~ 3 ~

「閣下、如何いたしましょう?」
 少しだけ困った声で若い騎士が眞に質問した。
 目の前の巨人には見覚えがあったのだ。それはつい先日、会ったばかりの古の巨人だった。
「話を聞くしかないだろ」
 眞は考えながら答えた。
(しかしまあ、良く此処までこれたもんだな・・・。流石は古の巨人、ってところか)
 内心で眞は感心していた。
 ファールヴァルトは王都防衛のために多数のゴーレム部隊やアーマ・フレーム、特殊部隊を展開している。しかし、先日の盟約によって、目の前の古の巨人と彼の一族には通行の自由を与え、領内の移動を許可するように命令してある。
 巨人はあの“大地を護る剣”だった。
 だが、この誇り高き古の巨人は傷つき、疲れ果てた姿でファールヴァルトの王都にやってきたのだ。
大地を護る剣よ・・・何があったのか尋ねても良いか?・・・
 彼の誇りを傷つけてしまわないように慎重に言葉を選んで、眞は巨人に語りかけた。
 一瞬、巨人の瞳に悲しみと怒りが浮かび、そして深く静かな眼差しに戻る。その巨人の怒りは決して眞に向けられたものではなく、他の何者かに対して向けられたものだった。
突如、人間の一団に襲撃を受けたのだ・・・。我は、我が守護せし者を護らんがために戦ったのだが、力及ばずに敗れた・・・。戦いの後、奴等は我が一族の者を奪い去って行ったのだ・・・。我は気力も尽き、無力であった・・・
 淡々と語る巨人は、眞の事を思い出してやってきたのだという。
・・・我は、我が一族の者の事はもはや叶わぬと覚悟しておる・・・だが、そのような輩が汝らの領域におる、という事を伝えるために来たのだ・・・
 実際に国境問題は大きな問題だった。
 現代のユーミーリアと違い、フォーセリアの国境ははっきりとしていない。そもそも、それをはっきりとさせようにも、その基準になる地図そのものがあやふやなものだ。
 眞達ファールヴァルト軍の幹部や政権中枢に関わるものはアレクラスト大陸の正確な地図を持っている。魔法の宝物を用いたり、近代的な測量技術を行使して、非常に精度の高い地図を作成したのだが、正確な地図は軍事的に計り知れない価値を持つ。
 その為に、一般にはその存在すら明らかにされていない。
 またファールヴァルト軍はアレクラスト大陸の立体図も作成している。それは航空戦略作戦を実行する為には絶対に欠かせないものだ。また、正確な地形や気候条件をマップにしたものは作戦立案にあたって極めて重大な意味を持つ。
 精霊力を観測する魔法装置や魔法レーダーシステムを構築して気象予測の為に運用しているのも、軍事的な価値が非常に高いためだ。
 ファールヴァルト軍が圧倒的な戦闘能力を発揮できるのも、実のところ、このような技術的な基盤が構築されていることにある。
 前近代的な戦争では、優秀な戦士を揃えた方が勝つ可能性が高い。そして、ファールヴァルト軍を率いる緒方眞という戦略の天才は、その戦士の実力を完全に出し切るための基盤を徹底的に整備していたのだ。
 その一つが情報であり、ファールヴァルト軍の強さの秘密の一つには、他国が知りえない情報、例えば正確な地図、極めて精度の高い気象予測能力、を持っている事にある。
 そして、その中には状況をリアルタイムに認識できる強力な偵察能力があるのだ。
 偵察隊からの連絡を受け、既に統合情報本部が情報収集活動を開始していた。
 だが、たとえ強力な能力を持つ特殊部隊とはいえ、全てをこの一件だけに向けてしまうわけにはいかない。アレクラスト大陸にはまだまだ数多くの危機があり、そのいずれもが世界に大きな影響を及ぼしうるのだ。
 
 大地を護る剣の話した内容は、眞が強く懸念していた問題だった。そして、アノスの聖騎士シオンの提供してくれた情報を考えると、その集団の目的は明白である。
 『神の復活』
