~ 4 ~

 夢なのだろうか・・・
 ルーシディティはそのどこか懐かしい、しかし、知るはずの無い感覚に身を委ねていた。
 意識は純白の輝きに満たされ、そしてルーシディティ、という個性は徐々に広がり、周囲の様子を捉え始めていた。
 その時、彼女はファーズの街のファリス神殿で祈りを捧げていた。ファールヴァルトという、それまでは名前も知られていなかった小国の王が、異世界より魔神を召還してこの世界を征服しようとしている、という噂を聞いていた為である。ルーシディティはファリス大神殿にて、この世界の平和を願うのは、幼い頃からファリスの敬虔な信者として育てられた彼女にとってはごく自然なことであった。
 確かにファールヴァルトという小国は、それまで名前すら知らなかったほどの小さな国であった。賢者より教わった彼の国は、まさに魔境と呼ぶような領域に僅かに隙間のように開いた地域にある、閉ざされた国であった。東を『悪意の森』とマハトーヤ山脈で閉ざされ、西はプリシスとの間に広がる蛮族の領域である『魔剣の山脈』など、魔境に閉ざされ、外界と完全に、と言ってよいほど隔離されてきた小国であった。そのような過酷な環境に生きる者達なら、生き延びるために魔神でも召還しようか、という気になっても不思議ではない。
 しかし、それはファリスの定める正義に明らかに反する邪な行いであった。だからこそ、ルーシディティは世界の平和と秩序を願い、正義を願って、この神殿で祈りを捧げていたのだ。
 
 ファリス神よ・・・この世界を光で満たし、邪悪の無い美しい世界へと導いてくださいませ・・・
 
 そして、それは何の予兆もなく起こった。
『光はただ、与えられるのではない・・・人が自ら光を望んでこそ、光は意味を持ち、世界を照らし出すのだ・・・』
 それは彼女が初めて神の声を聞いたときと同じ、そして常に彼女の傍にある力強い、限りない優しさに満ちた声であった。
 その瞬間、ルーシディティの意識は純白の輝きに満たされ、そして世界が彼女の意識に映し出されていた。
 限りなく広がる大地。
 どこまでも青く澄み切った天空。
 ルーシディティはアレクラスト大陸の美しい光景をはっきりと捉えていた。
 そして・・・闇が訪れた・・・
 アレクラスト大陸の各地に、染みのように浮き出ていた小さな影だった。だが、それらは徐々に脈動を始めて少しずつ成長を始めていった。一つの闇は別の闇を食らい、大きくなり、周囲に新たな闇を生み出していく。
 闇は次第に大きなうねりとなって世界を覆いつくしていった。人々は倒れ、草木は枯れ、命あるものは力尽きて闇に飲み込まれていく。
 ルーシディティは泣いていた。
 あまりにも悲しく、残酷な光景であった。
 だが、その闇が世界を覆いつくし切ろうとするその瞬間、光が現れた。
 一筋の輝き。
 周囲の強大な闇に僅かにも揺るがされることなく、輝き続ける光。
 その小さくも力強い輝きに照らし出されるように、闇で満たされていた世界に徐々に光が現れ始めていく。少しずつ、しかし、確実に闇は切り開かれ、そして何時しか闇の中心だけが暗黒の虚無の如く聳え立っていた。
 そして最初の光はその輝きを増し、暗黒の虚無と対峙していく。
 一瞬の後、光と闇はぶつかり合っていた。
 恐るべき力。
 強大な魔力と、凄まじいまでの破壊の力を振るいあい、光と闇は激突する。
 その他の光と闇はその恐るべき力を持つ光と闇をただ見つめていた。
 世界は悲鳴を上げて軋み、精霊達は驚きのあまり、その場から逃げ出してゆく。
 永遠に続くとさえ思われた闘いの中、一瞬、光は今までのいずれよりも強い輝きとなって闇を切り裂いていた。そして、すべての光を束ねた輝きは、暗黒の虚無を打ち砕いていく。
 
