~ 1 ~

 翌日、眞達は大急ぎで旅の準備をしていた。
 ただ、どのように準備しても即出発というわけにはいかない。多数の負傷兵たちをそのままにして移動できないからだ。
 幸いにも眞が魔神から得た知識の中にはいくつかの失われた古代語魔法の治療呪文があったので、眞とルエラが一通り負傷兵達に呪文をかけて回る。
「この呪文が見つかって助かったわ」
 ルエラがほっとした表情で眞に告げる。
 実際、眞が知っている古代語魔法の知識は大変なものがあった。魔神から直接、その古代語魔法の知識を得ただけあり、すでに現代のフォーセリアでは失われた呪文が多数あるのだ。
 その大半は禁忌の呪文とされるものだろうが、役立つ呪文が多いのも事実であった。
 そしてそれらの呪文の中で、一番初歩に分類される呪文に、古代語魔法では無いとされていた治療呪文があったのだ。
 確かにその効果は神聖魔法や女性のみが使える精霊魔法の治療呪文には及ばないが、魔法で治療できるのとそうで無いのではまるっきり意味が違う。
「これで行軍が楽になるな」
 ランダーが満足そうに言った。部下を失う危険が大幅に減るのは願うところである。眞がこれらの呪文を発見していたのは嬉しい誤算だったのだ。
 しかも、眞が例の塔の遺跡で発見した魔術書を読んで、古代語魔法を身につけていた、というのも驚きだった。
 そして、あの蛮族の娘、ティエラも古代語魔法を使う魔術師らしい。
 古代語魔法を使える人間が3人もいるのだ。そして蛮族の男の一人は精霊使いでもあった。
 最初の予想よりも戦闘力や非常時の対処能力は格段に上だと考えて良い。
 どちらにせよ一通り兵士たちを魔法で治療して、休ませている間に旅の仕度をする事にしていた。
 ランダーは、眞の手際の良さに感心しつづけている。魔法で治療する術を編み出し、そして塔の遺跡の中で優れた魔術師を救出もしていた。
 優秀な魔術師は貴重な人材である。しかも導師級の魔術師など、そうそう居るわけではない。
 しかも、彼女は自分が教えを受けたジェルマー導師の愛娘なのだ。
 眞はそのルエラを暴走した危険な古代王国の遺跡から救い出していたのだ。それだけでもランダーは眞に大変な恩ができてしまった。そしてあの状況で辛うじて部下を失わずに済んだのも、眞がミノタウロスを討ち取ったからである。負傷した部下達を癒せるのも、遺跡で眞達が失われた呪文を発見したからだ。
 それゆえ、密かに、このファールヴァルトの騎士は眞にその恩を返すためにも国に連れて行こうと考えていたのだ。
 確かにファールヴァルトは食糧難という状況だが、一度、何処かの国に仕官すれば、後でたいていの国に行くのは楽になる。
 そして、ランダーは眞に何かを感じていた。
 異世界に放り出されるという絶望的な状況の中、見事に偶然と幸運を引き寄せて仲間を救い、そしてファールヴァルトの戦士達を救い、さらに『獣の民』と共にいま旅にでようとしている。
 その圧倒的な行動力と不屈の精神力を持った少年が、危機に陥った祖国に何かを持ち込んでくれるような気がしたのだ。
 今、その少年は恩師の娘と共に魔法の知識を交換し合っていた。
 
「この呪文のここ。俺はこれはこの部分に掛かってくると思うんだ。これは制御関連詞のはずだ」
「違うわよ。だってそうだったらここに連接情報詞が来るはず無いじゃない!」
「だけどな、ここにこの情報詞が連続してくるのは、やっぱり変だ。情報詞は必ず基点にする保有詞が無いと意味が無い」
「それがわからないから変なのよ・・・」
 はっきり言ってサッパリわからない会話だ。
 魔術師同士が魔法の呪文を解析すると、現代で言うならばプログラマーやエンジニアが議論するような感じになるのだろう。
 どちらにしても知らない人間からみると意味の分からない妖しい事をしているようにしか見えないのだが・・・
「・・・で、結論は出たのか?」
 むっつりと黙り込んでしまった眞とルエラに亮が話し掛ける。
「いいや、全然」
「さっぱりよ」
 2人とも疲れ切ったような顔で呟いた。
「あ・・・そ」
