~ 2 ~

 薄暗い静かな空間を切り裂くように、銀色の閃光が宙を舞う。
 緩やかに反った信じられないほど美しい刀は、まるでその重さを持っていないかのように自由自在に空中に軌跡を描いていた。
 古流武術である鞍馬真陰流の道場で、眞はひたすら剣を振るい続けていく。
 もうすっかり手に馴染むようになった愛刀は祖父が持っていたコレクションの一つである。その中から一番気に入った大刀と小太刀の一揃えを使わせてもらっていた。
 とはいえ、その本来の所有者は鬼籍に入ってしまったため、屋敷もすっかりと生気を失ってしまっている。
 信頼できる弁護士と、眞の後見人を名乗り出てくれた自民党の重鎮である榊原に任せて、眞自身は両親と生活していたマンションにそのまま住んでいたのだが、少なくとも祖父と両親が残してくれた遺産はきちんと管理されて資産も運用してもらっている。
 余程の贅沢さえしなければ後三代は軽く養えるだろう資産も、実際には眞にはあまり関心の対象ではない。
 だが、代々続く家系で継承されてきた緒方家の資産は彼一人で勝手にしていいような物でない事くらい、少年にも理解できていた。少なくとも考古学者の父親に連れられて様々な遺跡を見たり、その傍らで世界各国の博物館や貴重な遺産に触れる機会の多かった眞にとって、自分の祖父が護ってきたものが歴史的な価値があることを良く知っている。
 父方の祖父母にも可愛がってもらった眞は、両方とも日本の歴史ある家系であり、またその計り知れないほどの歴史的、文化的な価値を持つ両家の歴史と資産を、何故父親が疎ましがっているのか、幼心に疑問に感じていたことを覚えている。
 なぜか眞の父は眞の母の実家に近寄ろうとせず、その上自分の両親さえも疎ましく思っている様子だった。
 実際、眞の父方の祖父はGHQによって皇籍離脱を余儀なくされた旧宮家の男子直系のとある人物を父親に持つほどだ。つまり、眞自身にも皇家の直系男子の血が流れていることになる。
 普段は意識していないのだが、やはり盆暮れ正月などの祝祭日の催しでは親戚などと顔をあわせるとそうした歴史を背負う家系であることを強く思い起こされていた。
 だからだろうか、少なくとも学校の教師には好かれた記憶が殆ど無い。
 特に社会科の教師は眞のことを毛嫌いしているような素振りが良く見られた。馬鹿馬鹿しいと思う。
 そんなこともあって、余計に眞は数学や工学、コンピュータにのめり込んでいたのだ。
「やれやれ、またそのように鬼気を放ちおって」
 呆れたような声が背後から掛けられる。
 どうやらここ数日の苛立ちが気が付かないうちに型に滲み出てしまっていたらしい。
「師範、いらっしゃったのですか?」
「今来たところじゃ」
 そう言いながら、老人は床にしゃがみ込む。
 一瞬だけ眞の目を見返し、老人は静かに息を吐いた。
「お主の剣は、鬼の剣じゃの。何にそんなに気を立てておるのじゃ?」
 その問いかけに眞は一瞬、返答に詰まった。
 確かにすっきりとしない苛立ちが心の中に澱んでいる。だが、そのことは今に始まったことでもない。
「・・・別に、何でもありません」
  そう眞が答えると、老人は少し寂しげに頷いた。
「そうか・・・自分の心の鬼に惹かれるでないぞ」
 年老いた師範はそう言って立ち上がり、道場を後にした。
 鬼・・・か。
 眞は自分の心に鬼神の如く激しい己自身が居ることを知っていた。そして、自身に存在する恐るべき『力』の事も・・・
 静かに去っていく老人の背に一礼を返し、そして眞は再び稽古に戻る。だが、その一心不乱に剣を振るう姿からは先ほどまでの鬼気は微塵も感じられなかった。

