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 ファールヴァルトの王都エルスリードは戦に勝ったとの知らせを受けて戦勝の宴が営まれていた。街のあちこちで酒宴が繰り広げられ、酒と興奮で酔いしれている人々が馬鹿騒ぎを起こしている。もっとも、今日に限っては少々の事なら無礼講、といった所だ。
 衛士達もいつもほどは厳しく取り締まっていない。現実にそんな事は不可能だということもあるが・・・
 大量に流入してきた移住者達も、眞の提案する効果的な政策により、今のところ大きな問題とならずに徐々に定着をしはじめている。経済が非常に強固になった事や、眞が移住者達の持つ様々な技能、郷土文化などを逆に上手く取りいれてそれに価値を持たせて経済の原動力にしていることも彼ら移民達にとって大きな支えになっていた。また経済の状態が非常に良いことや、ここ一年で大きな戦争に二度も勝利した、という事実が人々に寛容さと気前の良さを与えていたこともある。
 その裏側で眞は自分の支配下においた盗賊ギルドや王立情報部などを駆使して、移民の中に他国の密偵や工作員がいないか、などを徹底的に調査していた。その上で、自分の予測以上の事が起こりえる、と事態を想定している。ファールヴァルトの密偵を信頼していないわけではない。だが、彼ら以上に熟練の密偵が潜入しようとした場合、防ぐことは難しい。だからこそ、あえてそんな腕利きの密偵や工作員が既にいることを前提にして眞は方策を練っているのだ。
 他にも懸念すべき事はある。
 旧来の貴族達と新興貴族達との摩擦である。だが、それ以上に問題なのは徐々に熱を帯びつつある強烈な選民意識だった。元来、貧しい国でしかなかったファールヴァルトの貴族達、そして半ば犯罪者同然となって流れついた冒険者達、冷遇されてきた国民達や他国から追われてきた移民達は何か、自分達の確固たる拠り所を求めていた。それが今日のファールヴァルトの経済的、文化的な繁栄を受けて、自分達こそが選ばれた民なのだ、という考え方となって現れつつあった。
 それは何処の世界でも同じなのだろうか。
 例えばユーミーリアではアメリカ合衆国や中国が、発現の方法がかなり違うとはいえ、こういった熱狂のもたらす強烈なナショナリズムを現していると言えるだろう。元々、アメリカ合衆国は移民の国である。理由があって本来の母国を捨てなければならなかった人々が国家と言う巨大な枠組を作ろうとする場合、必ずといってよいほど強烈な母国意識を盛り上げようとする。また中国は、中華文明圏としては長い歴史を持ちながらも、現在の中華人民共和国、としての歴史は僅かに半世紀ほどしかない。その歴史の中では諸外国の介入や植民地化の歴史があり、それらの出来事に対する反発と屈辱感が逆に大国志向を後押ししている。
 だからこそこれらの国は強烈に国民意識を掻き立てて、国民を強力に一つに束ねる必要があるのだ。中国が自国民に対して強烈な反日教育を行うのも、日本に対する敵対意識を高めて中華人民共和国民としての方向性を一つに束ねようとする目的がある。だから、いつまでも中国共産党政府は日本に対する謝罪要求を繰り返し、内政干渉とも言える言動を繰り返す。それは別に目的があるのだから、永遠に終わることなどない。友好関係を樹立することが目的ではなく、資金援助と自国民を束ねる、という違う、本来の彼らの目的を見誤り続けていては未来永劫にまで禍根を残すことになる。
 アメリカ合衆国は国外に敢えて敵を作り出すことで自国民を束ねる、という政策をとっているように見られる場合がある。自分達に敵対意識を持っている国が外部にあれば、わざわざ自分達の国民にプロパガンダをうってまで方向性を統一する必要は無くなる。ましてやそういった情報を日常の情報に巧みに織り込んでいけば、自然とそのように向かっていく。
 所詮は戦争である。
 だが、可能な限り避けるべき手段なのだ。国家同士の冷酷な闘争の狭間で、血を流すのは人間であり、そこには兵士と一般人の区別など無い。歴史の上において、平和とは膨大な屍の上に成り立つ束の間の静寂に過ぎない。