 やはり、魔術師とは変人なのだろうか。
 亮は思わず頭を抱え込みたくなってしまっていた。
 そして、悦子は・・・不機嫌そうな顔で黙々と出発の準備をしていた。
 眞とルエラが一緒になって魔術に関することで打ち合わせをしているのが面白くないのだ。
 いつの間にか眞が自分達のリーダーになってしまっている。
 自力でフォーセリアの言葉を喋れて、魔法を操ることもできる。そして優秀な戦士でもあり、指揮官としての才能を見せた眞がリーダーに選ばれたのはむしろ当然だろう。
 その事自体は良い。むしろ嬉しく思っていた。
 だが、その事により眞が予想を越えて忙しくなってしまったのだ。
 ランダーやダーレイとの打ち合わせ、ルエラと協力して魔術による支援体制の確立、食料の確保、兵士達の指揮系統の再編成・・・
 気の遠くなるような作業が繰り返されていた。
 そのせいで、悦子は眞と挨拶をしただけで話す暇も無かったのである。
「・・・悦子?」
「何?」
 里香が心配げに尋ねてきた。
「えらく機嫌が悪いじゃない」
「う・・・だってさ・・・」
 悦子は顔を上げて里香を見る。
「緒方の事?」
 優しい表情で里香は悦子を見ていた。
「お見通し、なんだね・・・」
 80点の笑顔で悦子は里香に微笑む。
「それくらい判るよ。しかし、緒方も凄いもんだね」
 そう言って、眞を見た。
「それと、あんたの男を見る目は、やっぱり凄いって事だよ」
「里香・・・」
 里香はにっ、と笑う。
「まだ想像も出来ないけどね、緒方があんなに強い化け物をあっさりと倒すくらい強いだなんて」
「うん」
 ちょっとだけ顔を下に向けて、里香は言葉を続ける。
「それに、安全な場所に移動できる手筈を整えてくれてるし。あの気の弱さは何処に行ったんだろ」
「里香・・・」
「あんなに、酷い事をした私達なのに・・・」
 悦子は驚いていた。
 この想像を絶する状況で、みんな色々な形で変わり始めていた。それは自分も例外ではない。
 眞は戦士として、魔法使いとして、そしてリーダーとして急速に成長している。
 里香は、自分の過ちを認めて、それを自覚していた。
 そして自分は・・・
「しっかりと捕まえとかないと駄目だよ。ライバルは大勢いるって考えないと」
「うん。判った」
「よしよし」
 里香はまるでお姉さんのように、悦子の頭を撫でた。
「もう、いつも子供扱いする」
 里香は、その悦子の抗議に豪快に笑って立ちあがる。
「気にしない、気にしない!」
 手をひらひらと振りながら行ってしまった。
「応援、してあげるからさ」
 里香が、扉の向こうに姿を消す直前に、悦子にそう言ってウィンクをする。
 悦子は里香の言葉に驚いて、そのまま里香の消えた扉を見ていた。
 
「出発準備は?」
 眞が各班のリーダーに尋ねた。
 結局、あれから2日かかって準備が完了していた。
 眞は塔で見つけた魔法の鎧を身に着けている。
 革を硬くなめした鎧だ。金属のような蒼紫色に染められ、金色のミスリル銀と小さな宝石で装飾を施してある。この鎧には特殊な魔法がかけてあり、古代語魔法を使おうとした時や、合言葉を唱える事で柔らかくなり、身体の動きを阻害しなくなるのだ。
 古代語魔法を武器の一つにしている魔法戦士である眞にとって、これは最適な防具だった。それに眞はミスリル銀で作られた上着を鎧の中に着込んでいる。これで、重装備の騎士にさえ匹敵する装甲を得ていた。
 魔法の手袋-ガード・グラブを身に付けているので、盾も持つことになる。
 この魔法の手袋は着用してその手を握ると盾の形に力場を発生するのだ。こうする事で戦士として最大限の装備を持つことができ、しかも魔法を使うのに支障がないのだ。
 同じく魔法のかかったマントを羽織り、魔法の杖を持って完全武装している。
「ああ見ると本っ当にあんな格好が似合うね・・・」
「うーん・・・そうかも・・・」
 里香と悦子は感心したようなあきれたような声でひそひそと話をしていた。
 その2人の視線を知ってか知らずか、眞は各班のリーダー達にてきぱきと指示を出している。
「・・・以上がこれからの行動計画です。何か質問は?」