 英二は何時と微かに様子の違う眞に気付いていた。
 気が立っているのか、怖ろしいまでの鋭い気を放っている。それが型に滲み出ていた。
 やれやれ、と思いながらも声をかける
「よー、何にそんなに腹立ててんだ?」
 惚けた様子で声をかける。
 眞が無表情な視線を向けてきても、気にした様子も無く肩を叩いて話しかけた。
「後で飯食いに行こうぜ」
 英二はこの変わり者のクラスメートが妙に気に入っていて、何かにつけ引っ張り出しているのだ。札付きの問題児としてあの深田でさえ敬遠するような男なのだが、眞の方もそれを嫌がる様子も無くその誘いに応じている。
 だが、今日だけは眞は首を横に振っていた。
「ごめん、今日は出かける気にならないんだ」
 珍しい事だったので、英二も気に掛かったのだが、あまりしつこくしないのも彼の性格だ。「そっか、じゃあ今度な」とあっさりと引き下がっていた。
 もしこの時に英二が少しでも強引に眞を引っ張り出していたとしたら、歴史は変わっていたかもしれない。
 だが、神ならぬ少年にはそのような未来を見通す目は無かった。
 それとも仮に未来を見ていたとしたら、英二はその企みに最初から首を突っ込んでいただろうか。
 いずれにしても、一つの運命の曲がり角を通り過ぎた事に誰もが気付いていなかった。
 
 里香は勉強机に向かいながら腹を立てていた。
 どうにもこうにも、あのとびっきり上出来の人形を思わせる無表情なクラスメートのことが苛立ちを掻きたててくる。アレでもう少し愛想を良くしてくれたなら、それこそ評価は完全に違ったものになるだろう。
 頭はずば抜けていいらしい。実際に、成績は学年でもトップクラスだ。噂では余りにも凄すぎる成績を取らないように手加減をしているらしい。その上でスポーツも易々とこなす。
 目立たないものの、背も高いし、何よりもその顔はケチのつけようが無いほどの美貌だった。
 だが、その全てを人形を思わせる無表情さと醒めた視線がぶち壊していた。
 いや、逆にその無表情さと無気力さが眞の魅力を感じさせるであろうポイントを全て里香にとって苛立たせるものに変えてしまっているのだ。
 むかむかと腹を立てていると、父親が帰ってきた。
「里香、帰ったぞ」
 何時もと違う時間に帰ってきた父親に驚いてしまう。
「あれ? お父さん、何でこんな早い時間に?」
 普段なら忙しい仕事をこなしているために、帰ってくるのは夜中に近い時間になるはずだ。
「ははは、心配するな。今日は会社の方で仕事が速く片付いたからな、久しぶりに早く帰ってきたんだ」
 母親が急逝してからもう三年になる。その間、男で一つで里香を育ててくれた父親に感謝しながら、里香は自分の為に無理をしてくれている父親の背中をじっと見詰めていた。
 そんな父親の姿と比較して、眞の事を考えると苛立ちが募ってくる。政治家の孫息子であるということから、生活をするのに不自由の無い資産を持ちながら無気力な目で世の中を醒めて見ているクラスメートに対して苛立ちを抑えきれないのだ。
 ニュースで見たことがあるのだが、とにかく戦前から続く政治家の家系であり、戦前は爵位すら擁していた華族の家系である事から今も途轍もない資産を保有していると言われている。
 そんな生まれたときからエリートになるべくして生まれたような少年と、小さな会社で身を粉にして働いている父親の違いが余りにもありすぎるのだ。
 正直なところ、里香が私立の高校に通うのは無理をしていると判っていた。だが、父親はあまり評判のよろしくない公立高校に通わせるよりは、と頑張ってくれている。
 里香も学校が終わってから、近所の書店でアルバイトをして自分の小遣いを稼いでいるのだ。
(お父さん、無理しないで・・・)
 心の中でそっと声をかける。
 父が再婚しないのは、未だに里香の母親を愛しているのと同時に、思春期の娘が継母に対して難しい感情を抱かないで済むように、という父親の愛情からだと知っていた。
 正直なところ、里香はその父親の気持ちが嬉しいと同時に父に対して申し訳なさを感じてもいた。
 もし、父が新しい女性を母親だと連れてきても反発はしないだろう。だが、感情的にその人を“新しい母親”として受け入れられるかと言われれば、その自信は無い。
 そんな自分に対して微かな自己嫌悪を覚えてしまうのだ。
 態度としては徹底的に嫌っている眞に対して、実のところ一番感情的に理解できるのは彼女なのだろう。
 確かに眞のように資産に問題が無ければ、周りに対して心を閉ざしてしまうのが一番楽な話だ。南米でゲリラに襲われて父親を亡くした事、そして祖父と母親をも失ってしまったことなどを考えれば、他人に心を閉ざしてしまうのが一番傷つかなくて済む。
 そのことは理解できるのだが、それが許される立場の眞と自分の父のようにそれでも娘を養うために死に物狂いで働かなくてはならないのとでは不公平だった。
 実際に眞は働かなくても弁護士に委託している実家の資産の運用だけで楽に生活が出来る。それどころか、相続した遺産の相続税を支払って、尚且つ幾つもの関連する企業を平然と経営している眞の祖父を支えてきたスタッフは日本でも有数の資産団体の一つを問題なく運営しているのだ。
 そのような事実が里香の苛立ちを掻きたてていたのは間違いなかった。
 ある意味では里香の考え方は正しく、同時にそれは過酷な歴史の重さを知らないものの幸せな悩みだったのだろう。
 事実、眞は無気力そうな表情をして無関心な態度をしながらも心の中では自らの祖父を卑劣な手段で死に追いやった者達に対する復讐を着々と進めていたのである。
 それはともあれ、里香は眞に対して共感を感じながらも、それであるが故に受け入れられない何かに対して苛立ちと嫌悪感を爆発させてしまっていたのだ。
「あいつのあのウジウジした部分がイヤなのよ・・・」
 そう呟きながらも眞のことが頭の片隅から消えない事に、里香自身が一番戸惑っていたのだ。

