~ 3 ~

 シオンはルーシディティの依頼を受けて調査の目的を光の真理の行方から、彼女が至高神より受けた啓示の内容の調査に切り替えていた。
 この短い期間に二度も『啓示』を受けるなどとは信じられない事態ではあるが、高徳の奇跡を起こすルーシディティが嘘を語るはずも無い。その内容は彼に憂慮させるに足るものであった。
 そしてこの緊急事態にファールヴァルトにそれの調査に避けるだけの余力が無い事は見て取れる。
 今の時点で自由に動けるのはシオンだけだったといっても良い。
 彼には確信があった。
 神を復活させる儀式を行える場所は、月光の神殿以外にはありえない。
 だが、軍を展開して投入するためには、それを説明する証拠が必要になる。
 その為、シオンはそれを手に入れるための探索を行っていたのである。
 あの堅牢な遺跡を力ずくで破る事は不可能だ。そう考えたシオンは一人、アノスに戻ってファリス大神殿の大図書館で関連する資料を当たる事を決意していた。
 少なくともあの大図書館の扉を開けるのは月光の神殿の門を抉じ開けるよりも現実的な試みだった。

 光の真理の試みが何であるのか、想像するのは難しくなかった。
 しかし、そんな考えを抱く事自体が不遜だと感じることはなかったのだろうか。
 そう思いながら、シオンはその整った美貌を曇らせる。
 あの暴走した一部の騎士団とファールヴァルトとの紛争で、光の真理に傾倒していた右派の騎士たちの多くは戦死し、そして光の真理自身も宮廷での発言力や政治力を大きく削がれる事となってしまったのだ。
 そのような結果を迎える原因となったのは、他国の政策や発展を邪悪な魔神によるものと断じて、話し合いを持とうともせずに力で討伐する、と考えた自らの愚かさである。しかし、当事者にしてみればそのような事態に追い込んだ張本人であるファールヴァルトを、異世界の魔法騎士を恨むことが気持ちを一番楽にしてくれるだろう。
 そうした理由があって、光の真理は神をこの世界に顕現させて己の正しさを証明しようと躍起になっているのだと考えられるのだ。
 神を自らが正しい事を証明するために用いるなど、本来ならあってはならない冒涜ではあるのだが、当の本人たちは自らの正しさに固執する余り、もはや何も見えていないに違いなかった。
 アノスに帰り着いた彼が法王に謁見を求め、そしてファリス神殿の大図書館を訪れる事が出来たのはそれから十日余り後の事だった。

 ナイトフレームの心臓部はクリスタル・コアと呼ばれる中心部である。
 これはナイトフレームの制御システムや人工知能、経験学習データの蓄積と展開などの役割を担う、文字通りこの巨人機の最高機密のユニットだった。
 完全にブラックボックス化されているため、ファールヴァルトの内部でも極限られた人間以外のアクセスが認められていない、という最重要軍事機密の一つである。
 ロマール新貴族派の騎士たちはその完全に機密化された心臓部の解析が遅々として進まない事に苛立ちを隠せずにいた。
 ナイトフレームを奪取し、それを解析すればコピー版を作ることも出来る、と考えていたのだが、その中枢機能を完全に隠蔽されていてはどうしようもなかったのだ。
 その為、クリスタル・コア自体をコピーする事は諦めて、それに替わる中枢部の独自開発を目指して研究を進めていた。
 機体を制御する制御系とマン・マシーン・インターフェース、各種兵装を制御する火器管制システム、そしてエクリプス・ベイルを制御する防御管制システムの完成が急がれていた。
 ファールヴァルトのナイトフレームのように、実戦を重ねれば重ねるほど機体自身が戦闘経験値を積み重ねて学習し、その性能を無駄なく発揮できるような兵器にはならないものの、少なくともナイトフレームの持つ強大な武装と防御システムを運用できる機体があるのと無いのとでは戦闘の結果がまるで変わってしまう。
 奪取したナイトフレーム、イントルーダで様々な試行錯誤を重ねた結果、何とか機体を動かして火器を使用でき、エクリプス・ベイルを運用できる制御系が何とか完成しつつあった。
 イントルーダに比べればまだまだ玩具のような代物ではあるものの、それでも三騎掛かりであればイントルーダと互角の戦闘が出来る程度の性能は得られているのだ。