 眞は日本の平和が、ある意味では限りない偶然と一方的とも言える優位性を誇る米軍の武力によって間接的にもたらされた奇跡だと言うことを自覚している。彼自身、ユーミーリアにおいて人を殺す、という判断を下さざるを得ない状況に追いこまれていた。理想が却って悲劇を産み出す事もある、という事実を彼は身をもって知らされていた。
 その為に、眞は大切な人を永遠に失うことにさえなったのだ。
 護るべきものを護るために、敵を殺す。しかし、それはその敵、という立場の人間が護ろうとしている誰かを不幸にする。そして、護ろうとした人を悲しませてしまう。だからこそ、眞は自分が誰かに愛され、大切に思われることを避け続けてきたのだ。
 優しく、理性的過ぎるから、逆に孤高と冷酷さを求めてしまう。
 誰かを愛し、愛されてしまったなら、その人を護るための戦いで、その人を傷つけてしまうから・・・
 眞は自分の才能を自覚していた。その、おそらくは人類史上でさえ稀有なほどの武術の才能と、人殺しの才能を。戦いと、それに勝つための手法を見出す、という意味で、眞は誰よりも優れた才能を持っている。例えそれが全体戦略でも、個別の戦闘でも、眞はその目的を達するためには幾らでも勝つ手法を産み出す。
 自分が護りたいたった一人を護るために、眞は十億の人間を殺せる人間だった。殺し合いの場で、理性を保ったまま冷静に人と殺し合いを演じる事のできる、平和な日常から考えるならば異質な人間である。
 幾ら眞が超人的とさえ言える能力と才能を持っていても、一人でできることには限界があるのだ。例えそれが可能だったしても、眞は決して全ての人を支配する道を選ぶことは無いだろう。そして、その限界は静かに人々の暴走を産み出しつつあった。
 
 ムディール陥落、の知らせを受けてオーファン宮廷は激しい動揺に包まれていた。
 そして、美しき宮廷魔術師の“魔女”ラヴェルナは、その電撃的なまでのファールヴァルト王国の軍事行動に深い憂慮を覚えていた。圧倒的な、文字通り一方的過ぎる程にさえ見える武力で、瞬時にして極東の大国を撃破したファールヴァルト王国は、西部地方においては徐々に大きな脅威と捉えられるようになってきたのである。ラヴェルナの知る眞は、敵にも味方にも、大きな被害を出させない為にこそ、その強大な軍事力をギリギリの状況で運用しようとする。
 しかし、それは他国にとっては圧倒的な軍事力の殆どを温存したままでも容易に大国をも撃破できる純然たる脅威に過ぎない。
 脅威に対する恐れと反発が、フォーセリアの不安的な状況を揺さぶり続けているのだ。
 そして騎士団の中にはファールヴァルト王国に対する不安が広がりつつあった。今はファールヴァルト王国との同盟により安定を維持できるし、その事がアレクラスト大陸の軍事的平衡状態を維持する大きな力になる。しかし、遠くない将来、ファールヴァルト王国の影響力が大きくなり過ぎたとき、彼の国がアレクラスト大陸の、いやフォーセリア世界の全てを支配するのではないだろうか、という本能的な恐怖だった。
 既にファールヴァルト王国の軍事的プレゼンスはアレクラスト大陸の動向を左右する程の影響力を持ちつつある。
 一人の人間が御するには、国家は余りにも大き過ぎるのだ。
「ファールヴァルト王国は、何が目的なのだ」
 近衛騎士の一人が漏らした一言は、その場にいる全ての者の心を代弁していた。オーファン王城であるシーダー城の謁見の間に集う騎士達が、これ程までに動揺している姿を、ラヴェルナも宰相リスラーも初めて目の当たりにしていたのである。
 武勇を誇るオーファンの名高き鉄の槍騎士団の騎士達がこれ程にまで動揺しているのだ。他国の騎士達、貴族達は圧して知るべきだろう。
「まさか、これ程までに急激に勢力を拡大するとは思ってもおりませんでしたな・・・」
 リスラーの声も、ラヴェルナにだけ辛うじて聞き取れるほどに抑えられていた。オーファン建国以前のファン王国の時代から文官の長として国を支える大きな力となっていた宰相さえも、内心の動揺を抑えるのに必死の様子だった。ラヴェルナとて、ファールヴァルトの持つ軍事力を過小評価しすぎていた、というよりも想像さえできていなかった事に驚愕を覚えていたのだ。