 眞は宿題を終えて居間で寛ぎながらぼんやりとニュースを見ていた。
 何時ものように馬鹿馬鹿しいニュースを深刻そうな表情で流すニュースキャスターにちらり、と一瞥を向けながらソファーに寝転んで雑誌を読む。
 こんなに鬱陶しい気分になるなら英二の誘いに乗って飯でも一緒に食ってれば良かったな、などと愚にも付かない事をぼんやりと考える。
 この静まり返った部屋は余りにも生気が無く、まるで死人の館のような気がする。
 亮のような優しい家族に包まれた生活が羨ましいと思わないわけでもない。だが、産まれた時からそんなものを感じた経験の無い少年にとっては、羨望を感じるよりも戸惑いの方が先に立つのだ。
 所詮は仮定の話だ。
 彼の環境ではそんな望みは絶対にかなえられない。ならば期待するだけ意味が無い事はしない方が無駄な苛立ちを感じなくて済む。
 すば抜けて頭が良いとは言っても、所詮は子供でしかない。
 今の透明な檻に閉じ込められたような生活を変えるためにはそれこそ強大な力と資金、そして何よりも信頼できる仲間が必要になるだろう。
 それをさせないようにするためだろうか、このマンションにも中核派と関係のあるジャーナリスト崩れが居を構えていた。
 ニュース番組の中で、キャスターがまたけたたましい戯言をまくし立てている。
「奇麗事でさえない、ただの寝言か・・・」
 よくもまあ、そんな言葉を公共の電波をつかって垂れ流せるものだと感心すらした。
 不意にクラスメートの言葉が頭に響いた。
『だってさ、なんか嫌いなんだよね~。いつも暗くてウジウジしてさ』
 ほっとけよ、と心の中で吐き捨てる。
 常に監視下に置かれているような、そんな生活を余儀なくされる彼の日常を知ろうともしないで、勝手な事ばかり・・・。
 苛立ちが眞の心の中に漣を立てていた。
『男なんだから、もっとシャキッとすればいいのよ。それを、何時までも悲劇のヒーローのような顔して。ムカつくんだよね』
 他の事を考えて里香の声を振り払おうとする。
 しかし、それは何時までも眞の脳裏に繰り返して響いて、眞の心を苛立たせてくるのだ。
「お前に・・・何が判る・・・」
 何時もは醒めてぼんやりとしている眞の目に怒りが宿っていた。
 あまり感情の豊かではない眞だったが、今は何時もの苛立ちだけでなく激しい怒りと灼熱の塊のような衝動が心の中を暴れまわっていたのだ。
『だったら、何かやってみなさいよ。男なんでしょ?』
 挑発的な里香の声に眞は苛立った声で応じていた。
「ああ、やってやるよ!」

