~ 3 ~

 シンはその巨大な影を睨みつけながら背後にアミと友人を庇って立っていた。
「だ、だめ・・・逃げて・・・」
 震える声を抑えながらアミはシンに逃げるようにと告げる。
 記憶を失ったままで、こんな化け物に教われて命を落とすなどあってはならない。ましてや、シンはガーディアン・システムを身に着けていないのだ。
 アミ達ならビルから飛び降りても重力制御システムの働きで安全に着地できる。だが、シンはそのような守護を持っていない。
 こんな工事途中のブロックで脚を踏み外したら命が無いのだ。
「アミ、俺なら大丈夫。こいつを叩きのめすから安全なところに移動して」
 そう言うなり、シンは光の剣を抜いた。
 青白い光が周囲を照らし、アミの友人達がはっと息を呑む。
 そしてその光の剣のもつ威力を認識したのか、目の前の影の様子が変わる。
「・・・ナルホド、ソノ剣ノ破壊力ハ極メテ危険ダ・・・」
 そして影は何の予備動作も見せずに信じがたい速さで光の剣を構えた少年に突進した。
 アミたちは何の反応も見せることは出来なかった。だが、その少年はその動きをまるで事前にわかっていたかのように鮮やかなカウンターで剣を怪物に突き立てる。
 だが、硬いものが弾ける音がして化け物は一瞬だけ動きを止めただけだった。
「・・・同じエネルギーによる干渉か」
 薙ぎ払うように振るわれた怪物の腕を鮮やかに回避して間合いを取る。
 その信じられないような動きにアミは目を見開いていた。
 あの怖ろしい怪物の攻撃を平然と避けながらカウンターを放ち、その瞬間に繰り出してきた別の一撃をいとも容易く回避していたシンの動きは彼女の目に留まるようなものではなかった。
「アミ、頼むから逃げてくれ」
 背後を振り返る事無く声をかけてくる。
 その言葉には逆らうことを許さない重い響きがあった。
 まだ幼ささえ残る少女には想像さえ出来なかったが、少年の言葉には血を吐くような感情が込められていた。
 シンの言葉を理解することは出来なかったが、その言葉に従わなければならないことだけは心が感じ取っていた。
「わかったわ・・・。気をつけて!」
 そう言うなりアミは友人の手を握り締めて建築現場の足場から飛び降りた。
「ひゃあっ!」
 友人がバランスを崩して足場から身体を宙に投げ出す。しかし、すぐにガーディアン・システムが反応して二人の少女の身体は無重力のフィールドに包まれてゆっくりと空中を漂いながら降りていった。
 十メートルほど降下した後で、重力制御の方向を変えて水平に移動する。十分に安全な距離まで移動して、二人は別の足場の上に降り立った。
 そして振り返ると、その戦いの凄まじい光景が目に飛び込んでくる。
 シンは狭く不自由な足場を巧みに駆け抜けて驚くほどの俊敏さで化け物に斬りかかっていく。そしてその化け物もまたその巨大な体躯からは信じられないほどの素早い動きでシンの凄まじい攻撃に対応し、巧みに反撃を加えていた。
 鞭のようにしなるその長い豪腕は関節を持たない触手のような動きで人間ではありえない角度と速さで攻撃を仕掛けていく。
 だが、その恐るべき攻撃をシンは完全に見切って光の剣で怪物にヒットを当てていくのだ。
 アミたちの目にはその手にした光の剣が三本にも四本にも見えるほどの凄まじい速さと術だった。
(流石にしぶといな・・・)
