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オーファンの騎士が全滅したにも拘らず、彼らの遺体が殆ど発見されなかった、という情報により、オーファン首脳部には激震が走っていた。
そして、その調査に赴いた騎士と密偵からなる混成の調査部隊は、驚くべき情報を持ち帰っていた。騎士団が全滅した場所で、多数の人ならざる足跡が残されていたのだ。さらに、調査部隊の魔術師が調べたところ、強力な魔法の儀式が行われた形跡が残っていた。 一般に古代語魔法の儀式を行った場合や、特別な精霊魔法、神聖魔法による儀式などを行った場合、魔力の痕跡が残されているときがある。魔法による儀式は強力な魔力を発動するため、暫くの間、その場に魔法の力場や魔力の構成の名残が痕跡となって留まっているのだ。もちろん、これらも時間が経つと自然に崩壊し、消滅してしまう。だが、一般に強力な魔法の儀式であるほど長い時間、その痕跡が残るとされていた。 熟練の魔術師であれば、このような魔術の痕跡を感知する事は難しくは無い。さらに、これらの痕跡は古代語の特殊な呪文を使うことである程度、解析をすることが出来るのだ。 その魔術師が< 実際に眞が『視た』情報ほどには確かなものではなかったが、何者かが強大な魔法を用いて大規模な召還儀式を行ったらしい、という情報はオーファンの首脳部を動揺させていた。そして、実際にファンドリア軍やロマール軍と対峙している現状から、オーファン軍の内部には何らかの形で魔法兵器を導入すべき、との意見が広まりつつあった。 当然の事ながら、魔法の兵器化に宮廷魔術師ラヴェルナを始めとする魔術師ギルドは激しく反対したが、国家の存亡と理想の追求を比べた場合、為政者の取るべき道は一つしかなかったのである。 眞は王城クリムゾン・ホーンの執務室でランダー、ファーレンと極秘の会議を行っていた。 三人は深く沈んだ表情で各国の動きを交えて、それぞれの考えを述べ合う。 「眞、ランダー。私が思うには、この戦争、あまりにも動きがおかしい。そして、各国がすでにある程度の魔法兵器を導入している事を考えれば、今までの常識では考えられないような事態に発展しかねない」 ファーレンが苦渋に満ちた声でそう呟いた。 ある意味ではファーレンの懸念は至極当然のものだっただろう。圧倒的な力である魔法兵器などを用いた戦争は、騎士団同士のぶつかり合い出会った今までの 戦争とは全く異なるものでしかない。 大量に生産が可能なホムンクルス兵士やアーマ・フレーム等は国力の限界を超えた戦力の整備を可能にする。その上で、通常の歩兵戦力を凌駕する戦闘能力と遠距離攻撃能力は、もはや今までの騎士の戦争を過去のものにしてしまうだろう。 結局のところ、大規模な破壊戦争への道を開くことになってしまった魔法兵器の開発は眞の心を苛立たせていた。 「俺たちの世界でも、戦争がろくでもない殺し合いになったのは事実さ。文明や技術の進歩は必ず武器の強化や戦力の増強に使われる。その怖さを知らない馬鹿が手を出して、取り返しのつかない事態を引き起こして、大慌てで殺し合いのルールを作るようになる・・・」 疲れたような溜息を吐きながら、眞は言葉を紡ぐ。 ファールヴァルトのみならず、ロマールやファンドリアが魔法を応用した戦力の拡張を試みていたのは公然の秘密だった。 もともとファンドリアではコリア湾の海賊ギルドと接触をして、西部諸国の一つであるドレックノールが復活させた魔獣創造の秘術に対抗して、魔獣創造の技術を開発を進めていた、と言われている。このような技術をロマールが見逃すはずもない。