~ 1 ~

「何をやっているんだ! もっと走査スキャンの範囲を広げろ!」
 焦りと苛立ちの混じった怒号が閉ざされた空間に飛び交っていた。
 ファールヴァルト王国の王城の地下にあるファールヴァルト軍の統合司令部、そこは嵐のような喧騒に包まれていた。
 眞が何者かの召還した炎の上位精霊との戦いでフォーセリアから消えてもう二週間にもなる。
 その間、ファールヴァルトの軍部や政府は手を拱いて何もしなかったわけではない。むしろ、フレイアによる監視活動の割り当てを変更して眞の捜索に可能な限りの人的資源や物理的資源を投入していたといたのだ。だが、少なくとも元の世界ともフォーセリアに属する異世界とも異なる別の世界に飛ばされてしまった眞を探して救助隊を送り込むのは至難の業であった。
 <次元の門ディメンジョン・ゲート>の呪文を用いれば異世界にさえ“ゲート”を開くことが出来るのだが、そのためにはその開く先を正確にイメージ出来なくてはならない。また、<召還リマンド>の呪文も相手の場所や位置を極めて正確に把握していなければ呪文の効果を発現ことは出来ない。
 加えてこれらの呪文を唱えることが出来る魔術師はアレクラスト大陸全体でも数えるほどしかいない。眞はその貴重な人材の一人だったのだ。
 唯一の希望は眞が身に纏っているSSIVVAである。
 この個人用要塞とも呼べる魔法装備は強力な防御能力や様々な補助機能を備えているため、余程の事が無い限りは眞の安全は保証されているといってもよい。そもそも、異世界に落ちた場合でさえも着用者を保護するほどの性能があるため、眞が歪んだ形で存在してしまった可能性は限りなく低いのだ。
 また、位置を発信するシグナルを常時発信しているため、砂漠の中から一粒のダイアモンドを探すよりはまだ救いがある。
 ただ量子のノイズの中で、極めて“遠い”世界から受信するSSIVVAのシグナルはフレイアの能力をもってしても識別が非常に困難で、その眞の位置を逆探知するための探査処理に恐ろしく手間取っているのが現状であった。
「しかし、こうしてみると俺達がどんだけあいつを頼りにしていたのか思い知らされるよな・・・」
 英二が苛立ちを抑えたような声で呟く。
 彼らは行方不明となった眞の代理としてファールヴァルト軍の技術部を指揮し、統合司令部との調整役に借り出されていたのだ。
 もともとファールヴァルト軍が政府と進めていた物理魔道技術テクノロスによる発展は魔法技術に加えて科学的な技術や知識をも要求するものであるため、ユーミーリアから来た現代人の知識が必ず必要になるのである。
 当然ながらフォーセリア人にも現代科学の知識を教えてはいるものの、第一に亮も英二もまだ高校一年生レベルの正規教科しか学んでいない上に独学するのにも限界がある。眞はその異常な天才性ゆえに既に物理学と各種工学では世界でもトップレベルになるであろう知識を取得していたものの、こうした科学技術や知識体系の発展のためにはまず何よりも人材の幅の広がりと層の厚さが重要なのだ。
 そのために全力で素質のある者に教育を施してテクノロスの発展に必要な人材を育てようとしていたのだが、たかが数年でそんな人材が育つわけも無い。
 そうした理由から人手不足は慢性的な懸案事項となっていたのだ。
 研究は『フレイア』の持つ圧倒的な計算能力を活用でき、実際の物の製造には魔力を帯びた物品製造用の魔法装置が使えるため、ある程度は何とかなる。しかし、それらを駆使して開発作業にまで携わることが出来る人材は、眞を除いてファールヴァルト王国内でさえ数えるほどもいない。
 日本にあるプロメテウスや彼らと協力関係にある自衛隊や日本政府の研究機関などでさえ、やっとテクノロスの何たるかを理解し始めたばかりなのだ。
