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 窓一つ無い閉ざされた部屋の中で、数人の男女が円卓に付いていた。
 オーファンの王城、シーダーにある禁断の間には、国王リジャール、宰相のリスナー、鉄の槍騎士団長ネフェル、近衛騎士隊長ローンダミス、宮廷魔術師ラヴェルナ、魔術師ギルド最高導師カーウェスが一同に会していた。
「これから、どのようにされるのですか?」
 ラヴェルナが口を開いた。
 曇りの無い水晶のように透き通った声が美しく響く。だが、その声音には緊張の色が滲み出ていた。それも無理も無いだろう。この会議はこれからのオーファン軍をどのように再編し、運用するのかを決定付けるのだ。結果如何によってはオーファンの今後のアレクラスト大陸における軍事プレゼンスに対して重大な影響を与えるだろう。
 この会議の一端となったのは、第一にファールヴァルトの魔法軍事力の強大さがある。
 そして、それに刺激されたようにアレクラスト大陸の各国で魔法を軍事力に応用するように軍の再編制が進んでいた。また、ファールヴァルト軍の台頭以前にも懸念されていた、ドレックノールの魔獣創造の研究の完成と実戦配備、ファンドリア魔術師ギルドによる魔獣創造の実験とそのファンドリア軍への正式配備など、懸念すべき問題が大いに噴出していた。
 それに加えてロマール軍が魔法の工芸品を利用した高度な指令機構を構築している、という情報も齎されていたのだ。
 確かにロマールならばそれをやってのけるだろう。
 特に、あの“指し手”ルキアルは要所要所で効果的な魔法の宝物を用いた謀略を仕掛けてきた実績もある。
 そして新たに取り立てられた新貴族達は、元々は冒険者や傭兵が多い。
 魔法の工芸品を運用したとしてもそれほど抵抗感は無いだろう。
 だが、ラヴェルナはこれほどまでに急速に魔法を用いた軍事力の構築が始まった事に激しい懸念を禁じえなかった。
 そもそも、本来なら貴族や騎士達は魔法の宝物に関しては趣味的な装飾品程度の認識しか持っていなかった。だが、ファールヴァルトの幻像魔法騎士団のもつ空中戦闘能力、特に、上空から敵や味方の布陣を的確に把握し、それを基に正確無比な迎撃戦を行った、という事実は各国の騎士団を震撼させたのだ。事実、魔法を恐ろしく効果的に運用した結果、ファールヴァルト軍は僅か二十四騎の魔法騎士と三十騎の正騎士、そして五百余りの傭兵隊だけで千二百騎を超えるアノス軍を打ち破った実績がある。それほどまでに魔法の力は絶大なのだ。
 その為、嫌が応でも騎士達は魔法の助けを借りなければならなくなったのだ。幾ら騎士道に反する、名誉に関わるとは言っても、現実問題として圧倒的に不利な状況に立たされ、そして祖国の滅亡に関わる状況になりえる可能性がある以上、魔法の力を受け入れるしかない。
 その結果、アレクラスト大陸において魔法使いの軍事的な運用が本格的に研究されることになったのである。
 しかし現実的な問題として、魔法の工芸品を生み出す技術はファールヴァルトとやラムリアースなどの極めて一部の国にしか存在しない、という現状がある。
 あとは莫大な出費を覚悟で市場から購入する以外に無い。
 そして大陸中の国家が一斉にそのような戦略を取り始めたことで、魔術師ギルドはそれを押しとどめる機会を永遠に失うこととなってしまった。
 そもそも魔術師ギルドは半分以上、王立の機関である。
 その上である程度以上の人数の魔術師が魔術師ギルドから離れて貴族に直接雇われたり、貴族の師弟達がその本来の所属に帰っていったことで、魔術師ギルドから離れた古代語魔法の研究機関が軍部や政府に作られることとなったのだ。
「これが、時代の流れなのでしょうな・・・」
 鉄の槍騎士団の騎士団長であるネフェルが複雑な感情を滲ませた声音で呟いた。
