扱う場合に適用される理論である。
 量子論の中核となる概念の一つに確率論と呼ばれるものがある。これは全ての量子の振る舞いはすべからく確立的にしか論じることは出来ない、という考え方だ。この理論は、ある原子における特定の電子の位置をある瞬間に特定しようとした場合、その観測しようとした行為、すなわち外部からの干渉により次の瞬間、電子は違う方向へと弾き飛ばされてしまう。また、その電子の方向を測定しようとした場合も、外部からの干渉により位置エネルギーが不確定になってしまう。つまり、同時に電子の位置と方向を同時に知ることは出来ないのである。
 この考え方は不確定性原理とも呼ばれ、原子物理学ではもはや常識となっていると言っても良い概念である。そして、その考え方を発展させ、そのミクロの世界の現象がマクロの、すなわち我々が現実に生活している社会を左右するという考え方が出てきた。すなわち認識論である。世界とは、人がそのように「観測」するからこそ、そのような世界となっている。
 もし、誰も月を観測しなければ、そこには月が存在するかどうかさえも問題にはならないだろう。人が何かを観測するからこそ、世界はそのように「観測」され、決定されるのである。そこに「世界」があるのは、人がそのように「世界」を観測しているからなのだ。
 この言葉は、その量子力学の権威の一人であるテキサス大学教授ジョン・ホイーラーによる言葉である。しかもこの考え方は科学的に実証されているのだ。
 シュレディンガーの猫という実験がある。
 一時間以内に50%の確率で原始崩壊する核物質の原子一個を実験箱の中にいれる。そして、その放射された中性子を検出するガイガーカウンターを実験箱に設置し、放射線を検出した時に毒ガスの小瓶の蓋が開くようにしておく。その実験装置の中に猫を入れると、一時間後に死んでいるか生きているかはそれぞれ50%である。ここで量子力学的には不可思議な状態が起こりえる。つまり、観測者が猫を観測するまでは猫は死んでいるか生きているかは半々の確率でしかない。もっと極端な言い方をすると、この猫は半分だけ生きていて半分だけ死んでいる状態が入り混じった状態で存在しているのだ。そして、観測者が猫を観測した瞬間に、この猫は『生きている』か『死んでいる』かが決定される。
 つまり、観測者が世界を選び取ったと言えるだろう。これは遅延選択実験などの様々な方法で原理が検証され、人間(で無くても構わないが)の観測により世界が決定されている事を意味するのだ。
 これは多次元宇宙解釈と呼ばれ、観測者がその猫を観測した結果としての猫が生きている世界はその直前の猫が生きているか死んでいるか判らない世界から枝分かれした世界の一つであり、当然、猫が死んでいる世界もあるのだ。だが、我々はその猫の状態を観測した結果、猫が生きている世界を選び取ったに過ぎない。その瞬間に世界は二つの並列世界に別れてしまったのである。
 この考え方はヒュー・エヴァレットの提唱する平行宇宙論である。そして、彼の考える平行宇宙とは、僅かな事象を区切りとするのではなく、その瞬間瞬間の量子の存在する確率にしたがった文字通り、無限の平行宇宙が絶え間無く発生しつづけている、というものである。そして、量子論による「観測する行為による世界の選択」は、ある意味では既に実証されつつあると言っても良い。量子コンピュータの原理は、正にその平行世界の存在を考えなければ実証不可能なのだ。
 量子コンピュータの演算能力は、現時点で最高速のスーパーコンピュータでさえ十兆年かかるとされる130桁の因数分解を僅か数十分でこなしてしまうとされている。この現在のスーパーコンピュータとは一線を画す超絶的な能力を発揮する量子コンピュータは、平行宇宙に展開する量子、すなわち電子の素子により演算を行うのだ。一つの電子を量子的励起状態にして、それにより演算を行った場合、たった一個の電子は無限に広がる平行宇宙の自己に相当する電子と並行的に演算を行い、正しい回答を得た電子が我々の世界の電子として「認識」され、その回答を提示する、というものである。20世紀末にNECが電荷2個分の帯電をした電子とゼロの電子を二つ重ね、その平行励起状態を作り上げることに世界で初めて成功した。つまり、理論でしかなかった量子コンピュータ用の演算素子が世界で初めて現物として作られたのである。そしてその僅か数年後には7キュービット(量子ビット)の量子コンピュータでの実験が行われているのだ。