「俺達の世界の人間は魔法を理解するのに一苦労、こちらの人間は科学知識や工学技術を学ぶのに大騒動、か・・・。あいつがどんな怖ろしい真似をやってのけたのか、思い知らされるぜ・・・」
 亮も半分呆れたように呟いた。
 だが、手を拱いて傍観しているわけにもいかない。
 なんとしてでも眞を救出しなければならないのだ。
 
 少女は静かに眠る少年の横顔をじっと見詰める。
 その安らかな寝息を立てながら目の前で眠る少年が彼女の目の前に現れた瞬間のことを思い出していた。
 学校からの帰り道。
 何時ものように公園を通ってマンションに帰ろうとした少女の目の前で不思議な光が舞い始めていた。
 小さな青白い輝き。
 それは徐々に強さと数を増していって、いつの間にか渦を巻くように美しく舞っていた。
 強く、弱く、それはまるで意思を持つかのように規則正しい光の脈動を繰り返しながら、徐々にその輝く周期を一致させていく。
 目を開けていられないほどに強まった時、その瞬間が訪れていた。
 一瞬その光の粒子が輝く瞬間を重ね合わせたとき、爆発的な光がその渦の中心から溢れ出す。その光が消えうせたとき、少女はその光の渦巻いていた後に人影が横たわっているのを目にしていた。
 不思議な服を着た、美しい少年だった。
 年齢は、そう、十六、七歳だろうか。
 曇り一つ無い銀色と鮮やかな深いブルーをした、まるで中世の鎧のような不思議なデザインの服と紫紺のマントを身に付けた姿は、まるでおとぎ話の中に登場する異国の王子様のようだ。そしてその手には奇妙に捩じくれた木製の杖が握り締められている。
 反射的に自分の<守護神ガーディアンユニット>でスキャンしてみたが、システムには危険の可能性は検知されなかったらしい。
 どうしたものか、と考え込んだ挙句、彼女は少年を自分の部屋に連れ帰ってきたのだ。
 流石に彼女の細い腕では少年の身体を持ち上げて帰ってくることは出来なかったのだが、街のあちこちにあるワーカー・ロボットのプールに待機している汎用ワーカーをレンタルして少年を運んでもらったのだ。
 人工知能で制御されているワーカーは、奇妙な格好をしている少年に対しても質問などせずに、少女の命ずるままに少年を運搬してくれた。
 見知らぬ少年を運び込むことに不安が無かったわけではないが、少なくとも<守護神システム>で護られている以上、身に危険は及ばない。
 それにしても、この少年は何処から来たのだろうか。
 先ほどの光の渦が彼をこの場所に送ってきたのだとしても、テレポート装置の働きとは違うようだ。
 少なくとも瞬間転移によって移動するのは各地にある“ステーション”を通じなければならない。このステーションはこの東京だけでなく、世界各地や月にあるいくつかの都市、火星や金星にあるコロニー、そして太陽系の各地に建造されている宇宙ステーションなどを結ぶ重要な交通網だった。
 宇宙航行用のスペースシップには小規模なテレポート装置が内蔵されているものの、その必要となるエネルギー規模や膨大な量の座標の計算、各種の制御システムを必要とするために必然的にステーション・システムは大掛かりなものとなる。
 少女は深いアクアブルーの瞳で少年を見つめていた。
 少年の手に握り締められていた杖に描かれた文字は、少なくとも調べられる限りにおいて何の情報も無かった。世界ネットワークに接続されている情報ライブラリに存在しないものがあるなど、少女にとっては信じられないことだったが。
 少なくとも数百年前に「インターネット」なるコンピュータを接続する原始的な世界規模情報ネットワークが生み出されてから、世界は情報という点のみならず、社会的にも経済的にも大きく変化することになったと言われている。
 元々はEU(欧州連合)の内部にあった科学研究機関であるCERN(欧州原子核研究機構)という組織が開発した純粋に科学技術的な研究から発展したコンピュータネットワークは、その後、大きく変化を遂げながらやがて世界自身を大きく変える事になったのだ。
