プロローグ
僕はこんな力なんか欲しくなかったんだ・・・・
そう思いながらまだ幼い少年は自分の腕の中で目を閉じたままの少女を優しく抱きしめる。時折、少女は苦しげに呻きながらも、少年をそっと見つめた。 ねっとりとした熱帯の空気が二人を包み込んでいる。 もう、二人とも気が付いていた。 少女は助からない。 彼女の脇腹を貫いた弾丸は、確かに街中であれば、せめて、病院にすぐに担ぎ込める場所であったならば、手当ては可能だったはずだ。しかし、ここから、コスタリカの熱帯雨林のど真ん中からは、近代設備の整った病院は絶望的なほどに手が届かなかった。 「ゴメンネ・・・」 少女は何に対して謝ったのか、少年には思い至らない。むしろ、謝るのは自分のほうだ。 あの瞬間、ゲリラの男が構えた自動小銃の銃口が自分に向けられたとき、躊躇わずに殺していれば・・・ ほんの一瞬、自分が迷った為に、少女は銃口に身を投げ出してしまった。 そして、乾いた銃声が少年の耳に木霊していた。 脇腹から血を流して崩れ落ちる少女の姿が、まるでスローモーションのようにゆっくりと見えた。少女の手に握られた銃は、しかしそれを操るべき主が倒れたことで、その凶暴な破壊力を発揮できない。勝ち誇ったように男がゆっくりと近づいてきた。 もう、少年以外のツアー客は、殆ど殺されていたようだった。 護衛として雇われていた現地人の少女もまた、銃弾に倒れてしまった。 まだ息がある少女を見て、ゲリラの男は卑猥な笑みを浮かべる。そのまま、少女のまだ幼い胸を弄り始めた。 男が何をしようとしているのかを悟って、少年の心に嫌悪と怒りが沸き立ってくる。 そして・・・ その怒りに恐れたかのように、鳥達が悲鳴のような鳴き声を上げながら飛び立っていく。夥しい数の鳥が、そして獣が何かを恐れるかのように一斉にその場から逃げ出していった。 ゲリラの男達だけが、その何かを感じ取れずに、戸惑っていた。 「¿Que pa so? (What’s up!?)」 不安げな男の言葉が、少年の心には馬鹿馬鹿しい戯言としか聞こえなかった。人の命を簡単に奪い、弄ぶような輩が、己の命に危険が及ぶことがそんなに恐ろしいのか。 怒りが少年の力を、その強大な破壊の力を発動させようとしていた。 「マドカ・・・ダメ・・・」 少女の声が怒りに我を失いかけていた少年の心を微かに呼び覚ます。だからこそ、その馬鹿な男は無慈悲な力に滅ぼされずに済んだ。 だが・・・ 金色の輝きが少年を覆う。 それは外から照らし出されたという光ではなかった。少年自身が、その光を放っているのだ。少年の影が消えうせ、周囲は純粋な光に覆われていた。 ゲリラの男達は放心したようにその異常な光景に見入っていた。 余りにも美しく、そして神聖な光景だった。 もし、神がその場に光臨したならば、もしくはそのような光景だったかもしれない。 だが、その少年が身に纏う力は、絶対の破壊の力だった。 徐々にその光は勢いを増して、男達のほうに伸びていく。 そのまま、男達は消えうせた。 倒れたのでもなく、死んだのでもなく、文字通り、消え失せたのだ。 「お前は、俺がこの手で殺してやる・・・」 日本語で語りかけられた少年の言葉は、恐らく男には理解できなかっただろう。だが、その少年の言葉が持つ意味は明確に伝わったのだろうか。何かスペイン語でもない言葉でわめき散らしながら、その場から逃れようとした。しかし、少年の放つ輝きはそれを許さなかった。 黄金の輝きは、男の五体の自由を完全に奪い去っていたのだ。 そのまま少年は力を失った少女の手から銃を取り上げる。そして、ゲリラの眉間にその銃口を押し当てた。 冷たい鉄の凶器が眉間に押し当てられ、その凶暴な破壊の力が自分にどのように向けられるのか、悟った男は涙と鼻水を垂らしながら泣き叫ぶ。 その男を冷たい目で見下ろしながら、少年は引き金を引いた。 ツアーガイドの一行が、左翼ゲリラの襲撃を受けたのはつい、半日前の事である。 コスタリカの遺跡を巡るツアーであり、どこか学術調査の色合いを帯びた地味なツアーだったが、遺跡発掘の調査隊に出資している出資者達の為だけあって、政府軍や現地のガイドなどが付くという、かなり厳重な警備の元、安全を確保した上での行程のはずだった。 しかし、何処かからツアーに関する情報が漏れていたのか、反政府左翼ゲリラの襲撃を受けたのだ。 緊急事態の報告を受けて特殊部隊が現場に駆けつけたとき、生きているのはたった一人、ツアー客である少年だけだった。その少年の周囲には無残に殺されたツアー客の遺体が倒れ、少年は銃を握り締めたまま、現地人の少女を抱きかかえていた。 その少女は既に息絶えており、脇腹を撃たれた銃創からの出血死だった。そして、その脇にはゲリラと見られる男の遺体が横たわっていて、眉間を接射距離から自動小銃で打ち抜かれて頭部の後ろ半分がきれいさっぱりと消えうせていた。 だが、ゲリラと見られる男はその一人だけで、しかし、複数人数が襲った痕跡と矛盾して一人たりともその場を脱出した痕跡が見られなかったのだ。また、そのゲリラらしき男の手にはやはり、自動小銃が握られていて、銃弾も充分に装填されていたにもかかわらず、無抵抗に極至近距離から射殺されているのも不自然だった。 硝煙反応と返り血を分析したDNA鑑定から、その日本人の少年が男を射殺したのは間違いない事実のようではあったが、どのようにして幼い少年が実践経験豊富なゲリラを、しかもこのような不可解な殺し方が出来るのか疑問とされたのだが、その少年は何も語らず、また何の表情も浮かべていなかったため、緊急にカウンセラーの手に預けられることとなった。また、その少年の祖父が日本の政界における最重要人物の一人であったことも関係し、政府としても極秘裏にすべてを処理して事件の顛末は闇に葬り去られたのである。 そして、少年は日本大使館に保護された後、極秘裏に送還されていた。 1998年、少年が14歳の時だった。 |