~ 1 ~

 オルフォードの裏切りと出奔はファールヴァルトの宮廷のみならず近隣の各国をも揺さぶっていた。
 特に、軍部はナイトフレームの設計技術を持つ加藤良樹を拉致していった事で軍事機密が漏洩することを強く懸念していたのである。
 幸い、加藤自身はファールヴァルト軍のナイトフレームの中核システムであるクリスタル・コアの設計、開発知識と技能は持っていないため、最重要軍事機密が漏洩する自体は免れていたものの、各国が独自にナイトフレームの開発技術を持つようになることは面白い事態ではない。
 とは言うものの、既にロマール新貴族派はファールヴァルト軍の中にスパイを送り込んで輸送艦もろともナイトフレームを強奪する、という真似をしでかしているし、同盟国であるオーファンも内密にナイトフレームを解析して独自のナイトフレーム製造技術を得ようとしているらしい。
 他国の軍の能力と装備を見て、それを傍観していられないのは軍の性だろう。
 国力が許す国は、ナイトフレームを始めとする最新の軍事力を導入するために様々な策謀を繰り広げているのだ。
 それに現実問題として看破出来ない問題が幾つも起こっている。
 ムディール解放の虎も体勢を整え直して、活発な活動を開始し始めている様子だった。そして拉致された巨人の若者の行方も未だに判明していないのだ。
 目の前に起こっている重大な問題を追いかけるだけでもファールヴァルトの宮廷と軍司令部は眼も眩むような事態を追いかけていたのである。
 
 ひんやりと冷たい空気が白い巡礼服を身に纏った男達を包み込んでいる。
 気の遠くなるような時間を孤独に過ごしてきたこの遺跡は、今はかつて無かったほどに忙しいざわめきに満たされている。
 目もくらむような巨大な玉座には、まだ幼ささえ残る表情をした巨人が力無く座り込んでいた。
 いや、その手足には枷は無くとも彼には自由は無かった。
 魔法により縛られ、この哀れな巨人の若者はその力を以ってしても逃れることができないのだ。
 その作業を熱心に見つめる一人の男が満足げに呟く。
「ふむ・・・。予定通り作業が進んでいるようで何よりだ。巨人如きが偉大なる神々の末裔などと抜かす馬鹿者がいるようだが、あの強靭なる肉体は我らの至高なる神がその器として降臨するのに相応しいであろう」
 そう、彼らはこの神殿-正確に言えば古代の魔術師が神を復活させるために建造した巨大な魔法装置-を利用して、彼らの信仰する神を復活させるための試みを行っているのだ。
 不遜とは考えていない。
 元々、この世界は神々が創り給うた世界であり、その世界に神が帰還していただくための神聖なる儀式だと彼らは信じていた。
 人間が器になることに対してでも彼らは喜んでその身を神に差し出すだろう。だが、ひ弱な人間の肉体では神の力には耐え切れない。
 そのため、最高位の司祭がそれを願っても神のこの地への降臨は僅かな時間に限られてしまうのだ。
 だが、それが古代の血脈に連なる巨人ならばどうだろうか。
 人と同じく、神々の姿を写し持つ古の存在である巨人は、その強大な肉体により神の偉大なる魂を十分に受け入れるだけの器であるに違いない。
 なんといっても、巨人はあの竜にすら匹敵する力を誇るこの物質界最強の存在の一つなのだ。
 その器に降臨して復活を果たした神は、永遠に我らを栄光の元にお導き下さるだろう。
 至高の世界の訪れを願って、男は目を瞑り、祈りを捧げていた。

 深い森の中を一人の騎士が厳しい表情で歩いていく。
 その鎧は美しく輝く白銀のそれであり、巨大な円形の楯を背に括り付けていた。その整った容貌はまるで絵画から抜け出てきた英雄の肖像のように整っている。
