~ 2 ~

 鬱蒼と茂る深い森林の中。
 マハトーヤ山脈はこの季節、厳しい冷え込みに襲われる。
 蝶の山脈と異名を取るこの山脈は、それ程激しい気温の変化があるわけではないが、それでも二月の半ばという時期は一年で最も冷え込む。
 また、東からの暖かな風が山脈に遮られてしまう事で、山脈の西側、特にファールヴァルトの周辺は厳しい寒さとなるのだ。それとは逆に、夏の時期は風が遮られるために山脈の東側、ムディールの方面はかなり暑苦しくなる。
 ムディール王国・虎の牙騎士団の第三騎士団長アディンは厚手の外套サーコートに身を包んで、激しく吹き殴る風を忌々しく見つめていた。
 極東の王国ムディールは、どちらかと言えば寒暖の差は余り無い。その王国に育った彼が、この吹き荒ぶ風に辟易していても仕方の無いことだろう。
 だが、彼もバイカルやミラルゴとの戦争を経験し、騎士団長にまでなった男である。
 多少の事なら平然と対応できる。
 だが、今の状況は戦争には不向きな条件だ。
 この寒冷な気温は金属鎧の着用が難しい。
 鎧が凍て付いてしまい、凍傷にかかりやすくなるのだ。しかし、戦いのことを考えると硬革鎧ハード・レザー・アーマーを身に付ける訳にもいかない。
 おのずと、厚手の外套を着込んで寒さから身を護るようになる。
 如何になだらかな山脈とは言え、マハトーヤ山脈を超えてファールヴァルトに攻め込むのは条件が悪い。だが、国王がその決断をしたのは、彼の王国の動向が不穏である、との理由からだった。
 確かにファールヴァルトは、巧みな外交や軍事行動により国威を強め、あろう事かプリシスを併合してしまったのである。
 また、他にも獣の民と呼ばれている蛮族や竜を信仰する未開部族をも取りこみ、ファールヴァルトは急速に国力をつけ始めている。その勢いがムディール第三十二代国王ティンにとって不気味に映ったのだろう。プリシス併合の受諾をしておきながら、ファールヴァルトの国力が付き切らない内に攻め落とそうと考えたのだ。
 それは純粋に政治である。
 極秘裏に部隊を編成し、ファールヴァルト強襲の為にマハトーヤ山脈の麓で演習を始めたのだが、その状況はファールヴァルトに筒抜けになっていた。
 恐らくは魔法を用いた偵察活動によるものなのだろう。
 あの鋼の将軍を甘く見すぎていたと後悔の念が頭をよぎる。
 しかも、あの年端も行かない少年は狡猾にも完全な戦闘体制を整えておきながら、じっと待ち受けているのだ。
 そして先日、噂に聞いていた新型兵器を完成させたらしい。
 空を飛ぶ巨人騎士など、アディンが聞いた事も無い、想像する事も出来ない兵器を投入してくると聞き、兵士達には動揺が広まっていた。
 ファールヴァルトは不気味に沈黙を守っている。
 だが、オランとアノスが騎士団を派遣しているという情報もあった。
 現実的に考えるなら、ここで兵を引いて武力衝突を避けるのが当然だろう。しかし、それでは一万人以上の民兵を徴兵し二月もの時間を割いて戦闘準備をしてきたことが無駄になる。
 その間にかかった費用は決して少なくは無い。
 また、ここまで準備をしていながら戦争に踏み込まなかった場合、ティン国王の責任問題にまで発展する危険があった。
「状況が悪すぎるな・・・」
 思わず口に出してしまい、アディンは周囲に人がいないことに安堵の溜息を付く。
 指揮官が口にすべき言葉ではなかった。
 兵士達はファールヴァルトの新兵器や鋼の将軍の噂で不安を隠そうとしていない。その状況下で迂闊なことを口にすれば、兵士達は不安から暴発しかねないのだ。
 今は王城からの指示を待つ以外に術は無い。
 そしてその伝令は今日来る予定になっている。
 ムディールの命運を分ける指令を持って・・・
 
「で、奴らは仕掛けてくるのか?」
 ダーレイが退屈そうに眞に話し掛けてくる。
 最初こそ、空を飛ぶ船に乗っていると、面白がっていたのだが、流石に何日も黙ってじっとしているのは退屈になってくるのだ。
 それは眞も似たようなものだった。
 早く仕掛けてきやがれ、などと不謹慎なことを考えてしまう。
「今日中くらいに仕掛けて欲しいな」
 などとぼんやりと呟いた。
