~ 4 ~

 眞は密林の奥に向かって一人で進んでいた。
 “獣王”とやらが何者なのかは知らないが、その獣王の承認を得て獣の部族を率いる資格がある者だとの証を立てなければならないのだ。
 この試練を乗り越えなければ獣の部族との同盟は成立できない。そうなれば国力で圧倒的に劣るファールヴァルトが周辺諸国に飲み込まれてしまう危険性があった。それは面白くない結果を招いてしまう。
 だが、獣の民と同盟関係を結ぶことが出来れば戦争になったとしても容易く負けることは無い。
 そう考えたからこそ、ダーレイを通じて同盟を申し出たのだが、いざ調印の段階になって集落の若者達からの反発が出たのだ。
 恐らく眞が余りにも若すぎることから、感情的に受け入れられなかったのだろう。
 剣で打ち負かされても、彼らは納得しなかったのだ。
 困り果てた族長が眞に“試練”を果たして、同盟者に足る人物であることを証明して欲しい、との依頼を行ってきたのだ。
 獣の部族の長老達も、このままでは大国同士の勢力拡大の勢いに飲み込まれて滅亡を迎えることになると考えていたため、眞が試練を果たすことに部族の未来を託す願いを込めていたのである。

『獣王陛下はこの森の全てを束ねらておられる偉大なる存在でございます』
 老婆の畏れに満ちた声が蘇る。
 それが何なのかは遂に教えてはもらえなかったが、人知を越えた存在であることに間違いは無かった。
 獣の王がどんな存在なのか興味があった。恐怖は感じていない。
 あの誇り高き獣人の部族が崇拝する存在だ。邪悪な存在ではないだろうと考えていたのだ。
 全てが一か八かの賭けの様な連続なのは仕方が無いだろう。
 ファールヴァルトにも眞たちにも、余裕を持って計画を立てられるような余裕など何処にも無い。辛うじて薬草の輸出で財を得て、食料などを買い付けることに成功したものの、国力を伸ばすには数十年単位での施策が必要になる。
 そして数の劣勢を覆すために魔法騎士団の編成を行っているのも、物量戦に持ち込まれれば敗北は必須であるとの切実な理由からであった。
 反則に等しい戦い方ではあるが、魔法と剣を連携させて、空からの攻撃を行うことで地上に縛られている敵軍を一方的に攻撃できるのだ。
 そして同時にロマール式の歩兵部隊を整備して、陸上戦力でも十分に戦える部隊を編成しつつある。
 だが、それでもまだ足りないのだ。
 それ故に魔法兵団をも編成している。純粋に魔術師のみで編成された、魔法を使った戦いを行う戦闘集団だった。
 実際問題として、アノスの暴走した騎士団との紛争ではファールヴァルト軍は自力で勝利を得ていた。しかし、ほぼ無傷で勝利したという栄光の裏側は、文字通り薄氷を踏むようなギリギリの戦いを余儀なくされていたのだ。
 ファールヴァルト軍の魔法騎士団が魔術を使いこなして、しかも有翼の幻獣を騎馬とすることで空中からの攻撃をしてアノス騎士団を撃破した、という話は既にアレクラスト大陸中に広がっている。次に何処かの国との戦争に巻き込まれれば前回のような圧倒的な勝利とはならないだろう。
 その為、とにかく軍として、国としての地力を充実させる必要があるのだ。
 だが獣の民としても、ファールヴァルトがアノスに勝利したことで、その圧力に屈したと受け取られるのは避けたかった。
 外交の駆け引きである。
 しかし、眞が獣王の承認を得て証を立てた場合、それは獣の民にとっても文句の付けようの無い完璧な条件になる。
 ダーレイは眞を見て、獣王に証を与えられる可能性はある、と信じていた。
 
