~ 1 ~

「それで、異界から来た将軍を迎えた、彼の国は如何いかにしておるのだ?」
「は、着々と軍備を増強している様子であります」
「怪しげな魔法とおぞましい魔獣を軍団に加えて、何を企んでおるのか・・・」
 数人の騎士達が深刻な表情で会話をしている。その純白の甲冑にはファリスの聖印が刻まれていた。
 彼等は“聖なる王国”と呼ばれる神聖王国アノスの騎士達であった。
 ファリスの正義を守護するとされる“正義の光”騎士団の聖騎士はアレクラスト大陸でも最強の騎士団の一つに数えられている。その騎士達は今、急速に国力を増大しつつあるファールヴァルトに警戒を抱き始めていた。
「その国策を提案し、そして実行しているのは何でも異世界からやって来た者とか」
「怪しい話だ。その異世界から来たのは、本当に人間なのか?」
「判りかねます。もしかすると、あの王国は魔神を召喚したのかもしれません」
 一人の騎士が悟ったように発言する。
「何だと!」
 その騎士の発言に残りの騎士達も驚いた。もし、それが本当ならば由々しき事態である。
「ですが、普通の者にあの貧しい国をここまで豊かには出来ますまい。聞くところによると、その者の提案で毒草を薬に変えて輸出しているとの事。魔神はファラリスの従僕であるゆえ、毒の扱いには長けているでしょう」
「確かに・・・」
 聖騎士達は徐々に異世界から来た者は魔神であると考え始めていた。
「魔神で無ければ、魔獣を捕らえる事など出来ましょうか」
 他の騎士もそう発言し始めている。
 いつしかその話は危険な色を帯びていった。
 数日後にはアノスの宮廷では、ファールヴァルトは魔神を従えて世界征服を企む邪悪な国家だという意見が広まっていた。そして、幾名かの騎士達からファールヴァルト討伐の意見が出るに至っていたのだ。
「ファリスの御名において、かの邪悪な国を討伐すべきです!」
 そう叫ぶ若い騎士を目の前にして、法王レファルドⅣ世は苦悩に満ちた表情を浮かべている。
 ファールヴァルトの実態を調べもしないで、自分達の正義と考えだけで判断し、一国を討伐することが許されるはずも無い。まして、自国の事は自国が決めることなのだ。貧しい国が豊かになろうとして、それが許されない、などとは大国の思い上がりに過ぎない。
 ましてや、あの異世界から来た男が魔神である証拠は無い。
 ファールヴァルトの新たな将軍の一人となった男は、国力を着実に上げる政策を実行している。その中には貧しい国民や他国の国民達を助けて余りある新政策があった。
 ファールヴァルトで生産される薬は貧しい者達でさえ買える物が多い。特に、傷や病を癒す薬を安価に輸出しているのだ。そして贅沢品とも言える薬は貴族達に高値で売りつけている。貴族の持つお金を庶民に還元しているようなものだ。
 マーファ神殿は、ファールヴァルトの薬とその方策を高く評価している。チャ・ザ神殿も「正当な商売である」として認めている。ラーダ神殿も「薬の知識を増やす貢献をしている」として全面的に支持しているし、マイリー神殿は「勇者を助ける物」として公認していた。特に、マイリー神殿はこの異世界から来た男を勇者をして公に宣言している。
 そのような状況でファールヴァルトに戦を仕掛ければ、ファリス以外の光の五大神の教団がファリス神殿を糾弾しかねないのだ。
 この所、法王でありファリス教団の最高司祭でもあるレファルドⅣ世は、最近の王国に広まり始めた宗教右派による孤立主義にも気を付けなくてはならなかった。
 近年、技術や魔術の発展により各王国の生活水準や軍備が進歩している。しかし、それに伴い各国で退廃や腐敗がさまざまに見受けられるようにもなってきているのだ。
 隣国のオランでさえ貴族達の腐敗が著しいとされている。
 そして、性風俗や倫理の乱れもファリス信者にしてみれば、邪悪の蔓延と映っていた。
 結果として、ファリス神の教えを絶対視する宗教右派が台頭してきたのだ。彼等の中にはアノスが世界を一つにして、ファリスの名の元、永遠の神聖王国を作り出す、と公言するものさえいる。
 そこに現れたのが異世界から来た勇者とそれを迎え入れて急成長し始めたファールヴァルト王国なのだ。
 オランのファリス神殿も、ファールヴァルトを警戒していた。
 先日、ファールヴァルト王国が王立魔法学院を創立する際に、あのファールヴァルトの魔法騎士はオランにある魔術師ギルドの最高導師マナ・ライと会談を持った。