 それは科学博物館に詳しく紹介されている。もっとも、当時のコンピューターはシリコンベースの半導体で作られたシステムであり、現代社会で一般的に用いられている量子コンピュータとは比べ物にならないほど遅く限定された処理速度しかなかったらしい。
 現在の科学技術では量子コンピュータと量子テレポーテーション効果を利用して過去の出来事を限定的とはいえ再現したり、コンピュータのメモリー内に仮想現実として構築することさえ出来る。
 それは数百年前に起こった地球規模での環境異変と、世界的な食糧生産体勢の崩壊によって引き起こされた第三次世界大戦が引き金となっていた。歴史ライブラリーで見ることの出来るその歴史は、余りにも大きな悲劇であり、当時の世界全体の人口のおよそ三分の二が失われる、という今では信じられないほどの犠牲者を生み出していたのだ。
 それは東南アジアのとある国にあった火山が、歴史的な規模での巨大噴火を起こしたことから始まった。
 その巨大な噴煙は実に成層圏にまで達し、その後、数年間にわたって地球全体の気温を数度、低下させていたのだ。そのため当時、ユーラシア大陸にあった中華人民共和国をはじめとして、農業国は日照不足と気温の低下で農作物が全滅に近い被害を蒙り、特に中国では飢えた農民達が暴動を引き起こしたことがきっかけとなって大規模な反政府活動へと発展、そして内乱にまで発展して事実上分裂してしまったのである。
 また、朝鮮半島の北側にあった国も、隣国からの燃料や食料の供給を受けられなくなり、また、同じように農業が壊滅的な被害を蒙ったためにあっけなく崩壊してしまっていた。その結果、半島の南部の国に避難民がなだれ込んだものの、それほどの人口を支えきれずに同じように国家が破綻状態へと陥ってしまったのだ。
 ユーラシア大陸で起こった軍閥同士の衝突は、結果として諸外国の勢力の介入を招き、世界大戦へと発展していったのである。特に、半島北部にあった国が崩壊する際に、ミサイルを日本に向けて発射したのだが、流石のミサイル防衛システムもその全てを迎撃することは出来ず、撃墜できなかった数発のミサイルが地方都市に着弾していたのだ。そして、その弾頭には国際条約で禁止されていた化学兵器であるガス弾頭が搭載されていたことから、数万人という犠牲者が出てしまった。
 結果として当時の日本や軍事同盟を結んでいたアメリカ合衆国などを巻き込んでの大戦争となってしまったのである。
 現在では世界は生き残った先進国による管轄地域と、そうでない自然保護地域に分けられている。もはや地球事態の資源は再び20世紀後半から21世紀初頭のような地球人類総発展ができるような余裕はなく、先進国間で結ばれた協定により厳密に資源を管理しながら節約して使いまわしている状況だった。
 そして地球環境の限界を知った人類は、宇宙圏への進出を試みているのだ。
 ある意味では人類の本能ともいえる。
 人はその誕生したときから新たなるフロンティアを目指して旅を続けてきたのだ。そして今、人は地球という自らの生まれた星からその外に新天地を求める旅を始めようとしているのかもしれない。
 宇宙の環境の中でも人工的に重力を発生させ、地球にいるのと同じような環境を得られる技術も開発されているため、スペースコロニーのようなものも実用化できたといえる。これは簡単に言えば超伝導磁石で作られた円盤を超高速で回転させることで円盤自体の重量を増大させ、そして地球環境とほぼ同じ重力をその円盤を中心として発生させる、という技術である。
 逆にこのシステムを重力圏内で作動させると、システムの上部は重力が増大し、そしてそのシステムの下側では重力が軽減される、という現象が起こるため、様々に応用が利くのだ。