 学校の帰り道、眞はペットショップに立ち寄って小さな兎を購入していた。
 ペットとして飼うわけでなく、魔神を呼び出す儀式で用いる拠り代として選んだ小さな命を、愛しげに見詰める若い女性店員の目を見ることが出来なかった。
 だが、もう決めた事だ。
 頭の中の里香の声に挑発された訳ではない。
 今の檻に閉じ込められたような生温い生活を根底からぶち壊す気でいたのだ。
 大人になって、力を付けてからそれを成し遂げる気でいたのだが、予定が早まっただけである。
 その為の力を手に入れる術は、もう眞の手中にあった。
 そう、魔神を召還する魔法書、それを使えば常識を超えた『力』を手に入れることが出来る。ならば、相手をたかが少年だと高をくくってみている連中を出し抜いて行動を起こせるだろう。
(見てろよ・・・)
 そう心の中で呟かれた言葉は、果たして里香に向けられたものだったのか、それとも眞をこの透明な檻に閉じ込めている連中に対するものだったのか、彼自身にも判らなかった。

 自分のしようとしている事の罪深さを思うと、目の前の小さな命に対して申し訳なさで胸が詰まりそうになる。だが、それを成し遂げなければならないのだ。
 昨日の夜からの苛立ちと怒りは眞の心の中で少し収まっていたものの、それでも自分が行おうとしている計画を止める気にはならなかった。
 儀式の準備は簡単なものである。
 必要なのは魔力を集約する力場である魔方陣を維持するために必要な空間と、それを補助するための魔法円を描く事の出来る大きな布に、必要な手順に従って正確な魔法円を描きこむ事だった。
 この魔法円は召還したいと願う魔神に合わせてその呪文や魔法の紋章などを描いていく必要があるのだが、一度それを作ってしまえば幾らでも繰り返し使えるという便利さがある。
 眞が選んだ召還する魔神は、『グルネル』と呼ばれている種族の魔神だった。魔神の中では最下位の強さしか持たない魔神ではあるが、何よりも古代語魔法という魔術を使う能力があるのだ。
 頭の中で何度もシミュレートする。
 魔神を召還し、それに対して魔術書に記載されている支配の呪文を唱えて完全な支配を行うのだ。
 準備を整えて儀式を始めた。

 高らかに召還の句を唱えると同時に、魔法陣の中心においた台の上に括り付けた兎に短剣を突き立てる。
 鋭く激しい痛みに鳴きながら苦しむ姿を無表情な目で見つめる眞の目の前で、小さな兎は次第に力を失っていく。そして力を失って身動きを止めた。
 だが、一連の変化を通じても、兎には何の変化も見られなかった。
「・・・なんだ、やっぱり何も起きないのか」
 騙されたような怒りと共に、おぞましい魔神を召還せずに済んだという安堵、そして愚かな試みの為に奪ってしまった小さな命に対する懺悔の気持ちが沸き起こってきた。
 丁寧に埋葬してやら無いとな・・・。そんな事を考えて片付けようとした瞬間、眞は部屋の気温が急激に下がっていくのを感じていた。
 吐く息が白く染まっている。
「な・・・」
 驚きが思わず口から飛び出していた。慌てて眞は生贄にした兎の死体に視線を向ける。その瞬間、眞は凍り付いていた。
 死んだはずの兎の身体が不気味な脈動をしているのだ。びくん、びくん・・・、と不自然な動きで跳ねる兎の肉体は、まるで内部から何かに突き上げられているような動きをしている。
 眞は魅せられたようにその変化を見守っていた。
「この魔術書は、本物だったんだ・・・」
 呆然としたような声で呟いていた。
 次第に姿を変えていく巨大な肉塊となった兎だった物体は、やがて人型の様な姿になって立ち上がっていった。

