~ 2 ~

 クロスノー山脈の森は深い。
 その森の中には様々な命が躍動していた。
 人が踏破したことの無い深い森の奥には、未だに人の知られていない領域が幾らでもある。
 そんな森の中を幾人かの黒い影が風のように走り抜けていく。
 子供のように小柄で華奢な姿をしていた。
 その耳はまるで笹の葉のように細長く、人目で妖精だと判った。だが、その肌は漆黒のそれだった。
 ダークエルフ。
 光の神々の召還に応じて光のために戦ったエルフと異なり、闇の神々の召還に応じた闇の妖精。
 彼らは森のもつ闇の属性を司るものとして知られている。
 その数人のダークエルフを率いる男は、人間で言うならばまだ若い青年のような容貌をしていた。だが、寿命というものを持たないダークエルフは見た目で年齢を判別できない。
 少し耳を済ませて、そしておもむろに口を開いた。
「あの人間達は何処に向かうかな?」
 普通のダークエルフの話す濁って皺がれた不快な言葉ではなく、夜の森のように深く静かな声だった。
「さあ? 人間はあの街がすでに帰るべきではないと知っているはず。ならば新しい場所を求めて去って行ったのでは?」
 少女の声が応えた。
「では、もしあの人間どもが新たな人間の軍勢を連れてきたらどうする?」
 別の声が疑問を口にした。
 その疑問に最初の影が静かに答える。
「大丈夫だ。我らが王の力に敵う者などいない・・・」
 
 目も眩むような高く大きな木の根元にその姿はあった。
 その容貌は余りにも美しく、正に神が創り給うた神話の創造物のそれであった。
 漆黒の肌はそれが黒曜石の彫像のように、その美しさを損なう事無く、むしろ、それであるが故にある美しさを際立たせているようである。
 そしてその姿を更に神秘的なものにしているのは、男の全身を覆う黄金の光だった。
 月の光を反射しているのではなく、男自身がその光を発しているのだ。
 それこそが男が神話の時代に神々によって直接創りだされた存在であることを何よりも雄弁に物語っていた。
 その男-妖魔の王は静かに瞑想しながらこの世界の傷ついた森の理に想いを広げていた。
 愚かな人間の自然を省みない暴走によって、この世界の森の営みは大きく損なわれている。彼が人間の魔術師によって封印されてからの千年以上の時間を経て、この世界は大きく衰退していた。
 あの豊かだった魔力iマナjは既に枯渇し始めており、古代の優れた生物たちはほとんど姿を消してしまった。
 その余りの世界の退廃振りに彼は衝撃を受けていたのだ。
『取り戻さなければならない・・・』
 古の魔法の力と偉大なる自然の力に満ちたあの世界を再び取り戻すため、彼は人間どもを駆逐するための戦いを決意していた。
 その手始めにこの森の栄える山脈を自らの支配下に置く必要がある。
 そうして彼は人間の王国に対して精霊の王の力を振るったのだ。
 
