~ 3 ~

 ファールヴァルトの南西に広がる悪意の森はその名の通り、多数の妖魔が住むことで知られ、人々の住む世界から隔絶した、ある意味では異界とも呼べる世界だった。そしてこの森にはあまり知られていないが巨大な生物が多数、生息していた。また、この森の植物達も危険な怪物とも呼べる食肉植物が多く繁殖している。
 一説にはカストゥール王国の魔術師達の実験場があったために、生物が巨大化したり、危険な変異をしたのだとも、神々が世界創造の際に巨大な生物を創造し、この地に住まわせたのだとも言われていた。
 そんな森に住む獣の民が、ある意味では人間とは隔絶した能力を得たとしても当然と言えるかもしれない。
 だが、獣の力を持つ彼らにとっては、この危険な森は逆に豊かな恵みと外界からの影響を拒絶できる理想的な環境だった。
 そして彼らはその巨大な生物を上手く飼いならして家畜として扱う術にも長けているのだ。
 魔獣使いの術と呼ばれているその技術は、吟遊詩人の歌う呪歌と呼ばれる魔法の歌にも似ている上位古代語の歌を用いて、魔獣や巨大な生物を支配し、操るとされている。その魔獣使いの力は強力で、使い手の実力によっては相当に強力な魔獣でも支配することが出来るのだ。
 だが、獣の民はその力を戦のために用いる事をせず、あくまでも集落を護り、そして魔獣などを彼らの労働力として手懐ける為にしか用いていなかった。
 それでも、亮はこの危険な森を訪れていた。
 修行のためである。
 眞は途轍もなく強くなっている。その眞に追いつき、剣を交える為にはまともな方法で修行をしていたのでは永遠に不可能だ。だから、亮はまともな方法でないやり方を考えたのだ。
 当然の事だったが、智子も葉子達も猛反対した。だが、亮はこの危険な森で修行をする決心を変えなかった。
 そして、護衛のために五名の騎士が同行することでようやく智子達も承知したのだ。
 もっとも、その護衛の騎士達も内心では自分達の修行のつもりだろう。
 そもそも、今の段階でも亮はずば抜けて強い。普通の騎士なら三人を相手にしても勝てるほどに強いのだ。しかし、その程度では眞には挑戦することさえ出来ない。
 だから、亮は人の限界を超えるために命を賭けるほどの修練を自らに課そうとしていたのだ。そして、それは日頃から眞の超人的な強さを知る近衛騎士達にとっても同じ思いだった。
 護るべき主君が人を超えるほどに強い、というのはその身辺を守護する彼らにとっては複雑なものがある。だから、亮が悪意の森で修行をする、と言ったときにその護衛を願い出たのだ。要するに一緒に行って同じように修行する、という事である。
「ま、ここで修行して帰る頃には眞の足元くらいにゃ追いついてるだろ」
 その亮の言葉に同行した騎士達が苦笑していた。
 それほどまでに眞は強いのだ。
 僅か、十七歳の少年が既に世界最強の戦士の一人になりつつある。その年齢を考えた場合、どれほどまでに強くなっていくのか、震えが来るほどだ。
 そして更に彼の恐るべき魔術の才能と実力。
 おそらく近い将来、あと数年もしないうちに彼は古代語魔法の奥義を極め、そして人の限界を超えた魔術の使い手となるだろう。その人間を超越した才能と能力は、彼らの想像を絶している。
 それほどの存在を目の前にして、同じく異世界からやってきた少年はその天才と剣を交えるために凄まじいまでの修練を積み重ねているのだ。これほどまでに強い意志と魂を生み出すユーミーリアという異世界に騎士達は興味と畏怖を覚えていた。
 しかし、それを目の当たりにして自覚しながらも逃げ出さずに眞と並んで剣を振るうこと、そしてその守護の為にふさわしい力を磨こうとする騎士達もまた、勇者と呼べる男達だろう。
 そして英二もまた、同じ想いを胸に竜の住む荒野で修行を積んでいた。
 亮は今までのことやこれからの事を考えながら、香ばしく焼けた鹿肉にかぶり付く。香辛料で味付けられた焼き立ての肉がこの上なく美味しく感じられた。
