~ 1 ~

 ふと目を開けると、見慣れない天井が目に入ってきた。
(何処だ、此処は・・・)
 頭がぐらぐらする。
 蛍光灯の明かりが眩しかった。
 弘樹は酷い二日酔いをしたような感覚で何とか上体を起こした。そして気が付く。
 彼が寝ていたのは豪華なキングサイズのベッドだった。
 映画の中でしか見たことが無いような豪華な寝台に、弘樹はまだ薬の影響の中にいるのだろうか、と訝しげに首を捻っていた。
「あ、気が付かれたようですね」
 優しげな声が聞こえた。
 ふと振り返ると、其処には一人の少女が佇んでいるのが見える。
 十五、六歳くらいだろうか。
 まだまだ子供らしさの残る顔立ちだが、十分に美少女で通るだろう。白い清潔なブラウスが眩しく思えた。
「・・・此処は何処なんだ?」
 弘樹はつい、ぶっきらぼうに尋ねてしまったことを微かに後悔した。あの悲惨な事件以来、人に優しくする方法を忘れてしまった自分に嫌悪感を感じてしまう。
「此処は眞様の家です」
 そう言われても弘樹には何の事だかさっぱり判らない。
 少女は驚いたように目を丸くし、合点がいったように頷いた。
「覚えておられますか? 黄金の色をした髪の、私と同じくらいの年齢の男の子です」
「はあ!?」
 思わず間抜けな声を出してしまったものだと、自分でも判る。だが、この部屋はどう考えても普通の一般庶民の住む家ではないだろう。
 寝室とはいっても、この部屋の大きさは軽く二十畳はある。坪換算で四十坪、というのは一軒家並みだ。そんなとんでもない屋敷があの少年の個人の持ち家なのだろうか?
 にわかには信じがたい。
 不意に弘樹は世の中の理不尽さに怒りがこみ上げてきた。
 確かに家の大きさが人生の幸福を表すものではないとしても、余りにも違いがありすぎるではないか。
「こんなとんでもない家に住んでいる人間が、日本にいるなんてな・・・」
 アメリカの映画や海外のビジネスニュースなどには、敷地が何エーカーもあるような大邸宅に住んでいる大富豪の話も出てくるが、そんなのはあくまでも海の外側の話だと思っていた。
「それは余り知られていないからですよ。もともと、日本の華族や旧家はGHQによる財閥解体の流れで資産を没収されたりして没落した家が多いですから」
 少女は平然と語る。
 弘樹はそのことに驚きを感じていた。
 少なくとも日本は貧富の差の少ない国民総中流階級という平均して豊かな生活を送っている、ということに何処となく安心感を覚えていたためだ。
 弘樹の疑問が表情に出ていたのだろう。少女は優しく微笑んで彼に語り掛ける。
「日本はあのソビエト連邦の官僚達からも『世界で最も完成された社会主義国だ』という評価をされたことさえもあるそうです。そして、あの第二次世界大戦後の米軍の占領下で制定された現日本国憲法の草案自体が旧ソ連を始めとする戦勝国によって構成された極東委員会の影響を受けていました。日ソ不可侵条約を一方的に破棄して国際条約違反の日本侵略を行い、シベリア抑留を行ったソビエト連邦に対する反撃を行えなくするように、日本の軍事力制限を行うための意図があったものとされています。また、当初は米軍も日本を農業国化する予定でいたそうですが、米ソの対立が深まる中で急遽、日本を再度工業国化し、西側陣営に引き込む必要があったため、警察予備隊として発足した自衛隊の軍隊化を急いだ、という理由があります。こうした戦勝国側の都合で我が国の法基盤である憲法さえも、言わば継接ぎだらけの状態で世界情勢の変化に対応せざるを得なかった、という現状があります」

(参照:[NHKスペシャル:日本国憲法 誕生]
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070429.html)