 空を飛ぶ船や巨人騎士などのフォーセリアの常識を超える技術と兵器の投入は、アレクラスト大陸中の動揺を誘っていた。
 特に、旧来の軍事力、つまり、騎士を主力に歩兵、弓兵などで固めた戦力をぶつけ合う、という戦法は既にファールヴァルト軍の持つ空軍戦力や魔法戦力の前にはほぼ完全に近い形で無力化されてしまう。制空、という概念が無かった今までのアレクラスト大陸において、唯一の空軍を擁するファールヴァルト王国が絶対的優位を持っているのは、ある意味では当然だった。特に、魔法騎士団が騎馬に空を飛ぶ魔獣を選んで、空中戦の能力を持っていることは脅威以外の何物でもない。
 本来、アレクラスト大陸に存在する城や砦は原則として地上戦を行うことを前提にしている。昨年のファールヴァルト・アノス戦を知った各国は急いで大型のバリスタや弓兵、櫓などを設置して空中からの攻撃に備えるようにはしているが、いかんせん城のもともとの設計自体がそのような状況を想定していないのだ。
 ファールヴァルト王国の王城は、軍事指令部や中核部分を地下に移転し、上部が破壊されてもその機能を失わないようになっている。それに、王家自身が直属の魔法兵団を持ち、国として強力な魔法戦力を整えている。明確に戦術としての魔法戦力の運用を想定しているのだ。そのファールヴァルト王国に対して、魔法戦力を体系立てて軍事力に組み入れている国はラムリアース以外には無い。そのラムリアースは、しかし実戦経験が乏しいと言う大きな欠点を抱えていた。
 ファールヴァルトの突出に驚愕していたのはラムリアースの宮廷も同じだった。魔法戦力を国軍として擁しているのは、アレクラスト大陸では同国だけだった。だが、昨年、突如として歴史の表舞台に現れたファールヴァルト王国は独自に魔法戦力を整え、僅か十二騎とは言え、れっきとした魔法騎士隊を編成していた。そして、傭兵部隊などを巧みに運用し、しかもその十二騎の魔法騎士を、空を飛ぶ魔獣を騎馬とした空撃騎士隊として運用していたのだ。
 結果としてファールヴァルト魔法騎士隊はアノス軍に対してほぼ一方的といってよい攻撃を与えて、戦闘にさえ持ちこませずにアノス軍千二百騎を撃破したのだ。
 その報告にラムリアース王城は衝撃を受けていた。強大な戦力を誇るアノス騎士団をあっさりと撃破したファールヴァルト魔法騎士隊の戦闘能力の高さに、民衆が魔法に対する警戒を強めないか、との危惧もあった。そのため、ラムリアース王フレアホーンは状況を把握する為にオーファン、ファールヴァルト両国に特使を派遣していた。そして魔法騎士団を擁するファールヴァルトに対し、その魔法軍事力を前面に出さないように依頼したのである。しかし、ファールヴァルト王国にかつてラムリアース白蹄魔法騎士団に所属していた魔法騎士が仕官する事態が発生していた。
 その魔法騎士は、ラムリアースにいた頃は騎士隊長だった程の有能な魔法騎士だったのだ。だが、ラムリアースに起こった王位継承に関する内乱でアモルザーン子爵側と見なされた男はラムリアースを捨て、何処とも知れぬ地へと去っていった。その男が、あろうことか新たに魔法騎士団を編成したファールヴァルト王国に魔法騎士として取りたてられたのだ。
 この衝撃的な事実にラムリアース宮廷は震撼し、白蹄騎士団の機密である魔法戦術がファールヴァルト王国に知れ渡ることを恐れた。極秘裏に宮廷魔術師などが彼の国を訪れ、交渉を繰り返していたのだが、鋼の将軍に巧みに交渉の主導権を握られて、結果として交渉は何の結果も生まないまま終了していたのである。そして、今回のムディール戦役が勃発してしまったのだ。
 その結果、ファールヴァルト王国は再び魔法騎士団を投入せざるを得ない状況を付きつけられたのだ。しかも、今回は前回のような騎士団の一部の暴走でなく、ムディールと言う大国が国家として戦争を挑んだのである。ファールヴァルト軍は新兵器などを導入し、対抗せざるを得なかった。それがクープレイやドーラであり、飛行帆船などの過去には無かった兵器だったのだ。