 眞の問いかけに全員が、問題無い、との意思表示をした。
「それでは、ランダー卿、出発します」
「よろしい」
 眞がランダーに報告をする。ランダーは眞の補佐官という役割なのだ。
 内心、ランダーはこの短い移動の指揮を眞に取らせる事により、眞にリーダーとしての経験をつませようと考えていた。それはランダーの目的というか考えにも役に立つはずだ。
 そのランダーの思いをよそに眞は元気に号令をかけた。
「出発!」
 ファールヴァルトへの短い旅が始まった。
 後の賢者はこの瞬間に『鋼の将軍』の無敵伝説が始まったと言い、周辺の国民達は-ファールヴァルト国民も含めてアレクラストの歴史を変える大戦が始まったのだと噂した。
 
 2日という時間は、見知らぬ世界を歩くのには非常に長い時間だった。
 実際、幾度か妖魔の奇襲を受けた。しかし、完全武装した騎士達を始めとして数十人規模の部隊を目の当たりにした妖魔達は、大抵大急ぎで逃げ出して行った。
 唯一の例外は頭の悪い食人鬼オーガーだった。5体ものオーガーが数の違いをものともせずに襲いかかってきたのだ。
 しかし、彼らは自分達の頭の悪さを自覚する時間も与えられずに眞と騎士達によって倒されていた。
 トラブルらしいトラブルはそれくらいで、後はまあ順調だった。
 2日目の昼過ぎにようやくランダーの領地である農村に到着した。
 その旅の間、ランダーは眞の指揮官としての才能を見ていたのだ。
 そしてランダーは、この異世界の戦士がとてつもない才能というか資質を持っていることに気が付いた。戦士としても既に超一流の域に達しつつある。そして導師級の魔術さえ操るのだ。だが、ランダーから見て眞のそれは、眞の真の姿のほんの一面としか思えなかった。
 深い洞察により導かれる状況判断の正確さ、考えの柔軟さ、その他を見ても常人の域を越えている。
 鍛えてみたい、そうランダーは思っていた。
 あの異世界の少年を、自らの手でその真実の器を磨いてみたいと思ったのだ。
 おそらく自分が指導し教えることが出来るのは、せいぜいあと1年も無いだろう。
 眞はもう数年もしない内に歴史の表舞台に上がるはずだ。
 そのきっかけを作ってやりたかったのだ。
 ランダーの思いをよそに、大人数の旅隊はランダーの城に到着しつつあった。
 流石に村人達が、不思議な装いの若者達を見ていた。
 ひそひそと噂話をしている。
 見たことの無い装いの人間、それも数十人の少女達と少数だが少年達、と王国の騎士達と兵士が一緒にいるのだ。おかしく無いはずが無い。
 村人達の好奇の視線を受けながら、眞達は数刻でランダーの城に到着した。
 
「すげえ・・・城だぜ・・・」
「大きい・・・」
 日本の城、それもほとんど博物館のような物しか見たことの無い現代っ子達は驚きを隠せない。
「御帰りなさいませ」
 初老の男性が出迎えに出てきた。
「御苦労」
 ランダーが短く、しかし優しく男性に声をかける。
「紹介しよう。私の執事、バトラーだ」
 紹介された執事は、丁寧に一礼をした。
「バトラー、こちらは私の客人だ。異国より参られた御方達だ。くれぐれも粗相の無いように」
「畏まりました」
 そして、ランダーは執事に眞達を紹介していった。
 流石にバトラーは貴族付きの執事である。一度名乗っただけで眞達の名前と顔を覚えていく。
 挨拶が済んで、眞達は応接室に通されていた。
「しかし、ランダーって本当にすげえ人なんだな・・・」
 呆けたように加藤が呟く。
 眞も鎧を脱いで、さすがにくつろいでいた。
「ああ。確かに領地持ちの貴族だ、かなりの上級騎士なのかな?」
「でも、なんでそんなお偉いさんが最前線に出張ってるんだ?」
「さあな・・・なんか理由があるんだろ?」
 牧原の疑問に眞はぼんやりと答えていた。
 最初の緊張が解けたのか、女の子達は絵や彫刻などの美術品を見てはしゃぎ回っている。
 だが、眞は最初の緊張と興奮が取れるに従って、徐々にいつもの醒めた眼になっていた。
 大体、何であいつ等の為に殺し合いをやらないと駄目なんだ?