 だが、その間も油断無く辺りの気配を敏感に感じ取っている。そもそも、ファールヴァルトの周辺地域はあまりにも出歩くのに危険な場所が多い。
 僅かな油断が死に直結する。
 だからこそ、武術の修行にはもってこいの場所だった。
「・・・またかよ」
 うんざりしたような声で亮が呟いた。
(飯くらいゆっくり食わせろってな)
 心の中でぼやきながら立ち上がる。騎士達も呆れたような表情をしながらも立ち上がった。
 風に乗ってガサガサ・・・、と異質な音が聞こえる。
 普通の人間が聞いたなら、生理的に嫌悪感を覚える音だろう。だが、亮は気にした風も無く背負っている大剣を抜いた。
 透明な真紅の刀身が焚き火の炎を反射して鮮やかに輝く。
 真紅の水晶を鍛えて作り出された魔剣である。亮はこの魔剣を真に使いこなせるようになるために悪意の森での修行を望んだのだ。この剣は人間を相手に使うには余りにも危険すぎる為だ。
 そして彼の身に纏う鎧。
 真銀ミスリルを鍛えて作り出されたその魔法の鎧もまた、強力な力を秘めている。
 細い鎖を編み上げた鎖帷子の上から胸当てと肩当て、そして腰板と腹を護るための装甲がある美しい真紅の全身鎧だ。篭手と鉄靴と一体になった臑当てが一揃えになっている。剣と一式で揃えになっている。
 己の身に纏う武具の力を制御すべく、気を集中する。
 その場に精霊使いがいたならば強力な炎の精霊力が亮の全身と剣から溢れ出す様に放たれ始めたことに気が付いただろう。
 “炎の魔神イフリート”と名付けられた古の武具の魔力である。
 そして彼の周りにいる騎士達も抜刀して油断無く辺りを窺っていた。
 何かが動くガサガサ・・・、という物音が徐々に大きくなり、近づいてきていた。驚くほどの速度で近づいてくる。
 次の瞬間、巨大な黒い物体が茂みの間からぬっと顔を覗かせた。
 ユーミーリアではおそらく、ホラー映画くらいでしか見ないであろうその異様な存在を見ながら、亮は内心で呆れ果てていた。
(まったくよー、さっきからうっとおしいんだよな・・・)
 真っ黒な鎧の如き甲皮、そして無条件に人間の生理的な嫌悪感を齎す巨大な複眼。
 巨大蟻ジャイアント・アントだった。
 その鎧のような強靭な甲皮は騎士の鎧にさえ匹敵する硬さを誇り、その強靭な顎も恐るべき破壊力を生み出す。アレクラスト大陸ではこの巨大蟻の通った後には草一本残らない、とさえ言われているほど貪欲な昆虫である。
 あろう事かこの巨大蟻はこの悪意の森では普通に見かけられる生物だ。
 それどころか巨大な百足センティピードワスプ蜻蛉ドラゴンフライスコーピオン蟷螂マンティス蜘蛛スパイダーなど、ありとあらゆる巨大な昆虫やトード蛞蝓スラッグスネーク蜥蜴リザードを始めとする呆れるほどの種類の巨大生物がいるのだ。
 そして植物も這い回り木クリーピング・ツリー飲み込み袋エスノア殺し蔦キラー・クリーパーなど、危険な肉食植物が群生している。
「まったく・・・、素晴らしい環境だな、ここは・・・」
 亮はぼそり、と呟いて剣を握りなおす。
 その言葉を合図にしたかのように、巨大蟻の群れが亮達に襲い掛かっていった。
 
 ロマールの大通りを数人の若者が歩いていた。もちろん、彼ら以外にも大勢の人々が行き交っている。ここはアレクラスト大陸で最も人通りの多い市街地の一つだろう。
 だが、その若者達は客寄せの声にもまるで関心が無いかのように早足で通りを歩いていた。
 一見しただけでは職人見習いの若者のようにも見えるが、彼らはれっきとしたロマールの二つある騎士団の一つ、隼騎士団に所属する騎士である。
 その若者達の後を付かず離れずに歩いている者もいた。
 当然のことながら、若者達はさりげなく周囲を窺いながら慎重に目的地に向かって進んでいる様子だった。どこかの商会で働いているような雰囲気の若者が恋人らしい少女と楽しげに話しながら歩いているのが目に留まる。
 注目してしまわないように慎重にその様子を見てみたが、特に不自然な様子は無かった。
 そのまま騎士達は路地に入っていく。
