~ 3 ~

 眞は慎重に窓に近づき、そして外の様子を覗う。
「まずいな」
 眞が緊張した声を出した。
 その言葉に全員が息を潜める。
「外の様子はどうなの?」
 ルエラも外を身にやってきた。
「あの木の陰に何人かいる。何者かはわからんけど、武装している様子だ」
「まずいわね」
「ああ・・・」
 そう言った瞬間、一人の男がロッジの前に進み出てきた。
 男は重厚な金属鎧を着ていて、右手に長剣を手にしている。月明かりに照らされた男は大きな剣を構えてそろそろと近づいてきた。
 あと5歩のところまで男が近づいて来た瞬間、ルエラが叫んだ。
「ファールヴァルトの騎士!」
 そう言ってルエラは、いきなりドアを開けた。騎士は少し驚いたように一歩さがる。が、ルエラの姿を見て緊張した。
 だが、ルエラは騎士が何かを言う前に、自ら名乗りをあげる。
「ファールヴァルトの騎士様とお見受けします。私は魔術師ジェルマーの娘にて同じく魔術師のルエラ、と申します」
 騎士は少し驚いたようだが、笑顔になり緊張を解いた。そしてルエラに答える。
「ジェルマー殿の名前は知っております。もちろん、ルエラ殿の名前も。私はかつてジェルマー殿の教えを受けた覚えがありますゆえ」
「まあ」
 今度はルエラが驚く番だった。しかし、あり得ない話ではない。
「失礼。私の名前はランダー。ファールヴァルトの正騎士です」
 騎士は思い出したかのように名乗り、部下に出てくるように命ずる。
「ところで、今日、この辺りで大きな地震のような爆発のようなものが起こりませんでしたか?」
 ランダーと名乗った騎士が、ルエラに尋ねた。
 恐らくこの騎士は命を受けて、この辺り一帯を調査に来たのだろう。
 白を切るか、それとも正直に話すか。
 ルエラが悩んでいると、突如、間近で異様な咆哮がした。
「まずい、あれは妖魔だ」
 ランダーが鋭い声を出して部下に戦闘態勢を整えさせる。その命令に従い、素早く隊列を組替えて妖魔を迎撃しようとするファールヴァルトの兵士達。
 しかし、その隊列を組替えきる前に森の中から妖魔が襲い掛かってきた。
 数十体のゴブリンが森から飛び出して兵士達に群がって行く。月明かりに照らされて、ゴブリン達の手にしている古ぼけた小剣がぎらり、と光る。その刃に何か緑色の液体が塗られているのに気付き、ランダーが声をあげた。
「気をつけろ! 剣に毒を塗っているぞ!」
 その声を聞きつけたのか、数体のゴブリンがランダーとルエラに向かってくる。
 ランダーはルエラの前に立ちはだかり、醜い妖魔の攻撃から少女を護ろうとする。
 しかし、その為にルエラは完全に呪文を唱える機会を失っていた。ランダーが前に立った為、呪文を唱えるための時間は得られる。だが、視界が制限されるために的を絞りにくくなってしまったのだ。そして乱戦になればなるほど一発逆転の可能性を秘める広範囲の呪文は唱えられなくなる。
「まずいわ・・・」
 ルエラが困惑する間にも、森の中から妖魔が無尽蔵に湧き出してくる。
 ファールヴァルトの兵士達は良く戦っているのだが、数が違いすぎた。そして妖魔は幾ら倒されても怯む様子も無く戦いつづけるのだ。
 何かがおかしい。
 ランダーもルエラも疑問を感じていた。
 普通、ゴブリンなどの妖魔は敵対的な性格ながらも臆病で、こちらが少しでも強いとあっという間に逃げ出してしまうのだ。しかし、今、目の前にいるゴブリン達はいくら仲間が倒されようとも執拗に攻撃を繰り返している。考えられる原因は一つ。
「もしかしたら、ゴブリンの王がいるのかも」
 ルエラが呟く。
 その疑問を肯定するかのように、ホブゴブリンよりもさらに一回り体格の大きなゴブリンが森から現れた。それは、まさにゴブリンの王だった。
 ゴブリン・ロード。
