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 2002年9月17日。
 薄暗い曇り空を背景に、日の丸のマークが尾翼に描かれた日本政府専用機が平壌の順安空港に静かに着陸していった。
 この突然の今泉首相の訪朝は疑惑が囁かれている北朝鮮工作員による拉致の事実確認と日朝間に横たわる様々な問題を率直に話し合うためのものだと報道各社は特別番組を編成して報道合戦を繰り返していた。
 そんな喧騒の中、荒木誠は飛行機で僅か数時間ほどとはいえ全く異なる社会と政治体制を持つ国への訪問で行う活動について頭の中で冷静にプランを組み立てていた。
「はは、そんなに緊張しなくても相手は取って食ったりはせんさ」
 にこりともせずに考え込んでいる誠の様子をからかうように、年配の代議士が声をかけてくる。
(阿呆が・・・。己の立場と責任をわきまえない輩に為政者たる資格など無いものを・・・)
 自民党の中でもベテランの域に達しつつあるこの代議士には常日頃から朝鮮総連がらみの怪しい資金の流れに関する噂が絶えないのだ。もっとも、その朝鮮総連との人脈を期待されて、今回の首相訪朝に同行する一員として選ばれていたのも事実だった。
 恐らく夜の歓迎会の事を考えているのか、脂ぎった顔ににやけた笑いを浮かべている男は名誉ある赤絨毯を踏む資格がある国民の代表だとはとても信じられないほどではある。
 いずれ始末する必要があるな、と些か物騒なことを考えながら、誠は微かに笑みを浮かべてこたえた。
「ご配慮、ありがとうございます。初めて政府の外国訪問の一員として参加させていただいており、何事も勉強だと榊原先生にもご指導いただいておりますので、緊張しておりました」
 いかにも爽やかな好青年、というような真面目な答えを返してくる若い政策秘書にベテランの貫禄を感じさせるような豪快な笑い声で代議士は言葉を掛けてきた。
「なるほど、確かに今回の訪朝は大きな勉強になるだろう。世間では様々な事を言われているが、北朝鮮もまた立派な国の一つに違いない。こうした違いのある国との外交や交流こそが日本を国際的にも大きな厚みのある存在として成り立たせてくれるのだからね」
 その言葉に内心では軽蔑の視線を向けながら、誠は惚れ惚れするような笑顔で頷いた。
「はい、今回の訪朝はそうした日本外交の重要な場と考えております。諸先生方の一挙手一投足を貴重なるご指導と捉えて勉強させていただきたいと考えております」
「いい心掛けだ。君のような青年が我が自民党の次代を担ってくれると考えると心強い。もっとも、政治家たるもの政策だの立法だのだけを考えていて良いわけではない。血の通った人間の一人として生身の人間の考えを理解することもまた重要なことだと心得ておきなさい」
 その言葉に誠は嫌悪の表情を表に出さないように一苦労していた。
 言葉は綺麗な話を語っているが、実際には賄賂や陳情にも配慮せよ、と言っているに等しい。
(まあいいさ、今回の訪朝が自分が自由に動ける最後の機会だと楽しむがいい。お前は自分の意思では二度と故郷の土を踏むことが出来ないのだから・・・)
 誠の目に浮かんだ昏く冷たい光は、しかし誰にも気付かれずにすっと消えていった。

