プロローグ#1 ~ フォーセリア 524年 ~

 深い闇の中。
 時が凍りついたかのような空間だった。
 もうどれほどの時間、ここが閉ざされているのかはこの部屋にひっそりと存在するおびただしい数の様々な物しか知らないだろう。
 その、想像を絶する静寂の時間は、ついに破られた。かつて、この宮殿を照らしだしていた魔法の光と同じ魔法の光によって。
 しかし、その光は決してかつてのそれではありえなかった。なぜなら、その光が宮殿を照らしだしていた時代は五百年もの時間の彼方であり、現在ではその王国は既に滅び去っていたから・・・
「おお・・・素晴らしい・・・いまだに、これ程まで完全な状態の遺跡が残されていたとは・・・」
 感嘆の声が響く。
 もう、老人、と呼ばれる歳になって久しい男の声だった。
「素晴らしいですわね、導師様」
 美しく響く若い女性の声が老人にかけられた。
 導師、と呼ばれた老人は嬉しげに頷き、声の主にゆっくりと振り返った。
「まったくだ、これで私の研究も一つの峠をこえるだろう」
 老人の振り返った先には、美しい女性がいた。
 まだ少女の面影が残る、まるで大地の妖精ドワーフの創り出した彫像に命を吹き込んだかの様に美しい女性だった。
「ええ、もちろんですわ」
 にっこりと心底より嬉しげに微笑む。
 その女性は驚いたことに魔術師の長衣を纏い、賢者の杖を携えていた。
 部屋に残された膨大な数の芸術品や古代の魔術書を手に取り、想いを巡らす。
「ルエラ。もう10年になるな、お前が私の元にやってきたのは」
 ルエラ、と呼ばれた女性は懐かしげに目を閉じた。
「そうですね、時間がたつには早いものですわ。ジェルマ-導師」
 彼女はにっこりと笑い、答える。
 その答えから、ジェルマ-はその百年近い人生を思い出していた。
 もう、何人の弟子が彼の元を巣立ち、自分の道を歩んでいっただろう。
 彼らは、それぞれ立派に自分の道を生きてくれている。
 そのことを嬉しく想い、そして、自分がもう何年も生きられないであろう事を寂しく思った。
 自分が死ぬ事が怖い訳ではない。しかし、二つの気掛かりがあった。
 一つは、自分の研究の事である。
 自分の研究が完成するか、成功したとしてもそれがもたらす未来を知る事無くこの世を去るだろう、という事だった。
 そして、もう一つは、目の前の若い女魔術師の事である。
 ルエラは、確かに優秀な魔術師だ。しかし、まだ十八歳の彼女を残しては逝けなかった。
 いくら優秀な魔術師でも、いや、だからこそ若い彼女を世間に放り出すのは酷なことだと思う。
 そのジェルマーの思いを知ってか知らずか、ルエラは目を輝かせて遺跡を見回している。
 確かに、この遺跡は素晴らしいものだった。
 ジェルマーは、その思いを断ち切り、遺跡を調べはじめる。
 今、二人がたたずむ部屋でさえ、古代の貴重な遺産が、ほぼ無傷でその姿を光の中に表していた。
 この遺跡は、おそらく古代王国も末期、それも滅亡直前の時代のものだろう。
 何故、偉大な魔術師達の王国、カストゥ-ル王国が滅亡したのか。
 その謎はもはや解くことのできぬものとなり、時の彼方に埋もれてしまったのだろう。
 神々の時代の真実を彼が知ることが叶わぬように・・・
 遺跡を廻りながら、ふと物思いに捕らわれていた。
 神々も、古代王国も、力ある発展した者たちはいずれも滅んでいった。
 ならば力とは、発展とは何なのか・・・
 沸き上がる微かな悲しみを振り払い奥へと進んでいった。
 そして、突如彼らは巨大な空間に出て、その瞬間に二人は想像を絶するものを目の当たりにしその場に立ち尽くした。
「ジェルマー導師、これは一体・・・」
 そこには、途轍もない巨大な魔法装置が設置されていた。
 巨大な水晶球のコアを中心にドーナツを水平に輪切りにした様な、おそらくは操作台であろうテーブル、それを取り巻くように設置された膨大な数の柱があり、それらの上部に設えられた途轍もなく巨大な『塔』のような部分等により構成されている。
「何だ、これは・・・」
 さすがのジェルマーも見た事はおろか、聞いた事もない不思議な魔法装置だった。
 ただ、さすがに暫く装置を観察しているうちに、この魔法装置の核の水晶球には非常に強力な『物見』の魔力が付与されていることを突きとめた。
 その魔力は非常に強力で、恐らく異世界さえも見通す事が出来るだろう、ということも。
 古代の魔術師は、この魔法装置を用いて一体どのような活動を行っていたのだろうか。
 興味に駆られてジェルマーは、思わず魔法装置の操作台にはめ込まれている小さな水晶球に触れてしまった。
 その瞬間、ヴゥゥゥン・・・・という不気味な音が響きはじめる。
「な、何が起こったのですか、導師」
 ルエラが、怯えた表情でジェルマーに駆け寄る。が、二人には判っていた。
 この謎の魔法装置が作動したのだ。
 装置にはめ込まれていた魔晶石が激しく明滅し始め、水晶を薄く切りだして磨き上げた板に意味の判らぬ表示が次々と映し出される。
 暫く操作しているうちに、この魔法装置のだいたいの機能が理解できてきた。
 この『塔』は世界のあらゆる場所を映し出すことの出来る魔力が秘められているのだ。
 ジェルマーは、この『塔』の魔力を解明しようと操作を続けた。
 そして、気がつくとこの巨大な魔法装置は異様な音を放ち、不可思議な色の魔法のオーラを放ち始めていた。
「いかん!何と言うことだ。どこで操作を誤ったのだ!」
 ジェルマーが気づいたときには、いつのまにかこの魔法装置は暴走を始めていたのだ。
 ジェルマーは懸命に装置を停止させようと、装置に刻まれている上位古代語を頼りに操作を続けた。
 しかし、ジェルマーの努力を嘲笑うかの様に魔法装置はその動作音を益々高めていく。
 
