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十分ほど経って、恵がビルから出てきた。
その手にかなり大きな紙袋が握られている。しかし、当の本人は怪訝そうな顔をしていた。 「お待たせ。これ、悦子ちゃん宛ての荷物よ」 「え?」 変な話だ。悦子はこのビルに立ち寄った事も無ければ、知り合いもいない。 差出人の名前も無い。 「昨日、届けられたそうよ。これを私に預けてくれって。どうやらこれを預けた人物は貴方達の事も私の事もお見通しって感じよ」 恵は少し緊張した声で呟いた。 急いで車に乗り込む。 そして紙袋を開けると、その中には幾つかの品物が入っていた。 まずは手紙だ。 そして3つの携帯電話。 さらに一台のコンピュータ。これは智子の持っているのと同じタイプのものだ。 コンピュータを入れるためであろうバックパックが一つ。 あとは電源コードや幾つか細々した物が入っていた。 悦子は手紙に目を通す。 『小沢さん、岡崎さん、速水さん。 不思議の国へ向かうように決めたみたいですね。 ようこそ、と言いたいところだけど、それは僕のところに辿りついてからにしましょう。 これらの道具はその冒険に必要なものです。 うまく使いこなしてください。 この中の携帯ですが、特殊な物なので便利です。ほとんどどんな所からでもかけられるし、使い放題ですよ。 おおっと、非合法じゃないからね! 安心して使うように。 岡崎さんに聞けば判りますが、この携帯を使えばかなり早いスピードでインターネットにも繋がります。 岡崎さん、携帯の接続だけど、そのコンピュータの携帯接続用のコネクタに普通にケーブルを差し込んでください。ドライバはこのROM(プログラム等を記録してある読み出し専用メモリー)に焼いてあるので自動的に接続できます。 デバイスの名前は『New Mobile Phone TypeⅢ』です。 あとはそのまま使えるので。 それと、この小さなコンピュータですが、重要な道具なので注意して使いこなしてください。 メールの設定等は岡崎さんにやってもらうといいですよ。 冒険に必要な情報等はすべてこのコンピュータに入力してありますから使ってみてください。 同じ内容のROMを入れてあります。 これは岡崎さんのコンピュータ用と速水さんのコンピュータ用の2種類。自分のデータをなくさないように! CFメモリも入れてあるので、それを使ってください。512MBもあれば当分は大丈夫でしょう。 ネットに繋いだら、スタート・メニューから『オンライン版ヴァリアント・レイ』をプレイしてみてください。(これは傑作だよん!) 後はヒントを見逃さないようにしてください。 どこで会えるかはお楽しみ。¥(^_^) あ、そうそう。 敵のキャラクターに出会ってもその場でバトルは危険だよ。 まずは会話をすること。 RPGの鉄則ってやつね。他にもルールがあるけど、それは岡崎さんが詳しいよ。 あと、速水さんはかなりのゲーマーだから、その他のゲームのルールや鉄則はご存知のはず。他にも結構な雑学が必要になるからね w(^。^)w それでは、健闘を祈る、ってね。 P.S. これらのグッズのお金は要らないよ。』 何のことだかさっぱりわからない。 「なによ、この手紙!」 悦子は少し恐怖を感じはじめていた。 しかし、ここまできたら後には引けない。 「えーっと、なになに。ほー、緒方君もしゃれた事するようになったじゃない」 智子が関心したように言う。 亮は不思議そうな顔で手紙を読んでいる。 だが、少しだけ亮は眞からの手紙に違和感を感じていた。 いつもなら眞は自分の事を『亮くん』と呼んでいるはずだ。しかし、今日に限っては『速水さん』などと他人行儀に呼んでいる。 その事が亮を微かに不安にさせていた。しかし、それを目の前の二人には知られてはならない。 これ以上、この二人に不安を与えてはならないのだ。 