 タラント王国滅亡の知らせは西部諸国のみならず近隣の国々を激しく揺さぶっていた。
 命からがら脱出してきた数百人の難民と幼い王子、そしてキャレリン王女を守護してきた十人足らずの騎士に加え、後見人を任せられた貴族。それが生きてタラントを脱出できたタラント王国の名残だった。
 その保護要請に対してベルダイン王ブラウン・ハディスは即座にその要請を認め、ベルダイン内にタラント臨時亡命政府を設立する事を許したのである。
 とはいえ、当の王子と王女を含めて全員がタラント再興が絶望的であることを知っていた。
 生き残りの人間がかつてのタラント領内にどれほどいるのかもわからない。そして話を聞いた限りでは恐らくはタイデル同盟軍を総動員してもその恐るべき精霊使いと対決できるかどうかも怪しかった。
 小さいとはいえ一国を僅か一日で滅ぼしたほどの相手なのだ。
 上位精霊を支配して、その力を自由に振るえるような精霊使いなど、ラムリアースの自然崇拝者iドルイドjの長でもできるかどうか判らない。そんな魔法使いを相手にする実力は、今の西部諸国全ての力をかき集めてもまだ足りないだろう。
 ベルダインの旗騎士にして王女の娘婿であるアクセルロッドは王女達を警護して脱出を誘導してきた冒険者達を見つけて視線で会釈を送った。
 彼の公式の立場では冒険者に対して直接会釈をして礼を述べる事は許されない。そのような事は貴族として、そして騎士としての尊厳を軽んじる事だとして糾弾されるのは目に見えている。
 馬鹿馬鹿しい話だ。
 一国が滅びようとしていた中でその王家の生き残りと難民を連れて脱出を成功させるなど、並の人間にできる事ではない。この国に忠誠を誓う騎士、貴族の中でそのような真似ができる人間は誰一人として存在しないだろう。
 優れた人間に対し、今いる立場と体面だけを考慮してその偉業と払った犠牲に敬意を払う事ができないのは間違っている。そうアクセルロッドは内心で憤りと彼らに対してすまないという贖罪の気持ちに駆られていた。
 その視線に込められた想いをレイは敏感に感じ取って無言で頷く。今はそのような宮廷儀礼や貴族根性について論じているような事態ではない。
 下手をするとこのベルダインにも危険が及ぶ可能性が十分にあるのだ。
 タラントが落ちた以上、その脅威と国境を接するのはベルダインに他ならない。
 まかり間違えばベルダイン一国でそれほどの敵と相対せねばならない可能性すらあるのだ。そんな時にこのような瑣末な問題で混乱を引き起こすのは愚の骨頂だった。
 そしてブラウン王は騎士団に警戒を高めるように命じたのである。

 暗い闇の中でその男は玉座に腰を掛けながら遠い彼方の出来事を見つめていた。
 その金色の瞳は時空すら超えてあらゆるものを映し、彼が見通せないものは存在しない。その魔眼が一人の少年の消滅を見据えていた。
まあ、自分の力の加減を誤るのは、若さ故に仕方の無い事だ・・・
 暗い王の間に響く声は意外なほどの優しさを秘めている。
 それにしてもまだあのような幼い年齢で精霊の王を滅ぼすほどの力を発する事ができるなどとは、流石の彼も驚嘆していた。そのまだ見ぬ才能の真の姿がどれ程なのか、想像するだけでも楽しかった。
それはまだ未熟であるが為のもの、でしょうか?
 別の声が恐る恐る、といった様子で尋ねかける。
 その問いかけに男が応えた。
否。知らぬのだよ。自らが何者なのかを・・・
 黄金の獣の瞳が怪しく輝いて、その問いかけの主を映し出す。その問いの主は異形の者だった。鋭い牙が生え並んだ雄牛のような頭には、何本もの鋭い角があらゆる角度で生えている。そしてその体躯はオーガーさえもかくや、というほどの凄まじい筋肉を纏った逞しい身体だった。
 黒い剛毛が全身を覆い、その手には巨大な鎌が握り締められていた。
我が将アガースよ・・・。あの子は“真実の子”なのだ・・・
 その優しい声の持ち主は、先ほどの問いの主を見つめる。人の倍近い背丈のその偉丈夫は闇の中で面白げに異界の出来事を眺めていた。
それに、物質界ではもう一つの面白い事が起こっている。あの黒い妖精の王が目覚めたのだ・・・
 王の突然の言葉に、玉座の間に集まっていた者たちからざわめきの声が上がった。
あの黒い妖精の王、でございましょうか?
 問いかけの声には畏怖の感情が隠されていた。
 遥かな過去の記憶が呼び起こされる。
 神々が光と闇の陣営に分かれて、己の信じる理想の導く世界を実現するために戦ったあの最終戦争で、彼らと同じく闇の陣営の下で戦ったあの妖魔の王。
 精霊の王を自由自在に使役して光の尖兵たちを滅ぼし、そしてあの最終戦争を共に生き残った妖魔の王がついに目覚めたのだ。
 