 その鎧の左胸の装甲には輝くファリスの紋章が刻み込まれていた。
 騎士の名はシオン、という。
 神聖王国アノスの『光の騎士団』の騎士である。
 身に纏っているのは頑丈な鎖帷子の上に分厚い鉄板をくみ上げた戦闘用の板金鎧iプレート・メイルjだった。全身を板金の鎧で覆いつくす甲冑鎧よりは防御力は劣るものの、基本的に馬に乗らなければ身動きすら難しくなる甲冑よりも遥かに実用性の高い鎧だった。
 その鎖帷子は彼の家に代々伝わる古代王国製の逸品であり、強力な防御の魔力を帯びている魔法の鎧だった。着用者の体型に合わせてある程度まで形を変えるため、いちいち仕立て直さなくても良いという便利な鎧である。その鎖帷子の上に光の騎士団で採用している正規の胸板鎧や肩当て、手甲などを着けて騎士の鎧としているのだ。その鎖帷子と揃いになっているのが彼の今腰に佩いている幅広の片手剣と楯である。共に魔力を帯びた逸品であり、彼の家に伝わる家宝となっていた。
 その重装備を身に纏いながら平然と森の中を歩いていくのだから男の鍛え方が尋常ではないことが判る。
 それもそのはずで、まだ若いながらもシオンは大国アノスの騎士団の中でも屈指の剣の使い手だった。
 宮廷の中では恐らく数年のうちに騎士団でも最強の騎士となり、またアレクラスト最高の騎士となるだろうと噂されているほどである。
 そのような人物が森の中をうろつきまわっているのには理由があった。
 神聖王国アノスの中で勢力を伸ばしていた宗教過激派の一派が危険な企みを試みている可能性があり、その調査のために足を運んでいたのだ。
 既に各地は戦乱の兆しが煙を上げ始め、そして数年前にもその過激派の思想に染まった騎士団の一部がこのファールヴァルト征伐に向かって敗北をするという軍事的にも政治的にもあってはならない醜態を晒したばかりである。
 そうした事から大規模な捜索隊を派遣するわけにもいかず、この国の将軍である少年、緒方眞とも既知の仲であるシオンがこの地に派遣されてきたのだ。
 その過激派、“光の真理”一派が古代王国の遺跡である月光の神殿を襲撃し、このファールヴァルト領内にある遺跡に立て篭っているのは既に知らされている。
 だが、この遺跡は神を否定していたカストゥール王国時代に有力な貴族が、その信じる神を復活させるために築き上げたものだけあって、恐るべき堅牢さで未だに攻略を許していないのだ。
 あのナイトフレームを以ってしても攻略を仕切れていないという点を見ても、その遺跡の凄まじいまでの防衛力の一端を垣間見ることができるだろう。
 そしてシオンには一つの懸念がある。
 その遺跡が「神を復活させるための遺跡」であるという事実だった。
 あの過激派達が偶然、その遺跡に立て篭もったとは考えにくい。
 その目的は明らかだった。
 即ち、神の復活である。
 不遜な考えである。三界に散華された神々の魂を召還し、そして人の恣意的な試みによってこの世界に顕現をさせるというのは許されざる不敬であろう。
 だが、シオンの心には揺れ動く感情もあった。
 もし本当に至高神がこの地に降臨されたとするならば、アノスの国民やファリスの信者達が望んで止まない秩序ある光の世界が実現するだろう。
 それを否定することは彼にはできなかった。
 だからこそ、彼は自分自身の中にある迷いと真正面から向かい合わなくてはならなかったのである。
 自分に協力してくれているファールヴァルトの人々の顔を思い浮かべていた。
 もし、眞が此処にいたならばどのような答えを出すだろうか?