 眞の心の中に疑問が沸いてきてしまう。それはもう抑えきれない程の勢いで眞の中に冷たい感情を引き起こしていた。
「何処行くんだ?」
 突如、立ち上がった眞に黒田が尋ねる。
「ちょっとぶらぶらしてくる」
 そう答えて眞は部屋から抜け出した。
 そのまま城の中庭に出る。そこはちょっとした規模の庭園になっていた。
 美しく手入れの行き届いた庭と、それ程大きくないものの農園が自然な感じで並んでいる。
 眞は近くにある小屋のバルコニーに歩いてゆく。
 適当な所に腰を下ろし、煙草の箱を取り出した。
 煙草もライターも新品を持ってきておいて、幸いだったな・・・、などとぼんやりと考えながら煙草を咥える。
 火をつけて一息、紫煙を吸い込んだ。その瞬間、厄介な声がした。
「煙草なんて、何処から持ってきたの!」
「げ!」
 その声のした場所には、まずい事に葉子が立っていた。
「まったく、なにが『げ』よ。いつから吸ってたの?」
「・・・つい最近」
 葉子は溜息をついて、頭を抱え込む。
「一日にどのくらい吸ってるの?」
「そんなに吸ってない。2、3本くらい」
「本当?」
「嘘なんかついてないよ」
 しゃあしゃあと答える眞に葉子は思わず力が抜けそうになってしまった。
「とにかく、煙草は止めたほうが良いわよ」
「校則だから?」
 そう、と言いかけて、葉子はこの世界にはもはや学校は存在しないことを思い出していた。
「健康に良くないから」
「ふーん・・・」
 眞は、そう言う葉子をじっと見つめる。
「な、何よ」
「どうして健康に良くないと煙草を吸っちゃいけないのさ?」
「え?」
 葉子は一瞬、眞の言葉の意味を考え込んでしまった。
「だから、健康に良くないって知ってて吸うのはどうなのさ?」
「それは・・・」
 眞は少し皮肉めいた笑みを浮かべて、葉子から目をそらす。
 そして、もう一息紫煙を吸いこんだ。
「健康に良くない。確かに正しいよ、情報としては。でもね、それは自分の健康がどうでも良い人間にとって、理由にはなり得ない」
 眞は淡々と話す。
「健康でいることの意味は健全な社会生活を送ることにある。だけど、それは『健全な社会生活を送る』という前提でしか話が成り立たないんだ。それは逆を返せば健全な社会生活に意味を見出さない人間にとっては健康でいることの意味が無いことになる」
「それは、理屈ではそうなるけど・・・」
「何を持って、『健全な社会生活』なのかが問題だよ」
 眞は話しながら煙草を吸いつづけた。
「でも、それは常識じゃない?」
 その葉子の言葉に眞は思わず苦笑してしまった。
「ははは・・・その『常識』が問題だって」
「え?」
 眞は真顔になって葉子を見る。
「そもそも、『常識』って何だい?」
「それは・・・」
 答えに詰まる葉子に眞が言い聞かせるように話す。
「常識っていうのは、まあ、辞書とかには『世の中の大部分の人間』が『正しいと信じている事』とかって書いてある。けど、それは正確に言うと正しくないんだ」
「どう言う風に?」
「正確に言うと、『世の中の大部分』と思い込んでいる人間が『きっとみんなも正しいと信じているだろう』と思っている事」
 葉子は思わず絶句してしまった。
「じゃあ、世間の常識っていうのは?」
「まだ、気が付かない?」
 眞の皮肉めいた笑みに葉子は圧倒されてしまう。
「それなら尋ねるけど、本当の意味で『世の中のすべての人間』が正しいと同意するって、どうやればわかるのさ。もし調査をして調べる場合、方法はどうやって?」
「・・・」
「それに、判断するには社会背景やその人の置かれている状況、そして、健全な個性が必要になる」
「え?」
 葉子はなぜか愕然としながら尋ねる。
「いいかい、僕達のいた社会は基本的に情報が満ち溢れている世界だ。しかも教育が行き届いている」
「そうね」
「それが問題なんだ」
「あ・・・」
 葉子はある考えに行きついて、恐怖を感じていた。
「わかったようだね、そのとおりだよ。基本的に僕達は既にマインド・コントロールされているんだ」
「そんな・・・」
「もう気が付いてるはず。小学校から、いや、幼稚園に入る前から僕達の義務教育は始まっている。その時点から『常識』、正確に言うと『権力者にとって都合の良い常識』を植えつけられる」