 少女は語ると、一息ついた。
 その内容に弘樹は圧倒されてしまっていた。
 とても高校生程度の少女の語る内容だとは思えなかった。
「それがマインド・コントロールですよ」
 再び弘樹の思考を呼んだかのように、少女が微笑みながら答える。
「こんな普通の女の子が政治を語るなんて、と思われたのでしょう?」
 まったく其の通りの指摘に、弘樹は思わず赤面してしまう。
 だが、“マインド・コントロール”とはどういう意味だ?
「簡単な話ですよ。世間一般、というよりもメディアに登場する女子高生はファッションやアイドルの話をして勉強のことなんか『え~、しらなぁ~い』ってケタケタ笑う。典型的なステレオタイプの報道ですよ。だから、テレビを見ている一般視聴者は『今時の女子高生』のイメージを刷り込まれてしまう。そして現実の女子高生達自身も無意識のうちにそうした自分を演じてしまう」
 でも、そんな女の子ばかりじゃないんですよ、と少女は呟いた。
 弘樹は少女の言葉に改めて恐怖を抱いていた。
 自分がいかに深くマインド・コントロールされていたのか。そして、自分はそんな相手と戦おうとしていたのか、と。
「大丈夫ですよ。眞さんも伊達さんも、不可能を可能にしてきた人ですから」
 そう言って少女は立ち上がる。
 だが、部屋から出て行くわけでもなく、何かを促すように弘樹を見ていた。
 自分が起き上がるのを待っているのだろう、と思い至って、弘樹は思い切ってベッドから起き上がる。まだ頭は少しぐらぐらしていたが、歩くことに支障はなさそうだった。
 そして初めて、自分が見慣れない古い本を左手にしっかりと握り締めていることに気が付いた。