 尤も十分に挑発しているから、ムディール軍がそれに乗ってこないはずは無い。
 真夜中にムディール軍の野営地の上空をクープレイで爆音を轟かせて飛びまわったりと、散々にプレッシャーを与えているのだ。
 また商人達にも噂を吹き込んで、不穏な状況をエスカレートさせている。
 そして、遂に待ちに待った機会が訪れた。
『眞、とうとうムディール軍が動き出したわ』
 ルエラから入った通信に、風の翼号は一斉に活気付く。ようやくムディールからの宣戦布告の使者が到着したのだ。
 後はムディールを討つだけである。
「判った。こちらはムディール王都に進軍する」
 そう言って、眞は船長に発進を命令した。
 この時期、風は逆風になるのだが風の翼号は、この時代では唯一の縦帆式の帆船である。この方式は現代のヨットと同じ方式の帆で、横帆式の船では身動きが取れない風でも動くことが出来るのだ。
「それじゃあ将軍、発進しますぜ!」
 ゼスト船長が威勢良く言い、風の翼号はその名の通り、空と言う大海を滑るように動き出した。
 眞はこのムディールとの戦争は短期決戦で決めるつもりでいる。
 そうしなければ、空軍戦力を駆使してオーファンや西部諸国を援護できないのだ。
「ムディールには申し訳無いが、あと一週間以内に滅んでもらう」
 冷たい微笑を浮かべて、眞は遠見の水晶球に映るムディール王城を見つめて呟く。
 風の翼号の船脚を以ってすれば、三日もあれば王都ムディールに到着するはずだ。
 そして、クープレイ三機を投入して一機に叩くのである。
 だが、あまり人を殺したくないというのも事実だ。宰相であるオルフォードも、余りにも強大な力を誇るクープレイの投入には渋い顔を隠さなかった。
 彼としては、クープレイは防衛用に運用すべきという考えだったのだ。
 しかし、クープレイ等の兵器は攻撃用として用いて初めて、その真価を発揮する。
 眞は綺麗事を理想として語ることは出来ないと考えていた。
 心の何処かで、その冷たい決断を下した自分を嘲笑う自分の姿が見えたような気がした。
 口では人を殺したくは無い、などと言っていても、人間は顔を名前も知らない他人など簡単に切り捨てられるのである。そうでなければ政治家や軍人、官僚などとっくの昔に狂人の集団になり果てているだろう。
 所詮、ファールヴァルト王国を護らなければ自分達の大切な人達を永遠に失う事になる。
 それが現実であった。
 だが、眞はオルフォードは余りにも政治家に向かない人間なのかもしれない、と思い始めていた。
 オルフォードは余りにも貧しく、他国と関わりあいを持たなかったかつてのファールヴァルト王国にこだわり過ぎているようにも見えるのだ。
 それは他の古くからのファールヴァルト貴族達にもしばしば見られる一面だった。
 他国と強く係わり合いを持つ外交関係に不慣れなのも遠因の一つに挙げられるだろう。かつてはこの国ではそのような技術は必要ではなかったのだから。しかし、これからはそれは許されない。
 ファールヴァルトという国は、既にその巨大な資本力と圧倒的な技術力でフォーセリアにおいて小さくない存在となってしまっているのだ。
 それがわかっていても、大きく自己を変革する事が出来ないのだろう。
 まあ形は違えど、どの国でも見られがちな事なのかもしれない。
 しかし、眞はそう遠くない将来、何らかの歪みが起こりえる事を予感していた。
 だが、今はムディールとの戦闘に全力を傾ける時期である。
 眞はD.E.L.を展開して指令部とのコネクションを設定した。予想通り、ロドーリル軍はファールヴァルトに向けて出撃をした様子だった。
 そして、遥か西方でも新たなる戦火が巻き起こりつつあったのである。
 
「で、その鋼の将軍は一体何時になったらケリを付けてくるんだ?」
 一人の大柄な盗賊が、鋼の魔女レイに尋ねた。ビッグと呼ばれているザーン出身の盗賊である。
 レイの仲間達もそれぞれに微妙な表情を浮かべてレイを見詰めていた。
 今のところ、ロマールは動いてはいない。ロマール国王が体調を崩したためである。
 そして、皇太子と第二王子の間の対立が徐々にエスカレートし始め、国外に兵力を派遣するのが難しくなってきたという事情があった。これは西部諸国にとってはある意味で幸運な出来事だった。