 そして、それは古代に作られた遺産を運用したのではなく、新たに産み出した、という点でファールヴァルトの突出した能力をアレクラスト全土に見せつけていた。
 自国の安全を護るため、という大儀名分があれば、魔法を戦争に投入する事に対する反発はある程度抑えられる。だが、かつてファン王国とラムリアースとの間で勃発した戦争では、周辺諸国はファン王国の勝利を願ったと言う。それは魔法と言う異質な力を操る為であった。
 だが、ファールヴァルトはその圧倒的な武力と高い魔力で二つの戦争に勝利し、大きく国力を拡大している。ムディールとの戦争においても王城を電撃的に制圧し、ムディールの民には可能な限り被害を与えないように慎重に作戦を展開したのだ。ファールヴァルト軍を指揮する騎士達には「民を殺すな、民から奪うな、民を犯すな」という命令が下されていたという。
 それは無制限に発生する暴力を少しでも抑制する為の命令であり、後々の領土化においても有利に働く。だが、兵士達は命がけで戦うという極限状態に置かれる事で、精神的にも相当に不安定な状況となる。だから、眞は盗賊ギルドと契約を結び、娼婦達を慰安婦として派遣していた。また、ムディールを制圧した時点で、ムディール盗賊ギルドを併合するにおいても同様の条件を飲ませ、無制限に暴力が拡大することを回避していたのだ。
 もちろん、決して理想的な手法ではない。だが、現実的な解決を求めた場合、理想からかけ離れた生々しい手法を選ばざるを得ない場合もある。また、兵士達にはムディール王国から押収した財宝を振舞うことで略奪の動機を減らすようにもしていた。
 こういった「現実的」な作戦展開と部隊運営はアノス宮廷には不評だったが、しかし確かな効果を生み出してもいたのである。現実にユーミーリアにおいても、戦争時にはどんな事でも起こってしまう。実際、第二次世界大戦当時に相互不可侵条約を一方的に破って満州に侵攻したソ連軍は大規模な集団レイプを引き起こしている。同じようにベルリンを制圧したソ連軍は一説には当時のベルリンにいた女性の半数以上を強姦したとさえ言われている。他にもユーゴスラビア連邦での民族浄化運動やアフリカ諸国における内乱でどれほど無制限の暴力の拡大が起こっているのか、既に当事者達でさえ把握できていないとも言われているのだ。
 それほど大きな規模ではないものの、日本でも在日米軍の軍人が暴行事件などを引き起こすことは既に日常茶飯事となっている。直接の戦闘状態に無い在日米軍でさえ、軍の秩序を完全に御しきれていないのだ。戦争と言う極限状態で、学校で習うような綺麗事をご丁寧に護る人間はそうそういないだろう。ベトナム戦争時、韓国は韓国人の女性芸能人や女優達を慰安目的でヴェトナムに派遣していたという事実は、そういった手法が現実に必要とされる手段だと言うことを示唆している。
 理想を述べることは大切だ。しかし、政治家が理想論に振りまわされていては現実を動かすことはできなくなってしまう。
 結果として、政治家は机上の空論よりも生々しい現実を選択してしまう。マスコミなどの、当事者責任を背負わない人間と違い、為政者は結果責任を引き受けなければならないのだ。それが大きな弊害を生むことも、当然ある。それでも失敗では済まされない責任を背負う人間がどれほどの重い決断をしなければならないのか、を論点にした報道が無いという時点で、日本のマスメディアの程度が知れると言えるだろう。
 それは眞と共に異世界に飛ばされてきた学生達が実感しているところでもあった。
 
 ファールヴァルト王城地下の王国軍総司令部では、おびただしい情報が飛び交い、まるでもう一つの戦場のような状況を生み出していた。
「オーファン軍の状況はどうなっているんだ!」「早く、ファンドリアの情報を回せ!」「眞様の率いる本隊は、あとどれくらいで到着する!?」
 幻影魔術により空中に投影された大小数十の画面に、各地の情報が映し出されていく。戦線はもはや泥沼の消耗戦と化しつつあった。リトラー皇太子率いるオーファン軍は、しかしファンドリア軍に決定的な勝利を得ることが出来ず、そして鉄の槍騎士団内部の派閥抗争が表面化したことにより、士気は完全に低下していたのだ。