 己の剣の技と厳しい訓練で培うことで磨かれる戦闘集団としての騎士団も、もはや魔法の助け無しには他国の軍と戦えないような時代になりつつあるのだ。そして、確かに試してみたところ、比較的良く発見される通話の護符という宝物を使うだけで今までとは比較にならない程、戦場での意思の疎通や指揮が徹底されることがわかったのだ。
 現代のユーミーリアで言う軍事再編制である。
 情報技術がユーミーリアにおいて絶大な意味を持ち始めた90年代後半以降、まず、米軍がそのコンピュータ技術を基にした軍の基幹システムの再構築を行ったのだ。代表的な例がイージス艦を一角とした高度情報リンクシステムである。強力なレーダーとコンピュータを備えたイージス艦は、その圧倒的な情報解析能力で世界最強を誇る戦艦の一つである。それだけではなく、それぞれのイージス艦や中央管制室と連動して、情報の共有を行い、最適な戦闘を行うことが出来るようになるのだ。これは戦車や航空機に対しても同じような情報の共有が行われ、正に軍のそれぞれのユニットがあたかも神経で繋がれたかのように有機的に動くことが出来る。
 そしてそれを知るファールヴァルトの現代人である眞や彼の仲間達はフォーセリア版の高度情報統合戦略指揮システムを構築し、魔法を中核とした軍事体制を整えたのだ。
 その為、大量の物量戦に対してでも魔法生物などを効果的に投入し、正規兵の不足を補って余りある戦闘展開を実現できる。確かに魔法生物の戦闘能力は一部を除いて高が知れているが、そのような魔法生物を凌駕する戦闘能力を持つ兵士の数も多くは無い。ならば、人命の損傷を無視できるだけファールヴァルト軍のほうが圧倒的に有利なのだ。
 そうした事情から、アレクラスト大陸の各国では騎士団を中心とした軍編成から歩兵を中心とした軍へと編成が急がれていた。
 一人前の騎士を育てるには時間が掛かるのだ。
 幼い頃から他の騎士の下で修行を積み、賢者から知識と教養を学んで、礼儀作法や宮廷儀礼などを身に付けて、ようやく騎士として叙勲されることになる。
 それよりも一般の兵卒を大量に雇い入れ、そして彼らを主力として用いた方が効果的に戦力を補充できる。その戦略の正しさは何よりもロマールが実証しているのだ。
 そのロマール軍もまた、魔法を応用した軍の再編制に着手したとの情報もある。
「そうじゃな・・・。もはやこの老いぼれが気を吐くような時代では無いということじゃ」
 オーファンの建国王にしてアレクラスト大陸最強の戦士、リジャールもまた一つの時代が終わろうとしている事を実感していた。
「魔術が普通に使われるようになる、そんな時代を夢見たときもあったのじゃがな・・・。どうやら人間は如何あがいても戦からは逃れることが出来んようじゃ。そして、その人間が操る魔術も、な・・・」
 中原最高の魔術師にしてアレクラスト大陸でも最高の魔術師の一人である、“偉大なる”カーウェスも自分がその時代には乗れず、むしろ古い時代を背負うものとして若者達と対立する事を予感していた。
「しかし、何故ファールヴァルトはこれ程までに急激な軍事力の魔法化を図っているのでしょう・・・」
 美しき魔女はその美貌を翳らせながら呟いた。
 あの不器用そうな、しかし、真っ直ぐな瞳をした少年の事を思い出す。
 彼は決して、侵略や領土拡張を願っていなかった。いや、今でもそうだとラヴェルナは確信を持って言える。だが、現実に彼が政治を担い、そして軍を指揮する国は僅か二年程でプリシスを併合し、そして極東の大国を征服して、この大陸に強大な影響力を行使し始めている。
 その余りの変化にラヴェルナは戸惑いと不安を感じていたのだ。
 ラヴェルナの言葉に一人の男が答えを返す。
「むしろ、あの状況でムディールを征服せずに戦争を終結させていたら、逆にファールヴァルトは自滅していただろうな」
 石の彫像のように無表情な男だった。
 しかし、ラヴェルナはその男の本当の優しさと普段の屈託ない笑顔を知っている。