『光を見出すのだ・・・闇を打ち砕き、切り裂く光を・・・』
 
 徐々にその声が遠ざかり、ルーシディティの視界は闇に閉ざされていた。
 しかし、その闇は何ら恐怖を齎すものではなく、ごく当たり前の暗闇であった。当然だった。彼女は最初から目を閉じて祈りを捧げていたのだから。
 だが、今の光景はあまりにも強い印象となって彼女の心に焼き付いていた。
 
「今のは・・・まさか・・・“啓示”なのですね・・・」
 ルーシディティはその瞬間にファリス神に感謝をしていた。
 偉大なるファリス神は、その愛ゆえに彼女に啓示を下されたのだ。世界を覆いつくす闇を打ち払い、世界を光で満たす英雄を探し出す、との啓示を。
 それはこの世界に危機が訪れていることに他ならず、彼女はそれを打ち払う英雄を探すために神に使命を与えられたのだ。
 
 
「・・・そして、貴方に出会ったの」
 そっと眞に抱き付き、ルーシディティは目を閉じる。
 初めて眞を見た瞬間。彼女は何故か唐突に理解していた。
 この目の前の少年こそが『英雄』なのだと。
 まだ、幼ささえ残る若い魔法騎士。
 ここ一年でずいぶんと逞しさが増したようにも思う。今、抱かれている腕も胸板も、一年前はまだ、どこか細さの残る子供の体格が勝っていたような気がする。しかし、今は幾度の戦いを潜り抜け、腕の太さも、胸板の厚さも、随分と増してきた。
 そっと指先を眞の肌に触れさせる。鋼の将軍、と呼ばれる少年の筋肉は、確かに魔獣さえ一撃で葬り去るだけの破壊力を生み出す。だが、今、彼女を抱きしめている瞬間、その暖かさはルーシディティに心地よさと安心感を与えてくれる。
 もう、何度となく肌を重ねた。
 かつて一部のアノスの聖騎士団の騎士達が結成したファールヴァルト王国討伐軍の従軍修道女として、この国に侵攻した彼女を捕らえ、そしてファールヴァルト・アノス間の講和条約の裏で切り捨てられた彼女達に居場所を与えてくれた異世界の魔法騎士には、彼女は一生掛かっても返せない借りを作ってしまった。そして、同じように捕らえられた修道女や兵士達も、侵略して逆に捕らえたれた敵として、信じられないような厚遇を与えられたのも、この少年の思慮と影響力の大きさによるものだろう。
 だからこそ、ルーシディティはこの魔法騎士に尽くそうと考えていた。
 
 彼こそが闇を打ち払う英雄。
 
 そう確信していた。
 そして、彼の戦うべき闇を見出し、彼の助けとなるために、ルーシディティは彼女の全てを賭ける気でいたのである。
「私はあの瞬間、貴方がその光だと解ったのです。異世界の魔法騎士である貴方は、闇ではなく光なのだと」
 そう言ってルーシディティは眞の胸にそっと頬を寄せた。
 眞は困ったように微笑みながらルーシディティを抱きながら言葉を紡ぐ。
「俺は光かどうかなんて知らないし、正直なところ興味も無い。俺は、俺がやりたいことをやるし、俺が必要な人を傷つける奴は、例え、神だろうが邪神だろうがぶち殺す。ただそれだけなんだぜ」
「それでも、貴方は・・・いえ、だからこそ、貴方の本質は光なのでしょうね。大切な人を傷つけるものは容赦しない。でも貴方は大切な人を幸せにするために、その偉大な力と知識、想いを振るい続ける。それは大切な人が微笑むために世界をより良くすることでもあるでしょうから」
「理想と理想がぶつかる瞬間、人は利益に絡んだ争いよりも残酷な、悲惨な殺し合いを演じるさ。だから、俺は理想なんか追い求めない。俺に出来るのは、俺が知る限りの人の最大限の幸せを実現するだけ。全世界の人間なんざどうでもいい。たった一人の大切な人を護る為なら、俺は何十億でも他人を殺せる・・・俺はそんな人間なんだよ」
 皮肉気に口元を歪めて、眞は笑った。
 その眞を悲しげに見つめながら、ルーシディティは不意に涙を流してしまう。まだ幼ささえ残る少年が、これほどまでに残酷な言葉を口に出せる、そうなってしまった事実が悲しかった。どれほどの苦痛を受ければ、ここまで心に傷を残してしまうのだろう。
 だからこそ、あの昨年のアノス騎士団との戦いで容赦無い戦いを行ったのだろうか。
 それでも・・・
「私は貴方に光を捧げ続けます。私の命がある限り、私がファリスから、世界から感じる光を貴方に・・・」
 困ったような表情で、眞は何も言わずにルーシディティの髪をそっと撫でた。美しい至高神の女司祭は、うっとりとしたような表情でそっと目を瞑る。眞はルーシディティの整った美貌を眺めながら、自分が何を成すべきなのか、ぼんやりと考えていた。
 