 恋人達は楽しげに語らいながら、しかし、その視線は騎士達の消えて行った方角をじっと捉えていた。幾らも経たないうちに初老の男性が通りの向こうから歩いてくる。
 如何にも人当たりのよさそうな老紳士、といった形容の似合う男だった。
 その男に若者は視線で路地を示す。
 老紳士は一瞬だけ視線を返し、そして被っていた帽子の縁をつまんで位置を軽く整えた。
 その老紳士の後ろを数人の少年達が追いかけっこをしながら路地に消えていく。
 極当たり前の日常の光景。
 その日は良く晴れた素晴らしい陽気だった。
 若い騎士達は市街地を抜け、そして一軒の館に入っていく。そこはこじんまりとした館で、上級騎士達や貴族達が住む豪邸には到底及ばないものではあるが、それなりの大きさを持つ屋敷である。まあ、何とか豪邸、という部類には入るか、という邸宅だった。
 もちろん、貴族の屋敷であるはずも無く、ここはロマールの商人の館である。
「ようこそお越し頂きまして恐縮にございます」
 柔和な雰囲気をもつ初老の男性が自分の孫とも言えるような若者たちに対して丁寧に挨拶をした。如何に裕福な商人とはいえ、相手は貴族である。礼を失するだけでも牢屋に繋がれかねない。ましてや、貴族階級である騎士が一介の商人の家に押しかける、というのも異例中の異例だ。普通は使者を遣わして呼び付けるだけなのだ。
「急に押しかけて済まぬ」
 短く非礼を詫びながら、騎士の一人が男性に一通の手紙を差し出した。
「・・・これは?」
 判りきっていることだが確認せずには要られなかった。
「決まっておろう。取り決めに従い、我等は国王陛下に開戦の進言をする。よって貴殿には記されている品を至急、揃えていただきたい」
 その言葉に商人は一瞬、息を呑んで若者達を見る。しかし、ゆっくりと頷いた。
「承知しました。品物自体は手配が済んでおります。物が揃うまではあと一週間ほどかかると思いますが」
「一週間か・・・」
 若い騎士はその一週間、という時間を考えていた。
 だが、その一週間をうまく使い切れれば、十分な準備を整えて行動が出来る。そう考えて騎士は男の返事を了承した。
「良いだろう。今まで面倒を掛けてきたが、これからも頼むぞ」
「有り難き言葉にございます。それでは、物が入り次第、ご連絡を差し上げます」
 騎士達はその言葉に満足し、雰囲気が和らいでいった。
 そして、そのまま他愛も無い話をしながら夕食を共にし、何事も無かったかのように商人の館を後にした。
 
「この期に及んで西部諸国への侵攻を考えるとは・・・」
 男が羊皮紙の内容に目を通しながら考えこむ。
 だが、少なくとも、理屈には適っていた。
 昨年の西部諸国攻略戦争では屈辱的な講和で終わったものの、一年やそこらで戦力や資材、人材を回復できるほど西部諸国に体力は無い。そして、西部諸国の力をここまで削いでおきながらも新貴族側は戦争が不成功に終わったことで宮廷での権力闘争に大きな失点をつけてしまった。
 大貴族側としては願っても無い機会だろう。
 ここで西部諸国を征服したとしても、問題は無い。特にオーファンは抗議の声を上げるだろうが、現実問題として西部諸国のいずれとも軍事同盟を結んでいない現状では何もすることが出来ない。大義名分が無いのだ。
 あの美しき魔女が大国自らに課した他国への侵略はしない、という外交姿勢が逆に制約となって剣の大国自らが鞘に納まってくれている。
 所詮は権力と野望を持たない女か、と男は場違いな感想を抱いた。
 無論、女にも権力や野望に満ちた梟雄はいる。例えば東の軍事大国ロドーリルの女王、ジューネがその最たる例であろう。
 だからこそ、オーファンを無視してロマールは西部諸国制圧作戦を実行できるのだ。
 湖岸の王国ザインもオーファン、ラムリアース連合との同盟に参加した以上、ロマールの動きを止める事はできないし、そもそも、あの国は長年の内乱で国力は疲弊しきっている。わざわざ何もしなくてもロマールの動きを妨害するような事は無い。
 遠大な計画を立ててきたが、漸く体制が整ったと言えるだろう。
