~ 2 ~

 その目の前に広がっている光景が、数刻の後にどのようなものに変ってしまうのか、眞は微かな心の痛みを覚えていた。
 一見して美しい、のどかな草原の光景だった。オーファンとファンドリアの軍勢がお互いに広く陣取り、睨み合っている状況さえ、どこか映画の一シーンのような絵画的な美しさを漂わせている。近年、良くアメリカの映画で描かれている中世を舞台とした映画が多いが、どこかそのシーンを連想させる光景である。それはクープレイのモニタ・パネルを通して上空から鳥瞰してみる光景だからかもしれない。
 時速500kmを超える速度で駆け抜けるクープレイとはいえ、眼下の光景はそれほど早くは変化していかない。地上との距離と関連した対地相対速度と対地距離の関係である。
 それがどこか現実と乖離した絵画的な印象を与えているのかもしれない。だが、眞達は自ら魔法騎士として翼ある幻獣を騎馬として空中戦を行った経験がある。厳しい現実として自らの作戦行動がどのような影響を及ぼしうるのかを冷静に計算するように徹底した訓練を積んでいるのだ。眞は冷静に、オーファン軍に最大の防御効果を与え、そしてファンドリア軍にも過剰な打撃を与えてしまわないように冷静にクープレイの火力を計算する。
『トレントン、お前は右手24度から対地進入角度32度、速度210kmでファンドリア軍に突撃。前方の突撃隊に火炎放射器で一撃食らわせろ! イェルドは左側面から対地進入角10度で突っ込め!』
『『了解!』』
 眞の指示に二人は心地よい返事を返し、流れるように左右へと機体を離れさせていった。眞は真正面からファンドリア軍に一撃を加えるべく、徐々に高度を下げていく。
 
 大気を引き裂く凄まじい音が辺り一体に響き渡るのを、リトラーとその側近の近衛騎士たちは呆然と聞いていた。噂には聞いていたが、魔道兵器の、その想像を絶する力に圧倒されていたのだ。
 信じがたい速度で飛び込んできた三体の巨大な影が、強力な精霊使いの使役する炎の魔神の術さえもかくや、という真紅の炎をファンドリア軍に叩きつけていた。
 三機のクープレイが放った炎は、しかしファンドリア軍を直撃はしていなかった。前方とファンドリア軍の左翼に展開する一角、そして右翼の側方に展開する兵士たちの一部だけを巻き込むようにぎりぎりのところで狙いを外していた。もちろん、眞達が狙いを外したわけではなく、意図してわざと照準をずらしたのである。もし、眞がファンドリア軍を殲滅させることを目的としていたならば、それは何の問題も無く一方的にファンドリア軍全軍を丸焼きに出来ただろう。
 だが、それは眞の狙いではなかった。
 あくまでも眞の目的は「この戦闘を鎮圧する」ことが目的であり、決して「ファンドリア軍を全滅させる」事ではないのだ。そして両軍の間に炎の壁が出来た以上、お互いにもはや手が出せる状態ではなくなっている。
 眞はクープレイの巨大な弓を引き絞り、そしてファンドリア軍に向けて放っていた。バリスタにも匹敵する巨大な弓矢は、凄まじい轟音を立てて混乱しているファンドリア軍の一角に叩きつけられる。恐るべき衝撃に、不幸にもその近くにいた兵士たちは文字通り弾かれたように吹き飛ばされていた。その兵士たちの運が良かったのは、彼等は単なる革鎧を身に纏った一般の兵士であり金属鎧に身を固めた騎士ではなかったという事だった。クープレイの矢の衝撃に吹き飛ばされたときでも、革鎧が逆に衝撃を和らげ、そして金属鎧ではないがゆえに鎧自身の重さでつぶされることも無かったのだ。もっとも、3メートル近くも吹き飛ばされて胃液を吐きながら苦しむ彼らにとっては、自分が運が良い、などととても信じられなかっただろうが・・・
 一瞬にして隊列が崩され、もともと士気が高くは無かったファンドリア軍は一気に崩壊していた。我先にと壊走する有様は、とても訓練を受けているはずの正規軍とは思えない有様だった。