 ネオ東京の夏の夜は蒸し暑い。
 地球温暖化のため、気温がかなり上がっているためだと言われているが、正直言って都市の住民にとってはどうでも良い話だった。これでも相当マシになったほうなのだ。
 街を照らす明かりが太陽の日差しから人工の照明に変わって、人々は繁華街に繰り出していた。
 だが、何処にでもある話ではあったが光のある場所には必ず影が出来、その影には光の元に出られない者たちが集まってくる。
 一人の酔っ払いが公園の中に入り込んでいた。
 完全に酔いの回った目であたりをきょろきょろと伺っている。
 どうやら自分が何をしているのかも理解できていないようだった。
 その視界に何か光のようなものが見えることに気付いて、男は千鳥足でその光の方に歩いていった。
 ちらちらと光るそれは、まるで光のノイズのような印象を与えている。
 
 ジジ・・・ジ・・・
 
 腹の底に響くような微かなノイズ音が響いてきた。
「へへ、何だぁ!?」
 アルコールに侵食された男の頭脳にはそれが何を意味するのか理解できなかった。そもそも、ガーディアン・システムから警告のシグナルが発されていないものに対して危険かどうかを察知する能力など男は持ち合わせていない。
 やがてノイズは徐々に強まり、何かの姿を取り始めていた。
 だが男はぼんやりとそれを眺めているだけで身じろぎ一つしていなかった。
 鮮やかな赤い光が巨大な人のような姿をとった時に、初めて男は不安を覚えて大声を上げようと息を吸い込む。しかし、その次の瞬間、人の二倍近い大きさの手が男の顔を鷲掴みに覆った。
 冷たい金属の感触が顔全体に感じられて、男は恐怖に震えあがる。
 熱い液体が男のパンツを濡らしていた。
「や、やめ・・・」
 引き攣るような声で訴えようとした瞬間、その巨大な手は男の頭をぐしゃり、と握り潰した。
 男の肉体がビクン、と跳ねるように動いて、そして力無く手足がだらん、とぶら下がる。
 金属で作られた巨人は座り込んだまま不思議そうに自分の手で掴んだままの男の肉体を見つめていた。しかし、やがてそれに興味を失ったようにポイ、と無造作に投げ捨てる。次の瞬間、その金属の肉体は縮み始め、殺害した男とほぼ同じ大きさに姿を変えた。そして体表が泡のようなものに包まれ、それが驚くほどの速さで人間の皮膚の色に変化していった。
 それだけではなかった。
 見る見るうちに髪が生え、そして全体の造作がより人間らしいものに変化していく。
 数刻も経たないうちにその巨大な金属製のものだったそれは、人間の男性の姿に変わっていった。
目標iターゲットjヲ探サナケレバ・・・」
 一言呟き、その大男は公園を立ち去っていった。

