~ 4 ~

 凄まじい音が響いて、地震の様に遺跡が揺れていた。
「な、何なのだ!?」
 司祭は驚いた声を出して傍らの魔術師を見る。その魔術師は信じられない、といった表情を浮かべながら司祭に応えていた。
「恐らく、あの邪悪なる軍団が結界を突破して進入を果たしたと思います」
 その言葉に司祭は、流石はあの邪悪なる力を極めた連中だ、と感心していた。
 だが、もはや聖なる儀式はほとんど完了している。
「なるほどな。しかし、我らの使命はもはや完成しておるのだ!」
 そう叫び、司祭は水晶球の魔力を解放するための最後の祈りを唱えた。
 司祭の祈りの言葉に応える様に、水晶球から強い魔力が溢れ出していく。そしてその強大なまでの魔力は若い巨人の肉体に流れ込んでいった。
 やがて水晶球から流れ出ている魔力は一つの形を作り出していた。
 それは巨大な人のような姿だった。
 淡い黄金の光に包まれたそれは、ゆっくりと用意された器に染み込むように消えていく。その瞬間、司祭と信者達の頭の中に歓喜の声が響き渡っていた。
『よくやった! これで私は器を取り戻し、この世界に復活を果たしたのだ!』
 その歓喜の情熱はいつの間にか彼に従う者たちの心を衝き動かして、同じ喜びを共にしていた。
 司祭達は気が付いていなかった。自分達の意識が既に薄れて、彼ら自身がもはや、『神』の喜びを表すだけの一部に成り果てていることに。
 だからこそ哀れな信者達は、復活した神が邪悪な笑みを浮かべた時にも同じような邪悪で虚ろな笑みでその神の名を称え続けていた。
 偉大なる『偽りのファリス』よ・・・、と。

「魔力震度、マグニチュード8.92、相当大きな魔法質量を持つ存在が実体化しました!」
 フレイアからの警告が響く。
 その魔法質量の大きさは尋常ではない。
 あの眞を異世界に弾き飛ばす原因となった精霊王さえも凌駕するほどの強大な力の持ち主だ。
 恐らく、あの司祭達の儀式が完了してしまったのだろう。
 対する英二はナイトフレーム『イントルーダ』一騎のみ。
 それでも退く訳にはいかない。今だけが唯一、復活した神を叩く機会なのだ。
 神が復活したとはいえ、直後である今はその力を十全には発揮できないはずだ。まだ肉体と魂が完全に繋がりきっていない状況で、しかも借り物の器でその力を全力で発動できるとは考えにくい。
 あの運命の告知者を名乗る“神”との会合で幾つかの貴重な情報を得ることができた。
 それは、神とて完全ではない、という事実だった。
 確かに凄まじいまでの魔力を持った存在かもしれない。だが、その肉体を滅ぼされ、魂のみの存在となって世界に散華させられたのも事実だ。
 ならば、力を以ってその肉体を打ち砕くのも不可能ではない。
「ナイトフレームと異世界の騎士の力、舐めんなよ・・・」
 英二はその恐るべき敵との対峙を目の前にして何処か心が歓喜の震えを感じていることに自分自身でも驚いていた。
 そして機体を目標に向かってダッシュさせる。
 遠く離れた『復活の間』で、それはじっと待っていた。
 暗い闇の中から自然の音ではありえない音が響き渡ってくるのを察知していた。『神』は既にその存在に気が付いていた。
 この世界の創造主の一柱たる神が、この世界で起こっていることを見抜けぬとおもっているのだろうか。
 不遜である・・・
 そう強く思っていた。
 玉座に腰掛けたその御姿を崇めるように、数百人の人間が跪いている。だが、そのことに何の関心も無かった。
 遂に、あの至高神を凌駕して、我こそが真なる至高神としてこの世界に君臨するのだ・・・
 そんな意識が信者達の意識に響き渡る。
 だがその事に誰一人として疑問に思う事無く、熱に浮かされたような情熱の表情を浮かべていた。
 そして銀色の巨人のような姿のものが通路の奥から飛び出してきた。
 怒りの眼差しでそれを見つめ、そして気の衝撃波を放つ。だが、その銀色の巨人はその衝撃波を俊敏に避けて広間に降り立った。そして手にした棒のようなものから光の飛礫を放ってくる。
 轟音が響いて数百発もの光弾が神に殺到した。
 パパァッ!