 眞はその崩壊したファンドリア軍のもっともわかりやすい退路の一つに向けてさらに矢を放つ。それで十分だった。ファンドリア軍は一番の退路に巨大な矢を打ち込まれたことで、完全に戦意を喪失し、そして後はばらばらになって逃げる以外になくなってしまったのだ。
 そこにオーファン軍の騎士の一隊が流れるように突撃をかけていた。如何にリトラーが武人としての器が無いとは言え、率いているオーファン軍はもともとファン王国の時代から戦争で鍛えられてきた勇者である。その絶好の機会を見逃すことは無かった。そして眞もそれを見越していたからこそ、あえて自らの手でファンドリア軍を叩き潰すことはしなかったのだ。
 リトラーも宮廷魔術師のラヴェルナと比べて知識、判断力では劣るとはいえ、アレクラスト史に名を残そうかという天才と比べては酷である。彼の側近もファン王国の時代から王国の中核を担ってきた人材が揃っているのだ。決して無能の集団ではない。
 素早くリトラーに追撃を申し出、そしてリトラーも臣下である騎士たちにファンドリア軍の追撃を命じたのだ。追撃部隊の指揮権をその騎士隊長にあずけたのは、彼がこの戦争で下した戦場での判断としては唯一、評価すべきものだっただろう。
 
 追撃を命じられた騎士300騎は、流星のように戦場を駆け抜け、そして数刻もしないうちにファンドリア軍の将軍を捕らえることに成功していた。
(やれやれ、なんとかこれで格好が付いたな・・・)
 眞は内心では冷や汗を掻きながら、しかし平然とリトラーや彼の側近の近衛騎士達と会談をしていた。最初の狙いを外した理由としては、ムディール攻略から整備の時間も無く飛んできたために、火炎放射器の照準調整が出来ていなかった、としてある。
「しかし、さすがは大陸にその名を知られているオーファン騎士団ですね。これほどまでに鮮やかにファンドリアの将軍を捕らえるとは」
 しれっとして相手の名誉を称える言葉に、オーファン軍の騎士達も苦笑いを隠さなかった。ファールヴァルト軍の支援が無ければこのような結果が無かったことは彼ら自身が一番知っている。しかし、そのオーファン軍の名誉を汚さないように、ファンドリア軍の隊列だけを崩させ、そして一番の手柄をリトラーが直接指示した部隊に取らせたのだ。
 ラヴェルナも眞からの連絡を受けて瞬間移動の魔術で王宮から飛んできていた。
 宮廷内部で出ていた、リトラーと旧モラーナ王国派の騎士達の処遇も、何とか収まりそうではあった。それにはラヴェルナとローンダミスが寝る間も惜しんで走り回っていた、という働きの結果でもあるが。しかし、現実にファールヴァルト王国の援軍があったとはいえ、自らの手でファンドリア軍の将軍を捕らえ、騎士達を捕虜にした、という事実は今回の独断専行を何とか帳消しにするだけの戦果である。
 もっとも、オーファンの宮廷には、ファールヴァルトに大きな貸しを作ってしまった、という意識が残ってはいるが、もともとオーファンとファールヴァルトの間には軍事同盟が結ばれている。致命的な問題にはならないだろう。
 今、リウイ王子が国を離れている状態で、オーファンを内乱に陥らせることは絶対に避けなければならない事態の一つである。
 事後処理が慌しく行われている天幕を後にして、眞はほっと一息を付いていた。クープレイの操縦席に座り、ファールヴァルトにある自分の屋敷の端末を呼び出す。
『ねー、結局どうなったのよ?』
 里香があっけらかんとして尋ねてくる。いかにも現代っ子らしい、良い意味での明るさに、眞は少しだけほっとしていた。
「ま、オーファンとファンドリアの小競り合いはなんとかなったけどね」
 そう答えながらも眞は自らの持っている戦力の強大さを自覚していた。確かに騎士団同士の正面戦争では、決着をするのに大きな時間がかかるだろう。そして、そもそも騎士同士の戦争はあくまでも正面戦闘が中心であり、間撃やゲリラ戦などはまずない。
 フォーセリアの戦争の特徴である。
 まず、この世界は人間だけの世界ではない。うかつに野山に潜んでのゲリラ戦を行えば、敵国の兵士以上に妖魔や人間以外の存在が敵になる。だからこそ、人間同士の正面戦闘で決着をつける以外の方法が無いのだ。