 ある意味では人の願いの究極のものの一つだろう。
 人は強く、確かなものに支配され、その正しいとされる指示に依存したがる側面がある。ある意味では人ほど弱い心を持つものはいない。
 ましてや巨人はその強さで神を容易に想像させる。
 かつて、神々は巨大な人間の姿をしていたという。そして、それが真実であるならば、神の魂を巨人の肉体に降臨させることも不可能では無い。神聖魔法の最上位の奇跡に神の魂を司祭の肉体に降臨させるという究極の祈りがある。無数の祈りを捧げ、極限までその信仰心を昇華させた最高位の司祭のみが、己の魂と引き換えに行使できる真の奇跡だった。
 また、暗黒神に使える闇司祭も同じ奇跡を行使できる。ただし、この闇の奇跡は司祭の肉体ではなく、生贄の肉体に暗黒神の魂を降臨させるのだ。神の魂を降臨させる、という奇跡自体が光と闇という違いこそあれ、同じく『神』の力を源とする以上、光の神の魂を術者以外の器に降臨させることも不可能ではない。
 シオンは光の真理一派は、月光の神殿の秘められた力を行使して、その巨人の肉体にファリス神の魂を降臨させ、ファリス神を復活させようとしているのでは、と考えていた。
「しかし、マドカ。私はファリス神は、人がそのような行いで自らを復活させる事を決してお望みになっていないと考えているのだ」
 アノスの聖騎士は心の奥にある葛藤を打ち明けるように眞に語っていた。公の会談の場ではなく、眞の個人の書斎に通されての話のため、友人同士の口調だった。
 彼の心は激しく揺れていた。
 一人の信仰心篤い聖騎士として、自らの信じる神が現世に降臨することは無常の喜びでもある。しかし、それが正しくない方法で行われるのであれば、それは厳しくも優しく人々を導いてくださる神に対する冒涜になるだろう。
 それが罪無き巨人の犠牲の上に成る行いなら、それは決して喜ばしいことではない。むしろ、おぞましい邪術と唾棄されてしかるべき行為だった。
「シオン、俺は神を信じていないわけじゃない。俺は、神を敬う気持ちもあるし、その指し示す道は人に良かれと思って示してくれる生き方だとも思う。だけど、俺はそれよりも人を信じたい。人は、それほど愚かじゃないって信じたいんだ・・・」
 眞はゆっくりと考えながら、言葉を口にしていた。
「確かに、人はロクでもない間違いとか、馬鹿馬鹿しい失敗もする。でも、俺は神の教えをただ鵜呑みにするだけの人間にはなりたくない」
 その眞の言葉に、シオンも微笑みを浮かべる。
「そうだな・・・。私も自分の意思でファリスの教えを護り、自分の生き方がファリスの示す正義に則ったものかどうかを考え、判断しているつもりだ」
 人を信じ、その人の可能性を極限まで伸ばそうとする男と、人が正しく神の指し示す道を、人としての判断の上で進もうとする男。
 全く異なる考え方を持つ二人の男は、お互いの生き方を語り合っていた。そして、不意に眞もシオンも、どこかで自分達は似たもの同士なんだろうな、と愚にも付かない事を考えていた。
 そして、眞はその奪われた巨人を奪還する事を心に誓う。
「俺は、その巨人を救い出して見せる」
 その言葉に、シオンは驚いたような、それでいて安心したような表情を見せた。
「私も微力ながら力になろう」
 シオンの言葉に、眞は透き通るような眼差しで黙って手を差し出す。
 そして、アノスの聖騎士とファールヴァルトの魔法騎士は沈黙の中で静かに決意を固めていた。
 
 ラヴェルナは自室で久しぶりに古代書を開いていた。
 最近、余りにも色々なことが起こり過ぎて、ゆっくりと古代書を読んでいる時間も無かったと思う。だが、古代書に集中しようとすればするほど、昨今の国家間の緊張や紛争のことが脳裏に浮かんでくる。
 不意に悲しみがこみ上げてきた。
