~ 2 ~

 ファールヴァルト王国の王城クリムゾン・ホーンの廊下を早足で進む足音が響く。
 きらびやかな衣装を身にまとった若い女性に続いて、数人の侍女が国王の私室に向かっていった。宮廷付きの薬師から国王の容態が悪化しつつある、との報告が入ったのが数刻前である。王女ユーフェミアはその時、病で床に伏せている国王に代わって、会議に参加していたところだった。
 そのユーフェミアの元へ薬師からの報告が入り、そのまま会議を中断させてやってきたのだ。
 国王の部屋の前には近衛騎士の姿があり、国王を護っていた。
 近衛騎士達はユーフェミアの姿に気付いて、頑丈な扉を開ける。
「ユーフェミア様、どうぞ」
「御苦労」
 そう言うとユーフェミアは近衛騎士の脇をすり抜けるようにして、国王の私室に入っていった。
 国王は生気を感じさせない顔でユーフェミアを見る。
「・・・おお、ユーフェミアか」
「お父様、ゆっくりとお休みになって下さいまし」
 ユーフェミアは心配を隠そうともせず、父王であるウェイルズ・ガーランドⅣ世の顔をのぞき込んだ。
 薬師のバルドーが言うには、国王を蝕んでいるのは通常の手段では治す術の無い病であるとの事だ。
 その症状は肉体がゆっくりと壊死をして行き、最終的に死に至るという恐るべき病だという。
 神聖魔法や精霊魔法の治癒を行っても癒すことの難しい死病である。そして、今のこの国にはそのような代価は1ガメルとて無かった。
 昨年来の飢饉によりほとんどの農作物は収穫が無く、城に僅かに備蓄のあった保存食を国民に支給し、それでも足りずに城に保有している僅かな宝物を売りさばいてオランから食料を買わなければならなかったのだ。
 そのオランも決して食料が豊富にあまっている訳ではない。
 いつロドーリルと開戦するかも判らないという状況で、食料の備蓄は少しでも多くしたいというのが本音だろう。そういった状況では何処の国もこの貧しい国を救う余裕はない。ましてや国王を救うために払う代価があるならば、その金を用いて国民を救わなくてはならない。
 それが王族の務めである。
「ユーフェミア、お前に頼みがある」
 ユーフェミアが顔を上げると、そこには自分を見つめる父の顔があった。
「お父様、お休みください」
「まあ聞きなさい。ユーフェミア、お前も大きくなった。よく床に伏せっている私の代わりに国を動かしてくれている」
「当たり前です。私とてこの国の王族の一員ですわ」
 その答えに国王は微かに満足げな笑みを浮かべる。
 しかし、その笑みは次の瞬間には寂しげなものに変わった。
「この国は最後まで豊かにはなれなかったな」
 その国王の言葉にユーフェミアは愕然となる。
「お父様!」
「今の状況では、もうこの国の財政を立て直すことは不可能だろう」
「宝物庫にある宝を売れば、まだ食料も薬も買えます」
「しかし、来年以降の種籾たねもみを買えなくなる」
 ユーフェミアは反論出来なかった。
 毎日の宮廷会議でもそのことが問題となっているのだ。
 10年かかって蓄えた僅かな金銭は、たった一度の飢饉であっけなく失われてしまう。そして来年以降、豊作となる保証はない。
 もともと痩せた土地でしかないこの国では、豊作などほとんどあり得ないのだ。
 山には毒草しか生えず、水も決して豊かではない。そして狩の対象となる動物もほとんど山にはいなかった。
 もともと諸王国が成立した時期を過ぎて建国したこの国には、豊かな土地など残されてはいなかったのだ。そして国力の無いこの国は、今の貧しい山岳地帯から抜け出すことは出来無かったのである。今までこの国を存在させてきたのは、この貧しい土地は征服しても得るものが何も無いからという皮肉な現実であった。