 ラヴェルナの夫にして、剣の王国オーファンの近衛騎士隊長を務める男。
 リジャールに次ぐ、この剣の王国の中でも最強の騎士であるローンダミスは、しかし、ファールヴァルト王国のムディールへの逆侵略を肯定していた。
「確かに、あれほどの戦争で領土を得られずに講和していたとしたら、その恩賞問題はファールヴァルトの根幹を揺るがしかねなかったでしょうな。かつてのザンティ王国のように・・・」
 そう、それは内政の問題が一国を滅ぼした、余りにも有名な話である。
 新王国歴三一九年に勃発したケイオスランド戦争は、迎え撃ったザンティ王国の勝利で終わった。そして、その被害はそれほど大したものではなかったにもかかわらず、戦争終結から間もなく、ザンティ王国は歴史の表舞台から消えることとなった。
 それは恩賞問題であったとされる。
 国家が総力を挙げて戦争を行い、そして大した被害を被ることなく勝利したにも関わらず、領土などが得られなかったことが原因であった。
 当然の事ながら戦争に勝利し、生還した騎士達は褒賞を期待する。そして、地位や金だけでなく、騎士に対する一番の褒賞は領土なのだ。しかし、ザンティ王国はその労功あった騎士に対して十分な領土を与えることが出来ず、結果として騎士達の離反を招いたのである。
 その事を考えるとファールヴァルトは上手く状況を乗り切ったと言えるだろう。
 広大で肥沃な領土を得たことで、新興貴族たちに対してのみならず、古くからの貴族たちに対しても十分な褒賞を用意し、そして一致団結を図るために思い切った手法を用いた。
 それは姻戚関係によって新興貴族を新体制となったファールヴァルトの貴族階級に組み込んだのである。
 当然の事ながら、新しく取り立てられた貴族たちに対して、古くからの貴族は反発や蔑視を抱く。しかし、優秀な人材を血縁に取り込む形で抜擢した場合、それはある程度和らげられる事になる。そもそも貴族階級でさえ質素な食事を余儀なくされるほどの貧困から解放され、その原動力となった英雄の進める施策である。表立った反発も無く、それなりに順調に統合が進んでいた。
 豊かさは人の心を寛容にする。
 そして、眞はその豊かさが傲慢を生み出す前に徹底的な改革を行っていたのだ。
 ある意味では独裁的とも言えるような手法ではある。
 それでも、古い体制では決して乗り越えることが出来ない事を彼自身が知っていて、そしてその言葉を為政者たちが受け入れたからこそ、ファールヴァルトは新しい大国として急激に生まれ変わりつつあった。
 しかし、その事実がアレクラスト大陸の諸国を震撼させ、急激な革新を生み出しつつあった。
「して、ローンダミス、ネフェル、我がオーファンの誇る騎士団は新しい戦術に対して対応しておるのか?」
 リジャールが最も知りたかったのがその事実である。
 ローンダミスが表情を引き締め、忠誠を誓った偉大なる主君に言葉を述べた。
「は、近衛騎士隊の各隊は、各々の隊の交信手段である通話の護符の使い方を十分に取得しております。また、王城内に新設しました指揮所から各隊の動向が把握できるように魔術師ギルドから派遣いただきました魔術師達との調整も進んでおります」
「鉄の槍騎士団についても、同様に新しい指揮系統がほぼ確立できたと感じております。特に、新しく騎士団の一員となった魔術師殿から得られる上空からの情報を基に、正しく戦況を分析し、対応するための訓練にようやく騎士達も慣れ、訓練も順調に進んでおります」
 それは新しい魔法の品物を与えるだけで済まない。
 命令を細かく、適時に発することが出来る、という事は逆に、指揮する側にもそれだけの情報を持ち、そしてそれを的確に分析、判断して指示を下すことが出来るだけの能力を持つ事を要求される。