「このROMね。その前に、小沢さんの新しいコンピュータを見せてもらっていい?」 「良いも悪いも。それに私のことは悦子でいいわよ」 智子はにっ、と笑って、 「OK、それじゃ私のことも智子でいいよ」 そう言って智子はコンピュータを調べ始めた。 「あちゃあ、緒方の奴め、すごい事したもんだ」 智子が驚嘆の声をあげる。 「どうしたの?」 「いやね、本来WindowsCEって画面表示とか処理性能とか結構問題があるんだけどね」 智子が悦子に答えながら、眞の送りつけてきたコンピュータを指差す。 「緒方の送ってきたこれ、バリバリにチューンアップしてあるの」 「どんな風に?」 「画面の表示が格段に早くなってる。それに、ほれ、相当大きなファイルをワープロで開いても、全然遅くならないよ。さらに付属のプログラムも改造してある。ワープロも表演算もデータベースもそう。インターネット・エクスプローラもバリバリにチューンアップされて、本家Windows98のインターネット・エクスプローラ5.0とまるっきり同じことが平然とできる。ついでか、WindowsCE自体をマルチ・ウィンドウに改造してあるし、まるっきり別物みたい」 なぜか自慢げに言う智子に、悦子は質問をしつづける羽目になっている。 「それって凄いことなの?」 「もち。これだけの改造をアプリケーションだけじゃなくOSもろとも出来るなんて、化け物じみたプログラマだよ」 難しい事を立て続けに言われても、ピンとこない悦子だったが、とにかく眞が凄い事をしたことだけは理解できた。悦子が密かに眞の事を感心している間にも、智子はどんどんと新しいコンピュータを調べて行く。 「へー、すごいじゃない。辞書に地図、各種ソフトウェアにメーラ、おまけにかなりのフォントも入れ込んであるねぇ。おまけに結構遊べるようにチューンナップしてあるか。流石は天才ハッカー」 「え?」 悦子の疑問の声に、亮が説明する。 「奴は文字通りの天才ハッカーなんだ。小沢さん、ハッカーってなんだかわかるかい?」 「ううん」 悦子が首を横に振るのを見て、亮が説明を続ける。 「ハッカーっていうのはコンピュータを自由自在に操る人間のことなんだ。特に彼らのネットワークに関する知識や技術は凄まじいものがある。おまけにどんなセキュリティでもかいくぐってしまえるようなハッカーもいるんだ。つまり、コンピュータの世界の魔法使いとでもいった存在なんだ」 「それって凄いことなの?」 「ああ、彼らが本気になったら、アメリカや日本の国家機密は極秘情報さえ筒抜けだよ。それどころかこの社会のすべての情報、お金や信用情報、戸籍、なんでも自由に操られてしまう」 「そんな・・・」 その凄まじいまでのハッカーの能力に悦子は背筋が冷たくなるのを意識していた。もし、眞が復讐の為にその能力を使ったら・・・ その推測を否定するように智子が笑った。 「悦子、緒方君はそういう事をするほど馬鹿じゃないわよ」 「どうして?」 怪訝そうに尋ねた悦子に智子が答えた。 「だって、そんな事したって何の得にもならないじゃない。むしろ、緒方君だったら別の方法を選びそうな気がする。カンだけどね」 そう言って智子はひょい、と肩をすくめた。 そして自分のコンピュータの蓋を開けて、ROMの交換を始めた。 「さて、これからどうするの?」 恵が声をかける。 「そうですね・・・恵さんの仕事を優先してほしいんですが」 悦子の答えに恵はくすっと笑みを浮かべた。 「ありがと。それじゃ、近いところから廻ることにしましょう」 恵は車を発進させる。 暫く車を走らせた時、智子が作業を終えた。 「さて、これで全てが完了。悦子、そのケーブルを使ってコンピュータとその携帯を繋いでみ」 言われるままに悦子がコンピュータに携帯を繋ぐ。 「繋いだら、そのインターネット・エクスプローラを立ち上げて」 悦子は画面のアイコンをダブルクリックしてインターネット・エクスプローラを起動させた。 