 一瞬、電光が輝いたような光が広間を照らし出し、耳を劈くような轟音が鳴り響く。
 その凄まじい轟音は遺跡全体を揺さぶるかのようだった。
 だが、その光が収まったとき、神の姿は平然と玉座に腰を掛けていた。その様子から、強力な魔法結界を張り巡らせて、イントルーダの攻撃を防いだのだろう。
 英二はその程度のことは予想していた。
 曲がりなりにも『神』を名乗る存在があっさりと殺られる筈は無い。神々が創造した精霊王でさえ、あの眞を窮地に追い込んだほどなのだ。復活したばかりとはいえ『神』がそんな容易い相手などではありえない。
 とにかく、こいつを地上にまで引っ張り上げなければならない。地上に出せば被害が甚大かもしれないが、ここに閉じこもったままでは埒が明かないのだ。
 一瞬の静止した時間の後、両者は凄まじい激突を開始した。

 もうどれ程時間が過ぎたのか、英二は意識していなかった。
 次々に繰り出されてくる神の攻撃を避けながら、あらゆる手段で攻撃を仕掛けていく。
 予想していた以上にとんでもない相手だった。
 エクリプス・ベイルが無ければとっくの昔に殺されていただろう。だが、この魔法障壁は避け損なった神の攻撃にも何とか耐えて、そしてその隙に英二は体勢を整え直すことができたのだ。
 連続して集中攻撃を受けなければエクリプス・ベイルは時間と共に回復する。
 ぎりぎりの戦闘機動の連続にも何とか機体は耐えて、英二の求める動きに応えてくれた。
 もう『復活の間』は見るも無残な有様にまで破壊されつくしていた。
 極限まで研ぎ澄まされた精神で、英二は異常とも言えるほどの動きを繰り広げていく。それは鞍馬真陰流の厳しい修行の中で繰り返されてきた精神集中の表れだった。
 自動車の事故など、命に危険が迫ったとき、人は異様に時間の流れが遅く感じられ、全てがスローモーションのように見えるときがある。それは大脳の情報処理が危険回避のために最低必要限の感覚だけを残して残りの情報処理能力を視覚情報の処理のみに回す、という恐るべき緊急システムの発現だった。
 鞍馬真影流はそれをも利用して、意図的にこの緊急システムを発動し、そして肉体の動きをその超高速処理される視覚情報と連動して動かす、という常識では考えられない身体能力の発動を修行によって可能にする方法を伝承している。
 その超高速で処理される視覚情報とそれによる判断、身体への動作の伝達を行っても身体が損なわれないようにするために、彼らはその極限ともいえる鍛錬を繰り返して常識外れの肉体を構築していくのだ。
 火事場の馬鹿力という言葉が表すように、人は時に異常な身体能力を発揮する。
 ある高層マンションの庭で主婦達が井戸端会議をしていたとき、一人の子供がベランダから転落した事がある。その時、我が子が五階のベランダから落ちようとしているのを見た母親は、何と、子供が落ちる地点まで駆けつけ、そして落下する子供を受け止めたのだ。これは100mを3.89秒で駆け抜けることが出来る、という想像を絶する運動能力である。
 後に検証したところ、主婦が建っていた場所から娘の位置まで駆け寄るのに、八メートルを1.1秒で駆け抜けるだけの瞬発力が必要であり、同時に五階の高さから落ちてくる体重30kgの子供の衝撃力は何と1トン以上なのだ。
 何の訓練も受けていない人間でさえそれだけの能力を発揮できるそれを、鞍馬真陰流では極限まで鍛えぬいた精神と肉体を以って、意識的に発動することを可能にしているのだ。