「このバルゼットが運用できれば、あの忌々しいホムンクルス兵どもなど恐れるに足りん!」
 一人の騎士が興奮したように叫んでいた。
 ようやく、これで反転攻勢を仕掛ける事が出来る・・・
 その歓びが胸にこみ上げてきた。
 イントルーダに劣るとはいえ、あのホムンクルス兵や魔獣部隊に十分対抗できる戦力が、ようやく自らの力で生み出されたのだ。
 これも少ない人材や資材を巧みな運用で苦境を乗り切った天才軍師ルキアルの実力である。
 その素晴らしい頭脳は、ファールヴァルトの持つオーバーテクノロジーを解析、模倣するのは無理だと見抜いた後、何が必要なのかを見抜いて、今手元にある技術と知識で出来る事を見切って開発作業の指揮を執ることでも十分に発揮されていた。
 この功績は後にナイトフレームの系統の中に『ルキアリアン系』という系列を生み出して、歴史に名を刻む事となる。
 それはファールヴァルト系列のナイトフレームとは異なり、それほど高度な魔法技術を持たない国でも自力で開発、生産を行えるという意味で画期的な意味を持つナイトフレームの一系列として、そのバリエーションの多種多様さは本家であるファールヴァルト系列を凌ぐほどの勢力を持つ事になる程の発展を遂げる事になる。
 後の時代に、フォーセリア連合軍の主力ナイトフレームの一翼を担うことからも、その設計思想の確かさが判るだろう。
 だが、今はロマールの内戦において新貴族派の反転攻勢の期待を一身に受けて、漸く立ち上がったばかりであった。
 バルゼットは白銀を基調としたイントルーダとは異なり、鮮やかな赤に塗装された姿をしていた。
 重厚な、ある種無骨ともいえるデザインは優雅ささえ備え持つクープレイや流れるような美しいラインで描き出されたイントルーダと異なり、正に戦闘マシーンとしての印象を全身に漂わせている。
 未だに十分な装備の生産施設を持たないロマール新貴族派ではあるが、イントルーダの各種パーツを応用して作ることの出来るモジュールを多用している事から、輸送飛空船にあるユニット生産ラインを最大限に利用して、最小必要限の手間で数多くの生産が可能となっているのだ。
 今は先行量産機の三騎を利用して、ナイトノーツを養成するための集中訓練を行っていた。
 その騎士たちは、人工の命を弄んで、そして不意を撃つように彼らの仲間達を虐殺していった大貴族派への憎しみを押さえ込みながら、必死に厳しい訓練に耐えていたのである。
 
 壮年の騎士はきちんと切り揃えた顎鬚に手をやりながら、目の前で展開される戦いを見詰めていた。
 新貴族派があの巨人機を手に入れたのは驚きではあったが、所詮、三騎しかないナイトフレームは戦略的に大きな障害にはなりえない。
 それに対して、彼らが運用するホムンクルス兵や魔法生物による機動部隊は数を十分に揃える事が出来るため、戦略的な運用が可能になるのだ。
 白い生体甲冑を着込んだホムンクルス兵達が砦を取り囲んで、休む事の無い攻撃を繰り返している。<<投石器{カタパルト}>>で飛んでくる岩が何人かのホムンクルス兵を薙ぎ払うものの、恐れを知らないこの人工の兵士達は即座に態勢を整えて反撃に移っていく。
 その淡々と単純労働を行うかのような動きに、砦を守護している新貴族派の兵士達は疲労困憊の様子で絶望的な防衛戦を繰り広げていた。
 流石に騎士たちは士気を落とさないように良く立ち回っているものの、砦が落ちるのは時間の問題だった。
 壮年の男は小山のような高さにある彼の席から、その光景を見下ろして満足気に笑みを浮かべていた。
 巨大な亀のようなトラトンという魔獣-これも人工の生命である-の背中の甲羅のなかにある巨大な空間に設置された臨時司令部で、男は自ら指揮する騎士団が反逆者どもを次々に討ち破っていく光景を楽しんでいたのである。
 勝利はもう既に彼の手の中にある、と思われた。
 その瞬間、数条の光線が白い鎧のホムンクルス兵部隊に打ち込まれて、一瞬にして巨大な火球が膨れ上がった。
「何っ!」
 まさか、こんな辺境の砦に数少ないナイトフレームを投入してくるのか!?