 それほど遠くないうちに、自分達もスペースコロニーか月面都市セレーネに移住するかもしれない、と聞かされている少女は友人のことを考えて少しだけ哀しくなった。
 あの混乱の時期をも何とか乗り切り、国力の維持に成功していた日本は再び発展することに成功し、月面やスペースコロニー群の幾つか、そして火星や金星などにも領土を持つ管理国連合の一員として地位を築き上げることに成功していた。
 第三次世界大戦の勃発により崩壊した国際連合という国際組織に代わって組織されたこの組織は、国家そのものの上位に位置する組織としてスタートしたものの、その構成国の間でさえ国力に大きなばらつきがあったため、自然に緩やかな結束を維持する先進国クラブとしての性格に落ち着いていったという経緯がある。
 日本はこの時代でも世界第二位の経済規模を持ち、なおかつ宇宙開発競争でも熾烈な競争を勝ち抜いて開拓済みの宇宙圏でもおよそ25%以上の領圏を持っているのだ。ちなみに全体の35%程はアメリカが占め、残りの15%は欧州連合が、10%弱はロシアが占めている。
 そうした経済力や国力の差はそのまま現実の国際政治に反映され、それが日常の生活に如実に結びついていた。
 とはいえ、そんな事は大人の、政治家達が考えることだ。
 それに、いくら母親が医学博士号をもつ科学者とはいえ、そう簡単に宇宙への移住はできない。おそらくその手続きには何年もかかるだろう。
 それにしても、この少年はどこからやってきたのだろうか。
 帰ってきたときに母親からのボイス・メッセージが届けられていた。今から急に欧州のドイツに向かわなくてはならない、という内容だった。
 よくある事だった。
 彼女の母は優れた医者であると同時に分子生物学でも名を知られた研究者でもあるため、ひっきりなしに海外出張や学会の発表などに駆り出されている。
 これからどうしようか、と悩んでしまった瞬間、チャイムの軽やかな電子音が鳴り響いた。
 
「ひょえ~、で、この男の子を連れ込んじゃったわけ!?」「やるぅ、アミってば大胆なんだから!」
「そ、そんなこと無いわよ・・・」
 女三人寄れば姦しい、という言葉があるが、流石に少女が三人も集まると大騒ぎになるだろう。
 彼女達の学校は女子高のため、どちらかといえば女の子の賑やかさがクラスの中でも溢れている。一般に女子高では男子の目を意識せずにすむ分、あまりおおっぴらに出来ない少女達の本音が露骨に出てしまう傾向があるのだ。
 アミ、と呼ばれた少女は困ったような恥ずかしげな表情で友人達を見つめる。
 慌てて少年を連れてきたものの、これからどうしていいのかわからない。少年は身元を明らかにするものを一切身に付けていないし、不思議なエネルギーフィールドに護られているのか、その鎧のような服を脱がすことも出来なかった。
 昏々と眠り続ける少年を目の前にして、これからの事を考え込んでしまったのだ。
「やっぱり、警察に届けようか?」
 友人の一人がおずおずと話しかけてくる。
 しかし、アミはその言葉に首を横に振った。今の社会で身元が完全に判らない、などと言うことはありえない。そうなると、その少年をかくまっていた彼女達も警察や情報局から事情を聞かれることになるだろう。
 下手をすると、アミの母親が申請している宇宙への移住申請にも悪い影響があるかもしれない。
 それに少年の身に纏う不思議な服と、その服を防御している未知のエネルギーフィールドの存在は、彼が非常に高度な文明の住人であることを示唆している。だが、そんな技術の存在など、どの情報ライブラリを探しても見当たらないのだ。
 だとすると、その未知の技術の調査のために当局が何をするかわからない。
 こんな無垢な表情で眠る少年が、そんな酷い目に合わされることは許せなかった。
 その時、
「う・・・」
 微かな呻き声が聞こえ、少女達ははっとアミのベッドで眠る少年に視線を向ける。
