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 日本の誇る千年の都、京都。
 古くは平安京に遷都したことに始まる、永らく日本の中枢としての位置にあったこの都には居間もなお、決して表に出ることの無い闇がじっと息を潜めていた。
 街の一角にあるとある屋敷。
 旧家の一つとされているその館の一部屋で、黒いスーツを一分の隙も無く着た男は正座のまま両手を付いて、iとばりjの奥に座っている人物の姿を決して見ないように、顔を伏せたまま身動ぎせずに言葉を待っていた。
 この部屋にいる侍従や付き人も各々の場所で畏まって一言も発すること無く、まるで彫刻か何かであるかのように控えている。
「さて・・・、緒方の若様が動かれていると聞いたが、くれぐれも間違いの起こらないように配慮しておろうな?」
 静かに、しかし聞けば平伏せざるをえないほどの威厳を帯びた声が男の耳を打つ。
「仰せの通りに手を回しております。赤坂にて若様に狼藉を働こうとした者が居りましたが、私が出る前に若様自身に丸め込まれてしまいましたが・・・」
 その声には自分がそれを事前に防げなかった、という痛恨の思いが滲み出ていた。
「それは良い。若様自身が腕試しをしたいと考えられたのであろう。後始末は抜かりないであろうな?」
恙無iつつがなjく処理を済ませてあります」
 帳の奥の人物は愉快極まりない、といった感の声で笑った。
「それに、件の権龍神社に符を借受に行ったと聞いた」
「左様に御座います。若様の級友にあらせられる、速水亮殿、槇原英二殿、岡崎智子殿、そして小沢悦子殿の四名に御座います」
「やはり、速水の息子を動かすか・・・。槇原の次男も巻き込んで、とな」
 老人は嘆息を交えながら呟く。
「速水はこの事を知っておるのか?」
 男はその質問に慎重に答えを選ぶ。
「緒方の若様が動かれたことは承知されております。ですが、その具体的な動きに関しては何も掴んでおられないと聞いております」
 その言葉に老人は呻くように呟いた。
「何と・・・。速水に知らせずして、息子を引き込むとな・・・」
 だが、三菱商事に勤める速水の父親ならば、眞が何を画策して動き出したのかを探ることは不可能ではない。それは各国の情報期間も同様に、眞が何の前触れも無く動き出したことで微かな動揺を見せているのが透けて見えていた。
「しかし、なんともはや、緒方の若様がこれ程までに早く動かれるとは思ってもおらなんだ」
「偶然とはいえ、役に立つ力と知識を得られましたので」
 不意に響いた涼し気な少年の声に黒いスーツの男に緊張が走る。この屋敷に今、“御老人”が居られることを知っているものは他に誰もおらず、そしてそれを知っていたとしても誰にも気づかれずにこの場に来るなど絶対に不可能だ。
 しかも、この声は・・・
「緒方の若様、この老人を驚かせてもらっては困りますな」
 苦笑交じりの声で、帳の奥から老人が語りかけた。
「申し訳ありません。悪戯の度が過ぎました」
 しれっとして答える少年の声に、老人は孫の悪戯に喜ぶ祖父のような声で話を続ける。
「それは構わぬ。それにしても、若様の身に付けられた“魔術”という知識と力、恐ろしいものですな」
「これが無ければ動き始めるのにもっと時間が必要だったでしょう」
 そう言って眞はにっこりと微笑んだ。
 そしてスーツの男に向き直る。
「岩倉さん、いつもありがとうございます。貴方がいなければこれ程までに順調な組織の立ち上げなど出来なかったでしょう。感謝しています」
「い、いえ・・・、勿体無いお言葉、この身に余る光栄に御座います・・・」
 男は全身に汗をかきながら何とか言葉を返していた。時代が時代なら、直接言葉をかけて頂くどころか隣で座っているなどと言う無礼な真似など許されない。
iところjで、伏見の分家と大覚寺はどうなされていますか?」
 その問い掛けに帳の奥の老人が気配を変えた。
「そなた・・・、まさか・・・」
「その通りです。皇籍復帰をしていただきます」
 岩倉も侍従達も、そのあまりの言葉に声を出すことなど出来なかった。
「大きな問題になるぞ」
 老人が息を吐くように言葉を紡いだ。
「騒がせなければ良いだけのこと。小煩い連中には永久に黙っていて貰う必要がありますが」
 その言葉に岩倉は先日のアメリカ合衆国商務省の高級官僚の事故死の件を思い出していた。
 まさか・・・