 そう思った騎士は、その光線を放った存在に視線を向ける。
 そして、目を疑っていた。
「な、何だ、あの見慣れないナイトフレームは?」
 白銀に輝くイントルーダが先頭にいるものの、残りは鮮やかな赤に輝く見たことの無いナイトフレームだった。それが九騎もいるのだ!
「そんな・・・馬鹿な・・・」
 十騎ものナイトフレームを部隊編成して戦場に投入できる存在など、ファールヴァルト以外に存在するはずなど無かった。だが、今、彼の目の前にはその、この場にいるはずの無い部隊が彼らに牙を剥いて襲い掛かってきているのだ。
 騎馬では絶対に出せない猛烈な速度で大地を滑るように駆けて、そして十騎の巨人機は一斉に手に構えた銃を彼らに向ける。そして灼熱の閃光が宙を切り裂いた。
『二番体、やられました!』『こちら三番体、救援を・・・うわぁっ!・・・』
 数機のナイトフレームから放たれた光線がトラトンの部隊にも襲い掛かってくる。地竜に匹敵する巨躯を誇るトラトンとはいえ、元々、戦闘用ではなく部隊の移送用と指令所としての運用を想定している魔獣である。
 ナイトフレームに対応するには些か厳しいものがあった。
 人間レベルの武装では傷一つつけられない甲羅も、ナイトフレームの火器には耐えることなど出来はしない。
 無数の光弾や閃光の集中砲火を受けて、次々にトラトンは悲痛な悲鳴をあげながら倒れていった。
 三機の赤いナイトフレームがトラトンを殲滅している間、残りのナイトフレームはホムンクルス兵士達を文字通り、虫を蹴散らすように粉砕していた。
 幾らホムンクルス兵士達が手にした剣で切りかかろうとしても、エクリプス・ベイルはその青白い輝きで全て弾いてしまう。次の瞬間、赤いナイトフレームの胸部に付けられた巨大な真紅の水晶球から凄まじい炎がホムンクルス兵士達に吹き付けられ、一瞬にして火炎地獄に叩き込まれたホムンクルス達は熱と足りなくなった酸素に苦しみながら次々に倒れていく。
 もはや一方的な殺戮だった。
 二千を超えるホムンクルス兵部隊と七体のトラトンによって編成されたトラトン部隊は、一時間も持たずに全滅の憂き目を見ることとなったのである。

 狭い操縦席の中で若い騎士は懸命に自分の乗る機体を必死に制御していた。
『だ、駄目です! バランスが・・・っ!』
 その騎士の声がスピーカーから響いて、次の瞬間、駆動系を保護するための最小必要源の装甲だけを施された巨人機が凄まじい音を響かせて横倒しに倒れこんでいく。
 土煙がもうもうと立ち込める現場に、医療班と技術班の隊員たちが駆け寄って行った。
 コクピットのハッチを開いて、中から若い騎士が這い出してくる。そして見事にひっくり返った機体を眺めて溜息をついた。
「やれやれ・・・。何時になったらまともに歩ける機体が出来上がるのだ・・・」
 技術班の隊員たちが果実に群がる蟻のように一斉に機体を調べ始めていた。そして機体をよじ登って医療班の若い隊員が顔を覗かせる。
「スタンレー卿、お怪我は御座いませんか?」
 あれだけの質量の巨人機が倒れこんで、中にいた人間が無傷でいるのは彼らには信じられないものだろう。
 だが、流石にファールヴァルト製のナイトフレームのボディを流用しただけあって、そうした部分の技術は充実している。そもそも人型の巨人機で白兵戦や格闘戦をやろう、などという兵器がひっくり返った程度で中の人間にダメージを及ぼしていては戦場では何の役にも立たないだろう。
 ひっくり返ったとはいえ、それでも安定度は初期のものに比べて格段に向上しているとアレックス・スタンレー自身は確信を持っていうことが出来る。
 一番最初の試作機はまともに立っている事さえ出来ずに拘束具を外した瞬間、前のめりに倒れこんだのだ。
 今では歩いて方向転換をし、そして地面に落ちているものを拾って立ち上がる程度の動作ならバランスを崩さずに行えるほどにまで性能が向上しているのだ。
 だが、戦場での戦闘機動を行い、ファールヴァルト製ナイトフレームに匹敵する白兵戦や格闘戦を行えるようになるにはまだまだ改良が必要だった。
 幾ら同盟国だとは言え、こうした軍備の中枢を恭しく授かっているような有様では国家としての独立性にさえ関わってくる大問題となるのだ。
