~ 3 ~

 眞はふと目を覚まし、身体を起こした。
「どうしたの?」
 鈴の音のような問いかけの声に答える。
「ん・・・何でも無いです」
 そう言って目を向けると、美しい女性と目が合った。
 その女性-北条麗子は幼さの残るあどけない笑みを浮かべて眞を見ていた。
「何だか、うなされていたわよ」
 そういって身を起こす。
 掛かっていた布団がするり、と落ち、一糸纏わぬ麗子の上半身が露になった。
 驚くほど豊満で美しい乳房がぷるん、と揺れる。
 一体、何度その豊満な胸に抱かれたのだろう。眞は目の前の女性に惹かれ、彼女との逢瀬おうせを重ねていた。
 そう、最初は、単なる手伝いだった。
 あの日、魔神の召還に成功した眞だったが、興奮から醒めるとやはり不気味さが付きまとっていた。
 おぞましい異世界の存在を従えた瞬間、眞は一瞬恐怖に囚われていたのだ。
 嫌悪感に苛まれ、眞はふらふらと近くの公園に向かっていた。
 そして、大きな買い物袋を幾つも抱えて立ち往生している麗子と会ったのだ。
 眞は麗子の事を知っていた。
 といっても、近所に住む綺麗な若奥さんと言った程度の事だったが・・・
 麗子も眞の顔くらいは知っていた。
 
「何か持ちましょうか?」
 その眞が手助けを申し出て来た時も、麗子は自然にそれを受けていた。
「ええ、ごめんなさいね。ありがとう」
 眞は一番重い荷物と、大きな袋を受け取り、運んだ。
「うわ、これって大変だったんじゃないですか?」
「そうね、最初は持てるかと思って来たんだけど、段々大変になってきちゃって・・・」
 眞はくすり、と笑って言葉を返す。
「だと思いますよ。最初は疲れも無いから持てると思っちゃうから」
「その通りね。だんだん腕が痺れてきちゃったのよ」
 麗子も笑顔で答えた。
 会話が弾み、二人とも楽しげに麗子の家に向かう。
 暫くも歩かない内に二人は麗子の家にたどり着いた。眞はもう少し麗子とおしゃべりをしていたかったが、しかし、家に上がりこんでまで話をする事は出来ない。
 荷物を玄関にまで運んで帰ろうとした。しかし、麗子が眞を引き止める。
「せっかくだから、お茶でも飲んでいきませんか?」
「え?」
 驚いた顔をした眞に、麗子はにこっと微笑む。
「暑い中、手伝ってもらって何にもしないのは気が引けるわ。せめてお茶でもご馳走しないと」
「はあ」
「さあ、こちらへどうぞ」
 そう言って麗子は眞を客間に通した。
 麗子の家は、実はかなり大きな豪邸である。確か、老舗しにせの料亭などを持つ相当な資産家なのだそうだ。かなりの株を持ち、多数の企業を掌握している名家なのだ。
「大きな家ですね」
 眞が関心したように言うと、麗子は寂しげに微笑んで答えた。
「家ばかり大きくても、ね」
 その様子はあまり嬉しそうには見えない。
 眞は、さすがに不審に思った。
「何かあるんですか?」
 口に出して、しまった、と心の中で舌を打った。
 流石に失礼な質問だろう。
「済みません・・・」
 謝った眞に麗子が笑みを返す。
「どうして謝るの?」
「え・・・」
 きょとん、とした眞に問い返した。
「この家の雰囲気、どう思いますか?」
「雰囲気・・・?」
 麗子はこっくりと頷く。
 眞は一瞬考えたが、自分の感想を素直に口にした。
「何て言って良いのか・・・なんだか、少し寂しい感じがします」
 その答えに麗子が微笑む。どこか寂しげな微笑。
「その通りよ」
 麗子は眞の答えを肯定し、続けた。
「私の家は昔から続いている家なの。今はいろんなお店を持ったりしているけど、もともとは日本舞踊の家元だったのね。私が夫と結婚したのも、その為なの」
 そう言って麗子は自分の家の事や、結婚について語り始めた。
 彼女の親は、自分の家を再び日本舞踊の家元にすべく今の麗子の夫、当時、五十近い男と麗子を結婚させたのだ。その夫は麗子の家の資産と、昔から続く名家であるとの理由で麗子と結婚したのだ。その当時、麗子はまだ二十歳になったばかりだった。
 しかし、暫くも経たない内に夫は自分の日本舞踊の仕事を理由に日本中を転々とし始めた。
 だが、夫は「女は家で留守を護るもの」という考えから麗子を一緒には連れて行かなかった。そして麗子の両親が亡くなった時、麗子は家で一人ぼっちの生活をする事になったのだ。
「・・・もう何年も一人でこの家にいるのよ」
 麗子が話を終えたとき、眞はどう言って良いのかわからなかった。
「でも、よくこの家の雰囲気がわかったわね」
 そう尋ねる麗子に眞は言葉に詰まった。しかし、麗子に何もかも打ち明けてしまいたくなっていた。眞自身も孤独な生活を送っていたから・・・
「僕も似たようなものですから」
「え?」
 今度は麗子が驚く番だった。
「僕の父親は考古学者なんです。世界中を飛び回ってていて、滅多に家には帰ってきません。母親は、3年前に事故で死にました」
 眞は淡々と言葉を紡いでいく。
 麗子は自分の事のようにつらく思えた。両親がいなくなってから、学校で虐めを受け始め、今までずっと孤独に耐えてきたのだ。
「この間、奇妙な本を見つけたんです」
 麗子はその本の話に興味を抱いた。
「どんな本?」
「不思議な本なんです。その本自体はぜんぜん知らない言葉で書かれているのに、手に取ると読めるようになるんです。まるで魔法でもかかっているみたいに」
「魔法?」
 不思議そうに尋ねた麗子に眞が答えを返す。
「ええ。それに書いてある内容が、なんていうのか、異世界に存在する魔神っているのかな、悪魔のような存在を呼び出して下僕にする方法なんです」
「で、実験してみたの?」
 麗子の問いに、眞が答えた。
「はい」
 