 重厚な調度品の置かれた居間にある高級感漂うソファ腰掛けて、眞は伊達と静かに紅茶を飲んでいた。
 今後の活動の展開に関して、まだまだ難問は山積している状況だった。
 少なくとも人員の不足と組織の整備に関しては未だに予定が立っていない状況なのである。だが、厳しい訓練を施して手足となって動く実働部隊が纏まりつつある事や、それらを率いて実際の作戦の現場に立てる幹部の候補生が漸く見つかったことで二人はなんとか胸をなでおろしていた。
「あの男、期待外れじゃないと良いがな」
 伊達が微かに不安をにじませた口調で呟く。
 そもそも、あの薬は『覚醒の酒』と呼ばれる、人間の魔法的な潜在能力を覚醒させて特殊な能力を引き出すという魔法薬のエッセンスを凝縮させたもので、非常に貴重な物なのだ。その精製にかかる費用もさることながら、その原料を手に入れるのにも困難な代物であり、さらに長時間の古代語魔法の高度な魔法儀式を行って初めて作り出せる貴重な魔法薬である。
 来生弘樹という若者がそれほどの魔法薬を与えられて、結局は役立たずだったならばとんだ徒労に終わることになるのだ。
「大丈夫ですよ。少なくとも彼は何かを取得したようですから」
 眞は上品な香りを立てる紅茶を一口飲んで伊達に答えた。
 彼自身も古代語魔法だけでなく様々な能力を身につけている超人であり、その能力の凄まじさは伊達をも凌駕するほどなのだ。
 古代語の魔術のみならず、その知識と魔術を応用して魔力iマナjを操る才能のないものにも使える『具現魔術』という魔法技術体系を編み出した眞は、自らその具現魔術を身につけてさらにそれを伊達にも身に付けさせたのである。
 また、“覚醒の酒”の力で超人的な身体能力や戦闘能力を身に付けた二人は、まさに人間離れした能力を持っているのだ。
 低いコーヒーテーブルの上には古めかしい台座にはめ込まれた直径10cmほどの水晶球が置かれている。その磨きぬかれた真球の中にはテーブルの向こう側の景色ではなく、数十人の男たちが映し出されていた。
 年齢は様々で、まだ十代の少年から三十代後半の壮年の男性までいる。全員に共通するのは黒い武道着のような服を着て厳しいトレーニングを行っているのだ。そして教官と思われる数人の男が厳しい訓練を行っている男たちの間を巡回し、少しでも手を緩めようとしている者達を容赦なくしごいていく。
 すでに男達の目は厳しい兵士としての目に変わっていた。
「やれやれ、何とか使えそうなレベルになってきたようだな」
 伊達が嬉しそうに呟く。
 一ヶ月足らずで温室育ちのお坊ちゃんやふやけた今時の学生達を軍隊顔負けの兵士に鍛え上げたのだ。これだけの部隊をうまく運用すればヤクザの組など一つや二つ、簡単に全滅させられるだろう。実際に、彼らにはありとあらゆる銃器や火器の使い方を叩き込んである上に、人殺しのための訓練だけをひたすら積み重ねさせている。
 それに加えてごく簡単なものではあるが魔法や特殊な能力を使えるように訓練しているため、通常の兵隊以上の能力を発揮できるのだ。
 若さと体力を有り余らせている元チーマー少年達以外の男達は、弘樹と同じような悲惨な経験をした者達ばかりだった。既に失う物などない男達は自分と同じ境遇の仲間に深い共感を覚え、そして自分達をこのような運命に追いやった存在に復讐を果たすべく、そして自分達と同じような人間をこれ以上生み出させないようにすべく、“プロメテウス”の誘いに応じたのである。
 その時、弘樹が扉を開いて居間に入ってきた。
 まるで中世ヨーロッパの貴族の館のような豪華な居間に改めて嘆息をつきながら、弘樹は眞と伊達の腰掛けるソファに歩いていく。眞と伊達も立ち上がり、弘樹を迎え入れていた。
「どうだ、気分は?」
 唐突に伊達が尋ねた。
 弘樹は少し戸惑ったものの、自分が見た不思議な出来事を眞と伊達に話していく。その話に耳を傾けながら、眞は何度も頷いていた。
「・・・そして、目が覚めたら俺はこんな物を握り締めていた」
 そう言って弘樹は自分の手にあった本を二人に見せる。
 それは古い洋書のような本だった。
 黒い革表紙の本はB5版ほどの大きさで、かなり分厚い。だが、弘樹が頁をめくってみてもそこには何も書かれていなかった。
 何がなんだかさっぱり判らない。
「いい能力を身に付けたみたいだね」
 眞が面白そうに弘樹に言葉を返す。
 何が“いい能力”なのだろうか。
 せめて炎を操るとか人を支配するとか、復讐のために役立つ能力であったなら、と弘樹は考えていた。
 怒りに任せて美しい少年に言葉を叩きつけようとする。
「俺は・・・」
「その能力は『技能の書』っていう力」
 眞は弘樹の言葉を遮って言葉を続けた。
「『技能の書』は、その本に写し取った力を能力者に使えるようにすることができる。使い方に次第じゃ、下手な火器なんかよりも遥かに恐ろしい武器になるよ」
 何故この少年が弘樹の身に付けた能力のことを知っているのか疑問に思ったが、弘樹はその言葉にじっと耳を澄ます。
 眞は独り言を呟くように言葉を続けていた。
「その本は様々な“能力”を書き記して写し取る、という能力の表れ。その本を使えば様々な能力を自分の力として発現出来るようになる。他の単一の事象しか発現できない能力よりも、使い方によっては遥かに強力な能力になる。ただ、問題はその写し取った能力を“成長”させられない点にあるから、気をつけないと駄目だよ」
 そう言って眞は弘樹の能力について詳しい説明をしていく。
 弘樹の身に付けた“技能の書”は、様々な“技能”を写し取り、そしてその技能を術者である弘樹が使えるようにする、という恐るべきものだった。これは肉体的な動作を必要とする技能だけでなく、魔法的な能力さえも写し取ることができるという途轍もない能力だった。反面、たとえどれほどその技能を行使したとしてもその技能を“成長”させて熟練度を伸ばしていくことはできない。
 また、同時に発動できる技能は一つに限られ、複数の技能を同時に発動することはできない、技能を発動する際には必ず“技能の書”を実体化させて、該当する頁を開いておく必要がある、などの制限がある。
「・・・この能力がどんな物かは判った。けどな、どうやってその“技能”の元を写し取ればいいんだ!」
 どんな技術を具現化できるとしても、その根源となる技能を頁に写し取らなければ意味がないではないか。
 再び怒りを募らせてきた弘樹に、伊達が呆れたように声を掛ける。
「お前な、いくら凄い力を身に付けても何も考えないで突進したらあっという間に返り討ちに遭うだけだぞ」
 だが、弘樹の苛立ちも理解できない訳ではない。
 家族を皆殺しにされて、一人残された彼が復讐の為に力を得ることを決め、そしてその能力がすぐには役に立ちそうにない力だったと知ったときに感じる落胆は容易に怒りに変わるだろう。
「じゃあ、いつまで待てばいいんだ!」
「そんなに待てないなら、すぐにでも幾つかの能力を使えるようにしてみればいい」
 眞が涼やかな声で弘樹に答えた。
 そう言って少年は立ち上がる。
「伊達さん、これからちょっと出掛けてきます。すぐに戻りますから」
「おいおい、いきなりか。やっと見つけた人材を潰しちまうなよ」
 冗談めかして伊達が答えた。とはいえ、目の前の青年の焦燥感も理解できる。
 だからこそ伊達は眞が幾つかの能力を身に付けさせることで弘樹の感情を落ち着かせようと考えているのだと判断していた。