 だが、シンは内心で舌を打っていた。
 怪物の身体を覆っているエネルギーのフィールドは想像していたよりも強いらしい。光の剣で削っているものの、致命傷を与えられるほどには至っていないのだ。
 やるしかないか・・・
 シンはこれ以上長引くのは不利だと悟っていた。
 何しろ、体力勝負に持ち込まれては勝ち目が無い。彼は生身の人間なのだ。
 それに比べて目の前の怪物に人間と同じ程度の体力を期待するほうが間違っている。
 ならば・・・
 一瞬、アミの目には少年の身体が怪物の腕に貫かれたように見えていた。
 息を呑んで硬直する。
 だが少年は今まで巧みなステップで華麗に攻撃を回避していたのと違い、脚を止めて脇腹を皮一枚掠めさせ、その分だけ深く踏み込んで全力の一撃を怪物の胸部の中心に叩き込んでいたのだ。
 斬ったのではなく、真正面から突きを打ち込まれた怪物のエネルギーフィールドは流石にその一撃を止められず、光の刃は怪物の胸部に深々と付き立てられていた。
 そしてシンは光の剣のエネルギー出力を最大に展開する。
「これで終わりだ!」
 シンの声に呼応するように、光の剣のエネルギーが怪物の全身を奔り抜けてその巨大な体躯の化け物はドッ、と足場に崩れ落ちた。
 青白い電光が美しい死の輝きを放ちながら、やがて怪物の巨体から消え失せていく。
 漸く終わった、とアミはほっと一息をついた瞬間、再び怪物が身動きを始めていた。
 少年も驚いた表情で怪物を見つめる。
 だが、その手にした光の剣を構えることも無く、驚いたような表情で怪物を見つめていた。
 何が起こったのだろう、と思った瞬間、不意に少年と怪物が上に立っていた足場ががくり、と崩れる。
「キャアアアアアッ!、シ、シンッ!、逃げてえーッ!」
 アミは決して手が届かない距離だと知りながらも必死になって手を伸ばす。だが、その視界の中で黄金の髪をした少年と怪物は崩れ落ちていく足場と共に闇の中に消えていった。

「・・・マドカサマ・・・ヤットオ見ツケ致シマシタ・・・」
 怪物が突如、再び動き始めて発した言葉を聴いてシンは衝撃を受けていた。その少年に構わず、怪物は言葉を続ける。
「私ハ、ファールヴァルト軍特別機甲兵団所属、第一ワーカーフレーム隊所属ノ救助用ワーカーフレームデアリマス。異世界ニ落チテシマワレタ将軍、眞様ヲオ救イスル為、使ワサレマシタ・・・」
 その言葉は少年の心に衝撃を与えていた。
「遠イ異世界ヨリノ転移デ、私ノシステムニ異常ヲキタシタ事デ、不手際ヲ起コシテシマイ、申シ訳アリマセン・・・。何ヨリモ、眞様ニ危害ヲ与ヨウトシタ事、弁解ノシヨウモアリマセヌ・・・」
 心を持たないはずの機械の目が少年に必死に何かを訴えようとしていた。
「眞様、SSIVVAヲ展開シテクダサイ。ソウスレバ智子様ノ元ニ強イシグナルガ届ケラレ、ファールヴァルト王国ヨリ救助部隊ガ参リマス・・・」
 機械の目から力が失われようとしていた。
「眞様、無事ノゴ帰還ヲ願ッテオリマス・・・。エラーニヨルモノトハイエ、眞様ニ刃向ケタ無礼ヲ謝罪致シマス・・・。ユーフェミア様、悦子様、里香様、葉子様、ルエラ様、ソシテ亮様ト英二様モゴ帰還ヲオ待チサレテオリマス・・・」
 そう囁くように告げて、機械の身体から力が抜け落ちる。
 だが、シンの心には衝撃の嵐が吹き荒れていた。
 こいつは俺の事を知っていた・・・!