 しかし、もうそれも終わりかもしれない。
 今は国を解体したあとの国民をどの国に移住させるかさえ議題にあがっているのである。
 ユーフェミアは父王から幾つかの遺言とも取れる命を受け、そして部屋を退室した。
 そうして自室に戻って書物に目を落とした瞬間に、謎の爆発を調査に出ていたランダーが帰還した、との知らせを受けたのだ。
 
「眞を知らんか?」
 ランダーの城の中をうろついていた亮は、悦子なら眞の居場所を知っているだろうと思って尋ねてみた。
「ううん、知らない。私も捜してるんだけど・・・」
 悦子はそう言って首をかしげる。
 亮もひょい、と肩をすくめて、お手上げのポーズをとった。
「さっきから捜してるんだけどな、あいつ、何処行ったんだ?」
「さあ・・・で、何で眞・・・君のことを捜しているの?」
 思わず眞のことを呼び捨てにしてしまいそうになって、悦子は少し慌てて言いなおす。
 亮は気が付かない振りをして答えた。
「いやな、ランダーさんがあいつに話があるんだそうだ」
「ランダーさんが?」
「ああ」
 何かあったのだろうか。悦子の心に少し不安が涌き出てくる。
 その悦子の不安を察知したかのように亮が言葉を添える。
「心配無いさ。ランダーさんは眞を連れて王城に行くんだってさ」
「王城?」
「なんでも、ランダーさんの報告を補佐して情報を提供したりするらしい。ルエラさんも行くそうだ」
 内心、悦子は穏やかならぬものを感じてしまう。
 あの魔女と一緒・・・
 考えただけでも面白くない。
 そもそも、眞が古代語魔法を使う事がわかって、ルエラも魔術師だ。
 眞自身は魔法のアイテムで、とりあえず呪文は唱える事が出来るまで習得している。しかし、根本的な教育を受けているわけではないので、その魔術知識や理論などはかなりルエラに劣る。だがルエラとは違い古の時代に失われた呪文などを身に付けている為、ルエラとしても眞からそれらの知識を得ることは多いに勉強になるのだ。
 つまり、お互いの利害が一致するのである。その為、2人とも暇を見ては古代語魔法の勉強をしている。まあ、眞もルエラも魔術の研究で頭が一杯だろうが・・・
 それでも悦子はルエラが気になるのだ。
 あの魔女は・・・美人なのだ。それもとてつもない程の。
(年上であれだけ美人・・・やばいかも・・・)
 悦子は密かに危機感を抱いていた。
 そして・・・亮は自分の迂闊な発言を呪いながら、なんとか逃げ出す隙を見計らっていた。
 ルエラの名前を出した瞬間、悦子の顔色が目に見えて変わったのを見て、自分が禁句を言ってしまったのを悟ったのだ。
「速水君」
「な、なに?」
 返事をする声が少し上ずってしまう。
「私達も行けないかな?」
「それは・・・判らない」
(一体、何をする気なんだ・・・)
「うーん、困った・・・」
 悦子は1人でぶつぶつと何かを呟いて考え込んでいる。
 亮は蛇に睨まれた蛙の気持ちを味わっていた。
(誰か助けてくれ・・・・)
 しかし、亮の祈りは、結局夕食まで叶えられる事は無かった。
 
「眞、お前何処に行ってたんだ?」
 心底から疲れ切ったような表情の亮が尋ねてきたが、眞は何が起こったのか判らなかった。
「中庭にいたけど。どうしたの?」
「・・・何でも無いんだがな・・・」
 不思議そうな顔をする眞を見て、亮は心の底から同情を覚えた。
(お前、苦労するよ・・・)
「ふーん。まあ良いけどさ」
「眞。お前、後で小沢さんの所へ行っとけよ」
「?」
 首をかしげる眞を見て、一瞬殺意を覚えそうになった亮だが辛うじてこらえて引きつった笑みを浮かべた。そして呟く。
「お前、命が惜しかったらな、アドバイスを聞いとけ」
「う、うん」
 何やら厄介な事らしい。一体何なんだ?