 直接の脅威になり得るオーファン、ザインを封じ込め、そしてラムリアースはその伝統から海外への遠征はまず起こさない。その上でオーファンとの同盟を結んだときに自ら、諸外国侵攻の道を閉ざしている。
 そもそも、オーファンの動きは余りにも読みやすい。
 まず、人材を育てなさ過ぎるのだ。その結果、優秀な人材の数に限りがあり、そしてその行動は比較的容易く読める。
 あの美しき魔女ラヴェルナの性格や行動がわかっただけでも幾らでも対策を打てた。確かにあの頭脳は素晴らしい才能だ。だが、その優秀な頭脳は古代語魔法の研究と真理の追究に対して発揮されはするものの、国を動かす謀略には向いていない。だから、理想的とも言える対外侵攻を自ら封じる、という行動を取ったのだろうが、それが逆に騎士階級に対して反発と不安を齎すとは考えなかったのだろう。結果としてあの魔女は自らの力を封じることとなった。もし、逆にそうしていなければザインやラムリアースとの関係は牽制しあうだけの三竦み状態になっていたのだ。
 特に騎士階級に海外からの傭兵や流れ者でも受け入れることが出来るため、諸外国からの密偵が多数、入り込んでいる。その情報操作や気分を操作するなど、密偵の端くれなら幾らでも出来ることだ。
 愚かなことだ、と男は侮蔑の感情を微かに表情に見せた。
 その点ではあの新しき魔法大国ファールヴァルトの若者は違う。内部の人間を優秀な人材に育て上げるために素晴らしい知恵を振るっている上に、諸外国の冒険者や傭兵も公平に軍に組み込みながら、指揮官や上級階梯に組み込むまでに厳重な審査と調査を行っている。
 これが異世界の知恵なのだとすると、あの若者は相当な影響力をこのアレクラスト大陸に行使できるようになるだろう。
 だからこそ、あの異世界の魔法騎士とは一度、言葉を交わしてみたい、と思っていた。
 あの若者は恐るべき頭脳と行動力を持ち、そして現実を見据えながらも壮大な夢を抱いて行動しているように見える。でなければ貧しい辺境の小国を僅か数年でこれほどまでの大国に膨張させることなど出来なかっただろうし、そもそも、それほどまでに急激に拡張した国を御することなど不可能だ。
 しかし、あの少年とも呼べるほどの年齢の将軍はそれをやってのけたのだ。
 その手腕には驚嘆する。
 それに比べて、今、大貴族が担ぎ上げている王子は余りにも近視眼的に過ぎると思っていた。
 だからこそ、男は第一王子のテールではなく、第二王子のアロンドを選んだのだ。
 今は大貴族に西部諸国侵攻の面倒を見させればよい。あの西部諸国は一度、実質的に敗北したことで国力に余裕が無い。しかし、西部諸国を侵攻しただけでは終わりにならない。むしろ、タラントのゴブリン連合が脅威になる。
 彼は西部諸国を征服した後で、それらのゴブリン連合を討つ為の計略を持っていた。だが、大貴族にその策を与えるつもりなど無い。ゴブリン連合と戦って、泥沼の消耗戦を演じてくれればよいのだ。
 そうした後で彼の策を新貴族派に行わせれば、新貴族派の宮廷での名誉回復を果たし、大貴族派の勢力を消耗させられる。
 目に見える策など愚の愚。
 真の策とは、破られてもなお、その効力から逃れることはできない、言わば蟻地獄のようなものなのだ。
 それが“指し手”とも呼ばれた男、軍師ルキアルの真の恐ろしさであった。
 
「まったく、この砦に戻って来ることがあったとはな・・・」
 エナと呼ばれるロマールの西部地方にある巨大な要塞である。もっとも、それが要塞として機能していたのは遥かな古代の事だ。
 このエナ要塞は地学的に言えばカルデラ型火山、と呼ばれる地形に似ている。これは火山の活動によって、外輪山のようになっている地形の事を言うのだが、この地には火山の形跡は無い。エナ、という地名がその謎を解く鍵となっているのだろうが、詳しい事は未だにわかっていなかった。エナ要塞とは盆地一帯を指す言葉であり、要塞という程大きな建物は建っていないが、その地形を巧みに利用した天然の要塞地帯なのだ。