 そして告げられた名前、その語った内容の事が心を揺さぶってくるのだ。
 心の中に堰き止められていた何かが溢れ出してくるような気がした。
 その瞬間、足元がごそっと落ちる感覚がして、そして少年は宙に投げ出されていた。
 思わず何かを叫んだ気がして、少年の意識は闇の中に飲み込まれていった。

 そこは暗闇の中だった。
「・・・っ、痛ってぇ・・・」
 頭がズキズキと痛い。何処かにぶつけたのではなく、偏頭痛が強烈になったような痛みだった。
 視界がぼやけそうな頭痛を堪えながら、SSIVVAを操作して全身をチェックする。
 何処にも異常はなさそうだった。とはいえ、SSIVVAを着用している限り、ゆっくりとではあるが肉体的なダメージは癒されて回復していく。
 しかし、何故自分がこんな暗い廃坑のような場所でひっくり返っていたのか理解できなかった。
「・・・何処だよ、ここは?」
 頭が混乱していた。まだぼんやりしている。
 少なくとも此処には呼吸ができる酸素濃度があり、人体に危険なガスや気体が大気中に混じっていないことはSSIVVAの分析結果に表示されていた。
 全く光のない完全な暗闇だったが、彼にとっては何の意味も無い。少なくとも闇を見通す『眼』ぐらいは持っている。
 そのように彼は自分自身を鍛えたのだから。
「どっかの工事現場なのか?」
 そう呟いてはっと気が付く。
 少なくとも彼が得た安住の地にはこのような高度な建造技術はまだ無い。だとすると、自分は元の世界に戻ってきたのだろうか?
 不意に遥か遠くから声が聞こえたような気がした。
(シ~ン!・・・何処にいるの!?・・・)
 その声に聞き覚えがある。
 だが、はっきりと思い出せない苛立たしさが彼の心をざわつかせてくるのだ。
 周りを見回すと、其処にはワーカーフレームの残骸が転がっていた。
 その胸部にはライト・ソードで貫かれて破壊された形跡が残っている。
(とすると、このワーカーフレームを破壊したのは俺なのか!?)
 益々混乱した。
 何故、自分がワーカーフレームを破壊する必要があったのだろうか。
 頭の中にクエスチョンマークが一ダースほど踊っているような気がする。
 またあの少女の声が聞こえた。
 無視することもできず、彼はセンサーの捜査範囲を広めてその声の主を探る。すぐにその存在がわかった。

 アミは無駄だと思いながらも諦めきれずに何度も何度も叫び続けていた。
 こんな高さからガーディアン・システムも無しに落ちたら絶対に助からない。そんなことくらい理解していた。
 それでも、何かの奇跡が起こってシンが生きていたならば、そう願わずには居られなかったのだ。
 アミの友人も何も声をかけられずにじっとそのアミの姿を見ているだけだった。
 あの少年の事を思うと不憫でならない。
 何処かからやってきて、そして記憶を失ったままこんな形で命を落とすなど・・・
 たとえ遺体を発見したとしても、彼には還る場所も無い。
 そんな人生が許されてもいいのだろうか・・・
 彼女達は神を信じていなかった。しかし、彼女達は祈っていた。あの不幸な少年が安らぎを得られることを・・・
 その瞬間、少女達の目の前に光が現れていた。

『・・・ドカ・・・ま・・・聞・・・え・・・すか・・・?』
 不意にノイズにたっぷりと混じった通信が飛び込んでくる。
 フレイアか!
 という事はシステムは生きている。だが何故、D.E.L.ダイナミック・エンパス・リンクを使わないのだ?
 通常、このようなレガシーな通信システムを用いなくても、精神の外部領域を共通認識領域に割り当てて、それを経由するいわば精神感応通信を行える。
 それにも拘らず、このような通信を行ってくる事は何らかの理由があるのだろうと帯域の調整を行い、音声をクリアなものにしようとした。通信の帯域を調整するのに一苦労したが、その価値はあった。
 次の瞬間、光り輝く球体が現れて、これまた良く知った声が今度はD.E.L.を通じて飛び込んできたのだ。
『眞、ようやく見つけた!』
 智子の声がやけに懐かしく感じられた。
 だが、その説明を聞いているうちに流石の眞の顔色も変わっていく。
 まさか、そんな事が起こっていたとは・・・
 そしてその瞬間に、今までの事を思い出す。
 アミ!