 マナ・ライは王立魔法学院に魔術師ギルドと同じように禁断の魔法を制定し、自主規制することを望んだとされる。しかし、ファールヴァルトの立場は違った。禁断の魔術とされる召喚魔術、創造魔術、死霊魔術、そして混沌魔術の研究を行うとし、会談は決裂寸前にまでなったのだ。
 ファールヴァルト側の言い分としては、危険なものを危険だからといって研究しないことこそ危険である、というものだった。もし、それを見過ごしていた場合、何らかの事態が起こって魔神や魔獣が暴走した場合、魔術師達は何も対処が出来ないことを意味する。それは知識に対する冒涜である、との意見である。
 それに対して、マナ・ライは「古代王国が滅んだのは知識を追求しすぎたからだ」と言って一歩も引かなかった。魔法と知識に関して、最初から違う立場で話し合う以上、それぞれの方針に妥協の余地は無かったのだろう。
 最終的にお互いの行動は制限し合わない、そして定期的に交流しあって誤解を解きあうことで決着した。
 それをオランのファリス神殿は、魔術に対して歯止めが効かなくなる、と反発したのだ。
 だが・・・
「貴卿等は揺るぎ無い証拠を持ってファールヴァルトを断罪するのですか?」
 それを問いかけたのは騎士隊長のシオンだった。
「証拠は無い。だが、かの国がおぞましい魔獣の軍団をつくり、邪悪なる魔術を操る騎士団を鍛えているのは事実」
 シオンに挑むかのごとく、一人の騎士が答えた。
 彼の名はラドルス。このアノス屈指の実力を誇る聖騎士である。そして、正義の光騎士団の3人居る将軍の一人だった。
 ラドルスはファリスの熱心な信者として、また、武勇を誇る騎士として名を馳せている。
 だが最近、ファリスの教義を絶対の真理として掲げる一派に身を投じてシオン達、中道派の騎士達や文官達を心配させていた。
 他にも問題はある。
 民衆の間にも、この過激な一派は浸透し始めていたのだ。もうかなりの数の信者達がその集会や神殿に集まっている。
 当局はこの一派を正式なファリス教団の一部とはまだ認めていないものの、この一派はファリス教団の上層部にまで広まっていた。
 危険な兆候であった。
 このファリス教団の一派は“光の真理”と名乗り、普通のファリス教団よりも更に厳しい戒律を架している。そして、ファリス神殿にある至高神の経典に書かれている教義を絶対視しているのだ。
 その教義にはこのようなものがある。
 ファリス神こそが神々の主神であり、その他の神々は全てファリス神の従属神に過ぎない。
 神々も含めて全てはファリスの意思に従わなくてはならない。
 ファラリスを始めとする暗黒神はファリスに反逆した許されざる存在であり無に帰さなくてはならない。
 そして、この世界を完全な世界とするために、いかなる魔術も認めない。
 さらに、これらの教義の中にはファリス神の降臨さえ最終目標にあるのだ。
 だが、そのような考えが一般に認められるとは考えがたい。
 だからこそ、この一派は孤立主義の立場を取りはじめたとも言える。狂信的な信者であるが故に、その理想に凝り固まってしまっているのだ。
 シオンは“光の真理”の信者達は危険な方向に突き進んでいる気がしてならなかった。そして、その魔法騎士とは面識がある。
 以前、薬を売り込む為、彼の魔法騎士、緒方眞はこのアノスにやって来た事があるのだ。だが、至高神の熱心な信者が多いこの国では、魔法の薬を売る事は成功せず、すぐに帰国して行ったのだ。
 その時、シオンは眞と顔を合わせていた。立場の違いこそあったが、何故か打ち解けて話をしたのを覚えている。
 そして、あの魔法騎士には邪悪な意思を感じなかったのだ。
 眞の事を思い返したシオンの耳に、法王の言葉が唐突に響いた。
「今、ファールヴァルト王国に対して戦を仕掛ける事は出来ぬ。まずは使者を立て、真相を突き止める事こそ重要であろう」
 法王はアノスから戦争を仕掛ける事の危険性を知っている。“光の真理”がファールヴァルトを悪として糾弾することは、相互理解をする立場に立つオラン魔術師ギルドの事も非難することになるのだ。
 そして、万が一戦争になった場合、オランは最終的にファールヴァルト側に付くだろう。
 オランの貴族達はファールヴァルト製の魔法の薬を大量に買いつけている上得意である。
 その信じられない効能の薬を失うよりは、宣戦布告をしたアノスを非難してファールヴァルトの援護に回る可能性が大きい。そして、それは周辺各国の同調を招く危険があった。