 もっとも、敬虔なファリス信者であるラリーにしてみれば、人の不幸を自分達の幸運と呼ぶのは邪悪も甚だしい、という事だったが。
「鋼の将軍は、一週間でムディールを討ち、我々の為に空軍を派遣する、と連絡をしてきました」
「豪快だな」
 トールの一言は、的を得た答えだろう。
 だが、ファールヴァルトには魔法騎士団だけでなく獣人や竜の民、魔法兵団、そしてクープレイがある。その上で世界最強の魔獣である老竜さえも、あの少年は従えているのだ。
 ファールヴァルトがその気になれば、ムディールは一週間どころか半日抵抗できるかどうかも怪しい。
 しかし、トールはその強力な援軍よりも、勇者として名高い鋼の将軍と会ってみたい、という欲望のほうが強いのだろう。
 眞は間違い無く世界最強の戦士の一人になるだけの器がある。
 未だにその才能の全貌を見せてはいないが、それでも世界屈指の戦士としてフォーセリアに名を馳せている。それも、若干16歳という少年が、だ。
 その年齢を考えると、何処までその才能を伸ばしていくのか、もはやレイでさえも想像が出来ない。
 アクセルロッドにも会わせたいと思う。
 彼等は為政者としても、お互いにどこか似たものを持っているように感じるのだ。
 その為には、この戦乱で絶対に負ける訳にはいかない。
 ロマールは動けない。しかし、その同盟国であるファンドリアはそうではないのだ。
 あろう事か、オーファンの第一王子と、その一派は独断でファンドリアとの紛争に踏み切ってしまったのである。
 ルキアルがこの絶好の機会を逃すはずが無い。遅かれ早かれ、態勢を整えて本格的な侵攻を開始し始めるだろう。
 そうなれば疲弊しきった状態の西部諸国が勝てる可能性はほぼ零に等しい。
 そしてオーファン軍を指揮する第一王子リトラーは、あまり優秀な人材ではないのだ。無能な指揮官が指揮する強力なオーファン軍と、文字通り士気の低い無法者の集団とも言えるファンドリア軍。この両者の激突は恐らく痛み分けで終わる可能性が高いだろう。
 そうなれば、中原一帯は混乱の渦に叩きこまれる事になる。
 その厳しい状況の中で、時代がもはや取り返しの付かない勢いで動き始めた事を理解していた者は数少なかった。そして、この時代を境にして、フォーセリアにおける戦争と国家という概念は大きくその意味を変えていったのである。
 こうして、後の時代に第一次アレクラスト大戦と呼ばれる事になる大戦争は幕を開けた。
 その初期は、余りにも静かなものだったと言う。
 
「何とかならんのか!」
 鬼神の如きリジャールの怒りを受け止められる者は、その場には居なかった。
 リトラーの指揮する二千余りの騎士団が、ファンドリアとの交戦を始めてからもう二月以上になる。
 だが、武人ではないリトラーの指揮する騎士団がその実力を発揮できるはずも無く、またファンドリア側の余り積極的ではないという状況にも助けられて、戦線は膠着状態を続けていた。
 それでも、オーファンは残る戦力を投入するわけには行かないという状況が続いていたのである。
 その理由の大半は、無断で兵を率いて出兵したリトラーに対する反感であった。
 元々、今回リトラーを担ぎ出して出撃した騎士団は、モラーナ復興派の騎士である。彼等は常日頃から他派と対立する事の多い一派で、彼等に対する支援は他の騎士達からは余り積極的な意見は聞かれない状況だった。
 だが、それでもその一派を率いるのが皇太子であるという事情から、オーファンは揺れに揺れていた。
「現時点では如何ともしがたいとしか申し上げられません・・・」
 一人の文官が消えそうな声でぼそぼそと意見を述べる。
 皇太子を見殺しにしたとあっては、騎士団の名誉に関わる上、オーファンの内情を益々混乱させるだけである。
 そうした事情がありながらも、騎士達はその意見の統一が出来ていなかった。
 それはリウイ王子が認知されて以来、オーファン騎士達の間で続いていた次期国王に対する混乱でもあった。
「ファンドリアの騎士団との戦い、もう二月にもなろうとしているのだぞ!」
 リジャールの苛立ちは頂点に達しようとしていた.。