ロマールはアレクラスト大陸で知らないものはいない、かの有名なロマールの闇市があるその地なのだ。禁制品であるユニコーンの角さえ取引されるこの地で、魔法の兵器化が考えられていない、とする方が無理があるだろう。 そもそも、権力者の権力の源が経済力と武力によって支えられているのであれば、それを追求するのは権力者にとって当然の本能とも言える。 その上でロマールは内政にも対外侵略戦争の必然性を抱いている。恩賞として新貴族に与えた貴族位や領有地が行き渡り、旧来からの大貴族と新貴族との間の対立が深刻化し始めていたのだ。 当然の事ではあるが、今までは大貴族も新たな領土を得て、その富や財産の拡大を図ることが出来たからこそ、新貴族に対しても寛容だった。だが、もう既にロマールの周辺には征服できる対象がほとんど残されていない。 南のドゥーデント半島は巨人の領域であり、流石にロマールが侵入しても勝利は厳しい上に統治できる可能性も低い。そのため、西に広がる西部諸国か東のザイン王国しか侵略できる可能性のある国は存在しなかった。だが、ザイン王国はロマールに招聘されたルキアルの働きでファンドリアと共に同盟関係にあったため、西部諸国が唯一の征服対象として残されていた。 しかし、それも先ほどの西部諸国侵略戦争、いわゆるロマール戦役で屈辱的な引き分け、講和という結果に終わり、莫大な戦費の捻出の割にはほとんど何も得られなかった。その上で西部諸国はタイダル軍事同盟という、以前にあったタイダルの盟約を遥かに上回る軍事条約を結び、強硬に対抗してくる事態になったのである。 もちろん、それでもロマールに比べて圧倒的に戦力に差があるが、ひそかにオーファンとも連絡を取っている、との情報が齎され、ロマール王国は西部諸国に対して身動きが取れなくなっていたのだ。 そのため、大貴族側は露骨に新貴族を挑発し、追い落とすための工作に出始めていたのである。 当然ながら、魔法を武力化する方法は考えられているだろう。 その実現可能な方法の中で一番確実な方法は、魔獣を創造することだ。魔法兵器を開発するためには極めて高度な付与魔術と同時にほぼ全ての分野で古代王国並みとは言わないまでも相当なレベルの魔法技術を復活する必要がある。だが、それは現実には不可能だった。 唯一実現可能な方法としては魔法生物や魔獣を創造し、それらを部隊化することだった。 ホムンクルスやアルラウネなどの魔法で生命を生み出し、操作する方法は細々とではあるが伝えられている。 また、ロマールの西部諸国侵攻、 一度、使われてしまったものはもはや 西部諸国においては、少なくともその主戦場となったベルダインの国民達にはもはや、魔法を武器として運用することや魔獣の部隊を用いることに対する警戒心や抵抗感はロマール戦役以前に比べて大幅に減っていた。 -奇麗事では安全は護れない その感情は現実に命の危険を以って思い知らされたものである。そのため、ベルダインも極秘裏に魔法の武力応用と魔獣部隊の整備を始め、それをタイダル同盟首脳は黙認せざるを得なかった。 どう足掻いてもロマールの圧倒的な戦力の前に、現在の疲弊しきった軍と国力では対抗しきれない。そのため、ドレックノールの魔獣部隊やコリア湾の海賊ギルドが開発していた魔獣部隊の技術を研究・発展させて独自の魔獣部隊を編み出していたのだ。 他にも手元にある魔法の宝物を武装化して運用が出来るように研究も進められていた。 西部諸国では長らく平和の時代が続いていた。 かつてのザンティ王国の滅亡から数十年の混乱の時代を経て、現在の十国にまとまってから、大きな戦争もなく、ほとんどが国境での小競り合い程度であった西部諸国では、すでに戦争、というものに対する感覚はそれぞれの国の騎士団が国境で対峙しあって、適当に文言を言い合いながらなんとなく終わってしまう、というかなりのんびりしたものだった。 