 それが戦国の時代において鞍馬真陰流の使い手を鬼神の如き、と評させた源である。それだけの超人的な能力を身に付けるからこそ、刀で大気を切り裂いて真空波を飛ばし、銃弾さえも回避するほどの人間離れした武士を生み出せるのだろう。
 その力を遺憾なく発揮して、英二は神と互角に渡り合っていた。
 異常なまでの反応速度を発揮して神の攻撃を回避し、そしてその攻撃を巧みに誘導しながらある一点を狙っていた。
 それはこの遺跡の結界を発生させている魔法装置である。
 魔法結界さえ無力化すれば、あとはファールヴァルト軍が最大の戦闘能力を発揮できる舞台が整う。幾ら神でもナイトフレームの二個師団と老竜ヴァンディールを相手にして無事に済むとは思わない。
 気が遠くなるような時間を辛抱強く待ち続けたその瞬間、決定的な機会が訪れた。
 幾ら攻撃して止める事ができない銀色の巨人機械に苛立ったのか、神は立ち上がって強力な魔法攻撃を仕掛けていた。そして絶妙な角度と位置で英二はわざと回避運動をしくじったように一瞬、イントルーダを停止させる。
 それを隙と見たのか、神は今までとは桁違いに強力な魔力を英二の機体に向けて放った。
 空間が歪むほどの巨大なエネルギーの光球がイントルーダを飲み込もうとした瞬間、英二は機体を思い切り沈め、エクリプス・ベイルを前面に最大出力で展開した。横倒しになりながらリンボーダンスをするような姿勢で巨大なエネルギーの塊を回避しながら、英二は全力で神の放った光弾に向けてパルサーを撃っていた。
 結界を発生させる魔法装置もまた、外部に張り巡らせた結界と同じように装置自身も結界で護られていた。そのため、今までの神と英二の戦いでも傷一つつかずに安定して稼働していたのだが、流石に神の強力な一撃を受けてはその結界も無事ではすまない。
 それを避けるように神自身も装置に直撃させないように攻撃する角度を選んでいたようだったが、流石に英二の動きが留まったように見えた瞬間、それを無視して強力な一撃を放ってきたのだ。
 そして英二はそれを待っていたのだ。
 イントルーダの攻撃能力ではあの結界を打ち破れない。だからこそ、神の攻撃で結界を破壊し、そして剥き出しになった魔法装置をパルサーで打ち砕いたのである。
 粉々になった結界装置を見ながら、神は怒りの声を上げた。
 そして先ほどまでの攻撃が遊びであったかのような凄まじい猛攻を英二に浴びせかけていった。

 目の前を硬く閉ざしていた結界が不意に消え失せたことで、ファールヴァルト軍の兵士達は歓喜の声を上げた。だが、指揮官達は目標である巨大な魔法質量を持つ存在の反応が消えていないことから、緊張で心が張り詰めそうになる。
 ファールヴァルト軍に従軍しているシオンも同じ気持ちだった。
 自分の使命だったにも拘らず、何もできないことが堪らなく悔しく思う。しかし、ナイトフレームを操縦する訓練を受けてもいない彼が、今できることは殆ど無い。
 できる事は唯一つ、全ての情報を性格に法王陛下に伝えて今後の道を探ることだけだった。
 その瞬間、目の前の遺跡が激しく揺れた。
 そして天井からまるで中に引きずり込まれるように崩壊していく。ゆっくりとした崩壊の速度が徐々に加速していき、そして濛々と土埃が立ち上った。
「総員第一級警戒態勢につけ!」
 指揮官からの一声で兵士達は急いで自分の担当する持ち場で体制を整える。
 全員が緊張の視線で見つめる中、ぽっかりと口を開けた遺跡の残骸から、突如、一騎のイントルーダが飛び出してきた。
 流石に無傷とまではいかないようだったが、あの魔法結界を突破して結界装置を破壊し、そして復活しようとしている神をここまで引きずり出してきたのは眞を除いては英二以外に不可能だっただろう。
