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 聖王国アノスの首都ファーズ。
 この至高神たるファリスの恩寵を受けたとされる地で、数人の若者達が熱弁を振るっていた。
「貴公らはこの嘆かわしい現状を甘んじて受け入れているのか!?」
「そのようなことは断じて無い!」
「ラドルス卿らにもっと力があれば、あのような邪悪な魔術師どもによる王国など、木っ端微塵に打ち砕いていたのだ!」
「その通り! ましてや至高神に使える修道女達を連れ去られるような、至高神に対する冒涜など起こさせはしなかった!」
 敬虔なファリスの信者にとって、それはある意味では自然な感情だった。
 魔獣を乗りこなし、そして魔術を使いこなすファールヴァルトの魔法騎士団は、ファリスの信者にとってみれば邪悪な存在とも考えられる。
 もともと、ファリスとはじめとする光の神々は魔法で創造されたり、召還された魔物を嫌う。それが、この若いファリスの信者達に、異世界から現れた英雄やその仲間達に対する嫌悪を引き起こし、そしてその少年達が魔法を使ってファールヴァルトという国を豊かにしていることに対して激しい憎悪の感情を抱かせることとなっていた。
 それは大敗を喫した昨年の紛争に対しての反発も多分に関係していたのだろう。
 そしてその敗北を喫した相手と講和を結び、ファールヴァルト王国へ多額の賠償金を支払わされたことに対する反感や屈辱も少なからず関係していた。
 次回こそは必ず・・・
 そのような不穏な感情がファーズの都に徐々に浸透していたのだ。
 ある意味ではそれは当然のことだったのかもしれない。
 ファリスは至高神にして正義と法を司る神である。その神々の主神にして正義を司る神の従僕たる神聖騎士が邪悪と判断して征伐に出たにもかかわらず、無残に敗北し、賠償まで支払わされたことは、ある意味ではファリスの正義が蹂躙された、という意味にも取れるのだ。
 事実、アレクラスト大陸各地のファリス神殿では、このファールヴァルト・アノス戦役の結果に震撼していた。
 ファールヴァルト王国も講和の条文において、わざわざファリスの正義について言及し、アノス戦役の直接の原因は一部の過激派によるものとはいえ、神殿の直接の見解によるものではない、という点を強調していたほどである。逆にそうしなかったなら、どれほどの混乱がアレクラスト大陸中に起こっていたか、想像さえ出来なかった。
 ユーミーリアに於いても、宗教が唯一の価値基準となっている者たちの考え方は、違う宗教や思想、価値観と極めて深刻な対立を生み出す場合が少なく無い。
 そして、自分の信じる神に仕えるもの以外は全て敵、と見做して殺害することに躊躇を覚えないのだ。いや、むしろそうする事でその“正しくない者”が神によって救われる、と考えることさえもある。
 その熱狂は対ファールヴァルト戦の敗北をむしろ、神からの試練として受け止め、そして更なる熱狂を生み出していた。そして、それはまた、ファールヴァルト王国の対アノス戦役での勝利、プリシスの併合、対ムディール戦争での勝利とムディール王国の征服、など、急速に周辺地域を吸収し拡大する魔法王国に対する他国の民衆の警戒をも呼び起こすこととなっていたのである。
 特に、ムディール王国では王城がピンポイントで撃破されたことによる敗戦のため、国土の大部分が無傷の状態で残されていることから、周辺の都市の民衆からの反発や都市圏を離れてゲリラ化したムディール復興運動が大きな懸念の対象となっていた。
 実際にはいかにファールヴァルト王国が強大な戦闘能力を持っているとはいえ、莫大な被害を出す正面戦を行うことが出来なかった点にもある。もし、残酷な話ではあるが正面戦闘を行って撃破されたのであれば、ある意味では諦めもつく。そしてそれなりの被害が出ていたなら、その復興に集中している間に主権の移動が完了し、その復興プロセスの中で新しい為政者の支配を受け入れていくのが普通である。
