~ 2 ~

 だが、実際問題として眞が竜の狩りに割く事の出来る時間は限られていた。
 政治がらみの問題だけでなく、軍事的にも将軍が不在という状況は決して好ましいものでは無いからだ。
 もう嵐の暴君を捕らえる為にこの山岳地帯に入り込んでから一週間以上経っていた。
 恐らく、この竜を捕らえる為に費やせる時間は、あと3日程度だろう。それ以上の時間は、ファールヴァルトの政治的、軍事的動揺を招きかねない。
 強力な軍備を整えつつあるファールヴァルト王国だが、その急激な拡大にまだまだ人材が追い付いていないのが現状なのだ。
 そんな中で実質的な政治、軍事面での柱の一人である眞が長時間王都を離れるのは危険でしかない。事実、元プリシスの貴族達は眞に対する批判の声を隠していない。
 だが、眞は彼らに対して何の感情も抱いていなかった。
 彼らは知らないだけなのだ。
 現在、フォーセリア、そして彼がやってきた世界“ユーミーリア”に訪れつつある危機を・・・
 それゆえに眞は焦りも感じていた。
 今、研究している“新兵器”も、早急に片をつけなければならない。
 その為にも可能な限り迅速に、嵐の暴君を捕らえる必要があるのだ。
 もっとも、その内心に秘めた策略は誰も知る事は無い。
 極限られた人間以外には・・・
「早く片付けて帰ろうぜ」
 その内心に秘めた想いを微塵も見せずに、眞は仲間に告げた。
「お前ねー、あの化け物をどうする気なんだ?」
 亮があきれたような声をだす。
「古代語魔法にゃ便利な呪文があってな」
 そう言って、眞は自分の考えを告げていった。
 
 竜には奇妙な性質がある。
 普通、幻獣や魔獣と呼ばれる存在は生存の為に食事をする必要がない。彼等が食料を必要とする理由は明らかになっていないのだが、賢者達は空腹から理性を失う事を防ぐ為に食料を得ているのだろう、と考えていた。
 だが、竜は不思議な事に“戦士”、しかも人間の戦士が居た場合、他に食料となり得る人間が居ても最初にその戦士に襲いかかろうとする。
 賢者達は、それは竜が神々の時代に起こった最終戦争で生き残ってしまった為だろう、と考えていた。真相は明らかではないが・・・
 人間が神の姿を受け継いでいるからだ、という話もある。
 しかし、竜はその事には沈黙を破ることなく、真実は彼らの心の中に秘められているのだろう。
 眞はそれを応用しようと考えていた。
 わざと、あの竜の狩場に出向けば必ず奴は現れるはずだ。
 そして、それが戦士ならば、ましてや神々と同じ『言葉』を操る魔法戦士ならば、間違い無く襲いかかってくるだろう。
 眞はそう確信していた。
 だが、眞には恐怖は無かった。それよりも抑えきれない戦士としての本能がその『力』を解き放つ事を、その狂おしいまでの戦いへの欲望を感じていたのだ。
「ぜってー、あいつを捕らえてみせる・・・」
 そう呟いた眞を見たランダーは、この少年があの竜を捕らえることを確信した。それは英二も同じだっただろう。
 