 具にも付かない疑問を頭に浮かべて、シオンは苦笑してしまう。ファリスの信者でない、いや、神の信徒でない彼にそのような疑問を重ねるだけ意味がない。
 あの魔法騎士はあっさりと答えるだろう。
『人の世界は人が治めるものだ。それを力で統治しようとするなら俺は神でも討つ』と。

 不意を付くようにぬっと現れたその奇怪な顔に俺は驚きもせず、右手に握った幅広の直剣iブロード・ソードjを一閃させる。
 銀色の閃光がその奇怪な頭の持ち主-トロールと呼ばれる下等な巨人族だ-の首を一瞬で跳ね飛ばした。俺はそのまま背後に続いているパーティの仲間の様子を窺った。
 どうやら取り囲まれている様子はなさそうだった。
「レイ、どうやらこいつは唯の歩哨のようだ」
「そうね、部隊を編成している様子はありません。ならば私達は今のうちに可能な限り進んでしまいましょう。ビッグ、貴方は先方を務めて可能な限り危険を排除してください」
 そのひんやりと響く鋼のような声音に仲間達は苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
 出来うる限り静かに、そして迅速にこの地から脱出を図らなければならない俺達にとって、戦闘は極限まで避けなくてはならない。もちろん、あのトロール程度の相手なら俺達なら一対一でも余裕で勝てる。
 しかし、このタラントにはあの忌々しいゴブリン連合の妖魔軍団以外にもトロールやオーガーなどがわんさかうろつき回っているのだ。
 流石に俺達でもアレだけの妖魔の軍団を相手にして戦えるはずもない。
 そう、このタラントは妖魔の手に落ちたのだ。
 夥しい数の人間が殺され、そして妖魔の奴隷として過酷な労働を強いられる事となった。そして俺達冒険者は辛うじて逃げ出すことが出来た難民達を引き連れて妖魔の手が及ばない場所へと向かっているのだ。
 俺達はその中でも最重要人物のタラント離脱を請け負っていた。
 それはタラントの王族だった。
 今や、たった一人の王位継承者となった王子とキャレリン王女を引き連れての逃避行である。
 国民を見捨てて逃げられない、と最後まで頑固に逃げ出すのを拒んでいたお転婆王女も、どんな苦しい現実を目の前にしてでも生き残ることこそが王族の最後の使命だと誰よりも親しかった女性に諭され、彼女のために生き残ることを約束して此処にいる。
 この深い森の中、しかも妖魔の追跡を隠れながら撒かなくてはならない逃避行では、俺の技量に全てがかかっているといって過言じゃなかった。
 少なくとも俺はこのメンバーの中で盗賊として、そして野武士として最高の能力を持っている。
 キャレリン王女は、あろうことか中堅レベルの盗賊としての技能を身に付けているが、野武士の訓練を受けているわけではないため、今の状況では役不足だし、一番の最前線に立たなくてはならない役目など危険すぎて彼女にさせるわけにはいかない。
 俺は盗賊として、そして野武士としての感覚と精神を極限まで研ぎ澄まして、この過酷な逃避行の行く手を切り開くべくじりじりと歩みを進めているのだ。
 たった今、トロールの首を刎ねた長剣のひんやりとした感覚がともすれば焦燥感に駆られそうになる俺の気持ちを適度に冷やしてくれる。
 この魔法剣は東の魔法王国ファールヴァルトの鋼の将軍から譲られた素晴らしい逸品だった。
 ファールヴァルトの最高の刀鍛冶がその最高の技術を以って鍛えた長剣は片手で扱える剣の中で最大の威力を生み出す。しかも、あの恐るべき魔法騎士がその魔術を持って魔力を付与したこの剣は、通常の長剣の半分ほどの軽さしかない。
 盗賊の俺が何の問題も無く全力で振り回せる程度の軽さでありながら、その破壊力は戦士が両手で振り回した長剣のそれに匹敵するのだ。
 まったく、あの魔法騎士はとんでもない剣を作り出したもんだ。