 何も見通すことが出来ない闇の中。
 一人の戦士がゆっくりとその剣を構えなおす。暫く辺りを警戒して、そのまま小さな岩に腰をかけた。
 その戦士は、深い蒼色の硬革鎧を身に纏い、緩やかに湾曲した曲刀を手にしている。それは日本刀、と呼ばれる異世界の剣である。
 牧原英二は、この『鍛えの迷宮』と名付けられたファールヴァルト王国に昔からある迷宮で想像を絶する訓練を続けていた。
 本来は、この『鍛えの迷宮』は、ただの枯れた迷宮だった。しかし、深さで数十階を越える巨大な迷宮に、眞は大量の魔物や魔法生物などを配置し、ファールヴァルト軍の訓練のための特別施設にしていたのである。新兵には第一層でもなんとか、という程度の難易度にし、そして徐々にガーディアンの強さを強くしていく、という凝った仕掛けである。しかも、迷宮のあちこちに転移装置を大量に仕掛けて、迷宮図を作成できないようにも工夫してあった。
 これによって眞はファールヴァルト軍の弱点である戦力の数の少なさと層の薄さを可能の限り迅速に整備しようとしていたのだ。
 部隊を迅速に精強にするためには、まず何よりも実戦経験を積む事である。しかし、いくらファールヴァルト王国が魔境に囲まれているとはいえ、ダークエルフの部族と和解し、蛮族と融和しつつある今となっては魔獣狩りなどもそうそう行うわけには行かない。
 そのため、眞は人工的な実戦の場を作り出したのである。
 訓練の場とはいえ、本当の実戦にも匹敵する魔物の配備である。死の危険は通常の訓練よりも遥かに高い。むしろ、この『鍛えの迷宮』は実戦経験を常に積むための場であり、訓練は城や館の鍛錬の場ですればよいのだ。そのため、この迷宮から無傷で戻ってこれる者は殆ど居ない。場合によっては死体になって担ぎ出されるものもいる程である。
 その英二の足元には夥しい数の魔物の死体が転がっていた。殆どは真っ二つに断ち切られたか、恐るべき力で肉体の一部、頭部や腹部を粉砕されている。そうでないものは、巨大な熱で焼かれたように焼け爛れているか、全身に赤紫色の凍傷を負っていた。
 闇の者、すなわち妖魔や魔神、不死の怪物、あるいは地中に居を構える大地の妖精しか見通すことの出来ない筈の真の闇の中で、英二は一人、明かりも無いままぼんやりと息を整える。
 もし、光があったなら、英字の足元には、いや、見渡す限りの玄室の中は、凄まじい数の魔物の死体で埋め尽くされていることがわかっただろう。数百は遥かに超える。その死体の中には上位魔神さえ含まれていたのだ。
「・・・まったく、ロクでもねえ迷宮を作りやがって」
 半ば呆れたように英二が呟く。
 その声を聞いたかのように、遥か遠くから、別の声が答えを返した。
「そのロクでもねえ迷宮の魔物を一人で薙ぎ払うお前も、文字通り、化け物じゃねーのか?」
 規則正しい足音と、金属鎧が立てる音が徐々に近づいてくる。
 亮だった。
 英二のすぐ傍にまで近づき、そのままぐいっと水袋の水を一口、口に含む。相変わらず革の味が染みた美味くもない、生ぬるい水だ。
 亮の言葉に答えるように、ぼそり、と英二は言葉を紡ぐ。
「まだ足りねーさ」
「・・・ああ。俺も、まだ足りねー」
 その亮の相槌に頷いて、英二がぼそっと答える。
「この迷宮をなんとか一人でうろつきまわれる程度にはなったけどよ、あの野郎、それ以上に強くなってやがる」
 どこまで強くなりやがるんだ・・・、そう続けた英二の気持ちは、まさに亮も感じているところであった。
 確かに二人とも独力で上位魔神さえ倒し、数百もの魔物を薙ぎ払えるだけの実力は得ていた。それに、殺し合いの場で平然と敵を殺すだけの強さも身に付いている。だが、それ以上に眞は強いのだ。
 強くなれば強くなるほど、眞の底知れない実力を思い知らされていた。確かに上位魔神を一対一で葬り去れるだけの戦士は、アレクラスト大陸でさえ滅多に見ないだろう。大国の騎士団でさえ、そんな実力者は片手で数えられるはずだ。
 しかし、眞の実力はその二人でさえ見極めれない。
 眞は上位魔神どころか、魔将さえ凌駕する老竜を、しかも古竜にさえ匹敵しようかという強さの伝説を持つ竜を倒すのではなく屈服させたのである。
 その話を聞いたとき、英二も亮も驚きを通り越して大笑いしてしまったのだ。どこまで眞の強さは底が知れないのか、想像するだけでも馬鹿馬鹿しくなってくる。しかし、それでも二人は修行を積み重ねていた。
 いつか、あいつに追い付いてみせる。
 あの、人間の常識を超えた化け物に並びつくため、二人とも文字通り、常識を超えた修練を繰り広げ続けていた。文字通り、人間であることを捨て去るつもりで・・・
 そして、追い付いたその時は・・・
「あいつを斬る、それだけが今の俺の目標だよ」
 そう、眞と本気で戦いたい、それはもう英二の心の中で抑えきれなくなった想いでもあった。
 だからこそ・・・
「まだまだ追いつかねーけどな。こんな上位魔神如きに振り回されてるようじゃ、あいつは斬れない。文字通り、魔将だろうが、捻り潰せるようにならねーと、あいつの前じゃ一分、持たねえぜ・・・」
 英二の呟きに、亮もぼそり、と応える。
「・・・ああ。少なくとも魔神王とでもタイマン張ってぶっ殺せるようにならねえと、あいつの前に立つ資格さえねえ。俺達が魔王を殺せるようになった時にゃ、あいつは邪神でも平然と殺せるようになってるだろうからな」
「違いねー。あいつは別格の化け物だ」
 だからこそ、二人は眞の前に立ちたかったのだ。
 人とは一線を画する超絶的なまでの強さを持つ、緒方眞、という神さえ凌駕する可能性を持つ超戦士と剣を交えたかったのだ。それは戦士としての哀しいまでに純粋な想いだった。
 戦士であるならば、一度は夢見る言葉。
 世界最強。
 もし、眞に勝つことが出来たなら。
 世界最強の称号さえも・・・
 しかし、二人にはそんな言葉は意味が無い。ただ、眞が常識外れに強い。しかし、その化け物と戦って勝ちたかった。それだけであった。
 