 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・
 
 魔法装置の動作に共鳴するかの様に、不気味な地鳴りが鳴り響き始めた。
 必死に装置を止めようとしていたジェルマーは、この魔法装置の巨大な水晶球に見たことも無い光景が映し出されているのを見た。
 そして、その瞬間にジェルマーは悟った。
 この魔法装置は、異世界への扉を開く『門』なのだ・・・
 そして、今、まさに異世界への門が開こうとしていた。装置の暴走によって・・・
「いかん! ルエラ、逃げなさい!」
 ジェルマーはこのまま、装置が暴走したときの危険を悟って、愛弟子の少女に逃げる様に命じた。
「で、でも・・・導師は、どうなさるの・・・」
 ルエラは混乱した状態でジェルマーに問いかける。
「暴走した魔法装置は、このまま放置して逃げられん。私の事はいい。早く!」
 ジェルマーは、もはや一刻の猶予も無い事を知り、再びルエラを促した。
 既に、ジェルマーの肉体は暴走した魔力を受け、少しずつ消滅しはじめていた。
「ああ・・・」
 ルエラは涙を流しながら、子供のように、いやいや、と首を振り続けた。
 自分の目の前で起こっている現実を受け入れたくはなかった。
 愛する自分の養父が目の前で消滅していく。
 そして、その消えゆく養父に対し何もすることは出来ない自分。
「早く。逃げなさい、ルエラ」
 優しくジェルマーが微笑み、諭すように言う。
「娘の事を心配しない父親など、父親ではないぞ、ルエラ」
「お父様・・・」
「少しも父親らしいことは出来なかったが、お前のことは、私の本当の娘として愛していた。さあ、安全な所へ行きなさい。愛する娘よ」
 ルエラは泣きながら、どうしていいか判らず、ただ立ち尽くしていた。
「お父様・・・一人で逃げるのはいや・・・お父様も一緒に逃げて・・・」
 不可能な事だとわかっていながら、ルエラは言葉をかける。
 そのルエラの言葉に、ジェルマーはかぶりを振って答えた。
「いや、私はもうだめだ。この装置の影響か、体が消え始めている。さあ、早く。私が、生きて、いられ、る、うち、に、あん、しん、さ、せて、く、れ・・・」
 その言葉に消え行く父親の思いを感じ、ルエラは思い切って逃げはじめた。
「お父様、お父様、お父様、・・・・」
 呪文の様に呟きを繰り返し、ルエラはただ走った。そして、
 
 ズッ、ズズーッ!!
 
 ぞっ、とするような音と響きが轟き、地面が大きく跳ね上がった。
 その瞬間、ルエラは小さな部屋に飛び込んでいた。その部屋は、魔法の宝物を収めた宝物庫の様だった。
 彼女は膝を抱え、顔を埋めるようにして、嗚咽しはじめた。
「うう、お父様・・・」
 父の創り出した自分の賢者の杖メイジ・スタッフをしっかりと握りしめ、ただひたすら泣いた。
 そうすれば、悪夢から覚めるかのように。
 しかし、悪夢は覚めなかった。そして、彼女の前に悪夢の様な現実があった。
 その泣き続ける少女の方に向かって、空間を異様なひび割れが広がる。
 だが、ルエラはそれに気付かずにいた。
 ルエラは異様な眠気が襲ってきているのを意識出来ないまま深い眠りに落ちていった。
 
 
 

プロローグ#2 ~東京 1999年~

 
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