 夜の森は昼間とはまるで異なった姿を見せる。
 その何処までも続く闇の迷宮の奥から何か人知を越えた何者かがじっとこちらを見ているような気がするのは、人が本能的に抱いてしまう恐怖ゆえだろうか。
 かつて、ユーミーリアでは人を始めとする哺乳類は恐竜とほぼ同じ時期に地球上に生まれていたと考えられている。
 しかしその生存競争の最初の段階で既に、圧倒的な違いがあったのだ。
 最も原始的な哺乳類であったアデロバシレウスは、今でもカモノハシがそうである様に卵を産んでそれを母乳で育てるという、未だに爬虫類などの特徴を多く残した生物だった。唯一の大きな違いは、恒温性の動物であり、日光などによって身体を温めなくても活発に動くことが出来た、という点であったと考えられている。
 しかし、同時期に生まれた恐竜はその哺乳類をも遥かに凌ぐ恐るべき完成度の高い肉体構造を持った生物だった。
 アデロバシレウスと同時期に生存していたコエロフィシスという、最も初期的な恐竜でさえ、直立二本足歩行をし、走る動きと上半身の動きを完全に切り分けた途轍もない敏捷性を持った生物だったのだ。当時の哺乳類は現在の爬虫類と同様に、前足と後ろ足が身体の側面から生えているような姿をしていた。つまり、その頃の哺乳類は動作が鈍く、身体も小さかったために恐竜や大型の爬虫類の餌にしかならないような存在だったのだ。
 その頃の本能的な恐怖が夜の闇を恐れさせるのだろう。
 事実、その頃からの生活の名残である夜行性の特徴は今の哺乳類に色濃く残っている。耳は夜の暗闇の中で確実に餌となる昆虫類を捕らえるために進化して、非常に小さな音でも聞き取ることが出来、尚且つ大きく耳を動かすことで指向性マイクのように着実に狙った音を聞き取ることが出来る。そして、霊長類の一部を除いては哺乳類は色を識別できない。
 これは夜の闇の中において受光性能を追求して進歩した結果だと考えられていた。
 だから、その末裔である人間が夜の闇を恐怖するのは至極当然のことなんだろうな、と眞は愚にもつかない事を考えていた。
 だが、眞は己の魔力によって透視の力とそれに伴う暗視の能力を手に入れている。
 強大な魔力を持ち、そして闇をものともしない存在である眞は、既に一歩抜きん出た存在となっているのかもしれない。
 その張本人はどこかのんびりとしながら夜の森に思いを馳せていた。
 眞はふとコスタリカの熱帯雨林を思い出す。
 辛い記憶は決して消えることはない。だが、今の眞はそれに囚われて絶望に心を沈めてしまうこともなかった。
 哀しいとは思う。自分が出会うことの出来た太陽のような少女の事を忘れることではなく、その失ってしまった心の痛みが何時の間にか薄れてしまっていることがその傷の痛みよりも辛いことではあった。
 それでも、自分は生きなくてはならないのだ。
 自分には護らなくてはならない人達がいる。
 そして、記憶の中で未だに笑顔を向けてくれている少女の最後の言葉が、ともすれば絶望の中に心地良いまどろみを求めようとしてしまう少年の心を叱咤していた。
『マドカ・・・生きて・・・そして私に・・・貴方の好きな貴方の国を見せて・・・いつか・・・』
 永遠に叶えることが出来なくなってしまったちっぽけな約束。
 そんな少年と少女の他愛もない約束を踏みにじった者達が許せなかった。
『どいつもこいつも、てめえの奇麗事だけで人の命を踏みにじりやがって・・・だったら、俺がお前達を踏みにじってやるよ、手前らがやったみたいに!』
 その愚かな男の恐怖に歪んだ顔は絶対に忘れない。