 もっとも、それを言葉に出すことなく、その日の宮廷会議は閉会した。
 だが、それより一ヶ月の後に悪夢のような事態が起こる事を誰も予想できなかった。
 
「一体、何が起こったのですか?」
 幾分蒼ざめた表情でユーフェミアが眞に問いかけた。
「アノス軍が攻めてきたのです」
 厳しい顔のまま、眞は答えた。
 千二百騎ものアノス“正義の光”騎士団が、突如ファールヴァルトの南東にある妖魔の森の近くに越境し、陣取っているのだ。
「何という事が・・・」
 ユーフェミアはあまりの衝撃に一瞬、何も考えられなかった。
「既に、銀の剣騎士団三十名と魔法騎士隊、それに傭兵隊五百を派遣してあります。ただ、ロドーリルの動きを警戒せねばなりませぬ故、宮廷魔術師団と残りの銀の剣騎士は残しておく必要があります」
 眞は簡潔に答えて、そのまま謁見の間に向かった。
 その謁見の間では既に何人かの騎士と文官達が話し合いを始めていた。
 呼び出しのまどろっこしい宮廷儀礼に苛立ちながら眞は謁見の間に入場する。そのまま玉座から左側五列目の自分の位置に立った。
「良くやってくれたな」
 玉座から声が掛かった。
 ウェイルズ王であった。
 眞は、アノス侵攻の知らせを受ける前から物見の水晶球を用いてアノス軍の動向を掴んでいた。そして即座に魔法騎士隊と銀の剣騎士団を動かす事を進言し、アノス軍を待ち受ける体制を整えたのだ。
 だが、アノス軍の騎士達は歩いて3ヶ月以上かかる距離を、僅かに3週間余りでファールヴァルトに到着し、簡単なものとはいえ砦を築き始めている。
 恐らくアノス騎士団は馬を全力で走らせてきたのだろう。そして、馬が潰れてしまう前に神聖魔法で回復させて、また駈け抜ける。それを繰り返すことでこのような電撃的な侵攻を可能にしたのだ。
 神聖魔法の使い手が多い正義の光騎士団だからこそ可能な進軍だった。
 眞が掴んだ情報によると、アノス騎士団の正騎士が千二百騎余り、ファリス教団の神殿戦士団が五百程、そして三百名程のファリス教団の“聖なる光”修道女団が続いていた。これは密偵スカウト遊撃兵レンジャーの裏付けもある。信頼して良い数字だった。
 合計で二千を超えるアノスのファールヴァルト討伐隊である。既に数の上ではファールヴァルト王国の総兵士数を上回っている。
 もし、眞の決断が無ければ、そのアノス軍はそのまま王都エルスリードにまで侵攻してきていただろう。だが、眞は情報を察知すると同時に砦を建設し始め、アノス軍の行軍を食い止める事に成功していた。
「して、彼の国と連絡は付かんのか?」
「急使を派遣しておりますが、距離がありますので、即日と言うわけにはゆきません」
 騎士団長のファーレンが国王に答えた。
 実際、どんなに急いでも急使がアノスに到着するのは早くとも一ヶ月後だろう。
 こうなると、実力でアノス騎士団を撃退する以外に方法は無い。手間取ると、この隙を付いてロドーリルの軍勢が攻めてくる危険もあるのだ。
「アノスの騎士達は何を考えておるのか!」
 銀の剣騎士団の若い騎士隊長が叫んだ。実際そうだろう。
 ほとんど言いがかりにも等しい理由でファールヴァルトに攻め込んで、国王の退位と異世界からきた勇者の追放を迫るなど、内政干渉にも程がある。
「して、今後の対処だが」
 冷静な声でウェイルズ王が発言した。
「我が国としては、このような内政干渉は受け入れられません」
 文官達の意見は当然、アノスの要求を突っぱねるものだ。
 騎士達も同調した。
「いかにも、これは内政干渉であり、アノスに我が国の交易を奪取、もしくは妨害しようとする意思があるとも受け取れます。大国の武力を持って威嚇をするなど、ファリスの正義とやらも胡散臭いものだ」
 ファーレンも吐き捨てるように言う。よほど腹に据えかねたらしい。
「それに、早急にけりを着けませんと、ロドーリルの脅威があります故」
「・・・うむ、よろしい。それでは眞卿、貴公にアノス撃退軍の指揮権を与える。騎士ランダー、貴公には対アノス軍副将軍として魔法騎士、眞を補佐してもらう。迅速に彼の軍を撃破し、事態を収拾せよ。そして、各々の者達は直ちに戦争体制に入るように」
 ウェイルズから命が下り、全員に緊張が駆けぬける。そして一礼し、次々に謁見の間を飛び出して行った。
 
 その戦場はランダーの館から近い平原だった。
 まだ夜明け前である。薄暗いとはいえ、朝日が昇るのはもうすぐだろう。
 双方とも、まだ身動きは取っていない。