 彼がこの工事現場で足場もろとも落ちたことで一番悲しんでいるだろう少女を思い出した。
 と同時に今までの彼女との時間も蘇ってくる。
 もうあの時間は終わったんだ・・・
 今の彼はもう、記憶を失った異邦人ではない。
 二つの国の運命を背負った戦士なのだ。
 自分を呼んでいる少女のいる場所を見上げて、そしてふと足元に沈黙しているワーカーフレームの残骸に視線を落とす。自分を救うために遥かな世界から、まったくの手探りの状況で送り込まれ、機能障害に陥りながらも自分を求めて見知らぬ世界を動き回っていた人造の機械人形。だが最後に機能維持のためのエネルギーすら使って眞に全てを告げ、そして詫びながらその存在の機能を永遠に停止したワーカーフレーム。
 少年はそっと目を瞑って黙祷し、そして破壊されたコア・クリスタルを抜き取った。それを大切に懐にしまいこむ。
 作戦プロトコールに従えば、回収可能な形で放棄せざるを得ないナイトフレームやワーカーフレーム、アーマフレームなどは爆破作業を行わなくてはならない。
 だからせめて、そのコアの名残だけでも故郷に連れて帰ってやりたかった。
 ライト・ソードを逆手に構えてワーカーフレームの胴に突き立てる。そして出力を全開にした。見る見るうちにワーカーフレームの機体が赤熱して、やがて炎を噴き上げだした。
 もう、こうなってはどんな手段を用いても回収して機能を回復させることは出来ない。ライト・ソードのエネルギーの刃を残して、眞は剣を収納する。エネルギーの刃はあと数分は維持されるだろう。その間に、ワーカーフレームの本体は溶解していくことになる。
 眞は決意を込めてSSIVVAの重力制御機能を作動させ、飛び上がっていった。

 不意に現れたシンの姿を見て、アミは夢でも見ているのかと我が目を疑っていた。だが、その彼が最初に見た不思議な鎧のような服を身に纏っているのを見て、全てを悟った。
 もう、今の二人の時間は終わったのだ。
「シン・・・。ううん、あなたの本当の名前を聞かせて・・・」
 泣きそうになるのを必死で堪えて、アミは少年に尋ねた。
 せめて、本当の名前だけでも教えて欲しい、と願う。
「俺の名前は緒方眞。今は違う世界にあるファールヴァルトという国で将軍をしている。元の世界は、此処とは違う地球の日本という国だよ」
 そう言ってそっと微笑んだ。
 それはアミが知っている“シン”の微笑と同じだった。
「そう・・・。眞、貴方に会えてよかった。私、家に帰ってきて『おかえり!』って言ってくれるの、凄く楽しみだった」
「俺も君に会えてよかった。戦いのことも、政治のことも何も考えずに、ただ優しい毎日だけを過ごせた時間なんて、俺には無かったから」
 でも魔法の時間はもう終わり・・・
 眞が去れば、アミの日常には優しい笑顔の少年は居なくなる。そして眞は一分一秒が戦場となる厳しい戦いと政治の世界に戻ることになる。
 それでも・・・
「俺は帰らないといけないんだ。待ってくれている人も、俺を必要としてくれる人達もいる」
 蒼と紫の瞳をした少年は感情を抑えるように、優しく囁いた。
 ほんの一瞬だけ交わった別世界の住人。
 本来ならば出会うはずの無かった二人の出会いは、出会った時と同じように唐突に終わることになった。
「忘れないよ。俺が“シン”という名の唯の少年で居られた時間を、記憶を失った俺の傍に居てくれた、優しい女の子のことを・・・」
 その言葉にアミは遂にぼろぼろと涙を流して何度も頷く。
「うん、うん・・・。あたしも、忘れない・・・。遠い国から来て、優しい時間をくれた男の子の事・・・」
 言いたい事、伝えたい事は幾らでもある。
 でも、長引けば長引くほど別れは辛くなるのは二人とも解っていた。
「行かなくちゃ・・・」「うん・・・」
 アミは聞かなかった。
 また会える?