次の瞬間、ログオンの画面が出て、パスワードを入れてOKボタンを押した瞬間にインターネットの情報が画面に現れた。 信じられないようなスピードだ。 「すごいね、この携帯」 悦子が関心したように呟く。 「でしょ?」 智子がなぜか自慢げに言う。 「この携帯の伝送速度、つまりインターネットに接続する速さなんだけど、2Mbpsもあるの。つまり、今までの電話線よりも30倍以上も早いのよ」 「へえ~」 これほどの技術の携帯電話が何故、今、手元にあるのか不思議だったが悦子達は気にしない事にした。今までにも十分に驚かされているのだ。 「さて、これでオンライン版のヴァリアント・レイに接続するのか」 亮が不思議そうに言い、アドレスを打ち込んだ。 そうすると、画面にRPG風のゲームが現れた。 「なるほど・・・」 悦子がなぜか感心したように言う。 こりゃ、コンピュータをちゃんと勉強しないと化石になっちゃうね。 内心そう思いながら、悦子は画面を食い入るように見ている。 暫くゲームで遊ぶうちに、大体のルールがつかめてきた。 これは、剣と魔法の世界をベースに生活を行う人間のゲームなのだ。 そしてチャンスをつかんで冒険者になる事が出来たり、王様にさえなれるシミュレーション・ゲームのようなものなのだ。 そのゲームをプレイしているうちに、車は最初の目的地である一軒のアンティーク・ショップにたどり着いた。 「さて、着いたわ」 恵がそう言って、ドアを開ける。 そこは、学校からかなり離れたところにある高級住宅街だった。 かなりの豪邸が立ち並んでいる。 「あ、あの・・・こ、ここは違うんじゃない・・・かな?」 悦子の戸惑ったような声に、恵は苦笑する。 そりゃそうだろう。こんなところにあるアンティーク・ショップに高校生の男の子が一人で買い物にくるとは思えない。 暫く恵が仕事を済ませる間にも、悦子達は『ヴァリアント・レイ』をプレイし続けていた。 悦子達がだんだん退屈に感じ始めた時にようやく恵が帰ってきた。 「ごめんね!」 恵が舌をぺろっと出して謝る。 「退屈だったでしょ?」 「いいえ。・・・ちょっとだけ」 恵はにこっと笑い、車のエンジンをかけた。 「さて、と。次は『三國堂』だけど」 「構いません」 悦子の答えに、またにこっと笑って恵は車を発進させる。 三國堂の主人は、突如飛びこんできた珍客に戸惑いを隠せない様子だった。 最近、アンティークが流行りだとはいえ、この店には滅多に若い客は来ない。だが、今日はいきなり四人の若い客がやって来たのだ。それも恐らく三人は高校生だろう。 主人は不意に、この前まで頻繁にやって来ていた少年の事を思い出した。 あの雨の日から姿を現していないが、どうしたのだろうか。 「何かお探しでしょうか?」 疑問を振り払うように声をかけてみる。 目の前の四人は、店に入ってきたものの、何を見る訳でもなく困ったように顔を見合わせていただけなのだ。 声をかけられた事で踏ん切りがついたのか、一人の少女がおずおずと尋ねてきた。 「あの・・・私達、物を探しているんじゃないんです。一人の男の子を探しているんですが、ご存知無いでしょうか? その男の子は・・・」 悦子は思いつくまま眞の特徴を告げる。 三國堂の主人は、驚いたように目を見開いて頷いた。 「ええ。その男の子なら良く来ていましたよ」 その答えに悦子達は色めき立った。 ようやく手掛かりに辿り着いたのである。 だが、その喜びも次の主人の言葉に消え失せてしまった。 「ただ、ここ暫く姿を見ないですね」 最近になって急に姿を見せなくなったという事は、逆に眞が何らかの理由で学校だけでなく、馴染みの店にさえ訪れていない事を明らかにしている。 それは、逆に眞の置かれている状況が悦子達が考えている以上に大きく変わった事を意味しているのではないだろうか。 不安がこみ上げてくるのを押さえきれない。 