 亮は首を捻りながら歩く眞を連れて食堂に向かった。
「お、来た来た」
 加藤が待ちかねたような声を出す。
「眞、こっち来いよ!」
「オーライ」
 眞が加藤のほうに向かおうとするのを止めて、亮が言った。
「小沢さんの隣が開いてるから、俺達はそこで食おう」
「・・・うん。加藤、俺達は別のテーブルで食うわ!」
「なんでだー?」
「知らねー!」
「何だあ!?」
 狐につままれたような声で加藤が答える。
 そして、眞は引きずられるように悦子達の座るテーブルに連れて行かれた。
「小沢さん、ここ良いかな?」
 亮は悦子に、一応尋ねた。
 にっこりと笑って悦子は頷く。
「いいよ」
 亮はその笑顔を見て、心底からほっとした。
 恐らくこれで、この大魔神の機嫌も良くなってくれるだろう。
 そして亮は有無を言わさずに眞を悦子の隣の席に押し込む。そして自分はその眞の隣に座った。だが、顔を上げた瞬間、亮は思わず絶叫しそうになってしまった。向かいの席に智子がひょい、と座ったのだ。
(逃げろぉーっ!)
 だが、流石にテレパシーも魔法も使えない亮には恋人に警告を伝える術は無かった。
 せめて、智子か悦子の友人があのメドゥーサを刺激する発言をしないでくれるように全身全霊で祈る。だが、今回も亮の願いは叶えられなかった。
「ねえねえ、緒方くん。明日、王様に会いに行くんだって?」
「んー、いつの間にかそうなった」
 眞がのんびりと答える。その瞬間、亮は全身の血が急速に引いていくのを感じた。心なしか血の気が失せる音が聞こえるような気がした。
 思わず回りをこっそりと見回す。そうすると同じように血の気を失った高崎里香と目が合ってしまった。
 そして、悦子の友人達は今にも失神しそうな顔で硬直していた。
 悦子は・・・
 何も聞こえなかったような風に食事をしている。
「誰と行くんだっけ?」
「ランダーと葉子先生、あとはルエラさん」
 一瞬、誰もが世界の終わりを予感した。
(この馬鹿、なんて事を言うんだ!)
(お願い、神様!)
(誰か生贄になってくれ!)
 ・・・亮にはこの場にいるほぼ全員の心の叫びを聞いた気がした。もちろん、その中の1人分は自分だろう。
「何しにいくの?」
 悦子が眞に尋ねた。
「何でも、あの塔の爆発で俺達がこっちの世界に来たから、その説明だそうだ。それで、ルエラさんはあの塔を調査してたから、その状況説明。葉子先生は、とりあえず僕らの責任者だから」
「ふーん」
 悦子は感心したように呟く。そして尋ねた。
「で、どうして眞君も行くのよ?」
「知らない。ランダーさんが一緒に来いって。多分言葉が判るからじゃないかな」
「そうなんだ。どのくらい行ってくるの?」
「多分、王城に4、5日泊まるらしいから、行き帰りで一週間ぐらいだと思う」
「何でそんなにお城に泊まるの?」
 智子のその質問にひょい、と肩をすくめて眞が答える。
「報告の後はうたげ、いわゆるパーティーをするんだとさ」
「・・・パーティー?」
「ああ。この世界では何かある度に宴を開くらしいよ」
「良いなあ。私も行きたいかも」
 悦子のその言葉に、その場が凍りつく。
「うーん・・・ちょっと無理かも」
「判ってる」
 3人ともけらけら笑って食事を終えた。
「・・・なんだ、皆、なんにも食べてないじゃないか」
 眞のその言葉に、思わずその場の3人を除く全員が殺意を抱いたと言う。
「いや。ちょっとな・・・」
 亮は思わず力が抜けるのを止められなかった。だが、とにもかくにも、破壊の女神による最後の審判は行われなかったのだ。僥倖ぎょうこうであった。
「悦子ちゃん、見せたいものがあるんだ。よかったら岡崎さんも来る?」
「うーん、遠慮しとく。邪魔するの悪いしね」
 悪戯っぽく答える智子に、悦子は少し照れたように笑う。
「もう!」