 部下を、仲間を文字通り一方的に消滅させられ、そして自分の及ばない力が残酷な破滅の運命を与えようとしていることで、男は泣き叫んでいた。
 怒りに心を満たしてしまった眞は、そのまま愚かなゲリラのリーダーを生きたまま時限の断裂の中に放り込もうとしていた。
<今の俺なら出来る・・・>
 使ったことのない異様な力は眞の心に狂おしいまでの復讐の炎を掻き立ててくる。
 ミシリ・・・
 異様な音が響いたような気がした。
 眞を中心に世界が真紅に染まっていく。
 少年から発されている力が、重力すら捻じ曲げて時空を歪ませていたのだ。
 もちろん、男にはそんなことを理解することなど出来なかった。
 判っていたのは、自分が想像すら出来ない怖ろしい目に遭わされようとしている事だけだった。尤も、それが何故そんな目に遭わされようとしているのか、という根本的な理由はわかっていなかったのだが。
 そして男は信じられないものを見ていた。
 その少年の放つ異様な力に耐えかねたかのように、空間が砕けて引き裂かれていく。まるでガラスボトルの中に閉じ込められた景色が瓶もろとも叩き斬られたかのように、砕けて切断された景色が上下にずれていく。
 少年が右手を構えていた。
 左手を右手首に添えて、そして大きく振りかぶっていく。
 本能的に自分に破滅が訪れようとしていることを感じ取っていた。
 小便を撒き散らして、涙と鼻水でどろどろになった顔で狂ったように懇願し続ける。だが、少年の目は冷たく彼を見下ろしていた。
 どんな冷酷な暗殺者でも、麻薬シンジケートの人間でも出来ない冷たい眼差し。
 少年が頭上で構えた手に握り締められた空間の亀裂の向こうで何かが動いていた。
 狂ったように男はただ只管に手足を動かそうとする。
 だが、何かに押さえつけられたように男の手も脚もピクリとすら動かなかった。
「I will through you into the gap of dimensions...(テメェを次元の断裂の中に放り込んでやる・・・)」
 何を言われたのか理解は出来なかっただろう。
 男は英語を理解できなかったし、それ以上に少年が何をしようとしているのか判らなかった。
 少年が腕を振り下ろそうとした瞬間、凛とした声が響いた。
「マドカ、ダメっ!」
 脇腹から血を流し、脂汗を浮かべた少女が必死に立ち上がって少年を止めていた。
 黄金の髪の少年が表情を変えて少女に駆け寄る。
「エス! 大丈夫なの・・・?」
 だが、少年は判っていた。もはや少女を救う術は無い事を。
 彼の力は次元を引き裂くことすら出来る。だが、少女の傷を癒すことは出来なかった。もし、近くの町へ向かうために次元の断裂を生み出したとしても、少女の体力と傷の様子ではそんな無茶な移動に耐えられない。
 だが、少女は笑顔を浮かべて少年を見詰めていた。
「マドカ・・・貴方のその力は、人に復讐をするために使ってはいけないわ・・・」
 そっと少年は傷ついた少女を抱きしめる。
「ねえ、貴方は素晴らしい人なの・・・私には判る・・・だから、絶望と復讐に心を満たしてしまわないで・・・いつも綺麗な貴方の目を見ていたいから・・・」
 エスペランサは力を失ったように、膝をがっくりと落とす。
 それでも、少女は笑顔を絶やさなかった。
「マドカ・・・あたしも見てみたいな・・・貴方の生まれた国を・・・」
 そして、少女は逝ってしまった。一瞬だけ、幼い愛情で心の繋がった少年の腕の中で・・・。
 生きるように、と訴えながら。

 眞はその瞬間に我に返っていた。
 まずいっ!