 魔術を力として使い、国家間の勢力争いや軍事力に積極的に活用しようとしている母国やその同盟国、そしてその仮想敵国などの権力者達に対して言いようの無い怒りが湧き起こってくる。
 何時になれば人は戦争という愚行から解放されるのだろうか。
 だが、あの魔法戦士の言葉によれば、彼らが元々居た世界はフォーセリアよりも遥かに科学的に発展した世界にもかかわらず、むしろ、戦争の危険や被害は大きなものとなっているらしい。
 眞の皮肉気な言葉が蘇った。
『ならば、ラヴェルナ殿は自分と違う意見を持っている人を抹殺するのですか?』
 戦争を好んで選ぶ者もいる。騎士になりたい者もいる。そんな人間を思想改造するのか、それとも抹殺するのか。
 政治家の言葉である。
 戦争とは、所詮は外交の一つに過ぎない。
 所詮、他人と完全に理解しあえることなど無い。肉親とでさえ、完全に理解することも、お互いの行動を例外なく納得しあえることもありえない。
 ならば、どこかで必ず衝突は発生する。
 政治家の仕事は、そうなったときの被害と不利益を最大限回避する事にあるのだ。そのような争い事に係わり合いを持ちたくなければ、それこそ人間社会を棄てて隠棲する以外に無いだろう。
 宮廷魔術師という政治家であるラヴェルナは、その責務から逃げる事はできない。
 時々、ラヴェルナは人という存在から別の存在となって人間社会と係わり合いを持つ事を止めようかとも思う。
 眞はその凄まじいまでの力と知識、その途方も無い資本力でフォーセリア世界と関わりあいを持つ事を避けることが出来ない。
 だからこそ、彼はその知力と魔力の全てを振り絞って世界を動かし続けているのだろう。
 彼は、自分と自分の仲間を護るために力を必要とした。それがファールヴァルトという国であり、またファールヴァルトという国は、自らが存在するために異世界の知識と力を必要としたのだろう。
 その結果、ファールヴァルトは異質な文明を持つに至った。
 あの魔法王国が強大な力を持つようになればなるほど、このアレクラスト大陸に大きな歪みをもたらす事になるだろう。いや、既にそうなりつつあるといえるかもしれない。
 かつて、ファールヴァルトが名も知られていないような小国だった時代、ほんの数年前までは、どの国にも見向きもされていなかった。交易しても得るものが無く、貧しいだけの国は遠くない将来、消えていく運命だと誰もが考えていた。
 だが、あの異世界の勇者は周辺の蛮族や妖精族を束ね、ロドーリルの侵攻に敗れる寸前だったプリシスをも併合し、その力を拡大していったのである。
 そして、ついにムディールをも併合し、自らの領土に組み入れてしまった。
 これは近年のアレクラスト大陸では大事件として人々の間に広まっていた。
 また、ファールヴァルトには大陸でも最高峰の教育機関であるファールヴァルト王立魔法学院がある。ここでは各国にある魔術師ギルドと違い、より実践的で高度な魔術を学ぶことが出来るのだ。
 ファールヴァルトの王城であるクリムゾン・ホーンはその魔法的な防御でもフォーセリアで最高の城と言われている。
 特にファールヴァルトの住人にとっては魔法が日常生活に溶け込んでいると言って良い。
 基本的にファールヴァルトでは教育は義務である。半強制的に国は全ての国民に教育を受ける事を義務付け、その農村部の労働力の不足を労働者の動的な配置を国が補償することで労働人口単位あたりの耕作力を増強して、子供達の教育が弊害を生まないように配慮していた。また、大規模な開墾やダムの建設により非常に安定した耕作を可能にし、国民全体の生活を大きく改善している。
 その結果として、国民全体の所得が大きく上昇し、産業体制も大きく変化していた。
 特に、ファールヴァルト以外の国では都市部の人口を支えるために約十倍の農村部人口が必要だが、ファールヴァルトでは農村部を含めた第一次産業従事人口が都市部の約三倍程度でも十分に食料やその他の物資生産が間に合う。
