~ 4 ~

 ファールヴァルト王城クリムゾン・ホーンには実は様々な客間が用意されている。
 この国が以前の貧しい小国だった事からは信じられないが、建国当事はそれほど貧しい国ではなかったのだ。
 だが、時代を経るに従い、ファールヴァルトという国自体が貧しくなり、時代から取り残されていったのである。
 異世界からやって来た勇者達がいなければ、この国はまもなく歴史から消えていただろう、とこの国の文官からさえ言われていた。
 まさか、そのような国に自分達がいようとは・・・
 そうケバケバしい法衣に身を包んだ僧侶、信じがたいことだったが、れっきとしたオランのラーダ神殿の僧侶である、はぼんやりと考えていた。
 異様なまでにきらびやかな法衣を着た僧侶、グイズノーはファールヴァルト特産の香草茶を飲みながら隣で居心地悪げにしている少女に話し掛けた。
「どうしたのですか、レジィナ。折角のお茶が冷めてしまいますよ」
 突然、話し掛けられて、レジィナと呼ばれた少女が驚いたような声で返事をした。
「あ、うん。なんだか、もったいないような気がして・・・」
「いけませんねぇ。出されたお茶はきちんといただくのが礼儀ですよ。ですねぇ、フィリスさん」
 そう言いながらもグイズノーはちゃっかりと高価なお茶菓子までむさぼる。
 だが、レジィナはどうしてもこのような高価なお茶と御菓子を平然と食べることは出来ない。
 何しろ、この目の前のお茶一瓶の価格が時価、およそ85万ガメルもする最高級品の代物だ。
 最高司祭に頼めば、死者を蘇らせて、なおかつその人をかるく数年は養える金額である。
 庶民どころかそこらの貴族では一生縁の無い代物だった。
 お茶菓子も、一つ数百ガメルもする逸品である。
 それをがっつけというのは、貧乏性が身に付いてしまったレジィナには拷問にも等しいだろう。
 もっとも、アノスの上級騎士であるアーチボルトと、ファリス聖騎士のクレア・バーンロードの仲間である彼等には当然のもてなしとも言える。
 レジィナが見ると、フィリスは平然とその馬鹿高いお茶をいただいている。あろうことか、金貨の代わりにも使えそうなお茶菓子を、使い魔のぶち猫にも食べさせていた。
「ま、流石にお茶の産出国だけあって、おいしいお茶を出してくれるわね。それに、お茶にあわせた御菓子も見事ね」
 などとほざいている。
 もう一人、グラスランナーのパラサは退屈そうに部屋の中をうろうろと歩き回っていた。
「アーチーはまだにゅう?」
 へんな訛りである。
 心底から退屈しきったパラサがぼそりとつぶやいたときに、扉が開いた。
 だが、そこには誰もいない。
「スイフリーだにゅう」
 そうパラサがつぶやいた瞬間に、一人のエルフが突如、姿を現した。
「またお前達は・・・」
 そう呆れたような声を出す。
 仲間達が高級菓子を贅沢に食い散らかしているのを見て、余りの意地汚さに辟易してくる。
 特に、きんきんの法衣に身を包んだ破戒僧は・・・
 両手に高級菓子を握りしめ、口をもぐもぐさせている姿は、この上なく卑しい。
 これが知識神ラーダに仕える司祭かと思うと、神を信仰するという概念を持たないスイフリーさえもラーダが哀れに思えてくる程だ。もっとも、この破戒僧にさえ神聖魔法の力を与えているのだから、神の心は広く深いのだろう。
 自分だったら、とっくの昔に蹴り倒している。
 そう思いながら、スイフリーは見てきたことを話し始めた。
「会議の内容だがな、この国の連中、本気でムディールをやる気でいるらしい」
「げぇぇぇ~~~っっっ!!!」
 その下品な声はレジィナである。
 他の仲間達は「隣の子供が泣いている」という話を聞いたような顔しかしていない。
「まぁ、考えられない訳で無かったですからね・・・」
 グイズノーもぼそり、と答えた。
「それに、今回はムディールに非があるわ」
 フィリスも醒めた声で答える。