微かに曇った悦子の表情に何かを感じたのか、三國堂の主人は逆に悦子達に尋ね返してきた。 「彼に何かあったのですか?」 その質問に答えるのは、彼等には辛いことだった。しかし、これを避けてはいけない、という気がしたのだ。 「実は・・・」 悦子は洗いざらい全ての事を話していく。 全てを聞いた主人は、しかし、ぼそり、と意外な言葉を口にした。 「そうですか・・・。でも緒方君は、まだ幸せですね」 「え・・・?」 悦子には眞が幸せだとは思えなかった。 どうして、あれほど虐められているのに、幸せなのだろう。 その疑問を感じ取ったかのように、主人はそっと笑みを浮かべた。 「皆さんがいるじゃないですか。行方不明になって、それでも探し出そうとしてくれる人がいる。それは幸せな事ですよ」 人との繋がりが希薄になってしまった現代社会の中で、必死になって誰かの為に何かをしようとしている目の前の高校生達を見て、主人は何処かでほっとする何かを感じていた。 「そうそう、緒方君ですが、一つだけ思い出したことがあります」 その言葉に、悦子達は息さえも止めて主人の言葉を待つ。 「確か、二ヶ月ほど前でしたか。緒方君が日本刀を買って行ったんですよ」 「に、日本刀、ですか?」 意外な言葉だった。 悦子の胸に不安が広がる。 まさか・・・ 「彼は古流の剣術を習い始めたから、と言っていましたよ。確か・・・鞍馬真影流とかいう流派だそうです。道場の住所は・・・」 意外な言葉だった。あの大人しい少年が、武術を習い始めていたとは。 やはり、強くなってみんなを見返したかったのだろうか。 三人は一瞬だけ沈黙した。 その重くなり始めた雰囲気を吹き飛ばすように、恵が声を掛ける。 「ほらほら、重~くなってないで、早く緒方君を探さないと!」 その言葉に弾かれたように三人は顔を上げた。 悦子は一瞬だけ考えて、考えを口にする。 「そうだね。ここでごちゃごちゃ考えててもしょうがないもんね! その鞍馬なんとかって道場に行って見よう」 智子と亮は顔を見合わせて、くすっと笑った。 その三人の様子を見て、三國堂の主人と恵はほっとしたように笑みをこぼす。 悦子達は三國堂の主人に礼を言い、また眞が現れたら連絡をくれるように御願いをして店を出た。 取りあえず、その古流武術の道場まで恵が送っていってくれる事になった。 ただ、それ以上は恵の仕事に影響が出てくるので、それまで、というのは仕方が無い。むしろ、何の関係も無い恵が仕事のついでとはいえ、ここまで手伝ってくれた事に感謝しなければならない程だ。 後は自分達で何とかする必要がある。 その様子をじっと観察していた眞は、亮と智子、そして悦子の三人が自分の期待通りに動き出したことを見て満足気に微笑んだ。 楽しげな様子の眞をじっと見詰めながら、麗子はちらり、と部屋に座る艶やかな髪の美女を見ていた。途轍もない美貌と抜群のプロポーションをした美女だった。 李水蓮と名乗った女性は、麗子の想像とは違って眞が朝鮮ヤクザ-実際には北朝鮮の工作組織から救い出した留学生である。その顛末を聞かされた麗子は卒倒しそうになったものの、既に眞によってその組織は無力化され、逆に眞の手足となって動く組織となっている事を聞かされて胸を撫で下ろしていたのだ。 麗子と眞の関係を薄々感づいているのか、水蓮も麗子の様子をちらちらと窺っている。 微妙な空気を一向に気にする様子もなく、眞は銀色に磨かれた古めかしい鏡のようなものを覗き込んでいた。眞の身に纏う雰囲気は既に、以前の物とはまるで違うものだった。 数十体もの魔神を自由自在に使役して、様々な謀略戦を仕掛けている眞の姿は歴戦の軍師のようであり、復讐に燃える戦士のようだった。 それは余りにも美しく、そして哀しい姿だった。 この戦いが終わるにせよ続くにせよ、麗子は眞の心に安らぎが訪れることを願っていた。 不意に眞の脇に置かれていた携帯電話が鳴った。 