 そう言いながらも二人は食堂を後にした。その後には死人のような顔で食事を進めている亮たちが残されている。亮たちの恐怖の食事が終わろうとしていた。
 
 眞はランダー、ルエラ、葉子と共に王宮の謁見の間に通されていた。
 きらびやかな甲冑を身に付けた騎士達や難しい顔をしている文官達、それに華やかな衣装を身にまとった侍女達が控えている。
 眞も塔で見つけた鎧やマントを身に付けて、彼等に負けない程の衣装を身に付けていた。
 そしてランダーもルエラも正装をして控えていた。葉子は、ドレスなどを持っていないため、とりあえずランダーの妻のものから幾つか借りている。
 眞は回りの騎士達から値踏みをするような眼差しを向けられていた。
「大丈夫か?」
 ランダーが東方語で話し掛ける。眞もそれに東方語で答えた。
「さすがに緊張しますね」
「まあ、心配するな」
 眞はあらかじめ<言語理解タング>の呪文を唱えて、東方語を話せるようにしている。  柴雲の持つ魔力には、術者にしか効果が及ばない呪文を他者にかける機能があったので、同じく<言語理解>の呪文を葉子にかけていた。
 これで言葉の問題は解決しているはずだ。
 国王の前で事件のあらましを報告した眞達は、驚愕と好奇の視線を持って迎えられていた。
 そして今は宴の主賓としてファールヴァルトを支える人材と、言葉を交わしている。
「貴殿の初陣は壮絶なものであったな」
 騎士の一人が感心したような声をあげた。
「夢中で戦いました故、後で恐怖がこみあげてきたものですよ」
 眞は慣れない言葉で応対する。
「ははは、私もそうであった。今でこそ慣れたがな」
「私もそうであった。斬られた事にさえ気が付かなかった程、気が張っておったからな」
 騎士達と談笑を交わしている間に、徐々に打ち解けてきていた。熟練の騎士達に混じって若い-眞よりも若い者もいた-騎士達が話の輪に混じっている。おそらく上級騎士の子息達だろう。
 それら貴族達の輪の中にいても眞は臆することなく堂々と応対していた。
 若い騎士達や騎士見習いが眞の戦いの話を聞いて、感心している。
 葉子も少し感心していた。
 眞の堂々とした態度は好感を持って騎士達に受け入れられているのだ。
 そうして『異世界の魔法戦士』として武勲を挙げた騎士の態度を貫いている。そんな眞の態度が、同じく誇り高い騎士の尊敬を受ける理由にもなっているのだろう。
 葉子もまた文官の女性や侍女達と、異世界の文化や芸能などについて話し合っていた。
 流石にどの世界でも、女性の関心は美にあるものだ、と思う。葉子の化粧にも当然その関心は向けられていた。
「お綺麗な紅ですわね」「それに見事な色合いですこと」
 そのような話をしながらも、幾人かの女性が眞にちらちらと視線を送っていることにも気が付く。
(緒方君・・・上手くあしらわないと血を見るわよ・・・)
 思わず心配してしまっていた。
 国王は健康が優れないとの理由で早々に退出していたが、ユーフェミア王女が残り、その役目を立派にこなしている。
 眞はというと、今度は文官達も混じって政治の話をしている。
 日本のトップクラスの政治家が祖父だった眞は、その洗練された知識を披露していた。騎士達も勉強になるのか、真剣な表情で聞き入っている。
「ふむ・・・そうであったか」
「では眞殿、穀物が不足して、なお人手が足りぬ場合にはどうするおつもりか?」
「まず、現状を把握することを再優先にします。この場合、穀物以外の食料はどうか、他に資金に換えられるものは何か、そして何故に人を足りないままにしているのか、この3点が重要なものです。そして・・・」
 眞の知識は、現実に政治を動かしてきた祖父を見て身に付いたものだ。口先の理屈とは根本的に違っていた。
 それは百戦練磨の文官が真剣な眼差しで聞き入っていることからも伺える。