 ファールヴァルトの兵士や騎士の様に妖魔相手の野戦をこなせるような軍はほとんどアレクラスト大陸の他の国では見られない。もっとも、ファールヴァルト王国は他国と戦闘することが無かったからこそ、対妖魔野外戦闘の技術を磨いてこれた、という側面もある。
 だからこそ、ファールヴァルト王国の保有するクープレイなどの巨大な戦闘力を秘めた兵器は、今のアレクラスト大陸の軍事力のバランスを一変させてしまいかねないのだ。それは人間が伏兵する時間を限りなく少なくして電撃的な侵攻を可能とし、野外に於いても十分に妖魔などに対抗して機動力の高い部隊運用を可能にする。その上で通常の兵士のみならず騎士でさえ十分に野武士としての訓練を積み重ねているのだ。加えて冒険者たちを雇い入れて編成した魔法戦士隊がある。数千を数える部隊が、時には5、6名から10人程度の小部隊として機動性の高い運用を行うことが出来、しかも元々が冒険者であるということから、隠密行動にも野外での不規則戦において最高の戦闘能力を発揮する。
 現代で言うならば最精鋭の特殊部隊を中心にした高度戦術戦略部隊と言えるだろう。
 ファールヴァルト軍の強さは、このような特殊部隊と正規軍が密接に連携できる点にある。他の国であれば騎士団は魔法戦士隊の能力を認めずに、騎士団だけで武力を誇示しようとして戦線を崩壊させてしまいかねない。そしてそのような軍では魔法戦士隊も実力を十分の一も発揮できずに内部から崩壊させられてしまうだろう。いや、そもそも戦時の混乱に乗じて暗殺さえされかねない。
 しかし、ファールヴァルト軍はもともと妖魔との野戦において魔法の怖さと有用さ、正規の正面戦が通用しない現実を骨身に思い知らさせている。だからこそ、ナイト・ゴーンツや遊撃弓兵部隊などを正規軍として運用する軍編成をしているし、騎士も野武士としての訓練や弓兵としての訓練を積んでいるのだ。その戦術戦略における機動性は他国の軍とは比較にならないほど優れている。
 対妖魔戦を甘く見ると痛い目を見る、という厳しい現実を理解しているのはファールヴァルト王国以外では西部諸国のタラントぐらいであろうか。彼の国は今、ゴブリン連合により滅亡の危機に瀕している。そもそも、妖魔を侮るのは集団での武力に勝る大国の騎士団くらいのものだ。そして、知力や魔力において、ダーク・エルフなどの妖魔の中には人間を凌駕するものさえいる。そして圧倒的な物量を生み出すことの出来るゴブリンやコボルドは戦場において脅威となる。下手な魔法よりも危険な存在である。
 その上で怪力と体力で人間を圧倒するオーガーやトロールなどの巨人族なども交えると、もし、この闇の力が高度な知性で集約された場合、人間に対する脅威になるだろう。
 彼等はかつて、古代王国をも一度ならず滅ぼしたほどの力があったのだ。
 
 燃えるような夕焼けが草原を照らしている。
 眞はふと、フォーセリアでは何故、夕焼けが起こるのだろうか、と疑問を覚えていた。理論で考えると、夕焼けが起こるのは大気による太陽の光の散乱と吸収でスペクトル分解が起こり、赤い光だけが人間の可視光線として目に到達するからである。しかし、それが起こるためには少なくとも地球が丸く、大気は地表から一定の厚さで分布している必要があるし、そもそもフォーセリアの大地が地球のように丸くなっていなければ地表の熱が瞬時に放出されてしまって、大変なことになる。だが、あまりにもフォーセリアは異質な世界なのだ。物理法則が適用されているようで、根本の前提が大きく異なっている。ただ、なんらかの理由で、結果として見える現実が物理法則が適用されているように見えるのだ。
 眞は神々がこの世界を創り上げたときに、間違いなくユーミーリアとの接触があったと考えている。そして、その『古代神』が逆にユーミーリアの人間や世界に影響を及ぼさなかったとも考えにくい。はるかな太古の時代に神々と世界が始原の巨神から生まれたという。そして神々は数千年もの試行錯誤の末にこのフォーセリアを完成させていったのだ、と神話は語る。その数千年前、という時代は現在、ユーミーリアで確認されている最初の文明であるシュメール文明の突然の発生とも奇妙に重なっている。