 その問いに、眞は答えられない。そして、答えてはいけないだろう。
 だから聞く事ができなかった。
 もしこれが運命なら、また会えるかもしれない。会えない運命なのかもしれない。
 それは誰にも解らない事だろう。
 もしかしたらそれは二人の中にだけある答えなのかもしれない。
 でも、それを見つけるのは今ではない。
「それじゃ・・・」「うん・・・。元気でね・・・」
 光に包まれた少年は、その傍に不意に現れた大きなカプセルのような球体に吸い込まれるように消える。そして次の瞬間、青白い輝きが蛍のように辺りを舞い始めていく。
 あの時と同じ・・・
 アミはそれがもうずいぶんと前のような気がしていた。
 少年が現れたときと同じように不思議な光は渦を描くように輝きを増し、そして激しく脈打つように輝く。
 見つめるアミの瞳から涙が溢れ出ていた。
 その光の鼓動と渦の回転が最高潮に達したとき、弾けるように光が輝き、その輝きが収まったときには少年の乗り込んだあの不思議な球体は跡形も無く消え失せていた。
(さよなら、シン・・・)
 アミはそっと呟いて眼を閉じた。

 ファールヴァルト王国の首都エルスリード。
 その王城の地下にあるファールヴァルト軍統合司令部に付属する軍事技術研究所の一角で、その作戦作業は行われていた。
 広い空間の中、ぽつん、と金属の土台が設置されている。その巨大なテーブルのような台座からは何本ものケーブルが伸びて、そしてそれの周辺では何人もの作業員が慌ただしく作業を進めている。
 眞を改修した転送ポッドが到着するまで、あと何分もなかった。
 量子転送を行う際に見られる現象である磁場の『しゃっくり』が頻繁に観測されて、その実体化が近いことを明確に物語っている。
「智子様、磁場の変動が早まっています!」
 技術士官が緊張した声で状況の変化を告げていた。
「もうすぐ来そうね。転送エラーが起こらないように超純水のシールドを再度確認!」
「了解しました! 超純水シールド、再確認急げ!」
 此程の大規模な量子転送を行う場合、データ転送にエラーが起こら無いとも限らない。生身の人間を転送する際にその構成情報にエラーが起こったら、取り返しがつかない事が起こってしまう。
 古代語魔法の魔法技術でそれを補助してはいるものの、エラーが起こらないように慎重に作業をするに越したことはない。
「眞・・・」
 悦子が泣きそうな目で眞を載せたポットが現れるはずの転送台を見つめていた。
 それはユーフェミア、葉子、エリステス、ティエラ、そして里香も同様だった。同じだけ眞を想っているルエラもルーシディティも、この場にはいない。
 ファリスの啓示した危機を探るための作業を進めているのだ。
 二人ともこの場にいたくないはずはない。だが、その感情を抑えて為すべき事をしている二人の分まで、悦子達は眞の無事を祈っていた。
 そして、気がつくと蛍のような淡く小さな光が朧気に点滅しながら台座の上を舞い始めていた。
「転送処理、開始しました!」
「フレイア、サポートをお願い!」
『眞様のポットが近づいています。信号補正を開始、ビーコンのサポートガイドに乗りました!』
「転送時にエラーが発生しているかも知れない。実体化処理時に同時スキャンを行って、符号補正をして!」
 慌ただしい作業を繰り返しながら、全員が作業を進めていく。
 転送情報が蓄積されて、膨大な眞を構成している情報がフレイアの仮想情報空間内に眞の仮想実体を生み出していく。
 その転送情報を元に、量子化された眞の情報を重ね合わせてこの世界に再実体化させるのだ。
「データバッファーに転送完了! 転送エラー、確認されません! ハッシュ情報との比較でもエラー率は想定している許容エラー率よりも二桁低い!」
「よし、それなら問題ないわ! MRIでスキャンするよりも量子干渉率が低いなんて、やっぱり中継ポイントに余裕をもたせていた分、信号補正が上手く働いているんだわ!」