 その為にオーファンはファールヴァルトに選りすぐった人材を留学させ、その高度な作戦展開能力や戦術知識などを学ばせていた。ファールヴァルトとしても、軍事同盟を結ぶオーファンが実際の戦場で自分達の指揮系統や戦術を混乱させてくれることだけは避けたかったため、基本的な魔法による戦術指揮を指南するのに抵抗は無かった。むしろ、それを積極的に導入する事をオーファンが考えていた事はある意味では嬉しい誤算だったと言えるだろう。
 他にも基本的なものだけとはいえ、眞達ファールヴァルトの魔術師が復刻させた魔力付与の知識と技もオーファンには提供してある。
 もっとも、それはオーファン軍に新設されたオーファン魔法軍の魔術師に限られている。
 だが、特にオーファン魔術師ギルドにその知識を提供する事を禁じていた訳でないため、僅かな魔術師だけではあったが、付与魔術を専門とする魔術師も生まれていた。
 確かに各国の魔術師ギルドにも付与魔術を専門に研究する魔術師もいる。しかし、根本となる付与魔術の知識が殆ど失われてしまった現代では、その研究は遅々として進んでいなかったのだ。そこに眞が魔神から魔術の知識を奪ったことで復活した付与魔術の知識がアレクラスト大陸に齎されることとなった。
 もちろん、軍事機密と関連する部分があるため、眞が提供した付与魔術の知識は基本的なものに留まっている。しかし、カストゥール王国の滅亡と共に失われた魔法技術が復活したことで、今後の魔法文明の発展が大きく影響を受ける事は容易に推測できた。
 事実、オーファン魔術師ギルドやオランの魔術師ギルドなどでは、きわめて簡単で単純な機能しか持たないものではあるが、魔法の工芸品が作られるようになっていた。しかし、その魔力付与の魔術は基本的に長い魔術儀式を必要とするため、その数は決して多くない。魔法の工芸品を創造するだけで貴重な魔術師の研究時間を制限してしまうわけにはいかなかった為だ。
 これがファールヴァルトとなると事情が違う。
 眞とメレムアレナーが創造した魔法装置の中には、魔法の工芸品の自動創造装置もある。これは現代人でもある眞の産み出した魔法の工芸品の中でも突出して優れたものだった。
 現代社会を支える科学は、それが高度な知識を生み出しているだけではない。その知識を巧みに社会に還元し、それを支える基盤に出来るだけの製品開発と量産効果があるためだ。その為には簡単に製品を大量生産し、一般人が手軽に使えるようになる必要がある。
 現に眞が齎した印刷技術はアレクラスト大陸に凄まじいまでの情報革命を生み出しつつあった。
 
 ロマール軍魔法技術部に所属する若い魔術師は、熱心にエナ要塞の設計図を読みながら魔法装置の配置とその運用方法を再確認していた。
「ルヴァン、この魔法装置はどう動かすんだ?」
 一人の若い騎士が、魔術師に尋ねる。
 再編成の途上にあるロマール軍の中でも、比較的魔法に対する知識もあり、頭の良い騎士だ。だからこそ、このような魔法を運用する要塞の司令部で、魔法使い達と統合した軍を運用する担当者として抜擢されたのだろう。
 ルヴァンはくすり、と笑って説明をする。
「これは遠距離にあるゴーレムを操作するための魔法装置です。もっとも、この魔法装置とそのゴーレムをあらかじめ魔法的に接続しておく必要がありますが」
「なるほど。これを用いれば、例えば空中を飛行するゴーレムを操って空中からの映像を得ることも可能になるわけだな」
 その騎士の言葉にルヴァンは微笑んで答えた。
 頭の良い男で助かる、と思う。普通の騎士ならゴーレムを操って敵の騎士団に突撃させることしか思いつかないだろう。しかし、この目の前の騎士は情報の真の力と恐ろしさをよく理解している。
 もっとも、そうでなければこのエナ要塞の戦略司令室に配属されるはずも無い。
 頭の悪い、正面戦しか知らない馬鹿な騎士達は最前線で精々頑張ってくれれば良いのだ。
 ルヴァンはそう思いながら、魔術師の杖をそっと握り締めた。
「しかし、お前も良く、こんな魔法装置を操れるもんだ」
「まあ、私も魔術師の端くれですからね」
