プロローグ
魂さえも凍て付きそうな白い闇。
一人の少女を中心とした一団は、黙々とその激しい吹雪の中を歩み続けていた。 もう幾日、このような逃避行を続けているのだろうか。 「メレムアレナー様、御身体の具合は如何でしょうか?」 侍女の一人が尋ねた。 メレムアレナーと呼ばれた若い娘は、その極寒の嵐に耐えながらも声を揺るがさずに答える。 「我はかまわぬ。それよりも、あとどのくらいでアデナリアの都に着くか?」 「恐らく、あと数日というところだと思われますが」 従者の一人から返ってきたその返答を聞いて、メレムアレナーは微かに険しい表情になった。 「数日、か。そのような時間をあの新しい魔法王がくれると思うか?」 その声は厳しい響きを伴っている。だが、その厳しさは決して従者達に向けられたものではなかった。 「・・・いいえ。あの男の厳しい追及を考えると、現実的な時間ではありません」 別の従者が言葉を返す。 驚いたことに、この極寒の寒さの中で、彼ら-より正確に言うと、全員が女なのだが-はまるで寒さを感じないかのような平服のまま逃避行をしていた。 メレムアレナーは、白い幻想的な仕立てのドレスである。その白い生地は虹色の光沢を帯び、様々な色彩を放つミスリル銀の糸で そして、三人いる従者達。彼女達はそれぞれ、カストゥール王国の名門であるシェラザード家が束ねる もっとも、今は追われる身である。 メレムアレナーは父、トレグバーゼムの言葉を思い出していた。 『もし、私が魔法王選挙に敗れることがあるならば、アデナリアの都の太守バルストラディクを頼るが良い。彼ならば力になってくれよう』 しかし、その都を目の前にしながらメレムアレナーは絶望にも近い想いを禁じえなかった。 父が望んで敗れた魔法王選挙。 第149代魔法王選挙で勝利を収めたのはシェラザード家の政敵であるバルトリア家のストレイメゼルだった。バルトリア家は その新しい魔法王は、政敵であるシェラザード家を追い落とす為に、同じく魔法王選挙に立候補したトレグバーゼムを処刑したのだ。 そして、その謀略の手はメレムアレナーにも及んでいた。 メレムアレナーを自らの一門の下級貴族に嫁がせようとしたのだ。 もし、そのような事を承知すれば体面を保てなくなり、シェラザード家は二度とカストゥール王国の名誉ある家系としての地位を取り戻せなくなる。 しかし、魔法王の命令を拒めば、それを口実に処刑されるのは目に見えていた。 その為、極秘裏に父の友人である だが、ストレイメゼルの動きは余りにも速かった。 メレムアレナーの計画は知られる事となり、追求の手が伸びてきたのだ。 彼女は十分な準備も出来ないまま、館から脱出するしかなかった。だが、既に『 ましてや< この為、メレムアレナーは徒歩でアデナリアの都に向かうことにしたのだ。 だが、この若い貴族の娘にとって、都市の外に有る世界は危険過ぎた。だが、一門と家の名誉を護るため、危険な賭けに出たのだ。 彼女に付き従うのは三人の貴族の娘だけではない。蛮族の女戦士であり、 彼女はシェラザード家に代々従っている蛮族の娘だ。 戦士としての力量は確かで、精霊使いとしても侮れない実力を持っている。そして、 メレムアレナーは彼女に全幅の信頼を置いている。 もっとも、その蛮族にも寛容なシェラザード家のやり方がストレイメゼルには気に入らない理由の一つだったのだろうが。 いくら魔法の宝物で護られているとはいえ、これ以上の無理は危険である。それでも、メレムアレナーは進まねばならなかった。 追っ手が彼女達に追いつくまでに、何としてでもアデナリアに辿り着かねばならないのだ。 その時、彼女は何者かの視線を感じた。 「何かいる」 そのメレムアレナーの声に、全員に緊張が走る。 直ちにメレムアレナーを囲むように四人が円陣を組んだ。