 次の日、街は緊張に包まれていた。
 実に三十年ぶりにこの街で殺人事件が起こったため、人々は不安を隠せないで居るのだ。
 ガーディアン・システムが実用化されてから、少なくともこの街を含む先進国領域では個人的な理由での殺人事件は起こっていなかった。というのも、個人が携帯できるレベルでの火器では防御システムの展開するエネルギー障壁を突き破って相手の肉体にダメージを及ぼすことは出来ないため、必然的に今の時代では争いの解決には話し合いや法による解決が絶対の意味を持つようになっていたのだ。
 そのエネルギー障壁が通用しない殺人犯が街に居る、それだけで住民は完全に怯えきってしまっていたのだ。
 アミと友人達もその話をしながら見えない影に怯えていた。
 シンは、というと学校に行かなくてもよいという気楽な立場を利用して街をぶらぶらとしながらこの殺人事件に関する情報を探りに出かけている。
 晴れてガーディアン・システムを装備して動ける身になった以上、今のシンには街でも相当自由に活動できるのだ。だが、殺された男もガーディアン・システムを身に付けていながら無抵抗で殺害されていることから安全を確保しているとはいえない。
 しかし、それでもシンには武器があるのだ。
 アミ達が知る科学でさえ解明できない謎のエネルギーによって形作られる光の剣。
 30cm程の細長い未知の金属で作られた柄から伸びる一メートルほどの光の刃は、不思議なことに殆ど熱を発さず、建築用の鋼材さえ一撃で切断してしまえるほどの破壊力がある。
 その武器と同時に彼が現れたときに身に纏っていた古代の鎧の様な不思議な金属製の服も、強力な防御力を発揮することが出来るのだ。ガーディアン・システムとは違うエネルギーの力場によって護られたそれを身に纏うシンは、未だに調査局が手掛かりさえ掴むことが出来ない謎の殺人者に対して十分に対抗できるはずだった。
 そう考えてシンは一人で街を歩いているのだ。
 もちろん、ただ何も当てが無いのにぶらぶらとしている訳ではない。
 記憶をなくしているとはいえ彼は幾つもの不思議なアイテムを持っている。思い出せない歯がゆさはあるのだが、少なくとも使い方だけは何となく見当がつくのだ。
 その為、この剣だけでなく様々な道具を使うことが出来るため、普通の人間よりも明らかに有利な点があるのだ。
 あの鎧のような服もコンパクトに小さく纏めて懐中時計のような大きさと形にしてある。
 服の襟元に描かれていた言葉を唱えると即座に展開して鎧として運用できるため、非常にありがたい代物なのだ。もっとも、その言葉自体はアミの調べた限りでは情報ライブラリにも載っていない謎の言葉であり、かなり古い様式とはいえ日本語を話す少年が何故、そのような謎の言葉を理解できるのか判らなかった。
 アミと共に調べたところ、シンの話す日本語はおよそ三百年ほど前から二百年ほど前に主に話されていた時代の日本語であることが判明していたのだ。
 そして大体、シンは1980年代の前半から中頃に生まれたであろう事が推測されたのだ。
 それはアミにとって衝撃的な事実だった。
 少なくともアミの知る限り、少年の知る不思議な言語の記録は一切残されていない。そして少年の持つ様々なアイテムの不可思議な性質や原理を考えれば、少なくとも現代の科学を以ってしても解明できないほどの文明の産物であることが容易に想像できる。