 農機具の改良や脱穀や機織で使うための紡績機などの自動化が非常に大きな力になったのだ。
 アレクラスト大陸ではこのような農作業や紡績などは全て原則として手作業である。
 だが、眞はこうした面を改良した結果、大幅に農民の生活の改善を実現し、結果として改革を大きく進める原動力にしている。
 豊かさは人の心に余裕を与え、また、人を寛容にするのだ。
 人が魔術を恐れ、憎むのは教育が大きく関係している。
 確かにカストゥール王国の時代、魔術師以外の人間は基本的人権さえも与えられなかった恐怖と屈辱の時代だったかもしれない。だが、現代はあの時代ではない。
 だからこそ、眞は子供達に教育を施し、正しい知識と理解を求めたのだ。
 例えば、中国の一般人は日本が戦後、幾度と無く謝罪している事を知らず、また、サンフランシスコ講和条約には参加していない中国とも日華平和条約で中国側ははっきりと請求権の放棄を確認し、日中国交正常化時に中国政府は戦後の損害賠償権の請求権放棄を確認している。しかし、日本は戦後、莫大なODAや経済協力を行い、実質上の賠償を行ってきた。これは中国共産党政府の要人もそのように認識していると伝えられている。だが、逆に条約などで明確な文書化した賠償ではないため、幾らでも要求に応じて出している、という側面もあるのだ。
 その上で中国はこの内実を国民に教えていないため、中国の人民に「日本は謝罪も賠償もしていない」という間違った認識が蔓延し、なおかつそれを中国政府が正していない、という状況なのである。
 このように、根本の情報が間違っている場合、お互いの意見は決して共通の結論を得ることは無い。ましてや、歴史問題はお互いの立場が違うため、片方が完全に隷属して同化する以外に完全に統一された見解を持つことなど不可能だろう。
 だからこそ、眞は魔術を民衆に受け入れさせるためには教育が必須だと考えていたのだ。
 また、他国では魔術師になれるのは豊かな商人や貴族の師弟などに限られる。これでは庶民に対しては嫉妬と被差別意識しか生まないだろう。
 ファールヴァルトでは眞の強い意志もあって、全ての国民が義務教育を受け、その上で王立魔法学院の門を叩くのに制限は無い。授業料は確かにあるが、奨学金制度もある上に国から大きな補助を受けているため、庶民にも大きく門戸が開かれているのだ。
 結果としてファールヴァルトでは急速に魔術師の人口が増え、また、魔法文明の恩恵が王国内に満ち始めていた。
 ファールヴァルトにいる魔術師の人口は既に千人を数えている。
 導師級の古代語魔法を操れる人材でさえ、軽く百人を超えるほどなのだ。また、様々な魔法の品物が流通し、魔術を操れない一般市民でさえ高度な魔法の工芸品を普通に使い始めている。
 だが、その空前の繁栄に対して、他の国は非常に強い警戒心を抱いていた。
 強大な力を持つファールヴァルトが自分の国を侵略しないのか、という不安である。
 かつて無い緊張の高まりはいつ弾けるかわからない不安を人々の心の中に植え付け、そしてその不気味な緊張感に人々の心は荒み、疲れ始めていた。
 その人々の心理が、神の降臨を願い、その支配に全てを委ねようという想いを生み出していたのだ。それが、たとえ神でも、闇の魔王でも、自分の人生が平穏に護られるのであれば構わない、という危険な願望であったとしても・・・
 ロマールでは大貴族派と新貴族派の内戦が激化し、徐々に膠着状態に陥りつつあった。もっとも、大貴族派のホムンクルス兵士は無尽蔵に創造が可能であり、量産体制さえ整えば、新貴族派は殲滅されるであろう事は明白だった。だからこそ、大貴族派はある程度の数を新貴族派に向けて戦力を拮抗させ、そして残る物量を他の方面に振り向けるように行動し始めていた。