 余りにも今の状況は悪すぎる。
 これ以上の戦力を投入しても、果てしの無い消耗戦になる事は目に見えている為、戦力の投入は合理的ではない。そして、万が一にも敗れる事があれば、オーファンという国の存亡にも関わるだろう。
 また、追加戦力を投入しても勝てると言う保証が無い。
 この泥沼の状況で、オーファン騎士達のリトラーに対する信頼は地に落ちている。そのような状況では勝てる戦にも全力を出す事は出来ない。
 今回の紛争で、リトラーには軍を把握、指揮する能力が欠如している事を露呈してしまった。
 他にもリトラーは対外的にも不安を与えた事になる。
 オーファンの皇太子という立場には、途轍も無い重責がある。中原の軍事大国として、また様々な国と結んだ軍事同盟の中核者として、オーファンの国王には限りない責任が存在するのだ。
 しかし、リトラーはファンドリアとオーファン自身の間に発生した紛争一つ解決する能力を持たない、と諸国は認識しただろう。
 ローンダミスはその事実が余りにも重い意味を持っている事に気付いていた。
 オーファンと同盟を結んだ国にしてみれば、頼みの綱であるオーファンの力不足を感じ取っただろうし、ロマールなどの野心的な国は、オーファン恐れるに足らず、という認識を持ったに違いない。そうなると、オーファンと軍事同盟を結ぶ、という意味は限りなく軽くなってしまうのだ。
 オーファンの武力を核として成り立ってきた中原のパワーバランスは、この時点で大きく揺らいでいたとも言えよう。
 後の時代に賢者は第一次アレクラスト大戦の直接の引き金でこそ無かったものの、リトラー皇太子のこの不用意な出兵が大きな要素だったと述べている。
 
 眞の館では、悦子達がほとんど午後の日課となったささやかな御茶会を催していた。
 もっとも、参加しているのは本人達だけだったが。
 ファールヴァルト王国の王都は余りにも静かで、まさかアレクラスト大陸全域で戦争が起こり始めたとは信じられないような、当たり前の午後だった。
 しかし、その開催者達はどこか沈んだ表情で、会話もあまり弾んでいなかった。
 穏やかな日差しも、それに照らしだされる風景も彼女達の目に止まっていないとさえ思えた。
 静寂を打ち破るように、悦子がぼそっと呟く。
「男の人って、どうして戦争なんかするのかな・・・」
 悦子の疑問は、恐らく誰にも答えられなかっただろう。
 その質問を投げ掛けられた騎士も、戸惑ったように見えた。
 騎士にしてみれば、戦争は言うならば仕事の一つである。それに疑問を感じる余地など無い。
 そして戦争は所詮、外交の一手段である。
 人が死ぬ、という意味では最も避けなければならない手段だとしても、現実としての厳しい国家間の利害の対立の上であれば人の命の意味は限りなく薄くなる。
 それは、眞の背負うものの重さを同時に意味していた。
 人の命など簡単に押し潰してしまう程に重い十字架を、たった独りで受け止めた少年。
 それを願ったユーフェミア自身が、その意味を嫌と言うほど思い知らされていた。
 昨年の夏までのファールヴァルト王国は、余りの貧しさからアレクラスト大陸の地図にさえ記されていない程の小国だった。その貧しい小国は、それが故に他国との抗争とも無縁で居られたのである。
 しかし、眞はユーフェミアの依頼を受けファールヴァルトをかつてとは比べものにならない程の豊かな国にしたのだ。
 それは結果として他国との交流を産み出し、そしてファールヴァルトを国際舞台の表へと引きずり出す事になった。良い意味だけではなく、軍事的な衝突さえも、それは意味していた。
 アノスとの衝突が起こる、と知らされたとき、ユーフェミアは初めて戦争と言う言葉の意味を実感したのである。
 様々な理由により、国と国とが武力による衝突をするのが戦争。
 今まで、知識としては知っていた。
 しかし、その本当の意味は・・・
「戦争も、本当は無ければ良いのです。しかし、国を治める者は国民の利益をまず最優先にしなければなりません。結果、国と国との利害がぶつかり合い、戦争へとエスカレートするのです」
 近衛騎士が淡々と言葉を紡ぐ。
 その言葉に、里香の心の中で眞の皮肉気な声が重なった。