 だが、この剣は逆に軽すぎて力を最大の威力にする騎士や戦士の戦い方には向かない武器だった。その為、ファールヴァルトの鋼の将軍はその魔法剣を俺にくれたのだ。もちろん、仕事の報酬として、である。
 ともあれ、それ以来この魔法剣は俺の力強い相棒となってくれているのだ。
 あの気前の良い魔法騎士は、ファールヴァルト幻像魔法騎士団でしか使っていない魔法の革鎧までその報酬に付けてくれたのだ。
 その魔法の革鎧は、硬くなめした革鎧なのだが、魔法のコマンドワードを唱えるとその瞬間に柔らかい革鎧と同じような柔軟性を発揮する。戦場で古代語魔法を使わなくてはならない魔法騎士団にとって必須の鎧なのだが、それを騎士の紋章を付ける前のものを融通してくれていた。
 ウィンダム・ブレードというこの魔法の剣と俺が身に着けられる最大の防御力を与えてくれるこの魔法の革鎧のおかげでこの困難な逃避行を何とか切り抜けることが出来ているのだ。
『お前さんならこの剣を使いこなせることが出来るさ』
 そう言って俺にこの魔法剣を渡したあの少年の笑顔を今でも思い出す。
 使い慣れた今までの長剣からこの魔法剣に切り替えて、使いこなせるようになるまで死に物狂いで剣を振り回した甲斐があって、今の俺はこいつを思い通りに操ることが出来る。
 後ろに控えている重厚な戦士が言った、「騎士が振り回す両手剣に匹敵する破壊力を盗賊の技で叩き込まれるなんざ、ぞっとしねえな・・・」という言葉が今の俺を言い表している。
 そう、だからこそ、俺は今、この妖魔に満ちたタラントの森で逃避行の先陣を切ることが出来るのだから・・・
 この作戦は絶対に失敗することの許されない任務だった。
 王家の生き残りをエスコートして安全な場所に避難させる、という現状が今のタラントの、いや、タラントと呼ばれていた国の現実を何よりも雄弁に物語っている。
 そう、もはやタラントと呼ばれていた国は存在しない。
 あの恐るべき妖魔の王に率いられた軍勢に滅ぼされてしまったのだ。
 今思い出しても背筋に冷たいものが流れ落ちてくる。よくもまあ、俺達は生き残れたものだと自分達の生存能力の高さに呆れ返ってしまうほどだ。
 あの夜、全てが変わった瞬間だった。

 俺達ヘッドライナーズはタラントで妖魔狩りの任務についていた。いわゆる傭兵である。金で武力を買ったタラントの貴族達は、俺達を正規の騎士団の代わりに最近、特に頻繁に出没して被害を増やし始めたゴブリン連合との戦いに投入していた。
 要するに正規の騎士団が相手をするにはゴブリンは取るに足らない相手なのだが、一般人や兵卒が相手をすると損害を増やしてしまう事になる。
 そうなれば政治的にも微妙な問題になりかねないため、彼らは俺達冒険者を雇ってゴブリン連合にぶつけるという案を考え付いたのだ。
 そうした政治的な駆け引きや思惑の果てに、俺達冒険者はゴブリン連合と戦うためにタラントの山の中を駆けずり回る羽目になったのだ。そして冒険者による傭兵部隊、そしてタラント騎士団はあの運命の日を迎えてしまった。
 いつもと同じように森の中を進んでいた俺達は、目標のゴブリン連合の砦を発見して奇襲を掛けることに成功していたのだ。作戦は成功だと思われていた。あの瞬間までは・・・
 ゴブリンたちを追い詰めていった俺達はその妖魔どもの様子がおかしいことに気が付いたのだ。
 何故か奴らはまだ余裕があるにも拘らず、実に巧みに撤退を始めていたのだ。
 おかしい・・・
 妖魔どもの戦いは単純だ。
 数と勢いが優勢ながら引く事を知らずに攻めてきて、そして逆転されたなら秩序ある撤退などできずに散り散りになって逃げ出す。
 それが妖魔の戦い方だ。しかし、今は明らかに余力を残しながら秩序ある撤退行動を見せている。
 反射的に背筋に悪寒が走っていた。
 何かが変だ!