 そんなひんやりとする想像をじっと押し殺しながら、老人は言葉を選んで問い掛ける。
「旧宮家の方々に皇籍復帰をしていただく為に、榊原先生を中心として皇室典範を改正するようにします。それまでに皇籍復帰をご了承頂ける方々の御名前を頂きたいと願っています」
 それはGHQの施策に対する明白な反逆であり、それに対する合衆国や諸外国の反発は眼に見えるようだった。
 だがこの皇統直系の少年はそれをあっさりと実行すると言うのだ。
「岩倉さんにも伝えてありますが、既に日教組と連合系労働組合、朝鮮総連と大韓民国民潭、日弁連やメディアの中枢部には仕掛けを施した人形を配置しています。半島と大陸、そして合衆国で一騒動を起こしてやれば十分ですよ」
 現実問題として皇位継承問題は極めて深刻な問題でもある。
 眞が提示した案は、皇籍復帰の対象となるのはGHQによる皇籍離脱の対象となった宮家であり、本人による復籍の意志を必要とするものだった。その上で、皇室会議を経て皇籍復帰を承認して、皇位継承権はその時点で付与されると言う方法である。
 こうすることで皇族としての品格に欠ける人物の皇籍復帰を防ぎ、そして同時に今上陛下による後承認を頂くことで皇族として認知されることを明確にすることが出来るという考えだった。
 現時点で山階宮家、梨本宮家、閑院宮家、東伏見宮家は血統による相続人を欠いており、皇籍復帰の対象となりえない。そして北白川宮家、伏見宮家の両家は男子がいないために、それぞれ残る賀陽宮家、久邇宮家、朝香宮家、東久邇宮家、竹田宮家のいずれかから男子を婿入りさせる時点で皇籍復帰が可能となる。この場合、皇室典範を改正して皇族内による養子縁組を可能として宮家継承を可能とする必要がある。
「して、若様は如何なされるおつもりでしょうか?」
 老人は問い掛けなければならなかった。
「有栖川宮の血を継ぐ直系男子たる眞様の意志如何によって、この件は大きく変わりますぞ」
 眞はその言葉に深く息を吐く。
 避けては通れない問題だった。
 傍流とはいえ確かに父の家系は旧有栖川宮家の直系男子の血筋である。有栖川宮家から法親王として僧籍に入った人物を祖に持つ家系であり、その系譜もきちんと残されている。
 第二次世界大戦終戦後の華族廃止まで、伯爵を名乗る家系だったほどである。
「父が変わり者でしたし、有栖川宮家自体も現在は断家していますので」
 そう言って眞は苦笑した。
 考古学界の変わり者として有名人、しかもコチコチの共産主義者である眞の父を知るものからすれば眉を顰めるような話となるだろう。しかも有栖川宮家は大正時代に既に断絶している。
 眞が如何に皇統直系の血筋とはいえ皇籍復帰の対象にはなりえない。
「だが、旧宮家の皇籍復帰を言い出した以上、言い出した張本人にもそれを問わねばならんな」
 別の声が響いた。
 奥の障子の向こう側から響く声は、帳の奥の老人の声と同様に聴く者を平伏させるほどの威厳を帯びていた。
「少なくとも、複数の宮家の当主からは緒方の孫息子の事を聞かれておる。お主の父方の系譜のみならず、母方の祖母の血統の事もある故にな」
 やれやれ、ややこしい事になってきたな、と眞は内心で下を打っていた。
 この条件を飲まなければ眞の案には乗らない、という明白な意思表示だった。
「神子と評判のお主を皇統に挙げねば意味がない故にな」
 面白げに笑い、そしてその人物は立ち去っていった。
 いずれにしても乗らなければならないことだろう。
「自分は皇族としての品格など持ち合わせていませんよ」
 微かな抵抗を試みた。
「これから身に付ければ良い。宮内庁には良い教育係が何人もおる」
 老人は帳の奥で愉快極まりない、といった様子で笑い声を上げた。

 悦子は眞の無表情な横顔を思いだしていた。
 そして、入学式の日に初めて眞と出会った時の事。
 眞も悦子も、他の新入生達も全員がぴかぴかの制服に身を包んでいた。悦子はどきどきしながら新しいクラスメートの事を考えて、学校の廊下を歩いていく。
 ぶらぶらと学校の校舎を散策していた悦子の目に不意に一人の少年の姿が映ったのだ。
 最初は留学生なのかと思ってしまった。
 燃えるような美しい金色の髪。
 出来すぎた人形のように整った横顔。
 声をかける事さえ出来ずに悦子はその繊細な横顔を見詰めていた。
「何ですか?」
 突然に尋ねられて、悦子はその瞬間、何の事か判らなかった。
 良く通る、しかし何処か機械のような声。感情の彩りの無い静かで綺麗な、しかし人を寄せ付けない声音に悦子は何処か恐怖を覚えていた。