 慌てて自分の力を押さえ込んだ。
 全身に冷や汗をかいてしまう。眞の体を包むように発動していた黄金の輝きは、まるで竜がのたうつようにその秘めた力を解き放とうとしていた。
 心を沈めて力の発動を止める。
 燃え上がる炎のような勢いで吹き上がっていた黄金の光はその勢いを徐々に弱めて、やがて眞の身体を薄らと覆う程度に収まっていく。
(ヤバかったな・・・)
 我に返るのがあと一瞬遅ければ、この山脈が消えてなくなるところだった。
(まだまだ力の制御なんて出来ないぜ・・・)
 一体誰がそうしたのか、眞にこんな碌でもない力を残した自分の先祖に恨み言を言いたくなる。
 そして突如として吹き荒れていた怖ろしい力の嵐に混乱して怯えきった森の生き物達に謝る。
(ごめんよ、驚かしてさ。俺が未熟だから・・・)
 その瞬間に、眞の頭の中に声が響いてきた。
『全くだ。自分の力を忘れて怒りに心を揺さぶられてしまうとはな・・・』
 反射的に振り返った眞は、其処に一頭の巨大な狼が佇んでいるのを見ていた。
 眞が振り向いたのを見て、その巨大な銀狼は驚いたような思念を送ってくる。
『ほう・・・我の送りし念を読んで、我のいる場所を見切るか・・・』
 楽しげな様子で念話を続けてきた。
 ひょっとして・・・
 眞の心に沸き起こった疑問に答えるように、その銀狼が思念を送り返してきた。
『その通り・・・我が獣王・・・より正しくは、我は獣王と呼ばれし者の一つ・・・』

 獣王の証を得た眞を見て、長老達は久しく感じなかった激しい興奮と高揚が心を満たしているのを実感していた。
「これで皆も納得したことじゃろう・・・。獣王の証を得た者は我らが部族を率いる者だ。その者が王国の騎士ならば我らは王国に従えばよい」
 その言葉を聞いても、もはや部族の若者達は返す言葉もなかった。
 獣王の証を得た者は獣の力を統べる者となる。
 今の眞はあらゆる獣の姿に変身することが出来、そしてその能力を発揮することが出来るだろう。
 獣の民は母親の腹にいるときに獣憑きiライカンスロープjに感染し、その胎にいるときに母親から得られる獣憑きを制御する因子を受け継ぐのだ。
 しかし、眞のように獣王の証を得た者は、その証によってあらゆる獣の力を発現する。
 それは彼ら獣人の力の根源なのだと伝えられていた。
 小麦色の肌をした黒髪の少女は心臓が爆発しそうな勢いで鼓動をしているのを感じて、激しく動揺してしまう。
 本当に成功させてしまうとは・・・
 兄のダーレイも激しく興奮して父親と大酒を飲みながら男達と話し込んでいる。
 族長からは、もし眞が無事に獣王の証を得て帰ってきたならば、部族として彼に従うことを示すために集落の娘を嫁がせるという話を聞かされていた。
 そしてティエラがその筆頭候補なのだ。
 尤も、すんなりと決まりそうにもない。
 当然ながら、何人かの集落の有力者の縁者にも年頃の娘が幾人もいる。獣王の証を得たものと血の繋がりを持つことが出来れば部族の中でも抜きん出た力を持てるだろう。そして、それがこれから融合しようという王国の貴族なら、新しい生活においても有力な一門になるだろう。
 そんな下心が様々な動きとなって、慌しく集落を揺さぶっているのだ。
 本当に、自分が選ばれるのだろうか・・・
 不安が募ってくる。
 それに、あの眞と共に現れた異世界の乙女達。
 美貌の魔女に加えて、この王国の姫様。
 眞を必要として、そして想いを抱いているものは何人もいる。
 族長からはティエラがこの部族から選ばれたものとして嫁ぐに相応しいと言われていたし、星読みの巫女長である老婆も彼女がその運命にあることを告げていた。
 それでも不安は募るのだ。
 獣の民の少女は燃える炎の揺らめきを見詰めていた。その心は瞳が映し出す炎のように激しく揺らいでいたのである。

「ははははは、はいぃぃぃぃぃ?????」
 ルエラがこんな間抜けな表情で驚くこともあるんだな、と眞は見当違いな事を考えていた。