 ファンドリア軍は、それでも士気が高いとは言えない状況ではあった。何よりも、士気の低いオーファン軍に対して、勝利を掴むことが出来ず、兵士達の疲労は重く両軍に圧し掛かっていた。
 懸念されていたロマール軍は、現在のところまだ動きは見せていない。おそらく、機が熟するのを待っているのだろう。今の時点ではオーファン王国は鉄の槍騎士団の大部分を残したままであり、そしてファールヴァルト軍はムディールを電撃的に攻略していたのだ。ルキアルの計略では、オーファンとファールヴァルトの戦力を明確な形で封じるまではロマール軍は動かさないだろう。
 他に懸念すべき状況として、西部諸国の一つである“盗賊都市”ドレックノールや西部諸国の海域を根城にしている海賊の開発している魔獣創造の技術がある。各国が掴んでいる情報として、既にドレックノールは魔獣の開発に成功し、既に実戦に投入したという記録がある。先の西部ロマール戦役だ。
 絶体絶命の状況に追い込まれた西部諸国は、ギリギリの状況で夜襲を掛けて、ロマール軍の指揮官であったロマール王国第二王子であるアロンドを拉致し、身柄の返還を条件にして講和を取り付けたのだ。この時に、実戦投入されたドレックノールの魔獣がアロンド王子を拉致したのだとされている。
 公式には確認されていないが、ロマールとファンドリアの密偵たちから、それを推測させる情報が伝わってきていた。
 この情報は、当時ベルダイン王城を頻繁に訪問し、ベルダイン傭兵隊とその指揮官であるアクセルロッド・スペングラー伯爵と親密な関係を築いていたラヴェルナも非公式な情報として得ていた。また、ファンドリア盗賊ギルドやファンドリア魔術師ギルドの一部もまた、魔獣創造に手を付けた、との情報が伝わってきている。
 ファールヴァルト王国に対する手段として、各国が魔獣を実戦に投入する、もしくは魔法や魔術工芸品を兵器として運用することを考え始めていることに、ラヴェルナは非常な懸念を覚えていた。だが、騎士団はともかくとしても、各国の軍師や貴族達は魔法や魔獣を兵器として運用することに対して徐々に価値を覚え始めていたのだ。特に、オーファンやオラン、ロマールなどの軍事的な大国に対して、単独では対抗能力を持たない国には、そのような兵器の運用は魅力的だろう。ファンドリアの魔術師ギルドの一部は各国の盗賊ギルドと通じて、魔獣を実用的な兵器として運用するための活動を行い始めているのだ。
 特に近年のファールヴァルト王国により、魔法の運用が如何に実用的なのかを知らされて、各国の貴族達が争うように魔法技術の開発に予算を投じ始めていた。元々、各国とも貴族達は魔法の工芸品を手元において置く傾向がある。今まではあくまでも金の掛かる趣味の範囲を超えなかったのではあるが、それが皮肉にも貴族達の魔法に対する嫌悪感を和らげるという効果があったのだ。そして、裕福な貴族や商人の子弟達だけが古代語魔法を学ぶことが出来た、という事情があり、一般人と貴族や裕福な者達との差が大きく開きつつあった。
 確かに魔法使いに対する嫌悪や軽蔑などは一般的なものではあったが、それは「知らない事」に対する不安であり、恐怖なのだ。逆に貴族社会では下位古代語の取得はある意味で必須の教養であり、カストゥールの文化や礼儀作法を学ぶことは自らの品位を高く見せることが出来る、という風潮がある。
 下位古代語を学ぶためには賢者-多くは魔術師でもある-から学ぶ必要があり、偉大なる古代王国の遺産である魔術工芸品の価値や機能を学ぶ方法は古代語魔法を使う魔術師からしか無い。そのため、貴族社会では好き嫌いはともかくとして古代語魔法について無知なものはそれほど多くは無い。
 そうした貴族との関わりあいの多い裕福な商人達も争うように下位古代語を学び、魔法の宝物を求めて莫大な私財をつぎ込んでいた。また、子弟達にも下位古代語を学ばせ、そして魔法の宝物に対する知識を深めさせていた。国政の中枢に位置する貴族に取り入ることは、自らの栄華に直結するのだ。逆に貴族達は強大な資本力を持つ商人を取り込むことで政治力を強めることが出来るようになる。そのような現実的な意味もあり、近年では魔術師をひそかに己の身内に取り込む貴族が多く現れるようになった。