『見てみろよ・・・。これが人殺しの手だ』
 記憶の中の眞が、里香に右手を突き出す。
 あのアノスとの紛争が終わり、ファールヴァルトへと帰還した眞が語った言葉である。
『私達の・・・所為・・・?』
 里香は、眞が自分達を護るために戦争に参加したのだと思っていた。
『いや・・・俺は、俺の責任を果たしただけだ』
 自分は騎士だから、そしてこの紛争の原因となったアノスの誤解を作りだしたのは自分だから、と眞は語った。しかし、里香はそれが嘘だと判ってしまった。
 もし、眞が彼女達を護るために戦ったと言えば、それは彼の仲間全てに責任が振りかかる。だから、眞は彼がファールヴァルトの騎士であり、その義務を果たしただけだと言ったのだ。
 そして、その少年は今、新たな戦いの場に立っている。
 里香は眞が余りにも強すぎる事に悲しい想いを感じる事を止められなかった。もし、眞があれほど強くなかったら、戦場に立つ必要は無かっただろう。しかし、眞は千年を超える鞍馬真影流の歴史の中でさえ居なかった程の才能と資質を持った戦士だったのである。
 時代と、この国が眞を政治と外交、そして戦場へ立つ事を要求した。
 その若い戦士は今、ムディールの歴史を終わらせる為の戦いに身を投じている。
 
「で、これからのプランはどうなってるんだ?」
 若い騎士が同僚の騎士に尋ねた。
 ファールヴァルトの銀の剣騎士団の若い騎士である。尤も、若者とはいえ相当な修羅場をくぐり抜けてきた実績があり、騎士隊長を務めている。
「まあ、俺達の任務はこのマハトーヤ山脈の中でムディールのタコ共をブッ潰すだけなんだがな」
 けらけらと近い年齢の騎士がからかうように答えた。
 その声に、オランとアノスの騎士団は疲れたような表情で苦笑いをして答えるだけだった。実際には、彼等もムディール軍と同じような感想を持っているだろう。
 銀の剣騎士団は、このような野戦に慣れている。
 彼等、銀の剣騎士団の騎士達は国同士の戦争よりも、妖魔や魔獣などとの戦いを経験しているのだ。はっきり言って妖魔よりもしぶといのが銀の剣騎士である。
 全員が野武士としての訓練を受け、それ以外にも様々な特殊技能を使いこなすファールヴァルト騎士は、このような状況では圧倒的な戦力になり得るのだ。
 魔法の技能を持たなくても、共通語魔法や様々な技能を組み合わせ、魔法使い以上の能力を発揮するときもある。
「私は、何ゆえに鋼の将軍が我が軍との衝突で勝利を得られたのか本当に理解できた気がしますよ」
 一人のアノス騎士がオラン騎士に感想を述べた。
 眞が魔法を使う騎士だから強いのではない。
 その眞の、天才的な采配と非常識とさえ言える命令を実際に実行できる人材がいる。だからファールヴァルトは僅かな期間で圧倒的な戦力になり得たのだろう。
「はは、ファールヴァルトに存在するのは魔法騎士団だけではありませんよ」
 一人のファールヴァルト騎士が言葉を継いだ。
「そうですね。あなた方、“ナイト・ゴーンツ”と戦う、と考えたらぞっとしますよ」
 オラン騎士の感想は、まさしくアノス騎士の感想と同じだった。
 “ナイト・ゴーンツ”と呼ばれるファールヴァルト騎士団の一部隊がある。彼等は特に夜目の利くダークエルフや妖魔達に対して編成された部隊だった。
 野武士としての能力だけで無く、盗賊ギルドの協力により徹底的に夜目が利くように訓練されている。そして、精霊魔法を扱うようにも訓練された、対妖魔戦闘の専門家である。
 現在では古代語魔法を使う人材も増え、同時にかつての宿敵であったダークエルフ達との連携により、マハトーヤ山脈を護る精鋭部隊となっているのだ。
 彼等の活躍により、ムディール軍の動向も編成もファールヴァルト軍に筒抜けとなっている。
 その夜魔達は弓銃や投剣等の手入れをしながら、その牙をムディール軍に突き立てる瞬間を伺っていた。
 彼等の牙は、アディン率いるムディール第三騎士団に向けられていたのである。
 勿論、アディンとて無能な男ではない。
 ナイト・ゴーンツの存在を知り、それに対する訓練を可能な限り自軍に施していた。
 それでも、アディンはファールヴァルト軍の恐ろしさを十分に知らなかったのである。