 だが、このムディール戦役の場合、ピンポイントに、言わば頭だけ吹き飛ばされた状態のため、他の都市を守護する騎士や貴族達がその底力を温存したままに戦争が終結するという事態となってしまったのだ。
 殆どの国民がファールヴァルトの支配が、以前とさほど変わらずに平穏なものとして受け入れているにもかかわらず、一部の元貴族や騎士が自分達の勢力を率いてファールヴァルトからの独立、主権回復を目指したムディール復興運動を起こしたのは、歴史の必然だったといえるだろう。
 そのムディール復興運動がファールヴァルト王国の妥当を目指す光の真理一派と接触を持ったのは決して不自然ではなかった。
 
 旧ムディール王国の各都市の太守はアレクラスト大陸の各王国の標準的な例に漏れず、王族の中から選ばれ、そしてその任を全うしていた。そのためにファールヴァルト王国軍によって王城が攻め落とされ、そして廃嫡されたにもかかわらず、ムディール王家の血筋は未だに健在であったのだ。
 残酷な話ではあるが、戦争に負け、国家が滅ぶときに王家はその最終責任を引き受けなければならない。
 そうしなければ将来に対して禍根を残すこととなり、そしてけじめを付ける事にならないのだ。それが王族や貴族がその特権に対して課せられた宿命であり、責任である。
 彼らが命を代償とすることにより国家間の紛争が終結し、国家統治の代表である王族が絶えることにより片方の国の統治権が失われたこととなり、そして他方の国に併合されることが受け入れられることになるのだ。これは征服戦争の冷酷な現実である。
 ファールヴァルト王国の場合、逆に言えば国家間の問題を解決するだけの軍事的体力が無かったといえるだろう。純粋に技術、錬度、火力に差があったとしても、紛争解決、という正面戦闘で勝敗を決着させる必要がある問題解決紛争を戦うにはファールヴァルト王国の軍事力は数が少なすぎた。事実、ムディール軍が派遣してきた二万を超える軍は、ファールヴァルト王国の正規軍の数を遥かに超える。
 正騎士団である銀の剣騎士団が総勢でおよそ二千騎、そして魔法騎士団が二十四騎という数では二万の敵軍に対して物理的な消耗を要求される正面戦を戦う事は不可能であった。だからこそ、ファールヴァルト王国は、いや、この戦争と外交を任されていた緒方眞をはじめとする将軍達はムディール王国の征服、という最強硬手段を取らざるを得なかったのだ。
 他にもファールヴァルト王国には危機に陥ったオーファンの援護という時間に限りのある使命も帯びていた。あのまま、手を打ちかねていたなら、リトラー皇太子と彼を担ぎ上げたオーファン鉄の槍騎士団の二千騎は壊滅していただろう。
 そうなった場合の影響は計り知れなかった。
 しかし、最悪の事態が回避されただけでアレクラスト大陸に漂う危機は依然として存在し、そして日増しにその緊張が高まり続けていたのだ。
 もう一つの危機はロマールにもあった。
 征服王アスナー二世の健康状態に関連した問題であり、そしてその後継者問題であった。
 当然のことではあるが皇太子である第一王子は第二王子と新貴族を嫌っている。それは古くから続いている大貴族たちの意向であり、その既存の伝統を変革することを拒んでいることも無関係ではなかった。しかし、さりとて彼らも第二王子を推す新貴族を無視することも冷遇することも出来なかった。
 数で言うならば新貴族のほうが圧倒的に多く、そして彼らは数々の征服戦争で功績を挙げて自らの地位を手にした歴戦の勇者である。当然のことではあるが彼らの中には冒険者や傭兵上がりのものも少なくは無い。
 情報活動や暗殺、機密工作などに関しては彼らのほうが多種多様な手段を使っている。そもそも、如何に大貴族にとっては暗殺や謀略が日常茶飯事であったとはいえ、実際にそれを行うのは冒険者や暗殺者達である。いわば、新貴族は大貴族の裏側の陰謀劇を知り尽くしていると言ってもよい。だからこそ、新貴族は今まで互角以上に大貴族と勢力争いを維持していたのだと言っても過言ではなかった。