 弘樹は自分の繰り出した剣の勢いに振り回されて危うく片手剣iブロードソードjを取り落としそうになってしまう。
「うわ!」
 悲鳴を上げて、慌てて右手の勢いを殺そうとした瞬間に、バランスを崩して左手の技能の書を取り落としてしまった。その瞬間、技能の書は空気に溶け込むように消えてしまい、そして同時に本によって具現化していた剣士の技能が消えうせた弘樹の肉体は身体の動きを止められずにもんどりうって倒れこんでいた。
 眞は技能の書を片手に戦えるように、弘樹に片手剣を使いこなす剣士の技能をコピーさせていたのだ。
 だが、今まで剣士としての訓練など受けたこともない弘樹は自分の振るう剣の勢いに振り回されて派手にすっ転ぶ結果となっていたのである。
「大分、上達したと思いますよ」
 眞は優しく言葉を掛けていた。
 慰めの言葉ではなく、本当に弘樹は上達していた。どう考えても、借り物である剣士の技術を一日で使いこなせるようになるほうがおかしい。それも、弘樹の技能の書に転写した剣士の技は欧州でも屈指の実力者のそれである。
 眞はあの時、弘樹を連れて外に出かけていた。
 それはテレビ局の番組で欧州の騎士の技を継ぐ者の特集番組を制作するという名目で来日した剣士に頼み込んで弘樹の技能の書に手形を付けてもらったのだ。こうして弘樹は自分の能力に初めて他者の技能を写し取ることに成功したのである。
 ただ、その後で思い知らされたのが「技能を転写できることと、その技能を使いこなせることは別」だという事実だった。
 それもそうだろう。今まで何も武器戦闘の訓練など積んだこともない弘樹が、世界でも屈指の剣術をマスターした人間の技能を具現化しても使いこなせるわけがない。
 そのため、弘樹は少なくとも転写に成功した剣術を本当の意味で使いこなせるようになるべく眞を相手に特訓に励んでいるのだった。
 もう弘樹には焦って相手に挑もうという気持ちなど綺麗さっぱり残っていなかった。剣術の技一つ使いこなせない自分では、日本だけでなく韓国やアメリカ合衆国、いや、それだけでなく中国やロシア、欧州各国をはじめ世界各国に巣食っているカルト宗教や共産主義の亡霊と戦う事など出来はしない。
 だが逆に、自らの力を使いこなせれば十分に相手をすることが出来るだろう。
 既に弘樹は幾つかの“能力iタレントj”や魔法の効果などを技能の書に転写し、使えるようになっている。特に、眞が召還して支配下に置いた下位魔神の中でも特に古代語魔法の能力に長けた青銅魔神iグルネルjの能力である魔術を使う能力を転写して古代語魔法を使えるようになったのも大きな意味がある。
 眞のように実際の自分の能力として古代語魔法を身に付けたので無いにせよ、導師級の古代語魔法を使える術者がもう一人増えたことは人材が不足しているこの組織には極めて大きな意味があるのだ。
 弘樹の心にもう焦りは無かった。
 いつでも殺せる・・・。
 その事実が弘樹に単なる復讐を行うだけでなく、根本的な部分から彼と彼の家族を襲った不幸の原因を滅ぼすための戦いに向かわせることを決意させていたのだ。
 今は力を身につけることだ。唯の力ではない、今の日本の社会に巣食う共産主義の亡霊どもやカルト宗教に取り憑かれた狂信者どもを根こそぎ滅ぼすための絶対の力。それが弘樹の弾けそうになる復讐心を押さえ込んで、ただ只管に強くなるための訓練に彼を駆り立てていた。