 単純に夜目が利くというだけでは無い。ナイト・ゴーンツ達はマハトーヤ山脈の全てを知り尽くしている。
 その真の実態を知ったとき、アディンの部隊は既に敗北していた。
 正式にファールヴァルト軍とムディール軍が開戦して三日目の夜、ムディール軍の将軍アディンは対ナイト・ゴーンツ戦で悪夢を味わう事となった。
「戦況はどうなっておるか!」
 怒号のような声で状況を確認しようとするが、完全に恐慌状態に陥ったムディール軍の兵士達は、もはやただの鵜合の衆でしかなかった。
 苦い後悔がアディンの心を捕らえて放さない。
 不意に、ファールヴァルト軍の初撃を思いだしていた。
 
「へ、ファールヴァルト軍は何時になったら仕掛けてくるんだ?」
 若い兵士が同僚と軽口を叩いている。
 正式な開戦をしたにも関わらず、ファールヴァルト軍はもう三日も仕掛けてこないのだ。
 初日と二日目こそ緊張していたのだが、それが三日目にもなると緊張の糸を張りつめていられなくなる。
 いくらなだらかな山脈とはいえ、マハトーヤ山脈を二万もの軍が超えて侵攻するのは決して楽な行為ではない。おまけに兵糧や兵器を運搬しながらの進軍である。
 ファールヴァルト軍の警戒もあり、事前に補給戦を確立できなかったのは大きくムディール軍の進軍速度に影響していた。
 膨大な兵糧と予備兵器の運搬には文字通り途方も無い労力が必要になる。
 また、それらに対する防衛力の展開も必要になるため、移動中は交戦などほぼ不可能なのだ。
 そして、当然のようにそれらに対する夜襲を警戒しなくてはならないし、それら後方支援物資に対する攻撃は当たり前の戦術だった。
 だが、ファールヴァルト軍は一向に手を出してこない。
 それが余りにも不気味に思えていた。
「どうせ、我等ムディール軍に恐れを為して手を出してこないんだろう」
 別の若い兵士もからからと笑いながらグラスの酒をぐいっと飲み干す。
 晩冬のマハトーヤ山脈は厳しく冷え込む為、酒は欠かせない飲み物だ。ましてや何時、敵からの攻撃を受けるかもしれない、という状況では酒が無くては精神に異常をきたす危険さえある。
 当たり前にあるはずの夜襲や奇襲攻撃が無い事で、却ってムディール軍の兵士達は緊張している様子だった。
 彼等は昨年の夏に起こったアノスとファールヴァルトの紛争を知っている。そして、ファールヴァルト軍が油断のならない相手だと言う事を理解している。
 だからこそ、今の状況が不安なのだろう。
 月明かりさえ殆ど無い状況では、松明だけが頼りだ。
 内心の恐怖を抑えるように、同僚に話し掛ける。緊張が解け始めてきた今のほうが、却って恐怖を感じてしまう。
「なあ、お前さ、この戦いが終わったらどうするんだ?」
 だが、その若者の問いに返事は無かった。
 慌てて振りかえる若者の目に、ついさっきまで軽口を叩いていた同僚が変わり果てた姿となっているのが映る。
 眉間を矢で討ち抜かれ、その場で男は命を終えていた。
「ヒッ・・・」
 若い兵士の背を恐怖が走りぬけ、慌てて合図の笛を口に咥えようとした。
 しかし、その決死の試みは無慈悲にも刃によって断ち切られてしまう。
 いつの間にか現れた一人の男の姿を目にした兵士は、何故か喉に焼けつくような感覚を覚えていた。
 全身を深緑色の革鎧で包み込んだ戦士の姿が、その兵士の見た最後の光景だった。
 ふと、帰りを待っている恋人の笑顔が見えたような気がした。
 糸を切られた操り人形のように力無く崩れ落ちる兵士を無表情に見て、戦士は風にように木々の間に消えていった。
 同じような異変は、ムディール軍の各地でほぼ同時に起こりつつあった。
 一斉に連絡網が絶たれ、見張りの兵士達が倒された事で、ムディール軍は完全に動揺してしまったのである。
 多少、切り開かれたとは言え見とおしの悪い森の中、それも月明かりの殆ど無い夜中に襲撃を受けるというのは圧倒的に不利なのだ。そして、ファールヴァルト軍は完全にこの森の何たるかを把握した上でムディール軍を攻撃している。
「そ、そっちはどうな・・・ぐはぁっ!」
 その非情なまでの攻撃に、次々にムディールの兵士達は倒されていった。