 そして、アノス軍は木と土で建築した簡単な砦に建て篭り、戦闘体制を整えている様子だった。
 いくら神聖魔法をつかって回復しながら進軍してきたとは言え、馬も人も休みを必要としているはずだ。それに、修道女達もいるのだ。彼女達の負担を減らすためにも休息は必要と思われる。
「戦場に修道女の集団を連れてくるとはな・・・」
 眞は何処か呆れたように言った。同調するように、何人かの騎士からも失笑が出てしまう。戦場という狂気に取り憑かれた者の続出する場に連れてくるべき人間ではないだろう。
 おそらく、ファールヴァルトを打ち破った後で、民衆を悪魔の手から救い出す、とでも考えていたのだろう。
 だが、ファールヴァルト軍が待ち構えているとは予想もしていなかったに違いない。
 確かに神聖魔法を用いて電撃的に進行するのは、不意を突く意味でも有効だ。しかし、魔法を戦争に使うには様々な方法がある。特に、古代語魔法と精霊魔法には神聖魔法よりも応用力のある呪文が充実している。
 しかも、眞は現代人だ。情報の重要性とフォーセリア人よりも遥かに洗練された活用方法を熟知している。
 アノス軍は、この時点で既に負ける寸前だったとも言えるだろう。
「将軍。奴等はまだ出てきませんね」
 若い魔法騎士隊長が眞に尋ねた。
 魔法騎士隊は発足したばかりの新規の騎士団であり、若い人間が多い。だが、彼等の多くは他の部隊から抜擢された者で、魔獣狩りなどで経験をつんでいる。
 そして、魔法と剣を戦場で使うことを叩き込んでいるのだ。
「よし。それではアノス軍をいぶり出す。魔晶石の魔力をつかって<石の従者ストーン・サーバント>と<樫の子鬼オーク>を作り出せ。そいつ等に敵砦の正門を開けさせる」
「了解!」
 眞の命令に従って、魔法騎士と傭兵隊の魔術師が石の従者と樫の子鬼を創造する呪文を唱えていく。
 そして次々に生み出された魔法生物は、石の従者が三十体、樫の子鬼が二十体にも上った。その魔法生物達は黙々と進撃を始める。
 そして、魔法騎士隊は二十四騎、全員魔獣に騎乗した。この有翼の魔獣こそが魔法騎士達の騎馬なのだ。空を飛行する魔獣を騎馬とする事で、魔法騎士達は通常の騎士達に比べ、大きなアドバンテージを持つ事が出来るのだ。
 まず、空を飛べると言う事である。
 これは戦場において、絶対の意味があるのだ。普通、騎士達は馬に乗って戦闘を行う。これは馬の特性上、地上に縛り付けられる。平面でしか展開を行えないのだ。
 しかし、ここで空を飛ぶ事が可能な魔法騎士隊は立体の展開を行える。
 空を飛ぶ事で、地上戦の様子を確実に把握し、効果的な作戦展開を可能にしているのだ。更に、『魔法』という遠距離攻撃の手段があることで、敵の集中力を削ぐ事も可能になり、かつ、敵の急所を、布陣を超えて撃てる。
 まさに、圧倒的な戦力になり得る存在なのだ。
「全騎、離陸。そして上空にて待機!」
 眞の命令で魔獣に乗った騎士達が次々に、まだ薄暗い空へと飛び立って行く。
 その牙は今まさに、アノスの騎士達に襲いかかろうとしていた。
 
 アノス軍の砦が急にざわめき始めた。
 ほとんどの騎士にしてみれば、魔法生物など見たことの無い魔物なのだろう。それが、軍団を作って侵攻してくるのだ。ほとんど恐慌をきたした状態で騎士達は騒ぎ始めた。
「な、何だ、あの化け物は!」
 一人の騎士が叫んだ。
「こっちに向かって来ているぞ!」
 そう言いながら、騎士達は大慌てで武装を整え始める。
 慌しく騎士達が行き交う中、ファリス修道女団の乙女達が不安気に部屋から出てきた。
 そして、一人の修道女シスターが近くで準備をしている若い騎士に尋ねた。
「どうなさったのですか?」
「ルーシディティ殿、ファールヴァルト軍が攻撃を仕掛けてきたのです」
 緊張した面持ちでその騎士が答えた。
「奴等は魔法でゴーレムを創り出し、それをこの砦に侵攻させてきたのですよ」
「何という邪悪な行い・・・」
 ルーシディティは美麗な顔に厳しい表情を浮かべる。その修道女を安心させるように騎士が語りかけた。
「ご安心ください。我等がその邪悪な怪物を打ち破って御覧にいれましょう。なに、魔法生物如き、ファリスの威光の前では脅威には成り得ません」
 その言葉に修道女は笑顔で答えた。
「ファリス神は正義を司る神。その正義を実現する聖騎士様には、ファリス神の御加護が有りますでしょう」
「承知しております」
 聖騎士の言葉に安心したように修道女達は頷く。