「だからこそ、カイタルアード王も私達に依頼をしたのでしょう?」
 面白そうな声で、スイフリーに告げる。
 スイフリーも苦笑しながら答えた。
「まあな。ファールヴァルトが征服されてしまった場合、オランは強大になったムディールと直接国境を接することになるからな」
 沈黙の間で語られたオラン王の言葉が思いだされる。
『我がオランは直接、ムディールと国境を接するわけにはいかん。ファールヴァルトの持つ知識と力を手に入れた国は、世界を統べる可能性がある故にな・・・』
 ファールヴァルトがオランやオーファンといった国から信頼されている理由は、実は鋼の将軍にある。
 知識と力を御する人材がいるのと、頻繁に外交を繰り返すことで、国としての信頼を築き上げているのだ。
 留学生を多く受け入れ、直接ファールヴァルトを知る人間を生み出すことで、誤解と不理解を避ける。これは国の機密をある程度公開することで逆に信頼を得るという高度な政策である。
 だが、万が一野心を持った大国がファールヴァルトに侵攻した場合、これらの政策が継承されることは考えにくい。
 その為、オランもファールヴァルトを援護することを決定したのだろう。
 オランも騎士団を派遣する準備は出来ている。
 すでに騎士団二千騎が王都を発っているはずだ。
 そして、アノスもこのファールヴァルト王国で共にムディールと戦うことになっている。
 言わば、汚名返上の機会を与えられたという事だ。
 そして、オランの車輪騎士団とも共同で戦う事で、オランとも信頼関係を回復するための計らいだろう。
 単純に軍事力で言うならば、アノス騎士団の援護を受けるだけで十分にファールヴァルトを防衛できる。だが、眞は敢えてオラン騎士団の出撃を要請してきたのだ。
 オランが参戦することで、他国への牽制にもなる。
 そして、同時にアノスとのファールヴァルト防衛のための合同戦線を張ることで政治的にも大きな役割を得られる。
 互いに命を預けあった信頼関係は大きな意味を持つのである。
「・・・という訳だ」
 スイフリーが感心したようにファールヴァルトの策を評価した。
 他国の騎士団をこの非常時に自国領土内に入れると言うのは、実は想像を絶する恐怖を伴う。
 だが、あの鋼の将軍はそれを平然と提案した。
 アノスには名誉挽回の機会を与えながら、オランにはそのアノスに対する信頼回復を図って。
 逆に、オランはアノスに対する保険でもあるだろうし、アノスの侵略行為を非難したオランは、そのアノス軍の手前、おかしな行動は取れない。
 そのような『読み』が働いたとしても、スイフリーから見てさえ、とんでもない方法だと思う。
 だが、ファールヴァルト単独でムディールを撃破した場合、隣国全てがファールヴァルトのことを脅威と考えるだろう。
 それは鋼の将軍にしてみれば面白い状況ではないはずだ。
 だからこそ、オランとアノスを確実に味方にする必要があったのである。
「まあ、鋼の将軍だからこそ考えられたやり方だろうがな」
 そうスイフリーが感想を述べた。
「誉め言葉と受け取らせてもらうよ」
 突然のその言葉に、その場にいたバブリーズの面々は飛びあがらんばかりに驚く。
 声のした方を見ると、何時の間にか一人の少年が壁にもたれていた。
「鋼の将軍・・・」
 スイフリーが驚愕からかろうじて立ち直り、呟いた。
 扉は完全に締め切っていたはずだ。
 もし、扉を開けたなら必ず気付く。
 考えられる方法はただ一つだけ・・・
「将軍も人が悪い。まさか、付けられていたとは気が付きませんでしたよ」
 スイフリーは額に汗をかきながら眞に話し掛けた。
「はは、悪い。会議に姿を消して忍びこんでいたからな、ちょいとばかり驚かせてやろうと思ったんだ」
「ずいぶん驚かされましたよ」
「全然気が付かなかったにゅう~」
 グイズノーとパラサがようやく衝撃から立ち直った。
 実際に、一番実力が劣るグイズノーならともかく、パラサとレジィナが忍びこんで来た眞に気が付かないとは・・・