 そう思った瞬間、俺が声を出すよりも早く異変は起こっていた。
 地面が俺達を突き上げるように動いて、俺達はまるで手鞠のように宙に投げ出されては地面に叩き落されていた。俺のまだ未熟な精霊使いとしての能力が怖ろしく強い大地の製霊力の働きを感じ取って警戒のシグナルを発し続けていく。
 間違いなくこれは精霊魔法だった。
 しかも、大地の精霊王の力を借りる<地震iアース・クェイクj>の呪文に間違いない。
 信じられなかった。
 この呪文は最高位に近いほどの高度な精霊魔法であり、恐らく、アレクラスト大陸でもこの呪文を唱えることができるのはエルフの長老やドルイドの精霊使いですら数えるほどもいないだろう。
 俺は身体が高く跳ね上がった瞬間に<落下制御iフォーリング・コントロールj>の呪文の力を発動することのできる魔法の指輪の力を使っていた。
 この魔法の指輪は共通語魔法の呪文が付与されていて、俺のように古代語魔法の心得が無いものでもあらかじめ付与されている呪文の力を使うことができるという優れた品物だった。
 俺はザーンの盗賊ギルドで訓練を受けて下積み生活を続けるうちに、この魔法の指輪の力を息を吸うのと同じように自由に発動できるようになっていた。もっとも、それはザーンの盗賊ギルドにいる連中にとっては飯を食うのと同じくらいに当たり前のことだ。
 何せ、あの馬鹿でかい岩を掘り抜いて築かれた街で盗賊の活動をするには命綱なしでも外の岩壁を登攀する必要もある。もちろん、足を滑らせれば命が無い。
 そんな場所で生き抜くには万が一落ちた場合でも反射的に落下制御の魔法の力を発動できるようにする必要がある。
 そのため、ザーンの盗賊たちは例え寝ているときに不意に岩の外に放り出されても何よりも先にこの呪文の力を発動させるような訓練を積むのだ。
 俺はその訓練のおかげで今、命拾いをした。
 空中に放り出された俺は一メートルほどの高さで浮かびながら、じりじりとゆっくり、地表に向かって降りていく。
 首をひねって見回すと、俺達のパーティのリーダーである女魔術師のレイが、こちらは<空中浮遊iレビテーションj>の呪文を使って空中に浮かんでいた。一瞬だけ視線を交わし、俺達は仲間のトール、クリフ、バリーに<落下制御>の呪文をかけていく。
 流石に金属鎧を着ている奴らは何回も地上に叩き付けられたせいで目を回しかけている。が、そこは鍛えられた冒険者だ。
 空中に浮かび上がって落っこちていかないことに気が付いた瞬間、それぞれが体勢を整え直して次の行動に備えていた。
 俺達はありったけの精神力を振り絞って視界の範囲にいた助けることのできる仲間達に次々に<落下制御>の呪文をかけていった。
 そして魔法の地震が収まった次の瞬間に呪文の効果が切れた俺達は再び地面に戻ることができたのだ。
 だが、周囲は悲惨な状況に陥っていた。
 激しく跳ね上げられ、地面に叩き付けられた数多くの傭兵達は地面から顔を出した岩や罅割れた地面に挟み込まれたりして既に絶命している。奇跡的に生き残った者達も、俺達のように魔法で何とか地面に叩きつけられるのを逃れたもの以外は瀕死の重傷を負っていた。
 そして・・・
 繁みの間からとんでもない数のオーガーやトロール、ゴブリンやコボルド共が飛び出してきた。

 俺達はどうやってその場から逃げ出したのか、覚えちゃいない。
 ただ、気が付いたら生き残った十数人の傭兵達と共にタラントの街に向かう道を呆然と歩いていた。こんな甚大な被害を出したのは以前、ベルダイン王国に傭兵として参加したロマール戦役以外には無い。あの時は僅か百名にも満たない冒険者の寄せ集めの魔法戦士部隊でロマールの正規重装甲兵団を食い止めて、殆どの部隊員が死ぬという壮絶な戦いだった。
 それほどの戦いをしなければ、西部諸国のような国力の小さい国の寄せ集めに過ぎなかったタイデル盟約軍は粉砕されていただろう。
 だが、今の戦いは別だった。