 若い騎士の言葉に微笑んで返しながら、ルヴァンは心の中に苦い想いが疼くのを感じていた。
 ルヴァンはロマール魔術師ギルドに所属する優秀な魔術師だった。幼い頃から利発な少年だった彼は、ロマールの魔術師ギルドに入門してからめきめきとその才能を発揮したのだ。
 しかし、その若い才能はある意味では若さゆえの暴走を起こしてしまった。禁忌とされている魔術に手を出してしまったのである。
 彼は魔術の更なる発展を望んでいた。そして、今は失われた魔術を再び蘇らせる事に情熱を注いでいたのだ。そして、その魔術を高めるために彼は召還魔術に手を出し、異界から魔神を呼び出したのだ。
 ルヴァンは魔神の持つ魔術の知識と力を欲したのである。
 だが、それは導師の知る所となり、彼は<制約ギアス>の呪文で魔術を封じられた上でギルドを追放される事となった。ある意味では当然とも言える処置ではあったが、魔術しか知らず、そして幼い頃から魔術師ギルドの中での生活しか知らないルヴァンは、道端で物乞い同然の生活を送ることしか出来なかった。
 しかし、あるロマール貴族が彼の優れた実力を見出し、そして密かにルヴァンを館に招き入れたのだ。そして、その貴族は暗黒神の司祭を招き、ルヴァンに掛けられていた制約の呪文を解除させたのである。
 再び魔術を取り戻したルヴァンは、今度は魔術師ギルドの制約の無いまま、思う様に魔術の研究を行えることとなった。それは彼を救い出した貴族の望みであり、感謝したルヴァンは彼の持つ全ての知識と力をその貴族の為に振るうこととなったのだ。
 その貴族は莫大な資金と研究資材を提供し、そして、再び魔神を召還して支配する事に成功したルヴァンはその知識と魔力を用いて暗躍を始めていた。
 まず、彼と同じように魔術師ギルドから追放された魔術師達を集め、彼らに掛けられていた制約の呪文を解除したのだ。元々、禁断の魔術に手を出すような人間は天才肌の優秀な人材が多い。その為、ルヴァンは僅かな時間で優秀な弟子と門下生を集めることが出来たのである。
 彼らは、魔術を封じて彼らを追放した魔術師ギルドを恨み、その境遇から救い出してくれたルヴァン、そして彼の仕える貴族たちに対して感謝を抱いて忠誠を誓ったのだ。
 眞もファールヴァルト王立魔法学院を設立するときにも同じ行動を取っている。
 各地の優秀な、文字通り魔術師ギルドが危険視して追放したほどの優秀な人材を集め、その身に掛けられていた呪いを解除して、彼らの優れた頭脳と知識を活用したのだ。だからこそ、ファールヴァルト王立魔法学院は驚くべき実力を極めて短期間に成立させたと言っても良い。
 ルヴァンは左手の中指に嵌めた指輪を意識していた。
 その指輪は魔神封じの指輪、と呼ばれている魔法の指輪だった。
 カストゥールの遺産の一つであり、魔神をその指輪に封じることでその知識と力を自由に引き出すことが出来るようになるのだ。
 ルヴァンはまず、グルネルと呼ばれる青銅色の肌をした魔神を召還し、それをこの指輪に封じたのだ。それは最初に彼が魔力付与の力を欲したためである。
 一般にはあまり知られていないが、このグルネルと呼ばれている魔神は付与魔術に長けている。自らが手にする剣等の武器に魔力を付与し、魔剣として鍛えている事があるのだ。ルヴァンはその知識を手に入れるべく、この青銅色の肌をした魔神を召還し、指輪に封じたのだ。
 その知識を自らの手で魔術書に記したルヴァンは、その力を以って様々に暗躍を始めていた。
 彼は独自に密偵組織を作り出し、そして彼の主である貴族達の為に情報を集め始めていた。それはもう一つには彼自身の身の安全でもある。彼が開放された事を知った魔術師ギルドが賞金をかけて彼を狙い始めることも、暗殺を試みることも考えられたためだ。
 だが、既にいる密偵をスカウトするのは余りにも危険が大きかった。逆に彼らの情報が筒抜けになる危険もあったからである。その為、ルディンは得意の魔法を使ってそれを解決したのだ。