 今まで静かに眠っていた少年の表情が微かにしかめられていた。
 苦しげに首を左右に振って、そして不意にその目が開かれる。ぱちぱち、と目をしばたかせて、回りを見回した。
 そしてアミ達の姿を確認した少年が尋ねてくる。
「ここは何処ですか?」
 穏やかな言葉は、それだけで少女達を安心させた。いきなり怒鳴りつけられたりしたら怯えきった小鳥のようにパニックに陥っていたかもしれない。
 しかし、少年は優しげで静かな声音で丁寧に質問をしてきた。
(ふ~ん、中々礼儀正しいわね。ちょっとポイントアップだわ)
 アミの友人が心の中で少年にポイントを加算していた。
「え・・・と、ここは第二東京の、いえ、日本国連邦という国の第二東京という街です」
 判るかしら、と心配になりながらアミは少年に答える。
 少なくとも普通の人の服装でないことから、とりあえず国の名前を含めて答えてみたのだ。
「日本・・・国連邦?」
 訝しげな表情になって、少年は問い返してきた。
 アミはどう説明したものか、と思案しながら言葉を探る。
「いや、日本という国のことは知ってる。ただ、良く思い出せない・・・」
 少年の顔が曇った。
 そしてぽつり、と呟く。
「俺は・・・誰なんだ・・・?」
 
 突然、着信音が鳴り、静かに花を生けていた生徒達はぎょっとしてお互いに視線を向け合う。
 麗子は唐突にブレスレットから着信音が鳴り響いたことで慌てて、思わず手にしていた百合を茎の真ん中で半分にちょん切ってしまっていた。
 携帯電話は音が鳴り響かないように消音モードにしてあったものの、流石にフレイア・システムの端末であるブレスレット・ユニットまでは消音モードにはしていなかった。
 普段、絶対にこの時間には鳴らないと思っていたため、モードを切り替えていなかったのだ。
「ご、ごめんなさいね! ちょっと休憩していてください!」
 引き攣った笑みを浮かべて麗子は廊下に飛び出して、ブレスレットの通信モードをオンにする。もちろん、見られたときの事を考えて、携帯電話をその手に持っていた。
「・・・ねぇ、先生が携帯の音、切り忘れるなんてねぇ」「あの慌て方、何だろ?」「もしかして男!?」「うそ、だって先生って旦那さんいるんじゃなかった?」「え!? この間離婚したって聞いたけど・・・」「ひゃぁ、それじゃ、もしかして新しい男?」「かなぁ・・・」
 教室、とはいっても自宅の部屋を華道教室として解放しているだけの和室からひそひそと聞こえてくる生徒達の話し声に頭を抱え込みたくなりながら、麗子は通信相手を確かめる。
 発信元はフォーセリアという異世界にあるファールヴァルト王国の王城、軍統合司令部となっていた。
 変ね・・・
 そう思いながら、麗子はブレスレットに向けて話しかける。
 普段、眞は絶対に自分の職場からは通信をしてこない。必要がある場合は自分のブレスレットを用いて通話をしてくるから、眞の名前で表示されるはずなのだ。
「もしもし、麗子です」
 その声に応えたのは麗子の想像していた声ではなかった。
「あ、もしもし、北条麗子さんですか? 私、眞の友人の岡崎智子といいます」
 息せき切って智子が話し始めた内容を聞いていくにつれて、麗子の顔は血の気を失って青ざめていった。
「そ、それで・・・、彼とは連絡は取れないの?」
『・・・ごめんなさい。眞とはまだ連絡は取れていません・・・。ですが、彼が生きていることは確認していますし、救助のための準備も進めています』
 フォーセリアという異世界に飛ばされてしまっただけでなく、まさか、自然の理を司る精霊の王と相打ちになって更に別の世界に飛ばされてしまったとは・・・
「判ったわ・・・」
『全力で眞の救出をします・・・』
「お願いね・・・」
 ブレスレットの通話を終えた麗子は、その場に崩れ落ちてしまいそうになる自分を必死で叱咤して心を奮い立たせる。自分が泣き崩れていても何も始まらない。