 その為、オーファンは全力を挙げてナイトフレームの解析と独自開発を目指して作業を進めていた。
 ロマールの新貴族派もファールヴァルトから整備ベッドと部品生産ユニットを備えた輸送飛空船を奪取し、研究を進めていると噂されているのだ。
 ナイトフレームを自力で所有する事は、これからの時代に於いて軍事的に極めて重要な意味を持つ。
 だからこそ、オーファン軍部と政府中枢部は裏切りとも非難されかねないナイトフレーム・イントルーダの解析と独自ナイトフレームの開発作業を極秘裏に実行していたのである。
 しかし、流石にファールヴァルトもその中枢部分であるクリスタル・コアの技術開示は行っておらず、機体の制御系などは全て独自に開発を行わなくてはならなかった。
 機体本体は提供されているナイトフレームの補修部品生産システムによって生産される部品やモジュールを基に改造する事で何とかなる。そうして生み出された部品を改造して独自のモジュールを作り出すことにも成功しているのだ。
 あとはそれを動かすための駆動系中枢を完成させるだけであった。
 もっとも、それが最大の難関ではあるのだが。
 それにしても、こんな物を全く何も無いところから作り出して実戦運用にまで漕ぎ着けたあの異世界の魔法騎士は恐るべき才能の持ち主だ。
 オーファンの技術陣や運用を試みている軍部はその底知れない力に畏怖を覚えていたのである。
 同じ頃、オーファンの王城シーダーではいつもと変わらない活発な議論が繰り広げられていた。

「何れにしても、我が国はナイトフレームを実戦配備して魔術兵器を戦争に運用するのですね?」
 人間離れした美貌の女性が自らの主君であるリジャール王とその臣下達に改めて尋ねていた。
 もはや彼らを止める事はできない、と哀しい確信を抱いていたのだが、どうしても聞かざるを得なかったのである。
 既に世界は変わってしまったことは理解できる。
 ファンドリアが魔獣兵部隊を編成して、ロマール大貴族派もホムンクルス兵士や魔獣部隊を運用しているのだ。それに対抗してロマール新貴族派はファールヴァルトより奪い取ったナイトフレームとその運用母艦を基に独自のナイトフレームを研究して開発している上に、その奪取したイントルーダも実戦に投入している。そして、東ではミラルゴがリザードマンの軍勢に破れて滅び、そして西部諸国でも遂にタラント王国が妖魔の軍団の前に遂に屈してしまったのだ。
 このような状況で古典的な軍の編成を変えずにいろ、というのは彼らに犬死をしろというのに等しい。
 だから、この氷の魔女は決意を固めていた。
 それはオーファン宮廷魔術師の地位を辞する事、であった。
 リジャールは娘のような年齢の、天才魔術師を見詰めながらその心の内側を悟っていた。氷の魔女などと渾名されているものの、ラヴェルナは実のところ情け深く優しい女性である事は窺い知れる。
 そうでなければ近衛騎士隊長であるローンダミスが心を許す事など無かっただろうし、妾腹とはいえ実の息子の師として預ける事など考えもしないだろう。
 年老いた王は、その若き宮廷魔術師の心の痛みを想って皺の刻まれた顔を少し曇らせた。
 だが、今は王として臣下の問いに答えなければならない。
「その通りじゃ。我が国は独自のナイトフレームの建造と自力での武力展開能力を確保する事を最優先とする」
 ラヴェルナはその王の言葉に、その美貌を揺るがせる事無くじっと王の目を見詰めていた。
 彼女は剣の王と呼ばれるこの英雄王が心の中では平和こそを願っているのを良く知っている。
 武人であるが故に、無辜の民が戦乱の巻き添えになって命を落とすのを誰よりも避けたいと願っているのだ。
 ならば彼女の答えはもはや一つしか残されていなかった。
「・・・畏まりました。ならば陛下、この愚かな臣下の決断をお許しください。只今をもって、宮廷魔術師の地位を返上させて頂きたく存じます・・・」
 その透き通ったような声に、その場の全ての者が息を呑んでいた。
「何故だ? 今の時代であるからこそ、そなたの頭脳と魔力は欠かす事の出来ないものなのだぞ!」
 長く務めている文官の一人が噛み付くようにラヴェルナに問いかける。