「・・・どうやって?」
「集団で行動することを強要すること。こうすることで常に『他人』を意識する人間に育つ。行動を一緒にさせることで『自分の価値観や判断が他人と同じ』という事も刷りこむんだ。そして、それから少しでもはみ出た人間を『不良』というカテゴリーに押し込んで、『健全な』社会から隔離することで、全体のシステムの安定を図る。下手な宗教よりもしっかりしててタチが悪い」
 もう葉子は眞の言葉を否定できなかった。その言葉は恐ろしいほど真実味を持っているのだ。
「その権力者は、誰なの?」
「色々とリストアップできるさ」
「政治家?」
「それだけじゃない。むしろ厄介なのはそれ以外だよ」
「官僚?」
「メインの一つだね」
「大企業のお偉いさん」
「ま、仲間だよ」
 葉子のアイデアが尽きてしまった。
「・・・あとは・・・判らないわ」
「良い線いってるんだけどね。良いかい、情報を操る側は情報を握りしめているんだ」
「それって・・・」
「そう。マスコミと教育機関だよ」
「そ・・・んな・・・」
 眞の言葉が冷たく響き渡る。
「今の時代、マスコミは『第四の権力』じゃない。『第一の、そして絶対の権力』なんだよ」
「嘘・・・」
 葉子は呆然とつぶやく。
「嘘じゃないさ。考えてもみなよ、何処の誰だろう、教育方針を決めるのは。何処の誰だい、実際に教育するのは。キー・ワードを拾い集めて推測すると、自然に答えが出てくる」
「確かにそうね・・・」
 眞が急に質問を変えた。
「インターネットが急速に広まったときに、何が起こった?」
「え?」
 とっさの事に答えが思い浮かばない。
「タイム・ワーナーがインターネットの大勢力になろうとして失敗している。マイクロソフトはNBCを手にいれて情報界でそれなりの力を持っているしね。だけど、最終的にマスメディアはインターネットの支配に失敗した」
「そうね・・・」
 確かにそれは葉子も知っている。
 それを見て話が早いと思ったのか、眞がどんどんと説明を繰り返していく。
「マスコミは焦ったんだ。それでハッカーの恐怖を煽って、インターネットの恐ろしさを繰り返し報道した。でもインターネットの波は止まらない。最終的に警察や政治が検閲を出来るように法改正をしようとした」
「ええ」
「その時に何が起こった思い出せる?」
「え?」
 葉子は必死に記憶を手繰る。
 そして思いついたことが一つあった。
「あの警察の不祥事・・・」
 眞は、その返事に満足げにうなずく。
「どう考えても不自然だよ。タイミングが良すぎる」
「あ!」
 葉子は思わず驚いてしまった。確かにその通り、国会に通信法改正案が提出されることになってから、急に警察関係の不祥事の報道が増えている!
「それに、例の政治家の核武装発言。反対意見しか報道されていない。ま、ほかにもいっぱい有るけどね」
「非核三原則があるから?」
 眞は首を横にふる。
「残念ながら違う」
「じゃあ、何なの?」
「基本的にマスコミは左翼だよ。どちらかというと共産主義の人間だ。それにアメリカや中国の犬ばかりだしね」
「え?」
「一般の社員じゃないよ。上の役員やオーナー、スポンサー企業の上層部がね」
「まさか・・・」
「その“まさか”さ。企業は国が緊張状態になると仕事にならない。そして今はアジアがかなりの商売相手になってるけど、そのほぼ100パーセント近くがユダヤ資本か中国系華僑なんだよ」
「それって・・・」
「そう。ユダヤ資本はアメリカとヨーロッパの経済と政治をほぼ支配している。華僑は、言うまでも無いよね。それに国際世論と実際の経済に対する影響の大きさは、インドやパキスタンの比じゃないさ」
「だから、日本が独力で動くことが出来るようになると都合が悪い・・・」
「ビンゴ!」
 葉子はある意味で驚愕していた。眞がこれ程の情報を集めているとは・・・
 しかし、どうやってそれを知ったのだろうか。
 眞はその葉子の疑問を見透かしたかのように尋ねてきた。
「僕のおじいちゃんだけどね、聞いたことがある?」
「え、無いわ」
「緒方麟太郎、5年前に無くなった自由民政党のナンバー3の事は?」