 もちろん、一般庶民の反発もあるため、公にはあまりされていないが、近年では貴族や商人たちは一般の庶民の中から優秀な子供に対して、自らの養子にしたり、出資をして賢者の学院に通わせる、ということが行われるようになってきた。優秀な魔術師は戦争にも政争にも大きな力になる。また、賢者の学院に在籍している魔術師に対して、パトロンとなることで望む研究をさせる者も増えてきた。
 特に、幼少の頃から出資をしてもらい、身の回りの世話をしてもらった若い魔術師達は、その恩を必死になって返そうとする。また、自分の望む研究をさせてもらった若い、野心ある魔術師も同様である。
 それはマナ・ライを始めとする純粋に魔術師同士の保護と互助を理念に置く魔術師達にとっては懸念すべき現実ではあった。貴族や権力を求める富豪たちによる魔術師の囲い込みは、権力闘争へ、ひいては軍事力としての魔術へと直結する。かつてファールヴァルト王国に現れた異世界の魔法騎士に述べたように・・・
 
「アップルポットよりスカーレット・リーダーへ!」
 智子の声がクープレイの操縦席に響いた。眞はモニタ・パネルに映し出される膨大な情報を読みながら返事を返す。
「こちらスカーレット・リーダー! アップルポット、どうした?」
 モニタ・パネルに映る智子の表情は硬かった。いつものとぼけたような眠たげな目が、緊張とかすかな怯えを湛えている。眞は嫌な予感を感じていた。
「ファンドリア軍が動き出したわ。オーファンの騎士団が今回、持ちこたえられるかどうか判らない」
 智子の言葉に、眞は瞬時に考えを纏める。おそらく、ファンドリア軍は切り札とも言える暗黒神官戦士団と暗殺者部隊を投入したのだろう。まさかとは思うが、ファンドリア魔術師ギルドの一部の魔術師が計画しているとされる魔獣創造計画により創造された魔獣が実戦運用されているかもしれない。
「たぶん、気が付いていると思うけど、ファンドリア軍は魔獣部隊を投入してる。その数は10体だけど。あと、アサッシン部隊と暗黒神官戦士団がいるわ」
「本気でケリをつける気だな。リトラー皇太子率いるオーファン軍では苦しいな・・・」
 眞が厳しい声を出した。正直、ファンドリア騎士団の騎士は、素人に毛が生えたようなものだ。互角の数で戦っていればオーファン騎士団やオラン、アノスの騎士と勝負にさえならないだろう。
 だが、リトラー皇太子は武人ではないが故に、オーファン騎士団を泥沼の消耗戦に追い込み、消耗させてしまっていた。確かに数の上から言えば致命的な損害ではない。しかし、不敗を誇ったオーファン騎士団が、例えリジャール王自らが率いていないとはいえ、敗北しつつあることも事実であり、そのことで将来的に近隣諸国と結んでいる軍事同盟にも影響を及ぼすことは必至の情勢なのだ。
 オーファンの本隊もようやくリトラー率いる隊を救援すべく首都ファンを離れていた。だが、そのタイミングを見計らっていたかのように、ファンドリア軍は行動を開始していた。おそらく、魔法か何らかの技術を用いた遠距離の交信技術を持っているのだろう。
 一般にはあまり知られていないが、盗賊ギルドのメンバーにも若干の数ではあるが魔術師が含まれており、魔法を盗賊の技術として用いることを研究している者もいる。また、オーファンの前宮廷魔術師であり、現在もオーファン魔術師ギルドの最高導師を勤める“偉大なる”カーウェスもまた、自らの情報網として密偵を自由自在に使いこなしている。
 もはや、魔術が単なる学問であった時代はとっくの昔に終わり、今や国政を支える不可欠な技術として珍重され、実用化されているのだ。
「どうやら、オーファンに潜り込んでいる密偵には魔法を使う奴がいるらしいな」