 レジィナは、まだ若いが大陸でも有数の戦士である。
 それにパラサも、やはり大陸屈指の盗賊だ。
 パラサはオランなどの大国にある盗賊ギルドの幹部とさえ互角にやってのけるほどの使い手でもある。そのパラサが気配をまるで感じ取れなかった。
 目の前の少年は、信じがたいほどの実力を秘めていることになる。
「すごいにゅう~」
 パラサは思わず感心してしまっていた。
 恐らく、会議が終わった時、部屋を出ようとしていたスイフリーの後を付けて来たのだ。
 パラサが気配を感じ取れなかったのも頷ける。
 まるで意識させないが、身のこなしに隙が無い。
 恐ろしいまでに自然なままで、それと感じさせない程さりげなく隙を見せている。
 だが、それはあくまでも自然体だ。
 斬りかかれば、その瞬間にその愚か者は屍になっているだろう。
(なるほど、これ程でも無ければ、魔法騎士団や竜を従えることは出来ない、ということか)
「さて、と。君達に話があるんだけど」
 まるで友人に話し掛けるように眞は話し始めた。
「現在、我が国はムディールと開戦状態にある。そこでだ、君達にムディール軍を撃破する為の手助けをしてもらいたい」
 スイフリーは一瞬、言葉に詰まった。
「・・・例の迎撃部隊の話ですか」
 ファールヴァルト軍は、ムディールとの戦いで、彼の軍がマハトーヤ山脈を超えてくることを事前に察知している。
 だからこそ、正規部隊だけでなく冒険者を束ねた傭兵隊を運用することを考えている。
 元々、ファールヴァルト騎士団は野戦に慣れた騎士団だ。
 魔獣と戦わなければ国が瓦解するような状況で、冒険者風の戦い方にも慣れている。
 そんな連中だから、魔法騎士団なるものを平然と受け入れられるのだろう。
「いや、別件だ」
 眞は少しだけ表情を引き締めてバブリーズの面々に向かって告げる。
「君達には、このファールヴァルト王国軍を中心としたムディール攻略部隊として動いてもらいたいのさ」
 その言葉を聞いて、スイフリーは“おや?”という印象を持った。もちろん、おくびにも出さないが。
 だが、鋼の将軍は、にやり、と笑って言葉を続ける。
「当然、アノスの騎士団にもムディール攻略に参加してもらうんだが、生憎とアノス・オランの両騎士団ともファールヴァルト流の戦い方には慣れていないだろう。だから、的確なサポートをする要員が必要なんだ」
 スイフリーはその考えが良く理解できた。
 どう考えても、アノスの騎士だけでなくオラン騎士も、冒険者流のやり方が得意とは思えない。だからこそ、冒険者の流儀で行動が取れる騎士と、その仲間が重要な意味を持つのだ。
 そして、それは今回、数を揃える事の出来る防衛隊よりもむしろ、少数精鋭を基軸とする攻略隊の方にこそ向けられるべきだろう。
 それ故に、バブリーズに対して依頼が来たのだ。
 しかし、スイフリーには心配な点もあった。
「ですが、将軍。我々が動くとなると、一つだけ問題があります」
 その言葉は、ここ数年続いているダークエルフとのトラブルを指している。
 だが、眞は軽く微笑んで言葉を返した。
「ダークエルフとの一悶着だろう? それに関しては問題無い」
 流石にその言葉にバブリーズの面々は驚いてしまう。
 特に、ダークエルフとのトラブルがあるという事と、その仲裁が出来るという事で二重の驚きが面々を駆け巡っていた。
「問題無い・・・とは?」
 グイズノーも驚きを隠せないまま、眞に尋ね返す。
 眞は平然と言葉を返した。
「ああ、俺がそのダークエルフと話を付けてやれる」
 その眞の言葉に、バブリーズの面々は驚きを隠せなかった。
 ダークエルフがそう易々と和解に応じるとは思えない。そもそも、様々な問題事を引き起こしつづけている自分達、それもまがりなりにも聖王国アノスの騎士であるアーチボルトがいるバブリーズと、闇に従うダークエルフが和解など出来るのであろうか?