そして実際に国力の誇示、という意味では統一した軍事パレードやトーナメントの順位でお互いに満足していたのだ。 それが当たり前だったのだ。 しかし、その日常はロマールの侵攻とともに終わった。 それは“ 眞はそんな現実をユーミーリアの現実と比較して絶望的な想いを抱いていた。 「俺達の世界もかつて巨大な2つの勢力が対峙して、その軍事的なバランスが保たれていることで辛うじて世界的な大戦が回避されていた、という時期もあったんだ」 冷戦構造が崩壊する以前は米ソに代表される民主主義陣営と共産主義陣営の対立により、イデオロギーの対立はあったものの単純にいずれかの陣営、という二つに分かれていただけだった。しかし、冷戦構造の崩壊後、世界は期待された全ての人々が民主主義と資本主義の恩恵を受けて平和裏に発展する、という希望的な予測は悉く裏切られることになった。 民主主義と共産主義の対立の中で埋もれていた宗教的対立と民族主義が一気に噴出してしまったのだ。 「戦争を回避するための努力が、却って新たな、しかもより一層厄介な対立の楔を解き放ってしまったというわけか・・・」 やり切れんな・・・、とファーレンは独り、言葉を漏らして天井を仰ぎ見る。 “ムディール解放の虎”を率いる男、ディエンは目の前に置いた短剣を身じろぎもせずにじっと見つめる。 その短剣はファールヴァルトの侵攻の際にかろうじて持ち出すことが出来た秘宝の一つである。この反り返った鋭い刃を持つミスリル銀製の短剣には恐るべき魔力が付与されていた。それはある儀式を行いながらこの短剣を以って自らを傷つけたものはライカンスロープになる、というものだった。しかも、この短剣によってライカンスロープになったものは人間の知性を保ったまま獣の姿になることが出来るのだ。また、月の光が無くとも自らの意思で獣の姿をとることも、半獣半人の獣人の姿となることもできる。 あのファールヴァルト軍の恐るべき戦闘能力に打ち勝つにはもはや普通の手立ては残されていない。そのために、ディエンを中心としたムディール解放の勇者達は静かに決意を固めていた。 自らを獣と修羅の道へと堕とすことを・・・ 今までにすでに幾度かファールヴァルト軍との戦いを経験している。そして思い知らされていた。人外の力を持つ獣の民の戦士達や魔法兵器の前に、ディエン達は太刀打ちが出来なかったのだ。 数百人いた騎士や兵士達も少なくない数の者が傷つき、死んでいた。 ムディール解放の虎にいる数名の精霊使いのなかで、一人、ハーフエルフの女性がいたことが彼らをかろうじて生き長らえさせていたと言ってよい。彼女の操る知られざる生命の精霊の力は、一瞬にして傷を癒すことが出来る。もちろん、手足を失ったり死んだ人間にはその力は及ばないのだが、少なくとも負傷しただけの兵士達は短い時間で戦闘能力を取り戻すことが出来る。 しかし、それだけだ。 勝利することが絶望的な状況は兵士達の心を打ち砕きつつあった。 失うものの無い男達の絶望は狂気とも言える想いに変わってしまったのだ。それが、自らを呪われた獣人と化してでも悲願を成就しなければならない、という歪んだ決意となっていた。 「我等はティン陛下の忘れ形見であるシェン殿下を正当なる後継者としてムディール王国の復興を果たさねばならん・・・」 そのディエンの言葉にムディールの戦士達は静かに耳を傾ける。既に彼らの心は決まっていた。 今までと同じ戦いでは絶対にファールヴァルト軍には勝てない。ならば、彼らと同じ人外の者となって初めて、奴らに伍する事が出来るのだ。