 亮は鞍馬真陰流のあの体術を会得しなければ眞と英二に追いつけないな、と痛感していた。
 バーニアを噴射しながら着地し、そして全力で地上を走り回っている英二の機体を援護するため、待機していた浮遊戦車やドーラ、ナイトフレームなどが全力で砲撃を繰り返す。
 静かだった森は今や、復活を果たした神と人の壮絶な死闘を演じる場となっていた。
 無数の魔法が飛び交い、そして魔力によって生み出された圧倒的な力が無慈悲に吹き荒れる。それはひょっとすると神々の間で起こった最終戦争の一幕にも似た光景だったのかもしれない。
「右翼側、アデル小隊、やられました!」「セスター卿のイントルーダ、小破!」「パルシオン隊のドーラ三番機、撃墜されました!」
 次々にあがる被害報告に指揮官達の焦りが募る。
 このままでは全滅する・・・
 そんな感情が心を満たしていった。
 幾多の戦いを勝ち抜いてきた兵士達の心が折れようとしていたその瞬間、強大な魔力が爆発的に広がり、その巨大な魔法の輝きの中から巨大な影が飛び出す。
「な! あ、あれは閣下の竜!」
 誰かが叫んでいた。
 それはヴァンディールだった。
 瞬間移動の呪文で王城から跳んできたのだろう。巨大な翼を悠然と羽ばたかせ、そして大地に立つ巨大な人の姿を睨みつけていた。
汝、我が主の領域に踏み込みし邪神・・・我が主の命により排除する・・・
 流石に竜の存在に警戒したのか、神は手当たり次第に攻撃を仕掛けるのを中断し、ヴァンディールの動きに注意を払っている様子だった。
 気が付くと空を厚い雲が覆っていた。そしてヴァンディールが高らかに吼えた瞬間、神と竜の戦いの火蓋が機って落とされる。
 ヴァンディールの咆哮に呼応して雲の間に雷光が奔り、そしてその一つが巨大な光の剣となって神の肉体を撃っていた。
 流石に魔法の障壁を張っていたものの、その恐るべき力を完全には防ぎきれず、巨大な肉体ががくり、と膝を突いた。次の瞬間、立ち上がろうとした神の肉体は竜の吐く灼熱の炎に包まれる。
 恐るべきヴァンディールの攻撃だった。
「・・・あいつ、良くあんな化け物を支配したもんだな」
 英二はイントルーダのコクピットの中でヴァンディールと神の戦いを見つめながら呟いていた。
 如何に神とはいえ、借り物の器で、しかも復活を果たしたばかりではその全ての力を発揮しきれないのかもしれない。だが、それでもナイトフレーム二個師団を中心としたファールヴァルト軍に大打撃を与えて、しかも平然としていた神が、ヴァンディールの一撃であっけなく膝を折り、そして傷ついているのだ。
 しかし、その神は幾ら傷ついてもその傷を癒して立ち上がってくる。
 その回復力を上回る打撃を浴びせかけなければ持久力の差で神の勝利となるだろう。
 シオンはその邪悪な意思を感じ取っていた。
「やはり、あれは至高神ではありえない。・・・まさか、偽りの神か!」
 そう思った瞬間、彼の脳裏に閃くものがあった。
 反射的に通信の端末に呼びかけていた。
「英二殿、亮殿、あの邪神の本体はあの器ではない! 恐らく、その魂は神殿の中に隠れているのだ!」
 そう、あの神は“偽り”を司る神。
 であるならばあの器は偽りに他ならず、その本体は別の場所にあるはずだった。
「っ! それならあそこに違いない!」
 英二はあの神が復活を果たした神殿の広間にあった巨大な水晶球の事を思い出していた。
 確かあれは『召還の水晶球』って言ってたな。だったらアレの中に隠れる以外に安全な場所は無いはずだ。