 魔神-それは異界に住む異形の怪物の総称である。だが高い知性と強靭な肉体、そして様々な特殊な能力を持った存在で、ある意味で人々が想像する悪魔のような存在だった。
 眞が手に入れた書物によると、この異形の怪物は『古代語魔法』なる魔法や邪神の魔法を操ることができるとされていた。
 目の前に現れた青銅の肌をした魔神は、想像していたよりも醜悪でおぞましい存在だった。
 確かに人型と言えなくも無い姿をしている。
 手足の位置と頭、胴のシルエットは人間とさほど変わらないだろう。だが、長い尾が蛇のようにくねり、そして何よりも異様なのはその真紅に輝く目だった。その赤い目は、しかし異様な昏さを滲ませて、その魔神の異質な思考を物語っていた。
 その魔神に魔術書に書かれていた精神支配の術を掛けた眞は、まず最初に古代語魔法のことを聞き出していた。
 古代語魔法とはかつて魔神や様々な種族を創造した神々が使ったとされる偉大なる知識と技のことであった。しかし、さしもの魔神たちとは言え、その古代の神々の知識や力をすべて知っているわけではなく、ごく一部しかその魔法語のもつであろう真の力を使いこなしていないこと、そしてそれらは普遍的に使うことの出来る知識であることを理解していたのだ。
 眞が手に入れた魔術書もまた、その古代語の魔法で生み出された書物であることが判り、眞は一つの試みを実行しようとしていた。
俺にお前の知る古代語魔法の知識と力を与えよ
 その命令に従い、青銅の肌の魔神は小さな水晶のような物を取り出す。そして、魔神は自らの古代語魔法の知識と力をその水晶球に封じ、眞に手渡したのである。もちろん、眞は魔術書に記載されているとおりに、本の魔力を用いてその魔法の宝物が危険でないのか、などを調べた上でその魔法の水晶を使ったのである。

 そのときの凄まじい経験を思い出して、眞は顔をしかめる。
 頭の中に直接、全く異なる知識が流し込まれるのは面白い経験ではない。膨大な数の古代語の呪文、そして意識と魔力の根源である『マナ』を結びつけるための魔法回路が彼の精神に刻み込まれていくたびに、頭の中をかき乱されるような苦痛が眞を苛んでいた。
 本来、古代語魔法の取得は上位古代語の知識を学び、そして上位古代語で構成された呪文をマナに対して働きかけ、それを実際の効果へと導くための魔法回路とよばれる特殊なリンクを自分の深層意識と精神に刻み込むことで初めて呪文を唱えられるようになる。
 しかし、その過程を魔法の力で強制的に精神と知識に刻み付ける作業はどうしても無理があるため、その強烈な副作用に眞は苦しめられたのだ。だがその結果、眞は恐らくこの世界の人間で史上初めて異世界の古代語魔法を唱えられるようになっていたのである。
 特に、このグルネルという魔神は下位の魔神ながらも付与魔術という魔法の宝物を創り出すための魔術に長けた魔神であり、これは極めて有用な知識の一つだった。また、召還したグルネルが持っていた魔法の宝物のほかにも既に幾つかの魔法の宝物の作成にも取り掛かっていたのだが、如何せん、付与魔術の儀式には時間が掛かることを思い知らされていた。
 そのため、眞は幾つかの魔法の宝物を駆使してより効率の良い魔法の道具の作成方法の考案に頭を悩ませていたのである。
 そして眞は次々に様々な種類の魔神を召還していった。
 真正面から戦うには強大すぎる相手でも、魔術という特殊な力と技術を使いこなす事が出来れば幾らでも対抗手段はある。
 そのためにはむしろ、力に勝る戦闘型の魔神よりも特殊能力を使って策謀を進める事の出来る魔神のほうが遥かに眞にとって都合が良かった。そうしたことから、眞は<梟面魔神iマリグドライj>や<透明魔神iゴードベルj>、<<魂契魔神<iガランザンj>などを召還して支配していったのである。
 そうした魔神を駆使して、眞は密かに行動を開始していた。