「新入生、ですよね?」
 何とか思いきって尋ねてみる。
 少年は眉一つ動かさずに極当たり前のように答えてきた。
「ええ」
-沈黙。
 その短いやり取りだったが、会話にさえ成らない。
 人を拒絶するような少年の雰囲気に負けて、悦子はそっと立ち去ろうとする。
「じゃあ、御邪魔すると悪いから」
 にっこりと笑って、悦子は眞の横をすり抜けた。
「今日からよろしく、だね!」
 その少年は振り向いて微かに肯いた。
 それが世界の運命を変える少年と少女の出会いだった。
 
 亮が初めて眞と出会ったのは、中学二年生の夏休みだった。
 ある日、彼が家に帰ると一人の見慣れない少年がいたのだ。最初はホームステイに来た留学生なのだろうかと思った事を覚えている。
 何故なら、目の前の少年は金髪で目が青色と紫色だったから。
「彼は緒方眞君。私の古い友人の息子さんでね、御父さんの都合で日本に帰ってくることになったんだ」
 そう言われて亮は、父の友人の一人が考古学者であること、そしてその人が息子と共に外国に出かけている事を思いだしていた。
「ふ~ん。じゃあ、今日から一緒に住むんだ」
 確か、その男の子は自分と同い年だったはずだ。
 面白くなるかもな、と亮は内心期待していた。
 いつも友人と出掛けていて、帰る時間になるのがつまらない少年にとって、何時でも一緒にいられる友達がいるのはさぞ楽しい事だろう。
 だが、その期待はあっけなく否定されてしまった。
「いや、眞君はお母さんと一緒に住むよ。今日は挨拶に来てくれたんだ」
 なんだ・・・
 そう思った亮だったが、新しい友達が増えた事はそれ以上に嬉しかった。
 
 目の前に座る少年から、ふと目を逸らして智子は心の中で溜息を付いた。
(あ~あ、どうしてあたしってばいっつもこうなんだろ・・・)
 喫茶店で少年と少女が向かい合って座っている、所まではまあ良いだろう。
 しかし、二人の座るテーブルの上にはパソコンのマザーボードと最新のCPU、発売されたばかりの高速グラフィック・カードなどが所狭しと並べられていた。
 そして目の前にはじっとマザーボードの回路仕様書を読んでいる金髪があった。
 普段は無愛想極まりない少年も、秋葉原でパソコンや無線などのパーツを眺めているときは人が変わったように無邪気な笑みを見せる。
(あたしよりもパソコンのマザボーの方がいいってか、コイツ・・・)
 御世辞にも美人ではないことは自分自身で良くわかっている。
 人並みの容姿であるとは思うが、コンピュータマニアで、なおかつアニメファンと言う典型的なオタク少女の智子にとっては化粧っ気など興味の対象ではなかった。
 少なくともつい最近までは。
 だが・・・
(人がリップつけた事くらい気付けよ)
 目の前の少年は智子が珍しく2時間も費やして選んだピンク色のリップを見事に黙殺したどころか、気付きさえもしなかったのである。
 これには流石の智子もショックがデカかった。
 眞にとっては智子はハッカー仲間という以外の意味は無いのだろう。
 が、智子にとってはもう少し違う意味があった。
 何とかして夏休み中にこのいい加減よくわからない中途半端な関係を突破したかった。
 今年は高校受験なのだが、そんな事よりも大事な事がある。
 目標高校に合格するのに問題が無いレベルの成績は維持している以上、親も文句は言わないはずだ。別の意味で文句を言われた場合は困るのだが。
 大体、この年頃では女の方がずっと大人びている。
 目の前の少年は女の子よりも、まだコンピュータの方に興味があるのかもしれない。
(いい加減に大人に成ってくれってばさ・・・)
 この後、智子は悩み疲れて亮に相談をしているうちに、亮とデキてしまったのである。
 
 東京の街を彩るネオンサインの輝きが眞の目にはどこかわざとらしく映っていた。
 ただ、眞の心には何の感慨も与えない。
 イカれたどこかの三流アーティストがデザインした潰れたクリスマス・ケーキのような都市には、馬鹿馬鹿しいオモチャが転がりすぎている。
 ぼんやりとコーヒーを一口だけ流し込み、ベッドの上で眠っている少女に目を移した。
 全裸のままですやすやと安らかな寝息を立てている少女を見て、眞は風邪を引くぞ、と心の中で呟く。
 夜食代わりにかじったサンドウィッチが効き過ぎたエアコンのせいで早くも乾燥し始めている。
 不意に今後の事を考えて、眞は大学も何も興味を失っている事に気が付いていた。