 俺達には手足の出ない神の如き力を振るわれて、一方的に粉砕されたのだ。
 これがもし、あの鋼の将軍の率いるファールヴァルト軍だったなら幾らでも対応策があっただろう。なにせ、あの国はラムリアース以外で唯一、魔法兵団を正規軍の中核として運用し、幻獣を駆って魔法を操る騎士団まで存在する。その上で圧倒的な魔法兵器を潤沢に導入しているのだ。
 それはこの俺の手にあるウィンダム・ブレードを見ても理解できるだろう。
 あの混乱の最中、俺はめちゃくちゃにこの剣を振り回して、この剣の持つもう一つの魔法の刃、風の力を解き放っていたのだ。
 鎧を着込んだ騎士さえも一撃で倒せるほどの真空の刃を何度も放ち、俺はオーガーやトロールどもを血の海に沈めていった。そしてその崩れた一角を生き残った全員で突破して死地を脱出することに成功していた。
 俺と一緒に殿を務めたクリフも、この剣の力が無ければ俺達は全滅していたことを実感している。
 ファールヴァルト軍はこんな武器を一兵卒に至るまで装備して、魔法の防具や様々な通信の魔法道具、暗視の魔力を帯びたゴーグルなども行き渡らせているのだ。
 そんな連中に戦いを挑んで勝てると考える為政者がいたら、そいつの頭は何かが足りないに決まっている。
 具にも付かないことを考えながら街に向かって歩いていた俺達の前に、遥か前方に何か煙のようなものが行く筋も立ち上っているのが見えた。
・・・飯時にしてもずいぶんと豪勢な煙じゃないか。
 嫌な予感がした俺の視線の片隅で、レイも厳しい視線で前方の煙を見据えていた。
 暫く進むと傷だらけの村人達が何人も呆然とした表情でへたり込んでいるのが見えた。益々持ってこいつはヤバイ。
 話を聞いてみると俺の嫌な予感が的中していたことに血の気が引いていくのが自分でも判った。
 突如、地震が村を襲って家も何もかもがぺっしゃんこになったのだという。
 しかも、その村だけでなく近隣の一体が全て地震でやられたらしい。
 おかしい・・・
 何かが俺の頭の中で引っかかっていた。
 普通、精霊魔法の地震の呪文は大地の精霊王の力を借りる強力な呪文だが、その範囲は限定されている。精々、大きな家を数軒も入れればその呪文の効果範囲を外れてしまうのだ。
 だが、この地震では俺達の部隊を壊滅状態に追い込んだときと同様に、怖ろしい規模での地震の呪文を唱えていることになる。
 そんな真似をできるような精霊使いがこのアレクラスト大陸にいるとはとても信じられなかった。
 伝説の古代王国の魔術師や神話の時代の精霊使いならともかく、今の魔法使いにできる事はそんなにとんでもない事なんかじゃない。
・・・まさか、あのファールヴァルトの魔法騎士がやったんじゃないだろうな、と考えかけて俺は頭を横に振る。確かにあの化け物ならそれだけの力を束ねることもできるだろう。だが、それ以上にあの切れ者はこんな無駄なことをしない。
 だとすると一体誰が・・・
 そう考えていたとき、更に事態は大きくなっていた。
 数騎の騎士が先導する豪華な馬車が街道からえらく急いで走ってきたのである。しかも、その馬車はどう見ても、王族の乗る豪勢なもので、騎士隊によって警護されていたのだ。
 俺達の姿を見たのか、一人の騎士が警戒しながら近寄ってくる。
「お前達は何者か?」
 警戒心を隠そうともせず、騎士は厳しい口調で問いかけてきた。
 それに対してレイが毅然と応える。
「私達はタラント軍傭兵部隊の者です。部隊は妖魔の軍に奇襲されて、ここにいるもの以外は壊滅しました」
 その言葉に騎士は衝撃を受けた様子だった。
 無理も無い。
 あの冒険者を束ねた傭兵部隊はその実戦経験の高さと多種多様な技能の集団という意味で、このような対妖魔戦で最も力を発揮する部隊のはずだったのだ。
 だが俺達はそれ以上に衝撃を受けていた。
「なんでキミ達まで負けちゃうんだ!」
 怒りと悲しみの混じった声が響き渡る。
 そんな馬鹿な!