 そして、それがオーファンとの同盟関係を持つ西部諸国ではなく、隣国であるファンドリアに向けられたのはある意味では至極当然だった。そもそも、大貴族派にしてみれば、新参者である軍師ルキアル主導で成立した同盟を破棄し、彼の功績を帳消しにしたいと考えてもいたのだろう。
 新王国暦525年、ロマール・ファンドリア間での全面戦争が勃発した。
 それは、新王国始まって以来の、人ならざるものが激突した大戦争でもあったのだ。
 
 男達はいつものように酒場で他愛も無いおしゃべりを繰り広げていた。
 ようやく一日の仕事が終わり、帰る前に一杯引っ掛けていく、ファンの街は普段と何も変わらない光景だった。一人の男が慌てふためいて駆け込んでくるまでは。
 ぜえぜえ、と肩で息をしている男が落ち着くのを待って、何が起こったのかを興味深げに見つめる。そして次の瞬間、酒場にいた他の男達は、その男の言葉に己の耳を疑っていた。
「ロ、ロマールと、ファンドリアが、戦争を始めたんだ!」
 一瞬、酒場がシーンと静まり、そして酒場の客達は一気に興奮したように、口々に勝手な事を喋り始める。もう、何が何だか判らないように、好き勝手な想像を考えるよりも早く口にしているような雰囲気だった。
「やっぱり、さっき王城に向かってすっ飛んでった騎士は、この話をリジャール陛下に伝えるためだったんだ!」「だけどよ、大体、なんで同盟国同士で戦争なんか始めたんだ?」「この機会にオーファンがファンドリアを滅ぼせば、ロマールだって大人しくなるだろうよ!」
 そんな騒々しい雰囲気を予測していたように、吟遊詩人たちは各々の楽器を奏で始め、そして賢者達は悲しげな、しかし、静かな怒りを込めて語り始める。
「やはり、戦争になりましたか・・・」「この戦争は、ロマールとファンドリアだけの問題ではなく、このアレクラスト大陸全体に関わる大きなものになりそうな予感がするのですよ」「・・・遺憾ながら、私もそう思います」
 そして、後の世にこの戦争は『魔人戦争』と呼ばれる、アレクラスト大陸史に残る悲惨な戦争となった。
 
この時代、人々は未だ彼ら自身が持つ技術や力の使い方を知ってはいなかった。それが結果として大破壊を生み出し、アレクラスト大陸の戦争の方法さえも変えてしまうほどの影響を持っていることにさえ、彼らは気が付いていなかったのだ。
 それは騎士の戦争の終わりであり、そしてある意味で剣の時代の終焉の狼煙でもあったのだろう。それ以降、アレクラスト大陸では戦争に積極的に魔法を用いるようになり、騎士はその役割を大きく変えていった。
 今の時代、“騎士”という言葉が示すのは職業戦士の意味ではなく、魔道装騎兵を駆る超人達のことである・・・

― 新王国暦XXXX年、ファールヴァルト帝国主席宮廷魔術師、“白銀の魔女”記す・・・
 
 
 あちこちに響き渡る怒号のようなオペレーター達の声を聞きながら、ファールヴァルト軍統合指令本部の人員が休息できるような日はもう来ないんじゃ、と何処か惚けた事を、智子はぼんやりと考えていた。もう、いわゆる大変だとか、緊急だとか言う言葉は使い慣れてしまって、そろそろ他の言い回しを考えた方がいいんじゃない、などと、愚にも付かない事が頭の中に浮かんできてしまう。
 ロマール大貴族派とファンドリアの戦争は、もはや膠着状態に陥っていると言ってよかった。
 当初はロマール大貴族派の率いるホムンクルス兵は圧倒的な力でファンドリア軍を打ち破った。しかし、その直後、おそらくは魔人兵からなるであろう、ファンドリア軍の反撃を受け、完全に戦線が拮抗してしまっているのだ。
 だが、両者はまだ本当の戦力を隠している、と眞もファールヴァルト軍首脳部も確信していた。