そして、それを可能にする唯一の方法も彼らの手にある。 ディエンはゆっくりと彼に従う勇者達を見回した。そして、決意の言葉を掛ける。 「我等がムディールの為、共に獣の道に堕ちようぞ・・・」 悪意の森を照らす月明かりだけが彼らの悲しい決意を照らし出していた。 もうその儀式のための準備は出来ている。彼と運命を共にする仲間の中にただ一人だけ魔術師がいたのだ。彼は導師級の力を持つ優秀な魔術師であり、この魔法の短剣の力を解明したのも彼だった。 そして、ディエンはその銀色の刃を左手に突き立てる。強い魔力が彼の肉体に流れ込んでいくのを自覚しながら、ディエンはファールヴァルトの鋼の将軍を打ち倒す事を強く想っていた。 深い森の闇は人の心に恐怖と不安を掻き立てる。 だが、森の住人である獣の部族は別だ。彼らにとって、この悪意の森こそが生まれ故郷であり、最も慣れ親しんだ世界である。獣の力を持つ彼らは、普通の人間よりも遥かに鋭敏な感覚を持っている上に、全員が優秀な野武士としての技術を持っている。 ダーレイはその鋭い感覚で微かな違和感を感じていた。 それは突如、縄張りに侵入者があらわれたような落ち着かない感覚にも似ている。 うなじの毛がざわざわと逆立つような不快な感覚。 それがダーレイのみならず獣の民の戦士達に敵の接近を伝えていた。 不意に微かな、しかし風を切り裂くような鋭い音が響く。だが、既にダーレイや獣の民の戦士達は闇に溶け込むように飛来した矢を回避して森の中に紛れ込んでいた。 もちろん、それは物騒な挨拶を送ってきた相手にも判っているのだろう。再び気配を殺して足音を立てずにじっと闇の中に潜んでいる。 (やっかいな連中だな・・・) ダーレイは内心で舌を巻いていた。 この悪意の森で、ダーレイほどの実力を持つ獣の戦士を相手にして、ここまで見事に隠身をするのは眞をはじめとして数えるほどもいない。 獣の民の戦いは基本的に静かに相手に襲い掛かる、不意打ちと暗殺術が主な戦い方だ。その上で強力な白兵戦の能力で相手を一気に倒すのである。そのため、相手も同じような戦い方をするとなると、あとは忍耐力の戦いになるのだ。 いやな予感がしていた。 もしダーレイたちやナイト・ゴーンツ、魔法騎士団以外の兵士がこの連中に襲い掛かられたら一方的に殺されるだろう。 その不安を見せ付けるかのように、不意にダーレイの視界に閃光のように短剣が飛び込んできた。 軽く首を振ってその刃を回避する。しかし、その動きの隙を待っていたかのように音もなく影がダーレイの頭上から襲い掛かった。 だが、ダーレイはその襲い掛かってきた影に向かって手にした曲刀を突き上げる。 愛用している曲刀は月の光を反射してぎらり、と一瞬鋭い輝きを放った。彼ら獣の部族の主となった眞から手渡された魔法の曲刀である。強い魔力を帯びた刃が黒い影に滑り込むように突き刺さった、と思ったその瞬間、ダーレイは信じられない光景を目にした。 あろうことか、空中から飛び降りてきた影が身を捩ってダーレイの突き出した刃を回避したのである。 不意の攻撃に対応しての不充分な体勢からの一撃とはいえ、獣の部族の中でも最強の、そしてファールヴァルト王国でも有数の実力を持つ戦士の一撃を空中でかわすような存在は只者ではない。 ダーレイは影が閃光のような一撃を放つのを、獣人であるが故の素晴らしい瞬発力で避け、距離を置いて対峙する。驚いたことにその影はダーレイの一撃を避けながらも鋭い反撃をかわし、その上で体勢を崩すことなく見事に着地をしていた。立ち上がったときには既に隙の無い構えでダーレイを睨みつけていた。 「驚いた。まさか、今の一撃を避けられるとは思いもしなかったぞ」 その立ち上がった男に、ダーレイは軽い驚きを覚えていた。