 伊達が連れてきた少女は家出少女だった。
 良くある事かもしれない。
 眞はその境遇にまるっきり関心が無かった。
 最初は次の朝には部屋から追い出すつもりだった。だが、何故かこの眞が使っている部屋に居付いている。
 このホテルの部屋には全ての設備が揃っている以上、何処にも出かける必要が無い。
 それに、伊達に言い含められているのかどうかは知らないが、彼に関わった以上、迂闊に出歩くのは危険すぎる。
 眞はこの部屋の全ての出入り口を<鋼鉄の鍵ハードロック>の呪文で封鎖し、その上で何重もの魔法結界を張り巡らせていた。出入り自体、魔法を使っての出入りにのみ限定している。
 伊達を慕って集まった仲間達も、もう数十人にのぼる。
 彼等は眞の作りだした<覚醒の酒エリキサー>という魔法の秘薬で特殊な能力を身に付けていた。
 <覚醒の酒>は、人間の根源に働きかけて各々の持つ特殊な魔法的能力を引きだす効果がある。
 眞の理解によると、人間は元々混沌の力を持っている。
 それは夢や衝動などといった形で現れてくるのだ。しかし、眞の作りだしたこの魔法の秘薬はその能力を現実的な力として発動できるようにしてしまう。
 眞の仲間達の中には壁抜けをする者、透視能力を持つ者、火を吹く者、空を飛ぶ者、様々な異能力を持つものがいる。
 伊達は慎重に、エリキサーを与える者を選んで、限られたものだけがこの特殊能力を得る事を許していた。
 しかし、彼等のような異能力者でさえ束になっても眞と伊達にはかなわなかった。
 それが伊達と眞に対する畏怖と同時に崇拝の念を抱かせるほどのカリスマとなって仲間達を魅了していたのだ。
 彼等は革命的な変化を引き起こそうとしていた。
 その為に彼等は秘密結社めいた組織を作りだしている。
 行き詰まっていた宗教法人を買い取りもした。
 修行によって超能力を得たと公言していたその教祖は、<覚醒の酒>で本当に異能力を得て信者からの崇拝を確立したのである。当然、その教祖は彼等の支配下に喜んで入ってきた。そうやって、伊達は十数もの宗教団体を支配下に置いていったのだ。
 だが、派手に活動をし始めた一つの宗教団体に警察の捜査が入り、危険を感じた伊達達は速やかにそして極秘裏に散っていった。
 彼等の能力と実態を知られる事は余りにも危険だった。
 特殊な異能力を身に付ける方法と、それを活用する極秘組織。
 その能力を欲しがらない組織など無いだろう。
 警戒するに越した事は無い。だが、伊達と眞の仲間達も曲者ぞろいだった。
 見事なまでに自分達の能力を隠して世界各国に散っていったのである。そして南米やアジアの国々、旧共産諸国など混沌とした国に潜入して隠れて勢力を伸ばすための活動に切り替えていた。
 そして今、眞自身はもとの生活に戻る事を決めていた。
 しかし、その前にしておかなければならない事がある。
 この数週間の間で眞は様々な事を見たり経験した。その中で知りあった仲間達との繋がりを失いたくは無い。
 バーで働くホスト・ホステス達の実態、裏の社会で生きる人々の生活、社会の矛盾とそれに耐えられなかった人々・・・
 眞はその全てを受け止めたいと考えていた。
 その想いから、眞は某有名企業のある研究所と連絡を取ったのだ。
 有名なゲーム機器からコンピュータ、AV機器などを総合的に手がけるその企業にはあまり知られていないが超常現象を研究する部署がある。
 別名<サイ研>と呼ばれているその部署は、眞と伊達の見せた<覚醒の酒>とその効果に興味を示したのだ。
 また、眞の魔法技術にも関心を見せ、全面的な協力を勝ち取る事に成功した。
 もっとも、彼等の革命的な最終目標は御首にも出していないが・・・
 <覚醒の酒>で得られる能力はあくまでも個人の性格や個性に依存する。つまり、極端に言えば個性の延長線上に現れる能力だと言ってよい。
 今の世界は、本当に意味に於いて個性を尊重する世界ではない。
 だからこそ、眞は世界を変えたかったのだ。自分が受け入れてもらえなかった世界を変えたかった。
 暴力による革命では無い。何かを排除するのではなく、全てを受け入れられるように人々の意識を根底から変えたかったのだ。
 その一環としてまずは自分を探している悦子と智子、亮にそれを見せることを計画していた。
 
 
 

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