 お互いに、まだ、それぞれの手の内を探っている状態だという眞の言葉に、ファールヴァルト統合司令部の士官達は、自らの目に映る凄まじい戦闘力を持つ怪物の如く兵士達の力に血が凍るような思いを感じていた。
 そして、その凄まじいまでの戦闘力を知らされたオーファンの鉄の槍騎士団の騎士達も、頭に血が上った様子だった。
 ファールヴァルト幻像魔法騎士団のように、特別な力を持つ戦闘集団ならいざ知らず、一般の騎士ではあの強力な魔人兵やホムンクルス兵士に立ち向かうのは命を無駄に捨てるようなものだ。しかし、騎士の矜持がそれを認めるのを許さないのだろう。
 それでも、現実に魔人兵やホムンクルス兵士達は魔神とも互角に戦えるだけの戦闘能力を持っている。それに対抗できるのはファールヴァルトの魔法騎士のような特別な力を持つ戦士やナイト・フレーム、アーマ・フレームなどの最初から人外の兵器だけだ。
 統合司令部の薄暗い部屋の空中に浮かぶ仮想画面モニタ・パネルの中に広がる数千もの軍勢は、そのほとんど全てが人でない存在だとは信じられないほどだった。これ程までに、人外の存在が数を集めて組織だった戦争をするのは、古代王国の時代以来だっただろう。
 西部諸国でも、タラント王国に跋扈するゴブリン連合の動きが活発になっているとの情報もあったが、所詮、辺境の地のことだと、中原以西の人々は気楽に考えていた。噂では彼らの王が復活したと言われているが、真相は闇の中のままだった。ミラルゴでも成長した水竜を従えたリザードマン達が草原の王国に攻め込もうとしている、との噂もあり、アレクラスト大陸の緊張は果てしなく高まりつつあり、何時、それが弾けてもおかしくは無かったとも言える。
 そして、この期に及んでも、まだアレクラスト大陸の名のある、そして名も無き英雄達は大陸を焼き尽くす炎を避けるために死力を尽くしていた。
 ファールヴァルトもまた、ロドーリルという強大な戦争国家だけでなく、バイカルなどの友好的ではない国家との駆け引きに否応無く力と人材を割かれていたのだ。
 だが、それは避けようの無い戦いの嵐がアレクラスト大陸を覆いつくすのを必死になって抵抗する、ある意味では絶望的な抗いでもあった。眞達はその絶望の中で、可能な限りの手を打って、その嵐に備えようとしていた。
 しかし、ロマールの支配権を奪取した大貴族達は、ホムンクルス軍団の部隊をオーファンにも差し向けてきていたのだ。
 ロマールは、別名を旅人達の王国といい、アレクラスト大陸の東西を結ぶ“自由人の街道”の要所に王都を構える交通に恵まれた王国である。当然の事ながら、その交通の便の良さは軍の派遣にも役立つ。強力なホムンクルスの部隊は、人間の兵士と違い、資金と資材さえあれば幾らでも生産の出来る存在であり、ロマールにはその何れもが潤沢に存在していた。
 特に、ロマール王国は交通の要所に栄える王国だけあり、非常に潤沢な資産と資源が存在する。そして、この王国の王都の南に広がる闇市では、禁制品の一角獣ユニコーンの角さえも取引され、まず、扱っていないものは存在しない、とさえ言われているほどだ。
 国王や貴族自身がこの闇市の存在を黙認し、ある意味では積極的に保護して支配しているのだ。
 ホムンクルスの兵士を運用するのに必要なものは十分すぎるほどの物資がロマールには存在していた。また、それを運搬するために役立つ魔法装置や魔獣などをも創造していたのである。
 
 ズズン・・・ズズン・・・ズズン・・・
 
 凄まじい地響きを轟かせてゆっくりと歩んでくる巨大な生物の姿に、オーファンの騎士達はともかく、兵士達は完全に我を失っていた。
 それは、冗談とも思えるほど巨大な亀のような生物だった。その背には小さな屋敷ほどもある巨大な建築物があり、移動する砦のような魔獣である。
「な・・・何なんだ・・・あれは・・・」
 流石に騎士達も呆然として、信じがたい大きさの生物の姿を見ているだけだった。