 遥かな昔、かつて神々が全ての種族を創りたもうた時代。世界に存在する全ての種族は今の種族よりも遥かに優れた存在だったと伝えられている。
 光の種族では、ハイ・エルフ、ノーブル・リザードマン、古代王国人など。そして闇の種族ではダーク・エルフなどが古代種族だという。そして目の前に現れたゴブリン・ロードも古代の優れた能力を限定的にとはいえ今に残している古代種族の末裔なのだ。
 その強さは他のゴブリンの比では無いだろう。
 そしてゴブリンの王に率いられたゴブリン達は引くことをしない勇敢な戦士になるという。
「グガアッ!」
 手にした剣を振りかざし、ゴブリン・ロードが何かを命じた。
 そしてゴブリン達は奇声を上げて答える。おそらく止めをさせ、とでも命じたのだろうか。
 だが、それまで全力で戦っていたゴブリンは、ぴたりと攻撃を止めてしまった。
 訝しげにゴブリン・ロードを見ていたランダーは、なぜゴブリンどもが攻撃を止めたのか悟った。
 森の奥からのっそりと牛の頭をした魔人が現れたのだ。
「あれは・・・牛頭鬼ミノタウロスだわ・・・」
 ルエラが喉の奥からぞっとしたような声を絞り出す。
 アレクラスト大陸でも、ミノタウロスの数はそう多くない。しかし、ここは『悪意の森』とさえ綽名される魔境だ。そして、あのゴブリン・ロードは何らかの方法でミノタウロスを従えているのだろう。
 常識では考えられない事ではあったが・・・
 ミノタウロスと互角に戦える戦士は、それほどいない。この牛頭の魔物は熟練の騎士にさえ匹敵する強さを誇る怪物なのだ。そして体力や怪力を考えると、圧倒的に分が悪い。
 そして、ゴブリン・ロード自身も剣を縦横無尽に振り回して、ファールヴァルトの兵士達を追い詰めて行く。その攻撃は凄まじく、次々に兵士達は必死の形相で防御する事しか出来なかった。そのゴブリン・ロードの剣は月明かりを受けて、不自然にぎらり、とした光を放っている。
「何てこと、あれは魔法の剣だわ」
 ルエラがぞっとしたような声を出す。彼女も可能な限り魔法を使ってファールヴァルトの兵士達を援護するものの、ゴブリンの数が多すぎて焼け石に水といった状況だった。
 そしてゴブリン・ロードが魔法の剣を振りかざしてミノタウロスに、隊長であるランダーを倒す様に命じる。さすがにランダーも死を意識した。何しろ体力に違いがあり過ぎる。ランダーがもう肩で息をするほど疲労しているのに対し、ゴブリン・ロードは平然と剣を振るっているのだ。
 しかも、恐るべき牛頭の魔人は巨大な斧を片手にゆっくりとランダーに近づいてくる。
 その手にした斧も、月明かりを受けて魔法の輝きを放っていた。
 そのゴブリン・ロードが勝利を確信したかのように笑みを浮かべてランダーを見ている。誰もがこの戦いの敗北を覚悟していた。
 しかし突如ミノタウロスが立ち止った。
 不思議そうな目をして別の場所を見ている。その視線の先には、緩やかに曲がった美しい細身の長剣を手にした戦士が立っていた。
「眞・・・」
 ルエラが呆然と眞を見つめる。
 彼は何時の間に外に出たのだろうか。硬い皮の鎧を身に着けて戦っていたのだろう。全身にゴブリンの返り血を浴びているその姿は、まさに鬼神のようである。
 その後ろではおびただしい数のゴブリンの死体が転がり、兵士達は円陣を組んでゴブリンに隙を見せぬ戦いを繰り広げていた。
「気を付けろ、こいつはゴブリンとは違う!」
 ランダーの言葉に一瞬視線を向けて、眞は紫雲を構える。ゴブリン・ロードはにやり、と不敵な笑みを浮かべて突如現れた愚かな若者がミノタウロスに殺されるのを確信しているようだった。
 そしてミノタウロスは眞に挑みかかっていった。
 巨大な斧による大気を切り裂くような一撃を、しかし眞は横にステップを踏んでかわす。しかし、ミノタウロスは振り下ろした斧を力任せに薙ぎ払い、眞の胴を切断しようとした。
 ぎいんっ!