そして、魔法使いである彼女達は、すぐにでも呪文の詠唱が可能なように精神を集中させた。 ジェルメラは、剣を抜いて何時でも攻撃できるように構える。 だが、彼女達の予想を越える相手が現れた。 途方も無く巨大な人影が目の前に姿を顕したのだ。 古代種族の末裔であり、神々の子孫とさえ言われている その巨人はメレムアレナーをじっと見つめている。 どのくらい時間が経ったのだろうか、何処からか複数の人間の声が聞こえてきた。 「居たぞーっ!」 「こっちだ!」 「捕らえろっ!」 その声に我に返ったメレムアレナーは自分の 「しまった・・・」 四人の従者達も、不安げに彼女を見ている。 その彼女達を見て、メレムアレナーは瞬間移動の呪文を唱える準備をした。この場から離れる事が出来れば、何とか逃げる事も可能なはずだ。 しかし・・・ 追っ手の手に掲げられた一人の男の首を見て、メレムアレナーはこの世から全ての希望が消え失せるのを感じていた。 それは、自分達が頼ろうとしていたバルストラディクの首だった。 その首を見たメレムアレナーは捕らえられる事を決意した。自分の命を差し出せば、恐らく彼女達は処刑を免れるはずだ。 メレムアレナーはそう考えて、追っ手の方へと歩き出そうとした。 『追われているのか?』 その瞬間、太く大きな、しかし限りない優しさを帯びた声がメレムアレナーに尋ねた。 「 メレムアレナーは、一瞬、驚いて声を失った。 確か、霜の巨人は巨人の言葉と 『追われているのならば、力になろう・・・』 「力に・・・?」 問い返すメレムアレナーに、巨人は優しく頷いた。 しかし、この場を生き残っても自分達に安住の地は無い。そう思って、メレムアレナーは追っての方を向く。その追跡隊の隊長に見覚えがあった。 若い その若者は無表情にメレムアレナーを見下ろしていた。そして、彼は百以上の蛮族の兵士を連れている。 その男達を見て、メレムアレナー達は本能的に恐怖を覚えた。 魔法王の元に引き出される時は、恐らく自分達はあの男達の手に掛かっているだろう。最高位の貴族が奴隷の蛮族に嬲られるなど、屈辱の極みだった。 決死の覚悟で戦いに挑もうとした。 その瞬間、吹雪が吹き荒れるような音が響き渡る。 霜の巨人が吼えたのだ。 そしてメレムアレナー達を護るように、追っ手との間に立ちはだかる。 だが、その巨大な姿を見ても、追っ手の兵士達は怯まなかった。精神魔術により支配されている彼等が恐怖を感じるはずが無い。 しかし、霜の巨人はその迫り来る男達に< < しかし、次の瞬間、恐怖に引きつった魔術師は、飛んできた巨大な氷の塊に押し潰された。 霜の巨人が、目にも止まらぬ勢いで氷を投げ付けたのだ。 一瞬にして戦いが終わったのを知って、メレムアレナーは戸惑っていた。 死を覚悟していたのに、命が助かってしまったのだ。 しかし、これからどうすれば良いのか・・・ 自分が生きている限り、カストゥール王国は闘争で揺れ続けるだろう。 メレムアレナーは絶望という言葉の意味を、生まれて初めて噛み締めていた。 『どうしたのだ?』 巨人が問い掛けて来る。 「私にはもう帰る場所も行く場所も何も無いのだ・・・」 力無く項垂れたメレムアレナーに、巨人が語りかける。 『ならば眠るが良い。我が氷の棺を創り出そう。それに包まれて、眠るのだ。目が醒めた時には再び帰る場所が見つかるであろう』 「メレムアレナー様・・・」 侍女達も言葉をかけてくる。 カストゥール王国の若き魔女は決意した。 遥かな未来で、再び目覚める事を。 「わかりました。私は遥かな未来において再び目覚める時まで、貴方の氷の棺で眠りにつきましょう」 『その時は我が再び力になろう・・・』 そう言って、霜の巨人は< メレムアレナーは、その巨人の姿を目に焼き付けておきたかった。 その優しげな顔。そして、その瞳は深い青と紫をしていた。 |