 そして、そのことに大貴族が苛立ちを覚えない理由も無い。
 特に近年の圧倒的に有利であったはずの西部諸国征服戦争を講和による終戦という不名誉極まりない終結で終えることとなった新貴族一派に対して大貴族の仕掛けた宮廷闘争は熾烈なものであった。だからこそ、新貴族派は場合によっては内戦さえ辞さない、という追い詰められた団結を図っていたのである。
 逆にこのロマール内部の緊張の高まりが無ければアレクラスト大陸は戦乱の業火に焼き尽くされていたかもしれなかった。
 
「どうして・・・、人は人と争いあうのでしょう・・・」
 哀しげな眼差しでユーフェミアは呟いた。
 眞はファールヴァルト王国の軍事力の基盤を強化すべく、連日のように演習を繰り返している。そしてムディール復興運動のゲリラに対して応戦を指揮していた。
『このムディール復興運動に対する鎮圧戦争は泥沼になる。もしくは、俺たちが禁じ手を使って奴らを全滅させることになる・・・』
 暗く冷たい声で眞は将来を予測していた。
 だが、正直なところ眞も何とか停戦と講和にまで持ち込めないか、と画策していた。ファールヴァルト王国がムディールを撃破したのも、ムディール王がファールヴァルト王国の征服を画策したためである。だから、眞としては将来の安全が確約できるのであればムディールが再び独立国家として再建したとしても問題ではなかった。
 しかし、一度征服した広大な領土を手放すことなど、他の貴族達の考えには毛頭も無かった。特に豊かな国土と広大な海岸線、そして隣り合わせの国境が無い面がある、という点では併合した旧ムディール領の返還と開放など論外である。
 そして既にムディールの各地は功労のあった貴族や騎士たちに分け与えてある。
 眞自身もおよそムディールの国土の10%近い広大な領土を領地として与えられていた。その運営に関しては眞は飛び地であることから全権代理を常駐させ、そしてその館と自らの館を移送の門で結んで直接、領地運営に関われるようにしていた。
「俺も何とか戦争は避けられれば、とは思ってる。けど、一方が戦争を望んでいなかったとしても、いや、その両方が戦争を避けたいと思っていても、そうならない事があるんだ・・・」
 眞が淡々と言葉を紡ぐ。
「なら・・・、どうして戦争は起こってしまうのですか・・・」
 そのユーフェミアの問いは眞にとって、いや、統治者にとって最も辛い質問だっただろう。
 国は、いや、その国の統治者は国益を最大限に考えなければならない。それは競争で利益を上げることではなく、如何にして“不利益を避けるか”に集約されると言って良い。
 苛烈な国際競争の中では、不利益を被る事を避ける為に可能な限り利権を取得することが最善の場合であることが多い。そして、国家間の争いにおいては、例えばユーミーリアの近代国際社会でさえ、理性的な紛争解決の手段が無い。
 それは国家という単位の上に立つ統治機構や権威が存在しないことにある。
 国連さえもその運用にあたっては常任理事国の利害関係や打算、政治に振り回される。その上で発展途上国は数に物を言わせて不合理な要求を繰り出し、そして先進国がその要求を拒絶すると激しい非難を行い、それにより先進諸国が抱いている発展途上国に対する感情的な反感を増幅する、という政争の場になっているのが現実であった。
 ましてや、インターネットなどの情報共有が高度なものになればなるほど、特定の思想などに凝り固まった政治団体や市民団体がその活動をエスカレートさせていく。
 そのような組織や団体の問題点は、その非寛容性と排他性にある。
 自分達以外の主張や意見には耳も貸さず、ひたすら非難と攻撃を繰り返し、自分の正義を振りかざす胡散臭さに政府は辟易しながらも選挙のために彼らを利用しているという現実もあった。