 王国の騎士達も困った表情でお互いに視線を向け合っている。
 王宮では王女ユーフェミアが異世界の魔法騎士に熱を上げている、というのは誰でも知っている事実だった。その張本人だけが誰にも気付かれていない、と思っているのだが。
 もう一人知らない人間は、その想いを向けられている本人だけだ。
 今は忙しすぎてそんな余裕も何もないのだろう。
 まあ、いずれは時間が解決してくれるとのんびり構えていたところ、獣の部族から同盟関係を確実なものにするために、と縁談が持ち上がったのである。
 とはいえ、王国の騎士たちは納得した表情で頷いている。
 少なくともファールヴァルトでは大きな問題にはならないだろう。というのも、ファールヴァルトやその周辺の部族では一夫多妻制の婚姻制度をしているので、複数の妻を持つのは珍しいことではない。
 現に、今の国王にも二人の妻がいる。
 一人は王女ユーフェミアの母親で、もう一人は皇太子ロイドの母親だ。だが、幼い王子は病で命を落とし、そしてその母親は悲しみの余りに城の奥に篭ってしまったのだ。
 この騎士たちの中にも二人、三人の妻を持つものもいることから、この申し出に関しても序列の調整だけで済むだろうと考えていたのだ。
 眞は・・・何も考えていなかった。
 当たり前の話で、現代の少年でしかない十五歳の高校生が妻を娶るだの、その序列がどうのと言われても何のアイデアさえも浮かんでこない。
 今、王城では眞が入手した莫大な財宝と購入してきた食料を国民に配分するために官僚達や文官達は目も眩むような忙しさの仕事に追われている。
 何せ、眞が魔法の薬と毒草を加工して作り出した香草茶、香辛料などを元手に得てきた財は、優にファールヴァルトの国家予算の数十年分を超えるほどのものだった。その上で買い付けてきた食料は、既に王城の倉庫にすら収まりきらずに大急ぎで食料庫を増築している最中だ。眞が買い付けた食料は、まだ届いていない分がこの数倍以上もあるのだから・・・
 国民にそれを配分するために荷馬車や牛車をフル稼働させている状況で、文官や貴族達は王女の婚姻問題はとりあえず脇におかれていた。妙齢の王女が病に倒れた王の代わりに国政の采配を振るっているのは問題である。
 生活に余裕が出てきたら必ず世継ぎの問題は出てくると考えてもよかった。
 既に複数の貴族達の間では、この財を齎した異世界の魔法騎士に白羽の矢を立てていたのだ。
 理由は幾つかある。
 第一に、これだけの財を得られるだけの才覚を持った人材が、この国から出てしまうことを恐れたのがある。そして、ユーフェミア王女が眞を気に入っていることも大きな理由だった。
 聞けば眞は彼が元いた国の皇族とも縁のある人物で、為政者の孫息子だという。
 相手として不足はない。
 王女は自分の想いに誰も気付いていない、と考えているようだったが宮廷中の誰もが知っている事実だった。
 もっとも、それは目の前で固まってしまった女魔術師にしても同様で、彼女が眞に並々ならぬ関心を抱いているのは同じように宮廷雀達の噂だった。
 オラン出身の彼女にとって、一夫多妻の婚姻制度は馴染みがない。だからこそ、いきなりの縁談の申し出が眞に出されたことで凍り付いてしまったのだ。
 完全に混乱してしまったルエラを見て、この交渉を担当する壮年の騎士隊長は優しく笑って言葉を引き取る。
「この件に尽きましては私共の一存で返答できる内容ではございません。王城に帰ってから改めて国王より返事を持参しますので、それで宜しいでしょうか?」
 当たり前のことだ。
 同盟に関しての婚姻という重大な政治的案件はこの交渉団の判断できる権限を遥かに超えた議案なのである。
「構いませぬ。出来れは良い回答を早めにいただけると助かりますが」
 長老が笑顔を浮かべながら答えて、そしてこの件に関しては置かれることとなった。
 ティエラは同じ年頃の数人の少女達と共に族長と長達の前に座っていた。