 そこは,突き立った岩が壁のような標高差を作っていて、その高低差はアレクラストにあるどの城壁よりも高い。そして、数十メートルの幅を持つ大地は攻城兵器で破壊する事は不可能だった。
 軍勢が行軍できる場所は限られ、守備をする兵達は少数で多数を相手取る事ができるのだ。
 だからこそ、ロマール軍はこの地を拠点にして兵力を展開し始めていた。
 だが、現実問題としてこの広大な地を守るには膨大な兵力が必要になる。ざっくりと見積もって数千の将兵が必要になるだろう。
 今まではこのエナ要塞も荒れるに任せて放置されていた。
 その必要性があまり無かったためだ。
 それ故にロマール軍は僅か数百名の将兵だけを派遣して、その巨大な要塞を押さえる砦だけを構築していた。
 だが、今はもうその姿は仮初めのものでしかなかった。
 大貴族達が再度の西部諸国侵攻をかけての攻略計画を立てて、それを実行するために極秘裏に戦略物資の備蓄庫兼作戦拠点とするべく要塞の建築を進めていたのだ。
 当然のことながらルキアルの知るところとなったが、西部諸国侵攻に関して彼は異論を唱えなかった。もちろん、彼はそれが極めて厳しい戦争になる事を予測した上で、傍観していたのである。
 前回の対西部諸国侵攻戦争の結果、あの国々は実戦経験を積んでしまった。
 ルキアルの考案した電撃的な侵攻作戦は“十人の子供達テン・チルドレン”と呼ばれた西部諸国の未熟さと油断があったからこそ成立しえたのだ。
 それを戦力を大幅に減らされたとはいえ、彼の国々は冒険者を正規軍として雇い入れて、軍を騎士団中心の兵力から高機動特殊戦略戦に長けた形に再編成している。その上であの熾烈な戦争を生き残った騎士団がその指揮官として力を振るうのだ。数で判断できるほど戦力は減っていない。むしろ、従来の騎士団では考えられないほど柔軟で幅の広い技能の幅がある分、数値で出てこない戦闘能力は恐るべきものがある。
 加えて、ドレックノールの魔獣部隊だ。
 囮となった部隊の玉砕覚悟の猛攻が援護にあったとはいえ、あの分厚い防衛隊を突破してまんまとアロンドを拉致されてしまったのだ。
 それらの戦闘能力を考慮した場合、ロマール軍が負けるとは思わないが、それでも決して楽に勝てるとは考えられない。
 だからこそルキアルは大貴族達の西部諸国再侵攻計画にあえて強硬な反対をせずに、形ばかりの反論だけをして、黙認していたのだ。
 無論、大貴族達の遠征軍が敗北することは好ましくない事を考えて、必要な助言はするが、過剰な援助などする気も無い。もし、そのような真似をすれば逆に彼を指示してくれている新貴族達との対立を生み出してしまう。
 結果としてエナ要塞は思いもかけない来客によって大要塞化していたのだ。
 しかし、それらの戦略物資をおおっぴらに投入すれば西部諸国の知る所となり、作戦の成功率が低まってしまう。その為、前回の作戦と同じようにあらかじめ、物資を拠点に用意しておき、一気に侵攻して征服する作戦が採用された。と同時に前回の失敗も踏まえて、先鋒隊の派遣と同時に物資を運搬する部隊を逐次、エナ要塞から出発させることになっている。
 その膨大な物資を極秘裏に備蓄させるためにロマール軍は一年以上かけて、エナ要塞の地下に要塞施設を建築していたのだ。
 もちろん、それは公式のものではなく大貴族達の個人的な負担によるものである。そして、それは大貴族側の騎士団である隼騎士団の拠点として運用されることになるだろう。当然のことながら、これだけの要塞を構築するには膨大な人材が必要になる。それを大っぴらに建築するわけにはいかない為、ドワーフ族を頼ることになった。
 ドワーフ族はこのような建築を行うときには素晴らしい能力を発揮する。
 大貴族達も自分達を脅かそうとする者に対しては冷淡だが、そもそもドワーフは権力などに関心が無い。だからこそ、大貴族達も寛容に彼らを使うことが出来たのだろう。決して好意的な感情があった訳では無いにしても。