「聖騎士様たちがあのような邪悪な魔物に負ける筈はございません。私共は部屋にて御待ちしておりましょう。そして、御武運をお祈りしております」
 そう言って、修道女達は部屋に戻って行った。
 修道女たちが安心したのを受けて、聖騎士達は勇気が涌き出てくるのを感じていた。
 あのような魔物に至高神の正義を守護するべき聖騎士が遅れを取るわけには行かない。
 高揚した戦意が砦を覆って行った。
 この遠征を指揮するラドルスは満足げに騎士達の動きを見ていた。彼がこの遠征を計画し、実行した張本人である。ラドルスは“正義の光”騎士団の騎士達と相談し、ファールヴァルト討伐を計画したのだ。その案に千二百名もの騎士が同調してくれたのだ。
 恐らく、ファリスの定める正義が、現実には王国や魔術師達によって蔑ろにされていることを憂いての行動だろう。
 ファリスの正義は失われてはいない、そうラドルスは感動を覚えていた。
 これ程までの正義の信仰を持つ若者が大勢いることは、これからのファリス教団の発展と世界の平和は約束されているも同然ではないか。
 そして正義の光騎士団は魔法生物を討ち取るために出陣した。
 だが、それは正に眞の策でもあった。
 アノスの騎士団は、流石に全員では無く百騎程度の騎士達が魔法生物を迎え撃つ。だが、一つだけ誤算があった。
 それは、魔法生物の強さを読み違えていたことである。
 確かに通常の魔法生物の強さはたいした事は無い。だが、その中に一部でも強力な物が存在した場合、戦力的には致命傷になり得る。
 眞は魔法生物にある魔法を組み込んでおいたのだ。その魔法とは<無敵インバルネラビリティ>の魔法である。
 この呪文によって護られているものは魔力を帯びた武器か魔法によってしか傷つくことは無い。そして、殆どの騎士は魔法の剣など持っていなかった。しかも、神聖魔法を唱えられる騎士の数は圧倒的に少ない。
 そして、剣が通じない騎士達はその恐怖に引き込まれて恐慌をきたしてしまった。
 結果、あっという間に乱戦になった。
 こうなると、元々指揮系統など無い魔法生物のほうが有利である。
 幾人もの騎士が騎乗している馬を潰されて落馬した。狂ったように騎士達は剣を降りまわして魔法生物を攻撃するが、やはり何の打撃も与えられずに一方的に攻撃を受けてしまう。
 アノスの騎士達は恐怖と混乱の余り、周りが見えなくなって同士討ちさえ始めてしまったのだ。
 ラドルスはその混乱を見て、部下達に命令を下す。
「あの化け物どもを滅せ!」
 そして援軍として全騎士を引き連れて出撃した。
 その判断事態は間違っていなかった。だが、魔法の怖さを知らぬものが、眞の仕掛けた罠を見抜けるはずも無かったのだ。
 眞はアノス軍が全騎出撃したのを見て、上空から命令を出していた。
 傭兵隊を展開し、騎士団を中心に3つに分けていたのだ。そして、敵を迎え撃つ体制をとる。
 ラドルスは敵が動いたのを見て、とっさに判断していた。
(罠か!)
 数で劣る敵は魔法生物をおとりにして、まんまとアノス軍を引きずり出したのだ。
 このままでは、最初に出撃した部隊を引き連れて砦に引き返す前に敵に追撃される。そう判断したラドルスは一気にファールヴァルト軍を叩くように命じていた。
「このまま敵を討つ。全員、突撃っ!」
 見事に隊列を整えた聖騎士達が、文字どおりにファールヴァルト騎士団の構える中央に突撃をかける。ラドルスは、指揮官はあの中央の部隊にいると踏んで、頭を潰すために傭兵隊を無視して攻撃を仕掛けたのだ。
 ほとんどの聖騎士は同じ事を考えていたが、彼等は傭兵を単なるならず者と見ている。だが、傭兵は同時に優秀な戦士であり、眞は魔法使いを最大限に使えるように部隊編成をしてある。
 そして、油断を誘うために魔法使いに魔法使いらしくない格好をさせていた。
 それを上空から確認した眞は勝負に出る。
「よし、アノス軍が動いた。全員、降下ダイブ!」
 そして、魔法騎士隊は気合一閃、文字どおり流星のように降下していった。
 通常、高度千メートルという高さからダイビングするのは信じがたい恐怖を伴う。そして、その風圧は尋常ではないのだ。
 眞達は古代語魔法の防御魔法により騎馬たる魔獣の前面に魔法の障壁を張っていた。
 これにより、風圧を避けることが出来る。だが、想像を絶する速度で落下しながら魔法を唱えるのは困難を極めた。
 眞はこのためだけに全員に訓練を施したと言っても過言ではない。