 そう告げるとシオンの顔色が変わる。
 青ざめた表情が全てを物語っていた。ちらりと目を向けると流石のヴァンディールも傷つき、徐々にではあるが神の力が竜のそれを凌駕し始めているようだった。
 時間が無い。
「シオン卿、捕まってください!」
 亮がイントルーダを稼働させていた。
 破損した両脚と右腕は換装し、予備のエネルギー・パックを括り付けていた。
 モジュール構造になっているため、こうした戦闘時にも簡単に手足の交換がしやすいのがイントルーダの特徴である。
 セフィロト機関が復活しないため、エネルギー・パックを束にして外部出力用のコネクタから逆にエネルギーを流し込んでいる。これで短い時間だけなら何とかなるだろう。
 エネルギーの消費を抑えるため、最小必要限度のエクリプス・ベイルを発生させ、亮のイントルーダは左手にシオンを抱え、右腕にブレーカーを修理したエネルギー・ソードを構えて遺跡に向かって走り抜けていった。
 英二は巧みに神の攻撃を避けながらフレイアに向かって叫ぶ。
「フレイア、内部のマップとあのガラス球の位置を亮に転送しろ!」
『英二様、あれはガラス球ではなく『復活の水晶球』です』
 馬鹿丁寧に英二の言葉を訂正しながら、フレイアは亮のイントルーダに神殿のマップと水晶球の位置を転送していた。
「ありがたい!」
 そのマップを確かめながら亮はイントルーダを巨大な穴の中に飛び込ませていった。

 暗い闇の中で男は泣いていた。
 全てが終わってしまった。
 光の真理を率いていた司祭は、もはや全てが失われたことを悟っていた。
 彼が信じていた神は偽りの神だった。
 一体何時から、彼はその偽りの信仰に執り付かれていたのだろう。物言わぬ骸と成り果てた仲間や信者達の姿を見て、自らの罪の深さに恐怖を感じていた。
 何故生き残ってしまったのだ・・・
 そんな気持ちだけが彼の救われぬ魂を締め付けている。
 蘇った邪神はこの世界を支配するためにその超越した力を発揮するだろう。そうなれば世界はあの至高神を騙る偽りの邪神の統べる世界となるのだ。
 その時、激しい爆音が響いて一騎の銀色の巨人機械がこの廃墟と化した広間に降り立つ。
 傷だらけのその姿を見て、未だに外ではファールヴァルト軍が邪神と死闘を繰り広げていることを悟った。そして着陸したその巨人機の左腕に見慣れた騎士の姿を認めて、司祭は必死の想いを込めて言葉を振り絞る。
「シ・・・オン・・・卿・・・、贖罪の・・・言葉・・・も・・・ありま・・・せぬ・・・。あの・・・偽りの・・・邪神め・・・の・・・魂・・・は・・・其処・・・に・・・」
 討ち破ってくだされ・・・
 過ちを犯した代償に、言葉しか紡げぬ自分の卑小さに司祭だった男は涙を流していた。
 シオンはその司祭の姿に驚きながらも背筋を伸ばして騎士の礼を返す。
 それは死に逝く者へのせめてもの手向けだったのだろう。
「シオン卿、私がエネルギー・ソードであの水晶を破壊します。あとはあの邪悪なる魂を貴方の聖なる剣で斬ってください!」
 そう叫び、亮は最後のエネルギーを振り絞ってイントルーダを突撃させる。
 あの途轍もない出力と強度の結界に比べれば、如何に強力な魔法の宝物であろうともエネルギー・ソードの前には何の障害にもならなかった。
 白銀の光に輝く剣が水晶球を貫いた瞬間、あっけなく粉砕された水晶球がまるで冬の吹雪のように煌きながら飛散していく。
 その中心に残されたのは見るもおぞましい脈打つ心臓のような肉塊だった。
「これが・・・あの邪神の本体・・・偽りの神の魂か・・・」