 結果としてエナ要塞は永い年月を経て、新しい要塞として生まれ変わろうとしていた。
 その地下に広がる広大な空間の中にある司令室で、華麗な制服を身に纏う騎士達が忙しく働いている。
「それにしても、この要塞をこのように使うとは・・・」
 一人の若い騎士が感慨深げに呟いた。若いとは言っても二十五歳という年齢であり、幾度かの実戦経験もある優秀な若者だ。先ほどの言葉を漏らした騎士の同僚であり、今回の対西部諸国再侵攻作戦の中核となる部隊の一員としてこの要塞に派遣されていた。
 そして、この要塞には極一部の人間しか知らないことではあるが、大貴族お抱えの魔術師達による実験施設や様々な設備が用意されている。特に、「移送の門」を利用して、戦略物資や必要な設備をロマール国内の点在する拠点から極秘に運搬できるようにもなっているのだ。
 アレクラスト大陸東に突如として勢力を拡大し、歴史に登場したファールヴァルトという名の国が魔法を高度に駆使し、その途轍もない能力を見せ付けたことに、ロマール王国の貴族達は驚愕し、騎士団に魔法を的確に運用する戦略を研究する事を命じたのだ。そして、騎士達はその命令に戸惑いながらも、ファールヴァルトがムディールを撃破、征服した事を知り、改めて魔法の戦闘への応用を研究し始めていた。
 当然の事ながら、魔術師ギルドはその貴族達の方針に苦言を呈したものの、貴族達はギルドから追放された魔術師達を雇い入れ、それらの人材を独自に活用して魔法戦略に組み込んでいったのだ。
 そして遂に、ロマール軍も魔法を戦争に応用する事を受け入れていた。
 ロマール貴族の持つ莫大な資本力を以ってすれば、魔法の宝物を揃える事は難しくは無い。特に、日常的に用いるための魔法の工芸品は、彼らの資本力からすれば微々たる金額だ。
 結果としてロマール軍司令部は魔法の工芸品で構築された非常に洗練された指令システムを実現していたのである。
 特に、司令室は魔法の結界で護られ、出入りは原則として“移送の門”でしか出来ない。移送の門はカストゥール王国の遺産の一つで、二つの扉の間を結ぶ次元の門だ。これを創造する事の出来る技術はファールヴァルトにしか無いのだが、ロマール軍は発掘された移送の門を極秘裏に購入し、また、破損の程度の軽いものならばお抱えの魔術師達に修復させて運用に持ち込んでいた。
 エナ要塞に持ち込まれた移送の門は公には五基とされている。
 一つは王城の地下にある連絡路に直結され、人や物資の移送に用いられていた。
 他にも様々な拠点と結ばれ、王都から遠く離れた地にあるにもかかわらず、その要塞としての価値は絶大なものとなっていた。
 ファールヴァルト王国の持つ魔法戦力が明らかになり、もはや各王国は魔法の価値と力を見過ごす訳にはいかなくなってきている。当然の事ながら、軍もまたそれに即した時代に対して対応を余儀なくされていたのだ。
 通話の護符と呼ばれている、比較的大量に遺跡から発見される護符がある。この護符には、同じ通話の護符を用いている遠く離れた相手と会話が出来る魔力が付与されていた。他にも遠見の水晶球や様々な魔法の宝物を利用して高度な作戦を現場に対して的確に発信できるようになっている。今までの軍の構成では考えられないほどの構成だった。
 本来、アレクラスト大陸の各国では魔法装置や魔術の軍事や政治に対する運用には否定的だった。
 魔術師ギルドが設立されるまで、まともな魔法文明を持つ国がラムリアース一国だけだった上に、現在の人間が古代王国の時代に奴隷とされてきたこと、そしてその古代王国の貴族達を滅ぼして新しい時代を切り開いた自負が、魔法を拒む風潮を生み出していた。
 だが、オランに突如として現れた大天才マナ・ライが興した魔術師ギルドが大陸中に広がり、一気に魔法文明が剣の時代だったはずのアレクラスト大陸に再興することとなったのだ。
 もちろん、その古代語魔法の知識や現在の魔術師達の実力はかつてのカストゥール王国の貴族達には遠く及ばない。しかし、全く古代語魔法の文明が無かった地域に、僅か数十年あまりの時間で魔術師の養成機関である魔術師ギルドが設立され、そして各国に魔法文明が根付き始めているのだ。