 そして、『神々』が接触を持った“異世界”はユーミーリアだけに限ったのだろうか・・・
 また、『ユーミーリア』にも、フォーセリアの“妖精界”、“精霊界”、“魔界”に相当する世界が無いと、言い切れるのだろうか。眞は、“世界”に隠された謎に想いを馳せながら、ぼんやりと紫紺に染め上げられた天上を眺めていた。
 
 ファールヴァルト王城はまるで戦場のような忙しさに包まれていた。
 眞が率いるファールヴァルト空挺師団がオーファンとファンドリアの小競り合いを何とか終結させたののだが、アレクラスト大陸各地では危険な兆しが次々に噴出し始めているのだ。
 各地に派遣している密偵たちからも、それを裏付ける情報が次々に舞い込んで来ていた。それらの膨大な情報をデータベースに投入し、解析するために亮や英二たちは忙殺されていた。そもそも、最新のコンピュータ技術を知っている人間は彼ら現代人の中でも極めて限られる。天才ハッカーでもある眞と智子を除けば、コンピュータの専門家としてそれなりの技術を持つ人間は亮や加藤賢一など、数名である。その彼らに対して、単なるゲーマーから、コンピュータ技術者として、プログラマーとしての訓練を施し、曲がりなりにもサーバーの構築からデータベースの設計、ビジネスシステムの構築、そしてその上で稼動するプログラムの構築などを一通りこなせるようにもなっていた。開発環境などはインターネットから無料で(ただし、明らかに非合法だが)入手できるため、問題は無い。もっとも、眞はそれを嫌がってユーミーリアの窓口である麗子を通じて購入を図っていた。
「しかし、これほどのものを自在に使いこなすとはな・・・」
 驚嘆の声を上げたのはオランの魔術師ギルドから派遣されている一人の男だった。
 名はバレンという。
 ファールヴァルト王国がオランとの接点として最重要視している人物の一人である。また、彼は保守的な考え方をしている人物が多い魔術師の中で、実践的かつ先進的な魔術理論と実践体系を進めている人物である。もっとも、オランの賢者の学院でも数少ない古代語魔法の奥義を極めている魔術師の一人にして『最高かつ究極の魔術師』と評されているマナ・ライの直弟子でもある、という事実が無ければ、学院中枢を占めている保守派に排除されていたかもしれない。
 ファールヴァルト王国の中枢部にはホログリフ・システムによる魔術情報システムが確立し、それを補佐するコンピュータシステムが稼動している。オペレーターの操作により、現在のファンドリア軍とロマール軍の状況がグラフィカルに表示されていた。そして、それに対するシミュレーションを膨大なパラメータの組み合わせで幾度と無く繰り広げられていく。
 その光景を見て感慨を覚えていたのはオランの魔術師だけではなかった。
 美しく意匠を凝らした杖を手にする魔女。
 今は古代王国とも呼ばれる、古の魔法王国の魔術師にしてファールヴァルト王国の客人であるメレムアレナーだった。
 彼女はかつての魔法王国の栄華を、しかし、彼女にしてみればついこの間、といった程の記憶を思い起こしていた。眞たちの作り出した魔法システムは、もちろん、カストゥール王国のそれとは大きく異なる。だが、彼らのアイデアやかつて彼らが生活していた異世界の文明を参考に考案された魔法の応用はメレムアレナーをして驚嘆の思いを起こさせるほどのものであったのだ。
 もちろん、眞たちの構築しつつある魔法文明は新しく産み出されたばかりである。だが、それは一面でカストゥールのそれを凌駕しているとさえ思えるものがあった。それに、機械文明としてもユーミーリアのそれは極めて高度な技術水準を誇るのだ。かつて、カストゥール王国では機械文明は所詮、魔法の補助としてしか運用がされていなかった。しかし、ファールヴァルトでは機械文明は魔術と融合し、魔法だけでは実現が難しいことも実用的に応用されるようになってきていた。