 魔方陣の中にナイフを突き立られた兎がのた打ち回っている。
 魔術書には、この魔方陣が異世界である『魔界』への扉となり、生贄の動物の肉体に魔神を憑依させてこの世界に顕現させると書いてあった。
 だが、最初は何の変化も現れなかった。
「やっぱり、ガセだったのか・・・」
 そう思って、失望と嫌悪、そして安堵感で儀式を中断しようとした。
 殺してしまった兎に罪悪感を感じ、その生贄を見た瞬間、眞は凍り付いていた。
 兎はやはりそこにいた。しかし、その兎をどす黒いもやが包んでいるのだ!
 いつの間にか異常な冷気が辺りを包んでいた。真夏のはずなのに、息が白くなっている程の気温である。
 膨大な熱が兎に吸い込まれているかのように、窓が霜づき始めていた。
 眞があっけにとられてみている間にも、そのどす黒い靄は見る見るうちに、ぴくぴくと動いている兎に入り込んでいった。
 その次の瞬間、ゴキリ、という鈍い音が響いたかと思うと、生贄の兎が動き始めた。
「あ・・・」
 声も出せない眞の前で、兎は次第に肉塊へと変わっていく。
 まるで身体の内側から筋肉と内臓が捲れあがってくるかのような兎の変化に、眞は吐き気を催してしまった。しかし、なんとか堪えると、その不気味な変化を凝視していた。
 驚くほどの速度で肉塊が成長し、いつの間にか直径1メートル以上の大きさに成っていた。
 どくん、どくん、と不気味に脈打ち、その肉塊は次第に何かの形をとり始める。
(本当だったんだ・・・)
 眞は呆然としながらも、頭の何処かで冷静さを取り戻し始めていた。
 そして、肉塊は徐々に人型に成って行き、色も鮮やかなピンク色から青銅色に変わっていった。
 だが、眞は肉塊にはこれ以上目もくれずに魔術書を再び開き、儀式を完成させるための手順を再開する。
「・・・オド・アルデガ・バエラ・ガデドラル・エゼキデラ・タエザ・・・」
 呪文を詠唱し、魔法の結界に魔力を注ぎ込んだ。
 そうする内に、魔方陣の中で魔神が姿を表し始めていた。
 しゃがみ込んだ様な姿で、ほぼ完全な実体化を果たしている。もうすぐ完全に顕現するだろう。
 長大な尻尾が動き出し、全身の筋肉を動かしている。
 かはぁ・・・
 魔神が溜息を付くような音で息を付く。
 まだ微かに全身の筋肉などの組織が安定しきっていないようだが、徐々にそれも落ち着いてきている。
『貴様カ、俺ヲコノ世界ニ召喚シタノハ』
 魔神が低くしゃがれた声で眞に問いかける。
 しかし、眞は怯むことなく魔神と対峙した。
『そうだ。私の意思でお前をこの地に呼んだ』
『何故ダ』
『お前の力を借りるためにだ』
『不遜デアル』
『不遜?違うな。俺はお前を支配するための術を使うからだ!』
 眞は気合を込めて、魔神の精神を屈服させようとする。
 魔方陣の中から魔神は出られない。その為に、魔神は眞を脅かし、懐柔して魔方陣を破らせようとするだろう。しかし、眞はその手には乗らなかった。
『貴様ノ知ル術ハ結界ヲ通シテハ使エナイハズダ』
『お前は馬鹿か?そんな使い古された方法で魔術師を引っ掛けられると本当に考えているのか』
『貴様ガソノ術ヲ使イコナセルトハ思エン』
『お前がそう思っているだけだ』
『・・・貴様ハソノ本ヲ読ンダノダナ』
 魔神グルネルが悔しそうに魔術書を見つめる。
『・・・ローエン・ローエン・ダレファス・ガザデナ・バルア・バルア・ブーレイ・ヴァフェナ・・・』
 眞は呪文を詠唱し、その魔力でグルネルを捕らえようとした。
 青銅の魔神はそれでも、必死で呪文に抵抗し、束縛から逃れようとする。しかし、眞は魔術書の力も借りて強い魔力で徐々にグルネルを追い詰めて行った。
『ヤメロ!』
 苦しげに抵抗するグルネルだったが、眞はその声を完全に無視して呪文を唱えつづける。その眞の唱える呪文に魔神は圧倒的な威圧感を感じ始めていた。
 しかし、魔神は人間の体力と精神力がそれほど長く持たない、と考えていた。
 人間である以上、長時間の呪文の詠唱をすれば必ず消耗する。そうすれば次第に呪文の束縛力は弱まるはずだ。
 だが、目の前の若いどころか、まだ幼いとさえ思える魔術師は時間がたつに連れ強烈なプレッシャーを与えてきた。
 信じがたい事実である。
 魔神たる自分が年端も行かぬ人間に屈しようとしているなど・・・
 しかし、一時間近くも精神の鍔競り合いを続けただろうか、魔神グルネルは屈服した。
『良カロウ』
 眞はその突然の変化に驚いたものの、支配の呪文の詠唱を完成させて支配するための『名前』を与える。
『バルド・アデラ・カテルナ・デセル・・・汝の名は『バレム』なり!』
 その魔力の込められた名前を、もはや青銅の魔神は抵抗せずに受け入れていた。
 