「まさか・・・あなたは・・・」
 眞は寂しげにうなずく。
「そう。彼の孫だよ」
 これで納得できた。眞の戦略眼の良さ、情報の解析能力の高さ、そして何よりも情報の大切さと危険性を熟知している事・・・
「緒方代議士のサラブレッド、ね」
「そんなんじゃないさ・・・」
 眞が皮肉げに笑う。
「結局、じいちゃんは負けたんだ」
「え?」
「何でも無い」
 眞は何かを振り切るように話を変えた。
「そうそう、話を元に戻すよ。どうして酒は麻薬、とくにコカインやヘロイン、覚醒剤と違って違法ではないのか、判るかい?」
「そうね・・・それらの麻薬ほど毒性が無いから?」
「全然違うよ。アルコール、メタノールは論外としても、エタノールも相当な毒性を持っているんだ」
「ええ!?」
 葉子は思わず驚いてしまう。
「ちょっと薬物が体の中で働くしくみを説明すると、基本的にすべての麻薬関係物質は脳に作用するんだ」
「それくらい判るけど」
「このときに、体がその薬物に耐えられる限界がある」
「そうね・・・判るわ」
 眞はその葉子の言葉に、ちょっと説明を簡単にする。
「お酒を飲んで、アルコールに強くなるのと同じ原理だけどね」
「うん」
「その限界を超えると、まあ体に変調をきたす。でも、それ以下だと体はその物質を学習してしまうんだ」
「あ!」
 葉子は思わず声をあげてしまった。
「麻薬と酒の違いは、基本的にこの耐性の付き方に違いがあるだけだよ」
「そんな・・・」
「アルコールは飲むと強い習慣性を持つ。アルコール依存症はその代表的なもんだ。ほかにもアルコールは服用者に幻覚を見せたり、理性の働きを低下させて衝動的に行動させるようにしてしまう。立派な麻薬さ」
「だって、じゃあどうしてお酒は合法なの?」
「これから高齢化社会を迎えて、どんどんと定年になった人が退職する。国から見て生産活動をしない無駄飯ぐらいがどんどん増えるようになる。だからって医療技術を遅らせたり、診察を受けにくくする訳にもいかない。医療は金になるし、国際的にも問題だ」
「え?」
「アルコールは耐性が出来るまで時間のかかる麻薬だからね。それに、致死量に達するまで飲まなかったとしても、確実に体にダメージを残す。影響は肝硬変から始まって、死にいたるまで時間が数十年単位でかかるんだ」
「ま・・・さか・・・」
 葉子は恐怖を感じながらも考える事を止められなかった。
「そう。二十歳でお酒を飲み始めて、大体55才から60才で体の障害が元で死亡する事が多発し始める」
「そんな・・・」
「成人病のほとんどはお酒の間接的な副作用で大体説明が出来る。もっとも医者も一枚噛んでるから、まともなデータなんて出てきやしない」
 葉子はもう声も出せない。それ程に驚愕する話ばかりだ。
「それに、お酒飲みたさに馬車馬のように働くようになるから、企業としては一石二鳥だろうね」
「じゃあ、どうして同じような効果なのに他の麻薬は非合法なの?」
「理由は二つ。習慣性の少ない、安全な麻薬は今言ったような効果が期待できないから。もう一つの習慣性の高い物は、あまりにも早く体をぶち壊すから、労働力を潰してしまうだけだよ」
 葉子は気分が悪くなってきてしまった。
「・・・気持ち悪い」
 眞は少し皮肉げに笑みを浮かべる。
「世の中なんてそんなもんさ。所詮、力だけが真実なんだ。いや、暴力だけが真実、って言ったほうが正しいか・・・」
「・・・違うわ」
 葉子は、力なく言う。しかし、その確証は何処にも無い。
「違わないよ。僕は今まで学校の言う、優しくしていれば皆で仲良く平和に暮らせる、そんな嘘を信じてきた」
 眞はどこか冷たい口調で葉子に言い放つ。
「でもね、そんなのは真っ赤な嘘でしかない。学校で教えられる平等も、全体から見ての平等であって、個人の能力、才能、資質、そして努力を無視する『悪平等』でしかない。所詮、奴らは共産主義者だから、『個人』の優劣は連中の理想と反する『悪』としか考えない。だから、その連中の信じる愚かな『妄想』を『理想』だと子供達に強要する。その結果は、今まで散々見てきたろう」