 流れるように長剣を操って兵士を切り倒したファールヴァルト騎士に、別の兵士が必死になって槍を突きだす。が、次の瞬間、その兵士は目を疑っていた。
 深緑の革鎧に身を包んだ騎士は、鮮やかな跳躍を見せて穂先を避けたのだ。
 慌てて槍を引き戻そうとするが、ファールヴァルト騎士はその槍の引き戻される速度よりも速く兵士の懐に飛び込み、小剣を疾らせた。
 そのまま騎士は、兵士の喉から血が噴出すよりも速くその脇を駆け抜け、次の獲物に襲いかかる。
 ムディールの騎士は、悪夢を見るような思いで圧倒的なファールヴァルト軍の攻撃に耐えていた。
 確かに数で言えばファールヴァルト軍は少ない。しかし、その背後にはオラン軍とアノス軍が控えている。
 そして、このような乱戦を引き起こすのが目的なら、少数精鋭で仕掛けたほうが有利なのだ。
 完全に浮き脚だったムディール軍は恐怖からか同士討ちをも始めていた。
 ファールヴァルト軍は夜目の利くナイト・ゴーンツによる攻撃をさらに効果的に行うため、徹底的に松明や照明を破壊していく。それが益々混乱した状況を加速していった。
 亮と英二も、この襲撃に参加していた。
 流石に初陣のため、最初は極度に緊張していたが、ナイト・ゴーンツの隊長、アドリアンは比較的楽に攻略できる場所に二人を展開させていたのだ。
 幾ら優れた素質を持つとはいえ、実戦経験の殆ど無い人間を中核部に送りこむわけにも行かない。
 だが、アドリアンは眞の推薦した亮と英二の資質を見せつけられていた。
 あの二人はとても初陣とは思えない程の戦果を上げていたのだ。
 当然だが、熟練の騎士ほどの動きはまだ出来ない。それでも、殆ど実戦慣れしていない戦士とは思えないほど的確に状況を把握し、着実に敵を倒していった。尤も、その当人達にしてみればそんな余裕など微塵も無かったのだが。
「おい! 早くこっちの奴を片付けてくれ!」
「待てよ、またやって来たぜ!」
 必死の形相で怒鳴りあいながら、亮と英二は死にもの狂いで剣を振りまわしている。
 英二は眞に頼んで転送してもらった刀を、亮は眞と共に古代遺跡の塔で見つけた大剣を操り、何とか敵を倒していった。
 二人とも相当に修練を積んだのだが、それでもこれ程の乱戦は経験した事など無い。
 当たり前と言えば当たり前だ。
 亮は戦いの技と言えば空手を習った程度、英二も鞍馬真影流の門下生とはいえ、実戦で殺し合いをする経験などあるはずが無い。
 古代王国の迷宮探索では魔法生物等と戦ったものの、人を斬ったのはムディールの者と思われる暗殺者が眞の館に侵入した時だけだ。それも、そのときはSSIVVAを身に纏っていたために、超人的な能力を発揮できた。
 だが、今は生身のままで戦っているのだ。
 SSIVVAは確かに人間の存在能力を遥かに超える戦闘能力を提供する。しかし、その代償では無いのだろうが、着用者本人の技能の成長という意味では却って邪魔にしかならない。
 余りにも強力な為、鍛錬にも経験を積むにも不向きな兵器だった。
 それでも亮と英二はその並外れた才能と資質を徐々に発揮し始め、息の合った絶妙なコンビネーションで的確に敵を斬り倒していく。
 刃が肉を切り裂く生々しい感触は意外に気にならない。余りに激しい戦闘では、そのような事を感じている余裕が無いのだろう。
 二人とも最初の五人程度までは数えていたが、後は実際に相手が死んだのか、それとも倒れただけなのか考えもしていない。ただひたすらに剣を振るい、現れる敵に向かうだけだった。
 英二の日本刀は眞の手により魔力を付与されていて、刃こぼれする事が無い。そして、亮の魔剣も魔力を帯びた剃刀のように鋭い刃が敵兵を次々に倒していった。
 以前に進入した暗殺者を斬った時はSSIVVAの機能により不快感や感情をある程度制御できたのだが、今は自力でそれらの生々しい現実とも向かい合わなければならない。
 ついこの間まで普通の日本人の少年だった彼等には酷な事だろう。
 だが、全身に返り血を浴びながら剣を振るいつづける間に、二人は不思議な高陽感を感じ始めていた。
 二人の類稀な戦士としての才能が、その本能を目覚めさせているのかもしれなかった。