 まず、彼は鏡像魔神と呼ばれる魔神を召還し、そして貴族に仕える密偵の中でも最も優秀な一人の姿と能力を写し取らせたのだ。続いて彼はマンドレイクという植物の幼い株を入手し、盗賊として優秀な実力を発揮できるであろう男女の血液を注いで育て、アルラウネ、という変種に育て上げていた。そのアルラウネ達に盗賊としての訓練を徹底的に積ませ、優れた能力を持つ密偵を多数、生み出したのだ。
 その密偵組織を以って、ルヴァンは独自の情報網を築き、様々な謀略を行っていた。
 そして同時に彼はファンドリア盗賊ギルドや彼らと繋がりのある魔術師達から、コリア湾の海賊ギルドが研究している“魔人”に関する資料と情報を得ていた。
 魔法で作り出した肉体に他者の魂を移植して生み出された魔獣である。ルディンは人造人間ホムンクルス創造の秘術を駆使して独自に魔人を完成させていたのである。その中には古代語の魔法を使うように訓練された魔人もいるのだ。
 その魔人達は密偵として、そして暗殺者として、ルディンの謀略に活用されていたのだ。
 それは彼の出資者となった貴族達の思惑とも合致した。2年前の西部諸国侵攻戦争では新貴族派がファンドリア盗賊ギルドと手を結んで、大貴族達にも情報を漏らさずに電撃的に計画を発動させたのだ。その事実に大貴族達は驚愕し、緊急に独自の情報網の整備と戦力の増強を密かに実行せざるを得なくなったのである。
 ルディンの操る密偵部隊は、既にロマール盗賊ギルドを凌駕する恐るべき勢力となっていた。
 彼らの、その最大の拠点として構築されたのがエナ要塞だった、というわけである。
 元々この要塞は、余りにも巨大な規模を誇るため、それを護るためには数千の将兵が必要とされる。その為、ロマールはその要塞の中心に小さな砦を築いて、万が一の保険を掛ける以外の事をしていなかった。ある意味では厄介な代物だったのだ。
 その為、大貴族達がこの要塞を司令部に転用したい、と願い出たときにも大した反対は出なかったのである。その工事の殆どが完了し、そして移送の門を用いて王都との連携を行う、と発表したときに初めて、新貴族達はその狙いを知って驚愕し、そしてその目的を警戒していた。
 魔法装置や精霊使い達の働きで水を始めとして生活物資は何とでもなる上に、移送の門をつかって幾らでも物資を外部から供給できるのだ。その移送の門の総数が知られていない以上、このエナ要塞で何が行われるのか把握できない。
 そして密かに行われていた計画を知ったならば、如何に病床の身にあるとはいえ、アスナー二世は断固としてその大貴族達の行動を止めただろう。
 
 ロマールにはもうそれほど領土を拡張できる余地は無かった。
 西部諸国は2年前のロマール戦役で大打撃を受けたとはいえ、逆に結束を強めて、更には貴重な実戦経験を積んでしまった。南のドゥーデント半島の巨人達も忌々しい存在である。ザインの征服にも失敗し、結果としてオーファン・ラムリアースの同盟に参加させてしまう、という状況だった。
 その為、拡張路線から新しい体制へと変更を急がざるを得ないのだ。
 だが、そのためには伝統的な大貴族達と新貴族達とが何らかの形で融和する必要がある。もしくはどちらかが片方を吸収するか、である。
 その不気味な緊張感は王都を静かに包み込んでいた。
 一つには大貴族達が新貴族達に露骨な挑発をしていたことがある。普段ならそれほどの問題にならず、どちらかが矛を収めて終わるのだ。何故ならば、軍事的な戦力は大貴族と、彼らと緊密に結びついている傭兵ギルド、盗賊ギルドの持つ戦力は決して無視できない力だからだ。
 しかし、今は何かが変わったかのように大貴族達はあからさまな挑発をしていた。
 何かある、とルキアルは確信していた。だが、証拠も無いままで迂闊な行動は取れなかった。もちろん、対応策は考えてある。しかし、それでも余りにも情報が少なすぎた。