 そして、魔法騎士団の存在はメレムアレナーをして唸らせる事実であった。もちろん、純粋な魔法兵団と比べて魔法の習熟度が高いとはいえない。だが、それでも確実に中級程度以上の魔法を身につけた騎士が飛行能力を持った魔獣を騎馬として展開可能だという事実は、眞が恐るべき魔法戦術と戦略的魔術運用に長けていることを示唆していた。
 他国の軍にしてみれば空中という手の届かない領域から魔法という驚異の力を一方的に叩きつけられる、そしてその魔法を使うものたちは騎士としての白兵戦能力を持っている、という悪夢のような戦闘を強いられるのだ。
 それを見抜いて兵力を整備した眞の軍事センスは大したものである。
 他にも眞は魔法を巧みに一般の都市生活に織り込んでいた。
 
 子供たちが楽しげな声を上げて石畳の通りを駆けていった。清潔に掃除された通りには多くの人々が思い思いの店を覗いては歩みを進めていく。ファールヴァルト王国の王都であるエルスリードには、アレクラスト大陸の他のどんな都市にも無い特徴がある。
 それは洗練された都市計画に基づき高度に発達した近代都市としての側面である。
 確かに光景としては、現代ユーミーリア風で言うならばヨーロッパの古都、といった趣があった。コンクリートのビルなど存在せず、全ての建物は石造りの重厚な建物である。そして、膨大な数の硝子の窓がそれぞれの建物には用いられていた。
 治安が良いことから、商店でも安心して硝子窓を用いることができた。そもそも、盗賊ギルド自体、ファールヴァルトでは完全に諜報部隊として国家に属する存在となっている。もちろん、その統制を外れて犯罪を働く人間もいない訳ではないが、治安を維持する警察機構がしっかりと働いているために、大きな問題とはなっていない。
 また、街灯も大量に用いられている。
 夜の暗闇は人の邪心をくすぐるのかもしれない。眞が導入した街灯は、エルスリードの治安を著しく改善していた。その事実がエルスリードの経済を活性化させ、更なる繁栄を産み出す、という循環が起こり始めているのだ。
 アレクラスト大陸の各地では不穏な空気が漂っているにもかかわらず、ファールヴァルト王国には戦乱の不安はあまり感じられていなかった。それがまた市民の生活に対して良い影響を与えている。異世界の知識と技術は徐々に、しかし確実にフォーセリアという世界を変え始めていた。
 悦子と里香は久しぶりに街に出て買い物を楽しんでいた。
 ファールヴァルト王国の政治と軍事、経済の中枢を担う“鋼の将軍”にして次期国王と目されている眞との深い繋がりがあるがゆえに、このような自由な行動はまず滅多に許可が下りない。今日も護衛の近衛騎士や侍女が傍にいるのは仕方が無いことだ。
 特にこの侍女はファールヴァルト諜報部に所属する優秀な密偵であり、導師級の魔術さえ使う王国有数の逸材である。本来なら国外の諜報活動や機密工作さえ担うことができるほどの人材ではあるが、眞も宮廷も悦子や里香、葉子たちを護衛する警護の任務を与えていた。もっとも、他国の工作員や密偵などから彼女たちや国家機密を守護するというきわめて重要な任務も任せている。
「しっかしねー、あたしらの知ってる都会っていうのとは全然違うよねー」
 里香が感心したような声できょろきょろと辺りを見ていた。映画でしか見たことが無いような石造りの街並みは、どこか人をほっとさせる雰囲気を漂わせているのだ。
 確かにわずか一年ほどで驚くほど街並みは変わった。フォーセリアに転移してきたばかりの頃に比べて、はるかに街には活気が満ち溢れ、人々の表情も明るくなっている。まるで生きる気力を失ったかのような、死臭すら感じられたかつての光景からは信じられないような生命力の躍動が街を満たしていた。もちろん、眞が作り出してきた交易手段がきっかけの一つになったのもあるだろう。しかし、人が自ら動こうとしなければ、いかに優秀な指導者がいても何も変化はおきないだろう。