 次の日、眞は嵐の暴君が良くやって来る狩り場に向かった。
 眞の考えは、とりあえず逃げ場が無いようにして、竜を捕まえる気でいた。
 まず、眞はあの竜の魔法を封じるのだ。そして後は行動を封じてから力尽くで叩きのめすつもりだった。ただし、この場合はやり過ぎないようにしなければいけない。
 暫く時間が過ぎて、遥かな彼方からあの竜独特の風を切って飛ぶ音がした。その音はまだ距離があるようだったが、見る見るうちに近づいてくる。
 そして、視界の彼方に嵐の暴君が現れた。
 巨大な体躯だ。
 白金色の鱗に包まれたその巨体が近づいてくる。ゆっくりした速度に見えるが、実際にはとてつもない速さである。
 蛇のような首と尾が太い胴から生えている。そして逞しい四肢。背には普通よりも大きな蝙蝠のような翼があった。鹿のような鋭く枝分かれした角が頭に左右一対ある。そして、額からは剣のように伸びた一本の長大な角。透き通るような純白の体毛が全身を包んでいた。
 その大きさは小さな館ほどの大きさがある。
 恐ろしいその姿は、しかし何処か美しさも兼ね揃えていた。
 それ故、人は竜のことを「最強にして華麗なる幻獣であり魔獣」と呼ぶのだ。
 その竜が恐るべき速度で眞に襲いかかろうとしていた。
 眞はその姿に圧倒されながらも、冷静に魔法を準備し始める。
 竜の喉がかっと膨らみ、炎を吐く。
 しかし、その直前に眞の呪文が完成していた。
 眞はその灼熱の炎の中、平然と立っていたのだ。
 眞が唱えた呪文は<魔法障壁マジック・シェル>の呪文だった。これは、魔法の働きを阻害し、特に攻撃呪文から対象を守護する呪文である。この効果は竜などの吐く炎にも有効なため、実用的な防御呪文だった。
 そして、眞は次の呪文を唱える。
“マナよ、我が指し示す者より全ての魔力を奪え!”
 嵐の暴君は思いがけない強力な魔力で自らに呪文がかけられたのを感じていた。
 抵抗し切れなかった。
 竜は当たり前のように、<魔法解除ディスペル・マジック>の呪文で解除を試みる。
 しかし、魔法が発動しなかった。
 呪文は唱えられたはずだ!
 思わぬ事態に、嵐の暴君は驚愕した。
 考えがたい事だった。竜は激しく暴れて、魔力の束縛から逃れようとした。しかし、ことごとく魔法は封じ込まれてしまっているのだ。
 そして、眞はこの竜を地上に引きずり落とすための呪文を唱えた。
“奇跡の源、万物の根源たるマナよ、見えざる鎖となり彼の竜を地上に繋ぎとめよ!”
 その瞬間、嵐の暴君は再び自分に強力な魔法がかけられたのを感じていた。必死になって魔力を高めて抵抗しようとしたが、今度もその強靭な精神力をあっさりと打ち破って人間の呪文は彼を捕らえていた。
 次の瞬間、嵐の暴君の巨体は地上に何か巨大な力で引きずり落とされた。
 首に見えない鎖でも着けられたかのように竜の巨体が地上に叩き付けられる。
 眞の唱えた<見えざる鎖トランスペアレント・チェイン>の呪文が、嵐の暴君を地上の巨岩に繋ぎとめたのだ。この魔力の鎖は巨人の力を以ってしても切れる事は無い。そして、魔法で逃れる事が出来ない以上、嵐の暴君にこれから逃れる術は無かった。
 怒りに燃える目を向けて、人間のひ弱な精神を砕こうと咆哮をあげる。
 しかし、その咆哮に秘められた魔力は、なぜか目の前の人間には通用しなかった。
 そして、次の瞬間、崖の上から数人の人間が現れた。
 その中の三人は、驚いた事に鷲頭の獅子グリフォンに乗っている。
 大地に縛り付けられた竜を取り囲むかのように、やや距離をおいて円陣を組んだ。
 眞は紫雲を抜いて、ゆっくりと竜に近づいていく。嵐の暴君はその姿に緊張した。
 そして、小さな人間が手の届く距離に届いた瞬間、目にも留まらぬ速さと鋭さで右の鉤爪を振るう。だが、その全力の一撃さえ目の前の人間はあっさりとかわしていた。
 眞は、目の前の竜が怒りに燃えた目で睨み付けているのを知っていた。だから、当然、攻撃される事も予想していたのだ。
 眞の業前を以ってしても辛うじてかわせた程の鋭い一撃だった。
 しかし、その必殺の一撃をもかわされた事で、流石に嵐の暴君は敗北を意識していた。
 目の前の魔法戦士は、老竜として最上位の自分を、その魔力で完全に屈服させていた。そして、戦士としても、自分の全力の一撃で捕らえられなかったのだ。
 彼は知っていた。大半の人間は、取るに足らぬ存在だという事を。しかし、その人間の中には時として神にさえ匹敵する『強さ』を持つものがいる事も知っていた。
 そして、目の前の人間、まだ子供とさえ思える若い人間に惹かれていた。それ程のまだまだ未熟な人間が自分をひざまづかせているのだ。
 竜の本能が、目の前の人間の強さを告げていた。そして、その強さがまだまだ伸びていくであろう事も。
 おもしろい・・・
 嵐の暴君は、彼を屈服させた人間に『強さ』を感じていた。
「人間の子よ・・・」
「何だ、嵐の暴君」
 眞は目の前の竜が語りかけてきた事に微かな驚きを覚える。
 既に竜の目には怒りは無かった。
「汝の力、偉大なり・・・」
 竜は、深く息をして眞に決意の言葉を告げた。
「我の力、汝のものだ。我に名を与えよ、そして我を汝のものとなせ・・・」
 眞は驚いていた。
 これからどうやって目の前の竜を従えようかと思っていたのだが、どうやらその心配は要らないようだ。
「よし、汝の名は“ヴァンディール”だ。この名を汝に与える!」
 その瞬間、竜は主を得ていた。
 長い刻の中で、彼は待ちつづけていたのだ。自らを騎馬とする英雄を。
 その永劫にも等しい時の中で、ついにその英雄が現れたのだ。
 主となった人間が呪文を唱え、彼を戒める全ての魔法を解き放っていた。
 その瞬間、彼は天空に向かって吼えた。
 神々全てに、今自らが主を得た事を告げるかのように、そして感謝するかのように・・・
 
 
 

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