 魔法を唱えるには極めて高い集中力を要する。しかし、眞の考えを実行するには、魔獣に乗って空を飛びながら魔法を唱えられるようにならないと駄目だったのだ。
 そして、ファールヴァルトの騎士達はその眞の期待に見事、応えて見せた。
 その頼もしい騎士団は魔獣を駆り、恐ろしい速度で降下しながら呪文を唱えている。見る見るうちに地上が迫ってきた。
 もう手が届きそうなほどに戦場が近くに見える。
 アノスの騎士団は、魔法騎士隊が上空から襲いかかってくる事など考えも出来ずに、突撃をかけていた。
 その瞬間、傭兵隊の魔法が炸裂する。
「ウワァーッ!」
 先頭を走っていた聖騎士達が一瞬にして体制を崩した。そして、そのまま落馬する。
 あとは雪崩を打ったように隊列が崩壊した。
 傭兵隊の<眠りの雲スリープ・クラウド>や<転倒スネア>の呪文がアノスの聖騎士団を捉えたのだ。
 一瞬にして馬から放り出された騎士は、何が起こったのか判らずに地面に叩きつけられた。その後続の騎士達がその不運な騎士を引っ掛けてしまい、転倒する。あとは止めようが無かった。
 全力で突撃する騎士は、なかなか止まれない。あっという間に半数近くが転倒してしまった。
 ラドルスが驚愕したその瞬間に、真紅の炎が爆発した。
 混乱して突撃が止まったアノス騎士団の各所に、眞達の唱えた<火球ファイア・ボール>の術が炸裂したのだ。
 眞は完璧なタイミングでアノス騎士団を魔法に捉えた事に満足し、そのまま攻撃をしかける。
 一瞬の転倒と隊列の崩壊で、アノス騎士団は浮き足だってしまっていた。
 魔法騎士隊の唱えた<火球>の術は、アノス騎士団を完全に恐慌をきたしていた。<火球>の術は、賢者の学院では禁忌とされるほどの危険な破壊の魔法である。その一瞬にして炸裂する巨大な火の玉と爆音は、恐怖を引き起こすのに十分な効果があった。
 しかも、味方のど真ん中で大爆発が引き起こされたのである。
 その次の瞬間、頭上を魔獣に乗った騎士達が駆け抜けていった。
 もはやアノス軍は完全に崩壊していた。
 そこへ魔法騎士隊や傭兵隊から様々な魔法がかけられる。
 <静寂サイレンス>や<捕縛ホールド>、<暗黒ダークネス>や様々な<幻影イリュージョン>が混乱を加速させるのに十分な効果を発揮していた。また、召喚された光の精霊ウィル・オー・ウィスプ闇の精霊シェイドも期待していた以上の効果でアノス軍の騎士達を追い詰めていく。
 もはや勝敗は完全に決していた。
 だが、さすがに眞でさえラドルスの次の行動は読めなかった。
 もはやこれまで、と悟ったのかラドルスは全員に対して最後の命令を下したのだ。
「各騎、個別に敵に突撃! ファリスの正義を貫け!」
 その命令を受けて、壊走し始めていたアノス軍は突如、ばらばらになって目茶苦茶な突撃をし始めた。
「な・・・あのクソ馬鹿、一体なんて事をしやがる!」
 思わず眞は毒付いてしまった。
 ほぼ、戦の決着も付き、敵も敗走をし始めていたのだ。
 それを、あのろくでもないアノスの指揮官は玉砕を命じ、騎士達がばらばらに突撃し始めていたのだ。
 だが、完全に組織だって攻撃できるファールヴァルト軍に、そんな攻撃を仕掛けたところで各個撃破されるだけである。
 誰でも気が付きそうなことを、しかし無視してアノス軍の将軍は実行したのだ。
 数刻の後、アノス軍は全滅していた。
 最初にいたアノス騎士千二百の内、なんと千以上もの騎士が殺された。その中には指揮官であるラドルスと十名の騎士隊長も含まれていた。負傷しながらも捕らえられた騎士は百名をちょっと超える程度で、逃げ帰った騎士は、わずかに数十名だった。
 ファリスの神官戦士団も全員が死亡していた。少なからず<気弾フォース>の呪文で抵抗したのだが、それでも焼石に水だった。
 対してファールヴァルト軍は傭兵隊と銀の剣騎士団に数名の損害が出た程度で、ほぼ完全な無傷である。
 完全勝利だったといってよい。
 だが、眞は魔法騎士隊を率いて砦を攻略に向かっていた。
 しかし、その砦は完全に抵抗を放棄していたのだ。
 眞達がが砦に飛び込んで、一つの部屋を開けたときにファリスの修道女達を発見した。
 その少し前、修道女達は見張り台から聖騎士団全滅の報告を受けていた。
 若い騎士であり、砦を守る任務に付いていた騎士だった。
 ファールヴァルト軍がアノス軍を打ち破ったのを見て、ルーシディティ達に脱出を勧めに来たのだ。だが、ルーシディティ達はその申し出を断った。