 その厳しい断罪の口調は、余りにも冷たく、力強く葉子の心に切り込んできた。葉子は教師として眞の意見には頷けない。しかし、学校の方針の中でその矛盾に晒されて生きてきた眞は、葉子に『現実』を見ることを強要する。
 そして眞の示した現実は、他の何よりも強い現実味を持って葉子の心に響き渡ってくるのだ。
「葉子先生は、そこまで馬鹿じゃないとは思うけどね」
 眞の言葉は、どこか皮肉の色を帯びていた。
「先生達の言う事が、所詮は共産主義の妄想だって判ってから、気が楽になったな。今までは人に暴力を振るうのは良くない、って言われてたけど、最近は違ったからね」
「え?」
「暴力を持って暴力を制する、それが正しい防衛方法だって事さ」
「まさか・・・」
 葉子は、なぜか恐怖を覚えていた。眞が、優しい少年から何か別のものに変わってしまったかのように・・・
「さて、と。あんまり長く外にいると日に焼けちゃうよ」
 そう言って、眞は立ちあがって歩き出す。
 しかし、葉子は何も考えられずにその場に座り込んでいた。
 
 眞のクラスメート達は異世界の王国にある本物の城、それも本物の騎士の館に滞在する事で、はしゃいでいる。
 それもそうだろう、こんな経験は願っても叶うものではない。
 ただ、電気もガスも無い生活は、眞達のような現代人にしてみれば想像の範疇外でもあった。昼間でも城の中は薄暗く、あちこちに蝋燭を燈している。しかし、電灯の光に慣れた眞達は、大変な苦労をして城の中を歩き回っていた。
「真っ暗だね」
 悦子が眞に話し掛ける。中庭から帰ってきた眞は、途中で悦子と出会ってこの城の中を見せてもらう事にしたのだ。ランダーからは自由に歩き回っても良い、と言われていた。
「うん。僕らの世界みたいに電気が無いからね。それにガスは、有るんだろうけど多分、この世界の文明レベルでは使いこなせないと思う」
「ふーん、昔は人って生活するの、大変だったんだね」
 その悦子の素直な感想に、眞は苦笑する。
「ま、僕らの世界だって、滅茶苦茶に遠い未来の僕らの世界から見れば、なんて不自由な生活だったんだろう、って思われるかもね」
「なるほど・・・」
「その時代や生活が本来の生活だったら、それが当たり前だろうし」
 悦子は納得した。今の自分達のほうが、この世界では異質な生活なのだ。
 その悦子を観て、眞がくすっと笑う。
「ちょっと待って」
 そう言いながら、魔術師の杖を構える。精神を集中させて<明かりライト>の呪文を唱えた。杖の先に燈った魔法の明かりが辺りを照らし出す。古代語魔法の光は、どちらかと言うと現代文明の電燈というか蛍光灯のような光だ。その魔法の光は辺りを完全に照らし出していた。
「わぁ・・・」
 悦子が驚いたように呟く。眞はにっこりと微笑んで、悦子の手を取って歩き出した。
 ふと眞は、<明かり>の呪文を共通語魔法の指輪にでもしておこうと考えていた。ルエラから学んだ古代語魔法は、魔神から魔力と知識を得た眞にとって知らない呪文や知識が多かった。
 <共通語魔法作成クリエイト・コモンルーン>の呪文もその一つだった。
 暫く城内を歩き回って、広間に戻った眞と悦子をクラスメート達が迎える。どうやら手持ち無沙汰にしていたらしい。
「眞、おめー、この非常事態にも関わらず呑気にデートなんぞしおって」
 牧原が冗談っぽく言った。
「ち、ちげーよっ!」
 焦って眞が答える。デート、というよりは単にうろうろと歩き回って城の中を見ていただけなのだ。
 だが、悦子は内心、ちょっとむっとしていた。彼女としては密かなデートのつもりでいたのに、眞の友人の茶々のお陰でせっかくの良い雰囲気が台無しだ。
 後でちゃんとお礼をしておかないと、ね。確か、牧原君はトマトが苦手だったから・・・
 密かに、復讐の計画を心の中の手帳に書き込んだ。
 眞は既に黒田達と何か話し込んでいる。
 思わず悦子は、はあっ、と溜息をついてしまった。そして、ふと思い至った。
 この世界に来てから溜息つくの、多くなったなぁ。
 ランダーの城での初日は夜を迎えようとしていた。
 
 
 

~ 2 ~

 
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