 魔術師ギルドの最高導師であるカーウェスに次ぐ実力を持つこの若き美貌の魔女は中原でも屈指の実力を持つ大魔術師の一人である。そんな人物をみすみす辞めさせる訳にはいかない。
 しかし、既にラヴェルナの心は決まっていた。
 魔術を愛するが故に、自分がその魔術を戦争の道具に使うことを許せなかったのだ。
 信念と信念の衝突であるが故に、それはもはや避けられないものとなっているのをリジャールもラヴェルナも感じていたのだろうか。
 一瞬の間の後、リジャールは頷いていた。
「良かろう。良く務めてくれた。退官するにあたって慣例の通り、然るべき賞与を準備しよう」
 文官達のみならず、武官達もリジャールがあっさりとラヴェルナの辞意を認めたことに衝撃を隠せない様子で、会議の間はざわざわとした雰囲気が広がっていく。
 とはいえ、国の中枢に関わってた人間の常として、たとえ宮廷魔術師の地位を辞しても完全に自由にはなれない。恐らく魔術師ギルドにて然るべき地位を与えられた上で他国への移動などは厳しく制限される事になるだろう。
 それはどうでも良かった。
 自分勝手な考え方かもしれないが、戦争と政治の場から離れる事が出来るなら、そして好きな魔術の研究に没頭できるなら少しくらいの不自由は止むを得ない代償だろう。
 そもそも、魔術の軍事利用という面においてはオーファンは魔法兵団を新設し、優れた魔術師達を何人も確保している。それで無ければナイトフレームの解析と独自開発など不可能だった。
 鉄の槍騎士団の中にも騎士バルビーを中心とした魔法を収めた騎士を中心に魔法騎士隊も編成されつつある。
 彼女がいなくなっても、軍事的に無力となるわけではない。
 そしてラヴェルナと共に働いてきた文官達も氷の魔女を抜きにしても十分に政治的な手腕を発揮できるだろう。
 愛する夫である近衛騎士隊長は、石の様な無表情でじっと国王の傍らに控えている。
 その横顔を一瞬だけ見詰めて、氷の魔女は老いた王に深々と一礼をし、会議の間から退出した。

「随分と思い切ったことをしたもんだな」
 言葉とは裏腹に楽しげな口調で男は呟いた。
 ラヴェルナは随分久しぶりに肩から力を抜いてゆったりとソファに身体を委ねる。
 宮廷魔術師という責任から解放される事がこれ程までに心と身体を自由にしてくれるのか、と驚いていた。
 ローンダミスはその後の宮廷会議の件については何も話さなかった。それは国家機密に属するもので、例え夫婦の間でも軽々しく口には出来ない。
 そんな生真面目な夫をラヴェルナは幼い少女のような笑顔で見詰めていた。
「そうね、これでやっと不相応な重責から逃れる事が出来ましたもの」
 氷の魔女、と渾名される女がこれ程までに柔らかい物腰で悪戯気に喋るなど、誰が想像する事が出来るだろうか、とローンダミスは愚にも付かない事を考える。
 そしてラヴェルナは真っ直ぐにローンダミスの目を見詰めて、涼やかな声で続けた。
「これで少しは動きやすくなりました。火球の術を放つだけが魔術ではない事を、魔術を弄ぶ輩に教えてあげましょう」
 ローンダミスが驚いたような表情をした。
 この石の彫像と渾名される男をここまで驚かせる事が出来るのはラヴェルナだけだろう。
「まさか・・・お前・・・なるほどな」
 近衛騎士隊長は一瞬驚いたものの、次の瞬間に思い当たる事に気が付いたのか、ニヤリ、と微笑を浮かべる。
 ラヴェルナは微笑を浮かべて曖昧な表情をみせた。
「あとは御想像にお任せしますわ」
 艶然と微笑を浮かべるラヴェルナを見詰めながら、ローンダミスはこれから起こる出来事を想像する。
 明日からは忙しくなりそうだな、と心の中で呟いた。
 だが、今夜は何も考えずに二人だけの時間を楽しむのも悪くは無い。
 召使達には休暇を出してある。
 久しぶりに二人だけの時間を過ごせそうだった。
 やがてどちらとも無く立ち上がり、そして二つの影はそっと寄り添いあっていった。

 ロマール新貴族派がファールヴァルト製の物よりは劣るとはいえ、ナイトフレームを独自開発、生産に成功したという情報は周辺各国を激しく揺るがしていた。
 とはいえ、ファールヴァルトの軍部自身はそれほど動揺していない。ロマールが独自に生産しているナイトフレームは、様々な情報分析の結果、イントルーダよりも数段劣る性能しか持っていないことが判明したためである。