 あれからまだ一月しか経っていない。
 そして弘樹は仲間達が見守る中、自ら育てていた霊体を使い魔として具現化させるための最後の儀式を始めていた。
 意識を覚醒させる効果のある上位古代語の呪歌を詠唱しながら、弘樹はイメージを強く意識していく。目の前に自分が具現化させたい悪魔の姿が見えるほど強くイメージを描いていくのだ。
 眞の教えた方法によれば、この時にイメージを描いた姿と自分の支配した霊体を重ね合わせ、そしてその霊体をイメージの鋳型の中に流し込むように固定化させるのだという。だが、弘樹は自分の目の前に複数の悪魔や天使の姿をイメージしていた。それが全体で一つの霊になってしまわないように、ばらばらに動き、そして行動をするようにさえ姿を意識の中に生み出していたのだ。
 眞は弘樹が何をしようとしているのかを知っているように、楽しげに微笑んでいる。
 霊体が強い力に打ち震えるように細かく動き始め、そして渦を巻くように変化していった。その瞬間、弘樹は自分が意識の中に生み出した十数体の悪魔や天使、妖精などの姿を一つに重ね合わせて自分が支配する霊体をそのイメージの鋳型の中に封じ込めていく。
 一瞬、光り輝くように霊体がオーラの輝きを強く発した瞬間、弘樹は呪歌を高らかに詠い終えていた。
 その瞬間、弘樹の支配している霊体は白い光の球体となっていた。
「え!?」
「まさか、失敗したのか!?」
 仲間達の不安げな声を聞きながらも、弘樹は自分が眞の持つのと同じ『アカーシャ』を具現化させることに成功した、と確信を得ていたのである。
 
 パチパチパチ・・・
 
 不意に拍手の音が響いた。
 全員の視線の先には楽しそうに笑う眞の姿があった。
「弘樹さん、よくアレを具現化できたね。でもその甲斐はあるよ。これで僕らの魔法戦力は大きくなったし、柔軟性にも幅が出てきたからね」
 その言葉に、仲間達は弘樹が『アカーシャ』を具現化することに成功したことを理解していた。
 眞以外にも様々な姿と能力を具現化できる『アカーシャ』を使い魔にすることが出来た具現魔術師が増えることの意味を理解した若者達は喜びの声を上げる。
「期待した甲斐があったな」
 その伊達の声が不思議に優しく聞こえた気がした。

 それからは日々の活動は加速度的に忙しくなっていった。
 具現魔術を操れる人材は日に日に増えると同時に、必要とされているオペレーションの幅や数がどんどんと増えていったのである。
 そして弘樹は眞に特別に教えられて、古代語魔法の知識と力を操るために普段の活動以外にも厳しい修行を積んでいた。弘樹自身はまだ自分の能力として上位古代語の魔法を使いこなすことは出来ない。
 どんなに修行をしても、少なくとも三年から五年という時間を費やさなくては古代語魔法を身に付けることなど出来はしない。眞でさえ召還した魔神の魔力と古代語魔法の知識を魔法の宝物を用いて自分に転写したため古代語魔法の技能を身に付けただけであり、自分でゼロから勉強して取得したわけではない。
 そのため弘樹も『技能の書』に青銅魔神iグルネルjの古代語魔法の知識と技能を転写して使えるようになった古代語魔法を十全に使いこなせるようにするための訓練を積んでいるのだ。

 一部の官僚を除いて、殆どの霞ヶ関の住人達は自分に任された仕事を極忠実に実行しているだけである。
 マスコミなどが官僚バッシングを行うのも、実のところ彼らをバッシングする以外には記事として面白みの出るものが少ないという理由と、それを叩く事で権力に立ち向かう者だという安っぽいヒロイズムに浸りたいが為であった。
 その彼らは、プロメテウスと名乗る謎の組織が様々な場所で暗躍を始めた事を知らされていた。
 全てはあの少年、“iゼロjと名乗った黒尽くめの少年とであった事から始まっていたのだ。