 眞は、内心でファンドリアの密偵と、それを実際に動かしている存在の評価を修正した。確かにテレビの存在を知らない人間は、テレビ放送がどんなものなのかを説明されても理解できないだろう。しかし、最初にテレビを考え出し、実際に生み出した人間がいるからこそ、今日のユーミーリアではテレビが一般的に普及している。技術を知るものはその技術の使い方をも生み出していくのだ。例えばよく使われる方法として、『物品召還アポート』の魔法がある。これは一時的に物品を手元に呼び寄せる、という魔法であるが、召還された物体は約3分という魔法の持続時間を経過すると元の場所に戻ってしまう。逆にこの性質を利用して、遠く離れた本国に対する報告を特定の箱や筒などに入れておき、定められた時間、もしくは心話の術などで連絡された時に、本国の魔術師が手元に呼び寄せ、連絡すべき文書や届けたい物品を取り出し、そして新しい指令や連絡などを入れて送り返すのだ。呼び寄せるものは、術を用いる魔術師が特定できる物体、もしくは魔法の印をつけていれば良いため、比較的簡単に運用できる交信方法だった。当然ながらファンドリアの密偵たちも、その密偵たちを運用するものも、その意味と意義を知っていて活用しているに違いない。
 実際のところ、オランやアノスなど、理想を重んじる国よりもロマールやファンドリアなどの実利を追い求めている国のほうが、その技術力や魔術の発展度において上回っている場合が少なくない。オランでは特に長い年月を掛けて蓄積された知識や技術が魔術師ギルドや王宮にあるため、アレクラスト大陸で最も文明が発展した国家といわれている。しかし、魔法技術や工学技術に限って言えば、ロマールやファンドリアどころか、西部諸国の一盗賊都市でしかないドレックノールのほうが上なのだ。
 だからこそ、眞はむしろオランやファンドリアの方がしぶとく、発展していく可能性を感じていた。少なくとも今は状況がオーファン、オランと軍事同盟を結んでいるため、ロマール、ファンドリアとは対立関係にはあるが、むしろ戦略的な意味ではオランとアノスは逆にファールヴァルトの足枷になりかねない、とも考えていた。地理的にもファールヴァルト王国がオーファン、オランと手を結ばずにロマール、ファンドリアと接触した場合は周辺の国全てが敵に回る事になる。
「いずれにしても、オーファンに負けてもらっては困るんだが、ファンドリアを潰してしまうのもまずい。正直なところ、上手い具合にバランスを保てないか、って考えてる」
 眞は冷静に計算をめぐらせて、今後の作戦展開を組み立てていく。
 とにかく、現時点ではアレクラスト大陸にある程度の緊張状態が維持されているほうがファールヴァルト王国にとって都合がよい。そして、周囲を南はオラン、アノスによって護られ、西にはフィンブル山脈、東にはマハトーヤ山脈と妖魔の森、その先にあったムディール王国は先ほどの戦争で王都を征服され、各都市の太守がそれぞれ騎士団を擁して抵抗をしているものの、ファールヴァルト軍によって各個撃破されるのは時間の問題、という状況であった。少なくとも今のロドーリルにはファールヴァルトを侵略しようとする動きは無い。このことを考えると、むしろアレクラスト大陸が平和であった場合には、ファールヴァルト王国という新参の小国は諸大国のパワーバランスの間に飲み込まれていた可能性が高い。
「とりあえず、俺はリトラー王子を守護することを最優先にする。あと、適当にファンドリア軍にダメージを与えて、お互いを引かせるように持っていく。トレントン、お前はファンドリア軍に軽く一撃を与えてくれ。暗黒神官戦士団には気を付けろ。戦意を挫く事が第一目的だ。イェルド、お前はリトラー王子の守備を補佐しろ。特にファンドリアの魔獣と暗殺者はかならず近くに潜んでいるはずだ。見つけ次第撃退しろ」
「了解!」「了解しました!」
 眞の指示に、二人の魔操騎士は小気味のよい声で答えを返す。
 そして、三機の魔道装騎兵は徐々に高度を下げ、目の前に広がり始めた中原の平野の彼方に構えているであろうオーファン軍、ファンドリア軍の両陣を目指し、緩やかに加速を始めた。
 
 
 

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