 そのおぞましさに目を見開いたシオンだったが、次の瞬間に表情を引き締めて剣を抜く。その横顔はまさに英雄叙事詩に描かれる英雄の表情だった。
ファリスよ、私に力をお与えください!」
 祈りにも似た気合の声と共に、もう一つの死闘が始まった。
 亮も最後のエネルギーパックを使い果たしたイントルーダを捨てて、剣を抜きながら広間に降り立つ。
 しかし、そのままシオンと神の魂の死闘を見つめていた。
 騎士には、男には手出しをしてはならない戦いがある。
 シオンにとって、そしてアノスにとってそれは今なのだ。この暴走した過激派のしでかした不始末を精算するために、アノスの紋章を背負うシオンが自らの剣でその邪神の魂を討つ事こそが必要なのである。
 それを為させるために、亮はあえて彼に手を貸さずに、シオンの剣で邪神を滅ぼさせようとしていたのだ。
 神の奇跡の力をその剣に導いて、シオンは気合の声と共におぞましい姿の肉塊に斬りかかる。その瞬間、シオンの頭の中に邪悪な波動が広がって意識を飲み込もうとした。
 だが、聖なる騎士は極限まで精神を高めてその邪神の魂が放つ邪悪な波動を撥ね退ける。
 そして刃を突き立てた。
 亮とシオンはその瞬間に神の邪悪な悲鳴を聞いた気がした。凄まじい邪悪な波動が広がり、二人の精神を砕こうとするが、二人は邪神の波動を退けて死闘は続けられた。
 シオンは何度も何度も刃を突き立て、邪悪な魂の実体を切り裂いていく。その度に邪神の魂は闇の波動を放ち、そして呪いの力で騎士の肉体を傷つけていく。
 それでもシオンは怯む事無く攻撃を繰り返していった。
「シオン・・・卿、・・・お逃げ・・・ください・・・」
 不意に声が響いてシオンが視線を横に向けた。其処には小剣を構えた司祭が恐怖におののきながら立ちすくんでいた。
 恐らく、邪神に肉体を操られているのだろう、ぎこちない動きながらも信じがたい速さで司祭はシオンに襲い掛かる。
 流石に亮が剣を構えて立ちはだかろうとする。しかし、その瞬間、司祭の肉体は動きを止めた。
 苦悶の表情を浮かべて司祭の肉体は硬直したように身じろぎ一つせずに、ただその視線だけが司祭の中で激しい戦いが繰り広げられていることを物語っている。
 シオンを傷つけさせようとする邪神の意思を撥ね退けるべく、司祭は気力の全てを振り絞っているのだろう。
 自らの意思どおりに動かない人間の肉体に苛立ったのか、荒々しい感情をむき出しにして敵意を伝えていた。
 しかし司祭はその邪悪なる意思に屈する事無く、微笑を浮かべた。
「シオン卿・・・申し訳ありません・・・この愚か者に代わって・・・この邪神をお討ちください・・・」
 そして哀れな司祭はその手に握り締めた小剣を振りかぶって、自らの胸に突き立てる。
 ごぼっ、と血の塊を吐き出しながら、司祭はその肉塊を睨みつけた。
「邪神よ・・・お前の自由になど決してならぬ・・・ファリスの威光の前に滅びよ!」
 暗黒神の邪悪なる魔法の中には、中級程度の実力の司祭が邪心に生贄を捧げて簡単な奇跡を願うという呪文が存在する。この呪文で起こせる奇跡は神を直接降臨させるものほど凄まじいものではないにせよ、様々な超現象を引き起こす邪悪な奇跡であると知られていた。
 そもそも、光の神と闇の邪神は共に同じく原始の巨人より生まれた存在である。そして邪神の信者は光の神々の神聖魔法と同じ呪文を行使することができるのだが、光の神々はその高い道徳性により邪悪なる奇跡を自ら使うことができながらもそれを行使することも、信者に与えることもしないのだ。