 お互いにちらちらと視線を向け合って、複雑そうな表情を浮かべていた。無理もないと思う。
 今は同盟相手の貴族に嫁がせる相手を選ぶための会議を開いているのだから。
 その相手に選ばれれば、これ程の名誉はない。その一門が手に入れることの出来る権力も途方もないものとなるだろう。
 そうした事情から、部族の中の有力者達が自分の娘を、と推薦してきているのだ。
 権力や富には余り興味のないティエラにとって、そうした取引材料のような婚姻は嫌悪の対象でしかない。自分が眞の元に嫁ぎたいと願うのは、彼の純粋な優しさと強さ、そして激しい苦悩を知っているからこそ、一緒になりたいという感情が沸いてくるのだ。
 そして困惑した表情を浮かべている一人の少女を見ていた。
 彼女はティエラの友人で、良く一緒に出かける娘だ。そして彼女には想いを寄せている若者がいることを知っていた。
 その青年は今、気持ちを抑えながらこの会議の行方を見守っていることだろう。
 彼女はその青年もその娘に想いを抱いていることを知っているのだ。
『なぁに、心配はいらねぇ』
 兄の明るい言葉が脳裏に響いた。
 少なくともファールヴァルト政府に対するカウンターパートはダーレイを中心とした交渉団だ。
 元はといえば眞とダーレイが中心となってこの話を進め始めたことから、彼らを中心とした交渉となる。それに、ファールヴァルト自身は独力であの大陸最強の騎士団の一つを擁する神聖王国アノスを紛争にて撃破している。
 交渉においては武力の劣勢で獣の民に同盟を請うているわけではない、という強みがあるのだ。
「ダーレイ、そちらの状況を聞かせてみよ」
 長の一人が若者に言葉を促す。
 ダーレイは恭しく起立して言葉を促した長に一礼をし、現在の進捗を説明し始めた。
「王国側の話ですが、かの国の王女と異世界の魔法騎士との間にも縁談が進んで調整中であるとの話です。皆も承知のように、かの国は一人の男が複数の妻を娶ることは当たり前ですので、我が部族から后の一人を推挙するのは問題にはなりません。ですが、かの国の文官の一人より、くれぐれも恙無iつつがなjい縁談となるように、との伝言を受けております」
 それは同盟の成立と同時に眞と王女の婚約の成立を公表する、という予定があるとの話であり、それと同時に獣の民からの妻も同時に輿入りするという発表がなされるということを意味していた。
 そして、これに関連して醜聞が起こる事を警戒しているという意味でもある。
「あと、部族から嫁ぐ先の異世界の魔法騎士からの言葉です」
 部屋の中に緊張が高まった。
 張り詰めたような空気が全員を包み込み、部屋の雰囲気が重さを増す。ティエラは驚いていた。
 既に眞の一挙手一投足がこれ程までに部族に対して影響を及ぼすほどになっているのだ。
 実際、交渉が決裂した場合、最悪のケースではファールヴァルトと獣の部族の間で戦が起こるかもしれない。そして、兄のダーレイはもしそうなったら、獣の部族に勝ち目はない、と語っていた。
 彼らには魔法という恐るべき力がある。そして、遊撃部隊としても特殊遊撃兵団である<夜魔騎士団iナイト・ゴーンツj>がいる。この特殊遊撃兵たちは野武士としての技能にも優れ、精霊魔法をも使いこなす連中だ。
 苦戦は免れないだろう。
 その上で、ファールヴァルトの魔法騎士団や魔法兵士団は失われた古の魔術を使いこなしてくる。
 遊撃兵による攪乱に加えて、魔法による暗殺者や魔法生物を仕向けられたら、部族は一方的に防戦に追いやられるだろう。そうなったら各個撃破されるだけだ。
 ダーレイはあの魔法騎士の恐ろしさを肌身でよく知っている。
「“気に入らない女だったら送り返すぜ。それと、女を泣かせて平然としている奴は今のうちに考え方を変えておけ”、との事です」
 その無礼とも言える言葉に全員が緊張した。
 だが、それを言うだけの力と実績が彼には既にある。
 族長は無言で頷いてダーレイを座らせた。