 その事を自覚するよりも早く、亮と英二は目標地点にたどり着いていた。そしてそのまま支給された真紅の水晶球を取りだした。炎晶石と言う魔法の水晶球である。
 魔晶石の一種であり、炎の魔力を付与されたこの魔法の水晶球は合言葉コマンド・ワードを唱えて投げつけると、火球の術と同じように爆発するのだ。
 亮の投げた炎晶石は見事に弓やその他の補助兵器を運搬している馬車に当たり、爆発した。凄まじい豪音が暗闇の森を駆け抜けて行く。
 英二は自分達に近寄ろうとする敵兵の脚を止めるために、眠りの雲スリープ・クラウド暗黒ダークネスの呪文を唱えて脱出の為の退路を確保した。おまけとばかりに幻覚の魔法で炎の壁を創り、敵兵の混乱を後目にさっさと脱出を始める。
「さて、さっさとずらかるぞ!」「オーライ!」
 見事に任務を達成した事で、二人は軽口を叩きながら走り出した。
 走り出した二人にナイト・ゴーンツの騎士が数名、合流する。
「よう、新入り!」「お見事!」
「どうも!」
 にやっと笑いながら亮と英二に声を掛け、そのまま飛ぶように駆けだした。そして、二人の参加した初めての戦闘が終了した。
 実際の襲撃は十分程度で終了し、予定通りにある程度兵糧を奪い取って補充物資に火を掛けてファールヴァルト軍は風のように撤退していく。
 完全に混乱しきった状態で満足な消火活動が出来るはずも無く、ムディール軍の膨大な物資がそのまま灰となって消えていったのである。
 
 その後、幾度と無く繰り返されたファールヴァルト軍の攻撃により、ムディール軍第三機動師団は完全に指揮系統を失っていた。
 指揮官であるアディン将軍は、自らの部隊が完全にその戦闘能力を失っている事を痛切に理解していた。
 兵士達は完全に浮き脚立っていて、今命令された事さえ理解できない状態の者が殆どだった。その上、食料も予備兵装も尽きた状況では、騎士達さえも戦意を完全に喪失していたのである。
 もはやファールヴァルト軍に対して対抗する事は出来ない。
 このまま死ぬか、それとも降伏するしか道は残されていなかった。
 ファールヴァルト幻像魔法騎士団がこの戦場に居ないという状況も彼を不安にさせていた。恐らく、魔法騎士団はムディール本国を攻撃する為に派遣されているのだろう。
 となれば、竜や例の新兵器を導入しての大攻撃と予想される。
「決断すべきだな・・・」
 苦しげに呟く声が自分でも驚くほど大きく響いた。
 周囲に座っていた騎士達が驚きと安堵の入り混じったような表情でアディンを見詰め返す。
 アディンは穏やかな表情で騎士達を見回した。その視線を受け、騎士達はいずれも覚悟を決めたように表情を引き締める。
 その騎士達を見て、アディンはゆっくりと口を開いた。
「もはや、これまでだろう。食料も尽き、武器も無い。これ以上は戦えまい」
 アディンの言葉に、何人かの騎士ががっくりと首を落とす。
 穏やかに微笑みながら、アディンは周囲の騎士に決意を述べた。
「私はファールヴァルト軍の騎士に降伏を申し出よう。事後処理を、ウェイシン、お前に任せる」
 後任を任されたまだ若い騎士隊長は、戸惑ったような表情でアディンを見返した。
「さて、その他の者だが、これから名前を上げるものは私に付いて来てくれるか?」
 そして、ムディールの将軍は淡々と二十名の騎士の名前を呼ぶ。
「ラムドー」「は!」
「ヨーセル」「は!」
 次々と名前を呼ばれた騎士達は、澄みきった表情でアディンを見詰めた。
 指揮官が生き残っているまま、部隊を降伏させることなど出来ない。そして、このままではアディンのこれまでの武勲に泥を塗る事になる。名誉ある将軍として、捕虜になる事は恥以外の何物でもない。
 ムディール軍を率いる者として、ファールヴァルト軍に一矢でも報いなければならないし、その命の代償として部下達の安全を乞うことが可能になる。
「さて、ケリをつけに行くとしよう」
 そう言ってアディンは立ちあがった。
 名前を呼ばれた騎士達もきびきびとした動作で立ちあがり、最後の戦支度を始める。
 そして、各々の騎馬に乗って静かにファールヴァルト軍の本陣に向かって進んでいった。
 
 
 

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