 その周囲に、犀のような姿をした魔獣に乗ったホムンクルス兵達がいた。また、翼のある魔獣を駆るホムンクルス兵達も、空中にその姿が見受けられる。
 歴戦の騎士である騎士隊長は、その不吉な予感を拭い去れずにいた。
(おそらく、我々は勝てないだろう・・・。リジャール陛下、どうか御無事で・・・)
 その騎士隊長の予感は、その日の内に現実となった。
 圧倒的なロマールのホムンクルス部隊の戦闘能力にオーファン鉄の槍騎士団の二千の騎士は壊滅、そして、オーファンは混乱の渦中に叩き込まれたのである。
 
 オーファン敗れる、との知らせに周辺諸国の動揺は鎮まる様子さえ見えず、混乱は拡大する一方だった。眞としてはすぐにでもナイト・フレームを始めとするファールヴァルト軍の戦力投入をも考えていたのだが、それはオーファンの騎士団に静かに、しかし断固とした口調で拒否された。例えロマールのホムンクルス部隊に敗れたとはいえ、ここでファールヴァルト軍の力を借りて勝ったとしても、今度はオーファン騎士団の威信が傷ついたままになる、という騎士の誇りに関わる問題になる。それでは、剣の王国の武力を担うものとしての立場が無くなってしまうのだ。
 哀しいことではあるが、かの剣の王国は有能で誇り高い臣下達に恵まれていたが故に破滅への道を進んでいたのである。また、第二王子アロンドを主と仰ぐロマール新貴族派も港湾都市ダンスパートナーを拠点として必死に抵抗を試みていた。
 流石にルキアルは圧倒的な大貴族側の戦力を何とか防ぎきり、港湾都市という立地条件を生かして見事な篭城戦を繰り広げている。これには大貴族側も手を出せずに、奇妙な静けさに包まれていた。
「早く何とかしなければ、あの剣の国の騎士団をも打ち破ったホムンクルス兵が此処を攻めてくるのだ!」
 焦ったような声が若い騎士達からあがっていた。
 このロマール海軍提督を務めていた騎士の館は、大急ぎで改修されて王子アロンドを旗頭とするロマール王国新貴族派の城となっている。
 その本来の主は、今は完全にアロンドの後援者として全ての世話を買って出ていた。
 そして、命懸けで騎士見習いロスターの領地から脱出してきた若い騎士は、その傷も癒え、ホムンクルス兵士とそれを操る大貴族への憎悪に燃える眼で淡々と己の職務を実行している。彼の貴重な情報が無ければ、あるいはルキアルとてあの猛攻を防ぎきれたかどうか判らなかった。
 だが、その代償として騎士百名と導師級の魔力を持つ優秀な魔術師、そして信頼する密偵を数名、失うこととなったのである。これからの事を考えると、この損失は決して少なくは無かった。
 ファールヴァルトとの貿易や、西部諸国との船便による交易が無かったとしたら、この港湾都市も完全にお手上げだっただろう。だが、辛うじてこれらの国々との交易が生命線となり、何とか体制を維持する事に成功していた。
 また、密かにラヴェルナがルキアルとの接触を望み、そのオーファンとの極秘裏の連携を試みる動きがあったことも多分に影響していたのである。
「だが、今の我々では如何ともし難い。少なくともあのホムンクルス兵と同等に戦える術を見出すまでは、戦いにすらならん」
 ホムンクルス兵との戦いを経験した一人の騎士の言葉に、若い騎士達は黙り込んでしまった。
 その言葉どおり、あの鎧と剣を持つホムンクルス兵士と渡り合える装備を持つか、それらをどうにかしない限り、戦いにさえならずに一方的に殺されるだけだ。
 それが判っているからこそ、あの騎士は一人、死地を脱出してアロンドとルキアルの元に情報をもたらしたのだ。それが彼の誇りと騎士の名誉を損なうものだったとしても・・・
 
 
 

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