 彼らにとっては代替機のない貴重品かもしれないが、ファールヴァルトにとっては一般用の量産機である。
 そして、その技術的なアドバンテージは幾らでもあるのだ。
 だが、決してファールヴァルト軍の中枢は相手を見くびる事はしていない。既に対策を始めていた。
 それに対して完全に浮き足立っているのがロマール大貴族派だった。
 自分達の最大の戦力であるホムンクルス兵で倒せない敵であるナイトフレームを駆使して、トラトンによる機動部隊をも殲滅された事から兵力の展開能力を大幅に奪われて、戦略的な展開を維持する事が難しくなりつつあったのだ。
 予想と異なり、ナイトフレームと輸送飛空艦を奪われたファールヴァルト軍は新貴族派に対して厳しい対応をとらずに、むしろ黙認するような動きすら見せていた事から、大貴族派の中にはあらかじめ新貴族派とファールヴァルトとの間に何らかの密約が交わされていたのではないか、という疑いが蔓延していたのだ。
 既に半数以上の拠点を奪い返されて、事実上、王都ロマールとホムンクルス兵士などの生産拠点であるエナ砦だけが彼らの重要拠点だけとなっていた。
 アロンドはルキアルと極秘の会談を重ねている。
 それは如何にして今の状況を覆し、そしてこのロマールの混乱を収集させるか、という内容だった。
 既に物流が滞っているために各地で物価が急速に上がり始めている。
 この中原の要所が混乱を続ける事で各国が物流や商業の迂回路を構築して、せっかく内戦を終えたとしても嘗ての繁栄を取り戻せなくなるのでは意味が無いのだ。
 戦力的にはまだ不安が残るものの、早期に決着を付ける事が望ましかった。
「して、ルキアル卿にはオーファンに飛んでもらいたい」
 アロンドは自分の祖父ほども年齢の離れた男に向かって堂々と言葉を言い放っていた。
 ルキアルは何故、自分をオーファンに向かわせようとしているのか、その理由には気が付いていた。だが、あえて知らない振りをしてアロンドに尋ね返す。
「私めにオーファンに出向け、とのお言葉ですか?」
「その通りだ。かの国では対ファンドリア戦に我が国と同じようにナイトフレームを独自開発しようという動きがあると聞いている。手土産はバルゼットの基本的な技術供与でよいだろう」
 ルキアルの目が面白い話を聞いた、という風にかすかに開かれる。
 それに気付かない振りをして、アロンドは話を進めた。
「卿も考えておられるようだが、我が国には戦後の処理として私をロマールの正当統治者として承認される必要がある。そして、同時にオーファンと同盟関係を結べば彼の国もファンドリアに対する有力なカードを得られるのと同時に我々も大貴族派に対する切り札を一枚増やす事が出来る」
 ルキアルがその言葉を引き継いだ。
「仰せの通り。そしてそれは同時に北の国とオーファンの離反を誘い、そしてオーファンもまた西部諸国やファールヴァルトに対しての正当な立場を見失う事になる」
 アロンドは不敵な笑みを浮かべてルキアルを見詰めた。
 その顔を見て、本当にアロンド殿下は王としての素質を目覚めさせつつある、とルキアルは感慨深げに頭を下げた。
 それにしてもこの役目にわざわざルキアルをオーファンに向かわせるとは、とんでもない人使いをする。ルキアル自身、彼の国の妾腹の王子を利用して叛乱を起こさせてオーファン転覆を図ったり、ロマールとファンドリアを結びつけてオーファンに対抗させようとした人物だ。
 そんな人間からナイトフレームの技術供与をちらつかせて同盟を結びたい、と切り出されたときのオーファンの反応が今から楽しみになってくる。
「さあ、これからどのように駒が動くか、楽しみになってきた」
 アロンドはすっと立ち上がり、そして部屋から退出した。ルキアルはわざわざ屋敷の玄関口まで出向いて若い王子を見送る。この偏屈者にこれ程の礼儀をさせるとは、この王子はとんでもない名君に化ける可能性がある、と彼の成長に楽しみを覚えていた。
(願わくば、この儂が生きている間にアロンド陛下の御活躍を見たいものよ・・・)
 そう心の中で呟いた。
 
 
 

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