その瞳は金色に輝き、その縦に鋭く開く瞳孔は肉食の獣のような印象を与えている。 獣の民の戦士は不意に先ほどから感じていた違和感の正体を悟っていた。 「俺も驚いたぜ。まさか、俺達以外に獣の力を身につけた連中がいるなんてな」 獣憑きとも違う、野獣の力を自らの理性で御し、使うことの出来る獣人の存在がダーレイ達に驚きを齎していた。 凄まじいまでの緊張感がダーレイと男の間に張り詰める。 耳鳴りさえ覚えるほどの重圧感に獣の民の戦士と襲い掛かってきた獣人達の戦いが凍りついたように止まっていた。眞に匹敵するほどの戦士であるダーレイと互角の気を放つ目の前の獣人の戦士は只者ではない。 「なるほど・・・面白い野郎だ・・・」 ぞっとするような笑みを浮かべて、ダーレイは次の瞬間、稲妻のように動いた。 一瞬にして間合いを詰め、そして閃光のような一撃を放つ。獣人である彼らの反応速度や運動能力は常人のそれを遥かに凌いでいる。だが、謎の獣人の戦士もまた、その鋭い一撃を受け止め、しなやかな動きで俊敏な体捌きを見せ、ダーレイの攻撃に匹敵する一撃を返した。 その反撃を読んでいたかのようにダーレイも軽くステップを踏んで避ける。幾度か剣戟を振るいあった後、二人はどちらともなく間合いを取って再び対峙した。 「てめぇ、いい腕してるぜ」 ダーレイは楽しげに呟く。 謎の戦士もまた、にやり、と笑みを浮かべて言葉を返した。 「なるほど、獣の民の若長候補に名が挙がるだけはある」 その言葉に獣の民の戦士達の間にざわめきが広がる。ダーレイが次の若長として期待されていることを知るものはそれほど多くない。このことはファールヴァルト王国内に内通者がいる可能性をも示唆していた。 もっとも、ダーレイ自身はそのことを深く心配していない。どんな国家にも内通者や間者は紛れ込む。その上であの鋼の将軍はそうした間者をある程度自由にさせていた。それは内部の情報が完全に隠蔽されたままでいると余計な不安や疑念を掻き立てかねないためだ。 平然としているダーレイの様子に警戒したのか、謎の獣人の戦士達は音もなく後退すると、身を翻して一瞬の間に悪意の森の中に姿を消していった。 「またいずれ 悪意の森の奥から声だけを残して・・・ 「そちらはどうなってい・・、ぐはぁっ!」 ファールヴァルト軍の兵士が胸をざっくりと切り裂かれ、鮮血を噴出しながら倒れこんだ。 闇と木々の陰にまぎれた奇襲に、不意を撃たれた月光の神殿守備隊は完全に守勢に追い込まれていた。ファールヴァルト軍の主力部隊である魔法騎士団もナイトゴーンツも、それが最精鋭部隊であるが故に辺境の遺跡の防衛に張り付かせていられない、という事情が一般兵士を中心とした防衛隊の編成という現実に現れていた。 こうした状況でも恐慌状態に陥ることの無い戦闘機械であるアーマ・フレームが黙々と反撃を繰り広げる中、謎の襲撃者たちは素早い波状攻撃を繰り返してファールヴァルト軍の兵士達を追い詰めていく。 ファランクスの放つ光弾をも軽々とかわしながら、黒い影は鋭い一撃で戦闘機械を次々に撃破していった。もちろん、ファールヴァルト軍も無力ではなく、攻撃を当ててはいる。しかし、兵士にさえ魔法の武装を与えているファールヴァルト軍ではあるが、敵の戦士は驚くべきことに傷が見る見るうちに回復し、やがて何事も無かったかのように戦線に復帰してくるのだ。 「あ、あいつら、不死身なんじゃないのか!」 普通の人間なら二度は死んでいるほどの怪我を負いながらも口元に笑みさえ浮かべながら狂ったように剣を振るう敵の戦士を見ながら、さすがのファールヴァルトの兵士たちも浮き足立ち始めていた。 