 百花園iぺクファウォンj招待所で今泉は北朝鮮の事実上の国家元首である国防委員長・金正日朝鮮労働党総書記との会談を行っていた。
 豪華そのものと言っても過言ではないほどの装飾を施された贅沢な招待所は、ここを訪れるもの全てに北朝鮮の国力を印象付けるために何一つとっても不足の無いように作りこまれている。広い庭園の中にある外国貴賓用の百花園招待所は面積が一万坪(3.3ヘクタール)規模で、林を背景に本館とこれにつながる建物三棟があり、噴水が設置された湖もあるという豪華な建物だった。
 この百花園招待所は、1983年に北朝鮮が国賓級の外国人の宿泊施設として、平壌市大城区域林興洞に設けた迎賓館で、故金日成iキム・イルソンj主席の遺体が安置された錦繍山記念宮殿に近い場所にある。その名の由来は花壇に百種類余りの花が咲くことから名付けられたと言われていた。
 その素晴らしい景観に鎮座する建物の中で話された内容は衝撃的なものだった。
 金正日総書記が「日本国民の拉致は、我が国の特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って日本人を拉致した」とその事実を認め、謝罪したのである。
 これは昼休みの時に、控え室に居た訪朝団の一人である安倍晋三官房副長官が盗聴されていることを承知の上で「白状と謝罪がない限り、調印は考え直した方がいい」 という進言を行い、その狙いは的中して、午後の会談で金総書記は謝罪と遺憾の意を表明したのである。
 突然の金総書記の謝罪と拉致を認める発言は日本の政界に激震を齎していた。
 特に社民党は旧社会党当時、拉致疑惑の解明に当時の土井たか子党首に協力を要請したところ、その内容が北朝鮮に漏れて悲劇的な結末に終わったなど、北朝鮮と非常に密接な繋がりがある政党だった。そして、日本人拉致疑惑も「公安当局によるでっちあげだ」として反発していたのだが、この金総書記の謝罪と事実認定によって根底からその立場を崩されてしまったのである。
 緊張と混乱の中、誠は一人で迎賓館の中を歩いていた。
 その事には日本の訪朝団も北朝鮮側も誰一人として気が付いていない。なぜなら、今、その瞬間に訪朝団の一人としてその場に立っている誠の姿i・・・・・・・・・・・・jが存在しているからだった。
 誠の<能力iタレントj>であった。
幻影使いiイリュージョニストj”の異名を持つこの青年の力は、光と影を操ってその場にある無いものをあるもとの見せ、逆にあるはずの物を無いものとする恐るべき能力だった。
 しかも彼の高度な幻影は物理的な影響すらも生み出すことが出来る。
 今、政治家たちと共に会談の場に立っている誠はそのようにして生み出された幻影だった。具現魔術によって自ら支配する使い魔に幻影を被せて、誠はあたかも自分がその場にいるように振舞っていたのである。
 だが同時に誠自身は自分自身に幻影を被せ、他者から見えないようになって自由に迎賓館の中を動き回っていたのである。
 その目的は一つ。
 北朝鮮中枢の攻略であった。
 既に自分の支配する使い魔を動かしてこの迎賓館の内部構造はほぼ完全に把握している。誠の支配する使い魔は四体あり、それぞれにさまざまな能力を持っているのだ。
 その一つが彼が今、会談の場に残してきている使い魔『ボーティス』である。この使い魔はiまむしjの姿をした使い魔であるが、毒を塗った剣を持った一対の角と牙を持つ魔人の姿をとることも出来る。この使い魔の能力はその『ゲーティア・ソロモンの鍵』に記されている悪魔のそれを重ねたもので、過去や未来についての情報を語ることが出来る能力がある。この能力は実際にはボーティス自体が知っている知識ではなく、知識魔神のように「尋ねられた事柄に対して正しい答えを知ることが出来る」能力である。また、一時的に他人を支配して操ることが出来るため、あの愚かな代議士が迂闊なことを仕出かしてしまう前にそれを潰すことが出来るのだ。
 そして彼が持つ別の使い魔は『バシン』と呼ばれている、青ざめた馬に乗り巨蛇の尾を持つ屈強な男の姿をしたソロモンの悪魔である。このバシンの能力は瞬間移動の魔力であり、誠はこの使い魔の能力を駆使してあらゆる場所に飛ぶことが出来るのだ。
 もう一つの彼が支配する使い魔は『ダンタリオン』と呼ばれる同じくソロモンの悪魔であり、その姿は右手に本を抱え、あらゆる男女の表情を浮かべる男をしている。このダンタリオンは人の姿を映し出すという幻影を操る能力を持ち、更には誠が望む相手の思考を読み取ったり、その思考を自由に操る能力をも持っている。
 そして誠の切り札とも呼ぶべき使い魔が『ビフロン』である。朧げな人影のような姿をしたその使い魔は強力な幻影の能力を持ち、相手の精神を侵略することで人を自由に操ってしまうのだ。
 このビフロンの能力は凄まじく、下位魔神のマリグドライ同様に視界に映るあらゆるものを対象にして同時に幻影を見せることが出来るのだ。この幻影に襲われたものは精神力のみで戦い続けなければならず、この幻影の攻撃によって精神を破壊されたものはこのビフロンを通じて誠によって支配されてしまうのである。
 また、このビフロンは死霊魔術の能力を持ち、亡霊を召還して操ったり、死体を動かすこともできる。また、古代語魔法の<発火iティンダーj>の呪文と同様に物体に火をつけることが出来るのだ。
 こうした恐るべき能力は誠が情報戦や謀略戦恐るべき能力を発揮することを意味していた。物理的な攻撃能力は数少ないものの、誠の能力はなまじ直接攻撃能力を持つよりも怖ろしい結果を生み出せるのだ。
 そして誠は既にこの迎賓館に配備されていた北朝鮮側の警護の兵士や情報局員の部隊を支配下に置いている。
 だが、この幻影使いの真の目的はこれだけでなかった。
 朝鮮労働党本体と人民解放軍を根こそぎ支配下に置くため、誠は着実に侵略を開始していたのだ。
 
 
 

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