 だが、そんな時代に今の科学技術を超越した超文明が栄えていたなどとは考えられなかった。
 その超文明の産物であろう武器を隠し持って、シンはネオ東京の街中を歩いている。
 シンは何となく予感していた。
 このネオ東京を守護するシステムで検出、対応できない存在は彼に何らかの関係がある、と。
 だからこそ、自らの手でそれを探し当てる必要があるのだ。
 それはもしかしたら彼の失われた記憶に繋がるものなのかもしれないから・・・

「失敗したぁ!!!???」
 智子の落ち込んだ表情を見ながら悦子は思わずヘタり込みそうになってしまった。
 ありえない。
 アレだけの準備をして、いよいよ眞を救出するための作戦を開始したのだが、最初の一発目で失敗してしまったのである。
 途轍もない次元の距離を飛び越えるために厳重にシールド処理を施したワーカーフレームを送り込む途中で、転送エラーが発生してそのままワーカーフレームは行方不明となってしまったのだ。
 眞のSSIVVAから発信されるシグナルを手掛かりに何とか座標を特定したと思っていたのだが、その目算は完全に外れてしまった。
 これほどまでに離れた『世界』に対して救援機を送り込んで眞を無事に連れ戻そうという試みなど、最初から成功すると期待するほうが無茶を通り越して無謀なのは十分に理解している。
 だが、それでも悦子たちの焦りと苛立ちは表情に表れてしまうのだ。
「すまん、次こそは・・・」
 一人の技術仕官が静かに言葉を発し、そして悦子と里香に頭を下げた。
 反射的に悦子と里香は椅子から立ち上がってその技術仕官を止めた。
「ご、ごめんなさい。本当は私たちが謝らないといけないの」「頭を上げてください。本当に、無理を言ってごめんなさい・・・」
 智子を含めて彼らがどれほどの重圧と技術的困難に直面しながら現状と戦い続けているのか、それを一番知っていなければならないのは彼女達のはずだった。
 眞という超天才の残した技術と設備を以ってしても手の届かない彼の姿を、眞抜きで捉えなければならないという途轍もない難関を目の前にして、漸く手が届きそうになっていたと思っていた希望を打ち砕かれたのだ。
 本来ならば彼ら救助部隊の疲労は極限にまで達しているはずである。
 それなのに、彼らは誰を非難することも無く自分達の力不足を里香達に謝罪しているのだ。
 眞を失ってから、人を思いやる気持ちを見失っていた自分が恥ずかしくなる。
 悦子は彼らを信じて、そして遥か遠い世界に居る眞を信じて待ってみようと心の中で誓っていた。
 とはいえ、その救助作業は困難を極めていた。
 ファールヴァルトの技術班だけでなくプロメテウスの技術陣にとっても、この次元の距離という壁は如何ともし難いものであった。
 微かに届くシグナルを受信し続けて、漸くその具体的な座標を推定できると思われていたのだが、その途轍もない距離を越えての次空間転移は強烈な転送エラーを引き起こしてしまうのだ。
 流石にカストゥール王国の時代にもこのような試みをしたという記録が無く、彼らは文字通り手探りに近い作業を余儀なくされていたのである。
 それに加えて、ファールヴァルトを裏切って出奔したオルフォードの捜索も緊急の懸案として上がっているのだ。
 同時に連れ去られた加藤の奪還作戦も実施しなくてはならない。
 だが、それら一つ一つの問題がそれぞれ途轍もない困難であることを誰もが自覚していたのだ。
 