 しかし、この偽りの神に欺かれ利用された哀れな男の最後の祈りを応えて、偉大なる至高神はその奇跡の一滴を男の前に齎していた。
『よくぞ真の正義を取り戻した・・・。汝の願い、光を背負い邪悪に立ち向かう戦士に授けよう・・・』
 血の涙を流しながら崩れ落ちる司祭だった男の薄れ行く意識に暖かく美しい声が響いた。
 それは紛れも無い真のファリスの意思だった。
 そして霞んでいく視界の中で、シオンの振りかぶった剣が奇跡の光を放つのを見つめながら、男の意識は闇に飲み込まれていった。
 突如、自ら振りかぶった剣が黄金の輝きを放ち始めたのを見て、シオンはあの司祭が奇跡を願ったのだと悟っていた。
 そしてそのファリスの奇跡の輝きを放つ剣を深々と根元まで偽りの神の魂に突き立てる。
 次の瞬間、形容しがたいおぞましい悲鳴のような波動が放たれた。
 突き立てられたシオンの剣は、その光を絶やす事無く放ち続け、黄金の輝きは邪神の赤黒いオーラを打ち消していく。
 狂ったような波動はいつの間にか漣のような静かなものへと変わっていた。
 やがてその邪悪なオーラをすべて失った肉塊は巨大な石と成り果てる。
 それは神々の時代に至高神の姿と威光を偽り、自らが司る偽りの力を以って神々を統べる至高なる存在に為り変わろうとした邪神の最後だった。

 突如、その巨大な神の肉体はその無限の再生能力を失ったように大地に膝を付いた。しかし、今度は何時まで経ってもその肉体は癒されずに血を吹き流しながら天を舞う竜の姿を睨みつける。
 だが、その目には恐怖の色が浮かんでいた。
 それは滅びに対する恐怖だった。
 無数の魔法を投げつけてヴァンディールを撃ち落し、そして地上にいる人間の軍勢を打ち払おうとしたのだが、もはや神の力すら尽き果てようとしている事を悟り、邪悪なる神は恐怖に慄いていたのだ。
 そのとき、突如飛来した一機の揚陸艦が強引な機動でファールヴァルト軍の布陣の真後ろに着陸する。
 下手をすれば神の攻撃を受けかねない無茶な着陸だったが、その中から飛び出してきた影を見て全員が納得をしていた。
 其処には深い傷を押してやってきた一人の巨人の姿があったのだ。
 “大地を護る剣”だった。
 自らの子供の肉体に邪神を降臨させられたと知って、この場に来ることを願ったのだろう。
 遥かな時代から存在している偉大なる存在は悲しみに涙を溢れさせていた。
・・・せめて、私の手で討たせてはくれまいか
 その指揮官に願う声は誰もが抗うことのできない感情に満ちて心に訴えかけてくるものだった。
 偉大なる巨人の悲しみと愛情を、一体この世の誰が拒むことができようか。
 指揮官は深々と敬礼をしてその巨人の願いを受け入れる。
 そしてその剣をすらりと抜き放った巨人は、信じがたい速さで剣を突き出して自らの子の胸を貫いた。
 びくり、と全身を痙攣させて巨人の若者は力を失ったように崩れ落ちる。
・・・父よ、申し訳ありません・・・。私が不甲斐ないばかりに父ばかりか、人間の国にまでご迷惑を掛けてしまいました・・・
 その肉体からは力が失われようとしていた。
 大地を護る剣も我が子を救えなかったという無力さに打ちのめされていた。
 突如、激しく巨人の若者が痙攣してかっと開かれた口から青白い靄のようなものが溢れ出していく。
 それは徐々に集まっていき、やがて巨大な人間の顔のような形となっていった。
『気をつけろ、それが邪神の本体だ! 精神的な攻撃しか通用しない。英二、“ゲイボルグ”を転送する!』
 不意に眞の声がD.E.L.に割り込んできた。
 奴は帰還を果たしたのか!