 高杉昌介は同じマンションに住む自民党の元副総理、故緒方麟太郎の孫息子の日々の動向をじっと観察していた。
 この少年は要注意人物なのだ。
 緒方家は戦前から連綿と続いてきた政治家の家系であり、戦前は爵位を持つ華族の一門だった。そして今でもこの一族は巨大な資本を傘下におく途轍もないグループなのである。
 その上で、彼の父親の祖父は皇族に連なる人物だったのだ。天皇家の直系男子がこれ程の資本と政治力を持つ一族の後継者として存在しているのは余りにも危険だ、と高杉は考えていたのだ。
 彼と考えを同じくする政治結社の面々も同じように少年を危険視して、監視下に置くべく高杉をこの同じマンションに住ませているのだった。
 ある意味ではブルジョワの象徴とも言える少年に、怒りを常に感じていた。
 その少年の様子がどうもおかしい。
 妙に晴れ晴れとした表情で出かける事が多くなったのだ。今までには無い事だった。
 高杉は何かある、と考えていた。ジャーナリストの肩書きは伊達ではない。この少年の動向を掴むのは非常に重要だと本能的に悟っていたのだ。
 少年が兎をペットショップで購入した、という情報も入ってきている。だが、少年は兎を世話するために何かをしているような様子は感じられなかった。
(もし、ペット虐待をしているなら面白い記事に出来るな・・・)
 そんな事を考えていた。
 眞はその男の姿をじっと見詰めていた。
(人のことをこそこそと嗅ぎ回りやがって。その代償はきっちり払ってもらうよ)
 心の中で言葉を掛ける。
 真後ろからi・・・・・jその姿を見ながら、眞はマンションの廊下に立って出かけていく少年の姿を観察している自称ジャーナリストの姿に唾を吐きかけてやりたい衝動を抑えていた。
(それにしても、魔術ってのは怖ろしく役に立つものなんだな)
 改めてその効果に感動を覚えていた。
 魔術書に載っていた魔神支配の指輪の作成方法に従って作り出したこの指輪は素晴らしいものだった。支配した魔神をその指輪に封じ込めて、必要なときに自由に出現させて扱う事が出来、そして封じ込めた魔神の持つ魔法能力や特殊能力を眞自身の能力として使えるようにするという魔力があるのだ。
 そのため、今の眞は自分の能力としてグルネルから手に入れた古代語魔法の能力以外にも、ダブラブルグの持つ姿をコピーする能力、ゴードベルの持つ透明な姿、マリグドライの持つ幻覚能力、ザルバードの持つ炎を吐く能力と炎に対する耐性、メルビズの持つ水中適応の能力などをも自分の能力として使うことが出来るのだ。
 特にゴードベルは使える魔神だった。
 古代語魔法の<飛行iフライトj>の呪文や<変身iシェイプ・チェンジj>の呪文などの魔力を使えるようにしたこの姿なき魔神は、眞の使った<魔神使いiデーモン・ルーラーj>の呪文の効果で完全に精神を支配されて、眞の忠実な僕として諜報活動や工作活動を始めていた。
 この魔神を行使する為の呪文は、同時に魔神への精神的なリンクを持ち、念話でのコミュニケーションや、魔神が見聞きしたものを眞に伝えることも出来るという役に立つ呪文だった。その上で、眞はゴードベルの視界の範囲内の者に対してマリグドライの幻影の能力を用いる事もできる。
 そうした特殊な能力を行使されているとも露知らず、愚かな活動家は自分達が知らないうちに、未知の力に浸食されていったのだ。