ファールヴァルト軍はわずか数年前まで小国だったため、まだ大規模な軍組織を効率よく運用するノウハウの蓄積に乏しい。その上、大規模な戦争もほとんど経験をせず、アノス、ムディールとの戦争でも魔法騎士団や魔法兵装を奇襲的に運用しての勝利だったため、こうした伯仲した戦いでの経験が積まれていないのだ。 必死の防戦も虚しく、ファールヴァルト軍の遺跡警備隊は謎の獣人たちの襲撃を防ぎきれずに敗北していた。 警備隊およそ千名のうち死傷者は二百五十名ほどの被害が出て、比較的若い隊員の多いこの部隊は体勢を立て直すことができずに退却を余儀なくされていたのである。 もっとも、この遺跡自体も魔法で厳重に保護されているために内部に立ち入ることさえできなかったため、部隊を指揮する騎士も被害を大きくするよりは、と退却の命令を出していた。尤も、その騎士は最後まで部隊の被害を少なくするために殿を務めて奮戦し、壮絶な戦死をしていたのだ。 ファールヴァルト軍の司令部に入った「遺跡警備隊敗れる」の連絡をうけ、眞とファールヴァルト軍の首脳部は緊急に対策会議を開いていた。 「拙いな・・・。あの遺跡はシオン殿が言っておった例の魔法装置のある遺跡ではないか・・・」 ファーレンは顎鬚に手をやりながら俯いていた。 事態の大きさを認識しているのは、ファールヴァルト王国の中でも極限られた人数しかいない。遺跡の機能はそれでも、全貌を知るものはいないのだ。情報を提供したシオン自身も、一度そのような遺跡の話を古代の書物で読んだことがある、というだけで具体的な情報は掴んでいなかった。魔法王による弾圧を恐れたために徹底的に隠されてきた遺跡のことを調べるのは簡単なことではない。 さすがに生まれた時代が異なるため、メレムアレナーもこの遺跡に関しては全く知らなかったのだ。 傷ついた古の巨人の手当てを行いながらも、ファールヴァルト軍の幹部たちはこの複雑に絡み合ったフォーセリアの動きに正確に対応するため、可能な限りの情報を収集していた。 『済まぬ・・・』 苦痛に顔を翳らせながら大地を護る剣が語った言葉は眞たちの予測を裏付けるものだった。 彼の一族を襲った者たちは高度に訓練された先頭集団であり、最初から巨人を拉致することを目的とするように襲撃をしていたようだ。 それは激しい戦いだった。 深い森の中、巨人の一団がゆっくりとした足取りで西に向かって歩いてゆく。 大地を護る剣は、かつて永い時間を過ごしてきた土地を離れて、新しい安住の地を求める長い旅に出ていた。その中でこの地を領する人間の少年に出会ったことで、少なくとも彼の土地の間を自由に通り抜けてよい、との言葉を受けている。ただ、この地には彼と敵対する存在もいるらしく、警戒を忘れないように、とも告げられていた。 暫くは問題なく旅をしていることができたのだが、いつ頃からだろうか、何者かが彼らの後を突かず離れず、付けまわすように微妙な距離を保ったまま付いて来ている事に気付いていた。 深い緑に溶け込むようにして中々その様子が窺い知れなかったが、確実に複数の人間らしい気配が彼らを狙っている様子だった。 そしてある夜。 眠りについていた巨人に密かに人影が近づいていく。 ほとんど音を立てずに、しかし、しなやかに動く影はその静かさからは信じられないほど速く接近していく。そしてその人影の目は金色に輝く肉食獣のような縦長の瞳孔をしていた。 巨人たちは完全に寝静まっているようだった。身動ぎもせずにやすらかな寝息を立てている姿は、その信じがたい巨躯を除けば人間と変わらないように見える。 そして人影が大地の剣の前を通り過ぎようとしたとき、かっと目を見開いた巨人が目にも留まらぬ速さでその名の如く巨大な剣を抜き、襲撃者へと死の刃を叩きつけた。 