 日本から遥か離れた大陸の奥、東洋の大国の首都がそこにはあった。
 十数名の男達が熱心に資料を読みながら厳しい表情で会議を続けている。
「今、日本で起こっている事態は座視しては置けません!」
「慌てるな、同志よ。まずは何が起こっているのかを把握するのが先決ではないか?」
「趙同志、そのような悠長なことを言っていられないのが現状なのですぞ! 既に日本にいる革命戦士達は壊滅状態であり、我が国から出向いている有能な情報員も尽く連絡がつかなくなっている!」
「確かに今の日本の中で起こっている事態は我々の知る限りにおいて説明が出来ない。我らの協力者達にも何も判っていないのが現状だ・・・」
 男達は党の幹部達に報告する内容を考えて、その現状の厳しい事態に困惑を隠せていなかった。日本に送り込んでいる国際宣伝部の情報員や彼らに協力してくれている日本の良心的勢力、共産主義革命の理想を志す同志達とまるで連絡が取れなくなっているのだ。
 来月、日本からの議員団が訪中するのだが、その事前の情報が何も掴めていない。こんな事態は初めてのことだった。
 今のところ日本から入手できる情報は各種官庁から公開されている情報と、マスメディアの報道のみである。しかし、そのような情報でさえ以前に比べて巧妙に知りたい情報が隠されているのだ。
「懸念しなければならないのは日本の帝国主義が復活することだ」
 その兆候は確かに存在していた。
 あろう事か日本政府はスパイ防止法案を可決させ、外国勢力や国内にいる反体制組織が機密情報を入手することを封じる体勢を構築してしまったのだ。
 彼ら中国共産党対外宣伝局の局員達が、いきなり情報網を寸断されて混乱をきたしている間に、こんな重要な法案をあっけなく可決させてしまったことで党上層部は大騒ぎになっているのだ。その責任を問われて局長は地方に更迭されてしまった。
 他にも日本の反動右翼勢力は共産主義勢力を殲滅するために国家安全保障法という法律を策定して、反体制派を逮捕、排除するための法的手段をも成立させてしまっているのだ。
 この国家安全保障法では「日本の領土、領海を既存するいかなる試み、安全保障に対していかなる障害をiもたらjすあらゆる行為も叛乱として処罰する」という処罰規定が定められ、日本にいる良心的勢力が片っ端から逮捕、処罰されてしまったのだ。
 この法案は共産主義革命団体であるMDSの指導の下で進められていた無防備都市条例の制定を叛乱行為であると規定して、それに関与した団体、個人は次々に逮捕されているのである。この中で中国共産党対外宣伝局の局員が逮捕されてその活動内容が日本の捜査当局に明らかにされてしまったのは大きな痛手だった。
 日本の政界も与党の中で保守派が大きな勢力を握り、平和主義の勢力は完全に傍流へと追いやられてしまっている。平和主義、アジア主義を掲げる公明党もまた保守派に対して不満を抱いている様子だったが、あろう事か野党である民主党の議員達が党議拘束を無視してまで自民党保守派の法案に賛同してしまっているため、公明党としても及ぼせる影響力には限界があるのだ。
 連立政権を解消したとしても、今度は民主党の自民党賛同派と部分連立を組むだけで安定過半数を維持できるため、保守派の力を牽制することさえ出来なかったのである。
 その動きは彼ら中国共産党の人間の目には、明らかに日本が敵対的な姿勢を取り始めたと映っていた。
「この日本の愚かな策謀は断固として粉砕せねばならない!」
 あの清日戦争での敗戦やそれによる満州の侵略など、日本を手放しにさせると何をするかわからない。この四千年の歴史を誇る中華大陸に牙を剥くようなことはさせてはならないのだ。
 しかし、何が起こっているのだ・・・
 中国の情報局員達は隣国の中で何が起こっているのかを知る術を持たず、そしてそのことに深い恐怖を禁じえなかった。
 しかし、彼らは既に中国共産党の中枢部が人知を超えた手段で侵されつつある事をまだ知らなかった。
 そして僅か数年後、中国大陸は巨大な昆虫の支配する世界と成り果てたのだ
 
 
 

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