「その意見、もう少し詳しく伺えますか?」
 突如、鈴の音のような声が聞こえた。
「ユ、ユーフェミア王女!」
 騎士達がかしこまって膝まづく。
「そなたの政治家としての知恵、見事なものです。この国の政治に役立てるためにも知恵を拝借したい」
「・・・かしこまりました」
 少し考えて、眞は頷いた。
 騎士や文官達は少し下がって控えようとする。それを王女が止めた。
「皆が最初に話していたのを私が邪魔をしたのです。こちらに来て話を一緒に伺いなさい」
「は」
 全員が恐縮しながらも再び話に加わる。そして、その話を聞いていた王女にある考えが浮かんでいた。
 
「御意に存じます」
 ランダーは王女から内密に相談を受けて、内心の喜びを隠すのに一苦労していた。
『沈黙の間』には国王、王女、そして国の中枢を担う宰相のオルフォード、そしてランダーが居る。
 その直々の相談とは・・・
「それでは、あの異世界の魔法戦士をファールヴァルトに迎える、と」
 オルフォードが重々しく口を開いた。
「その通りだ。あの知恵、そして騎士としてもランダー卿を凌ぐ業前と聞いた。古代語の魔法も中々の腕前であるとか。しかし、正式に騎士として取り立てるには問題がある」
「確かに。そこでだ、眞殿に手柄を立ててもらう事になる」
「何でございましょう」
 国王の言葉にランダーは少し考え込む。
「裏の山に魔獣が住みついたとの報告があった」
「何と・・・」
 あろうことか王城のすぐ後ろにある山に、鷲頭獅子グリフォンが住みついたのだ。このまま手をこまねいていては問題になる。しかし、成敗しようにも被害は出ていない為に騎士団が動く理由が無いのだ。
 それに、被害の有無に関わらず騎士団を動かすと、それだけ出費がかかる。
 実費だけでなく魔獣退治に成功した騎士に恩賞を与える必要もあるからだ。
 それは今の窮状では自殺行為にも等しい。
 だが、眞が動くのならば問題は無い。
 騎士でないから恩賞は騎士叙勲で済む。それに、眞はミノタウロスさえ簡単に倒す程の腕をした戦士である。おまけに自分で古代語魔法も使うから魔法の援護もいらない。まず間違い無くこの魔獣退治を片付けるだろう。
 王城の裏山が舞台であるから、適度に名誉もある。
 その為、眞にその魔獣を退治させて、その手柄を功績に騎士叙勲を行おうと考えていた。
 ファールヴァルトが生き残るためには異世界の知恵が必要になる、そうユーフェミアは判断したのだ。
 もちろん、宰相のオルフォードに異存は無い。異世界の知恵を持ってこの国を豊かに出来るのであれば、国の売却などという恥を歴史に残さずに済む。
 ファーレンも優れた戦士を騎士団に迎えられるのであれば、と納得していた。
 万が一、国が本当に豊かになれば、次に他国の侵略を警戒しなければならない。それでなくてもこの国には厄介な『悪意の森』やその他、さまざまな魔境がひしめき合っている。
 オランの賢者に「魔境の隙間に国がある」などと言われている有様なのだ。
 優れた戦士は国にとっての宝の一つでもある。
 両者共、実際に眞を見て、言葉を交えた事であの少年を欲しい、と思ったのだ。
「いかにも、あの少年はとてつもない逸材だ。ぜひともこの国に仕官してもらいたい」
 国王ウェイルズの言葉が、その重要性を物語っているだろう。
 この滅亡に瀕した国を救えるのは常識にとらわれない発想しかないだろう。
 そして、この世界の常識に最もとらわれていない人物、それは異世界から来た人間でしかありえない。
 
「へ?」
 ランダーにグリフォン退治を持ちかけられた眞は、いきなりの話に流石に驚いてしまった。
「お前にグリフォンを退治してもらいたい、との国王陛下からの依頼なのだ」
 もう一度ランダーが繰り返した。
「判りましたが、どうして騎士団を派遣しないのです?」