だが、完全な不意打ちであったはずの巨人の一撃をその先頭の人影は驚くべき俊敏な動作で避ける。 その想像を超える動きをした相手に大地を護る剣は緊張を覚えていた。 次の瞬間、その襲撃者たちは一斉に分散し、そして巧みにお互いを援護しながら巨人達に襲い掛かっていく。大地を護る剣以外にも数名の巨人が各々の武器を構えて不遜な敵を返り討ちにしようと待ち構えていた。一人の巨人が剣を構えて牽制しながら女と子供の巨人を逃そうとする。そして大地を護る剣と二人の巨人は襲いかかってきた人影を殲滅せんと果敢な攻撃を加えていった。 巨大な剣が唸りを上げ、大気をも切り裂かん勢いで振り回される。人間の数倍の体躯から繰り出される一撃はそれだけで必殺の破壊力を秘めているのだ。 しかし、その攻撃を襲撃者たちは巧みに避けながら恐るべき俊敏さで切りかかってくる。 とても人間とは思えないほどの圧倒的な早さだった。 そして足場の不安定な森の中、しかも夜の闇の中で明かりをつけずに自由自在に動き、巧みな波状攻撃を仕掛けてくる。その極めて高度に訓練された組織的な攻撃に、次第に大地を護る剣と二人の巨人は圧倒され始めていた。 身長の高さに違いがあるため、確かに巨人たちが頭に致命傷を受けることは無い。しかし、相手のその小ささが逆に、巨人たちの攻撃を難しくしている。 剣を振るって戦う場合、自分の腰ほどしか伸長の無い相手に攻撃を当てるのは非常に難しい。低い軌道でしか武器を振るうことができず、また、相手の身体に届かせる為には自分の体勢を崩さざるを得ないのだ。 そのため、本来の攻撃のキレを大きく損なうことになる。それを知っているのか、襲撃者たちは低い体勢を維持したまま素早く動き回り、そして小刻みに攻撃を仕掛けてくる。そして、少し離れた場所から弓を射掛けてくるのだ。 (このままではいかん・・・) 大地を護る剣の心に焦りが生じ始めていた。 敵の見事な連携攻撃の前に、彼ら巨人たちは次第に分断され、孤立した状態に追い込まれていく。 いかに巨人とはいえ夜の闇を見通すことはできない。 それに対して襲い掛かってきた人影はその闇をものともせず、まるで日中に戦っているかのような動きを見せて攻撃を仕掛けてくるのだ。 どれほどの時間、戦い続けていたのだろうか。 強力な弓の一撃を受けて思わず膝を着いてしまった大地を護る剣の目の前で、一緒に戦っていた若い巨人が不意に意識を失ったように倒れ込む光景が見えた。 悲痛な巨人の声が森に木霊する。 しかし、数本の矢が身体に突き刺さった巨人は身動きすることができなかった。恐らく、毒が塗られていたのだろうか。身体が麻痺したように力が抜けていく。だが、同胞を手にかけたこの不遜な襲撃者をこのままにしておくわけにはいかない。 自らを奮い立たせるように怒りの声を上げて大地を護る剣は再び立ち上がる。 先頭に立って戦っている人間の男に突進して切りかかって行った。 その男は一瞬、驚いたような表情をして、次の瞬間、稲妻のように真横に跳ぶ。あと僅かのところで大地を護る剣の死の刃は男を取り逃がしていた。尋常ではない使い手のようだった。 (この男、あの“真実の子”と較べても引けを取らん・・・) 流石にこの戦いの中でも大地を護る剣は数人の敵を屠っている。しかし、そのいずれもが並みの人間の戦士を遥かに凌駕する動きと強さを持っていた。 これほどの戦士の集団がこの“真実の子”の領内にいる、というのはあの少年にとっては無視できないことだろう。 そしてその戦士が猛烈な攻撃を仕掛けてくる。 圧倒的な速さと正確さで仲間と共に攻め立て、大地を護る剣を完全に防戦一方に追い込んでいく。 