 それは時代の流れとも呼ぶべきものかもしれない。
 そして、それほど多くの若者達が魔術師ギルドの門を叩くのは、それだけ魔術に魅せられたものが多く、また、それを許す風潮が現れてきたことの現れである。
 現実問題として古代語魔術を身につけるのに必要な素養を持つものは、およそ五人に一人と言われている。これは魔力を操る才能を持つ人間がそれだけの割合でしか生まれない事を意味する。
 そして、魔術師ギルドの門を叩く学生が正魔術師になれるのは百人中、およそ五人程度である。しかも、その見習いとして魔術師ギルドで勉強できる人間は裕福な商人か貴族の師弟に限られている。それほどまでに魔術師になるには莫大な学費を納める必要があるのだ。
 そう考えると、毎年百人程度、という数は驚異的に多い事がわかる。
 例えば、オランで考えると、王都オランの人口は十万人とされている。その中で裕福な商人や貴族の数は全体の二割未満だろう。二万人程の裕福層の人口で騎士やその他、家督を継ぐべき人間や実際に国務に携わる、魔術と関わり無い生活を送るものが一万人と推定すると、毎年百人ほどの入門志望者がいる、ということは殆どの貴族や裕福な人間の子弟達のかなり多い割合が魔術師になるべく、魔術師ギルドの門を一度は叩いたことになる。それどころか、裕福な家庭や貴族の殆ど全ての家系から最低でも一人は魔術師ギルドに入門を志願したことになり、現実に魔術師となったものも決して少ない割合ではない。
 そう考えると、魔術師が一般の人間に嫌われている、というのも程度問題と考えられる。
 何故ならば、一般の市民がそのような魔術師を多く身内に抱えている商人や貴族に対してなんら反抗も反逆もしていないことから容易に想像できるのだ。
 それがファールヴァルトになるともっと極端になる。
 何せ、学費がほぼ完全に無料であり、優秀な学生には奨学金や正魔術師以上になれば俸給も出るようになる。そして、希望すればそのまま政府に対して仕官も可能になるのだ。その為、一般の貧しい家庭からでも容易に入学が出来るようになる。
 そして、身内が学生として入学しているなら、その分の税が免除されるために生活を逼迫させることが無い上に、基本的に衣食住は王立魔法学院に在籍している限り保障されている。
 それに加えてカストゥール王国の魔術師であるメレムアレナーや彼女の門弟達、そして魔神から直接、その知識と魔力を奪い取った天才魔術師の眞が構築した魔術師の養成過程は非常に洗練されている。かつての古代王国があれほどの魔法文明を誇ったのも、上位種の人間であるカストゥール王国の貴族達の魔法の素質のみならず、その素質を十分に発揮させられる高度で洗練された魔術師の教育課程が確立していたことも大きい。
 古代王国のカストゥール王国立魔法学院の教育課程で実際に学び、そして付与魔術師の一門でも奥義を極めたメレムアレナーはその教育課程を自らが教える立場としても身に付けている。
 その上で眞はその天賦の才を発揮して驚くほど高度な魔法文明を生み出しつつある。それを巧みに教えるための高度な教育システムを構築しているのだ。
 結果としてファールヴァルトでは人口に対する魔術師の割合が異常に高いのだ。
 そのファールヴァルトがアノスとの戦争に勝ち、そしてムディールを容易く征服したという事実から、各国の貴族達は魔法を軍事力に応用すべく、研究と実戦配備に勤しんでいた。そして、西部諸国の一都市であるドレックノールが魔獣創造の秘術の復活を果たし、それを遂に実戦投入したこと、それに対して海賊ギルドが同じように魔獣創造を研究し、ほぼそれが完成段階に至ったことが、各国の首脳部を震撼させていた。
 その為、否が応でも軍を再編制する必要に駆られていたのだ。
 
 
 

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