 考えるまでも無く不思議な話だ。
 王城の目と鼻の先で余所者が王命に従って魔獣を退治するなど、騎士にしてみれば侮辱も良いところだろう。
「騎士団を派遣するには色々と不都合があるのだ。それに、騎士達には異世界の勇者をこの国に迎えるための事だと言ってある」
「それは・・・」
 流石に言わんとしてる事は理解できるが、それでも騎士の名誉からすれば納得できる理由にはなり得ないはずだ。
 だが、ランダーは笑っている。
「この国の騎士は知っての通り、魔物と戦う事が多い。だからこそ、牛頭魔人ミノタウロスの恐ろしさと強さは熟知している」
「なるほど・・・自分の腕を見たい、と」
 眞は合点がいった。
 彼等は眞の事を試したいのだろう。それに、騎士達と先の宴で話し合った時にいくらか打ち解けあっている。ルエラを助けたこともファールヴァルトの騎士達の心証を良くしたらしい。
 なんでも、ルエラの養父は一度、この国で騎士達に知識を教えていたらしい。その娘を救い出した人物である眞を悪く思うはずもなかった。
「判りました」
 眞はこの件を引き受けることにした。
「ただし、一つだけ確認したいことがあります」
「なんだ?」
 ランダーは眞の言葉に興味を持った。眞は何かまた考えているらしい。
「この魔獣退治は僕が好きにやっても良いですか?」
「・・・ふむ、構わんだろう」
 そう答えながらもランダーは内心、眞の行動に興味を抱いてしまう。
 この少年は次に何をするのだろう?
 そして、眞もこの国で自らの立場を確保する大きな機会を得たことを感謝していた。
 
「・・・という事なんだけど」
 眞は葉子に魔獣退治の話を打ち明けた。
「うーん、それは危険じゃないの?」
「危険じゃなかったら使命にも名誉にもならないよ」
 葉子の問いに、眞は苦笑しながら答える。
「そう・・・」
 葉子は答えながらも、どうしてこの子はややこしい事ばかり引き起こすのかしら、などと考えていた。
 ただ、眞の言う事にも一理ある。
 どちらにせよ、自分達はこの世界で生活する手段を見出さねばならない。いつまでもランダーの世話になり続ける訳にはいかないのだ。そして、眞はその剣技、魔力共に卓越したものがある。
 ここで眞が騎士として叙勲を受ければ大きな意味があるだろう。
 ファールヴァルト王国を救う、そんな困難な目標に意欲を見せているのだ。きっと何かを成し遂げるだろう。
 葉子はふと、眞の事で考える事があった。
 現代の若者達がやる気が無い、無気力だ、などと言われているのは、死に物狂いで戦えないからではないだろうか?
 何も『戦う』のは戦をする事ではない。何かを成し遂げる事こそが『戦い』なのだ。
 自分達がいた世界には、若者達が命を賭けて、全力で生きる余地がもう無いのかもしれない。『平和』と『繁栄』の中で、『野性』を失った人間達。死に物狂いで生きる喜びを知らずして、どうして充実した行き方が出来ようか。
 葉子の考えは、何故か思いがけない形で現れていた。
 それは先日、眞が語った言葉と重なって奇妙な現実感リアリティーを帯びているのだ。
「気を付けなさいね」
 眞は葉子の言葉に微かな驚きを感じていた。
「止めないの?」
 そう言って葉子に尋ね返す。
 だが、葉子は静かに首を振って、眞に答える。
「止めないわよ。だって、ここはもうこの間まで私達が住んでいた世界じゃないもの」
 その答えに眞は、にっと笑いを返した。
「話がわかるようになってきたじゃん」
「そう?」
 葉子も、にこっと笑い返す。
 ようやく、葉子も自分のするべき事を考え始めていた。
 
 数日後、眞はグリフォン退治に出発していた。
 サポートをする為にルエラも同行している。この若い魔女は、なにかと眞の面倒を見てくれている。今回も、魔獣に関する知識が無いと危険だ、というので付いて来たのだ。