 智子は興奮して叫んでいた。
 これなら、失敗する方がどうかしている。
「全量子データ、展開完了しました! これより眞様の実体化プロセスに入ります!」
 その技術士官の声に全員が祈るような目でスクリーンを見つめた。
 そして・・・
 無数の光の粒子が激しい明滅を繰り返しながら渦を巻くように転送台の上で踊っていた。
 その光の明滅が徐々に同調していき、やがて心臓の鼓動のように全体が一つのリズムで明滅を始めていく。
 次の瞬間、青白い光が閃光を放つように輝いた。
「せ、成功したの!?」
 悲鳴のような声で里香が叫ぶ。
 全員が身を乗り出すように光を見つめていた。
 不意に光が掻き消されるように消滅し、その後には白い卵のような転送ポッドが台座の上に現れていた。
 息をすることさえ不安を掻き立てられるような気がする。
 もし、失敗していたら・・・
 誰もがその不安を抱きながらも、誰ひとりとしてそれを口にすることが出来なかった。
 恐ろしいほどの沈黙が全員を包み込んでいる。
 息をすることさえ憚られていた。
 その静寂を破るように、卵型の転送ポッドの表面に長方形の線が浮き出して開いていく。
「只今、って言うべきなのかな?」
 ポッドから銀色の鎧のような衣装を着た人影が現れる。
 黄金の髪、右と左で色の異なる青と紫の瞳。照れくさそうにはにかんだ微笑。
 もう、何年も会っていなかったような気がする。
 考えるよりも先に身体が動いていた。
 全員が飛び出していく。
「馬鹿っ!、ほんとに馬鹿ぁっ! あんたってば、どんなに人が・・・」
 真っ先に飛びついた悦子は、泣きながら眞の厚い胸板を叩き続けていた。葉子も飛びかかるように抱き抱えて少年の存在を確認し、涙を流し続けていた。
 誰もが待ち望んでいた瞬間だった。
「おがっちゃん、おかえり」
「流石だね、トモちゃん。こんな大規模な転送をやってのけるなんてさ」
 その眞の言葉に黙って親指を突き上げた少女は、照れくさそうに鼻を掻いていた。

「いよいよその時が来た・・・」
 信者達の祈りの熱気が極限に達しようとしていた。
 既に“召還の水晶球”には魔力が十分に満ちている。頭の中に響き渡る神の意思が歓喜の色を帯びて彼の魂を揺さぶってくるのだ。
 後は神の魂の降臨を願う祈りを捧げて、この魔法の水晶球の力を解放するだけだった。
 彼の右腕として働いてきた魔術師もその困難な試みを漸く達成できるという喜びで顔を紅潮させている。もう何年になるだろう。
 ファリスの威光だけを至高のものと信じて、その光に導かれた究極の世界を望んで世俗の悦びに堕落した司祭達を叱責し続けてきた。だが、彼らに投げつけられたのは嘲りと過激派というレッテルだったのだ。
 しかし、地道な活動を続けている間に彼らに賛同する熱心なファリスの信者達が集まり始め、そして聖なる騎士団の中にも彼らの道を共に歩んでくれるものたちも現れていたのだ。
 だが、あろう事か邪悪なる魔術と悪魔の力を手に入れた国が急激に国力を増していたのである。その危険を感じた彼ら『光の真理』は邪悪を討つべし、と宮廷にて直言をしたものの、政治の力の前に押さえ込まれてしまったのだ。十分な体制を整えられないまま彼らの仲間である騎士たちは出撃を余儀なくされ、そして邪悪なる力に敗れ去るという屈辱を与えられたのだった。
 多くの義勇兵達や勇敢なる騎士たちは皆殺しに近い虐殺を受け、そしてファリスの威光を伝道するために従軍した修道女達は慰み物と成り果てたのである。
 しかもそのような恥辱を受けながら国王は邪悪なる魔法王国に謝罪を強要され、そして贖罪のために賠償までさせられるという前代未聞の醜態を晒したのである。
 許せなかった。
 だが、彼らの信じる神はそれをそのままにしてはおかなかった。
 この失われた遺跡を指し示して、そしてその御身自らで邪悪を討つために降臨するための役目を彼に与えてくださったのだ。