 それが眞には馬鹿馬鹿しい猿芝居にしか見えなかったのだ。
 マスメディアをはじめとして、真に責任を負わずに済む者は、耳障りの良い奇麗事を述べる。その主張の細かな部分を見ていくと、その主張の細かな部分がお互いに矛盾しあっている事も少なくは無い。しかし、その主張は単にその個別の問題に対して理想的な答えでしかないため、非常に奇麗な理想論のような響きがある。
 だが、それは一歩その厳しい現実を見据えると、瞬時にして色褪せるような薄っぺらい考えでしかないことが殆どなのだ。
 そして、行政の担当者や政権の担当者は権力を持っていることの最終責任を負わなければならない。行政と統治に確信の無い実験は許されないのだ。
 それは直接人の実生活に関わる問題であるが故に、理想的な解答ではない、現実的な解決を提示しなければならないことが殆ど全てである。
 だが、マスコミは行政の失敗や問題をあげつらい、批判するが、何故自分達の普段の生活が当たり前に行われているかの考察や評価など行わない。
 ましてや、権力の監視番を自任し、産業界や政治に対して厳しい批判を行うマスコミ自身は自分達の相互批判など行わない。ましてやその検証や監査を考えただけでも「国民の知る権利を阻害する」「マスコミに対する検閲である」という批判を繰り返す。
 それを一般に対して公に報道できる側がそのように主張するのであるから、自分に都合の悪い主張が、まともに評価されたり、報道される可能性など皆無であった。全ては「国民の知る権利」という金科玉条の元に自分達に対する監査や検証は一切認めない、という報道を続けているのだ。
 それが近年、メディア・リテラシーという報道に対する批判的な考察がインターネットを通じて漸く可能になってきたのである。
 だから、眞は奇麗事を唱えるよりも現実を厳しく判断する事を選んでいた。ムディールを撃破し、そしてその主権を奪い去ったのもその厳しいリアリズムにある。その事を決して美化する事をせずに、淡々と現実を見据えた戦略を練っていた。
 そのことがユーフェミアには哀しく映っていたのだ。
 二人だけの空間を照らすナイト・スタンドの淡い光が眞の横顔をぼんやり浮かび上がらせている。ユーフェミアは魔法のきらめくような華やかな灯りよりも蝋燭のぼんやりとした明かりのほうが好きだった。
 しかし、そのどこか儚げな光は眞の横顔を哀しげに浮き立たせている。
 電灯や魔法の光ではない、蝋燭の柔らかい光は人の心を映し出すのだろうか・・・
 だが、眞の心は深い悲しみと絶望に満たされてしまっているように思えた。
 どれほど過酷な時間を経験すれば、僅か十七歳という年齢で軍事、政治、そして経済、技術改革などのあらゆる分野で改革を断行し、そして厳しい内部政治や権力闘争に打ち勝つような力を身に付けることが出来るのだろう。
 ユーフェミアは眞の過ごしてきた人生を想い、そして思わず涙を溢れさせてしまった。
 老獪な大人達でさえ狡猾に操り、そして自分の目的を達成するために自由自在に動かしてしまう自分の知略を眞自身が嫌っている事をユーフェミア達は知っていた。
 自分が十六、十七の頃は、皆が世話を焼いてくれて、政治のことなど関わりもしなくてよかった・・・
 美貌の王女はそんな事を不意に考えていた。
 ユーミーリアの少年達は、眞を除いては全員、そんな苦しみを知らずに生きてきたようだった。特に、葉子は唯一の成人であるにもかかわらず、眞のような政治、経済に関する知識や技術を持っていない。
 眞は日本、という彼らが生まれ育った国の為政者の孫息子である、ということだが、それでもユーミーリアの多くの国の政治システムは国民が選挙という手法を用いて自分達の統治者を選択する、というユーフェミアには信じられないようなやり方で運営させているのだ。