 一人の少年が毒草を薬にする、という考えを現実にするために一人の騎士が動き、それを宮廷が成功すさせるための力添えをした。それでも、築いてきた交易の繋がりとそれによってもたらされた、ささやかな潤いがいつの間にか大きな流れになっていたのだ。
 もちろん、眞もランダーも、この流れの中で彼ら自身の商売も繁盛させている。
『そりゃ、俺自身も商売でも十分に力が必要だからなー』
 眞の言葉である。
 向こう暫くは世界一強欲な商売人になる、と言って鷲頭獅子グリフォンに跨って飛び立っていった少年は、数ヵ月後に100台を越える荷馬車とそれに山積みにした膨大な財と商品を引き連れてファールヴァルトに戻ってきたのだ。
 その眞に投資し、後見人となったランダーが得た配当は莫大なものだった。
 当時、一介の騎士隊長でしかなかった彼は、今では国の経済政策を担う中枢の地位にいる。そして、経済政策を束ねる立場にいる彼は、軍事やその他の政策において強い影響力を持つようになっているのだ。
 そして、その眞とランダーに協力をしたマーファ神殿と商人たちも莫大な見返りを得ていた。特にマーファ神殿による施療院が各地に設立され、政府がこれに予算投入を行って運営を行うことでマーファ神殿はファールヴァルトで一、二を争うほどの大きな勢力となっている。これに匹敵する勢力なのがマイリー神殿である。
 妖魔との長い争いの中で、マイリー神に対する信仰は騎士団をはじめとして民衆にも深く根付いている。そして、ファリス神ほど厳格な神格ではないため、妖魔たちとも交流が始まった今日では有力な勢力となっているのだ。
 その交易を安全にするために、眞は定期便の概念を導入していた。要するに王都エルスリードと周辺の都市を繋ぐための交通網を整備したのである。本来は『妖魔の森』の中に作られた細い道を通らなければならなかった周辺の都市との交流も、その定期便を用いれば安く、しかも高速に移動できるのだ。これにより、人と物の流通が活発になり、さらなる経済的な発展が促される、という効果も導き出されていた。
 眞の考案した定期便とは、要するに蒸気機関車のことである。
 もともと蒸気機関はそれほど複雑な機械ではない。そしてドワーフ族の鍛冶師や人間の鍛冶ギルドに頼めば比較的簡単に作ることができた。
 問題は燃料である。
 薪を燃やすのは環境に悪いうえにエルフ族やダークエルフから猛反対が起こるのは目に見えていた。しかも環境問題が起こるのはユーミーリアの今日の社会問題を見れば一目瞭然だ。そのため、眞は如何にして熱源を蒸気機関に与えるか、という問題に取り組む必要があった。
 そこで眞達が考えた方法はアルコール燃料である。
 穀類を醗酵させてアルコールを醸造するのはそれほど難しい方法ではない。それに加えて眞たちには現代科学という強力な知識がある。極めて高純度なアルコールは自動車の燃料にさえなるのだ。もっともユーミーリアならばともかく、フォーセリアでは魔法による爆発は起きないことが確認されている。そのため、薪や石炭などの代わりにアルコール燃料を燃やして水蒸気を発生させて動力機関にするというある意味では原始的な方法を用いたのだ。
 しかし、熱効率などを考慮して慎重な設計をした場合、意外なほど強い力が得られるのだ。
 また、液体のままのアルコールを燃料にするのは不便であり、危険性も増すことから合成燃料として固形燃料にすることにも成功していた。これにより現代の最新のガソリン燃料機関ほどではないにしても、魔法によらない動力機関が生み出されていた。ただ、問題は燃料の生産量が限られている上に、このような機械を大量生産するための設備も無い、という現実である。もっとも、大量生産したとしてもまだまだ使いこなせないことが予測されるため、とりたてて大きな問題とは考えられていない。