「皆も聞いての通り、あの御仁は少々気難しいところがある。故に、この推挙に関してはいささかも間違いがないように進めねばならない」
 そして座っている娘達を見回した。
「この場にいるもので、自ら望んでこの婚姻に名を連ねたいと思う者は起立するがよい」
 ティエラはその言葉を聞いて迷わずに起立する。
 もう一人の勝気そうな少女も立ち上がった。
 だが・・・
「ど、どうして立たないのだ!」
 二人の少女は床に座ったままじっと俯いている。
 ティエラは二人とも、それぞれ想い人がいることを知っていた。一人はティエラの友人であり、もう一人も知った少女だった。
 正直なところ、ほっとする。
「・・・お父様、申し訳ありません。・・・私はこの縁談にて嫁ぐことは出来ません・・・」
 顔を覆って涙を零す少女に、長老は優しい声をかけた。
「うむ。ならばその者の所に行くがよい・・・」
「何故だっ!、お前が嫁げば、我が一門は・・・」
 その言葉を長老が遮る。
「かの魔法騎士の言葉、忘れてはおるまいな。あの御仁、武の業のみならず古の魔術をも使いこなす。偽った心など、容易く見抜いてしまうじゃろう」
 まだ十五の少年とは思えないほど、あの少年は人の心を読んで、世界の裏を見抜いてしまう。
 気持ちを偽ってその娘が嫁いだとしても、一目でそれを見抜かれるだろう。まかり間違えばそのまま同盟破棄、と通告されかねない。
 それだけの力と強さをあの少年は持っている。
 それを諭され、長の一人はがっくりと項垂れた。
 とはいえ、ダーレイはその後のことも心配はしていない。眞との話で、獣の部族から戦士団を率いてファールヴァルト軍に参加することが決まっている。その中から何人かは魔法騎士団や銀の剣騎士団に入団することになるだろう。
 近衛騎士隊の一つである幻像魔術騎士団に入団できれば、それだけで貴族への入り口に立てるのだ。
 眞に頼んで無理に入れてもらうことは出来ないが、少なくとも候補生としてその修行の場に立つように推薦はしてやれる。
 あとは本人の努力で成功を収めれば、その二人の繋がりに反対するものはいないだろう。
 慌しく一礼をして飛び出していく少女達の姿を、長老は優しく見つめていた。
 残った少女のことは、ティエラも良く知っていた。
 ただ、仲がいいとはお世辞にもいえない関係だ。
 部族の中でも中々の器量良しの娘だと評判だった。性格も、まあ、勝気な面が強いが決して悪くはない。不安が胸に込み上げてきた。
 眞に嫁ぐものとして選ばれることが出来るだろうか。
「さて、残った二人から選ばねばならん・・・」
 重々しい口調で長老が全員に宣言した。
 ティエラははっとして長老の顔を見詰める。
「くれぐれも心するように・・・。かの御仁は獣王の証を得た者。その魂に相応しき心の持ち主であることを示さなければならん・・・」
 二人に緊張が走った。
 それは当然といえるだろう。
 数百年もの間、一人も成功しなかった獣王の証を得るという試練を果たした男に相応しい女であることを示せ、というのだ。どれ程の試練になるのか、想像すら出来ない。
 部族の未来のために、あの少年は自らの魂をも晒して試練に望んだのだ。
 集落の若者が反発しなければ、あるいはそのような危険を冒す必要もなかったかだろう。そして、その反発が出たときも、それを拒否して強引に武力を背景に同盟を結ぶことも不可能ではなかったかもしれない。
 軍事力で戦い、そして獣の部族を征服しても、獣の部族を支配下に置けたのだ。
 だが、彼はそれを望まなかった。
 武力で討ち破って支配したとしても、誇り高き獣の部族は自らを打ち破った者に服従を誓えば、その命に従って動くだろう。しかし、それでは獣の民の心を掴むことは出来ない。
 眞や眞を支持するファールヴァルトはそれよりも、魂の同盟を望んでいたのだ。
 その強い意志、そして眞を信じて任せることが出来なければそのような危険に立ち向かわせることは出来なかっただろう。