 現実に動作しているものが存在する以上、平行世界の存在を否定することは出来なかった。そして、観測行為により世界を選び取ることも、積極的に望ましい世界を選択することさえも極一部ではあるが実用化されつつあるのだ。
 この事実が社会に与えた影響は強烈であった。これは中世ヨーロッパのローマ・カトリック教会が異端として禁じた認識グノーシス主義にも通じる上に、今までたんなる迷信と言われていたお呪いや魔術などの「非科学的なもの」にさえ意味があるかもしれないという認識を生み出していた。
 しかも、カオス理論というものを考えれば、そのささやかな電子の認識により逆にマクロ世界が大きく干渉される可能性もある。
 バタフライ効果という概念がある。これは僅かな出来事がきっかけとなって予測不可能な結果を引き起こすことを指すカオス理論の概念だ。例えば、代表的な例えに北京で蝶が羽ばたいた事により蝶の羽の周囲の空気が乱される。この僅かな空気の乱れがさらにその周囲の空気の流れを混乱させ、結果としてアメリカに台風をもたらす事にさえ繋がる、という理論である。これもまた科学的な実験で明らかとなっており、例えば大気中にたち上るタバコの煙などにより容易に観測される。
 例えば、先程の猫の実験で、その気まぐれな量子の振舞いにより猫が死ななかった場合、その猫は実験室から抜け出し、飼い主の家で幸せそうに眠るかもしれない。そしてその猫がその飼い主の大切な花瓶を割ってしまったら・・・、などと様々な「たった一個の原子の振舞い」とは直接の関係を持たない現象が次々と誘発されることになる。
 その結果、「その実験で猫が死んでしまった世界」と「猫が死ななかった世界」ではかなり様相が違ってくるだろう。仮にあのナチス・ドイツのヒトラーが青年時代に画家を目指していたとき、彼の絵を見たたった一人のパトロンが彼にささやかな出資をしていたら、もしくは彼の絵がなんらかの形で誰かに認められていたら、世界は全く違ったものになっていたかもしれない。そして、そのインスピレーションは「そう感じたか」どうかであって、数値化など出来はしない。ある人の脳の中を駆け巡るたった一個の電子の振舞いが、そのような世界に対する重大な影響を与えかねないのだ。
 そのような僅かな違いが積み重なって、世界が形成されている。理恵は人間の精神の活動が直接的に世界を突き動かしているのだと言う事を初めて知った。しかし、まだその事が実感できない。
 コンピュータ工学においても精神と現象の関連が非常に密接になってきている。2001年にはニューヨークの大学でサルを用いた実験が行われ、脳波を検出することにより手を使わずにコンピュータのマウスを操作させることに成功した。また、人工網膜やにより失われた目の代わりにCCDカメラによる映像を患者の脳に投影し、僅かながらとはいえ視力を取り戻させることにも成功している。つまり、人間の精神の活動と現実社会がより直接的に連動し始めているとも言えるだろう。
 一方で人々は物質的な満足だけでなく、もっと精神的な充実を求めた文明を追求しようとしている。だが、今はその過渡期とも言える段階であり、人類は様々な問題に思考錯誤で取り組まなければならなかった。自然保護運動や環境運動が活発になってきたのもその一例と言えるのかもしれない。だが、別の側面として、各々の文化や習慣の違いが大きな摩擦となって世界中で不気味なきしみを見せつつあった。
 他にも懸念すべきことは身近にある。経済状態の格差であり、情報能力の格差であった。つまり、持つものと持たざるものの差が絶対的なまでに開きつつあるのだ。