 だからこそ、為政者の子供達の多くは政治家にならずに生きていく場合も少なくは無い。
 そもそも、人口の総勢がアレクラスト大陸全ての人口を合わせた数の十倍規模の国家を僅か数百名程の政治家が運営できるというのだから驚異的でさえある。
 そんな時代の政治家の息子が、その祖父の血を濃く受け継いで統治者としての才能と能力のみならず、経済、軍事でも恐るべき実力と、それ以上に技術者、研究者としても天賦の才を持っていたことがユーフェミアには信じられないような奇跡と思えたのである。
 しかし、そのことが眞には過酷な人生を強いられる原因となったことに彼女は心を痛めていた。
 今となってはかつての貧しく、しかし、それであるが故に無垢でいられた僅か1年余り前の母国が懐かしく思える。
「王や統治者は、その立場に呪縛されているんだよ・・・。国民の幸せを願い、せめて、不幸を可能な限り回避できるように、そして万が一のことが起こった場合には、自分の心を殺して、自分を憎みながら非情の決断を下さなければならない事がある。俺の祖父が言っていた言葉で、『政治家が憎まれるのは良いことだ。何故ならば、国民が政治家を憎んでいられるだけの余裕がある証拠だからね。本当に国家が破綻したなら、そんな恨み言を言うことさえ出来なくなる・・・』ってね」
「そ・・・う・・・です・・・か・・・」
 その余りにも残酷な言葉にユーフェミアは絶句していた。
 今まで、自分が父の代わりに宮廷で判断を下さねばならないこともあった。だが、その場合も文官や騎士達は自分にその苦しみを感じさせないように、どれほどの心を砕いてくれていたのだろう。
 彼らが自分の身代わりとなって、その非情の決断を実行してくれていたのだ。
「日本は特にだけどね、マスコミの人間が言う言葉がある。『そんなに戦争がしたいなら、兵士の変わりに戦場に行けばいい』ってね。馬鹿馬鹿しい。政治家の仕事は戦場で人を殺すことじゃない。軍人に人を殺すように命じることであって、その命令の責任を取ることだ。どんな嫌なことでも、誰かが決断をしなければならない。誰だってそんな事を考えるのは、命令するのは嫌に決まってる。だけどね、誰かがその重い決断を下さなければならないんだ・・・」
 眞はその決断をし、そして実際に戦場に立ってその責任を遂行できる稀有な人材だろう。
「世の中は奇麗事なんかじゃ動かない。そんなに奇麗事を言いたいなら、実際に世の中を動かして見ればいいのさ」
 皮肉気な眞の微笑が、ユーフェミアの瞳には哀しく見えた。
 その手をそっと包み込む。
 どれほどの命をその手で断ち切らねばならなかったのだろう。まだ、親に甘えていたい年齢の少年が、そんな地獄をその手で生み出さねばならなかったこと、そしてその非情の決断と淡々とそのその決断を実行してくれたことに、如何に自分達が甘えていたのか、ユーフェミアは実感していた。
 オルフォード達、ファールヴァルト王国の重鎮達も、自分達がこれほどの大規模の国家になった王国を運営するために力も知識も無い事を痛恨の思いでいただろう。
 文字通り、寝る暇も無いほどに忙しい眞と共に、その知識と能力を少しでも学ぼうと、以前以上の激務となっているにも関わらず、日常業務の後で眞から政治や経済、国家運営に関する近代知識とその実際の運用手法などを学んでいた。
 眞も超人的な体力をしていたと思う。
 それほどの激務をこなして、そして技術革新や対外的な智謀知略にまで関わっていたのだ。
 ようやく、日常の国家運営が眞の手を離れて、ファールヴァルト王国の官僚や文官たちが切り盛りできるようになったことで、僅かながらでも余裕が出てきたのだ。
 目の前の若者は、僅かな間にファールヴァルトという貧しい小国を強大な国家へと変貌させ、そしてプリシスや周辺の部族を併合してその国力を増強させることに成功したのだ。そしてその強大な力は大国であったムディールさえも打ち破り、ファールヴァルトをついに、極東の大国へと押し上げようとしていた。