もう一人の巨人も戦士の集団に取り囲まれ、一方的な攻撃の前になす術も無く立ち尽くしている。辺りは巨人の流した地と数体の戦士の死体が転がっていた。 大地を護る剣の目に、一人の男が不思議な言葉を唱えているのが見える。と、その男の身体が見る見るうちに巨大に膨れ上がり、自分達と同じような巨人の姿に変わっていくのを信じられないような思いで見つめる。 その巨人に変身した男は倒れて動かなくなった若い巨人を抱えて森の奥へと歩き去っていく。 それを止めようとする大地を護る剣の前に戦士達が立ちはだかる。怒りに任せて剣を振るう巨人だったが、冷静さを失った太刀筋は荒く乱れ、熟練の戦士達に易々と避けられてしまう。 魔法をかけられたのか、若い巨人は身動ぎもせず連れ去られていった。 そしてどれほどの時間、戦い続けていたのだろうか、大地を護る剣が気が付いたとき、ほとんどの戦士は姿を消していた。そして目の前に最後まで立ちはだかっていたあの恐るべき手練の戦士が大地を護る剣の一撃を避けると同時に森の中に消えうせた後、そこには数人の襲撃者の死体と傷ついた二人の巨人だけが取り残されていたのである。 「“真実の子”よ・・・我等を襲い、そして一族の者を連れ去ったものが何者かは判らぬ・・・。だが、あの人間たちは普通の人間ではなかった・・・。暗闇の中で自在に動き回り、そして我等を殺すことではなく、巨人たる我等の一族のものを生きたまま連れ去っていったのだ・・・」 理由無きまま、そのようなことをするものがいるとは思えん・・・。そう大地を護る剣は言葉を紡ぎ終える。 だが、その言葉を聞いて眞は確信を得ていた。 やはり襲撃者たちは巨人を生け捕りにする、という目的があったのだ。そして、その捕らえられた巨人は月光の神殿とは無関係だとは考えにくい。月光の神殿を防衛していたファールヴァルト軍も何者かに襲撃されて遺跡の支配を奪われている。 その後、何度か遺跡奪還のために戦力を向けていたのだが、逆に相手は遺跡の中に篭城して出てくる気配はなかった。流石にカストゥール王国の魔法王の追及からも逃れていた神殿だけあって、ファールヴァルト軍も攻めあぐねている。 遺跡自体は目立たない形でひっそりと佇んでいた。 しかし、その神殿は地下に建設されていて、その中心部にたどり着くまでには広大な迷宮状の階層を幾重にも抜けて、さらに強力な結界を突破しなくてはならない。シオンの記憶を頼りに得た情報を纏めたところ、力ずくでこの神殿を攻め落とすのは難しいだろう。 上層部も極めて強力な保護魔法で防御された建築物であり、たとえ< とはいえ、神を復活させるような試みは想像を絶するほどの準備と高度な魔法儀式を必要とするだろう。通常、魔法による召還の儀式は対象となる存在が魔法的に強力な存在になればなるほど加速度的に高度で複雑なものとなる。 このため、眞たちは神を復活させるという試みはその準備だけでも極めて困難で時間が掛かるはずだ、と予測していた。 確かに捨てて置けない事態ではあったが、事態の緊急性では目の前に広がりつつあるアレクラスト大陸全てを飲み込むであろう大戦争の危険の方が遥かに切迫した事態なのだ。 既にオーファンは騎士団の多くを消耗させており、ロマールの新貴族派は完全に打つ手を失っている。 そしてファンドリアの魔人部隊とロマール大貴族派のホムンクルス部隊は凄まじい戦いを繰り広げながら一進一退の戦況となっていた。また、東の方でも草原の王国であるミラルゴがリザードマンに襲われ、その領土の一部を奪われる、という事態が発生していた。 そうした戦況が広がりつつある中、ファールヴァルト軍も量産型の魔道操騎兵であるイントルーダを導入し始めたのだ。 |