「何かお探しですか?」
 不意に掛けられた言葉に、高杉は飛び上がらんばかりに驚き名ながら平静を装って振り返った。
 そこには見慣れない男が立っていた。公安だろうか。
「いえ、別に・・・」
 そう答えながら、心の中で毒づく。
(俺はお前らに逮捕される謂れなんてねえんだよ!)
 あの少年は反動右翼のシンボルになりかねない危険な存在なのだ。それを監視しないで、何を見ているんだ、お前らは!
 高杉は口に出さずに罵りの声を上げた。
「反体制派なのはお前達の方だろう?」
 男はそう言葉を返してくる。
 高杉はぎょっとしながら目を見開いていた。
「な、何を根拠に・・・ヒッ!」
 すぐ横に別の男が並ぶように立っている。絶対に誰もいなかったはずなのに・・・
「北朝鮮朝鮮労働党統一戦線に関わりを持って、主体思想勉強会なるものに参加しているのは掴んでいるんだ」
「日本を敵視し、日本国民を拉致している北のシンパはどうなるか・・・」
 冷たい声がジャーナリストの心を蝕んでいく。
「「逮捕されれば、お前は死刑だ・・・」」
 ヒィッ!、と叫んで逃げ出していた。この権力の横暴を上司に報告して対応策を練らねばならない。
 エレベーターを使えば逃げ場が無くなる。そう考えて、高杉は階段を駆け下りていく。
 だが、階を一つ降りて踊り場に出た瞬間、高杉は凍り付いていた。あろう事か、彼は自分が元いた筈の階に駆け下りてi・・・・・jいたのだ。
 へなへな・・・、と恐怖の余り腰が砕けるようにへたり込んでしまった。
 階段をゆっくりと降りてくる人影は、先ほどの公安の刑事だった。
「どうした、もう逃げないのか?」
 それと同時に下の階から階段を上って現れた人影を見て、高杉は恐怖に目を見開いていた。まるっきり同じ人物が、階段を上ってきたのだ。
「早く逃げた方がいいぞ・・・」
 そして通路をもう一人の同じ刑事が歩いてくる。
「早く逃げた方がいい。そうすれば、俺はお前を射殺してしまえるんだ・・・」「逃げろよ・・・」「捕まるぞ・・・」
 気が付くと周りを同じ顔をした刑事が何十人も取り囲んで、高杉に声をかけていた。
「あ・・・ああ・・・」
 完全に恐怖に怯えきってしまった男は、パニックに陥って唯一、刑事のいない方向に向かって走り出していた。手摺を乗り越えて、その場を逃げ出した高杉は八階の高さから自分の身体が落下していく浮遊感に恐怖を感じる事無く、刑事から逃れる事が出来た事に達成感を感じていた。

 眞はぽかん、とだらしなく口を開けて虚ろな視線を宙に向けている男の様子をじっと見ながら、マリグドライの幻覚で精神を支配された事を確認していく。
「・・・よし、これでこいつは片付けた。お前の部屋に案内しろ」
 眞は精神を支配したジャーナリストに命じて、彼の住む部屋へ向かっていった。
 見たところ、取りとめも無い部屋ではあったがその本棚に突っ込まれている本を見て眞は呆れた顔になる。
「こいつ、よくもこんな頭のネジが飛びそうな本ばかり読む気になるな・・・」
 今の共産主義国家の官僚でさえ読まないようなカビの生えた共産理論から、何処をどうこじつければ日本を責める事が出来るのかとトンデモ話並みに筋書きと構成の破綻した軍国主義批判の本まで、日本で手に入りうる限りのアジビラまがいの本が並んでいた。
 そりゃ、こんなのに傾倒してたら頭が変になるわな・・・、と眞は呆れ返りながら仕上げの作業に取り掛かる。
出でよ、魂の魔神よ・・・
 一言呟いて、眞は魂の魔神を指輪から呼び出した。
承知・・・
 不気味な声が響いて、目の前に巨大な蝙蝠の羽を背中から生やした魔神が現れる。その頭は人間の髑髏で、右手は鋭く巨大な鎌だった。
 黒いローブを着せれば、話に良く出てくる死神といっても通用するような姿をしている。
 その姿に恥じない、下位魔神の中でも最強の力を持っている魔神だった。
 ガランザンは、その特殊な能力に“契約”と呼ばれる能力がある。これは契約を交わした人間の魂に自らを封じて隠す事が出来る、という能力でその契約を交わしたものの精神の強さによって何度倒しても蘇るという能力なのだ。
 眞はこのガランザンの能力を使って、高杉の魂の中に魔神を侵入させ、そして精神を支配したジャーナリストを操って過激派の内情をスパイし、そして撹乱する為の手駒として運用しようと考えていた。
「さて、これから反転攻勢だ・・・」
 眞の冷たくも面白そうな声が部屋に小さく木霊していた。
   
 
 

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