 彼の策は極めて精度の高い情報が基盤になっている。
 それは彼自身が子飼いとして抱えている密偵達によってもたらされたものであり、また彼の息の掛かった魔術師達から得られる情報だった。しかし、大貴族派は彼の情報網を以ってしても困難なほどの徹底した情報管理を行っている。それには優秀な密偵を相当な数で抱えていなければ不可能なはずであり、また、優秀な魔術師の組織が必要だ。
 辛うじて推測できたのは、大貴族達が魔術師ギルドから追放された優秀で危険な魔術師を取り込み、そして彼らの身を縛る制約の呪文から解放した上で、独自の魔術師組織を構築したであろう事を意味する。
 この時点でルキアルは大貴族派が彼の知らない何かを進めている事を推測していた。そして、それがこのエナ要塞に関連するであろうことも予測していた。
 そして、事件が起こった。
 きっかけはいつもの様に大貴族派の青年達が起こした挑発騒ぎだった。
 だが、その顛末が意外な方向に向かってしまったのだ。
 その日、新貴族派の若者達が酒場で一杯引っ掛けているところに大貴族派の若者達が大声で一昨年の西部諸国侵攻作戦の失敗を話し始めたのである。もちろん、新貴族派の若者達も必死に堪えて、無用な騒ぎを起こさないように最新の注意を払っていた。しかし、余りにも屈辱的な事を言われたままでは名誉にも関わる。
 その為、厳重に抗議をすることとなった。
 ここまでは普通の、よくある話だった。
 だが、そこで大貴族派の若者が言った一言が騒ぎを暴発させてしまったのだ。
「はははっ! 流石は元傭兵の騎士のご子息! 冒険者などによって構成された、しかも僅か五十余りの部隊に振り回された挙句、あの寄せ集めの素人軍隊の西部諸国に講和しか持ち込めなかった歴戦の勇者殿の息子も、騎士の名誉の端くれくらいはご存知のようだ!」
 この言葉に、抑えに抑えていた感情が弾けてしまったとしても、誰が咎められよう。
 若者の父は、先の西部諸国侵攻作戦にて壊走するタイデル盟約軍を追撃するための任務を与えられ、そして殿を務めたベルダイン傭兵部隊の魔法戦術の前に華々しい戦死を遂げている。
 その事を揶揄されて怒りを見せなければ、逆に臆病者と言われただろう。
 騎士の名誉を護るために、若者は決意をして剣を抜き放っていた。
「・・・貴公も抜け。我が父の名誉、我が手で護る」
「・・・ふん。ならば見せてみよ。傭兵上がりの父親仕込みの剣とやら」
 数人の若者達の騒動が真剣を抜いての決闘の様相を呈してきたことで、観客達の興奮も徐々に昂ぶっていく。最も、酒が入っていたこともあるのだろうが、無責任な野次によって双方とも完全に頭に血が上ってしまっていた。特に、新貴族派の若者は自分の父親が揶揄されたことで完全に冷静さを欠いていたのだ。
 それでも双方のまだ、理性が僅かに残っていた者達はなんとか流血沙汰を避けようともしていた。どちらが勝っても、禍根を残す事にしかならない。
 睨み合いが続く中、それは起こった。
 沸騰寸前の両者の理性を完全に消し飛ばしてしまうような最悪のタイミングだった。
 酒に酔った客の誰かから、残飯の乗った皿が投げつけられたのだ。
 もちろん、普通なら彼らとて何事も無かったように避けられただろう。しかし、酔っていて足元も及びつかないような状況、そして酒場の混雑、全てが最悪の状況だった。
 その新貴族派の青年は思わず飛んできた皿を払いのけようとして右手を振るってしまったのだ。剣を持っている右手で。
 そして、その動きに驚いた大貴族派の若者は反射的に剣を振るっていた。
 訓練された騎士だからこそ、不意の一撃に対して反射的に対応できるように鍛えられている。そして、その若者もまた、突如飛んできた皿に意識を奪われてしまっていた。しかも、刃を避けようにも密集状態の酒場は何処にも余分な空間など無かった。