「眞です」 その電話の声を聞いているうちに、眞の表情に少し翳りが浮かんでいく。 「・・・ええ。・・・なるほど・・・わかりました。それじゃ、こちらもプランを修正します。それでは、後で」 電話を置いた眞に水蓮が不安げに声をかけた。 「眞さん、何かあったの?」 その声音は愛する人を案ずる女の声だった。 「ん~、心配ないよ。何時ものことさ。霞ヶ関の連中が動きが鈍いからね」 まったく、後でまたお仕置きをしておかないとな、と眞が言葉を続けるのを聞いて、麗子も水蓮も、眞が途方も無い何かを動かしていることを薄々感じていた。 あの日、眞が自分の戦いを開始することを決意した時、運命は動き始めていた。 それともその出会いはある意味で運命が仕組んだ悪戯だったのだろうか。 伊達と名乗る男は、眞を真の世界へと導く道標だったのかもしれない。 クラスメートの牧原英二に誘われて夜の新宿に遊びに出た眞は、案の定というか、どう考えても真っ当とは思えない若者達にからまれてしまったのだ。とはいえ、二人とも実戦派の古武術の道場で鍛え上げているだけあって、ブチ切れた二人はその若者たちをやり返して半殺しにしてしまっていた。 一面、血と砕けた歯が散乱した床に文字通り顔面をぐちゃぐちゃに粉砕された若者たちがひっくり返ってのた打ち回っている中、踏み込んできた警察から間一髪で逃れた眞は全力で街を駆け抜けていく。 流石に魔法を使ってどうのこうのする訳にはいかなかった。 ある意味、眞の魔法は切り札だ。 不用意に魔法を使った場合、どんな大騒動になるか、その後でどんなトラブルになるか想像さえ出来ない。そのため全力で逃げ出すしかなかったのだ。 それに、まだ眞は魔法を使うことに慣れていない。ヘタをすると相手を殺してしまいかねないため、慎重に対応する必要があったのだ。 警察官には姿を見られていないと思う。英二と二人で店を飛び出した直後に、踏み込んできた警察官に対する罵声が聞こえたのである。少なくとも眞たちの姿を見ている可能性はきわめて低い。 後で遠見の水晶球を使って確認するだけで十分だった。 ふと気が付くと横を走っていたはずの英二の姿が見えなくなっていた。何処かではぐれてしまったのだろうか。 まあ、新宿でばらばらになったとはいえ、英二の事は心配しなくてもいいだろう。何より、英二のほうがこの界隈に慣れている。 背後からは何人かが追いかけてくる気配があった。恐らく、ぶちのめしたチーマーの仲間だろうか。 (うっとしい連中だな・・・) 眞は少しだけ苛立ち始めていた。 人気の無い場所にまで追いかけさせて魔法でケリをつけるのが楽かもしれない。 そんな物騒なことを考え始めていた眞に不意に声が掛けられた。 「早く付いて来な!」 全力で走る眞の隣にはいつの間にか二十台半ばくらいの男が並んで走っていた。 いつの間に・・・ 眞は少し驚いていた。背後に気を取られていたとはいえ、眞に気配を感じさせずに並んで走りながら声を掛けてくるなど、尋常ではない。しかも、全力で走る眞は陸上部のランナーでさえも追いつけないほどの俊足なのだ。 訝しげに見つめ返す眞に、男はにっ、と不敵な笑みを浮かべて言葉を返す。 「俺の名は伊達。伊達京介だ」 何処かその優しげな微笑の裏側に悪魔めいた意図を感じたが、眞はその男の言葉に乗っていた。 「判りました」 伊達はその言葉を聞いて、頷くと鮮やかなステップを踏んで走る方向を変える。だが、次は伊達が驚く番だった。 しかし、眞はその急激な方向転換を予測していたように並んで走っていたのだ。 そしてそのまま、二人は夜の街を駆け抜けていった。 伊達は目の前の少年に恐怖と戦慄を禁じえなかった。 信じ難い事に百人近い韓国系マフィアのメンバーがたった一人の少年に叩きのめされて地に伏せているのだ。 しかも眞は退屈そうな表情でぼんやりと左手に抱えた男の腕を捻り上げている。 「ヒィッ!」 何か韓国語で叫ぶ男をつまらなさそうに眺め、眞は平然と男の右腕をへし折った。 