「グリフォンは正確に言うと魔獣では無いわ。どちらかと言うと幻獣という部類に入るわね」
「要するに、人間に対しては積極的に攻撃するという訳じゃない、と」
「その通りよ」
 ルエラはひょい、と肩をすくめて答えた。
「騎士達の中にはこの幻獣を家紋にしている者も大勢いるくらいだから」
「確かに綺麗だしな。俺達の世界の国にも、グリフォンを紋章にしている所があるぜ」
 眞のその言葉に、ルエラが驚く。
「貴方達の世界にもグリフォンがいるの?」
「はは、まさか。俺達の世界では、グリフォンは夢の動物だよ。グリフォンだけじゃない。キメラもマンティコアもスフィンクスも、竜も、もちろん夢の中にしかいない」
「そうなの・・・」
「唯一いる魔物は俺達人間自身さ」
 眞の言葉に、ルエラは答え様が無かった。
「さて、これからどうするかな」
 眞が呟いた。山に入ってから何日もグリフォンを捜しまわっている。だが、肝心のグリフォンは姿をあらわさないのだ。首から吊るした魔法の護符を取り出す。
 下位古代語のコマンドを唱えて魔力を発動する。
「・・・もしもし、聞こえますか?」
 少し経ってから、ランダーの声が返ってきた。この魔法の護符を使うと携帯電話のように会話が出来るのだ。もちろん、相手の護符の合言葉を知っている必要があるが。護符の中心にある小さな水晶球にランダーの顔が映っている。
「何だ、眞」
「こちらではまだ姿を見かけません。もしかして、そちらのほうに姿を見せていませんか?」
「いや、そのような報告は受けていないが」
「だったら結構です。すみません」
「構わんよ」
 何かあったら、また連絡するように、と言って、ランダーは通信を切った。
 眞はこの通話の護符を、ルエラを助けた時に『塔』で大量に発見していた。クラスメート達全員に配っても、まだ余っていたので、ランダーや何人かの親しくなった騎士達に与えていたのだ。
 このアイテムは大変珍しがられ、そして重宝されている。
 悦子はこの護符を使って毎日のように連絡をしてきていた。最初はグリフォン退治の話に驚いたものの、眞がこの手柄を元に騎士として取りたててもらえると聞き、納得していた。
 気を付けて頑張ってね、という悦子の声が思い出される。
 眞はここ暫く、魔獣関連の書物を読んで、グリフォンの詳細な知識を得ていた。それは、ある自分の考えを実行に移すために必要な知識だった。
「とりあえず、試してみるか」
 そう言って、眞は杖を手に取った。
「気を付けてね」
 ルエラが心配そうに言う。眞はこれからグリフォンを召喚する試みを行うのだ。
 魔獣支配の秘術-古代王国がまだカストゥール王国と呼ばれていた時代に栄えた古代語魔法の秘術である。かの古の王国には十の系統に分かれた古代語魔法が存在した。その中の一つに統合魔術と呼ばれる系統の魔術があったのだ。それは、他の系統の魔術を統合し、組み合わせると言う想像を絶する高度な魔術でもあった。その統合魔術の一つに、この魔獣支配の秘術があったのだ。
 眞は塔で発見した大量の古代書から、この魔獣支配の秘術を記した魔術書を発見していた。その内容は極めて高度であったが、ルエラと共に解析に成功したのだ。
 そして、それを試そうと思っていた。
 眞は上位古代語の呪文を唱えて、精神を集中させて行く。魔法語ルーンの響きが自らの精神を無数の糸に変え徐々に周囲に広がるのを意識していた。
「いた。グリフォンだ」
 暫くして、その精神の糸の一つがグリフォンに触れたのを感じた。心の中にグリフォンの映像が浮かぶ。それを確認した眞は唱えていた呪文を変えて、その探知の糸をグリフォンに絡める。
 最初は気付いていなかったグリフォンは、その魔力の気配に驚いたのか暴れ始めた。必死になって眞の魔力から逃げようとする。しかし、眞の魔力はグリフォンを確実に捕らえ、グリフォンは探知の糸を逆に辿るように近づいてきた。