「まぁ、俺はあの“光の真理”の連中と一戦やらかしてるからな」
 だから、ダークエルフからも接触があったのだ、と眞は付け加えた。
 そして眞はダークエルフと一つの盟約を結んでいる。
 ファールヴァルトとしては、ダークエルフや『闇』の存在を否定しない。その代わり、彼等からも人間などの生活に干渉しない、という盟約である。
 ダークエルフの長老も、それは認めていた。
 彼等が世界征服などの企みを考えるのも、闇の本質である以上に、彼等自身が弾圧され続けてきたからでもある。眞は、彼等の存在を認める代わりに、自分達に対する干渉も行わない、という黙認しあう関係を築き上げたのだ。
 その信頼の証として、密かにダークエルフ達は優秀な精霊使いや密偵達をファールヴァルト王国に仕官させている。
 確かに最初こそダークエルフだと言う事でファールヴァルトの騎士や貴族達は警戒し、露骨に嫌悪感を示したのだが、眞は辛抱強く両者の相互理解に勤めたのだ。
 その結果、最初の嫌悪感を乗り越えてそれなりの信頼関係を築き上げつつある。
 元々、ファールヴァルトは魔境と魔境の狭間に国がある、等と言われていた国なのだ。まだ話し合いが出来るだけダークエルフはマシな相手であった。
「まあ・・・あの連中とすっきりするなら、有難いですが・・・」
 スイフリーは少しだけ顔をしかめた。
 もちろん、彼等との問題が解決するなら問題は無い。だが、普段から「白粉を塗ったダークエルフ」などと揶揄されている彼にしてみれば、ダークエルフとは心情的に仲良くはしたくない。
 そのスイフリーの表情を見て、眞も苦笑を隠さなかった。どうやら噂は聞いているらしい。
「とりあえず、命を狙われなくなるだけでもマシじゃないかな?」
 眞が軽い口調でスイフリーに言葉を返した。
 何はともあれ、バブリーズはこれ以上ダークエルフを警戒しなくても済むようになるのだ。
 有難い話である。
 ぎこちない笑みを浮かべて、顔を合わせるバブリーズの面々だった。
 
 その頃、眞が抜け出した謁見の間では、ルエラとランダーが四苦八苦しながら周囲の者達と話を合わせていた。
 そもそも、会議が終わったとはいえさっさと部屋を抜け出すのは主催者側としてはマズイ態度であるが、眞にはそれをしなければならない理由があったのである。
 バブリーズの協力を取り付けなければならない為、忍び込んだスイフリーを追いかけて姿を消して部屋を抜け出したのだった。何人かの他の出席者も、スイフリーの存在に気付いていた為、彼等のフォローもあって何とか混乱は避けられていた。
 とにもかくにも、会議の後で開かれている宴は華やかに進められている。
 各国の重鎮達には、ファールヴァルト王国の戦略を十分に説明して理解を得られた感触があった。
 ルエラはアノス王国の騎士達に声を掛けて、この宴の後で先の紛争で捕らえられたアノスのファリス修道女達との面会を伝えていた。
 眞から貰った懐中時計を取り出し、告げられた時間を確認する。
「シオン卿、もうそろそろお時間ですが・・・」
 ルエラに告げられて、シオンは微かに頷いた。もう既にアノス騎士達には話を通してある為に、順調に用意は整っている。
 もっとも、引き合わせられる事の出来る修道女達は、眞が引き取ったり騎士達に引き取られた者達だけであったが・・・
 また、全開の紛争で死亡したアノス騎士達の娘達も多くいる為に、親や家族に引き合わせられない修道女達もいるのだ。家族と会える修道女は、運が良いと言えるだろう。
 明暗を分ける結果となっているが、それでも何もしないよりは良いはずだ。