「・・・それで、魔神から『古代語魔法』の知識と魔力を得たんです」
 眞が辛そうに言う。
 麗子は優しく眞を抱きしめながら、尋ねた。
「どうやって?」
「その魔神に古代語魔法の技能を提供させたんです。あの魔神が言っていました。人間は本来古代語魔法を含むあらゆる魔法を使う才能があるはずだ、と。それで試しにやつの持っている古代語魔法を実際に自分が身につけられるかどうかやってみたんです」
 実際、眞はグルネルに命じて自分に魔力を提供させたのだ。古代語魔法には付与魔術という魔法体系がある。これは魔法の儀式を行う事で物体や生物に魔力を付与するという技術であり、これにより魔法の工芸品を開発する事が出来るのだ。
 グルネルは本来、付与魔術に長けた魔神であり、そこで眞は自分に古代語魔法を身につけることを可能にする工芸品アーティファクトの開発を行わせた。具体的にはグルネルの持つ古代語魔法の知識と技術を特殊な水晶球に付与し、合言葉コマンド・ワードを唱える事でその魔力と知識、技能を、その水晶球を使用した人間の物にする、という魔法のアイテムを作らせたのだ。
 これにより、眞はグルネルの持つのと同じ中級程度の古代語魔法の能力を身につけていた。
「そう・・・」
 麗子はふいに眞を愛おしく思った。
 まだ少年なのに孤独に耐え、虐めにも耐え、そしてついに魔術というものに縋り付かなければならなかった、目の前の少年が悲しく思えるのだ。
 そして、気が付いたら麗子は眞を抱きしめていた。
「麗子さん?」
 眞が狼狽したように尋ねる。
 麗子からほんのりと心地よい香りがしてきて、どぎまぎしてしまった。だが、眞は麗子の優しい抱擁にそのまま身を任せていく。麗子の身体は温かく、女性の柔らかさに満ちていた。
 何時しか二人は唇を重ねて、そのまま激しく抱きしめ合う。
 麗子は思わず欲情を抱いてしまっていた。長い間、夫に放って置かれた事もあり、少年の若い身体に対して女性の欲望を掻き立てられていたのだ。
(いけないわ・・・)
 そう思いながらも、麗子は自分を止められなかった。
 麗子は眞をそっと寝かせる。
 そして、服を脱いで眞に覆い被さっていった。
 もう何も考えられないまま、麗子は眞に縋り付き、眞も麗子を抱きしめ返していく。
 外はもう薄暗くなっていた。
 しかし、お互いの孤独を癒し合うかのように二人はいつまでも身体を重ねつづけていた。
 
 
 

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