骨の砕ける鈍い音が響き、男が顔色を失ってのたうち回る。 闇の魔人とさえあだ名される伊達でさえも、眞の恐るべき実力に恐怖を覚えていたのだ。 「で、伊達さん。これからどうするんですか?」 伊達は眞の恐るべき能力を用いて、裏社会を造り変えるための行動を起こし始めていた。 そして、眞の身に付けた異界の能力-古代語魔法-の意味と価値を理解していた。 眞はその付与魔術の技を用いて幾つかの魔術工芸品を造り出している。 伊達が持つ銃-ハーディス-もその一つだ。この銃は古代語魔法のもつ強力な攻撃呪文を弾丸として放つ。 また、眞の作り出す事の出来る不思議なアイテムは伊達の顧客にも有益な取引材料として価値があった。 その秘密を狙って襲いかかった韓国系マフィアを逆に追い詰め、たった今全員を叩き伏せた眞の戦闘能力も、強力なアピール材料だ。そして、その少年はあの故緒方元代議士の孫息子だという。 眞の存在価値は圧倒的な意味を持ち始めていた。 そして、眞自身も伊達が自分を必要としてくれている事に、今まで感じた事の無い喜びと安心感を感じ始めていた。 単なる道具であっても、眞は誰かに必要だと言ってもらいたかったのだ。 それは裏の社会に生きる危険な男でも関係は無かった。 眞は急速に裏の社会に順応し、その生きるべき場所を築きつつあったのである。 麗子の悲しげな表情がふと脳裏を横切った。 彼女はきっと悲しみ、苦しむだろう。 だが、麗子は必ずしも眞を必要としていない。単に、寂しさから御互いがそれぞれを求めただけでしかない。 伊達の運転する車のシートで、眞はぼんやりと麗子とホテルの一室で眠っているであろう少女を比べていた。 魔剣・紫雲を抱いてゆっくりと眼を閉じる眞の姿を見て、伊達は単に優秀な部下としての少年に対してでない、親しみを覚え始めている事に驚きと戸惑いを感じていた。 眞が魔力を付与したこの魔剣は、眞の技量もあるが信じ難い破壊力を生み出す。 無表情な眞が戦いのときだけ満たされたような笑みを浮かべる事を、彼にくっついている少女が悲しんでいる事を知っていた。 それでも伊達を慕って集まってきた若者や少年達は、眞の実力と同じような孤独感から強い結束と連帯感を持っている。彼等は眞やかつての伊達と同じように、社会や学校、家族にさえも居場所がいなかったのだ。 だから、同じような仲間達にだけは他の何よりも強い連帯感と仲間意識を持っている。 眞の魔法技術をマフィアが奪い取ろうとしたとき、彼等は愚かにも眞の仲間の一人を誘拐した。 そして、眞の怒りを買ったのだ。 そのマフィア達の殆どは今、精神病院に入院している。 眞とその仲間達は、恐るべき報復を課したのだ。 彼等のグループは今、東京で最も危険な組織として頭角を現しつつあった。 この孤独な少年の心にはようやく居場所と仲間が得られた安らぎが広がっている。それは御互いに傷つき、凍て付いた心を癒しあう悲しい繋がりだった。 もう眞には悦子や智子、そして親友の亮が自分の居場所を探し回っている事などどうでも良い事に思えていた。 自分が学校に通っていた事、その学校でいじめにあっていた事、煩わしいマスコミに追いまわされて祖父の事をしつこく尋ねられていた事、教師達の冷たい視線、両親の対立、もう全てが遠いどこかでの出来事のように思える。 最後まで父と母は対立し続けていた。 亮の家に遊びに行ったときも、彼の優しい両親と可愛い妹からなる典型的な「良い家族」が眞にはうらやましく、そしてうっとおしかった。 ぎこちなく笑う眞の眼に冷たい拒否の意志を感じたのか、亮の妹は眞には常に距離を保っていたのだ。 そんな亮の妹に、眞は決して心を開こうとしなかった。 亮は眞と妹の間にある深い溝と厚い壁を感じ、眞の心を覆う闇の深さを思い知らされていたのである。 心の何処かで亮に申し訳無さを覚えながらも眞は二度と亮の家に遊びに行こうとはしなかった。 |