 宴はもう既に、自由に楽しむ段階になっている。
 ルエラはアノス騎士団を引き連れて、眞の館に転送する為に月の門を開く地下室へと向かった。
 D.E.L.を展開し、眞に連絡を取る。
【眞、こちらの準備は整ったわ。地下の門からそちらに移動するわね】
【ああ。俺も戻るよ】
 だが、眞の声音は微かな苦悩を帯びていた。
 いつかは修道女達にも家族に会わせてやりたかった。しかし、アノス騎士達を殺した張本人である自分が立ち会うのは流石に気が重い。
 結局、眞は最初の一瞬だけ姿を見せて、後はルエラが立会いをした。
 誰よりも家族の絆の重みを知っている筈の自分が、戦争の代償とはいえ、数百もの家族を引き裂いたことが許せなかった。
 隣の部屋から聞こえてくる声に、眞は心を閉ざしてこれ以上深く考えないようにする。
 必要以上に考え込むと、今後の軍事作戦に影響が出てしまう。だから、眞はマインド・セットを『緒方眞』から『鋼の将軍』に切り替えた。
 心の中で吹き荒れていた感情が、どこか他人事のように遠く感じられるようになり、そして完全に切り離されて行く。
 そのまま眞は今後の作戦展開をシミュレーションし始めた。
 おそらく少なくない数のアノス騎士達が危険に晒される事になる。その内の何人かは帰らぬ人になるだろう。だが、その犠牲を計算に入れて必要な人数と物資、作戦展開を検討しなければならない。
 D.E.L.を展開して総合司令部にいる担当者とムディール軍の現時点での動向と今後の予測を行う。同時に、フレイアとコンタクトを取って予測が適切かどうかの評価作業を行い始めた。
 不意に扉が開いて、悦子が現れる。
 だが、悦子は眞が完全な無表情で書類を手にしているのを見て、眞が既に臨戦態勢に入っている事に気が付いた。
 微かな哀しみが悦子の胸を締め付ける。
 眞は自分の責任を遂行するために、完全に心を殺してしまっているのだ。
 ふと、悦子は自分達がまだ東京にいた頃のことを思い出してしまう。
 あの頃、理由は違うが、やはり眞は完全に無表情な少年だった。
 それは周囲に心を閉ざしていた為・・・
 僅か半年前の夏休み、悦子は行方を眩ませた眞を追ってあちこち駆け回った。
 眞が姿を消した理由は、まだわからない。
 ただ、一つだけ言えるのはその前後を境にして、眞が急に変わり始めたという事だ。
 あの日、たまたま乗り合わせた電車で見てしまった眞の憎悪に満ちた眼差し。悦子は眞のそのくらい瞳の輝きに強い恐怖を感じた事を覚えている。
 眞は、自分の心さえ完全にコントロールする術を身に付けていた。
 余り豊かではないとは言え、感情を完全にコントロールして自分の意思の制御下に置いて、まさにコンピュータのようになりきってしまうマインド・セットを編み出しているのだ。
 完全な戦士になるために、眞は普段の優しい少年から無感情な殺人機械になりきってしまう。
 悦子にはそれが余りにも哀しい姿に見えていた。
 眞は必死になって完璧な魔法戦士として戦場に立とうとしている。
 剣も魔法も、全てを極めて何者にも勝る究極の戦士となるために、眞は自分の心さえも捨て去ろうとしているように見えてしまう。
 悦子だけではなく、眞の周囲にいる全ての人達が心配している事でもあった。
 眞は余りにも欠点が無さ過ぎるのだ。
 剣に於いても、魔法にしても、眞は恐るべき才能と資質を持っている。そして政治家としても、賢者としても、そして軍人としてもこれ以上は望めないほどの人材である。