 オーファンの王城シーダーで進められている改修工事は急ピッチで進められ、近代化した戦争に対応するための大きな改革が実行されていた。
 精強な騎士たちだけで編成されていた騎士団もまた、ファールヴァルトから供与された三騎のナイトフレームを中心に、魔法工学を応用した最新の武装で固めた部隊へと急速に編成が進められている。
 本来ならば魔法をこれほどまでに多用した武装など、一般市民に大きな拒否感を与え、そして反逆の引き金にさえなりかねないのだが、今はそのような事を言い出す者など殆ど居ない。
 事実、皇太子アトレーを擁した旧モラーナ復興派の騎士団がほぼ全滅に近い被害を受け、そしてそれを救うために派兵された鉄の槍騎士団本体も尋常ではない損害を出すほどの痛手を受けた今、魔法を操り様々な魔術兵器を繰り出してくるファンドリア軍やロマール大貴族派に市民達は恐怖を感じていたのだ。
 その為、オーファンの騎士達がナイトフレームを駆って反撃に成功した、という知らせに熱狂的な喜びを露にしていた。
 もはや一般市民たちの間にも魔法に対しての拒絶感や嫌悪感などは無く、一刻も早く騎士団が強大な魔法兵器を装備して外部の脅威を排除してくれることを痛切に願っている。そのことに心を痛めていたのはオーファンの美しき宮廷魔術師、ラヴェルナであった。
 オーファンの騎士団は剣の力の象徴とさえ考えられていた。
 その騎士団が魔術兵器や魔人軍団などに撃破され、ファールヴァルトから供与されたナイトフレームという魔法兵器に頼って勝利を掴んだ、という事実により、人々が魔法を武力として頼ることを受け入れ始めたことで、ラヴェルナは魔法や魔法によって生み出された兵器が戦争を際限無い破壊の連鎖に暴走させてしまうのではないか、という恐怖を感じていたのである。
 しかし、自分の同僚や友人、そして自分たち自身の死を現実のものとして目の前に突きつけられた彼らの選択に口を挟むことなど出来なかったのも事実だった。
 巨人にさえ匹敵するほどの巨躯を誇る鋼の戦闘人形はその凄まじいまでの戦闘能力を白銀の装甲の奥に隠したまま、王城を護るようにじっと佇んでいる。その姿を見て、人々はこれでファンドリアの魔人軍団が襲い掛かってきてもオーファンは敗れることは無い、と安堵をしながらも複雑な思いを抱いていたのだ。
 これからの時代はどのようになってしまうのだろうか・・・と。
 それは一部の騎士たちも同じだった。
 自分達の剣の力の及ばない存在が戦争の行方を左右するという事実が彼らの自信を打ちのめしていたのである。
 また、魔術師ギルドも変化し始めた時代の流れに激しい動揺を抑え切れていなかった。
 鋼鉄のゴーレムでさえあっけなく粉砕できるような魔術兵器であるナイトフレームを開発、生産する能力を持った国が存在し、それを自国の騎士団が導入し始めているという現実を目の前にして、今は魔術を平和目的のみに研究するという理念を棚上げしてファールヴァルトに劣らない研究を進めるべきだと主張するグループと、あくまでも平和目的の研究のみを維持し続けるべきだと主張するグループとに分かれて喧々諤々の論争が繰り広げられていた。
 特に鉄の槍騎士団にも少人数ながら魔術師を中心にした研究開発部隊が設置され、事実上、魔法の軍事利用を推し進めている以上、下手をすると魔術師ギルド自体がその地位を大きく脅かされる可能性すら否定できないのだ。
 財政的にも魔術師ギルド自体、その予算の半分ほどは国家から拠出されており、その見返りに宮廷魔術師を出したり戦争時に魔術師の力を供与することもあることから、半ば国営の組織とも言うことが出来る。
 そうした微妙な政治的情勢の中で、騎士団が独自に魔法研究部隊を構えたのは大きな衝撃として魔術師ギルドを揺さぶっていたのだ。
 導師級の魔術師を中心にそれなりの実力を持つ魔術師が十人ほど、そしてその数倍の学生や助手を構えるその部隊はちょっとした魔術師ギルドの導師一門にすら匹敵する能力を持つだろう。
 また彼らはあのファールヴァルトの王立魔術学院や魔術兵団とも交流を持ち、ナイトフレームのメンテナンス程度であればこなせるだけの技術力をも身に付けつつあるのだ。確かに最重要機密であるナイトフレームの中枢部は彼らの手に負える代物ではないにせよ、周辺部品や装備の改良ならば彼ら自身も試みている。
 そしてファールヴァルト側には知らせていないものの、ナイトフレームの解析作業自体も進めているとの噂があるのだ。ある意味では当然かもしれない。何時までも他者に供与されたものだけを借りて運用するだけなど、軍事的に手足の自由を拘束されているのも同然だ。
 そうした様々な思惑を孕みながら、奇妙な緊張感を伴った日常が繰り広げられていたのである。
 ラヴェルナはそのような変化を苦々しく思いながらも宮廷魔術師という立場上、それに関わりを持たざるを得ない状況を拒否することも出来ずに居た。
 交流を持っているラムリアースの宮廷や各国の魔術師ギルドの幹部、そして友人達から聞かされる話を聞いても憂鬱になるばかりだった。
 ロマール大貴族派はその莫大な資本力と国力を背景にホムンクルス兵士や様々な魔法兵器を製造、実践投入を繰り返している。それに対抗するロマール新貴族派は軍師ルキアルを中心に、恐らくはファールヴァルトから盗み出したのであろうナイトフレームを投入してそれに対抗しているのだ。
 そしてラムリアースもゴーレム軍団を国境に配置し、ナイトフレームに対抗できる魔術兵器を全力で開発しているとの情報が伝わってきていた。
 もう既に世界は一触即発の事態が引き起こされる直前にまで緊張が高まっていたのである。
 