 今のところ、この蒸気機関を利用した鉄道もエルスリードを中心としたファールヴァルトの周辺都市に限られる上に、国家間での交通網は安全保障の観点から見送られているのが現実だった。しかし、この鉄道の概念はファールヴァルト国内に限っては非常に有効で、特に併合した後の城塞都市プリシスの運営には極めて有効だった。
 王都エルスリードから僅か数時間で結ばれたプリシスは、交易の第二の拠点として非常に大きな意味を与えられていたからである。そして、それだけ王都からも近い、ということで旧プリシス貴族に対しても睨みが利く。急速に版図を拡大しているファールヴァルト王国では、各地に対して王都の目が行き届くことが極めて重要な意味がを持っていた。
 だが、そのような政治的な意味合いはともかくとして王都エルスリードにはファールヴァルト各地から比較的簡単に、しかも安価にやってこれる、ということから様々な交流が生み出されている。それが今の繁栄を動かす原動力となっているのだ。
「っしかしねー、よくこんな時代に街中にチンチン電車なんか作れたもんだわ」
 目の前をゆっくりと通り過ぎていくチンチン電車-正確には電車ではなく蒸気機関車だが-を見て、里香があきれたような声でぼんやりと呟いた。
 眞はエルスリードの街中にゆっくりとではあるが頻繁に走り回る市街交通網を作っていた。これはエルスリードの中での移動を簡便にし、人の循環を起こすことで経済をまわす、という考えによるものだ。もっとも、それは眞の個人的な趣味もあって、サンフランシスコ市内を走り回る市電のように小さく小回りの利くように作られていた。
 このような高度に練られた都市設計は、フォーセリアの他の国には見られないファールヴァルトの大きな特徴でもある。
 久しぶりのショッピングを楽しみながら、悦子と里香は巨大なエネルギーが世界を大きく変えていく時代の脈動を無意識に楽しんでいた。それはかつて産業革命の時代にイギリスが体験した、もしくは開拓時代を経て新大陸に進出していった人々が夢を見た時代と重なるものがあったのかもしれない。
 だが、そのファールヴァルトの繁栄と発展を歪んだ目で見る者たちも少なくは無かったのだ。
 
「ファンドリア軍の“魔獣”部隊、ですか・・・」
 ラヴェルナが氷の彫像のような整った美貌を翳らせて答えた。
 オーファンの王都ファン、その王城シーダーの隣に居を構える巨大な大理石の塔の最上階には、一般の市民には決して知らされない秘密の部屋があった。
“禁断の間”と呼ばれるその部屋は、部屋の外からは魔法的に完全に隔離され、そして部屋自体も恐ろしく堅牢な造りとなっていた。それはこの部屋には危険な魔法装置がある、とか異界から召還された魔人が封印されているから、という理由ではない。純粋にこの部屋では外部には絶対に漏らすことのできない機密事項を話し合う必要がある場合に会議が持たれる、ということが理由であり、そのほとんどの場合は魔術の禁忌にすら触れかねない危険な情報を取り扱うことがあるからである。
 それがいつしか魔術師たちの間で“禁断の間”というあだ名で呼ばれるようになり、その部屋に呼ばれることは、すなわち、国家の重大事に対する関わり合いを持つことを意味するようになったのである。本来、ほとんどの魔術師は国政に対して興味や関心を持つことはめったに無く、厄介ごとに巻き込まれる、と言う意味でも“禁断の間”という皮肉を込めて、近づきたくない、という意味を込めていたとも言われている。
 そして、その“厄介事”がオーファン軍に降りかかってきていたのである。
「はい。リトラー殿下を中心としたオーファン軍とファンドリア軍の衝突の中で、後方に展開しているファンドリア軍の一部に、明らかに普通考えられる展開と異なる動きを見せた部隊がありました」
 眞は机の上に紙を大きく広げた。
 羊皮紙ではない。1メートル四方もあるような巨大な羊皮紙など、フォーセリアには滅多に無い上に、値段など馬鹿馬鹿しくなるようなものになるだろう。会議で使う資料にできるようなものではなく、著名な画家にでも絵を描かせて宮殿にでも飾っておくような代物だ。