 それは彼がフォーセリアに飛ばされてしまった時に嫌というほど思い知らされていた。
 あの日、林間学校に出かけた眞たちが消息不明となったニュースを聞いた瞬間から、数日間の記憶が残っていない。
 衝撃が余りにも大きすぎて、自分で何をしたのかさえ思い出せないのだ。
 気が付いたのは自分の寝室だった。めちゃくちゃに泣いたため、鈍い頭痛に苦しみながら眞の面影を呆然と追いかけていた。
 やっと本当の自分を曝け出せる人と出会えた、と思っていた。
 そんな少年が突如、自分の手から消えてしまったのだ。
 しかし、何もする気になれず、ただ呆然と時が流れるのを見つめるだけだった麗子の元に、突然、一人の少年が訪れた。年齢は十歳くらいだろうか。どこか眞に似た雰囲気をした少年だった。
 そしてその幼い少年は麗子に一枚の手紙を差し出したのである。
 その手紙を開いた瞬間、彼女は心臓が止まりそうになるほどの衝撃を受けていた。
 眞からの手紙だったのだ。
 手紙の内容は麗子の想像を超えるものだった。彼らは魔法による事故に巻き込まれ、“フォーセリア”と呼ばれる異世界に飛ばされてしまったのだ。そして、何とか無事に小さな国にたどり着いたものの、不穏な空気の流れ始めた異世界で生き残らなければならないこと、そして何とか帰れる方法を模索しているということを伝えてきていた。
「で、あなたはどうやってこの手紙を受け取ったの?」
 麗子は怪訝そうに少年に尋ねる。
 もし手紙をこの少年に送る術があるなら、何故自分に直接送ってこなかったのだろう。
 少年はにっこりと笑って応えた。
「それは、僕が眞さんのホムンクルスだからです」
 あどけない笑顔をした少年は、彼が眞の血を素材として作り出されたホムンクルスであることを麗子に伝えていた。眞は彼の助手としてホムンクルスを生み出そうと試みていたのだ。
 実際、魔法の研究や儀式の際にはアシスタントの存在は非常に大きな意味がある。
 また、そうした儀式に召還した魔神をサポートに回すのは危険がありすぎる。そのため、眞は信頼できるアシスタントの存在を必要としたのだ。
 幸い、古代語魔法の中にはホムンクルスという人間に極めて近い魔法生物を生み出す技術が存在する。眞はその技術を用いて、人間とほぼ同じ大きさのホムンクルスを作り出していたのだ。
 このホムンクルスに正魔術師程度の古代語魔法を扱う能力を与えて、眞は魔法を用いる際の助手としたいと考えていたのだが、フォーセリアに飛ばされるきっかけとなった魔法事故の後で、この世界で接触できる数少ない手段の一つとなったのである。
 今までこのホムンクルスが麗子の下に訪れることが出来なかったのは、彼の肉体がまだ安定しておらず、無事に培養カプセルの外で活動できるように待つ必要があったためだ。そして、眞が召還した魔神の中で、この世界に取り残されている下位魔神一体は安全の為に眞の部屋から出られないように結界の中に封じ込められている。逆にそれが功を奏して、眞がフォーセリアに飛ばされてしまった時でもこの世界に存在し続けることとなり、眞がその青銅魔神グルネルを通じて、この世界と接点を持つこととなったのだ。
 何が幸いするか判らない、と思う。
 そしてその魔神は、今は魔法の指輪に封じられて、そのホムンクルスの右手に収まっている。こうすることで、このホムンクルスはグルネルの持つ古代語魔法の力を全て使いこなせるようになるのだ。
 その後、直哉と名づけられたホムンクルスの少年は麗子やプロメテウスの元で働き続けて、様々な魔法装置の設置や研究に尽力してくれている。また麗子や榊原たち、プロメテウスの後見人達を護るべく、魔法生物や様々な守護システムの展開をも行っていたのだ。
 再びブレスレットから着信音が鳴り響く。
 その発信者はプロメテウスの来生弘樹だった。
 