 テイラーⅡ世は、いや、かつてそう呼ばれていた男は、悠然と玉座に腰掛けて、己の視界に映る光景に満足していた。
 ファンドリアという国は、元々はファンと呼ばれた王国が内乱で滅亡して興った国である。そのため、そのファン王国の伝統を継承するファンドリア王国の王城は、歴史と伝統を感じさせる重厚さを湛えていた。
 もっとも、いかに伝統ある国を母体としているとはいえ所詮は新興国の一つである。しかも、建国期の混乱を乗り切ることが出来ずに、盗賊ギルドや暗黒神殿などが巧みに実権を握ってしまった国では、王城に権威など在りはしなかった。だが、今、目の前できびきびと働く宮廷の文官や自らの警護を任じている近衛騎士達の引き締まった表情には、かつての無気力さは感じられず、玉座の主の自尊心を満足させていた。
 謁見に訪れた一般の民は、その威厳を纏った国王の姿に魅了され、そしてその言葉に感動していたのである。そしてその左右に控える近衛騎士隊長と宮廷魔術師の持つ、やはり堂々とした威厳にも安心し、ファンドリア王国が大きく変わろうとしているのを本能的に感じ取っていた。
 近衛騎士はともかくとしても、宮廷魔術師は魔術師ギルドから派遣され、そして宮廷司祭は暗黒神殿より派遣されている。ファンドリアでは暗黒神殿が公認されていることもあり、闇司祭が宮廷司祭として公の立場を取っているのだ。これは周辺諸国にとっては歓迎すべからぬ事ではあるが、他国の内政ということもあり、憂慮の念を伝える程度のことしか出来ていない。
 謁見の時間が終わり、テイラーⅡ世は数人の側近を伴って会議の場へと移動することを宣言する。
「本日の謁見の要望はこれで終わりであるな? ならば余は会議の間にて暫しの間、時間を費やす故、汝らは自らの職務を滞りなく進めよ」
 そして、近衛騎士隊長と宮廷魔術師、宮廷司祭と数人の侍女を伴って謁見の間を去っていった。
 不意に文官の一人は、王達が去ったその瞬間に、この謁見の間を満たしていた不思議な重圧感が消え去ったことを感じ取ったが、同僚から今期の税の問題を話しかけられて、そのまま自分が感じ取った感覚を忘れてしまった。
 