 それはムディールの各地の都市の支配権を確立することであった。明確な統治の実態を確立し、そしてそれによりムディールの歴史をファールヴァルトのそれに消化してしまうことである。
 その統治を浸透させるために、各地の太守の館は魔法システムで結び、そしてファールヴァルトの王都エルスリードから直接にコンタクトが出来るように整備されていた。
 それがムディール復興運動に危機感を齎していたのだ。
 
 ムディールの森は鬱蒼と繁っている。
 その密林を思わせる深い森はムディールの豊かさを生み出し、そして隣国バイカルとの戦いを支えるという重要な役割を担っていた。
 そして今はムディール復興運動のゲリラ達を支える重要な隠れ蓑となっていたのだ。
「奴らは非常に手強い。正直に言って、それは認めざるを得ない・・・。しかし、我々は祖国を支配されたままで居てはならないのだ・・・」
 淡々と一人の男が言葉を紡ぐ。
 男の名はディエン、と言う。
 彼の父はムディールの前王ティンの実弟であり、ミラルゴに近い都市を治めていた太守でだった。そのことからわかるように、彼自身もそれなりの王位継承権を持ち、ムディール復興運動にとっては貴重な人物であった。
 ムディール王国の虎の牙騎士団からもおよそ百騎ほどの騎士が彼の元に集まっており、ムディール復興運動の組織の中では最も大きな勢力を持っている一つだった。
 彼らはファールヴァルト王国が王都ムディールを攻略し、そして王城ブルードラゴンが攻略された事を知るとすぐに可能な限りの物資、特に武器と保存食をかき集めてマハトーヤ山脈中にある砦に手勢を移していたのだ。迅速な手を打ったからこそ、後のファールヴァルト王国軍による各都市接収の際にも最大の備蓄を維持したまま都市を離れることが出来たといえるだろう。
 そしてディエンは虎視眈々とムディールの解放を狙っていたのだ。
 そのディエン達にアノスの真理の光一派が接触を試みたのは、ある意味では敵の敵は味方、という打算の産物だった。
 真理の光にしてみれば、ファールヴァルト王国を打倒する事が目的であり、ムディールの事は正直言って関心も持っていなかった。そしてディエン達にしてみればファリスの信仰など如何でもよく、ファールヴァルトの統治から独立できるなら体裁など構っていられなかった、ということもある。
 特に、極端な右派であるとはいえ、ファリス教徒が協力する、というのは正義が彼らの側にある、という主張をするのに都合が良かった。
 その微妙な緊張と利害関係の上に、協力関係が築かれていたのだ。
 濃密な森林は彼らを包み込む絶好の隠れ蓑だった。
 そして、如何にファールヴァルトの夜魔騎士隊が隠密行動に長けていようとも、ムディール復興運動のゲリラを狩り出すには数が少ない。大規模な山狩りが不可能である以上、ゲリラ側にもまだ手の打ち様があったのである。
 しかし、如何せん手勢が足りなかった。
 特に、ファールヴァルトの統治は公平であり、収奪も搾取も無かったため、民衆が不満を抱くことも無く淡々とその統治を受け入れていることもディエン達を焦らせていたのだ。
 民衆にしてみれば国の名前が変わっただけでその日常が全く変わらなければ、別に不満を抱く理由も無い。そして、強制的に何かを変えられたわけでもないため、国家という枠組みの名前が変わっただけのような印象さえあった。
 また、王城ブルードラゴンに勤めていた文官や官僚たちも、自分達の身分が保証され、そして侵略戦争にありがちな大規模な略奪が行われなかったことで、一部には積極的にファールヴァルト側に協力するものも居たのだ。
 ディエン達、ムディール復興の戦士団、“ムディール解放の虎”は、それでも着々とその力を蓄えようとしていたのである。
 
 
 

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