 次の瞬間、両者の持っていた鍛えられた刃は、お互いの肉体に滑り込んでいった・・・
 実際には腰の乗っていない、手で振り回しただけの剣である。大した威力が出るわけでもない。精々が皮一枚斬った程度のものだった。だが、吹き出る鮮血が双方の理性を完全に吹き飛ばしてしまった。
「き、貴様ぁっ!」「貴様らこそっ!」
 命からがら逃げ出した客の一人は後に、「どうして、あんな口論で殺し合いになっちまうんだ・・・」と衛視に疲れきった声で告げたと言う。
 実際、その大貴族の若者は致命傷を受けてしまっていた。双方に出たのは彼を除くと怪我人だけだったのだが、それが宮廷で重大な問題となってしまっていたのだ。
 
「今度の一件、簡単には捨て置けません!」
 厳しい表情で、しかし、どこか勝ち誇ったような声で一人の貴族が声を上げた。
 不謹慎と言えば不謹慎である。
 如何に軽率な行動を取った結果とはいえ、一人の命が失われたのだ。それを利用して、大貴族派に連なる貴族達は新貴族派の貴族達を厳しく追及しようとしていた。
 尤も、それも政治ではある。
 現代のユーミーリアでも、ビジネスマンは人の生き死にや裁判沙汰さえも材料にして取引をし、株のトレーダーも売り買いをする。それはどんな時代になっても、変わることの無い人間の性なのだろうか。
 そして、これを理由にして新貴族派に対する厳しい要求が突きつけられる事は必至だった。
 それを承知していたからこそ、新貴族派の貴族達もある程度の妥協で済ませられないか、と水面下で大貴族と接触を試み、そして交渉を重ねていた。
 双方の決定的な対立は周辺諸国の介入を招きかねないのだ。
 だが、大貴族派の態度は頑なだった。
 その姿勢に困惑したのは新貴族達であり、また中立的な立場で宮廷を運営する文官であった。
「しかし、今回の一件はアルメス子爵殿のご子息の言葉も過ぎた、との話も窺っておりますが・・・」
 恐る恐る、といった様子で一人の文官が言葉を述べた。
 だが、その貴族はちらり、と一瞥をくれただけでその言葉を無視し、如何にこれが重大な事かを訴えていた。
「酒の場でいさかいになる。それは若い故にありえることだろう。本来ならばあってはならないことではあるが。だが、それに対して剣を抜き、あまつさえ不意に斬りかかるなど、騎士どころか夜盗にも劣る行い。断固たる抗議を行いますぞ!」
 その言葉に新貴族側の貴族達の顔色も変わっていく。
 余りにも辛辣な言葉である。
 これ以上、その言葉を許したならば名誉を護るためにあらゆる手段を使わなければならない状況に追い込まれるだろう。
 そして、それにも増して相手を殺してしまった当事者の新貴族派の若者は騎士叙勲を受けた後で彼の父の後を継いで領主となるべき立場である。今は彼の叔父が領地を運営しているが、ここで騎士叙勲の道が閉ざされたなら、その領地も宮廷での立場も失われる事になる。
 久々に玉座に座っていたアスナー二世がその場を収めるために命令を下した。
「・・・この件に関しては余が預かろう。判断を下すまで騎士見習いロスターは我が王城にて謹慎を命ずる。その他の者達も自宅にて十日の謹慎を命ずる。なお、ロスターの父の領地に関しては余が判断を下すまで、一時的に余が預かる。以上だ」
 その言葉に新貴族達は驚愕の色を隠せなかった。
 これではロスターの非を認めているのに等しい。その上で、領土も一時的にとはいえ王家の直轄に戻される、というのは想像していた以上に厳しい命令だった。そもそも、一時的、という言葉が恒久的に使われるようになる、というのは決して珍しいことではない。
 しかし、王命に背くことも、これ以上の抗議をすることも出来なかった。
 そして、その騎士見習いの若者がその命令を受けた事を屈辱として自害したのは、その日の夕刻のことだった。
 
 
 

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