 眞が紫雲でその魔剣を受け止める。お互いの剣に込められた強い魔力がぶつかり合って青白い火花が飛び散り、あたりが一瞬明るく照らされた。その次の瞬間、眞は鋭く踏み込み、左足でミノタウロスの側頭部に強烈な回し蹴りを叩き込む。
 一瞬、がくりと膝が落ちかけた牛頭の魔人は、しかし辛うじて踏み止まり、猛烈な勢いで魔斧を振り回して眞を切り刻もうとする。その怒りに燃えた攻撃は、巨岩さえ打ち砕くと思える程の破壊力で眞に襲い掛かった。
 しかし、眞は冷静に対処してその攻撃を巧みに受け流していく。そして幾度目かの攻撃を受け流した瞬間、眞の攻撃が始まった。
 ミノタウロスの斧を受け流したその剣を流れるように操り、その牛頭の魔人に斬りかかる。
 さすがにミノタウロスは辛くも眞の攻撃を受け止めつづける、が、幾度目かの眞の一撃はミノタウロス自身はおろか、遠くで見ていた兵士達にもランダーにも判らなかった。
 眞の上段から振り下ろされた剣は、確かにミノタウロスによって受け止められたのだ。しかし、次の瞬間、その牛の頭は見事に断ち割られたのである。
 ゴブリン・ロードは何が起こったのか判らぬまま、絶句していた。
 それはランダー達ファールヴァルトの兵士も同じだった。
 確かに目の前の戦士の剣はミノタウロスの斧によって受け止められたはずだ。それなのに、まるで刃が、その受け止めた斧を素通りしたかのように魔人の頭を断ち割ったのだ。
 その光景を見て、ゴブリン達は自分達の最強の戦力が倒されたのを悟ったようだった。
 ゴブリン・ロードの命令で一斉に森の奥へと逃げ帰って行った。
 眞の仲間も、兵士達も救われたのだった。
「一体、何が起こったんだ?」
 眞に尋ねる。しかし、眞は困ったような笑みを浮かべてルエラを見た。
 ルエラが息を切らせながら眞の傍に立ち、そして何か話す。驚いたことに、下位古代語を用いて会話をしていた。ランダーはそれを不思議そうに眺めていたが、しかし、兵士達の中でただ一人、ランダーだけが下位古代語を理解できる。当然二人が話している内容も理解できた。
「一体、今、何が起こったのだ?」
 ランダーが改めて尋ねた。もちろん、下位古代語を用いて、である。
 眞はランダーに向き直って答えた。
「今の剣技は『鞍馬ノ太刀くらまのたち』と言われてる技の一つ、『抜きの飯綱ぬきのいづな』といううちの流派の秘剣です」
「クラマノタチ? ヌキノイヅナ? なんだ、それは」
 ランダーが怪訝な顔で尋ね返す。
 そのランダーに眞が答えようとして、突如緊張した顔に変わった。
「どうした?」
「何者かがいます。あの森の中に、結構な数だ」
「まずいな・・・」
 眞とランダーが緊張したのを見て、ルエラも杖を構える。
 もうそれ程余力が残っているわけではない、だがこの山小屋は死守しなければならないのだ。
 再び戦いの緊張感が辺りを支配して行く。
 眞は精神を研ぎ澄まし、森の奥から微かに漏れてくる相手の気配を読み取っていた。
 一人・・・二人・・・三人・・・
「相手の数は、おおよそ5人といったところか」
 眞をしても辛うじて気配を感じる程の見事な隠身で森の中に潜む相手である。そしてこちらの戦力は先ほどの戦いで疲弊している。戦っても勝てる可能性は低い。
 声も殺してじっと待ち構える。相手が仕掛けてくるその瞬間を読むことが出来れば、まだ対処が可能だからだ。
 どれほど時間が経ったのだろうか。その気が遠くなるような時間が過ぎて、突如静寂の均衡が破れた。
「戦いは無しだ。武器を収めてくれ」
 森の奥から声が響く。そして、森の奥から数人の男達が現れた。
 
 森から現れた男達は一様に動物の毛皮を身に纏い、明らかにランダー達とは違う文化を感じさせていた。
「あれは『獣の民』だ」
 ランダーが緊張したように呟いた。
 眞が聞き返す。
「『獣の民』? なんだいそりゃ?」
「彼等はこの森に住む蛮族だ。この危険な森の中で住むために獣の力を持つ、と言われているがな」
「とんでもない奴等だな。ライカンスロープの一種なのかい?」
「私も詳しいことは判らん」
「頼もしいお言葉で」
 眞はひょい、と肩をすくめた。
 その眞の仕草をみてランダーが微かに表情を変える。
 だが、どのような表情なのか判らない内に元通りの表情に戻っていた。
 5人の蛮族の男達は慎重に足取りを進めて近づいてくる。
 押し殺したような気配が纏わり付くような気がした。しかし相手が武器を収めている以上、とりあえず戦闘する理由が無くなってもいた。
 あと十歩位のところで男達は歩みを止めた。
「話し合いが出来るか?」
 突如、リーダーらしい男が声をかけてくる。
 
 
 

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