 英二は驚きのあまり、声を張り上げそうになる。
 だが、目の前に漆黒の大剣が転送されてきたのを見て、イントルーダの右腕でそれを掴み取り、邪神の霊体に向き直った。まだアレは完全に纏まりきっていない!
 遺跡の内部とこの外での戦闘を思い出し、邪神が力を振るえる体制を取ったときの事を想像して血の気が引くような感覚が全身を襲った。
 しかし、身体は反射的にイントルーダを邪神の霊体に向かって全力で進めていた。
 間に合うか!
 しかし、邪神の霊体は予想していたよりも早く纏まろうとしていた。
させぬ!
 間に合わない、と誰もが思った瞬間、天空から叩き付けられた雷光が邪神の霊体を貫く。それは直接のダメージにはならなかったが、英二の手にした魔剣が邪神の霊体を貫く時間を稼ぐには十分だった。
「くたばれ!」
 傷つけられるはずの無い霊体に、その魔力の刃が食らいこんでいく。
 そのあり得えない苦痛に邪神の霊体は絶叫しながらその顔を歪ませた。英二はめちゃくちゃに剣を振りまわして当たるがままに邪悪な霊の実体を切り刻んでいった。
 やがて・・・
「・・・お前は・・・神たる・・・我を・・・滅ぼ・・・す・・・のか・・・」
 その力無い意思を伝えた偽りの神は眉間にゲイボルグを突き立てられた瞬間、砕け散るように霧散していく。
 遂に、至高神に成り代ろうとした邪悪な神が滅んだ瞬間だった。

「あの魔法王国は邪神をも滅ぼす、か・・・」
 長い髭を蓄えた老人は声も無い、といった様子で呟く。
 あの邪神を討ち取った戦いの戦況の報告を聞いて、オラン国王カイタルアードⅦ世は複雑な表情を浮かべていた。
 しかも、その戦いには先日の精霊王との戦いで傷ついた異世界の英雄将軍は参加しておらず、ナイトフレーム隊と老竜、そして正規騎士団だけで邪神を討ち破ったとされているのだ。
 それは何よりも、ファールヴァルトという国が本当の軍事超大国へと変貌し始めたことを物語っていた。
 眞将軍抜きで、邪神の復活さえ阻止してそれを討ち破るだけの軍事力を持つ国家が近隣に存在する、ということへの恐怖は宮廷の中でも聞かない日は無いほどである。
「我が軍も、あの巨人機を手に入れねばならぬか・・・」
 その王の呟きに側近達はぎょっとした表情で王の顔を見た。
 ロマールの新貴族はがファールヴァルト軍の輸送船を強奪して自軍にてナイトフレームを運用し始めたことは世界中に衝撃を与えていた。
 そしてオーファンもまた独自のナイトフレーム開発能力を得るべく、供与されたファールヴァルト軍製のナイトフレームを日夜研究していると噂されている。
 あの巨人機を持たない国は軍事的に全く無意味な存在に成り果てる。その事実が世界各国の宮廷を揺さぶっていたのだ。
 ナイトフレームをすぐには配備できないにしても、その代用品としてゴーレムを軍事配備し始めた国も少なくは無い。
 そうした現状にオランの魔術師ギルドも激しく揺さぶられていたのだ。
 貴族や王家に直接雇われて囲われた魔術師達は、その力を軍事的な力として大きく振るおうとしていた。
 それに反発した従来の魔術師ギルドの魔術師達は逆に、その影響力と権威を徐々に失いつつあったのである。
 今では各国の騎士団は独自に魔術師を雇ったり独自の魔法部隊を持って、束縛されない魔術の軍事利用を強力に推し進めているのだ。
 ミラルゴがリザードマンの一族に陥落し、そして西部諸国でもタラントが妖魔王に屈したという事実は、人間の時代が終焉を迎えたことを指し示しているかのようだった。
 だからこそ、今の時代ほど魔法の軍事利用を人々が抵抗無く受け入れようとしている時代は無かったのである。
 
 
 

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