 ファンドリアの会議の間は、他国の会議の間がそうであるように『沈黙の間』と呼ばれていた。
 音が絶対に外に漏れないように、窓一つ無い部屋である。そして、この部屋にも魔法で結界が張られ、魔法的な探査さえも遮断する、という念の入れ方であった。
 そしてその沈黙の間では、テイラーⅡ世と側近達がじっと席に腰掛けたまま、沈黙を続けていた。
 だが、この場に居たものはその光景が余りにも異常なことにすぐに気が付いたであろう。
 何故ならば、彼らは一筋の光さえ無い、真の闇の中で平然としているのだ。そして、闇の中には幾つかの真紅の光が浮かび上がっていた。それは闇の住人が、光なき世界をも見通す魔の輝きであった。
 王とその側近達は、人ならば恐怖に震える闇の中で、当たり前のように寛いでいる。
「さて、私から今後の計画について報告をさせて頂きましょう」
 宮廷魔術師がすっと立ち上がり、彼らの“計画”について語り始めた。
「我らの主なる戦力となる魔獣人は、順調に生産体制が整い始めております。各魔獣人はそれぞれの特性に応じて部隊編成を行い、訓練を施すことにより、更に効果的な戦力となりうることが理論上、判明しております。ですので、今後は部隊運用を的確に行うべく、その部隊指揮を取る指揮固体を養成する必要がありましょう」
 その言葉を引き継いで、近衛騎士隊長が言葉を続ける。
「我ら近衛騎士隊は、全員が私めの“祝福”を以って、陛下より賜りし栄光ある力を僅かばかり受けております。陛下の死を恐れぬ盾となり、剣となりましょう」
 すべては陛下による大陸統一という偉業のため・・・
 近衛騎士隊長は、かねてより盗賊ギルドと暗黒神殿にいいように扱われ、蝕まれている貴族の権威に憤りと憂慮を抱いていた。為政者の側でありながら、権力者ではない、という不満。先代、先々代の王を暗殺されながらも何もすることの出来なかった無力感と絶望。
 それは何時しか狂気めいた情熱へと傾いていた。
 宮廷魔術師は自らの置かれた立場に不満と、それを命じた彼の師に強い不満を抱いていた。
 普通の国では宮廷魔術師という立場は出世の一つである。王宮に詰めて、王よりその知識を請われて国策に己の知識を繁栄させる、という賢者として誇るべき栄職であるはずだ。
 だが、ここファンドリアは違う。実際の権力は卑しい盗賊どもと汚らわしい暗黒神の司祭どもに握られ、自らの知識を国策に活用する、などといった事は単なる夢物語でしかないのだ。故に魔術師ギルドではギルドの要職を得られなかったものや師に煙たがられたものが左遷の対象として命じられる閑職でしかなかった。
 そして、そうなったが最後、再び魔術師ギルドの要職に就ける可能性は皆無に等しかった。そして、ファンドリアの魔術師ギルドで修行した魔術師は、他国の魔術師ギルドで要職に就ける可能性は絶望的である。
 だからこそ、彼は権力を切望していたのである。
 そして、彼らは大いなる決断を下した。
さて・・・各々にはもう一働きしてもらわねばならぬ・・・
 闇の中から虚ろな声が響く。
 一人の壮年の男性が、じっと佇んでいた。いや、その表現は正しくない。
 その男は透き通った生気を感じさせない虚ろな姿であり、決して生きている人のそれではありえなかった。いや、一人ではなかった。新たなる姿が闇の中に浮かび上がる。
如何にも・・・この国の歪みを正し、栄光ある王国を築き上げる為に・・・
 ファンドリアの宮廷に飾られている肖像画を見たことのある者ならば、その姿は容易に誰だか理解できたであろう。それは暗殺されたと言われている先代、先々代の国王であった。