 正義と理想を実現するためには尊い犠牲を払わなければならない。
 そう考えるとあの騎士団の敗北や蹂躙された乙女達は、真の理想を実現するために選ばれた犠牲なのだろう。
 おぞましい魔術で創られた鋼の巨人を操ってこの聖なる神殿を破壊しようと試みているが、神に祝福されたこの場を穢すことはできない。
 そう考えて司祭は最後の儀式を始めていた。

『魔力の震度が高まっています! 現在、マグニチュード6.8!』
 フレイアからの警告がコックピットの中に響き渡る。
 だが、どれほどの攻撃を喰わえても神殿を護る魔法の力場はそれを跳ね返し続けているのだ。恐るべき障壁の力だった。
 十騎を超えるイントルーダから継続的に放たれるパルサーの光弾が、青白く輝く魔法の障壁に突き刺さる度に波紋のようにゆらめきを引き起こすものの、次の瞬間にはそれがまるでさざなみが引いていくように静まってしまうのだ。
 英二は舌を打ちながら攻めあぐねている神殿の強硬な防衛力に恨み言を呟いていた。
「なんて頑丈な防護壁を張り巡らせてやがるんだ! このイントルーダのパルサーを纏めて浴びせかけてもビクともしやがらねぇ!」
 流石に古代王国の最高級の魔術師が生み出した神殿を防衛する魔法障壁は凄まじいまでの堅牢さを見せ付けてくる。
 この神殿の本当に警戒すべきなのは蛮族や妖精族ではなく、同じ魔術師の貴族、それも魔法王と彼に従う全ての貴族が敵だと想定していたのだろう。
 とにかく神を復活する儀式の間だけでも耐えられるようにと、最大級の出力で魔法結界を張り巡らせている。
 厄介極まりない防衛システムだった。
 こうしている間にもフレイアが捉えている強大な魔力の集積点は徐々にではあるが確実にその力を増しているのだ。
 眞が今、とんでもない遠く離れた異世界からこちらの世界に帰還しようとしている時に、こんな厄介な相手を自由にさせるわけにはいかない。
『こうしてても埒が明かん! 英二、俺がエネルギー・ソードで障壁を抉じ開けるからその間にお前が飛び込め!』
 亮が叫んで止めるまもなく飛び込んでいく。数騎のイントルーダが亮に続いて突進を仕掛けていた。
 彼のイントルーダに搭載されているエネルギー・ソードはまだ試作品の段階だったが、その破壊力は通常のライト・ソードの比ではない。
 それを腰溜めに構えて切っ先を白く輝く魔法の結界に向ける。と同時にエネルギー・ソード自身が青白い輝きを放ってその強大な力を解き放とうとする。
 そして亮のイントルーダが障壁に体当たりするようにソードを突き立てた。
『フレイア、全力だ!』
 青白い光がまるで炎のように膨れ上がり、その膨大なエネルギーが流石の魔法障壁を侵食していく。物理的な実体を持たないはずの結界が、巨人機の剣を付き立てられた場所から罅割れるように砕かれていくのが目に見えていた。
 亮と共に突撃したイントルーダは左右から亮の機体を支えて、その凄まじい力と力の激突に弾き飛ばされないように押さえ込んでいる。
 その強烈な出力に亮のイントルーダのセフィロト機関クリムゾン・ドライブが悲鳴を上げるように最大稼働していた。
『亮、危険だ! そのままだと暴走するぞ!』
 過剰なエネルギー機関の強制稼働は致命的な暴走を生み出しかねない。
 驚異的な性能を誇るナイトフレームと武器、防御システムの全エネルギー供給を賄うほどのセフィロト機関が暴走、爆発したとしたら中にいるパイロットはおろか近隣一体が想像を絶する被害を蒙るだろう。
「もうちょっとだ! あと少しで英二が飛び込めるだけの穴が開く!」
 コクピットの中に鳴り響く警告音を無視して、亮はエネルギーの全てをソードに集中させていた。
 もし、この機体のセフィロト機関が耐え切れなかったら・・・
(そん時は仕方ねえよ・・・)
 臨界まであとコンマ数パーセントの所にまで来ていた。
 英二、ヘマッたらぶっ殺すからな!