 眞の生存とその救助計画が着手されたことが連絡され、プロメテウス首脳部にも新しい動きが生まれていた。
 それにしても、ファールヴァルト王国の動きは瞠目すべきものがある。
 眞が次元の裂け目に落ちて消えた直後に、眞の身に纏うSSIVVAからのビーコンを検出して、それを着実に追いかけながら遥か遠い『世界』にまで救出の手を伸ばそうとしている。
 流石にプロメテウスにはまだそれほどの余力は無い。
 日本の中に基盤を確立すべく、そして対抗勢力に対しての謀略戦を仕掛けている最中では動ける人材にも限りがあるのだ。
 また、プロメテウスを後援してくれている財界や政界の面々を動揺させないためにも、まず確実な情報を入手して対策を練る必要があったのだ。
 そして眞の装着しているSSIVVAからのビーコンを捉える精度を高めるために、東京ジオフロントにある施設を利用して時空アンテナシステムを展開することとなったのである。そしてファールヴァルトのフレイア・システムとジオフロントに建造された“ノルン・システム”を連結させたのだ。
 ノルン・システムはファールヴァルトにあるフレイア・システムの原型となった超コンピュータシステムの一つであり、凄まじい演算能力を誇る魔術コンピュータシステムである。
 『ウルド』『スクルド』『ヴェルダンディ』という三人の人格を付与された仮想人格OSを基軸として連結された演算ユニットをドライブするというシステム構成となっていて、現行のあらゆるスーパーコンピュータを圧倒的に凌駕するという途轍もない性能を持っていた。
 基本的にそのアイデアは簡単なものだ。
 要するに人間がオペレーションする代わりに、古代語魔法で付与された人口知性に直接プロセッサを操作させ、その強力な演算能力を人間的な柔軟なオペレーションシステムで活用する、というものだ。
 もっとも眞の部屋にあった原型は、それこそやっと動くようになったというレベルの代物でしかなかった。
 対話可能なシステムとはいえ、今の言葉による命令システムより多少マシ、というだけのもので、かなり具体的な処理内容を説明しなければ正しい結果が得られないような貧弱なものだったのである。
 たとえば、明日の天気の予想をしろ、という命令する場合、「日本の気象庁のウェブサイトから最新のデータを取得し、標準的な気象予報のアルゴリズムを用いて24時間後の東京の気象を算出しろ」という馬鹿馬鹿しいまでの具体的な命令をしなければならない。
 そして返ってくる答えも、「気象庁からの情報を分析した結果、24時間後の予想天気は湿度60%、南南西の風が風速10km/h、降水確率が30%であるため、晴れ時々曇りと予想されます。予想精度は85%です」という普通の人間なら眠気を誘うようなものなのだ。
 それでも、その原型を見た日本のコンピュータ企業の研究者や大学教授達は卒倒せんばかりの驚きを隠せなかった。少なくとも辛うじてとはいえ人間レベルの対話を行い、自力でその命令を実行して「自ら推測した結果を交えて」答えを出す、という現代のコンピュータでは不可能な真似をやってのけたのである。
 それほどまでにコンピュータに対話機能を持たせる、というのは難しい。
 このアーキタイプを基にしてプロメテウスと自衛隊、公安調査庁が合同で開発したのがノルン・システムだった。
 今では最新のCPUを数万個連動した検算ユニットと巨大なメモリシステム、記録ユニットを連動させた超コンピュータシステムとしてプロメテウスと自衛隊、公安調査庁などがその情報処理と魔法システム制御の為に活用している。
 様々な魔法のアイテムや装置と連携され、既存の科学技術を遥かに凌駕する能力を持つ『ノルン・システム』は遥か遠い異世界へ、眞の痕跡を探すための探知の網を放ち始めていた。
 
 
 

~ 2 ~

 
inserted by FC2 system