 王権の復興はこの暗殺された王達の悲願であったとされる。それが為に彼らは暗殺、という憂き目にあったのだ。しかし、その想いは命を絶たれた後にも消えはしなかった。この王達は時が熟するのを待ち続けていたのだ。
 余り知られていない事実ではあるが、この先代の王は古代語魔法の心得があったのである。もっとも、初歩的な古代語魔法を唱えることが出来る、という程度の、ほんの嗜み程度のものではあったらしいのだが。
 しかし、死してなお王権の復興を願う、ある意味で狂気めいた情熱は、不死の亡霊として現世に意識を留める王に力と時間を与えていた。数十年という時間は如何に時間の感覚を喪失した不死の亡霊にも魔術の技を磨かせるには十分な時間であった。権力を願う宮廷魔術師は、この王の願いを叶えるべく、魔術の導師たる役目を引き受け、不運なる王の現世での手足となることを誓ったのである。
 通常、不死生物や魔獣などは魔術の技を成長させることは無い、とされている。しかし、魔術を使うことが出来ながら、その技術を成長させることが出来ない、ということはありえない。それは単純に、彼らには魔術を成長させる、という意思が無く、今の力に満足してしまっているから、という場合や、この悲劇の王のように師による指導が無いが故に勉強が進まなかった、という場合がある。
 特に、古代語魔法は知識と勉強が非常に重要な意味を持つ。古代語魔法を取得し、その理解を進めるには膨大な古代語魔術の理論と実践を必要とするのである。また、段階を経るにしたがってその上位古代語に対する知識と理解は厳しいものを要求される様になるのだ。つまり、野生の魔獣や不死生物などには、理論を学ぶ場とその知識を実践し、確かめる場が無い為に古代語魔法の技術を磨くことが出来ない、という制約がある。それが故に古代語魔法を成長させることが極めて難しいとされていた。だが逆を言えば、この先王のように導師となる魔術師が得られ、かつ古代語魔法を実践して研究できる場所が提供された場合、不死の亡霊であっても魔術の技を磨くことは不可能ではなかったのである。
 この暗殺された二人の王は、しかし、その計画を盗賊ギルドや暗黒神殿に気取られることを避ける為に、恐ろしく慎重に行動し続けていた。そして、彼らの協力者である宮廷魔術師もまた、その持てる限りの能力を駆使して、慎重に準備を進めていたのだ。幸いなことに、盗賊ギルドはテイラーⅡ世の行動を監視することに全力を注ぎ、宮廷魔術師の行動は彼らの関心の外であった。
 だが、如何に監視の範囲外とはいえ、うかつな行動を取ったならば、瞬時に盗賊たちに気取られる危険があった。そのため、あえて宮廷魔術師は常日頃から変わり者として振る舞い、宮廷魔術師としての立場を利用して個人的な研究の為に宮廷の金を使っている、と思わせていたのだ。己の役立つ手足として使う為に、魔神さえも召還していたのである。
 また、宮廷魔術師はラミアと呼ばれる女の姿をした魔獣を自分の下僕としていた。ラミアはもともと、人には敵対的な存在ではない。むしろ、自らが生きながらえる為に人の生き血を啜るしかない、というある意味では哀れな存在だった。だが、中級程度の古代語魔法を操る力があり、また、人里にひっそりとまぎれて存在し続けている、という特徴から人間社会に紛れ込むことが容易いため、宮廷魔術師はラミアに安全に人の生き血を保障する代償に自らの下僕となることを持ちかけたのだ。
 そのラミアは宮廷魔術師の弟子という形でファンドリア宮廷に出入りするようになっていた。
 数体の下位魔神や幻獣、魔獣をひそかに己の支配下に置いた魔術師は、着々と己の野望を実現すべく、計画を進め、そしてついに最初の目標を達成することに成功したのである。
 それは彼自身の“魔人”への転生であった。
 