 獣の部族はその信頼に応えなければならない。
 部族がバラバラになる危険な状況を覆して、一つに纏めるために獣王の証を得たのだ。
 どうしてだろう。
 眞は何時も、自分が一番危険な役目を担おうとするように思えてならない。
 それが失敗すれば破滅に繋がる、そんな事に臆する事無く、ただまっすぐな眼差しで立ち向かっていくのだ。
 彼女の目にはそれが哀しく映っていた。
 どうして、そんなに自分を責めるのだろう・・・
 まるで贖罪を祈る司祭のように、自分を傷つけるように過酷な試練を自らに課し続ける眞の姿が何よりも哀しかった。
「お前達のいずれかにその資格があるか、試練を果たしてもらわねばならない」
 重い口調で族長が告げる。
 誰かが息を呑む音が大きく響いたような気がした。
「獣王の祠に赴いて『女王の証』を示すのだ」
 その言葉の意味を理解できず、そしてその内容を理解した瞬間に全身から血の気が引いていった。
 隣に座る少女を見ると、真っ青になった顔で族長の顔を見詰めていた。
 その場にいる全員がざわざわと言葉を交し合う。
 まさか、族長が娘の挑む試練にこれ程にまで過酷な試練を求めるとは想像もしていなかったに違いない。
 だが、部族の結束が乱れそうだという理由で獣王の証を得るという、途轍もない試練を望んだ以上、それに匹敵する試練を果たしたものを選ばなければファールヴァルトに対して同等の相手になり得なくなってしまうのだ。
「恐れるならば、此処から退出しても良い・・・」
 族長の言葉は重い響きを帯びていた。
 二人の娘は俯いたままじっと考え込んで、そして顔を上げた。
「・・・私は・・・その試練には望めません・・・」
 その少女の言葉に、父親である部族の長の一人は苦渋の表情で頷いた。自らの娘がそんな怖ろしい試練に望まなければならない、というのは耐えられなかった。
 憎々しげに族長を見詰める。
 族長はその視線を無視して、ティエラに問いかけるような眼差しを向けていた。
 もしティエアが退いた場合、二人とも資格は失われて同盟の証としてのこの婚姻は白紙になる。同盟自体は発効されるため問題ではないが、このままでは獣の部族はファールヴァルト王国に一方的に屈することになってしまうのだ。
 政治的には一番無難な決着である。
 部族の中に勝ち負けを作らない利口な選択であり、大人の落とし所だった。
 だが・・・
「私は挑みます」
 ティエラはそう答えていた。
 怒りと怯えの混じった目で、少女がティエラを睨みつけているのを感じながら、彼女はじっと族長の顔を見詰めていた。
 集落の男達も息を呑んで少女の横顔を見詰めている。
「良いのか・・・? 失敗したら、まかり間違えば命が無いのじゃぞ・・・」
「知っています。ですが、眞は私達の部族のために命を賭けて試練を果たしてくれました。彼の勇気と偉大なる成功がなければ、部族はばらばらに分裂して、外国の勢力に吸収されていたでしょう。私達の勝手な都合でそのような危険に挑ませて、私が試練を果たさねば、眞にとって我らは必要の無い同盟相手となってしまうでしょう・・・」
 もし、自分達が同盟を結ぶに値しない存在であれば、あれだけの試練を果たした眞の努力が水の泡と化す。
 そんな事は許されなかった。
 眞が獣の部族にとって従うに値する男であることを証明した以上、ティエラは獣の部族が眞にとって同盟を結ぶに値する存在であることを示さなくてはならない。
 そして、ティエラは眞の心に触れていたかった。
 あの悲しみの眼差しを包み込んで、たとえ傷ついても帰ってくる場所がある、そんな存在になりたかったのだ。
「よかろう。ならば試練を果たして、獣王の証を得たものに相応しい伴侶たることを証明するが良い」
 優しい祖父の表情ではなく、部族を率いる族長の声でティエラに命じていた。
 
 
 

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