 ファリスの正義を守るためにここまで来たのだ。それを戦に負けそうだという理由でアノスには帰れない。
 ファールヴァルト王国討伐軍は法王の命に逆らって編成されていたし、それに従軍してきたのだ。もはや帰る国など無かった。
「その申し出、感謝いたします。ですが、もはや私どもには帰る場所がありません」
 そう答えを返し、この砦に留まる事を伝えたのだ。
 おそらくルーシディティ達は、ファールヴァルトの騎士達に殺されるだろう。だが、ここにいる修道女達の何人かは婚約者である聖騎士と共に来たのだ。その将来の伴侶を失い、家族の元にも戻れない以上、ここで死ぬのが最良の道と思われた。
 しかし、自殺はファリスの教えでも禁じられている。
 だが、敵兵に殺されるならば・・・
 間違い無くファールヴァルトの騎士達はルーシディティ達、ファリス修道女団を殺すだろう。自国を侵略されて怒らない者はいないからだ。
 ただ、願わくばなぶられて殺されるのだけは避けたかった。
 もっとも、それは叶えられない願いであろう。
 ルーシディティは修道女達を振り返って言った。
「皆さん、もうすぐ敵兵がこの砦に攻め寄せて来ます。恐らく、私達は敵兵の手にかかって死ぬ事になるでしょう。そして、彼らの怒りは・・・私達の身体にも向けられるかもしれません」
 全員がはっと息を飲む。その言葉の意味は明白だった。
「ここに居る全員がファリスの正義を信じての行動ゆえ、と考えております」
 さすがに最後の言葉を言うのは苦しかった。
 思わず、言葉が震える。
「ファ、ファリスの敬虔な信者として堂々とした最後を迎えてください」
 その言葉に全員の表情が硬くなる。
 蒼ざめた表情で、しかし、修道女達は覚悟を決めたように膝をついて祈り始めた。
 
「貴方達は、ファリス修道女団ですか?」
 扉を開けて部屋に入った眞は、数百人もの若い女性達がじっと祈りを捧げているのを見て、そう尋ねた。その女性達は白い清潔そうな服を着ており、首からはファリスの聖印を下げている。
「はい。私共はファリス教団の聖堂修道女会の修道女です」
 一人の、恐らくリーダーらしい修道女が答えた。
 眞は、とにかく全員を連行する事にした。このまま放っておいたら、気の立った騎士団や傭兵隊が雪崩れ込んできたときに何をされるかわからない。
「それでは、これより貴方方は捕虜としてファールヴァルト王国の指揮下に入ってもらいます。それと、失礼ながらアノス間との交渉対象として扱わせてもらいますが」
 ルーシディティは、少し驚いた。
 部屋に飛び込んできた騎士が、まだ若い騎士だったのと、その言葉遣いは丁寧で戦場にたつ騎士とは思えない礼儀を持っていたのだ。
 ただ、恐らくアノスは自分達を切り捨てるだろうが。
「構いません」
 そう答えて、全員にその旨を伝える。反論は無かった。
 それを受けて、眞は魔法騎士隊の中から十人を選んで、警護させる。そして、戦後処理を始めた。
 もう一つの戦場のようだ、眞はてきぱきと戦後処理を指示しながら、ふと思っていた。
 もともと、戦争とは外交の一手段に過ぎない。最後まで行ってはいけない手段ではあるが。
 そして、目的ではなく手段に過ぎない以上、事後処理が伴う。
 アノスにも賠償を求めなければならないだろう。そして、負傷しながらも生き残ったアノス騎士の処遇やファリス修道女団の問題もある。
 兵士達からは多少の不満が出始めていた。
 一方的に攻め込まれたのに、侵略国の修道女達を保護している事が納得いかないのだろう。恐らく、普通の戦場だったならば彼女達は気が立った兵士達に犯されて、殺害されていただろう。だが眞が彼女達を保護した事で、言わばお預けを食った形なのだ。
「やれやれ、厄介な事だよ」
 眞自身は彼女達に欲望は抱いていない。そんな余裕さえ無いのが本音だった。
 兵士達も今は膨大な戦後処理に奔走しているものの、それが終わったらどうなることかわからない。
 千を越えるアノス騎士達の死体も、放っておくわけには行かない。
 そんな事をすると、死者への冒涜という以上に衛生面での問題があるのだ。
 そこで眞は、騎士団と魔術師達に頼んで、名簿と遺品を管理する事にした。そして、埋葬の準備をする。気が滅入る作業だった。
 それに、婚約者を失った修道女達の表情も痛々しい。その彼女達の目の前で、その騎士達を殺した張本人達が埋葬の準備をしているのだ。
「まったく、私も初耳だよ」