 ありえない。まさか、この方が此方にいるという事は・・・
「キャレリン王女!」
 慌てて護衛の騎士がキャレリン王女を押し留めようとする。が、その制止に目もくれず、キャレリン王女は俺達の元に向かって走り拠ってきた。
「何があったのさ!? キミ達はこの西部諸国で最強の魔法戦士団の筈だろ!」
 その姿がすべてを物語っていた。

 不意に足元から突き上げられて、タラントの街は一瞬にして大混乱に陥っていた。
 数分間の激しい揺れが嘘のように収まったとき、人口四千人を数える都市は完全に破壊されつくしていた。
 辛うじて崩壊した家に押し潰されずに済んだ人々が外に飛び出してきて、恐慌をきたしたように大騒ぎを始めていた。倒れた商店から略奪が始まり、そして街は混乱の中に飲み込まれていった。
 だが、それも長くは続かなかった。
 倒壊した家の竈から燃え広がり始めた炎は次第に街のあちこちに巨大な火の壁を作り出していく。
 次の瞬間、人々は自分の目に映ったものを信じられない、といった表情で呆然と見つめ上げていた。
 一つの炎の塊が徐々に大きく成長していく。
 その炎の中で一人の巨人が生まれようとしていた。真紅の炎の中で、巨人は次第に姿を確かなものにしていき、やがてゆっくりと立ち上がる。
 巨人の姿はまさに悪魔の如き憤怒の表情を見せた怖ろしいものだった。
 灼熱の炎で形作られたその肉体は、人間の身体など容易くへし折れるほどの逞しさを見せ、燃え上がる炎に包まれた下半身は真紅の衣装を身に纏っているようにも見える。
 このフォーセリア世界の炎の理を司る精霊の王、イフリートであった。
 そして数刻も経たないうちにタラントの同名の王都は炎の海の中に消えていったのである。
 辛うじて王女キャロリンと幼い王子だけは脱出に成功していた。
 キャロリンは断固として戦うことを望んだのだが、乳母の命を掛けた言葉を無視することもできず、血を吐くような想いで王都を脱出してきたのである。
 未だに幼い王子を護らなければならない。
 その細い肩に掛かる重圧に必死に耐えながら、王女は歯を食いしばって運命に抗い続けていたのだ。

 王都を襲った悲劇に俺達は衝撃を受けない訳は無かった。
 だが今、必要なのは嘆き悲しむことではなく生き残るために何をするか、である。
 レイを振り返ると、彼女も我が意を得たり、とばかりに頷き返す。
「すぐにタラントを脱出してベルダインに向かいます!」
 その言葉に騎士や生き残りの貴族達は目を剥いた。
 そりゃそうだろう。奴らにして見れば自分達の領土、領民を捨てて逃げ出すようなもんだ。
 他国に逃げ出せば領民を、領有地を見捨てて逃げ出した卑怯者だと言われかねんし、戻ることができても今度は統治に問題が出てくるのは目に見えている。
 しかし、今はそれを論じている問題じゃない。
 アレだけの地震を日に何度も起こすことができて、しかも炎の精霊王まで完全に実体化させて操れるような化け物めいた精霊使いがいる、という簡単な事実が絶望的なまでの現状を俺達に突きつけてくる。
 絶対に挽回は不可能だった。
 ならば、今生きている人間だけでも安全な場所に脱出させることが唯一、俺達にできることだった。
 そして俺達は全力で歌声の街道を抜けてベルダインへと向かっていった。
 行く手を阻む者を手にした風の刃で切り裂きながら・・・
 
 
 

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