 だが、その余りにも恵まれすぎた才能は、却って眞を苦しめているのではないだろうか。
 恐らく眞の過去が、眞自身を完璧な存在にしようとしているのかもしれない。
 誰かに安心して弱さを見せられなかった記憶が、今に至っているのだろう。他の人に頼ってもらうには、自分には欠点があってはならない、と考えているのか。
 眞はかつて、緒方眞という存在が必要とされる為には、その利用価値を最大限に評価されなければならない、と言った事がある。
 その為には絶対に欠点を見せられないのだろう。
 人付き合いの下手な眞は、今まで誰にも弱さや欠点を安心して曝け出せなかったのだ。未だ眞は本当の意味での人と一緒にいることの意味を知らない。
 ただのプラス・マイナスの関係は、信頼関係ではない。
 欠点を知って、それでも一緒に居たいと思う。そんな関係こそが人間同士の繋がりなのだ。
 だが感情が希薄で、かなり特殊な幼年期を過ごしてきた眞にはそれを学ぶチャンスが無かったのかもしれない。
 悦子は、これからゆっくりとその事を眞に知ってもらいたいと願っている。
 このフォーセリアにやって来たばかりの頃、眞は殆ど表情を見せなかった。それが、ランダーの館で過ごしている間に、ぎこちないものの笑顔を見せるようになってきた。
 眞の感情の無さが先天的な障害だという事が判っても、悦子達は眞にもっと表情豊かな人間になって欲しいと思っている。
「ねえ・・・眞・・・」
 一瞬の沈黙に耐えかねたように、悦子は眞にそっと呼びかけた。
 眞はその声に顔を上げる。全く無表情だったその顔が微かに変わった。
「悦子、どうしたの?」
 悦子は思わずその優しい声音に泣き出しそうになってしまう。
 再び、あのような殺し合いで眞が傷付くのが怖かった。眞は恐るべき力を持った戦士ではあるが、同時にまだ16歳の少年なのだ。
 眞にもっと普通の少年のような心を持って欲しい。しかし、それは今以上に眞を苦しめる事に繋がりはしないか、という不安もある。
「何で泣きそうな目をしてるんだ?」
 いつもと違う悦子の様子に、流石に不審そうに尋ねた。
 だが、悦子は何も答えずに眞にしがみ付く。
 何も言わずに抱き着いてきた悦子を、眞は優しく抱きしめて髪を撫でた。そのまま悦子は体重を眞に預けて力の限り眞を抱きしめる。
「眞・・・お願いだから、帰ってきてね・・・」
 眞が戦いつづける限り、その心が傷付くのは避けられない。だが、せめて傷付いたままでも自分達の許に帰ってきて欲しかった。
 傷付いたなら、その傷は癒す事が出来る。
 例え耐え難い記憶でも、その痛みはいつかは薄れていくものだから。
 戦場で休める事の出来ないその鋼の翼を、せめて休める事の出来るだけの場所にでもいいから、そうなりたかった。
 だから、悦子はその全ての想いを込めて眞に帰ってきて欲しいと告げたのだ。
「・・・うん。絶対に、帰って来る」
「約束だよ・・・」
「約束する」
 はぁ、と息を付いて悦子は眞の顔を見上げた。
 そして、そっとその笑顔に口付ける。
「眞、みんな眞が大好きなんだよ。だから、ここが眞の帰ってくるべき処なんだからね」
「ああ。俺は死んだりしないよ」
 眞は再び悦子を抱きしめて、二人はそっと抱擁を解いた。
 これからまた戦いが始まる。
 だから、戦いが始まるまではいつもの自分でいようと眞はふと思った。
 戦士としての自分は、戦場でのみ存在すれば良いのだから。
 
 
 

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