 国民年金は破綻に向かいつつあり、企業は人員を削減しようとはしても余剰な人材を必要とはしていない。つまり、能力があるものは幾らでも収入を得られるし、そうでない人間は全てを失うことになるだろう。企業はボランティア団体ではない。その組織に対して利益を貢献できる人材に対して報酬を払うのであって、お金と働く場を与えている慈善事業ではないのだ。そこには熾烈な競争原理が働き、そして平等な結末は無い。今の日本が就職難というのも正直無理は無いと理恵の従兄弟が言っていた。今の日本の若者は企業にとって魅力的な人材ではないのだと。
 競争することから遠ざけられて、傷つくことから異常に保護されてきた人間は、所詮は純粋だが壊れやすくもろい人間だ。だから今の企業はそんな人間は採用したがらない、と従兄弟から聞かされて、理恵は返す言葉が無かった。ひたすら先生の言うことを聞き、言われるがままに頑張ってきた結果が、実社会で必要とされない人間を養成する方法だとは・・・
 それでも、理恵には何もする事が出来ないのだ。実際に理恵が一人だけで何かを変えたかったとしても、全てを一気に変えることなど出来ない。だから、自分を少しずつ変えようと考えていた。叔母のことがきっかけで、社会の問題や教育の問題、様々な事を知ることが出来た。この事をどう捉えるかは自分次第なのだ。理恵は自分の心の中で起こったささやかな蝶の羽ばたきが現実世界にどう働きかけていくのか、それを知りたくなった。
「・・・ってのがきっかけなの。ほとんどお兄ちゃんの受け売りだけどね」
 理恵は由紀代に話したことで、少しだけ気分が楽になったのを感じていた。アイス・コーヒーを一口吸いこんで、理恵はほっと一息つく。
 その理恵を見て、由紀代は彼女が少し大人になったような気がした。悩んで、様々なことを調べて、そして考えて、理恵は一つ成長する事が出来たのかもしれない。由紀代は理恵の叔母さんを知っている。素敵なおばさま、といった雰囲気を纏う上品な女性だった。朗らかで、現代的な感性と流行に惑わされない芯の強さを持った人だったのだ。
 しかし、夫の不幸が原因で家庭さえも崩壊しつつあるのだ。何とかして理恵が彼女を救いたいと考えているのも当たり前と言えば当たり前だった。理恵の叔母さんは二人にとってちょっと年の離れた姉のような存在だったのだ。由紀代も、だからこそ自分の友人の為にいろいろと調べまわっていた。
「よっしゃ~、それじゃぁ、由紀代ちゃんがもう一肌脱ぐとしましょ」
ほにゃ、と笑いながら言う由紀代に、理恵が感謝半分呆れ半分で言い返した。
「有難いけど・・・、あんたいつからそんな時代がかった台詞、何処で覚えたのよ?」
 良くぞ聞いてくれました、と言わんばかりに由紀代は理恵に改心の笑みを浮かべて答える。
「時代劇~。最近ハマっちゃってねー、あの着物の色気がたまらんの」
「・・・や~らしいよ、その表現は」
 その理恵のツッコミに、うっ、となりながら、由紀代はにっま~、と笑う。
「でもさ~、幾ら芝居っても、こう、『理屈じゃねえんだ。男の行き方ってぇのは・・・』って昔の男っぽいの、カッコ良くない?」
「・・・今の男は確かに軟弱者が多いけどね・・・」
「だっしょ~。やっぱ自分の彼氏には、なんかピンチ!って時に身を盾にしてでも護って欲しいって思うわな」
 なぜかうっとりとした表情で由紀代が呟く。どうやらいつも観ている時代劇の一シーンでも思い浮かべているらしい。理恵はクラスの男達を思いだしてぼそっと感想を口にした。
「最近の男はそういったところで自分ら見捨てて逃げそう・・・」
「マッチョイズムって訳じゃ無いけど、やっぱ男はせめて最低限男らしさを持ってて欲しいのぅ」
「どっか勘違いしているフェミニストっているからね。お兄ちゃんが言ってたけど、男らしさ女らしさと男尊女卑は違うって」
「そうそう。少なくともナヨナヨした軟弱系繊細君には魅力を感じないからねぇ」
 げんなりした表情で由紀代も呟く。
「やっぱお兄ちゃんの受け売りだけど、日本の女も魅力的じゃなくなってきたらしいよ」
「・・・ヤバイじゃん。だから理恵の兄ちゃんって台湾人と結婚したん?」
「そう。お兄ちゃんだけじゃないよ、そう言うの。お兄ちゃんの回りでも、日本人じゃない人と結婚したり付きあってる人って多いみたい。日本人の女よりも家庭的で女らしいからって」