 ふと、考え込んでいたのだろうか、不意に眞の耳元で声がした。
「アレン卿、どうなさったのですか?」
 そこには銀の剣騎士団の熟練の騎士隊長が立っていた。
 アレンは眞の傍らに立ちながら、苦笑を浮かべている。
「いや、まさか敵国の従軍修道女を保護するなどとな。普通は女達は兵士や騎士に与えてしまうのだが、貴公はそれをしなかったのでな」
「それが?」
「兵士達はかなり気が立っているからな。気を付けないと貴公が臆病者扱いされてしまうぞ」
「・・・本当ですよ」
 眞もそれは痛感している。彼としては、彼女達を切り札にしてアノスとの交渉に臨む気でいたのだ。しかし、兵士達の不満が爆発すればファールヴァルト軍の指揮権を把握しきれなくなる。
「どうするのだ?」
「・・・やむを得ませんね。あの修道女達には申し訳無いですが、侵略してきた国の修道女たちをいつまでも庇い切れません。我が軍の信頼と敵国の女は天秤には賭けられませんよ」
「そうか」
「アレン卿は、あの修道女の中に好みの女はいますか?」
「はは、よしてくれ」
 そう言いながら、アレンは眞の部屋を出て行った。
 そして、アレンと入れ違いにルエラが入ってきた。
「戦に勝ったようね、眞」
「ルエラ!」
 驚いた眞は、思わずひっくり返りそうになってしまう。
「いつ来たんだ?」
 何とか体勢を直し、ルエラに尋ねた。
「ついさっきね。でも、また厄介を抱え込んだわね」
「本当だよ!」
 そう言いながらも、眞は何処と無くほっとしているのを意識していた。
「それで、あの女達はどうするの?」
「あの厄介者を何とかするしかないんだよ・・・」
 何処か疲れたような表情でぼんやりと眞が呟く。
「戦場で正気を保っているのは、一番辛い事だって、お父様が言っていたけど・・・」
「そうだな」
「でも、貴方も不思議な人ね」
「ん?」
 ルエラはくすり、と笑いながらもう一つある椅子に腰掛けた。
「普通、敵国の女なんて誰も保護しようなんて思わないのに」
「ああ、そう言う事ね」
「そう言う事よ」
 眞は、窓から外を見た。兵士達が酒宴を始めようとしている。
 酒が入ると不満が出てくるだろう。
 手遅れになる前に手を打つ必要があった。
「酒の肴、か」
「うん?」
「いや、あの女達、結局のところ運命は変えられん、ってことさ」
「助けたかった?」
「正直言えば、ね」
 眞も苦しそうに言う。
「でも正直、アノスが彼女達を引き受ける事は無いだろうな」
「そうね・・・」
 ルエラもそれは確認していた。
 アノスの法王に近い筋から、手紙が届いたのだ。ファリス司祭の使い魔である鷹の脚に括り付けられていた手紙には、ファールヴァルトに侵攻したアノス騎士団は王命によるのもではなく、勝手に出撃した事、そしてファリス修道女団は、教団としてこれらを破門した事、そして戦争を回避すべく、アノスから別の騎士団を派遣した事を記してあった。
 ルエラ自身もアノスに飛んで、事実を確認していた。
 それは、今日の昼過ぎだったのだ。
 もっとも、その時には既に戦いは終わっていて、アノス軍はほぼ、屍になっていたが・・・
「どうするの?」
「誰を?」
「ファリスの修道女達。ファリス教団としては破門、聖王国アノスとしては国外追放処分だそうよ。つまり、彼女達は何の役にも立たないわ」
「なんてこった・・・」
 結局、役に立たないババを拾ったようなものだ。
「気が進まないけど、交渉で使えないなら捕虜としても価値が無い。兵士達に自由にさせるしか他に使い道が無いじゃないか」
 忌々しげに呟く。
 宗教に凝り固まった人間は、結局ろくでも無い事しかしない、と眞は心の中で毒づいていた。
 ルエラは、ひょい、と肩をすくめる。
「貴方も楽しんでみる?」
「冗談じゃないよ・・・」
「冗談じゃないわ。ここで思い切った事をしないと、兵士は貴方の事を女に甘い、って考えてしまうわよ。戦場で、それは命取りよ」
 眞は驚いてルエラを見つめ返していた。
 照れたようにルエラは笑って、言う。
「本当は、そんなんじゃいけないんだろうけど」
 だが、眞はそれを知っていた。戦場では狂気こそが正気なのだ。
 冷静なものは、その狂気を正気のまま演じなければならない。それは、ある意味で最も苦しい演技だろう。
 それでも、眞は出来る限りの女達は救いたかった。
 
 
 

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