「もうすぐ来る」
 そう言って、暫く経ったとき、突如、グリフォンの雄叫びが聞こえた。そして、眞は呪文を中断する。無理やり召喚された怒りを、魔獣は全身から放っていた。
 戦いが始まった。
 鷲の頭と翼を持った魔獣は上空から急降下して、眞に襲いかかった。
 しかし、眞はそれを予想していた。
 魔獣の爪が触れる瞬間、鋭く横に身体を捌いてそれをかわす。その瞬間、脇をすり抜けようとしたグリフォンに眞は発剄を放っていた。だが、眞は魔獣に致命傷を与えられる隙をわざと見逃す。グリフォンは強力な一撃を受けた事で益々憤り、眞に飛び掛ってきた。その振り下ろされる鷲の爪を、眞は軽やかにかわし破壊槌の如き嘴を見切る。そして魔剣を振るい、発剄を叩き込んで行った。
 そしてどれほどの時間が経ったであろうか、眞の打ち下ろすような発剄がグリフォンを地面に叩き落した。そのまま、この魔獣に飛び乗って押さえ付ける。
 グリフォンは人間に飛び乗られ、押さえ付けられようとしている事に益々憤り、この不遜な人間を振り落とそうと暴れまわった。
 しかし、眞はそのグリフォンの動きを操り、巧みにねじ伏せて行く。
(ロデオなんて目じゃねえだろうな・・・)
 ふと、そう思っていた。
 その瞬間、グリフォンは空中に舞い上がる。眞はそのままこの幻獣の背中にしがみついて、必死に振り落とされまいとする。別に落ちても<落下制御フォーリング・コントロール>の呪文があるため、大事には至らないのだが、眞はこの鷲頭の幻獣を捕らえるために必死になってねじ伏せ様としていたのだ。
 グリフォンが暴れようとする度に発剄を打ち込み、その動きを封じ込める。
 どれほどの時間、そうした戦いが続いたのだろうか、最後に相手を屈服させたのは眞だった。
 幾ら暴れ様とも背中に乗ったまま振り落とせない、そして、自分の反撃をことごとく封じ込めるこの戦士に、グリフォンは相手が自分よりも強いことを悟っていた。
 強者に対して何時までも歯向かう事は出来ない、そう思ったのであろうか、この鷲頭の幻獣は反撃を諦める。
 突如、大人しくなったグリフォンに警戒心を解かないまま、眞はゆっくりとこの幻獣を地上に降下させていった。襲いかかってきた時とはまるで違う大人しさで、グリフォンは静かに着陸する。そして、グリフォンはそのまま地面に伏せた。眞は慎重にグリフォンの背中から降りたが、その眞に鷲頭の幻獣は頭を眞にすり寄せて服従したのだ。
「・・・やったようね」
 ルエラは感心したように呟いた。
 グリフォンは決して弱い幻獣ではない。むしろ相当な手練の戦士がようやく倒せる程の強敵である。まさかその幻獣を捕らえる事が出来るなどと思ってもいなかった。
「ああ」
 眞は満足げに笑顔を浮かべている。そして、その場に座り込んだ。
「やっぱ、疲れたな。今日はもう一歩も動きたくないぜ」
「本当よ。見ているだけで疲れたわ」
 ルエラもそう言って座り込む。今日はもう、一日中休んでいたい気分だった。
 眞は、それでも呪文を唱えて自分とグリフォンの傷を癒していく。傷を負ったままでいる事の危険は熟知してるからだ。自分が傷を負ったことが原因で病気になるのもつまらないし、せっかく捉えたグリフォンに死なれでもしたら笑い話にもならない。
 そして、呪文を唱え終わった眞はグリフォンにしっかりと縄をかけて、横になった。もっとも、グリフォンの方は逃げ出そうなどとは考えてもいないようだったが。それを見て眞は目を閉じた。
 今日一日くらい昼間っから寝ても罰はあたらないさ。
 眞はそう思いながら眠りに落ちて行った。
 
 
 

~ 3 ~

 
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