 シンは油断無く周辺の様子を窺いながら極自然な様子でネオ東京の街を歩いていた。
 とはいえ、彼自身も謎の殺人犯がこんな場所をうろつきまわっているとは考えていない。あくまでも、街の様子を窺おうと考えていたのである。
 だが、街の様子を見ても完全に浮き足立っていて何の調査にもならなかった。
 警察官達でさえ怯えて動揺しているため、迂闊な事を聞いて回るわけにもいかないのだ。
(まったく、此処の連中はまるで揺りかごの中で甘やかされた子供のようなもんだな・・・)
 シンの感想はある意味では的を得ていた。
 恐らく、長すぎる平和と完全に防御されていた過保護な状況が、今の人々の動揺の原因だろう。
 国防軍の軍人達だけが国外の脅威と真正面から向き合わなければならないという職務上、こうした危険に動じない精神力を持っているようだった。
 逆にアミは数十年ぶりに人が殺されたという事件が起こったにも拘らず、シンが平然としていることに驚いていた。
 彼は何の防御も無いのに、それが当たり前であるかのように街に出かけて色々な情報を探っているのだ。それはシンがこの街の住人ではないことを明白に物語っていた。
 
 暗い街角には誰も居ないように見える。
 しかし、彼にはその様々な物陰に人々がひっそりと息を殺して隠れているようすが手に取るようにわかっていた。
 どの時代にも社会の一員として生きる事のできない人々が居る。それは今の時代でも例外ではないらしい。
 突然の侵入者に彼らは警戒している様子だった。
 息を潜めながらも様子を窺うような気配がひしひしと伝わってくる。
 話を聞きたいとは思うが、どう考えても突然現れた他人に話をしてくれるはずも無いだろう。だからシンはわざと聞こえるように呟いていた。
「やれやれ、ここも異常なし、だな。一体あの野郎、何処に潜んでいやがる・・・」
 そして辺りをもう一度見回して立ち去っていった。
 何日もそんな事を繰り返しているうちに、少しずつ変化が現れ始めていた。
 ある日、彼がいつもの一角に顔を見せたとき、一人の浮浪者がじっと彼を見詰めていたのだ。
 決して好意的な視線ではない。だが、何者なのかを見定めるように見つめるその瞳は決して愚鈍な者のそれではなかった。
「何を探している?」
 ぶっきらぼうに声が掛けられる。
 シンはその質問に慎重に答えていた。
「あんた達も聞いた事があるだろう。あの正体不明の殺人者だ」
 その言葉に男の視線が険しくなる。
 ぴきん、と空気が張り詰めていた。声の無いざわめきが一体に満ちていくような気がする。
「探し出してどうする気だ?」
 険しくなった声で男が詰問した。
 シンはその問いに静かに答える。
「探し出して倒す。アレを放っておけないから」
 少年の答えは彼らの想像を超えていたらしい。驚きの声があちこちから上がっていた。
「倒す、だと? 正気か?」
 あきれ返ったように目の前の男がシンに言葉を返す。
 そして一息深呼吸して、言葉を続けた。
「あれは、人間ではない・・・」
 その男の語る言葉は、その殺人者が人間でない事を示していた。
 ある夜、その殺人者は不意にこの一角を通り過ぎたのだ。姿かたちは人間のそれだった。だが、何かが違うのだ。
 そしてその男の手は赤黒い色に染まり、赤錆のような不快な血の臭いが辺りに広がっていく。
 その様子を物陰からこっそりと覗き込んでいた浮浪者の一人が、不用意に立ち上がって警告の声を発したのだという。
「おい、此処から出て行け!」
 その瞬間、その男の様子が変化していた。
 すたすたと近寄り、そして無造作にその浮浪者の首を掴んだのだ。そのまま自分の目の高さにまで男を持ち上げた。
「がっ!、は、離・・・ぐふっ!・・・」
 じっと自分の手の仲で苦しげにもがく男を観察するように見つめて、男が呟いた。
「違ウ、オ前デハナイ・・・」
 その様子を見ていた男達は恐怖に震え上がっていた。
 じっと自分の手の中でもがく男を見つめていたその侵入者の目は真紅に輝き、明らかに人のそれではない事を明らかにしていたのだ。
 そして鈍く不快な音が響いた・・・
 話し終えた男は疲れたように呟く。
「お前はそんな奴を探しているのか?」
 その問いかけにシンは頷いた。
「ああ。貴重な話を聞かせてくれてありがとう。必ず貴方達の仲間の仇は取る」
 その言葉に男は目を剥いた。
「勝てると思うのか? あの化け物に?」
 恐怖を滲ませながら喉の奥から搾り出した問いかけに少年は穏やかに答える。
「俺の身近な女の子が怖がっているんだ。放っておけないだろう?」
 その言葉に浮浪者の男は心底呆れたような声を出した。
「ただそれだけの理由で、あの怪物を倒す気なのか?」
 シンは微笑みながら言葉を返す。
「俺にはそれだけで十分さ・・・」
 そう言って少年はもう一度礼を言って去っていった。
 残された男の傍にはいつの間にか数人の男達が現れて、同じように呟く。
「まったく、呆れたもんだ・・・」「だが、あの少年は女の子が怖がっている、という理由だけであの怪物に立ち向かおうというんじゃからな・・・」
 そして苦い思いが胸に広がっていく。
 自分達は何もせずに逃げたのだ・・・
 
 
 

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