 植物繊維を漉いて作り出す、いわゆる“紙”である。それにはファンドリア軍の動きがどのようなものであったのかを記す記号が複雑に書き記してあった。
「・・・この、オーファン軍が左翼に展開したファンドリア軍に攻撃をかけた時に、この後方に待機していたこの部隊が、普通なら外側から回り込み、そしてこちらの側から中央の部隊と連動し、オーファン軍を挟撃しようとするはずです。しかし、何故かこの部隊は後方からこう、内側をすべるように動こうとしていました」
 眞はそう言いながら、ファンドリア軍の動きを示す。
「もちろん、ファラリスの暗黒神官戦士団がファンドリア騎士に偽装していたのならば、可能性はあります。ですが、ある意味ではオーファン軍と対消滅させるための捨て駒に、切り札の一つである暗黒神官戦士団を投入するのはあまりにも意味が無さ過ぎます。もちろん、リトラー王子を抹殺することが可能なら、投入する価値は無いとはいえませんが、失う戦力と比較して、後々の展開で引き出すことのできるメリットが少なすぎます」
 眞は言外に、リトラー王子が戦死した場合には自動的にオーファンの王位継承問題が解決することを滲ませている。もちろん、この場合はリトラー王子を悲劇の王子として祀り上げ、ファンドリアに対する徹底抗戦の意思を束ねるために利用することになる。そうなった場合、一枚岩として結束したオーファン軍を打ち破ることはファンドリア単独では極めて難しいだろう。
 逆を言えば一枚岩として結束したオーファン軍と戦う自信があったからこそ、ファンドリアは最初に仕掛けてきた、とも言える。そして、この場合に決戦部隊はファラリス暗黒戦士団ではない。彼らは本来ならば暗黒神殿の守護を司るのが役目であり、対外戦力ではない。そして暗殺者ギルドのもつ暗殺者部隊は、所詮は暗殺者である。正面からの全面戦闘ではその実力を発揮しきれずに、オーファン軍の戦闘力に力負けする。
 つまり、ファンドリア軍はオーファン軍と正面から激突しあって、切り札を失わずに戦える、という“もう一つの切り札”を手に入れたことを強く示唆しているのだ。
 そしてこの状況で捨石にでき、その上でオーファン軍に対する対抗力となる戦闘部隊。
 魔神の部隊か、さもなくば魔法生物による部隊の可能性があった。そして、現実的にありえるのが魔法生物の部隊である。魔神の部隊など、現代の魔術師に手に負えるようなものではない。
 ならば魔法生物による魔獣部隊として考えるのが正しい推測だろう。
 現にファンドリアでは魔術師が西部諸国のコリア湾の海岸に陣取る海賊と協力して“魔人”を戦力として生み出そうとしていた、という事実がある。そして、ファンドリア魔術師ギルドは他国の魔術師ギルドとは異なり、盗賊ギルドや暗殺者ギルドなど、闇の組織と強い繋がりがある。一度でも手にした魔人創造の技術が、本国の魔術師ギルドに持ち帰られていない可能性は少ないし、それが盗賊ギルドや暗殺者ギルド、ファラリス教団に隠匿されていない可能性はさらに少ないはずだ。
 実のところ、魔法生物の創造に関する研究は僅かずつではあるが行われている。ほとんどの導師級の魔術師はホムンクルスなどの魔法生物を作ることができるし、パペットゴーレムの創造をする呪文は一般に魔術師に広まっている。近年ではアルラウネという植物系の怪物を研究することで、人為的な変種を作り出すことさえ可能になっているのだ。
 これらの技術はファールヴァルト軍が魔獣を騎馬として、魔法騎士団を編成しているのとは根本から異なる。あくまでもファールヴァルト軍は人間が主体となった戦力を考えているのに対して、これらの魔獣部隊は魔獣を消耗可能な戦力として投入することを意図したものなのだ。
 眞は密偵に命じて、ファンドリア軍が投入しようとしている魔獣の正体を探り出していた。
 その正体は、驚くべきものであった。
 
 
 

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