「・・・げ。大和ナデシコの立場はどうなる!?」
「・・・今時そんなの流行らないからね。お兄ちゃんみたいな『男らしさにこだわる男』ってのは、日本人の女には煙たがられるから」
「あっちゃ~、大和男子絶滅の危機って訳!?」
 理恵は思わず苦笑してしまった。確かに今時「男らしさ」「女らしさ」を口にすると一部のフェミニストから差別主義者とさえ言われるような時代だ。だが、極端に理想主義を実現しようとして、理屈に出来ない大切な何かを捨て去ろうとしていないのだろうか。顔の見えない日本人と言われて久しい。日本人らしさがそれぞれの日本人としての個性の源になっていると考えられないだろうか。
 理恵のお兄ちゃん、正確には従兄弟だが、の姉がたどたどしい日本語で理恵に尋ねてきたことがある。
「日本人って、どうして何も言わないの?」
 その素朴な質問に理恵は何も答えられなかった。何故なら、日本人とは何か、日本人の歴史は、など民族のアイデンティティを何も学んでいないのだ。どうして答えられるだろう。
 それに気づいて、理恵は一部の新聞やマスコミの垂れ流す胡散臭い綺麗事が大嫌いになった。そして、そのことに気付きはじめた者が少しずつ増えだし、そして中国共産党政府などの一部外国勢力が異常な内政干渉とも言える言動を繰り返していることにより、逆に日本人としての自覚を取り戻しつつあるという皮肉な現象が起こりつつあった。
 しかし、日本人とだけしか付きあいが無い大部分の日本人とは違い、理恵はその極端な反動が外国人排斥運動に繋がりかねないのではないか、と内心では不安だった。その意味でも日本人としての民族のアイデンティティを破壊しようとしてきた一部の学者や知識人、マスコミなどの行動が結局は破滅を招いているのでは、という不安があるのだ。
 いくら戦後最悪の不況とは言え、世界的な規模で見ると日本ほど経済的に恵まれた国はそうそうない。だが、日本人自身がその現状に不安を抱き、そして大量に流入してくる外国人に対する嫌悪と不安を日増しに増幅させているような気がしてならない。その挙句の果てに極右主義者が台頭してこないとも限らないのだ。
 外国人である理恵のお兄ちゃんの姉との会話はただの高校生だった理恵に学校の教科書からでは学べない貴重な知識を学ぶ場となり、そしてその義姉との会話に備えていろいろな本を読み、勉強をしている内に理恵自身も大切な何かを勉強しているような気になっていた。
 だが、そういった知識や勉強は受験には何の役にもたたない。そのことは理恵も良く判っている。おまけに露骨に一部の教師からは煙たがられるようにもなってきた。理恵の姉の言葉を引用して、「日本が第二次世界大戦を戦ったのは必然だった面がある。避けられない戦争もあるのだ」といった発言を社会の時間にしたことがきっかけだった。最初はそのことで説教を受けたのだが、逆に理恵の義姉が学校に抗議したのだ。日本人ではない、しかも戦前に日本の統治下にあった国の人の発言に、教師達は混乱し、そして意識的にその話題と理恵を避けるようになってしまったのだ。
 別にそのことは気にしていない。仮にそのことで日本の大学に行けなくなったら、別に日本以外の大学に行けば良いだけのことだ。だから、理恵は英語と中国語を熱心に勉強していた。
 由紀代はその理恵の性格を良く知っている。伊達に幼稚園時代からの付き合いではないのだ。だからこそ、由紀代も理恵に負けないようにいろいろな事を見聞きしたいと思っていた。それもあって理恵の叔母を助けるために走り回っている、という面もあった。
 それからは二人はテレビドラマの話しに移ったり、サッカーの話題になったり、取りとめの無い話題で久しぶりに緊張をといていた。だが、暫く由紀代と他愛も無いおしゃべりをして、家に帰った理恵を待っていたのは彼女の叔母が失踪したというとんでもないニュースだった。
 
 
 

第一章 胎動 ~ The Beginning ~
No.3

 
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