 その臨界のゲージに達しようとした瞬間、英二のイントルーダが凄まじい勢いで結界の亀裂の中に飛び込んでいった。
 防御フィールドシステム、エクリプス・ベイルを前面だけに集中展開してそれを船の衝角ラムのように使って亀裂の入った結界を突き破って突入したのだ。その激しい衝撃に亮の機体が弾き飛ばされ、その瞬間にエネルギー・ソードのブレーカーが飛んでいた。
 間一髪だった。
 英二の機体に続いて数機のイントルーダが飛び込もうとしたが、既に結界は目の前で閉じていく。
 だが、もはや亮は確信をしていた。
 この戦い、勝った・・・、と。

 亮の機体がもう限界だと悟った英二はそのエクリプス・ベイルを全力で前面に展開して崩壊寸前となっていた魔法結界を突破していた。
 ちらり、と後方を確認したものの、既に結界は閉じられて後続機は完全に遮断されている。
 呆れるほどの防御力だった。
 だが、ナイトフレームの侵入を許した以上、この遺跡の命運は尽きた。
 先ほどまでの苛立ちを爆発させるようにパルサーを全力で遺跡の扉に打ち込む。
 流石に魔法で保護されているとはいえ、魔術兵器であるパルサーの光弾の嵐の前には為す術も無く崩れ去っていた。そしてその瓦礫を蹴破るように英二はイントルーダを飛び込ませる。
 驚いたことに遺跡の中には巨大なナイトフレームが動き回れるだけの通路と空間があった。
 そして、それがこの遺跡が神を復活させることを意図して建造されたものだと思い直して納得がいった。
『英二様、通路のデータを転送してください。目的地への最短マップを表示します』
 フレイアからの通信が飛び込み、そして英二は超音波スキャナーとレーザー捜査を駆使してマッピングを開始した。

 オーバーヒート寸前まで酷使された亮のイントルーダはエネルギー・ソードのブレーカーが飛んだ瞬間にセフィロト機関が緊急停止して力を失っていた。
「両脚の関節に右腕がオシャカ、センサー系は全滅、セフィロト機関が復活するまで十四時間、か・・・」
 擱坐したイントルーダの散々な有様に亮は呆れかえってしまう。
 その傍にランダーの機体が滑り込むように着陸した。
「お前な! 無茶をするにも程があるぞ!」
 ハッチを開くなり、ランダーは顔を真っ赤にして声を張り上げる。
 自殺行為にも近い特攻で突破口を開いたとはいえ、それはファールヴァルト軍のやり方ではない。まずは生き残ることを考えろ、それが長い間の歴史で築き上げられたファールヴァルト軍の基本だった。
 生きてさえいれば幾らでも挽回ができる、そう考えるのがファールヴァルトの騎士なのだ。
「申し訳ありません」
 その心底から心配する言葉に亮は素直に頭を下げていた。
 不意に通信機から声が響く。
『・・・亮、あとでたっぷりと話を聞かせてもらうかんね・・・』
 智子の押さえ込んだ声音に思わず、亮は血の気が引くのを感じていた。
 どうやら今の特攻を見ていたらしい。
 後が怖えな・・・、とこの戦いの後の事を覚悟していた。
 そして亮は初めてイントルーダを、ナイトフレームを擱坐させた騎士としてファールヴァルト軍の歴史に記録されることになったのだ。
 それは不名誉な事ではないとはいえ、ある意味で記念すべき出来事ではあった。
 
 
 

~ 4 ~

 
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