 魔人-それは古の滅んだ魔法王国で不老不死を求める魔術の研究の末に編み出された術を以って、不死身の存在へと転生した存在のことである。それは魔神という異界の魔物と人間自身を融合し、そして魔神の能力を得た人間であった。外見こそ人間のそれと変わらなかったが、その能力は人間のそれを凌駕する恐るべき存在なのだ。
 魔人は、その儀式の為に触媒となる魔神の種類にもよるが、基本的に通常の武器で傷つくことが無くなり、強力な古代語魔法を使う能力を持つようになる。空中を飛んで移動する能力や、己の肉体の損傷を自動的に回復させる能力も得た、まさに超越的な存在とも言えるだろう。
 そして魔神となった宮廷魔術師は着々と自らの権力と地位を確立するための暗躍を進めていったのだ。それは魔獣の研究であった。
 如何に強力な力を持っていたとしても、単独の立場では数の圧力には効しきれない。盗賊ギルドや暗黒神殿に対抗するには数の力は必須だった。そこで目を付けたのが近衛騎士隊長だったのだ。近衛騎士団を取り込めば大きな数の基盤を築くことが出来る。やはり同じように王家の権力の復興を願っていた近衛騎士隊長は、その申し出に応じていた。
 あの夜、テイラーⅡ世の情婦として寝室に居た女盗賊を捕らえた彼らは、その女盗賊を半ば無理矢理に魔人にし、盗賊ギルドに対する切り札にしていたのだ。彼女が裏切ることは微塵も考えていなかった。何故ならば、その女盗賊は“魔王”たるテイラーⅡ世の『祝福』により魔人へと転生したのである。魔王の祝福により転生した魔人は、決して魔王に逆らうことは出来ない。
 魔王とは、更なる強大な力を持った魔人の事である。
 その特殊な能力の一つに、“祝福”と呼ばれる能力がある。魔王自らの血を触媒とすることで、魔王が望む相手を魔人へと転生させることができるのだ。
 密かにテイラーⅡ世を魔王へと転生させた宮廷魔術師と先王、先々王は、着実に宮廷をその野望の網に絡め取っていった。近衛騎士隊長は自らの魔人としての能力を使い、近衛騎士達に魔人としての能力を与えていったのである。それは魔人ほど強力ではないものの、魔人同様の不死性と強力な生命力の再生能力を持ち、病気や毒さえも効かなくなるという、盗賊に対して有効な能力であった。武器を用いた戦闘では盗賊相手に簡単に勝てるが、普通ならば毒などを用いた暗殺の技術を用いて、盗賊は騎士や戦士を簡単に殺すことが出来る。しかし、毒も病も効かない、眠る必要さえない魔人に対しては盗賊は無力でしかないのだ。
 宮廷司祭も自らの欲望の為に、この魔王に魂を譲り渡していた。
 不死と強大な力、という提案に魅せられた暗黒司祭は喜んで魔人となったのである。
 
 そして、その日はアレクラスト大陸の住民にとって、運命の日として記憶されていた。
 アレクラスト大陸に於いて、初めて、人ならざる者が人間を支配した日として。
 
 穏やかな日であったと、ある賢者は記録に残している。
 
 永遠を生きる者が、このアレクラスト大陸に“王”として降臨した・・・
 
 
 

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